

Happy Together
何度も何度も観てやはり好きな映画だ。
美しく印象的な音楽と映像が細かく千切られて貼られていったモザイクのようなイメージの作品でどうしてこんなに悲しみのこもった作品となったのだろうか。
故郷とは逆さまの場所にある国を彷徨うウィンとファイを演じるのはレスリー・チャンとトニー・レオンだがウォン・カーウァイの物語の中で彼らは違う誰かになってしまっているようだ。
無論、この映画を単なる映画としてはもう観ることができない。レスリーという自分の心の底に深く沈んでいる思い出の人が映っているからで彼がどうやってウィンという人物を描き出し得たのか、この映画の中の彼は自分にとってウィンという他に変えられない唯一の存在である。
そしてまたトニー・レオン演じるファイの悲しみも愛も忘れることのできないものだ。
彼らは行き着くことのできない世界の果ての滝を目指し、そしてかなわなかった。
道に迷い彼らは到達できなかったのだ。
ファイが一人でなら行けた場所へ彼らがたどり着かなかったことが二人の運命だった。
彼らが手にしたのはくるくると回る偽もののような電器スタンドだけなのだ。
ウィンの魅力は怖ろしいほどだ。自分の美貌を知っていて男達が彼に求めているものを知っている気まぐれでどこかに留まるということを知らない。彼はいつまでも彷徨う魂なのだ。
ファイはウィンを愛し憎んでいる。ファイが最も幸せだったのはウィンが両手を使えないほどケガしていた少しの間だけ。わがままでぐうたらなウィンが彼に頼りきり、彼だけを必要としていた僅かの時間ファイは幸せだった。
ファイとウィンが狭いキッチンで踊る場面は切なく美しい。荒涼とした異国で頼れるのは二人だけだという寂しさともたれ合う甘い時間が感じられる。だがそれは一刹那でしかない。
そしてチャン・チェン演じるチャンの存在がある。彼もまた彷徨う魂なのだがウィンとは全く違う生きる力がある。
破滅を感じさせるウィンから逃れようとしたファイは生を感じさせるチャンに惹かれていく。
表面的なことだけで行動するウィンと違いチャンは目で見る物を信じず耳で心を感じ取ろうとする。ファイがふざけて「座頭市に似ている」と言うのがおかしい。目を閉じさせて似ている、と思ったのはウィンのことなのだろう。似ているがまったく違うのだ。
何度も観て何度も感じたことを書いているので同じようなことを言ってるかもしれないし、全然違うことを書いたかもしれない。
何度観てもいい映画だし、大好きな箇所がたくさんある。遠い国を放浪していることで感じられる物悲しさが大好きだし、病気のファイがお腹をすかせたウィンにせっつかれてご飯を作る場面なんかも好きだ。
モノクロと色褪せたカラーの映像、バースール、タンゴ、喧騒と静けさ、散りばめられた時間と記憶。
すべてがカレイド・スコープのように色と姿形を変えて繰り返される。
奇跡のような映画なのである。
監督:ウォン・カーウァイ 美術・編集:ウィリアム・チョン 撮影:クリストファー・ドイル 出演:レスリー・チャン トニー・レオン チャン・チェン
1997年香港