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2006年12月24日

「フローレス」ジョエル・シューマカー

フローレス.jpg

ニューヨーク、ロウワーイーストサイドのぼろいアパートに住む元・警官ウォルトと斜めはす向かい上方向の住人でドラッグクィーンのラスティを中心にしたそこら辺に住む人々の悲喜こもごもを描いた物語、なのだろうか。

ドラッグ・クィーンに対し拒否反応を示していたウォルトは突然脳卒中で右半身が麻痺してしまい動く事・話すことも自由にならなくなってしまった。そのリハビリの為勧められたのが歌の練習。その教師となったのがいつもウォルトと言い争いをしてしまうドラッグクィーンのラスティだった。

元・警官ウォルトを演じているのがロバート・デ・ニーロ。ドラッグ・クィーン・ラスティがフィリップ・シーモア・ホフマンということで二人が話している場面はなかなか見ごたえはあるのだが、全体的に観て散漫な感じで話がどれも中途半端な印象なのだった。ウォルトの悩みもラスティの悲しみも判るけれどもありがちな感を免れない。
とは言えやはりフィリップ・シーモア・ホフマンのドラッグ・クィーンぶりは相変わらずの嫌味な感じもはまっていて楽しいものであった。
私にとってはフィリップ・シーモア・ホフマンというと「リプリー」で散々マット・デイモン=トムを苛め抜いてくれたあの皮肉な笑い顔が忘れられない。ここでもその意地悪な顔がそこここに出てくるのだがその彼女が元はゲイ嫌いのウォルトを救おうというけなげさがあるのが面白いし、生真面目なウォルトがゲイ嫌いだったのが少しずつ変わっていくのはデ・ニーロのうまさなんだろう。
最初、ウォルトの部屋の窓からラスティたちドラッグクィーン達が歌う姿を見ると窓ガラスが歪んでいて彼女達も歪んで見えているのがウォルトの彼女達への見方だというのがわかってちょっと面白かった。

こういう周辺の人々の物語、みたいのをやるとどうしても散漫になって難しい。ブラジル映画「カランジル」でごちゃごちゃした物語をまとめているのは、一人の医師の目が観た物語、人々が医師に話をするという方式になっていたからなんだな、と思ったりもした。
つまり色んな場所で筋が進むとこんがらがってしまうのだね。視点を一つにするか、その場面ごとで誰が視点なのかはっきり伝えるか、でないと。
でもそれ以上に一つ一つのエピソードがいかに魅力的で心を捕まえるか、なんだけどね。

監督:ジョエル・シューマカー 出演:ロバート・デ・ニーロ、フィリップ・シーモア・ホフマン
1999年アメリカ


posted by フェイユイ at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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