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2007年12月02日

『セブン・イヤーズ・イン・チベット』ジャン・ジャック・アノー

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SEVEN YEARS IN TIBET

チベットの美しさ、そこに住む人々の穏やかで平和を尊ぶ心に打たれる。
登山家ハインリヒ・ハラーは傲慢で他との協調性を欠く人物であったがインドにあったイギリス軍捕虜収容所を脱走しヒマラヤの山中を逃げ回る。
相棒となったペーターと共にチベットに潜り込み、そこで人々から厚い擁護を受ける。
まだ少年であったダライ・ラマに謁見を許される。その後ハラーはダライ・ラマの教師のような存在となり深い友情を結んでいくのだ。
理想郷とも思える美しいチベットがハラーの目を通して描かれそこへ行ってみたいという憧れをもってしまう。
だがそんな楽しい時も束の間、チベットは中華人民共和国の軍事侵略により多くの人民と寺院(百二十万以上の民と6千の寺院の殆ど)を失ってしまうのだ。15歳で最高指導者となったダライ・ラマが1959年には亡命せざるを得なくなったが、その後も非暴力を唱え続け、ノーベル賞を受けたこと、今も亡命中であることは誰もが知っていることだろう。

まず物語の本筋は自己中心的なハラーが壮絶なヒマラヤの自然の中の逃亡を登山仲間であったペーターと共にし、さらに少年ダライ・ラマとの触れ合いの中で穏やかで思いやりのある人間に変化していく成長過程を描くことにある。
勝者であることに驕っていたハラーは残虐な中国軍の侵略をかつての自分の傲慢さ、そして自分の祖国も弱小国を力で封じていたことをおぞましく思い恥じるのである
(冒頭でハラーがナチスドイツの一員であることを念押しされる箇所は、当時、ドイツの週刊誌『シュテルン』誌が、ハインリッヒ・ハラーは元ナチスの親衛隊だったことを暴露したために追加撮影されたようである。元ナチス親衛隊が主人公であるというのはアメリカ映画でも珍しいことではないだろうか)
この映画は軍事侵略というものへの批判をしているはずだ。が、この映画が公開された後もアメリカ自体がそういった過ちを繰り返しているのはどうにも皮肉なことのように思えてならない。

ダライ・ラマが少年期を送った美しい街ラサに再び戻れるような時は訪れないのだろうか。

ハラーがラサを後にする時、友人ペーターの住まいを訪ねるのだが、その光景がまるで『楽園の瑕』のようであった。

監督:ジャン・ジャック・アノー 出演:ブラッド・ピット デヴィッド・シューリス B.D.ウォン マコ(岩松信) ダニー・デンゾンパ
1997年アメリカ

鑑賞後、原作をざっと読んでみたのだが色々な相違、また細かく書かれていることがあり興味深かった。
相違は映画化される以上仕方ないものだが、例えば原作ではダライ・ラマがいかに尊敬されているか、神聖なものであるかを説明している。例えばダライ・ラマ14世を探す時に貧しい農家で3歳児を見つけこれぞ生まれ代わりだと確信するに到る過程など、その体や記憶にある生まれ代わりである証拠などである。
映画の中では微笑ましいエピソードであるが女性仕立て屋との三角関係はフィクションのようである。
面白かったのは映画でもハラーがダライ・ラマのためにラジオを作る場面があるが、世界の屋根であるチベットには電波障害がないというのだ。なるほどそうなのか。
また生活はいい事も悪い事ももっと詳細に記録されている。

この映画を観終わるまで実話だと知らなかった私は主人公の名前ハインリッヒ・ハラーをH・ヘッセ『荒野の狼』ハリー・ハラーのもじりかと思っていた。
世俗世間を嫌うハリー・ハラーからあやかって命名したのだと思ったのだ。
ところが実在の人物で(200年1月7日没)あったので驚きだった。もう一つの偶然はハラーとダライ・ラマは誕生日が同じ7月6日なのだそうだ(年齢は無論違うが)不思議な縁である(ハラー氏は光栄だと言われている)

チベット、ダライ・ラマといえば『ツイン・ピークス』でもお馴染みの名前である。
この映画と『ツイン・ピークス』によってチベットとダライ・ラマの名前が有名になったということもあるのではないか。


ラベル:宗教 成長 友情
posted by フェイユイ at 22:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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