映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2008年04月29日

『中国の植物学者の娘たち』ダイ・シージエ

学者.jpg
Les Filles du Botaniste Chinois

真っ先に結論を書くと何かとまずいからちょっと後にするけど、いつまでたってもこういう話なのかねーと思いつつ、いつか新しい物語が観れるだろう、それまで我慢我慢とつぶやいたりもしてみる。

植物園の緑の色彩の美しいこと。主役の若い女性たちの美しい肢体に見惚れているだけで時間は過ぎていった。濃厚な湿気と香りを感じさせる花と緑の園で愛する人を見つけた女性たち。その相手は自分と同性であったのだ。
美しい彼女達と見てるだけで癒されていくような画面に惹き付けられて観てしまった。

なのにこの物語はなんだろう。
繰り返し繰り返し作られる「最後に死を迎える同性愛映画」というものにはもううんざりである。
実話だから、というのは言い訳に過ぎない。そういう題材をあえて選んでいるのだから。
思わず涙がこぼれてしまうほどひたむきに愛し合う二人の女性。見入ってしまう美しい裸体とあまり露骨ではない夢見るような同性の触れ合いの場面。
そして最後に全てを破壊してしまう死の場面。

なんでなのかな。
結局観たい場面だけ見せておいて「でも同性愛は禁止だからね。死刑だよ」というラスト。
それを美しいと思わせてしまう狡猾さ。
金庸の物語でも同性愛ではないけど禁じられた恋人達は自分達だけの世界で生き続けたじゃないか。
昔だからというのも言い訳で、武侠もののはもっと昔だしね。

悪人として登場する父と兄の描き方も一方的過ぎると思うのだが。
自分としてはこの監督は全てを支配している父親そのもののように思える。二人の美しい女性を利用するだけ利用しておいて最後にあっさり殺してしまうのだから。
自分に歯向かう者を許さない父権でもって同性愛者だった娘を殺してしまうのだ。その体を性的な目で眺めていながら。
もしそうでないなら何故二人が生き延びるという創作にしないのか。好奇心は満たしたからもういいや、というこの殺し方。
それらを全て誤魔化してしまうための綺麗な映像で騙されてしまう。

例えば『ブロークバックマウンテン』で生き延びていくイニスの苦しみがここにはない。
イギリスドラマ『荊の城』での二人のような未来も与えずに。

綺麗なだけの同性愛場面を見せ付けて最後に殺すという映画に何の意味があるのか。
主役の二人と映像の心地よい美しさに酔いしれていただけにいっそう腹立たしくなってしまう。

これを観て同性愛者を弾圧・嫌悪するのはよそう、という意味合いなのだろうか。
もういい加減判ろうよ。
その次の段階に行きたいんだよ。

監督:ダイ・シージエ 出演:ミレーヌ・ジャンパノイ リー・シャオラン リン・トンフー グエン・ニュー・クイン ワン・ウェイドン
2006年カナダ/フランス

私なんか親父死んだ時「やった!」って思ったもん。後は二人で植物園やっていけばいいし。心臓悪かったからわかりゃしないって。
そうして二人はおばあちゃんになって死ぬまで植物園で愛し合いました。でいいのにさ。
兄貴が邪魔か。ちぇっ。


ラベル:同性愛
posted by フェイユイ at 01:00| Comment(2) | TrackBack(1) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
TBありがとう。

>二人はおばあちゃんになって死ぬまで植物園で愛し合いました。でいいのにさ。

はは。オヤジはよっぽど恨んでたんだな。黙って死んでけば、よかったのにね。
Posted by kimion20002000 at 2008年05月27日 18:30
は、いえ、こちらこそいつもありがとうございます。

男の人っていうのは女性同士が仲良くしてると必ず邪魔しに来る気がします(笑)嫉妬深〜い(笑)
Posted by フェイユイ at 2008年05月28日 00:27
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mini review 08299「中国の植物学者の娘たち」★★★★★★★★☆☆
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