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2007年12月05日

『ブラザー・サン シスター・ムーン』フランコ・ゼフィレッリ

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BROTHER SUN,SISTER MOON

観始めて暫くは作品中のその他の人の如くこの主人公に対して「なんだかとんでもない脳天気な変わり者で困ったゾ」と思いつつ眺め、こういうのが当時ヒッピー連中に受けてたのだろう、などと皮肉に考えたりもしたのだが、フランチェスコが残骸のような教会を建て直そうと雪の中石を積み上げているのを見てもうすっかり涙目になってしまうのはどうしたものだろう。

裕福な商人の家の跡取り息子のフランチェスコは十字軍の戦いに赴くが病に倒れ帰宅する。
やっと起き上がれたフランチェスコが窓から小鳥を追って屋根伝いに歩いて行く様子がまさに神の愛を知り、天に近づいた姿のようではっとさせられる美しい場面である。
フランチェスコは「物は心の重荷。すべてを捨てさるのだ」と商品の布地・服を窓から投げ捨ててしまう。あきれ果て怒った父親は彼を裁いてもらおうと町の司教のもとに連れて行くが、フランチェスコの「鳥のように生きたい。自分の魂を取り戻したいのです。私は貧者になりたい」という言葉に何も言えなくなってしまう。
親からもらった綺麗な服をすべて脱ぐと司教は自らの豪奢なマントを彼に着せるがフランチェスコはそれも傍にいた貧しそうな若者に着せかけ己は裸のままそこを立ち去るのだった。
聖フランチェスコがどのようにして世俗から離れていったかがここで語られている。
とはいえフランチェスコである青年は細やかな神経をもってはいるが普通の若者のようであり、そのことがより彼の存在を身近に感じることができるのだろう。

物語はここで第一部という感じで切り替わる。
次はフランチェスコの親友であるベルナルドが戦場から帰ってくる場面から始まる。
彼もまた多くの人を殺し心が病み、親友フランチェスコに会いに行く。
雪の降る寒さの中、フランチェスコはぼろ服に裸足で廃墟となった教会を建て直そうと一つずつ石を積み上げているところだった。周りには僅かに彼の手伝いをする子供たち、そして手足のない少女が彼の仕事を見守っている。
ベルナルドはその場で彼の手伝いを始める。戦場帰りの英雄という肩書きを捨て。
そしてベルナルドを迎えに来た友人たちも次々とフランチェスコの手助けを始めたのだった。

ベルナルドの友情が美しい。しかし彼自身も心が疲れ果てフランチェスコの教会作りという無償の仕事に心を洗われたのだろう。
他の友人たちも最初は疑問を持ちながらも仲間となっていくのが微笑ましい。
そして女性を断てずに苦しむ一人をフランチェスコが慰め「家庭を持つがいい」と優しく帰させる。
また彼を慕っている美しい少女クララも尼僧となって仲間入りをする。
カソリックに詳しいわけではないがフランシスコ会が男性の会と女性の会(クララ会)そして在俗会があるということでこれらのエピソードがあるのだろうと思えた。

その後教会を町の司教により焼かれたフランチェスコはローマの教皇に自分の行動が間違っていたのかを問いに向かう。
裸足で汚れきったぼろをまとったフランチェスコちを着飾った聖職者たちは胡散臭げに見やり、フランチェスコの「空の鳥を見よ。蒔きも刈りも、倉に収めもしないのに、あなたたちの天の父はそれを養って下さる。‥‥‥野の百合がどうして育つか見よ。苦労もせず、紡ぎもしない。‥‥‥今日は野にあり、明日はかまどに投げ入れられる草をさえ、神はこのように装わせて下さる‥‥‥だから何を食べ、何を飲み、何を着ようかと心配するな」という言葉に怒り追い出そうとする。が、教皇は彼を呼び戻しその足に口づけをするのだった。
一旦はフランチェスコに感動した教皇も皆にかしずかれあっという間にもとの豪華な衣装を身にまとい、フランチェスコから遠い存在になってしまう。
最後にフランチェスコが裸足で石の上を歩き果てしない草原を進んでいく。彼が放浪し説教を続けたことを表現している。

教皇の行動は芝居だ、という耳打ち。それが本当かどうかは判らないが彼の言葉と行動がフランチェスコを助けたことには間違いないのだろうけど。
なによりフランチェスコの仲間たち(反感を持っていた最後の一人もついに仲間となる)に心打たれる。
歪んだ目で見てしまえば排他的な宗教宣伝のように感じ、フランチェスコも異常なものに思えてしまうのかもしれないが、ストレートに感じれば当たり前のことを彼は言っているのだし何の押し付けもしていないのだ。
『ブラザー・サン、シスター・ムーン』をはじめ数々の歌も心に残る。野の中にぽつんと建つ教会も素晴らしい光景である。

監督:フランコ・ゼフィレッリ 出演:グラハム・フォークナー アレック・ギネス リー・ローソン グレアム・フォークナー ジュディ・バウカー ヴァレンティナ・コルテーゼ ジュディ・ボーカー
1972年 / イタリア/イギリス

追記:観ているとフランチェスコの姿がブッダのようにも思われてくるのだがそれは自分が日本人だからだろうか。小鳥に語りかける様子、厳格すぎない温厚な信仰、幸せを求める明るい気持ち、すべての宗教でフランチェスコのような人を一般の者たちは求めているのではないだろうか。(逆に冷徹で規則に縛られすぎている宗教は怖い)
宗教というものがこういう形で表されるのなら、それがどの宗教であってもいいのではないだろうか。


ラベル:宗教
posted by フェイユイ at 23:43| Comment(4) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
恐らく30年位前に観ました(笑)ので細かいストーリーは完全に忘れています。ただ、聖キアーラがその美しい金髪の頭(こうべ)を垂れるシーン、大いなるイタリアの自然に抱かれる裸の聖フランチェスコ、清らかなテーマ音楽。。とにかく全てから醸し出される清々しい感動☆は強烈で、忘れられない名作です。
12/2にTBS「世界遺産」で放映された内容で聖フランチェスコの生涯について語られているのを聞いたとき、ああ映画の中で観た気がする☆と合点しました。この番組因みに今週金曜にBS-hiにて再放送ありです。教会の歴史や今迄の出来事等、沢山の事がわかりました◎
ほんとうの宗教とは、ということが訴えかけられている映画。“・・何の押し付けもしていないのだ。”・・その本質と思います。聖フランチェスコは正に“奇跡の人”だったのですね。。。
Posted by フラン at 2007年12月06日 08:35
私もすっかり忘れていて本文にも書いてるように最初胡散臭い映画か?!と疑惑気味でしたが、途中からすっかりフランチェスコ派に(笑)
フランチェスコのような人の側にまたクララ(キアーラ)のような女性がいるのですねー。不思議、というかそういうものなのでしょうか。
フランチェスコを慕う友人たちが微笑ましい映画でした。特に最初仲間になったベルナルドには心打たれます。
Posted by フェイユイ at 2007年12月06日 13:13
ココですいませんが、「藍空」にコメント致しました^^
「宗教繋がり」で、ふと思いつきました。先日みたくなり(時々みたくなる^^)『バベットの晩餐会』を借りて観たのですがフェイユイさんはご覧に?・・いま一度みると“宗教”ということのほんとうの意味の一端に触れる部分もある映画なのであるな、と感じた次第なのです。
Posted by フラン at 2007年12月06日 18:40
『バベット』多分あれだと思うんですが(笑)いまいち記憶が不明瞭^^;
私はこればっかですねー^^;

どちらにしても宗教の本当の意味に触れる映画なんて気になります。これも必見ですね。
Posted by フェイユイ at 2007年12月07日 23:57
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