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2007年10月22日

『すべての美しい馬』ビリー・ボブ・ソーントン

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マット・デイモンの映画の中でもこの作品は特に強く惹かれてしまうのだ(惹かれるのがいっぱいあることは確かだけど)前に書いたのを読み返してないのだが今日思ったことを書いてみよう。

カウボーイとして生きてきたアメリカ人の郷愁と共にここでもアメリカ以外の“未開の地”にアメリカ人という文明人が入り込んだらどうなるのか、ということが描かれている。
そしてまた今はもう失われてしまった“男として”行動した青年が成長すると共に大切なものを失ってもしまうのだ。

主人公ジョン・グレイディ・コールは祖父の死により牧場を失ってしまう。父母を愛してはいるが心は離れてしまった。
ジョンは親友レイシーとともにカウボーイとして生きていける希望を抱いてメキシコへと向かうのだった。

前半は若者の希望と冒険に満ちている。不安な予感を抱かせる謎の少年ブレヴィスに出会うがその少年の並外れた銃や乗馬の腕前はかつていたカウボーイを彷彿とさせるものだ。
ブレヴィスは銃と馬を奪われてしまうが果敢な勇気と行動で馬を奪い返す。その様はいかにも昔観たカウボーイのようでカッコいい。
そしてメキシコでも最大の牧場で雇われることになったジョンとレイシー。だがジョンはそこの箱入り娘と相愛の仲になってしまう。
まさにアメリカ青年らしい直情型の行動である。勇敢でまっすぐでなんのためらいもない。彼は正義であり間違ったことはしていない。彼の心の中にはアメリカ人の正義と法律が生きているのだ。
ここまではすばらしい冒険の旅であった。特にジョンとレイシーが力を合わせて荒馬を馴らしていく場面は素晴らしい。彼らのカウボーイとしての技量と魅力が溢れている。
だがそこはメキシコであり彼らの理屈で済まされる場所ではなかったのだ。

親友レイシーの言葉など聞こえていないジョンは美しいアレハンドラに夢中になる。
彼女の叔母もメキシコの娘に手を出してはいけない。ここでは女は評判だけが命なのだから、と丁重に諭す。だが効き目はなかった。
一人の女性がどうして思うままの人生を選べないのか、と思っているのだ。
これは遠い昔の物語ではなくハイウェイに車が走っている時代である。
だがジョンとレイシーはある日突然メキシコ警察に逮捕されてしまう。連れて行かれた薄汚い牢の中には馬を奪還した後に分かれた少年ブレヴィスが足を腫らして座り込んでいた。

ここからのジョンたちの運命はアメリカなら考えられないほど理屈の通らない自分達ではどうしようもない方向へ走り出していく。
死刑のないはずの国で行われていたのは個人で行う死刑なのだった。ブレヴィスは一人で銃を奪い取りに行き、3人を殺してしまったのだ。恨みに思った家族からまだ未成年というより子供であるブレヴィスが処刑されてしまう。
銃と乗馬の達人であり勇敢なブレヴィスはかつてのカウボーイをイメージさせる存在なのだが何故かここでは無力な子供の姿で登場し異国の地の法則によりその命を奪われてしまう。そのことが往年のカウボーイのヒーローの末路のようにも思われる。
最後までジョンもレイシーも死んでいくブレヴィスの悲しい目が忘れられないのだ。

少年殺害を(殺人者であるとはいえ)目の前にしてなす術もなかったジョンは深い後悔を覚える。
そしてジョンとレイシーは考えられないほど劣悪な環境の刑務所に放り込まれる事になる。自分から逃げ出そうとしなければいつ殺されるかわからない、という場所なのだ。
レイシーは屈強な男に立ちはだかり腹を刺されて病院送りとなる。一人残されたジョンは闇でナイフを買い、襲ってきた男を刺し殺して木剣を脱した。それまで真直ぐに純朴に生きてきたジョンはやむにやまれず人を殺してしまうのだ。その悔恨もまた深くジョンの心に傷を残して行く。
結局彼らがその怖ろしい牢獄から出ることが出来たのはアレハンドラの叔母の力であった。
アレハンドラはジョンを忘れることを条件に彼の命乞いをしたのだ。

再びジョンはアレハンドラに会い求婚する。が、彼女の心はもう動かすことはできなかった。
ここでもジョンはアメリカでなら自由になったはずの恋が叶わないことを知らされる。

ジョンはレイシーとは別れ一人で馬3頭を取り戻しに行く。警察署長を人質に奪還は成功したが足に弾傷を負う。
傷の手当のために彼は銃を焼いて傷口にあてがう。激しい痛みがジョンを襲った。その痛みはメキシコで与えられた痛みそのものだったろう。
そこへ行けば楽園があると夢を抱いた場所。アメリカ人がかつて持っていたが、失ってしまった思い出の場所がまだ残っている場所。男として生きていける場所。
若いジョンたちは自由を求めて旅立ったが、そこにあるのは思いもかけない現実だった。メキシコの歴史も文化も考えずただ憧れて行った彼らが受け取った試練は厳しいものだった。

アメリカへ戻ったジョンは挙動不審を疑われ判事のもとへ連れて行かれる。だが判事はジョンの言葉に真実を感じて彼を釈放する。
判事を信頼したジョンは再び判事の家を訪れ自分の犯した殺人を打ち明ける。判事の暖かい言葉にほっとする。
殺人を犯し、少年を見殺しにしたジョンの心が本当に解放される事はもうないだろうがそれでも誰かに許されたかったのだ。

親友レイシーにジョンは馬を返してほっとしたものがあっただろう。ジョンのせいでレイシーを危険に追い詰めたという部分もあったからだ。レイシーはそれを咎めはしなかったが。
大きなもの失い、また大きなものを得てジョンは戻ってきたのだ。

原作を読むと大きく違うものがいくつかある。
特にこの最後の場面は映画では家にたどり着き安堵を覚えるが、原作ではジョンは一人きりでまたブレヴィンズの馬を持ち主に返す為、まだ目的地もわからぬまま旅立つのだ。
そのあてもなく続く道のりは彼の人生がこれからも厳しく長いものであることを予感させる。

そしてメキシコでのアレハンドラとの恋物語は映画ではペネロペ・クルスとマット・デイモンの美しいラブシーンで魅了されるが原作では彼らの恋愛よりアレハンドラの叔母とジョンの会話の方に重きが置かれているように感じる。ジョンはそこでメキシコ人というものを学ぶ事になるのだ。が、映画ではここの部分はすっかりなくなっている。複雑になってしまう、ということなのかもしれない。

そして遡るが冒頭、原作ではジョンとレイシーが馬に乗りカウボーイの夢を抱きながらメキシコへ向かうのだが、そこでハイウェイにさしかかるのだ。まず夕暮、遠くにトラックの音を聞き、ハイウェイに近づく。野宿してハイウェイを横断し国境であるリオ・グランデを越える。草原と荒野に入る前にハイウェイを横断するのところがアメリカからメキシコへ行く旅人らしい情景なのだが映画ではそうした場面がなく草原を駆け抜けていくだけなのである。それがどうしてなのかは判らない。トラックが走る場面はあるが小説のような効果が生まれているとは思えない。

ジョンを演じたマット・デイモンは未知の国に憧れる若者らしく真直ぐな印象がある。
女性を愛する事も友情にもためらいなく勇敢だが思いがけない体験で苦悩していく。

とても美しく悲しい映画でもある。心に残る作品だ。美しい馬というのがジョンたちそのものであることは確かだろう。

監督:ビリー・ボブ・ソーントン 出演:マット・デイモン、ペネロペ・クルス、ヘンリー・トーマス
2000年アメリカ



posted by フェイユイ at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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