映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2007年04月15日

「青い炎」蜷川幸雄

?.jpg

なんだかとても断片的に色々と考えてしまう映画だったので、これから書くことも切れ切れになってしまうに違いない。
とりあえず書いていこう。

17歳の少年秀一の他を許せぬ純粋さイコール愚鈍さでもあるのだが。二宮和也が演じる事で繊細で美しく見えてしまうのはずるいのか、映画として当然か。全てが早とちりで他の方法も手段もあると言うことが幼い彼には見通せない。
なら大人なら全てが把握できるのか、というとこれが少年以上になんの知恵もないとしかいいようがない。この映画で一番腹立たしいのはこの母親(父親は当然だが)でもう少し考える、と言うばかりで息子を苦しめ最悪の結果に陥れてしまった。この映画の主題は「人間同士はきちんと会話をしないと何も伝わらない」ってことなのかも。

秀一は義父と昔住んでいた頃を覚えてないという。それが何か物語の大切な鍵なのかと思っていたら放りっ放しだった。母親の思惑もどこへ行ったのか語られないままだったので一体なんだったんだろう。

秀一は愛する母妹との生活を守ろうとして二人によって死へと導かれてしまう。
なぜ母と妹は彼の人生を終わらせてしまったのか。勿論わざとそうしたわけではない。ただそこまで考え付かなかったのだ。
二人が「その事」を話していれば秀一の行動は変わっていたのだから。
クラスメイトの石岡に対しても秀一は彼を守ろうと助言をしたことで秀一自身を追い詰めるきっかけになっている。
どちらも随分空しい結果ではないか。
ただ母親の中途半端な考えも色々な出来事の尻切れ蜻蛉な感じもリアルといえばそうである。物事はなにもかもキッチリ進むわけではない。ただし映画としてはどうしても散漫な印象を受けてしまう。

監督は舞台での優れた演出家・蜷川幸雄であるがやはり芝居と映画では随分違うのだろうな、と思えてしまう。
舞台では主人公の思いを吐き出す独白シーンができるし幻想的な場面を織り込んでいけ。しかし映画では会話と行動と景色だけが主人公や登場人物の心を表現していく。過剰だとうるさいし、説明が足りないと伝わってこない。
この映画での会話は時々大げさで舞台的なニュアンスが出ていたり、秀一の部屋の様子なども舞台のような雰囲気がある。
それらは楽しくもあるのだがちょっと妙な感覚もある。舞台と映画の違いを考えさせられる。

主人公・秀一の二宮和也はテレビでは見慣れているが演じているのを観るのは初めてかもしれない。こういった思いつめていく少年が似合っていた。
秀一のガールフレンド紀子は松浦亜弥。下手だという批判を受けまくっているが私はあまり気にならなかった。女友達もいないし犬だけが相手のような変わった少女にはちょうどいい。大体、映画ではよく主人公のガールフレンド役の少女は一人でいるがアレは不思議。普通女の子は女の子と連れ立っているものだ。友達の一人もいないなんてかなり変わっている。なのに変な女としては表現されてないことが多い。この映画でも彼女について何の説明もないが完全に孤立した女生徒だった。なぜなんだろう。

義父は山本寛斎。どうしてこの配役を思いついたのか凄い。妙にリアルで怖い。一番面白かった。
秋吉久美子。本人に恨みはないがこの母親ほど嫌な存在もない。大体本人から受けるイメージとしてこんなうじうじしたキャラクターはどうなのか。もっと徹底して暗ーい女優でもよかったのかもしれないが、どっちにしても嫌いだ。こんな気持ち悪い女なのにあのからっとした表情って、不思議すぎ。

作り方次第でどうにでも変わってしまう映画のようだ。二宮和也のイメージもあり軽い感じで仕上がっている。
殺したこと自体に罪悪感はないとしか見えないし。
「殺されてもかまわない人間はいないけど、人を殺さなければならない事情を抱え込んでしまう人はいる」と紀子がいうのだが、そういうほどに秀一が追い詰められているのか、個室もあって裕福にしか見えないし、どうしようもなく殺すしかなかった、とは思えない。その辺り、他人から見ればどうにかなりそうな状況であるのにむかつく、邪魔になるという理由で人を殺してしまう。秀一の普通さが現実の犯罪と重なり却って怖い感じはする。
そういった動機の浮薄さ、殺した後のあっけらかんな様子、「今風」といって説明するしかない感覚なのだろうか。
映画自体が秀一の悲しみだけを訴えているのも怖い作り方である。

あの刑事も先が見えない、というかあれでいいのかね。自分自身悔やまれるよな。

人生がどうなるのか誰も知らない。

監督:蜷川幸雄 出演:二宮和也、松浦亜弥 、鈴木杏 、秋吉久美子 、中村梅雀[2代目] 、山本寛斎
2003年日本


ラベル:犯罪 青春 家族
posted by フェイユイ at 20:49| Comment(2) | TrackBack(1) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
テレビの再放送だと思いうが、HDにため込んでいたものを今日見ました。冒頭は暴力おやじに腹が立ち殺してしまえと思いましたが、ストーリーが進むにつれ、この映画は何を言いたいのか?主人公は保身のため、第二の殺人を計画します。何かポイントがずれていないでしょうか?長男として男として家族を守るということから外れてきているし、最後警察で会いたい友達がいるというのなら死を直前にしてsexしたいと思うのが自然ではないでしょうか?家族との食事を楽しみ、そのあと彼女と会って・・・たぶん自分なら力ずくでも彼女に抱きしめてほしいと思います。死ぬのは怖い・・・です。本人は二人も殺しているのにトラウマというか自責の念がまったく見られません。人殺しとは、そんな簡単なものなのか?言いたいことが山ほどあるのに口に出して言えないのか?ではみている我々が勝手に判断してほしいということなのか?17才の人殺しが、何か簡単に描かれているとしか見えませんでした。しかし最後私には、彼が自殺する決意を固めているということは理解できました。なぜ警察は彼を解放したのか?あの刑事には理解できていたと私は感じます。ネットで読みましたが松浦さんは恋人と書かれています、私は友達以下だったと考えます。恋人だったら止めるでしょう・・どんな形でも生きていてほしいと思います。いろいろと納得できないことはありますが、こんな人生もあるのかと考えさせられました。私は人の親として子供にすべての愛情を注ぎ、すべての悪意から守ってやりたいと常日頃思っています。映画としては自殺を選びましたが、私としては生きていてほしいと思いました。何か言いたくて書き込みしました、いろんな意見があると思います、こんな人も居るんだということで、一人でも読んでくれたらうれしいです。



Posted by みっちゃん at 2009年12月13日 22:55
こんばんは。読ませていただきました。

2年前に観た映画で正直言うと何も覚えてなくて自分の記事を読み返しましたが、なんだか自分の感想も中途半端な気がするだけですねえ。

なにしろ蜷川監督作品なので少年の苦悩を美しく描いてあったのだろうなあ、と思うばかりです。
会話がない、というように書いてるのから考えても現在の少年らしい「よく判らない」不思議な感覚を表現してあったのではないでしょうか。
狡いやり方かもしれませんが、この何でも投げやりで不可解で不透明な感覚が今の時代らしい描き方になってしまうのでしょう。

考えは人それぞれなので押し付ける気持ちはありませんがあんまり守り過ぎると一人で生きていけなくなりそうに思えますが、どうでしょうか。
Posted by フェイユイ at 2009年12月14日 00:45
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック

蜷川幸雄
Excerpt: 蜷川幸雄蜷川幸雄(にながわ ゆきお、1935年10月15日 - )は、埼玉県川口市生まれの演出家、映画監督。俳優としての活動もある。開成高校卒業。娘(長女)は写真家..
Weblog: あいかの部屋
Tracked: 2007-08-12 04:10
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。