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2007年05月05日

「ファイトクラブ」デヴィッド・フィンチャー

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こんな風な映像に処理を加え凝った手法を観ると、同じ話でもぐっと地味な画面でラストのお祭り騒ぎもなしというのを観てみたくなる。
そうすればずっと奇妙な味わいのある不思議な作品になるのに、と残念に思うのだ。

というのはまったく自分の趣味であって本作のような技法は人目を惹きつけるのだろうし、地味にしてしまえば観る人も限られてしまう。商業的には難しいだろう。

タイラーがブラッド・ピットなのは頷ける。彼は主人公の夢の男なのだから、これでぴったりなのだ。
不眠症でいつ眠ったのか眠ってないのか、夢と現が入り混じった世界に生きている主人公を演じたのがエドワード・ノートンなのも実にいい。ふらふらと身勝手な男が似合っている。

男達は隠れ家的クラブを作るのが好きだ。秘密基地。他言無用の組織活動。自分たちだけの法則。それらが他愛ない趣味の域を越え悪の匂いが漂ってくるうち、次第に逃れられなくなる。それがないと生きていけなくなってしまうのだ。そしてますます強く結束していく。
溜まりに溜まった日頃の鬱憤を互いを殴りあうことで発散させていた当初のうちは愛嬌ですんだ。後半、その矛先が外側の人間にむき出すとそれまで笑っていた観客たちも眉間にしわがよることになる。
なぜ人間の行動は次第に変化し、悪い方向へと膨らみやすいものなのか。
まあ、そのまんまでは物語として決着しにくい。生み出されたクラブの規律、統率力というのはまさに軍隊そのものでイメージするアメリカ人ではない。こういったものへの憧れというのは常に皆(特に男性)の心の中にあるものか。
タイラー軍隊の中で彼らは忠実に規則を厳守し行動する。誰からも強制されることなく。

やがて主人公は覚醒しすべてを知る。
タイラー・バーデンが自分の理想の虚像であること。それは語られるようにジキルとハイドをイメージした関係なのだろうが、本作のハイドのかっこいいこと。理想像なのだから当然とはいえ。

それにしてもどうしてこうホモセクシュアルなイメージなのか。男ばかりで揉み合っているのは楽しいことなのだろうな。
それに引き換え、たった一人の主要な女性・マーラの扱いは酷すぎる。タイラーに対してカッコワルすぎじゃないのか。これではますますタイラーとクラブに浸ってしまうし。
マーラって仏教的には悪魔ってことだが、関係ないか。

最後はタイラーと決別し立ち並ぶビル(自分の価値観)が派手に崩壊して今からよくなるよと、説得し手を取り合って終わり。
でもまたいつタイラーが出てこないとも限らないしね。ファイトクラブが終わったとは言ってないし。

監督:デヴィッド・フィンチャー出演:エドワード・ノートン、ブラッド・ピット、ヘレナ・ボナム=カーター
1999年アメリカ

タイラーがフィルムの編集作業をしている場面。“煙草の焦げ後”というマークが出てくるけどアレを見るといつも刑事コロンボを思い出すのだ。


ラベル:犯罪 サイコ
posted by フェイユイ at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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