映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2007年06月02日

「ブッチャー・ボーイ」ニール・ジョーダン

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自分はフランシーそのものだと思いながら観てはいけないだろうか。大好きなジョーが取られてしまった、愛する人を全部失ってしまいもうどこにも行く所がない、寄り添う人がいないフランシーと自分はそう似た境遇であるわけではない。でも彼の悲しい叫び声が心に突き刺さってしまうのだ。

一体何がいけなかったんだろう。貧しい家庭、頼りなく心弱い両親、フランシーは両親の血を確実に受けて作られている。その感受性の強さ、心の脆さ。
些か攻撃的であるとはいえ、フランシーは普通の少年であったはずだ。むしろ利口で親思いで働き者でさえある。だが取り澄ましたニュージェント夫人とその息子フィリップの登場でフランシーは全てを失ったと思い込んでいく。

フランシーにとって最大の心の支えは親友ジョーだった。彼が乱暴なフランシーをなだめ、彼の手と己の手に傷をつけて握り合い「血の兄弟だ」という場面は感動する。フランシーにとってはその言葉だけがずっと拠りどころとなっていたのだ。
だが母が自殺し、父は飲んだくれて死んでしまい、まだ子供であるフランシーは酷く精神のバランスを崩していく。
家出をしたことで母を死に追いやったと言われ思いつめる。度重なる悪行で厚生施設へ送られ、その間にジョーは敵であるフィリップと仲良くなっている。フィリップが贈ったと言う金魚をジョーが受け取ったということがフランシーには耐え難い苦しみだった。
なぜならジョーは無二の親友であり血の兄弟なのだから。ジョーを取り戻したいと願うほどフランシーは歪んだ世界へと入り込んでしまう。「修理工場」と名づけられている精神病院へ送られ飛び出したフランシーはとうとうニュージェント夫人を手にかけてしまう。

本作を観ていて思い出したのは同監督の「プルートで朝食を」だが全体に明るいトーンで作られていた「プルート」に比べ本作のなんと言う苦痛に満ちていることだろう。
主人公フランシーがいつも明るく強く立ち向かっていこうとするだけによりその苦しさが重くのしかかってくる。
彼が求めていたのがジョーとの友情だけだったのが余計に悲しく悔しいのだ。とはいえジョーがフランシーに背を向けたのは仕方ないことだったのだ。彼は何度も狂ったようにフランシーが駆け出してしまうのを止めようとしていたのだし、彼自身まだ小さな子供で異常な力を持つフランシーを止めきれる術はなかったのだから。
ジョーが「仕方なく付き合ったんだ」というのを聞いたフランシーがニュージェント夫人の兄弟を石で殴っていく場面はぞっとするようなものがある。まだ小さな体なのに二人の大人を石で殴って倒してしまう凶暴さ。ジョーがこの時、フランシーから離れてしまったのはしょうがないのだ。だがそれでもまだフランシーはジョーとのつながりを信じている。それが彼にとって全てなのだから。
夜店のゲームで景品の金魚を何匹も取ってジョーに持っていくフランシーの姿が悲しくてたまらなかった。
最後まであり得ない、と思いながらもジョーとまた友達になれたなら、とフランシーのために願わずにはいられなかった。

12歳の少年ながら殺人を犯してしまったフランシーは犯罪者の「修理工場」へと送られる。一体何年の月日がたったのか、外へ出たフランシーはもう大人だ。ある時からフランシーの前に現れては慰めてくれたマリア様の幻影が久し振りに現れる。そしてフランシーにスノードロップを渡す。スノードロップの花言葉は「希望」という。フランシーのこれからに希望がありますように。

重く苦しい受け入れ難いストーリーである。ニール・ジョーダン監督はそのグロテスクをブラックジョークと思わせる演出にしている。それがまた余計に鋭く胸を突き刺してくるのだ。
フランシーの母親は情緒不安定で「修理工場」を行ったり来たりしてるようなのだが、帰宅してすっかり躁状態になりケーキとパンを溢れんばかりに作ってしまう。同じようにフランシーもやりすぎるのだ。ただ彼はそれが外に向けられ人を傷つけてしまうのだが。そして同じように躁状態になりやすくいつも冗談を言い続けている。
それが明るくもあるのだが同時に酷く脆い精神であるのを露呈している。映画自体も決して落ち込んでいないハイテンションなのだがそれが奇妙な歪みを生み出しているのだ。

怖ろしい行動を起こしてしまったフランシーだが、やはり私はこの映画を単に異常な物語だとは思えない。フランシーを自分とは違う異常な人間だとは思えないのだ。

「プルートで朝食を」ではIRAが絡んでいたが、本作では宇宙人、共産主義そして核戦争がモチーフとして使われていた。それらもフランシーの噴出す怒りと悲しみと恐怖を表現するのに使われている。
核で吹き飛んだ町の中をジョーとフランシーだけが残る、という空想はそこまで行かないとどうしようもないフランシーの気持ちを表現している。その怖ろしい状況でフランシーは幸せを見つけているのだ。

飲んだくれの父親をスティーヴン・レイがここでもしっかりだらしなく情けなく演じている。蝿がたかっているのが悲しいのだ。

壁にケネディの写真が飾ってあって何故と思ったがケネディはアイリッシュであった。

監督:ニール・ジョーダン 出演:イーモン・オーウェンズ、ステーヴン・レイ
1997年アイルランド

ベルリン国際映画祭:銀熊賞(監督賞)受賞ということなのに当時日本で少年による殺害事件が多発していたということで上映されなかった、という曰くつきの作品らしい。しかもVHSのみでDVDにはなっていない。つまり私は本来観れなのだが(ビデオデッキ不所持)今回初めて映画ダウンロードサイト -シネマナウ(CinemaNow)を体験。本作を鑑賞できた。よかった。




posted by フェイユイ at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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