映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2006年12月16日

「グレート・ギャツビー」前編・映画「華麗なるギャツビー」

ギャツビーg.jpg

映画「華麗なるギャツビー」及び小説「グレートギャツビー」野崎孝訳・村上春樹訳についていつものようにだらだら書いていく。
これらについて詳しい方にとっては付け焼刃の浅い考えにすぎず、失笑されることは覚悟の上として。
また構成力が乏しい為に話が前後左右寄り道してしまうこともお許しいただきたい。

まずは映画「華麗なるギャツビー」1974年アメリカ映画。二枚目の代名詞であったロバート・レッドフォードがギャツビーを演じたこともあり、日本でも多くの人が観たことであろう。
脚本はフランシス・コッポラ。破滅する天才男が好きな彼らしい選択である。
物語は1920年代。後にジャズエイジと呼ばれる好景気に沸き酒とダンスに明け暮れる華やかな一時期である。
映画でもラルフ・ローレンが担当したという金持ちの男達のスーツ姿は勿論、当時の女性達のファッション・化粧にも目を奪われる。
あくまで細く胸の薄い女性がシンボルである。それまで長かった髪はばっさりとボブカットされかっちりとしたパーマネントウェーブで形どられている。こぼれるような大きな目と反り返ったまつ毛。
濃いアイシャドウ。ヒロイン・デイジーを演じるミア・ファローは狂気じみた感性もぴたりとはまっている。
女性が解放されていく時代でもあったろうがその勢いが性的にも向けられているようだ。
禁酒法時代がそのまま享楽の時期でもあったというのは皮肉なことだが、まさにこの時期に生まれた「ギャツビー」の物語はそれらの背景失くしてはあり得ないのだ。

ところで私が見回したところではこのアメリカの名作は日本ではいまいち「?」的評価のような気がする。
小説「グレートギャツビー」の信奉者である村上春樹氏もその事を不思議に思っておられるようで「あれってそんなにすごい作品ですか?」と聞かれたりするのでこれがすごい作品でなくて何がすごい作品なのか?と詰め寄りたくなる、と書かれている。
これには噴出したくなったが私にも他人の多くには「?」だが自分にとっては「すごい作品」というのがいくつもある。
だがしかし私にとっても「ギャツビー」は「?」な作品なのだ。そこで余計にこの作品について考えてみたくなった。
村上氏は小説家なので「ギャツビー」の文章自体の美しさと、そこから生み出される味わいや意味を愛でておられるのだろうけど、一般的読者は主人公の言動から共感を得るかどうかが第一である。
本来の主人公であるニックは目立たないし、彼がヒーロー視するギャツビーの心情がそれほど共感されないのだと思う。私とて「男にとっては美学かもしんないけど、金のことばかり気にして女に捨てられたのも気づかずミジメだよ」っていうのが正直な思いだが、この年になって読めば(ありゃいつの間にか小説の感想になってる)かなり面白い事は確かだ。
(註:私にとって「すごい作品」は氏の言う「ギャツビー」「ロング・グッドバイ」よりは「シャーロック・ホームズシリーズ」と宮沢賢治の諸々の物語である。氏のお薦めのひとつ「カラマーゾフの兄弟」は同感である。一つでも同じ趣味があってよかった)
とにかくギャツビーに共鳴する日本人は少なさそうである。もう一人の訳者・野崎孝氏は1974年の解説で「初めてこの訳がでた当初より(繁栄を経験した)今の日本の方が鑑賞する条件を備えている」と書かれているが現在でもどうなのだろうか。
ジェイ・ギャツビー。貧しい生まれで金持ちの娘に恋をし、娘の気に入るように金持ちになろうと決心して悪行によって成金となる。が、娘はすでに大金持ちの男と結婚していた。ギャツビーはストーカー的に元・恋人を追いかけるが女の心は夫から離れてしまうことはない。ギャツビーは女のしでかした罪を被ってしまう羽目になる。
愛を誓った女が大金持ちの男と結婚してしまう、というと日本では「金色夜叉」を思い出してしまう(イメージだけで実は内容は知らないのだが)あれでは男が金に走った女を罵って蹴飛ばしているようだが、ギャツビーは女に好きになってもらうために金持ちになろうと努力するのだ。
けなげだ、と言っても差し支えないはず。ただその手段が悪事だったのは所詮貧乏男が短時間で儲けるにはそれしかないんだろう。
悲しい話なのだ。
とにかく金持ち男に走った恋人を一途に思い続けるヒーロー、というのは日本では受けない気がする。
だがこの物語のヒーローはギャツビーだが主人公は彼ではない。

再び映画に戻る。
枝葉末節ばかりに触れてるが、「華麗なるギャツビー」を再観して驚いたのは男達がこれ以上ないほど汗をかいていることだった。
真夏の物語である。金持ち達の話とは言えまだエアコンがない世界。しかも常にスーツに身を包んだ男性達の顔には常に汗が噴出している。(なぜか女性はさらっとしてる)これは真夏の暑さの演出なのか、どんなにぬぐっても
すぐに汗だくになったのか。
「ギャツビー」の物語が暑いひと夏の出来事なのも重要な要素なのだ。
作中でも登場人物らが暑い暑いと言ってはぐったりしている。
ある夏の日に突然登場したギャツビーという謎の男。2週間おきに繰り返される饗宴。踊り狂う人々。酒に酔いしれ溢れるほどの用意されたご馳走を食らう人々の様は地獄へ堕ちる者たちの図のように感じるのは私がそこに入ることはない貧乏人だからだろう。

小説から読んだ人には映画は受け入れがたいのだろうが先にも言ったように当時の風俗を観る事ができるし観て損はないはずだ。
それぞれの役を演じる俳優達がとてもいい。
特にサム・ウォーターストンは主人公のニック・キャラウェイを実によく演じている。
ニックは平凡な存在なのだが「人を批判しない」寛容な性格でありそのために非常に人から好かれるという特質を持つ。
だが時に「ある点を越えればもうその行為が何からでているかなどと考えておれなくなってしまう」のである。
またギャツビーを「ぼくが心からの軽蔑を抱いているすべてのものを一身に体現しているような男」だと言い、なのに世間に対し絶望した時もそのギャツビーだけに反発を感じなかった、というほど共鳴してるのだ。
多くの場合「ギャツビー」を主人公として観てしまうのだがあくまで主人公はニックであってちょっと名を知られた家柄とはいえ平凡な会社員である彼がギャツビーの人柄を知り、ひと夏の事件に巻き込まれることで世間や人々の心の奥を観察することとなるのだ。
彼に同調して見て行けばこの物語も共感出来るものになるのではないか。

そしてギャツビーを演じたロバート・レッドフォード。あまりにもスター過ぎてギャツビーに思えないという人もいるようだが再観して私はこの桁外れのロマンチストギャツビーにぴったりだ、と感じた。
ギャツビーが愛するデイジーを想いつつ湖の畔に立つ姿が決めポーズだがレッドフォードの立ち姿は美しい。悲しいほどの率直さも表現されていた。

ミア・ファローは先にも書いたが当時の美人をそのまま描いたようである。また狂気じみた眼差しもギャツビーの恋人デイジーにぴたりとはまる。

そしてデイジーの夫の浮気相手マートルを演じるカレン・ブラック。彼女が一番印象的な人もいるだろう。貧しいが人の良い夫を騙して金持ち男トムと浮気を重ね、エキセントリックに喚きたてるマートル。
彼女も金という魔力から逃れることができないのだ。
主人公ニック以外は金にこだわり続ける登場人物たち。
やはりこの物語に共感することは難しいのだろうか。
いやしかしここで私もそれなりの感想を述べて行きたいと思う。
(おいおい今まではなんだったのか)
しかしここで時間も立ち過ぎてしまった。
なのにまだ言いたい所まで行き着いていない(しょうがないな)
さらにまた明日も脈絡ないおしゃべりを続けてみよう。


posted by フェイユイ at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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