映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年06月20日

『イズ・エー』藤原健一

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[is A.]

映画と言うのは単なる筋書きではない、ということを教えてくれる本作であった。
少年犯罪、父と子の葛藤、空虚な心を抱えた少年たちが他には求められない愛情を互いに求め合う関係、などなかなか興味を引く設定と配役であるにも関わらず、出来上がった作品には心に沁み通っていくものがないのはどうしたことだろう。
悲しいかな、映像が映画に成りきれてない素人っぽい技術を感じさせてしまうのだ。
技量が及ばなければ良い素材があってもそれを生かしきれないことが判る。

それはTV的な顔のアップをはじめとするそれぞれのショットの構図が稚拙に感じられることや使われる台詞が陳腐であること。各人物の造形も物足りなさがある。ストーリーを表現する為の演出にももどかしさがある。
そういった技術的な未熟さがまず感じられるので作品の内面に入り込む障壁になってしまうのだ。

そして主人公の行動。少年犯罪による無差別爆破事件で妻子を殺された刑事は4年後出所した若者を撃ち殺す。
このラストは無論怒りで犯人を撃ち殺しても心の問題は解決しないことを訴えたかったのではなかろうかと思うのだがやはり同じく稚拙な表現の為にありきたりの感じ方を呼んでしまう。すべてが物足りないのだ。

少年犯罪の若者を小栗旬が演じていて彼は非常に魅力的だった。姜暢雄演じる若者から崇拝されている、という役でもあり二人の部分がとてもよかっただけにここをもっと描いてくれていたらよかったのに、と思う。小栗演じる少年は以前仲のよかった友達も殺害しているわけで、そういう関係に焦点をあてて父親や刑事の部分は少なくてもよかった。小栗旬が素晴らしかっただけに本当に勿体ない。残念である。

監督:藤原健一 出演: 津田寛治 小栗旬 姜暢雄 内藤剛志 戸田菜穂 水川あさみ
2003年日本
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2010年06月19日

どこまで落ちても底なし貧乏『ゲゲゲの女房』

こーしてワールドカップで盛り上がっている(いるのか?)最中にも『ゲゲゲの女房』夫婦はますます貧乏の奥底へと潜り込んでいく。
一体どこまで行けば貧乏の底に辿り着くのか。
幾ら落ちてもさらに、があるんだからなあ。
向井理さんも松下奈緒さんももう水木夫妻そのものになりきってる感じ。

貸本の不況に苦しむ水木家だが、実際貸本なるものが現在もうないのだから何ともし難い。
戌井慎二氏も気がかりで梶原善さんの演技が味わいあって楽しい。
昨日は変な人が登場した。不気味な漫画家だ。おまけにこいつ、貧乏神?ちょいちょい出てきて『ツイン・ピークス』のボブみたい。キラー貧乏だ。
タグ:NHK
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2010年06月16日

『ユメノ銀河』石井聰亙

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多分この映画で初めて浅野忠信を観て「こんな綺麗な人がいるんだ」と凄い衝撃を受けたのを覚えている。今観るととても若くて確かに綺麗だけど、もう少し年をとった方がもっと綺麗になってる気もする。とはいえ、ほぼイメージが変わらず今に至っている、と思えるのはやはりこの顔が好きなんだろうなあ。今の方が年をとった分面白みが出てて魅力的だが、この作品の彼は本当にミステリアスで美しい。

映像も音声もわざと荒くして本当に昔を思い出しているようだ。
古い型のバス、バスに乗って切符を切る女性の車掌さん、そんな彼女たちに高圧的な態度の運転士。車掌に憧れていたトミ子は失望する。
そんな時別の会社で同じく車掌の仕事をしている友人ツヤ子が死亡した知らせが届く。そして彼女から届いた手紙には彼女の婚約者であり運転士である青年・新高が彼女を殺そうとしている、と書かれていたのだった。
また女性車掌達の間では「新高と言う男は恋人に飽きたら殺して、次の獲物を探す」という噂が広まっていた。
その新高がトミ子の勤務するバス会社に転任し、トミ子と組んで働くことになる。トミ子は新高を怖れながらも次第に惹かれていくのだった。
ついに正体の判らない青年・新高とそんな謎の男に騙されまいとしながら恋してしまう娘トミ子。
物語は女性の少女期における不安定で微妙な心理を表現しているようだ。揺れ動き傷つきながらもしたたかに生き延びてしまう女の強さも描かれていく。
新高を演じる浅野忠信の謎めいた切れ長の目が印象的だ。繊細な指は確かに少女が恋する男性に相応しい。

夢野久作原作である。
バスの乗客として嶋田久作が最後に瞬間登場する。こちらも謎めいている。

監督:石井聰亙 出演:小嶺麗奈 浅野忠信 京野ことみ 黒谷友香 真野きりな 松尾れい子 嶋田久作
1997年日本
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2010年06月13日

『飢餓海峡』内田吐夢

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「昔の日本映画」を観る場合は名作・傑作と評価されたものが多いせいもあり、そうした「昔の日本映画」を観てはその面白さと新鮮さに驚くことが度々ある。
だが、無論数多く観ていくと別の意味で驚いてしまう場合もある。当然ではあるが今の感覚との違い、というだけで納得できないほどの違和感を持った時で、本作がそうであった。

先日『砂の器』を観た時に感じた違和感は演出において、であった。以前観た時はそこまで思わなかった音楽や悲劇的な語り口に必要以上の誘導性を感じ反発してしまったのだ。
今回は一体何だろう。演出としては地味で淡々としているので問題ないのだが、登場人物の人間性に疑問を感じた、ということになるのだろうか。
一番の疑問と嫌悪の対象は貧しい身の上の娼妓・杉戸八重である。
登場した時から奇妙な声でくつくつ笑うこの娘はどういう役割だったのか。この笑い声で私はもうどっと引いてしまったのだが。ある犯罪に巻き込まれ、大金を持って逃げる男・犬飼が怯えるのを嘲笑いながら恐山のイタコのふりをして布団を被り犬飼に覆いかぶさ「戻る道ないぞ、帰る道ないぞ」と笑いながら言う演出は八重の屈託のなさを表現しようとしたものなのかよく判らないが、むしろ犬飼の運命を彼女が覆いかぶさり運命から逃れられないという恐ろしい預言のようにすら感じてしまうのだ。
本作はこの娘をどういう女として描いているのか。表面上は田舎生まれの素朴な女が金を与えられた恩義のある男に対し一途に感謝し続ける姿を純真に描き伝えているように見える。その健気さをただ気持ち悪いと思っているだけならまだよかったが、10年後、恩人である犬飼が善行で新聞に載っていたのを見つけ、その人の家を訪ねていくのだ。
八重は犬飼が警察に追われている犯罪者であることも犬飼と自分が接点があることを警察が嗅ぎつけていることも知っている。その上で犬飼の家を訪ねることがどういう結果を引き起こすのか、まさか貧乏人や娼妓に考える能力がないというのではあるまい。結婚している男性の家へ若い女性が訪問するという行為だけでも浅はかなのに八重は知らぬふりをする犬飼に謝りながら恨み事を言い、挑発までする。これが時代の感覚なのか、この八重と言う女性が異常なのか。恩義のある人にまるで仇を返すような仕打ちではないか。何故本当に感謝であるのなら気持を察してすぐに帰らないのか。
これは、一見まるで純朴な女性の様相でありながら確かに八重は犬飼が善人へ戻ることはできないという預言を果たすが為に訪問したのではないか。感謝の言葉を伝えたいなどという八重がただただ恐ろしい。彼女は善人に帰ろうとした犬飼を帰させてくれない運命の女である。そう考えなければ何故彼女が愚かな行動をとったのかさっぱり判らない。彼女がひたすら犬飼を思い続けたのは感謝ではなく、何か恐ろしい思念が彼女を操ったと考える方が私には納得できる。
犬飼は八重を信じられなかったのではなく彼女のもたらす恐ろしい運命を感じとったから殺害したのだ。
彼女が犬飼を訪問さえしなければ事件は迷宮入りのまま終わったはずなのに。

警察の面々も皆、疑問である。
犬飼が書生と八重を殺害したのは映像として出るから明白だが10年前の事件は彼の言うとおり証拠がない。ここで警察が犬飼に対して発する言葉や行為はいかにも前時代的な権力主義でこの部分も映画が極悪な犯人に対する当然の行動・台詞として表現しているのか、権高な警察を批判しているのかいまいち判らない。というのは退役刑事の言動も「かつての事件で犬飼が燃やしたと思われる灰を見せて感情に訴える」という浪花節なものだし、高倉健演じる警察の取り調べは犬飼を罵って吐かせてみせる、という態度なのだ。ただ追い詰めてどうにかしようというのも科学捜査ができない時代ゆえではあるだろうが映画の上でもこの状態では現実の正義は望むべくもない。そのくせ船の上から献花をする時は手錠を外しているという意味不明の甘さを見せる。
かくして犬飼は海へ飛び込み、事件の真相は闇に葬り去られた。

私は犬飼が気の毒でならない。八重という女にさえ会わなければよかったのだが、運命というのはそうしたものだろう。金を渡さなくてもあの女は何か理由を見つけて追いかけてきそうだ。気持ちの悪い女だ。実際どっちなんだろう。可哀そうなのか、妖怪じみてるのか。両方なのか。ぞっとする。
警察も気持ち悪い。高倉健は大好きなのにこの刑事は耐えられない愚かしさだ。弓坂刑事は頑張りは判るけどやはりお粗末で哀れだった。威張って命令する上司がまた無様なのだが、これも本来どちらで見せたかったのか警察を良しとしてるのか悪としてるのか。この取り調べでは冤罪が多くなるのも頷ける。黙秘権を使うつもりか、って言う脅しはなんだろう。この時はまだ金持ちでも弁護士を通して、というのが通例化していないのだろうが、警察の権威をここまで悪質に描くのはどういうつもりだったのだ。

これは飢餓だけが問題ではない。時代によって同じ国の人間がエキセントリックにも不気味にも思える、ということなのだろうか。

監督:内田吐夢 出演:三國連太郎 左幸子 高倉健 伴淳三郎 三井弘次 風見章子 加藤嘉
1965年日本

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2010年06月11日

七転八倒『ゲゲゲの女房』

こんな貧乏はない、これ以上苦しくはならない、もう何か光が射してくるのではないか。と、毎日思いながら観てるのだが。
何しろご本人さんは近い将来必ず有名な漫画家先生になれることが判っているにも関わらず、何と言う地獄道。
ここが底だろうと思っているのにさらにさらに底があるのだ。借金がないのだけが救い、と思っていたが、そうか、家賃も電気代水道代も一種の借金にはなるのだよなあ。さらには毎日の買い物のツケもあるし、ミルク代はツケが効かない。

不思議なのは一応奥さんもしげるさんも実家はそれなりにゆとりのある家庭なのですがれば無視はされないのだろうけど、やはりそこへ頼るのは最後の最後、ということなのか。

それにしても働いても働いても我が暮らし楽にならざり、そのものの生活だ。観てて身につまされ、わがことのように心配になってくる。

それなのに持って生まれた性格なのか。お二人ともどこかのんびりしたとこがあるのですよ。それがいいのですけどね。

と、ここで最近マンガじゃないのですが水木しげる先生と色んな方の対談集『水木しげるの妖怪談義』というのを読んでいる。
これを読むとさらに水木先生がいかにのんびりした方かが伝わってきてますます好きになってしまうこと請け合い。
ドラマはあんまり妖怪が出てこないけど(貧乏神はいつも在宅。雨の日、水木先生が変なオカルト体験をしたけど)実際はもっと妖怪のことばかり考えてて妖怪が訪ねてきたりしてたに違いない。
でもこの本の中でも『河童の三平』を書いてた頃が一番貧乏だったと、ちょうどこのドラマの時期ですね。貧乏神がへばりついてたんですねえ。

そして今週一週間も大詰めになてどうにかなるのかと思ったらまた変なのがやってきた。大蔵省って何?貧乏神と一体化してたし、なんだかよくわからんよう。
今週は明日まであるけど、最後の最後で好転するのか。それともまた来週まで貧乏持ち越しか。

赤ちゃんが可愛い。ぷくぷくして。早く幸せになって欲しい。向井理さん、40歳過ぎの役っていうのが面白い。
タグ:ドラマ NHK
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『江分利満氏の優雅な生活』岡本喜八

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昭和と言う時代はホントに物凄い時期だったんだよねえ。激動というけど全く大げさではないのだから。

主人公はサントリーの宣伝部に勤めているサラリーマン、というちょっとお洒落な感じなのだが本人は自他共に認める地味で冴えない中年男。36歳というからいまで言えばまだ中年と言い難いくらいだが、この当時はこういうものだったのだろうか、すっかり中年の真っただ中のいう風格である。
岡本喜八監督らしい凝った演出で、勢いよく軽妙にこの主人公・江分利満=EveryMan氏の人となりや生活を描きだしていく。
彼はまさに戦後日本の高度成長期、日本人が戦前と生き方考え方が変化していくその最初の段階の人間である。彼の父親は戦争という機に乗じて財を築き上げた実業家で何度失敗し倒産してもやり直し挑戦し続けた不屈の男だが、息子の江分利満はその生き方考え方に反感を持つ。例え父親が莫大な財産を築き揚げ、今の自分より遥かに贅沢な暮らしを満喫してきたとはいえ、それが戦争という犠牲を払わねばならないものなら貧しくとも平和がいい、と熱く語る。
それはちょうど昭和という時代と共に生まれ育った彼の年代が最も感じることなのだろう。ちょうど青春期と戦争が重なりあってしまう年代である。同じ年頃で戦死し恋人や妻と死別した若者も多くいたのだ。
昭和30年代をのほほんと生きているように見える江分利氏の心には沸々と煮えたぎるものがあったのだ。

江分利氏は実業家の父とは違い、うだつのあがらないサラリーマン生活でなんとか父と妻子を養っている。酒を飲むのが楽しみだが酔うとクダを巻くので彼と飲みたがる仲間はいない。仕方なく一人で飲みに出かける。
そんなある夜、酔っぱらった江分利氏は突然で出会った出版社の男女になんと小説の執筆を頼まれ引き受けてしまった。仕方なく江分利は自分の日常を書いてみる。それが『江分利満氏の優雅な生活』である。この小説は思いもよらず大受けし直木賞を受賞してしまうのだった。

説明が前後してしまったが、この受賞に会社での祝賀会の後、江分利満氏が残った若手社員にこんこんと演説するのが先に書いた江分利氏の戦争とそれに関わった人々への怒りの言葉であった。
それを聞く若手社員達にはもう江分利氏のような戦争への感慨はないのだ。
貧乏な中で結婚し、下着は穴だらけのランニングと白い張り合わせただけのパンツという江分利氏。若い社員はブリーフである。
この場面、朝の通勤を下着姿で歩かせる、という演出。笑える。
父の借金と子供や妻の持病もありながら何とか一家を支えていこうと頑張る江分利満氏の生活がしみじみとしながらも大いに笑える、やはり岡本喜八監督の傑作であった。

桜井浩子さんと二瓶正也さんが出てると『ウルトラマン』みたい。
当時の風景を観てると楽しい。まだまだ道路が舗装されてないのだ。この頃の花嫁さんは黒い着物なのだよね。

監督:岡本喜八 出演: 小林桂樹 新珠三千代 矢内茂 東野英治郎 英百合子 江原達怡 田村奈己 ジェリー伊藤  桜井浩子  二瓶正也
1963年 / 日本  
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2010年06月08日

『浮雲』成瀬巳喜男

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これは面白い。ちょうど昨日観た『ヴィヨンの妻』の設定そのままでヒロインを佐知=妻から心中未遂の相手女性(広末涼子)に置き換えたような作品だった。

戦時中、仏印(ベトナム)の日本農林省の事務所にて。小説家ではないがいかにも文系な趣のある痩せ形二枚目富岡(森雅之)は女一人で赴任してきたゆき子(高峰秀子)と恋に落ちる。
富岡は内地(つまり日本)に妻子があったが、二人が帰国した後は結婚しようと約束する。
だが夫の帰りを待っていた妻を見て富岡は離婚の決意を鈍らせる。

原作は林芙美子だが、富岡の容姿も言動も女からのモテ方もまるで昨日の太宰治原作『ヴィヨンの妻』の大谷にそっくり。だが作品として違うのは昨日の作品が原作も監督も男性であるのに、こちらは監督は男性だが、原作・脚本は女性の手によるものなので色男の女への視線手管の描写が辛辣なのとやはりヒロインが男の理想的存在(ま、取り敢えず日本男性の)明るくて素直で忍耐強い佐知という妻でなく、絶えず嫉妬し続け、ねちねちと愚痴を言い続け、何かと言うと泣きだすゆき子という腐れ縁の恋人(愛人とも言い難い)に変わり、男にとってはかなり疲れる存在になっている。それでもことあるごとに女性との関わりが生まれる富岡なのである。大谷より働く気持ちはあるのだがさほど金を作る能力はない。
太宰原作にも関わらず、包容力のある前向きな佐知のおかげで希望のある作品となった『ヴィヨンの妻』に比べるとこちらの方が遥かに太宰的なようであった(太宰知らんのに言えないが)

『放浪記』に比べると驚くほど美人になった。外見的には眉の違いだけなのか。女優というのは凄い。高峰秀子演じるゆき子がりんとした姿で仏印の森の中に立つのが美しい。何度も何度も愛する富岡に裏切られ傷つきでもどうしても別れきれない。
富岡は酷い毒舌家なのだが、ゆき子の方もかなり富岡に言うことは言っている。富岡はそんなゆき子からの罵倒を受け流してしまう気質のようでこの二人は別れそうで別れきれずずるずると関係を続けていく。その間にも富岡の妻もあるし、二人が心中の話をする旅先で知り合った若い女性と富岡が突然恋仲になってしまったりもする。この若い女性おせい(岡田茉莉子)はむっとした顔で登場するのだが富岡は文字通り一目惚れで彼女と関係を持ちそのまま温泉に入るという早技を見せる。昨日の大谷なんぞまだまだ甘ちゃんだ。
その後も富岡の部屋に飲み屋の若い娘が勝手に座ってたりとゆき子の心は休まらない。
やっと富岡の妻も若い恋人おせいも死んで(って考えたらおっかないね)二人きりになれるとゆき子は富岡の新しい赴任先・屋久島へ同行する。ところが何と言う運命か、やっと夫婦のような生活ができることになった途端、ゆき子は奇妙な病気になってしまい毎日が雨のような湿気の多い屋久島で激しく咳きこみ命を落とす。今迄散々裏切り続けてきた富岡はここにきてゆき子を甲斐がいしく看病していたのだが仕事中にゆき子が死に、最期を見とりながら男泣きに泣き崩れるのだった。

恋愛物ってあまり観ないのだが、なんだか浮かれたものだとか、お涙頂戴ものだとかになるんだろうけど、これはこれでもかと苦い味のものだった。ゆき子も富岡も甘い言葉など殆どなくいつも互いを悪く言ってばかり。なのに別れきれない男女の仲。っていう奴ですな。
『放浪記』のふみ子に比べると自分的には拒否な話だがやはり監督も脚本も俳優も上手いせいか観てしまった。ここまで凄まじいと面白くなる。
高峰秀子はこの作品でも声も表情も殆ど暗いのだが、時折はっとするほど美しくなる。

そんなゆき子が途中結婚する相手がなんと彼女をほぼレイプしたかのような初体験をさせる男・伊庭杉夫(山形勲)なのだが、インチキ宗教家になって大金持ちになりゆき子と結婚して暫し裕福な暮らしをさせてくれるのだ。結局嫌な思いをするのが嫌だと言って逃げ出してくる。その後、病気になるのだが一体ゆき子は何故病気になってしまったんだろうか。不気味でもある。

監督:成瀬巳喜男
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『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』根岸吉太郎

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色んな生き方がある。どの生き方がいいのかは本人がこれでよし、と思うかってことなんだけど。

本作のヒロイン佐知は低きに水が流れるが如くの生き方で自分を主張せず運命に身を任せながらもその時その時を懸命に生きていく、という今ではちょっと珍しくなってしまった女性像だが、かつての日本女性の典型というか少なくとも理想の女性だった。しかも夫である大谷が言うように「何を考えているのか判らない。何か隠していることがある」不気味さ、言いかえればミステリアスもある。且つ器量がよくて明るい気性なら佐知のような3人の男から菩薩のように思慕される。
咥えるに佐知はややエキセントリックでもある。結構なにを言いだすかなにをやり始めるか判らない。始め辻を好いてていきなり大谷と結婚してしまう。突然居酒屋に押し掛けて働きだし店の看板娘(既婚子持ちでありつつ)になってしまう。夫を助ける為、弁護士・辻と「大谷に言えないようなこと」をやってしまおうと町のコールガールからルージュを買ったりする、風変わりな女性でもある。
何事にも抵抗せず、自由気ままにふるまっている。

比較してしまうのが先日観た成瀬巳喜男監督『放浪記』のふみ子である。彼女は運命にも男にも絶えず挑みかかり戦い続け傷つき苦悩する。佐知と違って男からも女からも嫌われる確率が高そうだ。反面強く支持されもしそうな女性である。
できるなら佐知のような生き方の方が本人も周囲の人間も傷つかずしんなりと暮らしていけそうだ。だからこそこういう素直な女性を鑑とする価値観が日本にあるのだろうが、そういう生き方にどこか反発していったからこそふみ子のような女性の生き方を目指す時世になったんだろう。反発する、というのはもっと自己を出したい、ということだ。佐知のように男に添って生きるだけの生き方に疑問を持ったのがふみ子の生き方なのだが、男や運命に反抗し生きることはやはり傷つき疲れることになるのだ。
佐知のようにしなやかに抵抗せず生きるのとふみ子のように文句をぶちまけながら戦い血を流して生きるのとどちらを選ぶかはその人それぞれである。とは言え、普通の女性ならその二つの折り合いをつけながらしたたかに生きていってるんではなかろうか。
私自身は佐知のような生き方をしながらふみ子のような生き方でありたいと願っている。

さて本作の出演者については、浅野忠信の大谷は彼のこれまでの役の中でも際立った演技だと思う。情けない男でありながら女がすぐ惚れてしまう色男を感じさせる。
佐知の松たか子。私は彼女の顔はTVで見るのだが、演技というのは映画として初めて観るようだ。佐知が夫の犯罪を居酒屋夫婦から聞かされ笑うという箇所が最初にあり夫婦もつられて笑うのだが、これは相当難しい演技になる。実を言うと松たか子のこの笑いが納得いかず一度観るのを止めてしまったのだ。2度目観て難しいのだろうと我慢したが終始彼女の佐知というのが私にはしっくり感受できなかった。
工員の妻夫木聡も弁護士の堤真一もいいとは思えなかったので私には合わない映画だったのだ。浅野だけがいいと思えるのも困ってしまう。
広末という人もほぼ初めての気がするが、彼女は良かったし、綺麗だった。心中未遂後、広末演じる女が佐知に会って「ふふん」という顔をするのが好きに思えたのは私が佐知が嫌いだからなんだろう。

戦う女性より癒しの女性を求めるのはいた仕方ないかもしれないが私は反抗してみたい。

佐知が万引きで捕まった場面に新井浩文がちょこっと出てたよ。

監督:根岸吉太郎 出演:松たか子 浅野忠信 室井滋 伊武雅刀 広末涼子 妻夫木聡 堤真一 光石研 山本未來 鈴木卓爾 新井浩文
2009年 / 日本
タグ:人生 女性
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2010年06月07日

中田英寿×本田圭佑 対談

中田英寿と本田圭佑の対談がTVで放送されると聞いて楽しみにしてたのに耄碌して忘れとった。
こういう時はもーYouTube頼みで観させていただきました。

うんうんいやー思った以上に楽しかった。二人とも凄く話すことがある人たちなんで。本田君はさすがに若いしヒデさん相手にちょい興奮気味で眼がきらきらして可愛かった。中田はまーもーいつも通り落ち着いててでも何だか嬉しそうだったなあ。笑顔出っぱなし。昔風で言えば自己チュー対談なんだけどヒデのいうことは素晴らしく正論ばかりで本田君にはますますワガママぶりを発揮してくれることを願うばかりですね。
この前の本番前の3試合でもそれほど爆発はできなかったかな。トゥーリオにしてやられてましたしね。大久保の方がなんか見えてた気がするし。
でもやっぱ本田圭佑のこの感じ凄く好きなんでワールドカップメチャ楽しみ。
中田も南ア共和国行くのだけど充分気をください。ほんとに危ないみたいなんで。

ヒデはやっぱ本田のこと憎からず思ってるわけですよね、これって。
タグ:サッカー
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今回は『鬼龍院花子の生涯』

毎日、性懲りもなく書き続けている拙ブログ、最近はアクセスほぼ500〜600していただけて有難い限りなのだが、つい先日から『鬼龍院花子の生涯』五社英雄、にアクセスが集まり、昨日は1240という(多分)初めての記録となった。
以前突然こういう状態になった時は出演女優の一人が当時話題になったという原因だったのだが、今回も?
判らないが、時々こういうハプニングが起きるのがおもしろいのだよね。
posted by フェイユイ at 10:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月03日

今頃ですが。1日に『ゲゲゲの女房』に出てたね

6月1日のゲゲゲの女房に塚本晋也監督が出てたー。
今、リメイク『鉄男』が話題になってたりしてるんで、まさか、と思ったのだが(忙しいのではと)やはりご本人だったのだよね。
映画では自身出演される時物凄く怖いのにドラマだと優しいお父さん(『セクシーボイスアンドロボ』とか)なのだ。

ドラマ的には相変わらずどうなるかどうなるか(って判ってるけど)という苦しい繰り返し。今回もとうとう奥さん社会進出かと思ったらご懐妊。なかなか難しいのよねー。

最初、酷いと言われた視聴率は18%台になってるから、これは確実に伸びてきてるってことでいいのかな。

少女漫画家志望の女の子にアッキーナ。こーゆー格好してるとより可愛さが引き立つような。

これも随分前だけどしげるさん(向井理)が言った「まさに特攻精神ですな」というのがちょっと受けた。
タグ:ドラマ NHK
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2010年06月02日

『シルクロード 第一部 絲綢之路』第三集「敦煌」

敦煌そして莫高窟。巨大な壁画美術だ。DVDなんかで観る分には構わないが実際これを観るのはかなり疲れそうだ。
一体どれほどの年月とどれほどの芸術家たちがこの為に費やされたのか。

凄まじいゴビ砂漠の荒涼たる景色の中に現れる莫高窟。夥しい数の仏の姿は単なる絵ではなく時には金の冠が盛り上がるように施され時には浮き彫りの仏像としても作られ、絢爛豪華な色彩、時代の移り変わりと共に変化し洗練されていく。
中にはまるでフォービズムを思わせるような力強いタッチで描かれたものもあるのだが実はこれが時間を経た為の顔料の化学変化によるものだというのが却って面白かった。
有名な交差された脚の釈迦像であるとか、なんとも艶めかしい仏の姿も見える。

宗教画というのはその地によって変化していく。キリスト像がいつの間にか白人の顔に変わってしまうように釈迦の顔も極東に行けばその地の人間の顔になる。西の文化に近ければ釈迦像の御顔も彫が深い。
また胡旋舞という華やかな踊りの絵も残されている。
数多くの飛天の姿も時が移るにつれ洗練されていく。
当時の遊女たちが資金を出して作らせたと思われる質素な壁画もあり、人々の様々な思いが込められているようだ。

第16窟という小さな部屋がありそこから多数の経典が発見されたのだが何故そこに大切なものが保管されていたのかという謎がある。そこには高僧の像が安置されお付きの者の絵が描かれているのだ。『敦煌』の著者井上靖氏はすべての謎は彼らだけが知っている、と笑う。

今回の番組は、井上靖氏の「敦煌はシルクロードの始まりであり、中心であり終着である」と言う言葉で締めくくられた。
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2010年06月01日

『放浪記』成瀬巳喜男

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先日観た1974年製作の『砂の器』の演出には酷く時代の違いを感じ古臭く思ってしまったのだが、本作『放浪記』は1962年の作品なのにむしろ今現在作られたかのような驚きを感じてしまった。
これは決して大げさに言ってるつもりではない。この不況の昨今、学校は出ているものの飛び抜けた学歴でもなく何とか女一人生き抜いていこうとするふみ子が何ともふてぶてしく日本映画の女性像の中でとんでもないアウトサイダーではないかと見入ってしまったのだった。

タイトルが『放浪記』であるからもっと早く観るべきだったと思う。が、どうしても舞台のあれのせいもあってどこか敬遠してしまっていた(舞台を観たわけでもなく、勝手な食べず嫌いである)どこか好きになれそうにないものを感じていたのだ。
TVで時折観る森光子さんの元気いっぱいで明るい可愛いふみ子といったドラマを観るのは気が進まなかった。
ところが本作、映画『放浪記』で高峰秀子が演じるふみ子の不器量なことといったら。まん丸顔で下がった眉なのだがいつも不貞腐れ愛嬌のいうものなどまったくない。優しくされても好みでない男は見向きもせず美男子には惚れっぽい。しかも惚れた男がことごとく碌でもないという男運のなさ。うん、これって時と場所を変えればすっかり今の働く女性そのものじゃない?男に振られて泣きだしても暫くすればけろりと起き上がって小説を書き出すたくましさ。
微塵も女の可愛らしさ、だとか守ってあげたい、だとかどーでもいい話なのだ。
欧米もので女流作家の映画っていうのも数々あって観てしまうのだが、大体においてタフである。日本の女流作家も決して引けをとってはいないじゃないか。

ふみ子と言う女性の酷く辛い人生を描いた作品である。食べるのにも困る貧乏生活、だらしのない男達、そしてやっと念願の作家になれば締め切りに追われ眠ることもままならない。
47歳という若さで亡くなった。まさに「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」の人生だった人だ。
だが映画は苦しさよりふみ子のにらみ付ける顔が印象的だ。何度も男に騙されてほろりとしてしまう弱さが普通は嫌いだがここでは救いになっている。
蝋燭一本立ててがむしゃらに原稿を書いていく、ふみ子。綺麗な女給さんが見惚れるのも判る。かっこいいなあ。

共演者の顔ぶれが物凄い。ふみ子のお母さんが田中絹代だし。優しい安岡さんが加東大介だ。素敵なのになあ。

監督:成瀬巳喜男 出演:高峰秀子、田中絹代、宝田明、加東大介、小林桂樹、草笛光子、仲谷昇、伊藤雄之助、加藤武、文野朋子、多々良純
1962年日本
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2010年05月30日

『砂の器』野村芳太郎

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昔一度映画館で観たきりなのだが、その時深く感動し、何度もこの映画のことを思い出しては話題にしたものなのではっきりした記憶を持っているつもりだった。
今回観たのもその記憶をもう一度おさらいしようと言うものだったのだが。

これについては記憶の中だけに留めていた方がよかったのか。昔観た時や思い出す度蘇っていた切なさは今日感じることはできなかった。
物語は確かに覚えていた通りだが、特に後半の演出が思った以上に過剰でむしろ作品の良さを損なっているように見えたからだ。
テーマ曲『宿命』はこれの為に作られたんだろうから仕方ないとしても今聞くと感情過多に思え役者陣の演技も同じようにたかぶり過ぎでくどいのである。それが気になるせいもあって、前には感動の支障とならなかった英良の犯行動機も今回は納得がいかず虚しさだけを感じてしまう。また英良の現在の周囲の人々の描き方がどうにも気持ち悪い。何故芸術家というだけでなく政治家と結びつこうとしているのか、もよく判らないが、それは我慢するとしても、娘や愛人を描写する場面はなくてもいいと思える。特に愛人と英良の関係が煩わしい。愛人も本気で一人で育てるつもりなら黙ってさっさとどこかへ行けばいいのだ。英良も本気で子供がいらないのならちゃんと処置をすればいいではないか。などと枝葉末節で悪態をついてしまう。
丹波氏の演技が大げさなのはさほど気にしていないつもりだったが、刑事達面々の前で涙を拭いながら調査報告をするのは興ざめであった。
つまりはこういった演出過剰や音楽や男女関係の表現などがうざったいのである。英良が三木巡査を殺害したのも今風に言えば彼のおせっかいが過剰で「重い・・・」からかもしれない。

そうした記憶の中のイメージとの違いで落胆したのではあったがそれでも前半、丹波氏演じる今西刑事の調査の為の旅行、東北へと出雲へと大阪への旅の風景描写はとても素晴らしかった。
若い刑事と連れ立って或いは一人旅で列車に乗り田舎の人々を訪ね歩くと言う部分は今観ると昔より以上に味わい深く観ていた。映画館に寅さんこと渥美清氏が勤めている場面は効いている。
そしてこの映画の最も見せたい部分であろうハンセン病を患った父と息子の旅、これは今西刑事が言うように想像の中で思い描くものになるのだろう、病気の為に疎んじられ石をなげられ蔑まれながらも行くあてもない父子が寄り添って旅を続ける。抱きしめ合い、ささやかな食事をする場面にはやはりぐっと来るものがあった。
この映画の父子の旅の場面が映画史上に残ることには間違いない。
悲しく辛い旅なのにこの部分が物語の中で一番暖かく感じられるのだ。

監督:野村芳太郎 出演:丹波哲郎 森田健作 加藤剛 島田陽子 山口果林 緒形拳
1974年日本

タグ:家族 差別
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2010年05月27日

『鈍獣』細野ひで晃

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浅野忠信って人はいつも風変わりな映画に出る人ではあるのだが(そしてそこが好き)あまりに変てこな役のようなのを見て気になっていた。
やっと観れたのだが、これは浅野っていうだけじゃなく凄く面白くて最近ないほどのめり込んで観てしまったよ。

めちゃめちゃはちゃめちゃな映画みたいで非常に計算され尽くされた感じが心地よい。ド田舎にこんなホストクラブがあるんだろうか。きっとどこかにはあるんだろうなあ、的なド派手なホストクラブしかも4Fだし?田舎ってあんまり高くないよね、建物って。でも浅野忠信こと凸やんが登場する為にはこの4Fが必要なのだ。

まあ私てきには浅野氏演じる凸やんが可愛くてしょうがないんだけど。一体どうしてこんなに強いんだろうか?
そして何故彼はここへ来たんだろうか。
東京の雑誌出版社から行方不明の小説家凸川を探しにやってきた女性編集者は彼の故郷で彼の幼友達と会い彼の消息を掴もうとするのだが。
そこにいた連中も彼らの話の中の凸やんもとんでもなくシュールで「普通の人」である女性編集者は話を聞くほど迷路の奥に入り込んでしまう。
田舎ってシュールなんだよね。本当に覗きこめばこの作品よりもっとシュールだと思う。奥深いところへ行けば行くほど理性で理解できない世界にはまり込んでしまうのよ。
でもそんな彼らが怖気づくほどもっと違う世界にいるのが凸やんで。
ほんとは酷く恐ろしい話であるのに凸やんが強いおかげでおかしくてたまらない話になった。
最後には無理矢理深い友情によって結ばれてしまう。
変な話なんだけど絶対忘れられない話になりそう。

キャスティングがまた滅茶苦茶よい。
浅野=凸やんを小学生時代苛め続けた悪い奴でホストになった男を北村一輝、その腰ぎんちゃく的存在のおまわりさんをユースケサンタマリア、どちらもどんぴしゃだ。唯一のホストの愛人(16歳の時から愛人だって)に南野陽子、東京から来る編集者に真木よう子、綺麗だった。
そして一番ねじが外れてるかもしんない女の子ノラに佐津川愛美、可愛かった。
そして時折やってくるジェロ。凄く可愛いんだけど北村さんにガンガン怒られて追い出されて可哀そうであった。
相撲が大好きな田舎なので大乃国が登場。冒頭の事故場面から何度も出てくる。さすが存在感あり。

これっていやホントに凄い面白い。こういうとんでもないの見せられるとやはり監督の次回が気になるなあ。どういう方向から来るんだろう。

監督:細野ひで晃 出演:浅野忠信 北村一輝 真木よう子 佐津川愛美 ユースケ・サンタマリア
2009年 / 日本
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夫婦愛溢れる『ゲゲゲの女房』

『ゲゲゲの女房』引き続き観てるけど質が落ちることなく面白い。水木しげるさん役の向井理さんも今ではすっかりしげるさんとして観ててとても素敵な人だと認識中。無論奥さんの松下奈緒さんも美しい。
貧乏生活ながらも互いにいたわり合い支え合ってて、今、こんなに本当に愛し合っている夫婦の話って他にないんじゃないか、と思ってしまう。
水木さんが片腕で一所懸命マンガを描いてて奥さんも懸命に何かお手伝いできないかといつも考えてる。二人の生活が自然に描かれていってるのがとてもいいのだ。

今回は少女漫画家志望の可愛い女の子が水木家に現れて初めて焼き餅的な話も入ったのだけど、しげるさんがひょうひょうとしてるんでよかったなと。
それでもどうなることやらとはらはらしてる毎日だ。

奥さんが豆を買ってきてしげるさんが淹れたコーヒー。凄く美味しそうだったな。
タグ:ドラマ
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シベリア抑留

先日NHKクローズアップ現代で『シベリア抑留 終わらない戦後』と言う番組があった。私は途中からしか観れなかったのだが改めて考えさせられた。

というのは最近、シベリア抑留について知りたくなり、図書館へ行って本を幾冊か読んだばかりなのだ。あったのは『戦後強制抑留史』というまだまっさらな全6巻とちょうど番組に出演されていた辺見じゅん氏の『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』そして斉藤四郎 著 / 船木拓生 編『シベリアの静寂、いまだ遠く』という数冊だった。
抑留史というのは数は多いのだが何しろ中身が統計的記録的なものが殆どなので素人には内容が掴み難い。やはり細かく状況説明がある他の2冊が非常に素晴らしかった。

辺見じゅん氏の著書は受賞もしていると言う作品で山本幡男さんという一人の抑留者を主人公にして彼が極寒でのシベリアの過酷な労働生活の中で仲間を励まし常に前向きで誇り高く生きていたのかを優れた筆致で描き出している。
明日をも知れない状況で仲間と共に芸術や学問を続け必ず帰れるのだと皆に言い続けた12年間。そんな彼に対して仲間の思いと行動に胸を撃たれてしまう。
彼自身はロシアが大好きでそれだからこそロシア語にも堪能だったという人である。なんて皮肉な運命なんだろう。

もう一冊の『シベリアの静寂、いまだ遠く』は実際に抑留体験のある方の文章を別の方が編集されている著書で、もっと生々しい体験が描かれていた。辺見氏のは作家としての一つの作品で読んでいる間はただ感動だったがやや美しすぎるのかもしれない。こちらは男性としての性の問題(と言っても栄養失調で何もできなかった、という問題だが)や餓えた人間はもはや尊厳もなくしてしまう悲劇などが描かれる。また美男子であった仲間がソ連兵や奥さん方に気に入られて優遇され彼だけは食事も衣服も与えられていた、というような事実もあったのだ。多くの人が1年目の冬を越せず、田舎育ちで野草に詳しく体が小さいほうが生き残れる、と書かれていた。

ポツダム宣言などの抑制もきかず、戦後であるのに57万以上の人々が抑留され多大な死者を出すほどの極悪な条件で過酷な労働に従事させられた彼らには何の保証もないばかりか帰国後酷い差別を受けている人も多かったらしい。また中には16歳の民間人もいたという。
戦後65年経っても今だ調査が済んでいないからという答えしかかえって来ない日本社会。本人はもとよりその兄弟子供も高齢化してしまった今ではただ時が過ぎ去るだけということなのだ。

先日ドイツ映画の『6000マイルの約束』というシベリア抑留から脱走した兵士の映画を観たが、日本ではこの題材の作品というのも殆どないようだ。「触れてはいけない」ということなのだろうか。

シベリア抑留 ロシア人の手で初上演
タグ:歴史 戦争
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2010年05月23日

『赤軍-P.F.L.P.世界戦争宣言』若松孝二 足立正生

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『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』を作った若松孝二が監督の一人であったので興味をそそられ、しかも製作が1971年というまさにその時代の記録とはいかなるものかと観てみたのだが。

まさか、ここまでだるい内容だとは。作品の構成などが単純であるのは予算などの問題もあって仕方のないことかもしれないが語られる言葉があまりにも子供なのだ。
考えてみれば当然かもしれない。当時は自分自身が子供で世の中で恐ろしいことを起こしている若者(というより自分にとっては比較的若い大人)がいるのだとぼんやり感じている程度だった。時が経ち自分が成長した時点では彼らはもう話題になることも無くなってしまった。時折思い出しても彼らのことを語るものが少なすぎた。無論これは自分が本気で調べようとしてなかったせいもあるのだが、ドラマや映画や小説や漫画などで評判になるような作品は暫くの間なかったと思う。
自分が年をとって本作を観ると逆にその未熟さに唖然としてしまう。当時自分がまだ彼らと同調できる年齢でなかった為懐かしさなどという感慨がないせいもあるのだろうか。
言葉を覚えた子供がそれを使いたくて何度も口にすることがあるが、「世界戦争」「プロパガンダ」「武装闘争」などという言葉を何度も繰り返す。通常使う言葉ではない口調で語られる論理はまったく整然としておらず区切りもないままにだらだらといつまでも続けられる。話す方も聞く方も意味が判っていたのだろうか。
悲しいのはプチブルであることを捨てプロレタリアートであるレバノンの人々と同じ生活をすることによって真の闘争ができる、というくだりだ。その土地に住みながら土地を追われた人々は彼らの言葉そのものの「生きる為に戦う」のだが、安全な場所で育ちながらあえて他の国に乗り込んでいった彼らが「生きる為に戦う」というのとではまったく意味が違う。多分裕福な育ちながら貧困層の為にゲリラとなったチェ・ゲバラを理想としているのだろうが、自分たちの思想の表現がこんなにまとまりなく伝わりにくいのではインフォメーションの役割を果たしていない。彼らによるとインフォメーションとは真実を伝えることなのだそうだが。

ただただ当時、ある思想のようなものを抱いたと思い、拙いプロパガンダを抱いて行動を起こし、常軌を逸した数々の事件を巻き起こしていった若者たちがいたのである。
その思想は時を経て聞けば覚えたての新しい言葉の羅列に過ぎなかったのではないだろうか。
平和の為に武力闘争をすると信じ自我をなくして団結し殺人を犯していくことが本当に正しいことだと繰り返す彼ら。
本来なら恥ずべき過去として葬ってしまいたい映像なのかもしれない。
そうした時代を映し撮ったこの映像は確かに翻って考えれば貴重なものなのだ。

監督:若松孝二 足立正生
1971年日本
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2010年05月09日

『シルクロード 第一部 絲綢之路』第二集「黄河を越えて〜河西回廊1000キロ〜」

昨日とは大きく違い、どっと見知らぬ異国へと入り込んでいく。
黄河の水をくみ上げる左公車という巨大な水車があり、さすがスケールがでかい。というか日本のようにこじんまりした国に住む者には河も砂漠も磨崖仏も涅槃仏も何もかもがでか過ぎ大き過ぎである。こういう場そに住む人々は精神構造が絶対違ってくるのだろうな。

昔の人々は東西を行き来する為に黄河を渡り、そして水のないゴビ砂漠を渡らねばならなかった。半日をかけて次のオアシスに辿り着くという命がけの道を探しだしたのだという。乗りものが馬ではなくラクダになると突如感じられる異国情緒。砂漠の尾根をラクダの一行が通っていく情景はそれだけで必ず潜む危険と何か宝物が隠されているようなわくわくするものがあるのではないか。
漢民族が西域から求めたものが早く駆ける馬であってその理想を燕を踏んで駆けていく馬の像にして表している。天馬の如く駆けていく。これもやはり広大な土地を縦断横断せねばならない人々だからこその願いでこういう望みも日本にはあまりなかったんではないだろうか。

張掖の町は当時の漢民族が作り上げたオアシスの町でも第2に大きな町で特に東西の交流が盛んだったという。13世紀末、マルコ・ポーロが1年間滞在したらしいのだ。

そして万里の長城の最西にそびえたつ嘉峪関。ここには故郷を離れ西域から国を守る為、兵士となって戦う若者たちが集った。
様々な時代の様々な土地に生死の物語がある。
そしてそういう物語によってシルクロードも続いていったのだ。
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2010年05月08日

『シルクロード 第一部 絲綢之路』第一集「遥かなり長安」

何だかNHKづいてるようだが、またもNHKの昔の番組『シルクロード 絲綢之路』第1集「遙かなり長安(1980年4月7日)」を観た。
問題も色々とある番組みたいなのだが、ここではその内容についてのみの感想である。
私としては昨日までシベリアをうろうろしてたので少し南下したのであった。

NHKのドキュメンタリー番組と言えばまずこの名前が挙がってくるだろうと思うし、自分も観ていたことは確かだが、やはりこれもすんなり頭に入っているわけもない。

デジタルリマスター版となっているがそうなのかな、と思うほど映像の肌理が荒く思えるしシンプルと言うべきか非常に単純な作りに見える。
喜多郎(またまた。鬼太郎ではない^^;)の音楽と石坂浩二さんのナレーションがなかったらかなりとっつきにくかったんではなかろうか。
しかし1980年に製作されたということですでに30年の月日が経っている。映像の中の酷く昔のように見える中国と人々の様子。服装は殆どあの味気ない(というか今観れば不思議な味わいの)人民服である。
兵馬俑が発見されて数年後まだまだ恐ろしい数の兵馬さんが発掘途中でNHKスタッフが現地の人に2000年になってまたおいで、と言われていたりする。現在はそれをまた通り越してしまってるわけで。
一旦観始めると面白くなってしまう。
これは昔観ててもさっぱり判っちゃいなかったはずだ。
それにしても兵馬俑はじめ様々な絵画・工芸に見入ってしまう。兵馬の技術・デザインには目を見張る。西から伝わってきたキリスト教の絵画のキリストはすっかり東洋人みたいだ。それはインドからきた釈迦の顔もまたしかりだけど。

シルクロード・絹の道は長安に始まり長安に終わる。かつて絹の価値はその重さの金と同じであったという。
今のウイグル自治区であるホータンにはその当時絹が生産できなかった。が、蚕の繭は輸出が禁じられていた。そこでホータンの王は中国から花嫁を迎える際に蚕の繭を隠し持ってきてくれと頼み花嫁はその冠に繭を隠して嫁いだという。なんともスリリングな話ではないか。
1500年前のトルファンで作られた絹の造花が乾燥のおかげでまるで今作られたかのような形で残っているのにも驚きだ。

今回はこの長安での物語。距離だけでなく時間もまた遠くなった。
30年の月日は今回もまたこれから観る景色も人もどのように変えてしまったんだろうか。
ちょぼちょぼと折を見つけて観てみようかと思う。
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