あまりドラマを観ないせいもあるのか、一旦好きになるとその世界に深く入り込んでしまうようである。
かなり少ない回数のドラマだがいつしか自分も『セクロボ』世界に住み着いていたのか。
物語自体が主人公であるニコとロボが別れてそれぞれの道を歩み出す、という話だったためにちょっとした感傷に侵されてしまったようだ。
オタク人間ロボのただ一人の理解者であるニコが大人へと成長することで彼と共通の言葉と目をなくしてしまった。
たとえ地蔵堂がなくなったとしても同じものが見えていたならまた会いにいっただろう。
ニコはロボとはもう同じものを見ていないのだ。
不思議な才能を持った女子中学生とオタクサラリーマンと謎の骨董品店の女主人とその使い、という彼らの交流はほんの短いものであったに過ぎないのだが。
例えドラマが終わってもその世界はそこにいつもあることを願っていた自分にはこのラストはちょっとした衝撃だったようだ。
それでも彼らの人生が終わってしまったわけではなく、今またこれからも続いていくわけで。
ニコにはニコのロボにはロボの、真境名と名梨にもそれぞれの物語があるのだ。
当たり前のことを書いてしまったが、すっかり好きになってしまい居心地よくなった住処を去りがたいように『セクロボ』から離れるのが寂しくなってしまったのだ。
ドラマというのは映画とは違い、そこの住人になってしまうものなのかもしれない。
ラベル:松山ケンイチ
大好きなシーンやセリフが沢山有って小さな宝箱のようなドラマでした。
自分の勝手な解釈ですが、このドラマは最終話のテーマが第一話に繋がっていく、円環的な物語であるように思います。
(最終シーンのニコちゃんの服装が第一話と同じなのはそのため)
だからいつかニコちゃんがもう少し大人になったとき、
「世界と繋がっている」「いつか取り替えられない人に出会う」「大事な誰かに自分の思いを告げる」という、各話のテーマの通り、もう一度ロボを見いだすのだろうと思います。
少女が大人になって自分は自分を救うことが出来ると確信したときに、
「人間は一人一人違っていても、共に生きることは出来る」という新たな一歩を踏み出すのではないでしょうか。
そうですね。ほんとに楽しくて大好きなドラマになりました。
それだけにこんなに早く終わってしまうのが寂しくて。
想像を膨らませるしかありませんね。
>etoileさん
はじめまして。ニコちゃんの服装なんてまったく気にしてませんでした!そうなんですねー。
好きになってしまったドラマを観終わってすっかり感傷的になってしまったのですが、etoileさんの言葉でなんだか救われました。
うん、やっぱり誰かに救ってもらわないと(笑)
また将来ニコとロボが出会った時、二人は成長し変化しているわけですが、そこからまた新たな物語が生まれるわけですよね。