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2007年03月04日

「サンダカン八番娼館 望郷」熊井啓

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昨日記事にした「女衒」と同じく「からゆきさん」を描いた作品。山崎朋子の「サンダカン八番娼館 底辺女性史序章」が原作。大体の構成は似通ったものになっている。という言い方をするのは大事な部分で違和感を感じるからなのだ。

まず先にこの映画の仕上がりというのはどういうものなのだろう。時代的なことなのか(1974年作品)単に監督の持ち味なのか、過度に大げさな効果音や作り物臭い演出に驚いてしまった。しかも全体の展開はごく平凡に進んでいく。
《現在こういう大仰さとそっけなさはお目にかからない代物なのではないだろうか。熊井監督作品というものを他に観ていない(と思う)のだが改めて確かめたい気もする。余談が長くなった》

特におさきの兄が身売りされる妹を悲しんで自分の足をカマで突き刺すという不思議な演出があるのだが、悲しみを表すのにこのような奇妙なことをしなくてもいいだろう。原作ではその兄貴が田畑と家を買いたいために妹さきに「どうか外国に行ってくれ」と頭を下げた、とある。おさきさんもそんなお兄さんに家と田畑を買ってあげたくて外国行きを決めたという。おさきさんが最後に「本当のことを書くなら本にしてもよか」と言ってるのにしかも映画にもその台詞があるのに重要な外国行きのきっかけを嘘にしていいのだろうか。

また原作では売春をしている場面(ベッドシーンというのか)はないのにやはりそういう場面が描かれている。それがないと売春の苦しみが伝わらない、と思う人もいるかもしれないが、山崎氏が別の本で「中央公論社の出版部長によって「サンダカン娼館」のベッドシーンを加筆したら出版しますよ」と言われて衝撃を受けた様子を書かれている。
映画のベッドシーンはそれでも押さえたものだったのかもしれないがやはり「そういうシーン」を入れないと「受けない」ということになったんだろう、としか思えない。多分結局はそのシーンが売り物になったんだろう。

また山崎氏が著書で語られていた「からゆきさんは近代日本国家の採ったアジア侵略政策の痛ましい犠牲者なのだ」という思いはこの映画でははっきりとは語られていない。この山崎氏の思いはむしろ村岡伊平治自伝映画の「女衒」の方で明確に表現されているのは皮肉な感じである。

それならこの映画を観る価値はないのかというとそんなことはない。それはほぼ老いたさきを演じた田中絹代が素晴らしいためである。
彼女の演じた老からゆきさんを観る為だけでもこの映画を鑑賞する意義はあると思う。
受け入れにくかった暑苦しい演出をよそに田中絹代だけはさらりと悲しい過去を持つ年老いた孤独な女性を表現していた。
栗原小巻はまた演技過剰な感があったけどモデルである山崎氏がその著書の文章からも感情豊かな女性であるのが見れるのでこういう風になってしまうのかもしれない。でも原作でのイメージがなければやはりちょっと鼻につく。
若きさきを演じた高橋洋子はその子供っぽい顔立ちが可憐さを感じさせていた。身を犠牲にして金を送った彼女が帰国した時の兄夫婦の冷たさに風呂の湯の中で泣く彼女を観る者は「むぞげ」に思っただろう。この映画ではこの家族のあり方の方に焦点が当たっていたようだ。
さきさんはつくした兄からも子供からも見捨てられてしまうのだが、老いて突然であった女性から「お母さん」と呼ばれつながりを持つことになる。それは原作でも描かれていた大事な思いであった。
またサンダカンのおきく(原作ではおクニ)と呼ばれからゆきさん達から慕われた女親方を水の江滝子が貫禄で演じている。
若いさきと恋仲になる青年を田中健が演じていて若くかわいい。

田中絹代さんを観た事だけが救いだった本作だったが、私と同じようにがっかりした方でも原作は是非読んで欲しい。
映画では味わえない深い感動が書かれている。

監督:熊井啓 出演:田中絹代、高橋洋子、栗原小巻、水の江滝子、田中健
1974年日本


ラベル:女性 売春 家族
posted by フェイユイ at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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