映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2007年04月13日

「エレファントマン」バーナード・ポメランス/宮田慶子

Gt@g}.jpg

藤原竜也主演の芝居「エレファントマン」だが自分としてはどうしたってデビッド・リンチの映画を思い出してみずにはいられない。
残念ながら映画のそれを観たのは映画館・テレビ放送を含め何度か観てはいるものの怖ろしく昔のことなので記憶の底を掘り起こしてみることになる。

先日リンチ監督のレビューを書いた時にも記していたのだが、遠い昔映画「エレファントマン」が上陸してきた時、最高のヒューマンドラマとして讃えられたものであった。
高い人気の為続けて「イレイザーヘッド」の上映などもあったがその異常な内容にリンチ監督は「エレファントマン」をお涙頂戴のヒューマンドラマとして製作したのではなく異形・奇形というものへの憧れがあの映画を生み出したのだと気づかされたのである。
リンチ監督のその後の数々の映画・ドラマの内容は全てそういった趣味の産物でありその目は好奇・同情と言う一般的なものではなく憧憬・賛美という言葉の方が近いと思える。
映画「エレファントマン」は自分も含め多くの人の涙を誘い、感動させたのだが氏の趣味が最も色濃く出た作品でもある。
そのせいなのだろう。この映画は酷く悲しいものでありながら非常に美しい映画だった。特にジョン・メリックが仲間達と列を作って歩いて行く場面は夢を見ているような美しさであった。
感動した人がいる一方何か反感を持った人もいたがきっとそういう趣味としての目を感じた人だったのかもしれない。

リンチ監督の話が長くなってしまった。
この芝居「エレファントマン」を初めて観るとヒューマニズムとか異形趣味だとか言うものではなくまったく違う印象を受けたのが面白かった。
正しいかどうか全くわからないが勝手なことを言わせてもらえば(全部勝手なことしか言ってないが)これは「エレファントマン」という醜い姿、周囲の人々から嫌われる人間、というモチーフを使って自分自身を見つめてみる、という物語になっていた。
メリックを演じる藤原竜也自身はそのままの姿で登場するのからして正常なのに自分を醜いと思い込んでいる人間のように思える。無論物語はそのままなので19世紀ロンドンが舞台で見世物小屋で酷い目にあうメリックを医師が救う話になっている。
だがこれを周囲との交流を断っている人間、自分を異形だと思い込む人間、酷いいじめに会っている人間、など、まあ、色んな形で考えられそうだが、周囲のものとは違う怪物のように思える自分と周囲の関係に置き換えてみる、という。
てことでリンチ好きの私にとっては芝居「エレファントマン」はファンタジーな趣味の世界ではなく真面目に自分を見つめるものであった。
この内容の違いにはちょっと驚いたが藤原竜也の上半身裸体も美しくいじめられ苦しむ様子がよい、満足な演劇であった。
彼が演じることで疎外感を持つ人間の苦しみがより身近に感じられるだろう。
メリックを庇護する医師フレデリックにもまた自分である。
自分の持つ正義感と知能に優越感を隠し持っているが結局はメリックの心に入り込むことは出来ない。結局は世間体や名誉から逃れる事はできないのだ。
ただ彼はどうすればいいのかと苦しむ。だが答えをやすやすと見つけることはできない。多くの者と同じように。
ゴム医院長が最後に手紙を読みながら「何か言いたいことは」とフレデリックに問う。フレデリックはメリックの美点を思い出しながらも確信はしない。そして医院長が手紙を読み終わった時「あ、思いついたことがあります、ほんの小さなことですが」と叫ぶ。医院長は「もう遅い」とフレデリックの発言を退ける。そうだ。もう遅い。間に合わなかったのだ。
フレデリックはあきらめたようにその場を去る。
そういう物語だった。

作:バーナード・ポメランス 演出:宮田慶子 出演:藤原竜也、小島聖、今井朋彦、湯浅実
2002年10月から11月 赤坂ACTシアターにて


ラベル:演劇
posted by フェイユイ at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。