映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2006年10月26日

「GELLY(ジェリー)」ガス・ヴァン・サント 再び

gerry.jpg

以前記事にした時は「どうにでも考えられる」みたいな風に書いたと思うんですが、今回最初からこれはゲイの世界を描いたものだと言うことにして観て行きました。

そう決めて観るととても判りやすいのですね。無論答えがどうなのかは知らないのでこれはあくまで私の勝手な解釈です。

主人公となる二人が二人とも「ジェリー」という名前でややこしいのでそのまま役者名で書きます。

ゲイであるマットとケイシーは(役名の代わりとしてですよ!)長い長い道を二人きりで車で走っている。周囲から疎外されている感じはあるが穏やかな音楽が流れていてそれほど不快感はない。でも二人に会話はなく視線を合わすこともない、何かを決心して行動しているようにも見える。
二人は車を降り「荒野の道」を歩きだす。反対方向へ家族連れが向かう。彼らは二人きり。最初は笑ったり楽しそうでもある。
すぐに道がわからなくなる。誰もいない誰も通る事のない荒野と砂漠。それはゲイとして生きていく運命を表現している。
より強く愛情を持っているのはケイシーの方だ。それは僅かに発せられる言葉で感じられる。
マットが「お前が嫌いだ」というと「本気で?」そんな会話から。
いきなりケイシーが高い岩の上に登っている。下にいるマットは驚きどうにかしようと思うがどうすることもできない。「飛び降りろ、抱きとめるから」ケイシーはそうして欲しいのだがマットのことを心配してそれができない。
二人は道を探し果てしなく歩き水飲み場=憩いの場を捜し求めるがどうしても見つからない。根無し草が二人を追いたて暑い日差しが二人を苦しめる。

あえてストーリーを書き連ねているのは以上の表現がゲイである二人が生きていくにはそういう体験・心理状態になるという事を映像化している、といいたいからだ。
そしてその状況は他の人間から見れば非常に馬鹿馬鹿しく非生産的に見えるということも。
ケイシーはマットに問う「あの山も越えるかい」そして泣く。たとえそうしてもそこに答えはないとわかっているから。
ケイシーはつぶやく「僕は最初から車のある場所も判っているし水も持っていた」マットは「また幻覚をみてるな」
それもまたケイシーが普通の場所へ戻る道を知っていると言っているのだ。

だが二人はさらに歩き続けとうとう倒れてしまう。ケイシーがマットに手を差し伸べる。助けを請うように。そのしぐさはこの物語の中で唯一心の動きを表しているようで悲しみに満ちている。
「もう駄目だ」
マットはそれをはねつけ彼の首を締め上げてしまったのか、と思ったがそうではなく力尽きた恋人を死へと送ってあげただけのかもしれない。
その光景はまるで二人が愛し合っているかのようにも見える。

ケイシーを殺した直後なぜか突然マットは普通の人が通る道が見える。そして普通の人の車に乗せてもらうのだ。
が、ここでもマットは不安げである。普通の人の所へ戻った、という安堵感がない。
マットの隣の席には可愛らしい幼い男の子が座っている。そして運転しているのは自分より年上らしい男の視線も気になる。
不安な思いを抱えたままマットは車の窓の外を見る。そこにはまだ果てしない荒野が広がっている。

というわけで自分勝手にゲイの心の不安と孤独を描いた作品だということでまとめてみました。
最初観た時はマットとケイシーの交流がまったくないのでとても悲しく思えたのですが(特にマットがケイシーの呼びかけを撥ね退けて殺した、と思ったので)あの時の二人の動き特にマットの動きはケイシーの誘いをそのまま受けて首を絞めているので愛するがゆえに殺したのかな、と考え直しました。
まあどちらにしても勝手に思い込んでいるだけですので。殺しちゃいけませんがすべてが何かを暗示している、という映像だと思いますのでそのまんま受け取っちゃいけません。

無論、こう思うのは監督のガス・ヴァン・サントがゲイだから、ということはありますね。ここでのマットとケイシーは大変監督好みの美少年に見えたりもしますし。

前回、感想が中途半端かなという気がして書いてみました。

「GERRY ジェリー」ガス・ヴァン・サント

「GERRY ジェリー」におけるマット・デイモンの魅力


posted by フェイユイ at 00:07| Comment(2) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
フェイユイさんにとってこの『ジェリー』の題材は特に興味深いものの一つなのですね。
同性愛・・だとは、正直ほとんど考えなかった浅いワタクシです(笑)
私はそれこそ“実際にあった事件をモデルにしている”とのことだし、観ていてもこの二人の状況と心理を想像すると怖くて怖くて、“うああやっぱりホラーだよ・・^^;;”と思いましたから。。
評を読ませて貰って“なるほどな・・”と、たくさん思いました。
私はあまり同性愛については詳しくないので愚問かもなのですが・・ゲイの方々の恋愛ってそんなに暗いイメージなのでしょうかね・・。
最近は市民権もだいぶ出てきてて、現代のアメリカとかでは本人達も回りも、普通の男女間恋愛と感覚一緒かなと思っている最近の私です。だからあまり「ゲイ=不毛でつらい」という意識がないかもしれません。
美しい映画でした。
ケイシーもマットもとても美しい。
印象に残っているのは、二人の大アップの横顔。ずっと一緒に歩いていたがある一時から、ふとマットジェリーが、先に行く。そしてそこから先はマットが常に先を行く。
・・ふと二人が離れる、その瞬間
やはりいろんなことを、暗示しているのですね・・・。
Posted by フラン at 2006年10月27日 00:43
もうホントに私の勝手な想像なんで^^;他の方の感想を読んでもそんなことは書かれてないみたいですしね。あくまで一つの感想とお考えください。
勿論監督自身がゲイだから、というのはあります。この孤独感は「それだから」なのかな、と。
私もゲイ社会について詳しいというわけではありませんが実際、映画だけみても異性愛のようには抵抗なく製作上映できるわけではなくゲイという立場で創作していくのはやはりまだまだ困難なものだな、と思わされます。
それでガス・ヴァン・サントはこういう映画で表現したかったのかとも感じました。
怖いのもあるんですが妙なおかしさもあると思うのですよ。飛び降りる時とか。それも一つの要素かなと。
マットとケイシーが歩いていく情景が何かを暗示している、フランさんが言われているとおりですね。

Posted by フェイユイ at 2006年10月27日 16:02
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