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2007年07月11日

「エム・バタフライ」その2

文化大革命の頃の北京のフランス大使館に勤めるルネ・ガリマールはそこで中国人女優ソン・リリンが演じた「蝶々夫人(マダム・バタフライ)」を観て心を奪われる。
ルネは妻帯者だったが、慎ましく美しいソン・リリンの魅力に溺れていってしまう。
実はソンは紅衛兵のスパイだったのだ。

この作品はDVD化されてないのだが私はヤフーオンライン配信で鑑賞。確か15日からシネマナウでも観れるのでは。
ビデオ化はされている。

ジョン・ローンのソン・リリンが男の理想の女を演じているのだとはいえ、あまりにも頼りなげで色っぽく初めて「蝶々夫人」を知ったルネ・ガリマールはどんどん心酔していくのだ。蝶々夫人は日本人なのだが、それをごちゃ混ぜにしてしまっていること自体がルネが理想の女のイメージだけを追い求めているのが判る。
「東洋の女性は愛に命を捧げるんだ。男に従順に仕えてくれるんだ」と惚れまくってるのだが、同時代を扱ったチェン・カイコー「覇王別姫」のコン・リーの気の強さを思い出すとそうでもないようである。確かに情熱的ではあった。むしろやはりというかレスリーの演じた蝶衣の方がイメージは似ている(どこかでこの役をレスリーがやる話もあったとか。私としてはジョン・ローンでよかった、と安堵。レスリーにこの役はさせたくない)
しかし中国男性(女性でもいいけど)はこの映画にどんな感想持つのだろうか?ちょっと知りたい。

この映画は実話を元にした舞台劇(トニー賞受賞)をさらにクローネンバーグが映画化したわけなのだが、そういうことは知らずに「こういうことがあったんだって」という話だけ聞いた(読んだ?)記憶があった。
その時は粗筋だけだから、数年同棲して勿論メイクラブもありながらまったく同性だと気づかなかったらしい、という話で一体どうやったらそういうことが可能なのか随分考えてしまった(考えなくともいいのに)映画を観てその辺がうまく描かれていたのでやっと納得したのだが(でもやはり不思議よねー)メイクラブしてても相手の体の作りはよく判ってないのだ、というのは本当に謎である。幻想というのは無い胸もあるようにあるものもないように思い込ませることができるのだ。

ルネ・ガリマールが愛したのは美しく儚げで、男に忠実に仕え、しかも性的には大胆・巧妙であるという男の作り上げた幻の女。
だから現実の妻や浮気相手の女の飾らない剥きだした肉体に嫌悪感を覚えたのだろう。
子供を産んだ方が効果的だというのもソンの策略なのだろうが、ルネは見事にこれに騙されソンをフランスに連れて行く、と誓う。ソンが京劇で男が女を演じるのは、男にしか本当の女らしさはわからないからよ、というのを聞いて女は頷きながらもむっとしてしまうのではないだろうか。それは彼のいう女らしさというのは男の求める女らしさ、ということだからだ。

一番悲しくておかしいのはラストの展開なのだが、ラブストーリーだったら「男でもいい」とまではいかなくても何となく希望を感じさせてくれてもいいのだけど、きっぱり男は駄目!女が好きなんだ!って。
この辺が(別映画のネタバレになる)ニール・ジョーダンの「クライング・ゲーム」と全然違うのだが、こちらのルネ氏は愛する最高の女が男だったと知らされ狂気の世界へ入ってしまうのだ。そして自分が理想の女になればいい、てんで刑務所内の囚人達の前で一人芝居をする。
京劇風化粧となぜかパーマネントウェーブの黒髪かつらをつけ女になり「知りたい人は尋ねに来て。きっと知りたくなるはず」などと言いながら。
それを観た囚人の男達はどっと拍手をするんでまた驚いたのだが(凄まじい顔なのだ)これも男というのは誰しも幻想を見てるものだとクローネンバーグは言っているのだろうか。


posted by フェイユイ at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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