映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2008年02月25日

『キャンディ』ニール・アームフィールド

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CANDY

麻薬というものには物凄く惹かれると同時に激しい怖れもある。これは私だけではなく多くの人が同じように思っているのではないだろうか。特に若い頃は興味があってたくさんの本を読んだりしたものだ。結局恐怖の方が強い上に体験するような機会がまったくなかった為に未経験のまま今に到っている。幸運だったというしかないのかもしれないが、常習者にとっては不幸な人間に思えるのかもしれない。
麻薬を題材にした物語は殆ど同じような筋道を辿っていく。軽い気持ちからはいり、いつでも抜け出せると信じ、少しずつしかし間違いなくはまり込んでいく。途中下車してしまう者は殆どいない。やがて無気力になり、麻薬を買う金も底をつき、仕方なく売春を始めるか強盗へと走る。次第にその回数が頻繁になり精神と肉体が壊れていく。

先日観たガス・ヴァン・サント『ドラッグストア・カウボーイ』と本作はまったく違う話でありながらも殆ど同じ筋である。
仲のよい恋人同士がドラッグ漬けになりながら共同生活を続ける。その経過はどちらも上に書いたとおりである。違うのは『ドラッグストア』が他の仲間がいてこちらは二人きりということ。あちらにはウィリアム・バロウズが演じていたジャンキー神父が登場し、ここでは話の判る大学教授が出てくる。
こうも似てるのはおかしいほどだが、ジャンキーの行く道はどこでもあまり変わらないだろうと予想はつく。
互いに相手を叱らないから仲良しでそしていつまでも続いていくのだ。

本作は「天国」「地上」「地獄」と分けられていたが、「天国」と題されているはいえ、非常に不安定で頼りなく彼らの思う天国が他者からはさほど天国には思えない。考えているのはただどうやって麻薬を手に入れるか、ということだけ。障害に当たると自分流のすり替えの理屈で逃げ出してしまう。次第に逃れられなくなってしまってもその時はもうどうしようもなくなっている。

美しい恋人キャンディを心から愛しながらも麻薬からも逃れ切れないダンを演じているのがヒース・レジャーである。
ファンが本作を見れば彼が亡くなった時、麻薬をやっていたという噂とか、麻薬をやっている映像が残っているだとか(彼自身はやっていなかったようだが)そんな話がこの映画と悲しく重なって見えてしまうだろう。
そしてこの映画でもヒースが魂を込めて演じているのが伝わってくる。
本当に麻薬でおかしくなってしまったのでは、と思うほど顔色が醒め、目は落ち窪み、体もわざとたるませているのではないだろうか。焦点が合わず、酷く無気力で呂律も回らない。
そんな中でもキャンディを愛し続けているのだが、その愛が彼らを不幸にしてしまっているのだ。

『ドラッグストア・カウボーイ』では麻薬の幻想をアニメっぽい映像で表していたが、ここでそのイメージはプールの水の中である。
美しい水の中に泳ぐ間、ふたりはこの上なく心地よい。だが溺れてしまえば苦しくなり、あがけばあがくほど浮かび上がれなくなる。
また冒頭の回転遊具で遊ぶ二人の姿もそのイメージなのだろうか。身動きできないほどの回転の中で生まれる浮遊感。喜び笑いあう二人だが、その激しい回転から逃れる事はできない。
この回転遊具からは『大人は判ってくれない』を思い出した。アントワーヌはあの回転の中で逃れられない苦しみを味わっていたのか。

本作と『ドラッグストア・カウボーイ』の違いはあちらは麻薬の苦しみというよりジャンキーというのはこういうものだと醒めた視線でもしかしたらやや肯定的とも思えるかっこよさを描いていたのに対し、こちらはジャンキーの惨めさ、悲しさが強く訴えてくるという所だろう。
特に妊娠したキャンディがそれでもクスリを止められず、死産と言う形で赤ん坊を抱く場面は怖ろしく悲しい。
それでもまだ麻薬を止められないまま売春とクスリを続ける姿はおぞましくさえ見えてくる。

唐突にキャンディは病院に入ったことで地獄から抜け出す事ができた。
最後のダンの姿は何を示しているのだろう。落ち窪んだ目から彼はまだ抜け出してはいないように見える。何も言わず去ったキャンディは彼に何を言いたかったのか。
ここで映画は観る者に判断を委ねているようだ。この後、キャンディとダンがどうなるのか。助かったと思ったキャンディもまた逆戻りするかもしれない。泣きながらキャンディを見送ったダンもやがて更生できるかもしれない。
だがダンが言うように「すべては、はかないもの」彼らがどうなるか、観る者がどう思うか、それはそれぞれが決めることなのだろう。

この作品を観ればまたヒース・レジャーという役者を失った悲しみを覚えるだろう。
最初の頃のまだ明るく体も損なわれていない状態の彼と次第に破壊されていく彼の変化を見ていれば言葉の説明はいらない。
キャンディをひたすら愛し続ける姿も辛い。
冒頭の回転遊具の場面でヒースの首筋に綺麗な書き方でひらがなの「ず」という字が見える。刺青なのだと思ったが次の場面では消えているし、大体「ず」ってなんだかわかんないし、もしかしたら後の文字がシャツの下に隠れているのかも。それでも「ず」のつく文字って何かあるか?ずんどう、ずばり、ずわいがに・・・まさか。
上の写真右側のヒースの首に“ず”の字が。

何故か凄い金持ちでジャンキーの教授役にジェフリー・ラッシュ。アビー・コーニッシュはかわいかった。ヒースと違ってそれほど変化しない、と思っていたら途中から怖ろしく見えてきた。本当にジャンキーで妊娠して、なんて考えただけで辛くなってくる。

世界中にいるジャンキーたちにこの映画を観て更生してもらいたいけど、この映画の主人公達のようにそんなことで逃げ出せる世界ではないのだよね。空しい。

ヒースがアメリカ映画だけでなくこうして母国オーストラリア映画にも出ていたことを思うとまた寂しい。

監督:ニール・アームフィールド 出演:ヒース・レジャー アビー・コーニッシュ ジェフリー・ラッシュ トニー・マーティン ノニ・ハズルハースト
2006年オーストラリア

追記:ほんとは追記じゃなく先に書くべきことだったかもしれないが、親はどうして娘の危機を傍で見ているだけなんだろうか。文句は言うけど羽交い絞めにしても止めさせる、という気持ちはないようで。
ここでは娘と母親の確執があったことになっているが「かわいい娘」とか言ってるし。父親も娘の夫に気持ちをつたえるだけで何が何でも娘を救う、ということはしない。
結果的にこうなった、というラストだったがどうかして助ける、ということはできない、ということなのか。
その辺が少し腑に落ちなかったのだが。


posted by フェイユイ at 22:45| Comment(2) | TrackBack(0) | オセアニア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
追記に全く同感です。
キャンディがああなってしまったのは
親との関係が大きいと思う。
なのに
あの親たちは、ダンのせいにしているし。
娘を救おうという気持ちが全く伝わってきませんでしたね。
結局動くのは事が起きてから。
政治家や警察と同じ。
命がけで娘を救おうと思えば
キャンディはあんな風にはならなかった。
ランチや泡だて器の文句は言うの。。。
Posted by せりーぬ、 at 2008年09月05日 21:06
その辺がフシギな映画でした。
もしかしたらこの映画は反麻薬運動の為のもので麻薬をやったら親からも見放されるよ、と言ってるのかもしれませんが・・・。
でも親だったらせめて娘は見捨てないで欲しいと思ってしまいます。
麻薬世界はそれどころじゃない酷さなのかもしれないし、とか色々考えましたが、そういうのは伝わってこなかったし^^;
とにかくこの親の描き方は何か意味があるのでしょうかねー?
Posted by フェイユイ at 2008年09月06日 00:20
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