映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年04月25日

『母なる証明』ポン・ジュノ

e0036705_49cb7d5b82f7a.jpg1222.jpguntitled.bmp20090601001292_0.jpg

どういう映画なのかをまったく知らずして監督がポン・ジュノであることだけで観ていた。冒頭の幻想的な野原でのダンスからゆったりと始まりどうやら母親とやや知能に問題のある息子の物語なのかと思い始めた途端、物語が危険な予感のするサスペンスミステリーへと進み始める。これは『殺人の追憶』側の物語だったんだとあの恐ろしい闇の中から飛び出してくる影を思い出した。

観ていくだけでひりひりするような痛みを感じてしまう。常に何かおぞましいことが起きるような気がして進んでいくのが怖いのだ。
母親、という言葉を見た時、多くの場合、深い愛情を思う。優しいぬくもりを感じるのと同時に子供に対する愛情が狂気へ走らせる異常さを感じさせる。それは真逆のことのようで同じものなのだろう。狂気に走るほどの愛だからこそどこまでも包み込むように優しいのであり、冷静さを欠かない程度であるなら優しさもまたその程度なのだ。

物語は数えきれない程の糸が絡み合って出来ている。トジュンの知能と時折蘇る記憶。母親の強い波長を持つ精神。
心中というものが愛情なのか身勝手なのかという論議がある。母親は息子が一心同体だと言って心中を試みた。結果生き延び、息子は記憶の底からそれを思い出し母親を憎悪する。
息子の殺人を隠す為母親が犯した殺人現場に置き忘れた彼女を証明してしまう品物を息子が持ち帰り母に渡す。またいつ息子がそのことを思い出して誰かに話してしまうか、それは判らない。
母親は鍼師である。太ももに嫌な記憶を消すツボがあるという。最後、彼女は自ら記憶を消すツボに鍼を刺し、踊り出す。
本当に記憶が無くなったのか、記憶を無くしたふりをしているのか、彼女の体を包む夕陽はやがて沈み、また深い闇が彼女を脅かすのだろうか。

痛みを伴う恐怖と愛情、という物語は韓国映画にはなくてならないものみたいだ。特にポン・ジュノ監督はその表現が際立っている。
作品中にも言われるトジュン役のウォン・ビンの綺麗な目の可愛らしさ、母親役のキム・ヘジャの母親というものの権化のような表情。
そういえばポン・ジュノ監督は『グエムル』の時、主人公家族に母親がいないのは何故なのかを聞かれ「母親がいれば怪物を怖れることがない」というようなことを答えていたように覚えている。父親しかいないから家族があたふたするのだと。母親はグエムルより強いのだ。(この映画に母親を出さなかったので今回出て来たのかもしれない)
殺人という最も恐ろしいものを二つも母親は飲み込んでしまった。飲み込んで腹に収めて忘れてしまおう、と決めてしまった。もし自分が死んだり自首したりしていなくなれば息子が楽に生きていける保証はないのだ。そうするしかない。
同じ話ではないが鬼子母神を思い出す。
真犯人とされてしまった青年には母親がいない。彼を守る人はいないのである。

監督:ポン・ジュノ 出演:キム・ヘジャ ウォン・ビン チン・グ ユン・ジェムン
2009年韓国
posted by フェイユイ at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月07日

『アンティーク 〜西洋骨董洋菓子店〜』ミン・ギュドン

B001PFNWXG_09_LZZZZZZZ.jpgimg_847883_22187490_0.jpgc4423d4a.jpg10034463169.jpg

またもや物凄く久しぶりの韓国映画。しかし堪能させていただきました。

とはいえこれ、原作を読まずに観た人ですんなり世界に入っていける人って凄い感覚の人になるのではないだろうか。
私はやっと最近になってよしながふみ氏の漫画を読んだという人間なのだが『大奥』にしろ本作原作にしろ確かに素晴らしい感性の持ち主で只者ではない知性の方だと思うのだが本音を言うと惚れ込む、というまでにはいかなかった。やっぱ私はどうしてもこういうクールな知性派ではなく泥臭い肉体派なんだろうか。
それでもその上手さは現在マンガ家の中で卓越したものであると認識させられた。
さて本作原作が日本のTVドラマになったという話は聞いたがどうやら最も肝心要の「パティシエが魔性のゲイである」という要素は抜きとられてしまったのだとも聞いた。はあ?それではこのマンガを映像化する意味があったんだろうか、などと今更言ってもしかたないのだが、もし自分が愛する作品がそのようなことになったら怒髪天を突きそうだ。せめてそんなドラマを観ずにすんだことに感謝したい。
それで本作だが、さすが韓国映画、と讃えてもいいだろう。原作が日本のものであるにも関わらず日本の映像作家は一体どうしてそんな逃げ腰なのか考えたくもないが、本作では半歩も下がらずに勝負してくれたと感じるのである。
しかも例によって美男揃いの長身揃いでこの辺は日本では難しいのかもしれない。大体マンガがすらりとし過ぎなんだけどね。

韓国映画からすっかり遠ざかっていたので俳優さんたちもあんまりよく判らなくなってしまってる。ハンサムが多いっていうのだけは頷ける。好きな顔が多いのでうれしい。
本作で筆頭にあげたいのはやはりソヌ(小野裕介)を演じたキム・ジェウクだよね。長身なんだけど綺麗な女の人みたいなほっそり型美人ですなあ。彼の特徴である「一見さほどの美形でもないのに何故か魔性を持つ」というのがぴったりだ。韓国のゲイだったらこういう細身よりマッチョ的な男性の方が合ってる気もするのだが原作が日本の女性作家によるマンガだからその辺はいた仕方ない。私的にも細身ゲイはさほど萌えないのだがまあ仕方ない。というかそういうことはここでは問題じゃなくてキム・ジェウクは文句なしに可愛くてチャーミングで素敵だった。
確かに一見「え?」なのに惚れてしまうのかもしんないぞ。フランス男ともジニョクとの関係も凄く自然に感じさせてくれる魅力を持っている。
主人公ジニョク(橘圭一郎)を演じるチュ・ジフンは何やら実生活で問題がある人物のようだがまったくマンガ並みの長身ハンサムだ。且つコミカルな演技が素晴らしくよくて勿体ない。芸に身を捧げて欲しいものです。
そんでもって私が一番惹かれるのがチェ・ジホ演じるスヨン(小早川千影)である。大男で何をやっても駄目な奴なんだけど「若」であるジニョクと「魔性のゲイ」であるソヌにひたすら仕えるというケナゲな男。原作ではもっとごちゃごちゃした話があったがここでは女っ気なしで一番ゲイっぽい(笑)
ユ・アインのキボム(神田エイジ)は原作の時からして私はよく判らない存在なのだが(すまん)こういう可愛いマスコットキャラは必要だからいるのかもしれない(違うか?)
甘いものが苦手なのにケーキ屋のオーナーになるジニョク。その理由は彼が幼い時に体験し、何故か消えてしまった恐ろしい記憶を呼び出し彼を苦しめた憎い犯人をつきとめることにあるのだが。
原作マンガが私はとても読み難くくて本当にもう理解きできないんじゃないかと思うくらい読み難かった。なんなんだろう。この感性がうまく馴染めなくてするりと入っていけないのだ。かといって嫌悪とかいうほど反発するのではないがはっきり違う世界の人なのである。
映画になるとわりと(原作を読んでいたせいもあるが)入り込めてほっとしたがイメージする韓国映画にありがちな怒涛の感動を描かずこんなにあっさりしていいものかと思ってしまった。というかこういう方向へ変わろうとしているんだろうか。この監督さんだけなんだろうか。

ゲイ、という題材を原作から誤魔化すことなく、しかもマンガチックに楽しい映画作品に仕上げて出演者は粒ぞろい。原作に出てた女性たちがどっと削られている(笑)私としては非常に満足な映画『アンティーク』であった。

忘れていた。本作の楽しみの一つはそりゃ美味しそうなケーキ達だろう。なのにわたしときたらジニョクのようなトラウマがあるわけでもないのにケーキを見てしゃーわせになるような可愛い女の子ではない。塩辛いせんべいをばりばり食べるような輩である。甘いもんならどっちかつーと栗の入ったまんじゅうがいい。おはぎとか。せっかく繊細で上品なフランス菓子が並んでるのに無感動な人間が観てるのは申し訳なかった。パン屋さんだとかなりよだれものなんだけど。チーズパンとかレーズンパンとか。すまぬ。
 
監督:ミン・ギュドン 出演:チュ・ジフン キム・ジェウク ユ・アイン チェ・ジホ アンディ・ジレ キム・チャンワン
2008年韓国
ラベル:同性愛 犯罪
posted by フェイユイ at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月18日

『My Son あふれる想い』チャン・ジン

img_1114619_56447627_1.jpgmusuko.jpgmusuko3.jpgMY_SON~1.JPG

キム・ギドクを別にすれば(って彼を韓国から除外するわけではないけどさー)物凄く久方ぶりの韓国映画。あんまり何も思わず観始めたのだが、まんまと罠にはまってしまって冒頭から涙が溢れて止まらず目が痛い。これでもかと泣かせにくるのが判ってもどうしてもここら辺の涙腺の刺激物に弱いんだよねえ。

以前に比べ韓国映画を観なくなったのだが私案外チャ・スンウォンに縁がある。ひょろりとした長身ととぼけた味が魅力の彼である。
そんな彼がもう18歳の息子の父親役なのだが、若い頃にやんちゃをやり続け、とうとう殺人事件で無期懲役になった男がたった一日家族に会うための外出を許されると言う物語である。
重い内容になるはずの物語をチャン・ジン監督独特のおかし味を加えてファンタジーでもあり、ミステリーでもあるような工夫を凝らした仕上がりになっている。
後で思えばあちこちに仕掛けが隠されているのだが、途中、というより最後近くまでは純粋に15年間は会うこともなかった服役囚と父を失い又母もいなくなり年老いた祖母の面倒を見ながら勉強熱心な少年の互いの心が少しずつ緩み通い合う過程をおんおん泣きながら観ていくことになるのだが、残りの20分くらいだろうか、で一挙にどんでん返しさらにまた泣かせられ笑わせられる、という仕掛けになっている。

チャ・スンウォンがでかい図体でとてもいい感じなのは認識済みだが息子役のリュ・ドックァンは『トンマッコルへようこそ』にも出ていたのだが、今回じっくり観ると、スンウォンとは物凄い身長差の小柄で女の子みたいな可愛い顔だちである。男っぽいというイメージのある韓国男児もますます彼のようなフェミニン系が増えてくるのかもしれない。
ファンタジックな演出を含めながら父親と息子の心の声をかわるがわる聞かせてくれるので涙は止まることを知らないのだが、最後になってその涙がいきなり引いてしまうからくりはもしかしたら逆効果なのかもしれないが、とやや不安にもなってしまう。
ところが、それまでは一途に韓国メロドラマに酔いしれていた自分がいきなり目を覚ますことになってしまうのだ。
というのは(ネタばれと書いてる自ブログだがホントにばらすのでどうぞ)
実は今までよかったね最愛の息子と心が通じてと泣かせてくれたジュンソクは本当のジュンソクではなく彼の友人チャ・ホンドだったのだ。
本当のジュンソクは少し前に病気で死んでいた。死ぬ前に彼は親友に「父に会いたい」と言って彼と共に刑務所に向かう途中で亡くなったのだ。ジュンソクの友人ホンドはその後彼のおばあちゃんの世話をし、彼の恋人とも話し合ってジュンソクの父親の帰宅を迎えたのだった。
韓国映画で友人の絆は深く強いものだが、ホンドとジュンソクの友情はそれ以上の何かを感じさせる。それはジュンソクが父親譲りの長身でハンサムなのとホンドがどことなく優しげで女性的な雰囲気があることでも感じさせられるし、視線や言葉のやりとり、お父さんのいる刑務所へ行くのに手をつないでいくのはジュンソクが病気だからと言うだけではないような気がするのだが。おばあちゃんの世話をすることやジュンソクのお父さんをお父さんと呼ぶことや面会に行くのもまるで恋人がすることのように思えるのであるがなあ。

最初たっぷり泣いて最後であまりの衝撃の事実に(他の人が感じる衝撃とは違う衝撃)涙も乾きえええーっそういう告白でいいの?と驚いたのであった。
いやもう韓国映画もう明らかになるのは目前である。(ま、なってるけどね。もう少し、ね)

しかしこうして二人の関係が判って思い出すとこの物語は父子の物語であってそうではない不思議なものになってくる。
父が父でないのにジュンソクになりきったホンドが父に言う「死ぬまで僕を愛して」という言葉には好きだったジュンソクにそっくりな男性への言葉とも聞こえてはこないだろうか。

作品中ヘルマン・ヘッセの『デミアン』が登場するのだが、情けないことに未読。ここに何かのヒントがあると思うのだが。ああ、読まなきゃ。

監督:チャン・ジン 出演:チャ・スンウォン リュ・ドックァン キム・ジヨン イ・サンフン
2007年韓国
ラベル:家族 友情 同性愛
posted by フェイユイ at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月30日

『悲夢』キム・ギドク

bf9dc5ae.jpg

誰も寝てはならぬ、という歌劇『トゥーランドット』のアリアではないが、ここで寝てはならぬのはジンを演じるオダギリジョーであった。

キム・ギドクを楽しみにしている観客には彼の前期のような凄味がもしかしたら新作にまたあるかもしれない、と期待する気持ちはないだろうか。
私が勝手に思うことなのだがギドク監督は『うつせみ』を境にして何かが変わって言ったように思える。『うつせみ』は彼にしては非常に「おしゃれ」な作品ではないだろうか。それ以前の映画は観るのが耐え難いような重く暗い怨念のようなものを感じた。それが『うつせみ』以降同じような題材を描いてはいてもどこか軽いものに変わっている。私は『うつせみ』がまだ日本公開されてなかった韓国版DVDで(『空き家』と題されていた。台詞がほとんどなかったので言語の問題はなかった)キム・ギドクマニアみたいなものになってしまったのだが、それを過ぎた彼の作品は相変わらずの性と暴力と痛みを扱いながらどこか違う。以前の鬱血したものがどろどろと溢れてくるようなおぞましさがない。それは観やすいのだろうが以前の作品に没頭したものにはどこか寂しさを感じさせる。
それでもまだ一般的には変な映画だという評価ではあるようだ。
私としてはここ何作かでギドク監督の軽量化に少しあきらめもついてきたので本作にも過重な期待はしていなかった。
そのため彼の作品にまだ残されている不可思議さを楽しむことができた。映像でも『うつせみ』の時のような韓国の古びた建物や調度品の美しさに見惚れてしまった。

物語は見ず知らずの男女ジンとランが突然夢を通じて行動や意識を左右するという奇妙な関係になってしまう。
ジン(オダギリジョー)が見る夢の中で深く愛していた元の彼女がある男と逢い引きをしている。それをジンが怒り暴力をふるうとそれが現実ではランの起こした行動となるのである。ランは夢遊病者になってジンと逆に憎み切っている男のところへ行き彼との逢い引きを繰り返していた。次第に過激になっていくジンの夢。
ランがその夢の通りに行動しないようにと、ジンに「眠らないで」と懇願する。必死で眠気を覚まそうとするジンだが睡魔には勝てない。
そしてついに夢の中でジンは殺人を犯してしまう。それはランの行動となって現れランは憎んでいた元彼を殺してしまったのだった。

もう二度と寝ないと誓ったジンが自ら頭をピンで刺したり足を金づちで叩いたりノミを突き立てたり、とギドク監督らしい過激な自己破壊。しかも二枚目オダギリが目をつぶるまいと思い切り指で見開かせたりテープを貼ったりしていることこそが自己破壊かもしれない。
ギドク作品は笑いも必ず含まれているのだが、今回は特別ぶっ飛んでいたかもしれない。
頭から血を流し足にも穴が開いた姿はまさしく自己を犠牲にしたキリストのよう、と言ってもいいがどうにも滑稽なキリストである。
痛みと眠気で疲れ切ったジンをやさしく抱くランの姿は聖母のようであったか。

オダギリが出演している作品はいつも私は相性が悪くて好きなのは崔洋一監督の『血と骨』大友克洋監督の『蟲師』くらいなのだが(ほかのはほんとにめちゃくちゃ嫌いなのが多い)この作品はやっと好きなものに入れられる。
このオダギリはなかなかいいのではないだろうか。

この映画でギドク監督とオダギリが不思議(不気味)なほど仲良くなっているのが面白かった。これも以前は(あのチャン・ドンゴンは別にして)二枚目を使わないイメージだったがそれこそ『うつせみ』以降台湾のチャン・チェンなど美形を使うことが多くなってきた。2作続けて外国人俳優というのは自国韓国ではいまだに肩身が狭い為だろうか。

多作で回転の速いキム・ギドク監督だが、今のところ次回作の噂を知らないのだが、またもや二枚目を使ってくれるだろうか、作品はますます軽くなっていくのだろうか、それとも。
どうなることやら。

本作、オダギリジョーが主演なので果たしていつ観ることができるのだろうか、と不安がってたらなんとレンタル開始から数日経っているという最悪の条件なのにすぐ観ることができた。オダギリファンはキム・ギドク監督では興味が起きないのか?
おかげさまですぐ観れたのだから私としては文句はないが・・・・・。

書き忘れたが、いつも台詞の少なさが売りのギドク作品だが、今回はオダギリ一人が日本語を話しているのに韓国の中で普通に会話が成立する、というこれも面白い技だった。こういうのをやられるとこの作品自体が夢なので会話が通じても不思議はないのだ、というようなことを書きたくなるのだよね。
どこまでが夢で現実か、すべてが夢なのか、というのがギドクなのだ。

監督:キム・ギドク 出演:オダギリジョ- イ・ナヨン パク・チア キム・テヒョン チャン・ミヒ
2008年韓国
ラベル:キム・ギドク
posted by フェイユイ at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月22日

『ブレス』キム・ギドク

ブレス.jpg
BREATH

変な人だなあキム・ギドクって。いつまでたってもちっとも上手くならないし、ずっと低予算で仕上げているんだろうな。
そしてまた奇妙な物語である。浮気している夫に嫌気がさした妻が死刑囚の男に突然面会に行き始める。彼女の行動は死刑囚の男に恋をしたからではなく、夫へのデモンストレーションなわけで夫は妻の訴えに気づき、やり直そうとする。死刑囚の男は人妻の面接に夢中になってしまう。同じ房にいる彼を慕う囚人はそんな彼の邪魔をするのだが。

今日のニュースで韓国では10年間死刑執行はなされてないが死刑判決が出たと言っていた。
となればチャン・ジン死刑囚という設定自体があり得ないことだったのか。
とにかく死刑囚の面接にいきなり行って会えるということ、部屋を飾り付けて歌を歌うこと、直接個室で二人きりになれること、キスをし抱き合うことなどあり得ない展開である。
それらを許したのが顔を見せない保安課長でキム・ギドク監督その人である。ならばこの物語は「あり得ない話だが、夫に幻滅した妻が死刑囚と恋に落ちたらどうなるのだろう」という監督の妄想だといわんばかりである。人妻と死刑囚は最初は窓越しに、そしてキスする寸前で止められキスをし最後には体を交わす。だがその時、彼女はもう夫とよりを戻している。
彼女は小さい時、5分間だけ死んだ経験があるという。水に溺れ5分間息が止まっていた。
女は死刑囚チャン・ジンの息を止めてしまう。もがき苦しんだチャン・ジンはそれまでの恋する表情とは違い憎しみの目で彼女を見る。
チャン・ジンを慕う若い男の囚人がいる。人妻に狂うチャン・ジンに嫉妬しているかのように思えるが所詮叶わぬ恋だとチャン・ジンを引き止めたかったのだろう。そうすることしかできない彼の思いが悲しい。

この作品、先日観た『ぐるりのこと。』と設定が似ている。10年目の夫婦の間の倦怠感。こちらは妻のほうが犯罪者と関わっていく。ぐるりの話は抜きにして夫婦のみの話に焦点を集めている。だがぶつかり合いの凄まじさは日本映画『ぐるりのこと。』の比ではないな。互いに血を流しあうまでの戦いである。

チャン・チェンがとてもかっこいい。人妻が「あなたって目がきれい」と言うがほんとに透き通るような眼差しである。彼を慕う囚人くんが切なかったな。きっとすでに肉体関係があったんだろうねえ。

監督:キム・ギドク 出演: チャン・チェン チア ハ・ジョンウ カン・イニョン キム・ギドク
2007年韓国
posted by フェイユイ at 23:15| Comment(0) | TrackBack(1) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月17日

『チュ・ジンモ 悲しい誘惑』

悲しい誘惑.jpg

チュ・ジンモは間違いなく申し分ない美形ではあるし、『MUSA』を観た時から印象強く残ってはいたが、あんまり好みのタイプではないのでさほど気にかけてはいなかったのだった。(キム・ギドクの『リアル・フィクション』も観たが)
それがDVDレンタルの新入荷を観てたらこれがあってイントロダクションが「男同士の切ない愛を描いた禁断のラブロマンス」だと。
うわいつの間にこんな映画が、と思ってたらこれは2回連続のTVドラマなのだった。しかも後で気づいたんだが1999年作品。まだ初々しいといっていいチュ・ジンモだった。『ハッピー・エンド』に出演した年なのである。

え〜、韓国ってちょっと前までゲイって全く御法度だと思ってたのに。しかもTVドラマ。一体どんな胡散臭いものか。陳腐な作品なのか。馬鹿馬鹿しい奴か、とかなり疑心暗鬼で観始めたのだが、これがなんと意外にも渋い大人のドラマなのだった。

とはいえ、これは「禁断のラブロマンス」というようなものではなく、ゲイの青年と会社から邪魔者扱いをされている中年男が互いの苦しみを語り合うといういたって地味なドラマでセクシャルな描写を求めている方はお勧めではないし、さほど驚くような発見があるというわけではない。
ただ軽佻浮薄で煌びやかな設定だけで見せ付けるようなことがなく地道な物語なのがこういう物語としては結構驚きなのである。
若い頃は野心に満ちて会社の為にと働き続けた結果、年を取って会社から追い出されるはめになった男が妻に弱みをみせたくないというプライドと戦い続ける。その妻は夫婦なのに話し合いもない生活に悲しみを感じている。
そんな二人の前に登場するのがチュ・ジンモ演じる若者で、中年男は伸び盛りの青年に反発とかつては自分もそうだったという懐かしさを覚える。
男が青年に感じた気持ちは一体なんなのだろう、という物語である。

繰り返しになってしまうが、さほど新鮮味があるという話でもないのだが、それでもじっくり観てしまうのは設定、物語、台詞が地道で現実味のあるものだからだろう。
こういうドラマが10年も前に存在していて主役をチュ・ジンモが演じていたとは、驚きである。
妙なアクシデント(どちらかが突然死んでしまうとか)なんかがなく自然な感じで終わるのも渋いのである。
奥さんが単なる飾りではなく悩みや優しさを持っている女性で最後に彼女が二人を見つめているので終わっているのもなんだか文学的ではないか。

脚本:ノ・ヒギョン 出演:チュ・ジンモ キム・ガプス
1999年韓国

同じくチュ・ジンモ主演の『双花店』もますます気になるところである。こちらはもう本当に危ないシーンが観られそうだし。
ラベル:同性愛
posted by フェイユイ at 23:14| Comment(2) | TrackBack(2) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『オアシス』イ・チャンドン

oasisu.jpg

また前日に観た映画とつながってしまう偶然に会った。
昨日観た今村昌平『うなぎ』とイ・チャンドン『オアシス』
『うなぎ』のように主人公が犯罪を犯すシーンはないが(といってもそれが後で意味があることがわかる)どちらも刑務所で数年の服役を終えて出て来たところから物語が始まる。
どちらも素直に好きとは思えない男である。そして同じように「可哀想な境遇の女性」と出会い関わることになる。
ここから日本と韓国の違いになるが『うなぎ』では女が押しかけてくる、というのがいかにも日本の男女関係である。韓国では無論男性が女性の家へ押し込んでいく。『うなぎ』では女性がとことんつくしていて『オアシス』では男性がつくし抜いている。
どちらの男女もなんとも冴えない境遇と人格であり他人から煙たがられる存在なのは同じなのだ。
それでどちらが好きかと言うのなら全く躊躇することなく『オアシス』のほうだ。
同じような設定と物語とは言ったが『うなぎ』に感じた嫌悪感が『オアシス』にはない。なにやら教訓めいた語り口の『うなぎ』と違い『オアシス』には情感だけがあるように思えるのだ。

『オアシス』の主人公ジョンドゥは重い脳性麻痺の女性コンジュを好きなる。彼女はその為に体を動かすことも話すことも思うようにならない。表情はいつも強く硬直し、その手も空をかいているように見える。
ジョンドゥもまた人に自分の考えを明確に話すことができない人間である。彼は前科を持つのだがその一つは兄の罪を被ったものだし、もしかしたら別の罪も上手く釈明ができなかった為の濡れ衣のようなものだったのではないかと思えてくる。
自分たちもまたジョンドゥやコンジュのように自分の思いを話せない人間なのではないだろうか。
ジョンドゥは何をっやっても不器用で佇まいもさまにならず人から蔑まれるような人間だ。コンジュはまた彼以上に人から迫害されてしまう存在である。
誰が観ても羨ましくもない二人だがジョンドゥがコンジュを外に連れ出してはしゃいでいる様子はなんて楽しそうなんだろう。
誰からも疎外されている二人が互いを「姫」「将軍」と呼び合っていることがおかしくてちょっと悲しくて笑えてしまう。
普通の恋人同士ならロマンチックなはずのラブシーンが二人だと障害者を強姦する犯罪者ということになってしまう。そして二人にはそれが「恋愛」だという釈明をする言葉を出すことができないのだ。
ジョンドゥは何も言えず、コンジュは興奮するばかりで体を打ち付けて悲しみを表すが他人にはそれが何の意味をもつのか理解できない。

コンジュは夜の闇の中で「オアシス」の絵にさす木の影が怖くてしょうがない。ジョンドゥはそんな彼女におどけて魔法の御まじないを唱えてみせる。それを嬉しそうに笑うコンジュが可愛い。
コンジュとのセックスが強姦だと間違われまたもや留置場に入れられそうになったジョンドゥは隙を見て逃げ出す。それはコンジュが怖がる窓からはいる影を作る木の枝を切り落とす為だった。それは彼がコンジュに「愛している」という言葉なのだ。
コンジュには彼の思いがわかった。声を出せないコンジュはラジオのボリュームを最大にしてジョンドゥに伝える「私も愛している」と。

重度の脳性麻痺で話すことも動くこともままならない彼女が彼女の想像の中では普通の女性となってジョンドゥに話しかける。
映画の魔法である。
二人に間違った嫌疑がかけられた時、もしかしたらコンジュが突然彼女の夢の中のように話し出すのではないかと願ってしまった。
しかしコンジュはそのままだった。
ジョンドゥはそのまままた刑務所にはいることになりコンジュに手紙を書く。
「姫、お元気ですか」と。「出られたら食事をしましょう」
コンジュは明るい日差しの中で部屋を懸命に掃除している。

ふたりがどんなに愛し合っていたのかを誰も知らない。二人が愛し合っているのを見ても誰もそれが本当の愛だとは気づかない。
そんな愛というのがあるのだ。

監督:イ・チャンドン 出演:ソル・ギョング ムン・ソリ アン・ネサン チュ・グィジョン リュ・スンワン
2002年韓国



posted by フェイユイ at 00:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月20日

『後悔なんてしない』イソン・ヒイル

No Regret2.jpgNo Regret.jpg
No Regret

韓国版DVDでこの映画を観て幾年月、まさか日本版でも観れるとは思いもよらなかったなあ。これはやはり韓流のおかげでありましょうか。

内容としては言葉も判らず観た時とそう受け取り方が違っていたわけではないが、やはり細かな部分が理解できるのは嬉しいことだ。
主人公二人とも凄く好みで素敵なのもまた嬉しい。いつもはスミン的な男子に心惹かれるのだが、これではジェミンの方を好きになってしまったのだよねー。
とにかく韓流男子は男っぽいハンサムで魅力的なのでゲイの物語もどきどきしてしまうのである。

孤児院出身で貧しいながらも懸命に働き勉強もしようとするスミンと生まれながらにいい家柄で裕福なジェミン。
工場で働きながら代行運転の仕事も兼ねているスミンはある夜バーにいたジェミンから依頼を受ける。
一目見てジェミンはスミンを好きになってしまい酒に誘うがスミンは答えようともしない。
ジェミンがスミンの働く工場の理事の息子と知ってからはますます彼を避けるようになる。一方のジェミンはそんなスミンを追い続けるのだった。
さすが韓国のラブストーリーは男同士も熱烈でしかも切なさを訴えてくるのだ。スミンは最初からジェミンを好きだったに違いないのだが、金持ちで身分違いの彼を好きになればその結果はもう見えているので防御する為逆に攻撃したわけですな。
反撃されればされるほどジェミンは燃えてくるのである。
そしてもともと心優しいスミンはジェミンの一途さについに折れてしまい、彼の愛を受け入れてしまう。
あーもうこの折り返し地点に来た時、ここで止めようかと思ったほどで。旅行する彼らの幸せそうな姿。
だが例によって彼らの愛には障害が立ちふさがるのだった。

ところで前も書いたとは思うが、本作を観てると色んなゲイ映画が重なってくるのである。
二人がベッドで横たわっているのとかスミンがスーツを着るシーンとか夜の場面は音楽も含めて『藍宇』だし、屋上に立っている様子だとかジェミンが手を怪我して包帯を巻くのは『ブエノスアイレス』二人が海に行く場面は『ニエズ』みたいである。

さて様々な苦難を乗り越え二人が愛を確かなものにする、という物語でどこかで観たなあと思ってしまうことも含め目新しいということもない作品なのかもしれないがそれでも自分としてはこの映画好きなのである。主人公二人の魅力のせいでもあるがなんだか映画そのものがひたむきで切なくなってしまうではないか。
ラブシーンとしてはベッドの上のものより、公園で誘いかけるジェミンを振ったスミンが歩き出した後、戻ってきてキスをするところが一番に素敵だと思うがどうだろう。この時にジェミンが言った「アンニョンハセヨ、スミンシ」という言葉が最後にスミンが言う「アンニョンハセヨ、ジェミンシ」にかかってくるのだが。このアンニョンハセヨって言葉訳するのが難しそうだ。「どうぞよろしく」ってなってるが。なんともいえない。
公園の場面は『東宮西宮』ぽい気も。

ゲイムービーは難しいのか、と思われた韓国映画も最近は結構作られているようだ。
もう嬉しいかぎり、とにやついてしまう自分なのである。

監督:イソン・ヒイル 出演:イ・ハン イ・ヨンフン
2006年韓国
ラベル:同性愛
posted by フェイユイ at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月11日

『シークレット・サンシャイン』イ・チャンドン

Secret Sunshine.bmp
Secret Sunshine

久し振りに観た韓国映画。なにしろチョン・ドヨンとソン・ガンホ共演なので期待してはいたが、それ以上に打ちのめされるような作品だった。

チョン・ドヨン演じるシネは亡くした夫の故郷・ミリャン(密陽)に一人息子のジュンと引っ越してきた。
途中で車がエンストし、呼び寄せた修理工がソン・ガンホ演じるキム社長である。

タイトルのシークレット・サンシャインというのはこの町の名前・密陽を英語読みしたものでもあり、人物にとっての秘密の太陽という意味でもある。
シネがどんなに冷たくあしらっても絶えずシネの側で明るく笑ってくれるキム社長はシネにとって「秘密の太陽」なのだろう。
そしてキム社長にとっては他から見れば疎ましい存在にしか見えないシネこそが「秘密の太陽」なのかもしれないし、シネにとってはまた失ってしまった一人息子ジュンが「秘密の太陽」であり亡くした夫もまたそうなのではないか。
シネが天に向かって「見てる?」と問うのはジュンに対しての時と夫に対しての時があるのではないか。
「長老」と呼ばれる薬局の主人を誘惑した時は夫に対して問いかけたのか。それとも神様に?

シネは夫が愛していたという町で新生活を始める。家を見つけ、仕事を始め、子育てをするシネは健気に見える。
だが、新しい友人たちとちょっとだけ楽しんで遅く帰った時、幼い息子ジュンが誘拐され殺害されてしまう。
少しだけ彼女を救済したかのように思えた宗教もシネの魂を本当に安らげることができない。
ジュンを殺した犯人を許したつもりでいたが、彼女には許すことができない。「全部嘘だ」という歌を流し自分のために祈る人々の窓辺に石を投げるシネ。この時の衝撃音は酷く響いた。シネの叫びのようだった。
苦しみ苦しみぬいて、反吐を吐き、血を流すシネ。テープに録音していた子供の声を繰り返し聞き、物音がするとジュンが帰ってきたと思うシネ。すべての人を憎み、叫び、叩きつけるシネの苦しみは絶対に癒されることはないのだ。
どうしてもどうしてもシネは許すことができない。それは犯人でもあり、自分でもあるのだろう。
シネの苦しみは映画の中でなくなることはなかった。シネが本当に悲しみを忘れることはできないのだと思う。
そんなシネをずっと見守り続けるキム社長の一途さは切ないほどであり痛々しくもある。とはいってもソン・ガンホが演じるキム社長はいつもちょっととぼけたおかしさがあって振られっぱなしでありながら下心見え見えで彼女を追い掛け回していく。
まったく不器用でカッコ悪くしつこいだけのキム社長の愛し方なのだ。

精神を病んだシネが退院した日、キム社長が連れていった美容院にジュンを殺した犯人の娘が働いていた。店を飛び出したシネはキム社長に当り散らし一人走り去る。
自宅の庭先で自ら髪を切るシネの目の前にキム社長が現れ鏡を持つ。シネは黙って自分の髪を切っていく。
髪を切ることでシネは辛い過去を少しだけ切り捨てることができるのだろうか。
いつも自分を見つめてくれる温かい人に気づけるのだろうか。

監督が『ペパーミントキャンディ』を作ったイ・チャンドンだと知らずに観ていた。あの作品も他の韓国映画にない衝撃を受けたが、この映画はまた女性が主人公となっていることもあって自分にはより強い共感を覚えた。
彼女の子供の愛し方、ジュンが隠れたのをシネが蒼白になって探す冒頭の伏線の怖ろしい予感、子供の死を露骨に見せない表現、復讐劇などではない物語、映画の時間内で決着がつくような問題ではないということ、シネという女性が最初から完璧な人格ではない描き方、性や暴力の描写も避けていることなど静かで単調なほどの映像も心に残る作品である。

監督/脚本:イ・チャンドン  出演:チョン・ドヨン ソン・ガンホ チョ・ヨンジン キム・ヨンジェ ソン・ジョンヨプ
2007年韓国

化粧っ気なしのチョン・ドヨン。小柄で細い体だけどとても色っぽさのある女性でやはり迫力のある演技だった。
ソン・ガンホ。この味わい、久し振りに観れて物凄くうれしい。チョン・ドヨンが小柄なのでますます大きく朴訥と見えるのも楽しい。
韓国映画の男性にはよくあることだけど、ソン・ガンホにこんなに優しくされたら私ならころりといってしまうのだがなあ。「女のために教会通いか」とからかわれるのがおかしい。
そういえば今度吸血鬼になるんだっけ。
posted by フェイユイ at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月22日

オダギリジョーの出演に韓国人女優の出演依頼が殺到! 監督が明かす

オダギリジョーの出演に韓国人女優の出演依頼が殺到! 監督が明かす

朝TVでもちらりと観ましたがキム・ギドク監督とオダギリがそんな深い関係になってしまうとはなあ。

こちらも
キム・ギドク監督がオダギリジョーの知られざる一面を暴露!「悲夢」会見

とにかく楽しみってことで。
ラベル:キム・ギドク
posted by フェイユイ at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月12日

『ス』崔洋一

ス.jpg
soo

面白い映画を幾つも作ってみせてくれた崔洋一監督が韓国を舞台に韓国スタッフと俳優で作り上げた作品、ということでかなり期待をして観た。
まず言うと今までブログでも何度も書いてきたのだが私はどういうものかノアールものが苦手である。なんというか「遊び」にしか見えないのだ。男達がかっこつけてごっこ遊びをしているとしか思えない。
とはいえ、いつか面白いノアールものに出会えるのかも、という思いがあって期待するのだがやはり「ごっこ遊び」にしか見えない。
さてこれは、崔洋一監督でもあるし、と願いを持ったのだが、やっぱり「ごっこ遊び」にしか見えなかった。

というかノアールものは男の子達のごっこ遊びであることが信条なのであって何か別のものを求める自分が間違っているのかもしれない。

それにしても非常に真面目な顔をしてどんぱちしたり、血だらけになって「うおおお」と叫んだり、もつれあって取っ組み合いしたり、よろよろと立ち上がったり倒れこんだりしているのを観てると楽しそうに遊んでいるなあ、とどうしても思ってしまうのだ。
教室の後ろでその気になってピストルごっこをしている男子とどこが違うんだろう。

いやほんとにこれは男子の楽しみなのであって女子がしゃしゃり出て文句を言うものではないのである。
「ばーか」と言って自分は大人のつもりでいればいいのかもしれない。
これはもうこの作品の出来がどうこうというかすべてのノアールものに思うことでありいい出来栄えであってもそうした思いを持たないことはない。
ただいつか「これはごっこ遊びじゃない」と唸らせてくれるノアールものに出会えないかと思っているだけだ。
それが男子に受けるかどうかはわからないが。

さて本作。いかにも韓国らしいという設定である。生き別れた双子の兄弟。兄は「ス」と呼ばれる殺し屋になり、子供の時に別れたきりの弟を探している。
やっと出会えた時、弟は何者かにいきなり射殺されてしまった。一体誰が、何のために。殺し屋「ス」は刑事だった弟になりきり復讐を誓う。
そして見つけた仇に近づく為「ス」は次々と殺戮を犯していく。
筋書きとしては悪くない。結構面白そうである。だが出だしの説明がわかりにくくて世界に入り込むのに難があった。勿体つけずシンプルに判りやすくしてくれたほうがよかったのではないだろうか。
そして配役にも疑問がある。主役のチ・ジニ。好きな人ではあるがこの役には合わない気がする。それにしても元々逞しい人だったがますます肉体派になっていくようである。
唯一の女性である弟の恋人役カン・ソンヨンが魅力的でない。男のためのノアールなのだから当たり前に唯一の女性は美女の方がいいのでは。美女なのかな。あまりそう思えなかったし「私と出会えて幸せだった?」とスに聞くのだが美人でない上にこうも暴力的な女性と出会えてもマゾじゃない限りあまり幸せにはなれない。弟は大変だったと想像する。
そういえばこの映画男性的に暴力シーンはたっぷりあったが、色っぽいシーンは皆無。あるとすればチ・ジニが自分の裸を撫で回しているシーンが一番色っぽいのだ。自分で自分をというのはあまりうれしくないのでこういう話なら双子の弟は別の人にやって欲しいなあ。
弟がスの変装だということを見破る刑事がいまいち面白みがない。
つまりは登場人物たちにどうものめりこめる魅力が乏しいのである。

本作がマンガが原作ということなのかノアールものということなのか『オールドボーイ』と比較して本作の方が上と書いてあったりもしたが私としては『オールドボーイ』のほうが比較にならないほど面白かった。あれもノアールなら例外的に面白かったものだ。チ・ジニとチェ・ミンシクを比較するのはかわいそうであるし、内容としてもあちらの方が断然いい。地味なほうが上等というものでもないだろう。

ところで今までずっと別れていた弟になりすまして職場に行き、刑事として勤める、という設定自体どう考えても無理だと思うのだがねえ。
何をどうしていいか何もわからないだろう?

監督:崔洋一 出演:チ・ジニ オ・マンソク イ・ギヨン チョ・ギョンファン カン・ソンヨン
2007年韓国
ラベル:暗黒街 崔洋一
posted by フェイユイ at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月15日

期待の新作映画『コウモリ』がクランクアップ

コウモリ2.jpg

期待の新作映画『コウモリ』がクランクアップ

久し振りに韓国映画でわくわくしております。
ソン・ガンホ観たい〜。シン・ハギュンも出てます。

posted by フェイユイ at 00:53| Comment(3) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月27日

鬼才キム・ギドク監督、オダギリジョーの大ファンだったと明かす

鬼才キム・ギドク監督、オダギリジョーの大ファンだったと明かす【第56回サン・セバスチャン国際映画祭】

キム・ギドク監督の怪我があまり酷くはなかったということでよかったです。映画との関連が不思議です。

ギドク監督、オダジョーのファンでしたか。ナオさんはどうなったの?(笑)
ラベル:キム・ギドク
posted by フェイユイ at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月06日

『黒い家 エンジビル』シン・テラ

エンジビル.jpg
BLACK HOUSE

これはねー、一体面白いんだろうか?というのは映画の感想としてはおかしいんだろう。
原作は日本の貴志祐介の小説『黒い家』そして森田芳光監督によって映画化もされていた。そして本作は韓国版リメイクで韓国では大変なヒットだったということだったのでかなり期待してもいた。
で、これはそんなに面白かったんだろうかなーと。

日本版映画化の感想で「主人公がうじうじしてうざい」と私は書いているのだがこうして普通の男になってしまうと案外インパクトがないものだと気がついた。内野聖陽が演じた主人公・若槻の終始ぺこぺこし通しのいじけ顔にうんざりしていまっていたのだがそれだけ忘れられない印象はあったし怖ろしい人格破綻者の菰田幸子との対比が際立っていたわけで。本作の主人公ジュノを演じたファン・ジョンミンは韓国男性としては(というのは私の勝手な思い込みではあるが)かなり根暗でおどおどしてはいるが言うべきとこははっきり言っててイライラはしない。最初は「お、こっちがいいな」と思っていたのだが進むにつれて登場人物の性格の差違が少なく思えてしまう。それは大竹しのぶが演じていたちょっと極端でコメディですらある菰田幸子に対し本作のイファ(ユ・ソン)がやはり大竹しのぶよりひかえめな性格破綻者(?)だったせいもありまたその夫の人格も日本版のほうが強烈だったので全体に平板なイメージになってしまっているためだろう。日本より韓国の方が控えめ、なんて変な気もするが。もしかしたら日本版映画が先にあるために韓国側としてはあまり「真似」にしたくなくてあえて違った方向を探ったのかもしれないがなんとなくこじんまりとまとまってしまったように感じられてならない。日本版映画のダイジェストのようにも思えてしまうのだ。
それは若槻のくどくどしさもあったし、特に菰田幸子がボーリングが好きという性格付けも奇妙なリアルさがあった。怖ろしい事件を起こした後にボーリングに打ち込んでいるというのは確かに不気味である(ボーリングをした後に学校で乱射した事件を取り上げた『ボーリング・フォー・コロンバイン』という映画もあったが)
これを観て日本版を褒めるというのも変なものだがこのせいで却って森田監督の『黒い家』は面白かったんだなーと気づかされてしまったのだ。
すべての人格や出来事が端折られて表現されているので菰田夫妻の狂気が伝わりにくい。
菰田夫が自分の手に噛み付くとこなど説明もないワンカットだったのであれでみんな判るんだろうかと驚いてしまった。西村雅彦の気持ち悪さといったらなかったし。
また精神分析家による菰田夫妻の説明なども酷く短かったのでそういう箇所に興味がある自分としては一番美味しい部分がなかったようでがっくりしてしまった。「あの女には心がない」という言葉こそが恐怖なのにイファの心をもっと覗き見るような恐怖を出して欲しかった。
代わりにここは韓国映画らしく人の体を残虐に傷つけていくスプラッタな場面は日本版よりはるかに周到に描かれていてますますげんなりしてしまう。
この話はスプラッタじゃなく人間の心を覗き込む恐怖を描いて欲しかったのだが。
それなのに最後は突然「もう誰かが死ぬのは見たくない」などと言ってジュノがイファを助けようとするのが馬鹿馬鹿しいし、そこでイファがジュノの手を傷つけて自分が落ちていく、というのも今までの話がなんだったのか、みんな意味がなくなってしまう。よじ登って助かってジュノを突き落としたらよかったんじゃ?
そして最後に怖い絵を描いた女の子が次のイファになるのでは、というような思わせぶり。菰田夫婦は二人とも幼児期に同じような非人間的虐待を受けていたからああなったんで、この子は可愛がられてるのでからそういう場合もあるだろうけど説明としてはよくわからない。
そんなことしなくても一旦火事で焼け死んだと思ったイファが生き返ったんだからまた生き返らしたら?あれだったら永遠に続けられるっしょ。

最近の作品をリメイクした、ということでもう観るべきじゃなかったんだろうけど、つい何かを期待してしまった。
最近嘆いているのは韓国映画は急激に観たいと思う作品、面白い作品がなくなってしまった、ということ。そんな言葉を慌てて消してしまいたくなるようないい作品を観れるのではないかと思っていたのだけどねえ。

ラストの感動場面、と思しき場面では韓国映画定番の土砂降り雨。クライマックスに雨というのはもう止めた方がよくないか。何度観たか判らない。
それぞれの登場人物を演じた役者陣にはあまり文句はないのだがジュノ役のファン・ジョンミンの顔のほうに異常性を感じてしまう。
眼鏡顔と眼鏡なし顔が物凄く違うので眼鏡が外れると誰だっけ?となってしまったが眼鏡顔はなかなか迫力ある。
唇はメイクなんだろうか。薄くて小さくて狂気めいた感覚がある。彼がサイコ殺人鬼をやってたらもっと凄かった気がするのだが。

監督:シン・テラ  出演:ファン・ジョンミン カン・シニル ユ・ソン キム・ソヒョン
2007年韓国
ラベル:ホラー サイコ
posted by フェイユイ at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月26日

久し振りに超期待の『良い奴、悪い奴、変な奴』

いい奴、悪い奴、変な奴.jpg良い奴、悪い奴、変な奴.jpg

韓国映画のチェックを殆どしてないし、してもあまり食指が動かなかったここ最近ですが、これはちょっと久し振りに気になるなー。

イ・ビョンホンの西部劇、三池崇史作品との違いは?【第61回カンヌ国際映画祭】

こちらに予告編が
【動画】映画『良い奴、悪い奴、変な奴』の予告編

三池崇史『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』には期待しすぎてやや不満の感想を持った自分だが、こちらもキム・ジウン監督で超豪華なキャスト。めちゃ二枚メな二人イ・ビョンホン、チョン・ウソンにソン・ガンホ。といってもこの中で一番好きなのはソン・ガンホだけどさ。
なんだかめちゃくちゃ期待しちゃうぞ。

『良い奴、悪い奴、変な奴』
『いい奴、悪い奴、変な奴』、西欧市場に最高価格で販売
posted by フェイユイ at 00:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月24日

ニューヨーク近代美術館でキム・ギドク監督作品展

ニューヨーク近代美術館でキム・ギドク監督作品展

自分の勝手な思い込みで書くことだけど、物凄く韓国映画にのめりこんだ時期があってほんとに面白かったんだけど、最近はなんだか「コレ観たい!」と思うことがなくなってしまった。
自分が変わったといわれればそうなのかも知れないけど、なんだかわくわくしないんだよね。
キム・ギドク監督自身に対しても正直言うとそれに近いところがあって。『絶対の愛』はそんな感じだった。私にとっては今のところは『うつせみ(3IRON)』までが大好きで、というかこれが最高だった。『弓』で少し変わってしまいその後は・・・って言う感じ。
『ブレス』はギドク監督が韓国とケンカした後で作ったみたいな映画で台湾人のチャン・チェン主演だからまた凄く興味はあるのだけど。
その次はオダギリジョーだしね。
「異常な愛」を描き続けるギドク監督。これからどうなっていくのか、やっぱり観ていきたい、と思ってはいるのだけど。
(なんか歯切れ悪い文章だな。でも「面白くなくなった」というのは残念なんだよね)

今度はどうなるのか、と思い続けるのかもしれない。
ラベル:キム・ギドク
posted by フェイユイ at 17:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月08日

『拍手する時に去れ』チャン・ジン

拍手する時に去れ.jpg拍手する時に去れ2.jpg
Murder,Take One

キム・ギドクを別にすれば物凄く久し振りの韓国映画ではないだろうか。シン・ハギュン、チャ・スンウォン出演ということとタイトルの面白さ(韓国映画はタイトルがいつもいいが)で観る事にしたのだが、これがなかなかに面白かった。

ミステリーにオカルト風味とコメディを軽く合わせて作り上げた娯楽作品。
9箇所も刺し傷があったという美しい女性の謎の死にチャ・スンウォン演じる検事が究明にかかる。
容疑者はすぐに捕まったのだが、この取調べを48時間生放送というTV番組で放送することになったのだ。

TV司会者、解説者、見物人を含めた大勢が事件について熱論を繰り広げ、犯人がガソリンを買いに来たというガソリンスタンドの店員の推理、とんちんかんな日本人夫婦のやり取り、殺された女を愛人にしていた会社社長の娘、盲目のマッサージ女性、女が宿泊していたホテルの支配人と従業員などが入り乱れ謎は深まっていく。

舞台を映画化したということで物語はTV局特設の建物の中で展開されていく。
冒頭に検事(チャ・スンウォン)と容疑者(シン・ハギュン)が白熱した問答を繰り広げる事から始まり、あっという間に物語りに引き込まれてしまう。
チャ・スンウォンはすらりとした長身で味のある顔立ちでかっこいい。どことなくユーモアのあるところも素敵である。シン・ハギュンは相変わらずイッチャッてる目つきが魅力的だ。
舞台でも彼は同じ役で検事役はチェ・ミンシクだとか。これも観てみたい。
シン・ハギュンは顔だけだとオタクっぽいがいい体なのは『地球を守れ!』で確認済みだったがここでもその肉体をちらりと披露してくれている。ガラス越しにチャ・スンウォンににじり寄って激白するシーンは見もの。
やや登場シーンが少なく感じられるのが寂しいが彼がこの物語の要なのである。
彼が途中から被害者の弟だと言うことが解り、彼と姉との関係がただならぬものであることがあまり大っぴらにせず隠されているようなのはなんらかの事情なのか。
姉を思い出す時のシン・ハギュンの表情に注目するしかない。

私が以前いつも韓国映画で気にしていた残酷な場面や性的な場面も全くなく、登場人物の年齢も高めだし、派手なアクションが売りということでもなく物語と演出の面白さ、シン・ハギュン、チャ・スンウォンを始めとする出演者の巧さで一気に見せてしまうとは韓国映画はますます円熟味を増してきた(偉そうな言い方で^^;だが)と感心するばかり。アイディアの卓越さにまたまたハリウッドがリメイクしそうな予感もするがハリウッドにチャ・スンウォンほどかっこいい男優もいないんじゃないか。
ま、そんな決まってもいない心配をしなくともいいか。韓国ではかなりの観客動員というだけあってこれは確かに面白い作品であった。

凄く日本語の巧い日本人夫婦役は韓国人なのか、日本人なのか。「韓国の焼肉屋は肉は美味いけど換気が駄目ね」なんていかにも日本人が言いそうな台詞でおかしい。でも表情がありすぎてなんだか三谷幸喜の芝居でも観ているようである。彼らに比べ通訳の日本語はうまいが微妙に下手という細かさ(なのか)

最後の解決は霊媒師(というのか)の女性だった、というのが『殺人の追憶』でも出てきた結局科学じゃなく神がかりなのね、ということでまたおかしい。この辺は好みが分かれるところかもしれないが私は好きである。

久し振りに観た韓国映画が思った以上の面白さだったのでちょっと感激である。また以前のようにはまり込んで観て行きたい気持ちはあるんだけどなあ。(とにかく男優がかっこいいからね。美女もだけど)

監督:チャン・ジン 出演:シン・ハギュン チャ・スンウォン イ・ジェヨン シン・グ パク・チョンア チョン・ドンファン キム・ジンテ コン・ホソク
2005年韓国
posted by フェイユイ at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月06日

オダギリジョー主演、キム・ギドク監督最新作の公開が決定!

オダギリジョー主演、キム・ギドク監督最新作の公開が決定!

いつも観るまでに時間がかかってしまうキム・ギドク映画ですが、今回は日本人俳優しかも超人気オダギリジョーということで対応早いですねー。
ちょっと笑ってしまいますが、これでDVD化も早いでしょうし、楽しみです。
ラベル:キム・ギドク
posted by フェイユイ at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする