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2007年07月14日

「魔王」フォルカー・シュレンドルフ

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大変に想像力、妄想力をかき立てられる映画で楽しんだ。

まずは邦題の「魔王」だが、他の批評を見ると「内容にそぐわない」というようなものが見受けられる。原題では「THE ORGE 」で直訳すれば「鬼」ということらしい。これはそのままでも勿論意味があっていいのだが、私には「魔王」といえばシューベルトの「魔王」である。
その魔王は父親が必死で手放すまいとする幼い少年をおびやかしさらっていこうとする者である。
一見この「魔王」はナチスを意味しているのかと思えそうだが、ここでは主人公アベル自身が魔王なのである。

最近ウラジミール・ナボコフの「ロリータ」を読み返していたら主人公ハンバート・ハンバートが「私は少女が好きな魔王なのだ」という箇所があり目を開かされた。なんと小学生時期に学校の音楽室で聞かされたシューベルト名曲「魔王」は少年愛好者の歌であったのだ。

「魔王」の主人公アベルは不思議な印象を与える男である。その生き様は物語のモチーフとなっている「聖クリストフォロス=クリストファー」をなぞっている。彼は学校においても戦場においても強い方になびいて生きていく。どこでもなぜかそこにすんなり受け入れられてしまう妙な特技を持つ。
学校では学校中の鍵を持つ太った少年に、戦場ではフランス人のアベルはナチスドイツの捕虜となるのだが、ヘラジカがきっかけでナチスの将校に気に入られナチス軍隊で少年兵を養育する施設で働くことになる。そこでもアベルはその特技を認められる。緊張感のない彼は少年に話しかけては或いは捕まえては施設に連れてくる才能に優れていたのだ。

彼が学んだ学校の名も「聖クリストファー」なのだが、聖クリストファーが少年を肩に乗せて川を渡ろうとした時、少年が酷く重く感じられる。少年は姿を変えたキリストでその重さは人類の罪の重さである、ということらしい。
アベルは物語のラストで聖クリストファーのように少年を肩に乗せ川を渡り罪を贖う。
その罪とは少年を無理矢理さらっては兵士として育て死に至らしめた罪である。その罪を一人の少年を救う事で贖おうというのだから身勝手といえばそうだが。

だが私が気になっているのはその宗教的贖いの行為ではなく「魔王」行為のほうである。
この映画は酷く少年愛嗜好に満ちていてしかも特定の誰かという事でなく嗜好趣味の視線で見ている気がするのだ。
純真でいつまでも子供のような精神を持つアベルは大人になっても子供達を守りたいと言いながら男女問わず子供の写真を撮るのを趣味にしている。この言葉はいかにも小児嗜好者が使いそうな言い訳である。アベルは可愛らしい少女と接点を持ち、彼女の写真を撮ったり車で送ったりしていたのだがある日その少女は突然アベルが彼女に性的虐待をしたかのような言動をする。アベルは警察に捕まってしまう。
これでアベルと少女との話は終わる。観ている者にもその少女は嫌な印象として残る。作り手はアベルに少女を与えたくないのである。
 
ナチスの中で働くことになったアベルは太った元帥を見て学校時代の友人を思い出す。
その相似性により元帥を恐怖でなく卑小な者として見ることになる。

そしてついにアベルが魔王となる少年狩りの始まりになる。ナチス将校の口利きでアベルは伯爵の城を施設にした少年兵養育の仕事に就くのだ。
純真な容貌のアベルがある少年たちグループにに警戒心を持たせずに近づき連れ帰って来たのがきっかけだった。だが、それ以後のアベルはマントを翻して馬に乗り、逃げ回る少年たちをまさしく魔王の如く追いかけて捕まえだすのだ。

この時連れ帰った少年たちの体を眺めまわし人種・血液型・能力を判断していく博士の言葉がいかにもナチス的で怖ろしい。ドイツ人は賢くなくていいんだ、というのには参ったが。

この少年兵養育城の様子部分だけ観るとまるで「エコール」の少年版である。
少女達が生理を見、生殖へ向かう成長過程を城で過ごしたのに比べ、少年の成長が兵士となるためというのは両方とも「やはりそういうものなのか」という気にさせられる。
突然連れてこられた美しい幼い少年たちが強い男になるため、訓練を重ねて体を鍛えるのもバレエをしていた「エコール」の少女達と重なる。
水辺で裸で馬に乗る少年たちの場面なども美しくやはり少年を愛でる目で撮られているのが伝わってくる。

こうして少年を運んできた純真な心の「魔王」アベルは少年たちを戦争へと追いやってしまう。城に残った少年たちもヒットラーに命を捧げてしまうよう洗脳されてしまった。
アベルは逃げ延びてきたユダヤ人の少年を救い、肩にのせ凍りつく川の中を溺れそうになりながらも進んでいく。
少年の純真さで救われるのだと信じて。

もう一つ気になるのは主人公の名前アベル。作中でも変わった名前といわれる。
アベルといえば「カインとアベル」神はカインが捧げた農作物は斥け、子羊を殺したアベルの捧げ物を受け取ったのである。
この話は、色々な見方ができて他宗教の者には飲み込みにくいのだがここでもしこのアベルが子羊の血を流してを捧げたアベルから取られたのだとするとますます神がそれを望んでいるというのが奇妙なことに思えてくる。
作者はキリスト教に懐疑的なのだろうか。

主題は聖クリストファーの贖いなのかもしれない。が、作者が最も美しく描きだしたのは城にさらってきた少年たちと「鬼=魔王」アベルとの交流である。
そこにフォルカー・シュレンドルフの「魔」を感じてしまうのである。これもまた表向きの主題と隠された主題を持つ映画なのではないだろうか。

主人公アベルを演じたジョン・マルコビッチについて触れなければいけなかった。
そんなにたくさん作品を観てないので言い難いのだがマルコビッチの顔が大好きなのである。
なんだか焦点の合わないイッチャってる顔で好みである。トレードマークであるヘアスタイルも好きなのだが本作ではなぜか結構ふさふさしていた。
私にとってマルコビッチといえばスピルバーグ作品でも唯一好きな「太陽の帝国」なのだが、考えればアレも戦時中の少年との交流を描いた作品である。
彼が特にそういう人であるという噂は聞いたことがないからたまたまであろうが。(関係ないが「ラウンダーズ」でマット・デイモンを苛める役も素敵であった)
近々また別作品を観る予定なのだが、本作鑑賞でますます他の作品も観たくなってきた。

監督:フォルカー・シュレンドルフ 出演:ジョン・マルコビッチ アーミン・ミューラー=スタール ゴットフリード・ジョン ディーター・ラーザー マリアンネ・ゼーゲブレヒト ハイノ・フェルヒ
1996年 ドイツ/フランス/イギリス

後で気づいたのだがフォルカー・シュレンドルフは「ブリキの太鼓」の監督だった。
私は他の作品を観ていないのだが(「イデアの森」以外は)タイトルを見てると興味を惹くものが多い。是非観てみたいがDVDでないと観ることができないので困る。観たい作品に限ってDVDになってない気がする。「侍女の物語」だけでも観てみたいのだが。


posted by フェイユイ at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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