映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2008年05月12日

『アマデウス』ミロス・フォアマン

アマデウス.jpg
AMADEUS

初めて観た時も「こんなに面白い映画があるものか」と驚いたが、年月の経った今観てもその感動が変わらないことにまた驚いた。
ここ最近、演奏家映画にこだわって観ている自分だが、この映画はやはりその頂点に立つ作品だ。
演奏、という部分でのみ観てもさすがにアマデウス役のトム・ハルスも猛特訓だったに違いない。まったく違和感のない演奏である。その上に演出や編集がいいせいでトム自身が天才であるかのような錯覚に陥ってしまうだろう。指揮の場面も同じくそれ以上の素晴らしさでトム・ハルスの指揮をそのまま、もしくは真似て作ったものがたくさんあると思う。

大天才アマデウス・モーツァルトと凡人の代表サリエリの比較に焦点が絞られていてストーリーはシンプルで非常に判り易い。
アマデウスを殺したのでは?と神父に嫌疑をかけられたサリエリが彼とアマデウスの経緯を細やかに語っていくという構成なのがいっそうエピソードを整理して飲み込みやすく仕上がっている。
そうやってうまく物語を認識させつつ映像は音楽によって次々と高揚されまた恐怖を味わされる。
後で思うと美男美女がまったく出て来ない映画である。特にモーツァルト信奉者が怒ってしまうであろうアマデウスの造形には初め度肝を抜かれたが観ていく内に納得し時にははっとする美しさも感じるから不思議だ。一方のサリエリも全く魅力のないおじさん、というところで凡人の悲哀を感じさせてくれる。
ところで映画を観ている分にはサリエリがいうほど、アマデウスは認められてもいないし、幸せでもないようである。確かにステージパパにつれまわされた子供時代は凄かったのだろうが映画ではその描写は僅かだし、常にその下品な外見と物腰を皆に馬鹿にされている。妻にした女性は美女でも金持ちでもない悪妻だし(この映画では)(アマデウス本人は愛しているようだから余計なお世話だが)サリエリ以外の人々からは殆ど認められていないに等しく、あっという間に堕落していってしまうのだ。
凡人と嘆くサリエリは皇帝からも才能を認知され、活躍した当時はもてはやされ、高い地位へと出世しているわけで神が見放しているとは言い難い。
それでもサリエリが(この映画の中で)本当に自分が欲しているのはモーツァルトの才能だけだった、ということなのだろう。
もしかしたら早すぎたのかもしれないモーツァルトの才能を知識人の中ではサリエリだけが認識していたのだ、というこの描き方は面白い。他の認識者は大衆で、だからこそ記憶に残り、受け継がれていったのだ、というところだろうか。

モーツァルトの音楽と映像が合わさっていく、その表現が絶妙でこれはもう体感してみるしかどうしようもない。
アマデウスがピアノを弾きながら別の場面へ移行する箇所や、幾つかのオペラシーンはいうまでもないが、最後の瀕死のアマデウスがレクイエムを創作するのをサリエリが書き取っていくくだりはぞくぞくしてくる。
青ざめたアマデウスがそれでも天才的な閃きをみせ音楽を生み出す。彼の頭の中に音がある。聞こえないはずのサリエリがそれを感じ取り、譜面に起こしていく。
ずっと敵対していた二人が皮肉な運命によって一つの音楽を作り出していく。それは決して愛に満ちた感動ではなく、サリエリはそうしている間も憎悪と嫉妬に苛まれていたはずだ。
が、そうしたなかでサリエリはアマデウスとの共作に至上の喜びも感じていたに違いない。音楽家としての魂が共鳴していた短い時間なのである。

それにしてもこの二人の役者はこうまで凄い演技をしていながらその後二人ともそれほど有名な役をやってはいないのも不思議である。(詳しい方は違うと言われるのかもしれないが)
サリエリ役のF・マーリー・エイブラハムは『薔薇の名前』で異端審問官ベルナール・ギーを演じてはいたが、アノー監督の「彼ほど嫌な役者はいない。アカデミー賞役者だと威張りきっていた」というコメントがあり、よほど腹にすえかねる態度だったのだろうとおかしかった。アノー監督が言ったとおり彼を使いたい監督はいなかったのだろう。『小説家を見つけたら』でちょい役だったがやはり嫌な奴を演じていた。また謙虚に戻ったのか。
トム・ハルスのほうはもっと不思議だが、人生というものはそういうものなのかもしれない。

これはディレクターズカット版で観た。3時間に及ぶが見惚れ聞き惚れてしまうのだ。

監督:ミロス・フォアマン 出演:F.マーリー エイブラハム トム・ハルス エリザベス・ベリッジ サイモン・キャロウ
1984年(ディレクターズカット版2002年)アメリカ


ラベル:音楽
posted by フェイユイ at 22:56| Comment(3) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
毎晩、すいません^^;。♪『アマデウス』〜何回観たことか〜素晴らしいですよね!
どの場面にも名曲が散りばめられていますからどこをとっても素晴らしい訳ですがやはりその演出がいいからこそ、何度観てもうっとりと耽溺できるのですよね。
私も特に感動したのは同じく臨終のシーン。・・音楽という芸術の只中にいる幸福感にサリエリも幸せを感じていたのでは。敵見方とか恨みとかを超越した音楽という芸術の中の二人・・。胸が熱くなりました。
衣装、構成、美術、俳優の演技、そして演出、どれもが優れていると思います。〜最後、レクイエム絶唱の響くなか“ヴォルフィ”が只一枚の布に巻かれて墓穴に落ちるあの衝撃的なラストは、圧巻でした(涙)。。。♪
Posted by フラン at 2008年05月13日 20:06
アマデウス大好きです!
私も最近ディレクターズカット版を観たのですが
つまらない疑問が解けました。

コンスタンツェがあれほどサリエリを嫌う理由がいまひとつ腑に落ちなかったのです。
追加のシーンを観て納得しました。
女として個人的にも恨みがあったのですね。

この映画の『魔笛』夜の女王のアリアに感動して
映画『魔笛』を観にいきました。
Posted by せりーぬ、 at 2008年05月13日 20:51
>フランさん
いつでもおいでくださいませm(__)m

何回も観てたので『演奏家映画』と言えばこれ、と思っても躊躇してたのですが、観るとやっぱりおもしろいのですよねー(笑)
サリエリのアマデウスへの愛と憎しみが混じった感情と音楽の相乗効果がなんとも。

まさしく『神童』で最高の才能があったモーツァルトがこのような最期なんて。

トム・ハルスの演奏場面も凄く自然でその点も満足できました。
演出、カット割りで上手く見せてくれるのです。
ピアノを弾く手が何かに隠れるというのが一番寂しいですよね(笑)この作品ではそういうやり方はなかった、と思います。

> せりーぬ、さん
ディレクターズカットになると間延びする時がありますが、この作品はそれを感じさせませんでしたね。

この映画の面白さはまさに脚本と演出と演奏(指揮とか)の努力のたまものでこんなに全てが力を振るった映画というのも他にないのでは、と思ってしまいます。

一つの映画の感動で次々と観たい映画が広がっていくものですよね。


Posted by フェイユイ at 2008年05月13日 23:29
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。