映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2008年04月19日

『あるいは裏切りという名の犬 』オリヴィエ・マルシャル

あるいは裏切りという名の犬.jpg
36 QUAI DES ORFEVRES

このブログ内の記事で何度も書いてるのでうんざりする方もおられるだろうが、自分はこういう警察内部と暗黒街の云々という物語が物凄く苦手である。嫌い、というのではなくどうわけか全く話が飲み込めないのである。『インファナル・アフェア』を評価していただろうと思われるかもしれないが、あれも実に苦労して何度も観てやっと内容が咀嚼できたという次第なのである。
こうまで判らないのでは嫌いなのかな、と思うのだがノワール物にある種の憧れはあるのだ。でも結局は空しいドンパチを嫌っているのかもしれない。

で、本作はどうだったかというとやっぱり判らなくて実は今回鑑賞2度目なのだ。1度目は半分近くまで観てどうしても耐え切れず止めた。
2度目の今回も観たはずの途中までもなんだか入りきれずもじもじうじうじ観て途中で気を失い(つまり眠ってた)殆ど拷問状態で観続けた。
何がイヤだってなんだか大したこともないのに主人公達のにこりともしない大真面目な言動とかっこつけた映像が馬鹿馬鹿しく感じられてしょうがないのだ。
好きな人はこういうかっこつけ方を大人の男の渋い魅力だとか言うのだろうが自分はどうしてもこのかっこつけ方が苦手なのだ。

ところが前回あきらめたその後くらい、後半に入ってから俄然面白くなってしまったのである。

前半に感じていたかっこつけた感じが後半急になくなってしまう。そりゃそうだ。
人望の熱い刑事レオは全てを剥奪され、理不尽な投獄を余儀なくされてしまう。そして7年の刑。
愛する妻を失い、大切な友人も亡くしてしまう。
妻に会うためにとんでもない行動をとり、その妻との再会した時の会話とキスは心に沁みるものであった。
一方のクランは望む地位を得、維持する為に醜悪そのものの人間になってしまう。
あまり多くを語らずにクランとレオとその妻のかつての関係を思わせた作りが却って物語りに膨らみを持たせているのだ。

前半と後半でこうも描き方が変わってくる(しかも後半の方がよい、というのは珍しい)ということもあるものか。
尤も、描き方じゃなく自分の受け止め方の方かもしれないが。よい、と思った人には全編いいのであろうし。
ノワールの渋みというのが味わえない自分なのでそういった恍惚感というものはなかったのだが、二人の男のどうしようもない悲しみに満ちた人生というものを味わった。
レオの悲哀は無論だが人間でなくなってしまったクランの悲劇により注目して観てしまったのは自分がダニエル・オートゥイユよりジェラール・ドパルデューが馴染みだからだろうか。
銃殺されたことで彼が果てしない地獄から救われたように思えるのは間違いなのだろうか。

それにしてもオートゥイユとドパルデューの共通して曲がった大きな鼻は気になるね。

監督:オリヴィエ・マルシャル


ラベル:警察 ノワール
posted by フェイユイ at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。