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2007年02月17日

「ヴィタール」塚本晋也

ヴィタール.jpg

あんまり好きになってしまってなんと言っていいかわからない。最近になって続けて塚本晋也監督作品を観ていってるのだが、観るごとに好きになる。従って本作が今最高に素晴らしい。

記憶を失った青年が現実と意識の世界を彷徨いながら一緒にあった交通事故で一人死んだかつての恋人を少しずつ思い出していく、という物語はさほど目新しいものではない。
そして主人公である青年がそれまでは敬遠していた医学の道を進み解剖実習の献体がその恋人であり、彼は恋人を解剖する事で次第に記憶を呼び覚ましていくという過程にぞくぞくするような快感、あるいは安らぎを覚えてしまうのは不思議なことだろうか。

それは解剖の行程の整然とした美しさのせいもある。もともと画家を志望していた青年は解剖をしながら見事に精密な解剖図を描く。その献体が恋人と知ってからは全てを見逃すまいという熱心さで。筋肉の一つ一つ、組織の一つ一つを。眼球を取り出して優しくメスを入れ中から透き通った物質(水晶体?)を取り出す。
揺らぐ事のない青年の恋人への思いの深さでもある。

しかしなんという明晰な美しい物語なのだろうか。死んだ恋人は海辺で青年の訪れを待ち続けている。
そこはあの世とこの世の狭間なのだろう。「この世界が本当だった。もう向こうへは帰らない。ここで君と子供を作るよ」という言葉は青年の願いだったはずだ。

青年の解剖への傾倒ぶりは周辺の者達を戸惑わせ不安にさせる。とうとう解剖の実習が終わった。(献体を元通りにし丁寧に棺に納める。解剖の後、このように心を込めて火葬の準備をするとは思いもよらなかった)
恋人の棺を火葬にする時、青年が何か思いつめた行動を取ってしまうのでは、と怖れてしまった。
だが彼は最後まで彼女の傍を離れようとはしないものの死んでしまうようなことはしなかった。むしろ火葬された後、美しい木々の緑葉のざわめきが心地よく聞こえた。
恋人が青年が医学を学びいつか自分を解剖する事だけを望んでいたのなら、それが終わり死の世界へ向かった時二人は愛の儀式を終えた安堵感があったのだ。

この映画の中ではこの二人のことだけでなく二人の両親との関わりが実にうまく混ぜ込まれている。
青年の両親は医者で画家志望だった一人息子が医者を志したことに微妙な不安と期待がある。息子の恋人だった少女の希望をかなえる橋渡しをする。
そして素晴らしいと思ったのが恋人の父親との関係。青年が運転する車に同情した娘の死を受け入れきれず青年に怒りをぶつけるが、娘の思い出話をずっと交わし続けるうちに少しずつ怒りが解け、同じ思い出を共有するものとして安らぎを持つようになる。

そういった演出に感心しながらも本作で描かれるのはいつもの塚本監督作品で感じた江戸川乱歩的な雰囲気であるということが嬉しい。恋人のからだの奥底まで意識の内側まで入り込むようなことはやはり異常な愛ということになるんだろう。
そこが滅茶苦茶に好きだ。

監督:塚本晋也 出演:浅野忠信、岸辺一徳、國村隼、串田和美 、木野花、利重剛、柄本奈美、KIKI
2004年日本


posted by フェイユイ at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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