映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2006年11月13日

「イノセント・ラブ」マイケル・メイヤー(「この世の果ての家」マイケル・カニンガム脚本)

イノセント・ラブ.jpg

実を言うと私としてはマイケル・カニンガムの小説にそれほど傾倒しているわけではないし、コリン・ファレルが大好きでたまらない、というわけではないのでのめりこんで観てしまったわけではない。
それでも色々と非常に興味深い作品であった。

原作と映画は違うもので比べてみるものではないと判ってはいるが小説を読んでしまった以上どうしてもその違いについて考えてしまう。
ましてやこの作品は脚本を原作者自身が書いているのだからどうして違いがでてしまったのか考えないわけにはいかない。

映画の冒頭部分からこれは随分原作と違う、と感じてしまった。
切り捨てられた部分の事ではなく小説の中の雰囲気というものが映画からは感じられなかったのだ。
その思いは映画が進むにつれ強くなりあの胸が締め付けられるような悲しさ、というのはこの映画で表現されたのだろうか。人にそう伝わっているのだろうかと思ってしまった。
なぜこういう風に変えてしまったのか。

原作で感じたのはどこにも行き場のないような者たち、普通の家庭という中に入りきれない者たちが寄り添って生きるような悲しさと暖かさだ。
小説ではジョナサンとボビーがエイズにかかって余命いくばくもないエリック(ジョナサンの恋人だった)と一緒に冷たい湖に足を浸す所で終わっている。
その冷たい水から早く上がれとジョナサンとエリックを見守るボビーの優しさが感じられる。
苦痛でしかない水の冷たさは人生または死を思わせそこへ足を浸そうとする
ジョナサンとエリック、そしてそこから助けだそうとするボビーの姿は献身的で胸をうつものがある。
入れ込む、というまではなくともこの小説からそういった美しさを感じ取ったものだ。

だが映画ではエリックという存在が消去されてしまっている。これだと最後はただ単にジョナサンとボビーの恋人同士、という感じになってしまって
寄りそって作った家族というイメージが失われてしまう。
とんでもない気がしたがなんと脚本はその原作者であるマイケル・カニンガム本人なのだ。
ということは本人としては小説と映画をまったく同じモノにしたくなかった、違う作品として生み出したかったという事なのだろうか。
つまり「こういう映画」「小説とは違う作品」にしたかった。
小説は多分これ以上ないほどの美しい仕上がりとなっているのだ。
映画ではまた違う何かであって欲しかったのか。

またいつものように自分勝手な考えを書いていく。
正直に言うと小説を読んでいる時、私にとってはクレアとエリックが邪魔で、
「この二人がいなけりゃボビーとジョナサンは二人きりなのにな」と下賤な事を考えた。
まあそれじゃ普通の恋人同士の話になってしまって原作に表現されている異端の家族の話ではなくなってしまう。
物語のテーマを覆してしまうのだけど不謹慎にもそう思ったわけ。
そしたら映画ではお望みどおりクレアは去り(原作でも去りますが)エリックは出てこない。
一体これは???
まさかカニンガム氏本人も私同様ボビーとジョナサンを早く二人きりにしたかったのか。
ここではジョナサンがエリックの代わりにエイズ(と思われる病気)にかかっているような状態で終わっている。彼は病院に行きたがってないので不安は大きい。
だがそれもどうなるかは不明のままである。
彼らにはまだ時間があるかもしれないし、それはわからない。ただ人生は不確かで結局どうなるかはわからないのだ。

何を言いたいのか、ちっとも伝わってないと思うけど(自分でもよくわからない)カニンガム氏がこの映画ではボビーとジョナサン二人の関係をより強く出したかったのかもしれない。それは私も原作を読んだ時点でそう願ってしまった、ということ(回りくどいよな私はほんと)

この映画の最後は小説に負けないほど好きである。
小説では4月だったがここではまだ冬だろう。息が白く寒そうだ。
そんな凍てつく日にボビーとジョナサンはジョナサンの父親の遺灰を野原に撒き家路につく。
ジョナサンが先に家にむかいボビーがそれを見守っている。ジョナサンが家に入ってしばらくすると2階の右側に灯りがともる(この時ジョナサンの影がまだ1階に見えるのはどうしてだろう。一階にスイッチがあるのだろうか)
やがてボビーが家に入る。しばらくして2階の左側に灯りがともる。
さて二人は別々に寝たんでしょうか。
それとも?(クレアがいるように灯りをつけ二人は同じ部屋に、
さあ、どうでしょうか)

ジョナサンの母親をシシー・スペイセクが演じている。うまい。
もう少し彼女をじっくり観ていたい。
ボビーの少年時代の子、可愛くてうまいのに眉毛と髪型が。
こればかりは思わず微笑まずにはおれなかったのですが
いいんでしょうか、あれで。

コリン・ファレル、特に大好きではないんだけど、あの目でじっと見つめる
のは反則だよな。物凄く女性にもてるの納得の必殺眼力です。(ゴリラ落しくらいある)
特にこのボビーは純真で一途な若者ということでどうしようもないくらいセクシーです。
真面目なのがセクシーというのは普通あまりいわないのかもしんないけど私にはこういう無骨な感じが一番セクシーなの。
ちょうど何も知らない少女に一番エロを感じる狒々爺と一緒ね。
ボビーとジョナサンのダンスシーン、男同士のダンスシーンと言うのは幾つかあれどこれも名場面ですね。

監督:マイケル・メイヤー 出演:コリン・ファレル 、ロビン・ライト・ペン 、シシー・スペイセク 、ダラス・ロバーツ 、マット・フルーワー 、エイジア・ヴィエーラ
2004年アメリカ

ところでこの最後を見ていると特に映画のほうは、金庸の「笑傲江湖」や「神[周鳥]侠侶」「射[周鳥]英雄伝」を思い起こさせるのですね。
こちらは男女ではあるけれど禁じられた恋人同士で世を捨てて生きていく感じが似ています。
こういう人生観が好きで惹かれます。武侠の世界?


ラベル:同性愛
posted by フェイユイ at 22:11| Comment(6) | TrackBack(1) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは!さすがですねぇ!っとフェイユイさんの記事を読んで思いました。
私もコリン・ファレルとかあんまり好きではなかったのですが、この映画には興味があり、レンタル開始日に借りに行きましたよ!本当に子供時代のボビーには悩殺されかけました(笑)でもうまくコリンに似た子供俳優を見つけるものだと、感心してましたよ。
シシー・スペイセクは素敵でしたね!お母さんなのに女を感じさせる演技にはさすが!と思いました。
でも原作とちがうのですね…映画ではジョナサンは特別な恋人を一切もちませんでしたものね。あれはボビーへの一途な思いゆえかなぁ…と勝手に思ってました。
実際最後はクレアも去ったので、私もよっしゃ〜なんて思っちゃいましたけど!
ボビーは結局、ジョナサンなしでは生きていけないじゃないかなぁ…とさえ思ってしまいました。だってクレアが一緒に来ないか?って言われ、即答でNOでしょう?あれには可哀想すぎる…と正直思いましたが、ボビーという人は自分にも他人にも本当に正直な純粋すぎる人だから仕方がないのね…とあの、ボビーの目をみると思いますね。まさにコリン・ファレルの必殺眼力にやられちゃいましたね(笑)
最後のシーン、一緒に家に入っていかない、っていう演出がまたにくいですよね〜
あの二人のついの住処になるのだな…
クレアが帰ってきませんように、と密かに思ってしまいました。
きっと二人は一緒に寝ますよ!だってボビーは究極の寂しがりやでジョナサンのことを心底愛してると思うから。ボビーって周囲の人を本当にこの題名通りイノセントに愛してますものね…。それ故ジョナサンへの愛は特別であることはきっとボビーの本能しかわからないような気がします。
あとダンスシーン、やっぱり良いですね!ブエノスアイレスのダンスシーンが印象的だったのですが、この二人のシーンもグッときますね。さりげなくキスでしょ…兄弟のキス?普通しないよ!って突っ込みいれてました(笑)
長くなってすいません。原作読んでみますね!(でも日本語版でてるのですか?)
Posted by まもう at 2006年11月14日 02:09
まもうさん、私の支離滅裂な記事に心温かいコメントありがとうございます(^_^;)

まもうさんの記事も読ませていただきこちらもボビーとジョナサンへの暖かいまなざしを感じました。
 
ダンスシーン素敵でした。こういうのは小説でより映画で観たいものですね。
脚本カニンガムさんもそう思ってこういう場面を入れたのではないでしょうか?(想像ですが)

日本語版、勿論出てます!英文で読む能力はとても(^^ゞ
タイトルのとこにも書いてます「この世の果ての家」という日本語タイトルです。マイケル・カニンガム著ですね。
Posted by フェイユイ at 2006年11月14日 10:52
フェイユイさま、こんにちは。TB送らせていただきました。
私は原作にかなり傾倒しているのですが、概ねフェイユイさまと同じような感想を持ちました。
原作を未読で、映画も一度観た切りだと、原作のあの世界観を感じ取ることは難しいのではないでしょうか?
私も2回観て、ようやく納得しました。そして更に、何度でも観たくなって困っています。
ではでは、またお邪魔させて下さい。
Posted by 真紅 at 2006年11月15日 23:16
真紅さん、いつもありがとうございます!
カニンガムの「この世の果ての家」原作は整然としてしかもイマジネーション溢れる作品で読んでいてもゾクゾクとするものがありました。
私はどうももっと乱雑なぐちゃぐちゃした話が好き(って意味不明ですね。うまく言えないのです)なのですが、これは本当に単なる好みなのでお許しください。

ボビーとジョナサンを彼らに演じさせたのは素晴らしいキャスティングでしたね。
映画はコリン・ファレルとダラス・ロバーツの魅力によるところ大でした。

のめりこんでいなくてもこの映画と小説が美しいと感じます。

Posted by フェイユイ at 2006年11月15日 23:37
原作は書店でパラパラーっと見ましたが、映画とはかなり違いがあるように感じましたね。しかも脚本と原作者が同一人物ってことに驚きました。
『パラレルワールド』的なストーリーなのではないかと、私は勝手に思っています(笑)
シシー・スペイセクの演技素晴らしかったですね、皿を割って、ボビーがそれを拾って、またシシーが皿を落とすシーンが印象的です。
というかメインキャスト全員ホントパーフェクトです、演技が凄い!

一つ腹立つのは、邦題が『イノセント・ラブ』
・・・・・・・・・・・・・・。
誰だよこのタイトルつけたのは。。。正気とは思えません。
普通に『この世の果ての家』というタイトルで劇場公開もしてほしかったです;;
Posted by SK at 2008年01月01日 01:54
思い出すととてもいい映画だったですね。もう一度観たくなってきました。

シシー・スペイセクはなんだか続けて観てしまったのですがどの役柄もまったく違ってその上素晴らしくてやはり凄い女優です。

タイトルは・・・(笑)でも最近のアメリカ映画のタイトルのつけ方っていつも不満を持たれているような気がしますねー。一体どこを狙ってつけているのでしょうか。
Posted by フェイユイ at 2008年01月01日 12:23
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この美しく騒々しい世界で〜『イノセント・ラブ』
Excerpt:  マイケル・カニンガムの小説『この世の果ての家』(角川文庫刊・原題:A Home at the End of the World)の映画化である本作は、2004年にアメリカで製作・ 公開され..
Weblog: 真紅のthinkingdays
Tracked: 2006-11-15 23:02
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