映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年05月08日

NHKドラマ『ゲゲゲの女房』ずっと観てるんだよね、これが

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まじ(本気)で珍しくTVドラマ『ゲゲゲの女房』を観ている。リアルタイムでTVドラマを楽しみにしてるってどのくらいぶりだろ。
前回ここで書いた時はしげる夫妻が結婚前で二人よりも周りのベテラン陣を褒めていたが、上京して二人の生活が物凄い貧乏生活が始まってからはベテラン陣の出演はなくなってしまったのだが、今はもう主演二人にすっかり見惚れていて彼らの一喜一憂を見守っているのである。
私が主演二人の他の顔を知らないせいもあってか、より二人がしげる夫妻そのもののように入り込んでしまってるようだ。

何しろ二人とも古い昭和の夫婦である。自然と男女差差異があり、亭主は威張り、妻はそれに仕える、という風情が当然の世界である。でもそれがしげる夫妻として観ていると微笑ましくてなんともよいではないか。それはしげるさんが自然体で優しい人だし、奥さんが大きな女性でありながら身を小さくするようにして健気にしげるさんに寄り添っている様子が可愛らしいからなんだろう。
原作を読んだ時も奥さんの古い女性らしさに打たれたのだが、ドラマの奥さんもとても素敵なのだ。
ドラマを作っている人たちは若い世代の方たちでこういう本当の貧乏というのを本当は知らない、と書かれていたが、だからこそある意味憧れのようなものを含んでこのドラマを作っているのではないんだろうか。
毎回貧乏生活がおかしくて悲しくてほのぼのとしてくる。時々見える怖いはずのお化けたちもなんだかとても親しみを覚えてしまう。

あれから人気は出てきたんだろうか。その辺は知らないんだけど、このドラマはやっぱりとても素晴らしい。
水木しげるさんのファンだという若者が「水木先生の漫画は怖いんだけどどこかとても懐かしい」と言う台詞がある。このドラマもどこか懐かしい風情がある。
奥さんがしげるさんに中古自転車を買ってもらっては泣き、マンガの手伝いをして褒められたり、それが一冊の本になっては泣いてしまう。そんな小さな感動にこちらも泣けてしまうのだ。

布美枝さん役の松下奈緒さん、すらりとした美女なのにここでは大女だの一反木綿だのと言われてしまう。けなげに献身的な姿と泣き顔につられてこちらも泣いてしまうよ。
しげるさん役の向井理さん。最初はあんまりハンサムなのではないかと思ったがだんだん本物のように思えてきた。水木さんは戦地で片腕を失っておられるのでドラマではどうなるのかと思ったのだけど、これも自然な感じでされているように見える。でもマンガを描く時は確かに片腕で原稿用紙を押さえるわけで大変だと思った。ぶっきら棒だけど優しい。素敵だなあ。
何だか毎日とてもアツアツの仲良しぶりを見せつけられてる感じ。こんないたわり合ってる夫婦の姿って今のドラマではあまり見られないのではないのかな。


ラベル:TVドラマ
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2010年05月04日

『ウイグルからきた少年』佐野伸寿

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これも昨日に引き続き(と言うのか)監督の説明が不可欠な作品。ドキュメンタリー風のフィクションというのが前提なのである。だが納得できた昨日の映画とは真逆に説明のせいでさらに疑問が湧いてくる本作だった。
時間が60分ほどという短めの映画である。しかもその内容が台詞や文字による説明などはごく僅かでなんとなくなイメージ映像に近いのである。遠い見知らぬ異国で肩を寄せ合って住む3人の少年少女たち。彼らはロシア人、カザフスタン人、中国から来たウイグル人と言葉も宗教も別々である。ロシア人の少女は母親の顔も声も知らず売春をして生き延びてるがその体はすでに病に冒されている。カザフスタンの少年はどうやら裕福な家の子供らしいのにも関わらず彼らと寝食を共にし彼らには優しいが、いつも何かに苛立って町の少年たちに喧嘩を吹っ掛ける。また彼に近づいてくるキリスト教徒(?)の外国の老人を罵倒して金を巻き上げる。中国に住む両親から他の国へ行って自分の未来を切り開いて、と言われたウイグル人の少年は頼るすべもなく自爆テロの組織に使われてしまう。
監督の説明によると「日本人が殆どカザフスタンという国とそこに住むウイグル人について知らないのに気付き実情を知って欲しくてこの映画を作った」というのがほぼその動機であるらしい。
しかもその後に肝心の「ウイグル人がこのような自爆テロをすると勘違いされてしまうのが懸念だった」と続く。
確かに作品の冒頭でウイグル人の男性が「ウイグル人は報復ということをしない」という説明をする。とはいえその言葉を作品の最後まで覚えていて少年の行動はウィグル人としては普通ではないのだ、と理解しながら観ることができる人は相当解釈力が高いとしか思えない。そういうウイグル人の特徴がありながらあえて少年が自爆の道を進んだ、と考えさせたいのならもう少しクドク台詞説明をした方が判りやすいのだろうが、万事この作品はそういう説明を入れずに仕上がっているのである。
DVDなら何回も観て咀嚼すべし、でいいだろうけど映画館などで観る人にはなかなか一遍ですべてを解釈するのは難しそうだ。
なにしろ監督自身が「日本人が知らないウイグル人を教えたい」と言っているのだからもう少し説明過多であってもいいのではないか、と普段は説明を嫌うくせに想うのである。
ただ主旨が「なんだこれは?と思ってもらえればよい、後は各自で調べてくれ」ということなら確かに見知らぬ土地と人があるのを知ってもっと知ってみたい、と思ったのだから成功だと思うのであるが。

ところでもう一つ気になったのは、最近やたらと「児童保護」にまつわるタブーが多いのであるが、ここで題材となっている3人の少年少女たちがかなり際どい領域に入っていると感じてしまうこと。
露骨に酷い場面があるわけではなくても最近の映画としては珍しくぎりぎりのところまでやらせて撮っているのではないか。そこをどう感じとるかでも評価が著しく変わってくるに違いない。
妄想の中での少女の水泳シーンは綺麗というだけでないエロチックなものだし。
ウイグル少年のテロ訓練がかなりハードでありすぎて可哀そうに見えるのは、そこが問題提議なのだとしても実際にやらせているのが気にかかる。
カザフスタン少年が同性愛を匂わせる初老の男から金を巻き上げるという話があるのだが、少年が売春をしているという設定なのだろうか。
少年は売春をするつもりだったのに、男が手を出さずに何度も家へ招いては少年に話ばかりしていることに少年が苛立ってしまっただけのようにも見える。「金をもらうようなことをしていない」だとか「一体何をやりたいんだ」とかいう台詞からしてもこの老人、本当に買春したいのではなく宗教活動だったのかもしれない。そして最後にクリスチャンの同性愛者(かどうかよく判らんが)の男を恫喝した少年が路上で刺殺されてしまうというのもどの事柄からの結末であるのか。
どの子供の話も児童愛好者が好んで観る為のようにも思えてくる。

あくまで冒頭に「フィクションです」という前置きがあっての映画作品。文句を言わずイメージを受けとめればいいのかもしれないがなら何故の監督の言葉。

多くの疑問を抱えてしまった。
今後観る映画や世界の出来事で少しずつ何かが判ってくるのかもしれない。
ともかくもロシアとアジアに凄く興味を惹かれている自分としては何かしらの謎かけをされたようであった。

監督:佐野伸寿  出演: ラスール・ウルミリャロフ カエサル・ドイセハノフ アナスタシア・ビルツォーバ ダレジャン・ウミルバエフ
2009年日本/ロシア/カザフスタン
ラベル:児童虐待
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2010年04月28日

『おろしや国酔夢譚』佐藤純彌

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シベリア横断物語シリーズである(私にとって)第3話目だが製作年はこれが一番古く、物語の舞台も1782年以降のことであるから最も古い。『SERKO』は1889年。『9000マイル』は大戦後だから1945年以降ということになる。
また光大夫たちの船が難破した場所はロシアから離れたアリューシャン列島のアムチトカという島であるからそこからカムチャッカさらにイルクーツクを経てサンクトペテルブルグまで、という恐ろしい距離になる。
とは言え、なにしろ光大夫の旅は日本へ帰国までを描かなくてはならないから他の2作とは違い9年9カ月の行程を2時間の映画に収めねばならないので物凄いスピードで物語が進行していく。あっという間に季節が移り月日が流れていく。しかも波乱万丈の大冒険ものなのであっという間に観終えてしまった感がある。
佐藤純彌監督は自分的には微妙な位置の人で作品が面白いんだかどうなのか、深みがあるようでないような重厚そうで軽薄な、という感じである。本作もまさにその通りで非常に面白い題材をそつなくまとめながらものめり込むような感動がないのが特徴だ。楽しくはあるが、10年弱の大冒険のダイジェスト版を観てる気がしてしまうのもそういうことなのである。
それはそれとしても光大夫を演じた緒方拳を始め西田敏行、川谷拓三、沖田浩之という俳優陣が楽しませてくれた。
緒方拳の冒険映画(というのか)と言えば今村昌平監督の『女衒』が凄まじく面白かったので本作の光大夫は冒険そのものは目を見張るが本人のキャラクターはそれほど目立ってはいなかった。それは本人の咎ではなく物語がすっ飛んでいくので仕方ない、監督の責任だ。

とにかく日本からアリューシャン列島に流れ着いた大黒屋光大夫一行は何とか日本に帰りたいという一心で船を手作りしカムチャッカへ渡りそこではどうしようもないと言われイルクーツクへと厳寒地獄を突破する。そこで西田敏行演じる庄蔵は脚が凍傷で腐り切断することになり一人落ち込む。自暴自棄になった庄蔵だが日本人の父を持つ女性の助けでクリスチャンになりロシアに残る決意をする。また沖田浩之扮する青年も結婚し残留する。旅の途中で死んでしまった仲間もあり、やっと女帝の許可を得て日本へ戻る時は3人となり、帰国すれば外国へ行った者は死罪と言われロシア船で待つ間にまた一人死亡。無事に日本の地を踏んだのは光大夫を含め2人だった。
何だか悲しいラストだったが実際の光大夫は幕府に迎えられ外国の知識を持つ者として優遇され長生きしたようだ。
『9000マイル』の時も思ったがやはり必要なのは言語。光大夫たちはすぐに言葉を覚え、がんがん仕事をし、なんだか日本人ってマメだなあと感心。嘘ではないように思えるしね。
すぐに地元の美女と恋に落ちてしまうのも偉いものだなあと。
ラックスマンってロシア人じゃない名前、と思ってたらこの人は北欧人だった。色々国際的なのだ。
エカテリーナ2世は光大夫の歌をどう思ったのか?いまいちよくわからなかった。光大夫の態度に感動した、というより面倒くさくなった、としか見えなかったけど。
そして光大夫と残ることにした庄蔵の別れのキスシーン。そうだった。ロシアの男性同士はキスするんだった。あんまり映画で観ないけど。何故。そんなロシアの風習が身につくほど長くいたという表現であるだろうね。

それにしてもこの頃のロシア、漂流者に物凄い親切な国だ。

色々面白かったりする場面があるのだが、かなり大雑把な映画ではある。連続TVドラマの方が楽しめる内容かもしれない。

監督:佐藤純彌 出演:緒形拳 西田敏行 オレーグ・ヤンコフスキー マリナ・ヴラディ 江守徹 川谷拓三 三谷昇 沖田浩之
1992年日本
ラベル:冒険 歴史
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2010年04月24日

今、珍しく観てる日本ドラマは『ゲゲゲの女房』

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これも面白い!

最近珍しく観ているTVドラマがある。NHKの『ゲゲゲの女房』私は夜7時半BS2で観てるのだが。

先に本も読んでしまったのだが、無論それは水木しげる先生と『ゲゲゲの鬼太郎』が好きだからである。
奥様が書いた本ってどんなものかと思ってたのだけど本当に日本女性らしい奥ゆかしい文章で感銘を受けてしまった。ご本人も言われている通り古いタイプ、なのだろうけど素晴らしい女性なのだ。
ドラマが進行中でそれを楽しみに観られている方もあるだろうからあまり書いてしまうわけにもいかないけど最近ないほど日本ドラマで充実してると感じてる。物語自体は戦後であるしごく平凡な生活のドラマなのでどうなるかどうなるか、というのではないのだが製作に力が入っているんだろう。出演陣の顔ぶれも凄い。なんといってもしげるパパ役の風間杜夫さんがまるで水木しげるさんに似てると感じるほどの役作り。お母さんである竹下景子さんも可愛くも素晴らしい。ヒロインの父役大杉漣さんが泣けるしヒロインママの古手川祐子さんもよい。脇役ががっちり固められているので何の不安もない。
といってもヒロインの松下奈緒もしげるさんの向井理も文句なしなのである。
今なら羨ましい長身も昔は大女と言われてしまうのである。戦後の大貧乏もおかしいし今夜は布美枝が初めて東京のしげるさんの家を見てあまりのボロさにあっけにとられる、という申し訳ないが爆笑だった。
とにかく毎回大笑いさせていただいてかさねがさね申し訳ないのだがホントにおかしい。結婚式の時スーツ姿に白足袋をはかせられた、というのは腹筋が泣いた。
今日はまた布美枝がしげるさんお原稿を初めて見る日でもあったのだが、さすがにあの絵を初めて見たらうぎゃあだよねえ。可哀そうでおかしい。
こんなに面白くて笑えて泣けるのだが初回視聴率は最悪だったらしい。
これを観なくて何を観る?
きっと後で「観とけばよかったあ」ってなるに違いない。後悔しないよう次回から観よう。
別に関係者ではないよ(笑)
ただ水木しげるさんの、というか鬼太郎さんのファンだというだけで。
始めや終わりに出てくる妖怪たちや目玉の親父さまが可愛いのだ。
ラベル:ドラマ
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2010年04月21日

『青春残酷物語』大島渚

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この映画が作られた時はまだ自分も生まれてなかったし自分が青春時代に入った時には日本のこの頃の青春ものなどは(時代ものならいいが)なんだか御免こうむりたいものであった。何か卑屈な歪んだものを見せられる気がして遠ざけていたのだ。戦後の昭和、経済の高度成長の中で満たされない若者たちが気恥かしい欲望をさらけ出して先進国と呼ばれる世界を真似している、という映像を観たくなかった。
なのでこの映画を観るのは初めてだったのだが、無論作者が大島渚監督ということもあり怖れていたような反感だとかはなく確かに残酷な青春時代を観ることができた。

最後まで観ようと言う気になったのは韓国で暴動がおきたというニュースが入ったところからで、この映画には時代が写し撮られているのではないかと感じた時からだった。
学生だが何をするでもない清と真琴は「美人局」をして中年男たちから金を巻き上げていく。
私が「美人局」という言葉を知ったのは五木寛之の小説だった。これもまた若者たちが仲間の女の子を使って中年男から金を巻き上げると言う話だった。当時私は五木氏の小説からマリファナやら暴走族やらの話を読んで感心したものだった。五木氏の「美人局」はその金でラジオ局を開くという夢のあるものだったがこの映画の二人には何の目的もない。
偶然出会った清と真琴は生活能力もなくただ体を合わせ妊娠し堕胎をし美人局で逮捕される、というだけの青春なのである。そして思うようにならない世間に苛立つ。
真面目に正常な生活を送っている者から見れば彼らはただの我儘者にすぎず金を払ってくれる大人たちに甘えているだけなのだ。
映画では二人は愛し合っていたはずなのにどうすることともできなくなる。「何をする?」「何をしようか」「どこへ行く?」「どこへ行こうか」そして二人は別々に死んでしまうのだ。
普通の他の人間ならこうした苦い経験の後に反抗や自由や甘えることを諦め、少しずつ大人になっていき何も判っていなかった若い日々を思い出すのだ。死んでしまうというのはそうした我儘な自分たちの青春なのかもしれない。

監督:大島渚 出演:桑野みゆき 川津祐介 
1960年日本
ラベル:青春
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2010年04月18日

やっぱり可愛い『男3人で Perfume - 不自然なガール を踊ってみた』!!!

男3人で Perfume - 不自然なガール を踊ってみた



わあああ、待ち遠しかった。edgeから8カ月ですか。はああ、光陰矢のごとし。
3人とも素敵です。
出だしの白服さんと仮面2さんの絡みが何とも言えません。眼鏡さんは前回歌で仮面1さんと絡んでたからよいでしょう(ってことじゃないでしょうけど^^;)
3人とも好きだけどこうして待ってたらやっぱり白さんが好きだと判りました(笑)
これでまた毎日観れるわー。
ラベル:perfumen
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2010年04月12日

『日本のいちばん長い日』岡本喜八

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自分も含めて戦後生まれで戦争を体験していない日本人はこの映画の原作がノンフィクションであるのは信じ難いのではないんだろうか。且つ脚本が橋本忍であると知ればそうそう嘘ではないのかと次第に恐ろしくもなってくる。岡本喜八監督の個性的な脚色があると考えてもあの終戦を告げる玉音放送の前日がこんな凄まじい一日だったとは。だが製作者たちも俳優陣も戦争そして終戦を体験してきた人々が多いはずのこの映画なのである。もし同じ話を戦争未体験の若い世代が作り直したらここまでの狂気は過剰だとしてもっと大人しい演出に変わってしまうに違いない。当時を過ごした方には申し訳ないがそれほどの異常さ、滑稽さを感じてしまうのだ。またそういう精神状態でなければ戦争の中に入っていることができなかったのだと思うとやはり悲しく恐ろしいものだと感じさせられる。岡本喜八監督作品は反戦を願うあまり酷く狂気じみたおかしく思えるのだが本作もまた非常にシリアスながらそれが逆により滑稽じみてくるという凄まじいコメディなのかもしれない。そういうことを書くこともやや怖いのだけど。

戦争を終わらせる、という今の目からみればほっとするだろうと思える事柄がこんな大変なことだとは。
「最後の最後まで戦い抜く」と教えられそれが骨の髄まで沁み込んでいる人間に突然「止めろ」と言って止められるものではないのかもしれない。敵との戦いで死なずに生き延びた人間が味方の手によって殺されてしまう。それほど人間の脳に植えつけられた呪縛は簡単に解けないのだ。
直接戦いに赴く軍人であるほどまた年寄りよりも若い実戦者たちほどその呪縛は強いのだ。今の人間から見れば彼らも生きた時代さえ違えばごく普通の若者であり得たかもしれなのに戦時教育の呪縛は彼らを捕えて放さなかった。
作品は戦争によって膨大な数の人々が虚しく死んでしまったことを憂い二度とこういう悲劇が起きないことを願って終わる。自国だけでなく世界中に平和をと願いたい。

しかしまた、こうした狂気は戦争時には特に強烈に起きるが平時でも異常な状態で生まれてしまうことがままある。
精神を捻じ曲げられながら、それと判らない。どちらにしてもそういうことが起きて欲しくないものだ。自分の身にも。他の人にも。
とはいえ、それが完全に無くなることは難しいのだ、どうしても。

監督:岡本喜八 出演:三船敏郎 山村聰 志村喬 笠智衆 伊藤雄之助 佐藤允 戸浦六宏 井川比佐志 久保明 小林桂樹 宮口精二 加山雄三 島田正吾
1967年日本
ラベル:戦争 サイコ
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2010年04月07日

『天国と地獄』黒澤明

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黒澤映画って観るのはいいけど感想書くのは気が引けるなあ。嫌いなら色々書けるんだろうけど好きである以上書けることは「面白い」の一言に尽きてしまう。

がむしゃらに働いてきた男がここぞという人生の賭けの場面で全財産をつぎ込もうと決意した時我が子が誘拐されたと聞かされる。が、すぐに誘拐されたのは一緒に遊んでいた使用人の子供だったと判る。運命を賭けるべき金を他人の子供の為に払うのか。それとも幼い子供を見殺しにするか。
黒澤監督の映画は今風の一人ずつのカット割りじゃなくて舞台劇のように全体の人々の表情や動きを見せるので却って新鮮に見える。観る者は一か所ではなくあちこちに目を配らないといけないのでそれだけでもかなり大変だ。憤る権藤氏、うなだれる誘拐された子の父親、心配そうに見守る権藤夫人、成り行きに困る警官たち、そして権藤氏を裏切ろうかどうか考えている片腕の男。台詞の説明がなくても彼らの様子だけで心の動きが伝わるので一つの画面から発信される情報量が物凄く多い。退屈しないのはこういった観る者に注意を要求する緊迫した画面が多いからじゃないだろうか。ぼんやりしていられないのだ。
権藤氏はやや荒っぽいけど心根は正しい人だと言う信頼を得ている人物である。それは彼が何度も「誘拐犯に金は払わん」と言いながらどうしても躊躇してしまっている態度に現れているのだが、ついに彼が犯人に金を渡すことを決意してからは彼がほっとしているように見えること、そして使用人の子供である少年を見つけた時、その子供が犯人から逃れて走ってくる時、我が子を見つけたかのように名前を呼ぶことに現れている。

物語はこの少年が戻ってきたところで第一幕が下りたかのように転換する。
ここまでは権藤氏と見えない犯人の物語だったのが戸倉警部と正体を表した犯人に移っていく。内容もスピーディなサスペンスから渋い追走劇へと変わる。激しい音楽が重厚なものへと移っていくかのようだ。
大概は前半の派手な面白みに後半の地味さが負けてしまうのだがこの作品においては後半ますます惹きこまれていってしまう。
「ボースン」始め警官たちの描写が魅力的だ。黒澤映画では「正義」というものが率直に表現されるが、ここでも戸倉警部の「権藤氏の金を必ず取り戻すのだ」という意気込みが胸を打つ。

とはいえ、この作品が単なる勧善懲悪だけではないというのは犯人を山崎努が演じていることにも表れている。彼がどんな環境でどんな思いをしてこういう犯罪を犯したかは細かく描かれてはいないのだが醜い存在として登場しているのではないことが青年にも共感を持たせているのだろう。
それにしてもここで描写されるドヤ街の凄まじさには驚いた。こういう時代があったのだ。『野良犬』で見せられた街の様子も興味深かったが本作のドヤ街のおぞましさは日本の映画であまり登場しないのではないんだろうか。

そしてラスト。一体犯人は権藤氏に何を言いたかったのか。権藤氏は彼から何を受け取ってしまったのか。
権藤氏は結局あの金を犯人に渡したことでそれまでの地位を失ってしまったが再び新しい道を歩き始めている。
叩きつけるような犯人の独白は中断され物語は激しく唐突に終わる。
映画館で観たならば、いやあ凄かったねえ、とふらふらになりながら家路につくのであろうか。

監督:黒澤明 出演:三船敏郎 香川京子 江木俊夫 仲代達矢 木村功 加藤武 三橋達也 江木俊夫 佐田豊 島津雅彦 山崎努
1963年 / 日本
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2010年03月25日

なんだか今夜は ギガ☆バイト 愛してる

最近あれペース落ちてるじゃん、て感じなんですが仕事が忙しくて時間が足りないのもあるんですが実はそれだけじゃなくて危険な地帯に足を踏み入れてしまったのです。ことの始まりは先日書いた【perfumen】男2人で magnet を歌ってみた、なんですがワタクシそれ迄magnetが何かを知らなくて彼らの動画で初めて知ったんですね。で、勿論眼鏡さん&仮面1さんの歌&動画にもはまり込んだんですがそれがきっかけでmagnet【初音ミク・巡音ルカオリジナル】観ましてどああああと感じまくりましていやこれは私は求めていた世界だわと^^;で次々に歌っている方々のを堪能しまくってついに【寝下呂企画】magnetを普通に歌ってみたはずだった【ねる×Gero】に行きついてしまったのでした。



ねるたんもgeroりんも素敵過ぎて特にgeroりんの情熱に犯されましてもう何度聞いたか観たかわかんない。ゲロさんのしゃべりの巧さと歌声にいワシづかまれ、です。こういうのはやばいですよお。しくしく。もう立ち直れないかもなあ。ま、いいです。行けるとこまでいきます。ってこれmagnetの歌詞やんか。
あーもう完全に犯されとるなあ。
もうどれもこれもおもしろいんだけど昨日は【Gero】外国人が二人でゲーム実況したらこうなった【Toshizo】を楽しみました。ぞっこんです。
ラベル:ニコニコ動画
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2010年03月18日

心待ちにしてた『【perfumen】男2人で magnet を歌ってみた』を観た!!

【perfumen】男2人で magnet を歌ってみた


ほんと年甲斐もなくが恥ずかしいんですが、その存在を知ってからもう「perfumen」ぞっこんで毎日見てるという体たらくです。
最近は動画アップだけでなく公の場で活躍されてて凄いなあとわくわくする思いで見守っているわけですが、なにせ地方在住者の身、生を観に行くわけにはいかないし、せっかくのネットでの生放送も仕事中で半分しか観れない。しくしく。
学生でもあり4人とも忙しそうで動画を心待ちにしてたのですが、今回ななんと眼鏡さんが仮面1さんとのコラボでの歌声を(以前何度かされてるのですが)アップするという発表でより期待が高まっておりました。

で、これです!!!!!!!!
あまりにも素晴らしすぎて!・・・・絶句・・・・・。
どうしよ、どうしよう。
どうもできないが・・・。
これってやっぱり眼鏡さんと仮面1さんのこと???
ですよね。そう思っていいんですよね。
ずっとそう思ってたんですが・・・・。
行けるとこまで行って欲しいです。きゃ。
歌声はもー相変わらず素敵ですねー。歌って踊れてイケメンで頭よくてしかも××なんて夢のようだ。
イラストも素晴らしくて。書きおろし?眼鏡さんのご友人?
なんだか凄いなあ。
仮面2さんまでが参加されてるし。
白服さんが・・・(笑)
ますますのめり込んでいきそうですわ。

そして眼鏡さんの【perfumen】男1人で WORLD'S END UMBRELLA を歌ってみた


眼鏡さん、どこまで魅了する気ですか。ため息。
仮面2さん凄くかっこよくてこういうの詳しいなんてますます惚れてしまふ。

以前にも「perfumen」勝手にご紹介してしまったんですが、ここで初めて知った方はこちらをどうぞ。

perfumen blog

perfumenさん、勝手に紹介してしまってすみません。
素敵すぎて隠しておけませんでした。
これからもじっくり観賞&応援(って変ですが)させていただきます!

ラベル:perfumen
posted by フェイユイ at 11:53| Comment(9) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月21日

『TAJOMARU』中野裕之

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これはなかなか面白かったねえ。あの黒澤明『羅生門』を題材にして小栗旬主演と聞いてへえと思ったものの監督は知らない新人監督というのでやや疑心が起き次は脚本が市川森一と聞いてまたまた興味が湧いて観賞。思った以上に面白く観入ってしまった。

つい先日松山ケンイチ主演の『カムイ外伝』を観たばかりなのでつい比較してしまうがどうせだから思い切り比べてみたい。
私的には監督が崔洋一で主演がお気に入りの松山ケンイチなので観る前は断然『カムイ外伝』の方に期待を持っていた。何か凄い面白さがあるのではないか、と考えたかったのだ。
だが正直言って観た感想は「イメージするカムイ外伝そのまま」であっと驚かせてくれるようなモノを感じることはできなかった。忍者アクションなのでやむを得ないのかもしれないがCGを多用したアクションもそれが何か特別な所まではいきついていないと思ってしまった。
カムイを演じた松山ケンイチは予想以上に「悪くなかった」が映画自体に感動をしないではなかなか登場人物に魅力を感じることは難しい。

一方の本作は黒澤『羅生門』のイメージをかなり大胆に取り入れながら物語をまったく違うものにしていく、という面白い趣向に私自身はかなり入れ込んで観てしまった。これからどうなる?とはらはらしながら映画を観るのもそうそうない。少なくとも『カムイ外伝』ではまったくそうしたスリルを感じることはなかったので同じように元ネタの映像がありながらここまで緊張感の違いがあるものか、と思ったのであった。
それはやはり脚本の違いからくるわけで、ただマンガの『カムイ外伝』をそのまままる写ししたようなあの映画と思い切りこねくり回して楽しんでいる本作では原作をどちらも知っている者としてはわくわく度も違ってくるわけである。

主演の二人の出来栄えとしても自分的には松ケンを褒めたくてもここまで作品自体の面白さに差があり、主人公の魅力を表現したとなれば小栗旬の方に軍配を上げてしまうしかない。
例えば『カムイ外伝』の記事でも書いたのだが同じように無口な男であるのだが心の声をナレーションと言う形で表現した本作と全部口に出してしゃべらせてしまったカムイでは「無口な男のかっこよさ」の表現として明らかにカムイは負けてしまっている。これを観てどうしてカムイを黙ったままで語らせなかったのか悔やまれてしまうではないか。
また本作の直光はカムイのような強さはなく、盗賊の多襄丸や桜丸にはてんで弱いのが却って魅力なのである。と言ってもカムイは無敵に強い男なのだからこれは仕方ないが。
脇役の面白さも本作が勝っている。またカムイの場合はせっかくの「非人という差別」に置かれた身である、という題材が曖昧で殆ど効果的に使われていなかかったのも惜しい点だった。

と言う感じで『カムイ外伝』と比較すれば非常によくできていた、と言えるのだがすべて満足とまではいかない部分もあった。
というのは今度は『羅生門』と比較してしまうからでもあるのだが、きっちり過不足なくまとめあげた彼の作品に対し、本作は登場人物の行きつ戻りつが多く時間的にも長過ぎて散漫になっているのでは、と思えるし、姫の行動に対する直光の誤解をわざわざ台詞説明で解説してしまうのは興ざめしてしまう。白州の場面からの展開は冗長すぎしゃべり過ぎであった。すべてが明るみに出なくてもいいのではないだろうか。

しかしそういう欠点など目をつぶっていいや、とも思わせるのは桜丸である。
彼は『羅生門』にはない配役でこの作品の中で一番魅力的なキャラクターもしかしたら彼の方が主役であるべきかも、という役ではないだろうか。
元々盗賊の身でありながら芋一個を盗んで捕まったところを高い家柄である畠山兄弟の弟直光から救われ家臣となり兄弟のように育てられるがその実彼は御所様の慰み者として(つまり男色を強要されておったわけだ)幼少の頃から耐え忍び生きて来た。だが桜丸はその寵愛を利用し畠山家を乗っ取ることに成功する。
一旦は逆賊として捕えられたが、御所様の愛情により正義が捻じ曲げられて再び権力を手に入れる。ここまでが好きだったなあ。
「正義が必ずしもいいことを産むとは限らない」とまあ正しいのか正しくないのかは判らないがそういう台詞を残して御所様が去って行かれたとこまでよかった。
あれであの後、姫は突き落され直光は処刑、じゃ駄目ですか。そうですか。それじゃ正義が泣きますか。
あそこから先はやや偽善的に過ぎて説明的過ぎて急に落ちてしまったよ。
もっと滅茶滅茶でもよかったのだがなあ。

変な盗賊一味になってしまうのだとか今風の音楽だとかは案外様になっていた。小栗はガタイがいいのであのような襤褸服が似合う。
ショーケンの手つきがいやらしくてよかった。などなど楽しめる点が多かった。姫がまったく知らない女優だったのも入り込めた要因かもしれない。

監督:中野裕之  脚本:市川森一 水島力也 出演:小栗旬 田中圭 やべきょうすけ 池内博之 本田博太郎 松方弘樹 近藤正臣 萩原健一 山口祥行 柴本幸
2009年日本
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2010年02月09日

『顔』阪本順治

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面白い奴を観てしまった。ほんとにこれってなんでこんなにおかしいんだろう。
っていうのはもう主演の藤山直美さんの凄さがほぼ理由の大半を占めている。物事を知らない私もさすがに彼女の芝居をしてるのもTVでちらりと観てずば抜けて上手いのは認識してるつもりだったけどいやもうずば抜けた凄さだった。

なんかほら、日本映画でコメディアンっていないって話があって確かにTVでは今お笑いの人がたくさんいて私も大好きなんだけどこと映画になってしまうと映画の作り手との呼吸もあるし映画で大笑いってあんまりないような気がする。三谷幸喜の映画とか観ずに言うなと言われそうだが。でもあの人の場合も普通の俳優さんたちでコメディアンっていうのじゃないみたいだし、さらに女優で笑いっていうのは皆無かな、なんて思ってたのがいっぺんに吹き飛んだ。なんという思い違いか。
もういるだけで悲しくておかしい、おかしくて悲しい。
牧瀬里穂演じる美人の妹と違い30歳過ぎてもまったく恋人も友人もなく実家のクリーニング屋の一室でひたすらミシンを踏み繕いものをして手伝っている娘。バージンである。少女マンガとTVドラマで恋愛を夢見ているのだからその気がないわけではなさそうだ。
優しい母親と違い美人の妹はそんな姉を疎ましく思って帰宅ごとに虐めていた。
そんなある日唯一の理解者である母親が急死する。妹は姉に対し「ずっとお姉ちゃんが恥ずかしかった。実家を店に変えて私と恋人が住んでいいのなら今迄の恥ずかしさを許してあげる」と言いだす。
姉・正子は「許さんでええ」と言って妹を殺し、家を出る。

今迄引きこもりで誰との接触もなかった正子が誰にも頼れない自分だけの力で逃亡生活を生き抜いていく。
今迄何もうまくやれなかった、自転車乗りも水泳も。セックスも女友達もいなかった。
そんな正子が親を失い、妹を殺したことで家を出てから何もかもを体験していくのだ。強姦されそうになったのがきっかけとはいえ男とのセックス(恋愛ではない)を体験し、ハンサムな男性にときめきを覚え、女性と友達になり、男性から好意も持たれるのだ。自転車に乗れるようになり水泳は浮輪つきでできた。
恐ろしいほど悲しくおかしい正子の逃亡生活はそのまま彼女が40歳を過ぎてからの青春であり成長である。
何もできないはずの正子は何もできない正子ではなかった。
家を出た途端あれもこれもやっちゃうんだもん。こんな短い間に(7ヶ月くらいと言ってたっけ)外で働くこともお化粧して人を楽しませることもできた。
一体正子は今迄なんだったんだろうなあ長い間何もできないと思い込んでいただけなんだ。
でもそれをやる為に美人の妹を殺さねばならなかった。
その代償がなければ正子は家を飛び出していけなかったのだ。
人生の中でこれを消すことができたら、と思うことがある。
正子が妹殺しをして家を飛び出したのでなければ律子さんの店でずっと働いていれたのに。
仕方ない。
正子はそこも飛び出しとある島の見ず知らずのお婆ちゃんの家で住み込んで働いてる。でもまたそこでも正体を知られ慌てふためく。
彼女が殺人犯だったことを知った島のお巡りさん達は大慌てで探し始めるが正子を見つけることができない。やっと発見した正子は海を横断している途中であった。泳げない彼女は浮輪に挟まって海原を前進していたのだ。

まるでパピヨンだ。

いやパピヨンを観た時は笑わなかった。感動の涙を覚えたものだ。彼の目の美しさに見惚れた。
なのに正子はおかしい。
おかしくて泣けてくる。その姿はまるで美しくなく見惚れない。
逃げる姿もかっこ悪い。男に犯されてもかっこ悪い。「あぁーっ」と悲鳴をあげても色っぽくないし、切なくない。犯された後の姿も色っぽくない。うう。
そんな無様なまったく綺麗じゃない正子がどの一瞬か綺麗に見えたりする。気の迷いかもしれない。
そんな正子を藤山直美はなんだかもうぼけえとしてるようで凄い感じで演じてみせてくれた。
周りの男達も女達も凄くよかったな。佐藤浩市、豊川悦司、二人ともかっこよくてさ。大楠道代さんがすてきだった。
そんなしょうもないような人間ばかり出てくる映画を阪本順治監督はとんでもなく面白い映画にしてしまった。

よかった。

正子が3回くらい「ぁあーっっ」って叫ぶんだけど途中の2回は笑えるんだけど3度目の「あーっ」は慟哭であった。
妹に「生まれ変わってくると思ってたのに」と泣く正子なのだ。

監督:阪本順治 出演:藤山直美 豊川悦司 牧瀬里穂 大楠道代 中村勘三郎(勘九郎) 國村隼 岸部一徳 佐藤浩市 内田春菊
2000年日本
ラベル:犯罪 家族 女性 人生
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2010年02月08日

『真空地帯』山本薩夫

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無実の罪で服役させられた一兵士が帰って来た軍隊の中で己に降りかかった理不尽な運命に苦しみあがく、というような内容であろうと思って観たのだが、確かにそうではあるが想像したほど悲惨な状況ではなかった(とはいえ自分は嫌だが)と思ったのはどうしてだろうか。

この原作によって軍隊の内情が初めて本格的に書かれた、ということなので衝撃的だったに違いない。
つまり、その後はこれを上回るような「酷い仕打ち」を描くことになったはずなので後でこれを観た自分は「それほど酷くない」と思ってしまう、ということなのだろうか。
かといってこの作品がつまらないわけではなく非常に面白く観てしまったのだった。
それほど酷くない、と思ったのは主人公が言われるように孤立無援ではまったくなく終始彼の味方になってくれる會田という3年兵がいてくれからなのであった。
この人は誰に対しても面倒見がいい温厚な人柄なのだが特に主人公の木谷には何の見返りもなくむしろ損害を受けることもあるのに何かと世話を焼いてくれるのである。ところが主人公の木谷は彼に対してあまり恩義を感じてもいないようなのが不思議だった。孤立無援だと思い込んでいるだけなのかもしれない。
私的には木村功演じる木谷にまったく共感が持てない一方この曾田さんにはとても惹かれてしまい、彼と染や若い兵士との関係の方により興味が向いてしまうのだった。
木谷よりいつも殴られて虐めぬかれる大学出の人の方が可哀そうであった。

こうして軍隊の中で人間性を失い人は兵隊となるらしいのだが、確かにどこの国でも軍隊というのは似ているわけでこうして理不尽な世界の中で正気を失わねば戦争という最も理不尽な行為はできないということなんだろう。
本作ではそうした軍隊生活が写実的に描かれていき先日観た『海と毒薬』のような台詞での説明的な描写に偏っていないのがよかった。
ただし古い映画だからなのか、削除された部分があるのかフィルムや音声が悪いのは仕方ないとしても明らかに場面が跳んでしまう箇所が幾つもあるのが気になった。名場面というのか写真でみた場面まで無くなっているようだった。

以前観た映画で兵隊に入った年数が古いほど偉い、というのを知ったけどこれを観ても2年兵なのか3年兵なのかで違いがある。主人公は服役しているが4年兵になるのでここでは最も古参で威張れるわけである。
主人公の来ている服が上等だというのの説明がなかったので想像だが、戦争も終わりに近づくほど服装の質も落ちたのだろうか。主人公は古い兵士なので服がいいものなのかな、と思ったのだが。

とにかく戦争や軍隊がどんなに理不尽で恐ろしいものなのかは何度も教えてもらった。
こうしてDVDでそういう映像を観ているだけの自分がどんなに幸福なことか。しみじみと思う。

監督:山本薩夫 出演:木村功 利根はる恵 神田隆 加藤嘉 下元勉 川島雄夫 三島雅夫
1952年日本
ラベル:戦争 軍隊
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2010年02月05日

『海と毒薬』熊井啓

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この映画についての感想がどうもまとまらないのはこういう題材がどうしても怖いもの見たさの好奇心から観てしまったせいなんだろう。
まるで、罪の呵責に苦しむ「捕虜の生体実験手術」に立ち会った青年・勝呂に尋問する役の岡田真澄と同じ立場のような気持ちで彼らの体験を覗き見ようとするのは、スティーブン・キング『ゴールデンボーイ』の主人公みたいな欲望を持ってしまうからではないのか。
だが一方ではこの時代にいれば勝呂もしくは戸田のように何も感じない心、揺れ動いたとしても結局は流されてしまう人間であることも自覚しているからなんだろう。

映画は恐ろしい二つの手術を大きな問題として描いていく。一つ目はごく当たり前の病気治療の手術なのだが術中のミスにより患者は死亡する。担当医達は患者が術中に死亡したことで大きな責任問題になってしまうのを避ける為、数時間経過後に死亡したと報告するよう打ち合わせる。
第二の問題が「捕虜の生体実験手術」で数人の健康なアメリカ軍捕虜に麻酔をし、肺の摘出、心臓停止、脳に関する手術など様々な実験を行う。
主人公には対照的な二人の青年が登場し、勝呂によって罪の意識で揺れ動く心が戸田によって時代に洗脳され感動を失った心が表現される。この二つは程度の差はあれ殆どの人間が持つのではないだろうか。

熊井監督によるこれらの問題提議、手術の臨場感などには強い興味を持つのだが、一方熊井監督の演出、台詞での説明などには映画としての面白さを自分としては惹かれるものを感じないのは残念だ。
冒頭の尋問場面をはじめ台詞がどうしても洗練されていないように思えてそこで躓いてしまうのだ。これは監督の『サンダカン』の時も感じたもので惜しい欠点になっている気がする。

監督:熊井啓 出演:奥田瑛二 渡辺謙 田村高廣 根岸季衣 成田三樹夫 岸田今日子 神山繁 西田健 岡田真澄
1986年 / 日本
ラベル:医者 歴史
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2010年02月03日

『張込み』野村芳太郎

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自分は今は福岡在住なのだがもともと佐賀の産である。なのにこの映画、というか松本清張の小説としてもその設定を目にしたことがあるかどうか定かでもなかった。
まずは陰影のくっきりとしたモノクロ映像が美しく、また昔の佐賀の風景はさすがに自分にも記憶のあるものではないので初めて見る町の様子として新鮮に見てしまった。旧佐賀駅の光景などもこんな風だったのだなあ、という具合である。

東京で起きた強盗殺人事件で警視庁では主犯の石井は故郷の山口県か元恋人が今は結婚して住んでいる佐賀市内のどちらかへ逃亡しているはずだと考える。
若い柚木刑事とベテランの下岡刑事は組んで佐賀へと汽車で向かうんだった。
「酷く暑い」と言う言葉が何度も繰り返される。エアコンなどはまだない世界。汽車の中は小さな扇風機があるのみで人々は絶えずハンカチで汗を拭う。
犯人が会いに行くのではないか、と推測される女はこじんまりとした一軒家で前妻の子供のいる銀行家の夫と暮らしている。殺人犯の男の恋人だった女とは思えない地味で平凡な主婦にしか見えない。しかもケチで亭主関白な夫に日々必要な金だけを与えられ、家事と前妻の子の世話だけに日々を忙殺されている。まったく生気のない女なのだ。

家の中の情景は殆どが木材のしつらえで窓を思い切り開け放しているので今と感じがまったく違う。暑くてたまらないはずなのだが、なんだかのびのびとして心地よさげに見えるのは観ている今が冬だからかな。実際はたまらないのかもしれん。
暑くてたまらないから刑事の張り込み中とはいえ、ほぼ裸か下着姿。しょっちゅうお茶を飲んだり氷をかじったりスイカのでっかいのを食べたりしてる。
見張っている女の日常風景もごく当たり前のことしかしてないのだが、今見れば木造の家の様子や洗濯物の干し棹からミシン買い物の風景まで何を見ても感心して観てしまう。何しろ亭主が風呂に入る時は外で炭をくべているのだ。ただでさえ暑いのにご苦労なことだ。なのにガミガミ夫は風呂の水は朝から入れておけ、とか怒鳴っている。何だこいつ。
少々これは上手くいきすぎとは思うがちょうど女の住む家の前にお誂え向きの宿屋があって二人の刑事はここから女を張りこむのだ。
しかし女の毎日は計ったように同じことの繰り返しで一週間二人は見ているだけの時間を過ごす。
恐ろしく単調で退屈なはずなのにこの1時間強のこの部分も飽きないで観てしまうのは脚本のうまさと映像の美しさのせいだろうか。田舎町を映すのにちょっと洒落た風のジャズもなかなか合っている。

タイムリミットの一週間が過ぎ、ベテラン刑事が佐賀警察に報告の為外出している間に女の家に奇妙な傘売りの男が訪ね、その後女が外出をした。はっとした若い柚木刑事は単独で女の跡を追う。
女はバスで多久へと向かったらしい。
男と会うのだ。
まるで死んでいるかのように感情のない女がこの外出時に日傘をくるくる回す。それだけで何の台詞もないのだが初めて女の気持ちが動いたのが判るのだ。この女性は今幸せな気持ちになっている。
柚木刑事は殺人犯が女と出会った際の行動に緊張する。が、女は昔の恋人に笑いかけ拗ねてみたり甘えたりとまるで今までの彼女と違うのだ。
柚木刑事はその姿を見て動揺する。だが彼の仕事は女の生きがいになるはずだったその男を逮捕することだった。

柚木刑事は家庭の事情があって彼との結婚を迷っている恋人に電報を打つ。どんな事情があっても愛する人と結ばれなければあの女のように死んだ日々を送ることになるのだ、という決意を持って。

絡み合った会話は殆どないのだがそれぞれの人生を簡潔に描いていく手法がなんとも職人的にうまい。
町の情景も懐かしい、というより見慣れないほどの昔のもので舗装されてない道路やバスや車の形も家並みもまるで知らない違う世界である。人々の心情もまた。昔の人はやはり真面目なのである。
あの奥さんはあの後、どうしたんだろう。柚木刑事が想像したように今迄通りの死んだ生活に戻ったんだろうか。
違う、と思いたいのは今の考えなのかなあ。

監督:野村芳太郎  出演:大木実 宮口精二 高峰秀子 田村高広 菅井きん 浦辺粂子
1958年日本
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2010年02月02日

『トキワ荘の青春』市川準

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『黄色い涙』も思いのほかじんわり来てしまったのだけど、こちらはまたそれ以上に胸に詰まるものがありました。

芸術家の物語・映画というのは色恋沙汰に満ちて波乱万丈で面白いことが多いのだがこと日本の漫画家という芸術家だけはその期待を持つことはできないだろう(と多分日本人なら皆思ってるのでは)
イメージ的には(私の場合はほぼ昭和だが今もそうそう変わらないのでは)男女問わず田舎で夢を見ながらせっせと自分の世界を漫画に描いて海千山千の東京の出版社編集部から目を止められたらここぞとばかりに追い立てられ責め立てられ狭い部屋に閉じ込められて昼夜を問わず漫画を描かせられる。酷い状況でありながら田舎者の彼らは自分の夢がかなったことと頭のいい都会の編集者らに時には煽てられ時には諭されて奴隷のように漫画を描き続け、死なないように栄養剤などを飲ませられながらも自分の陥った地獄に気づいていない。まさに蟹工船に乗せられたのにそれに気づいてないが如くなのだ、というものである。
しかも他の芸術家と違い「漫画家」というと今でもちょっと笑われてしまう昔ならもっとその地位は低かったはずだ。
そんな憐れな存在ながら本人達は多分とても真面目で真剣に漫画という芸術を極めようと努力している。少なくとも昭和の漫画家のイメージはそんな感じであった。

『黄色い涙』では永島慎二と思しき漫画家が主人公となり、本作では寺田ヒロオ氏がトキワ荘に集った若き漫画家達の兄貴分的存在として描かれている。二人の共通点は(少なくとも映画内では)世間に媚びず子供達の為にいい漫画を描きたい、という信念を持っていることである。そこにまたノスタルジーが感じられるのであろう。
申し訳ないが私は永島慎二さん及びトキワ荘の他の方々(石ノ森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄、つのだじろう、つげ義春)は知っているが当の寺田氏のことはまったく知らなくて漫画を見てもさすがに読んだ覚えはなくさらに申し訳ないが確かにこの漫画ではあまり読みたいと思わなかった、かもしれない。
『黄色い涙』の永島氏がどのくらいの売れ行きだったかは知らないが氏の漫画は自分も読んで酷く感銘を受けたし、多くのアーティストに影響を与えているのは有名である。
本作の寺田さんはその人格で周囲の人に愛された方で「いい人だ」と言われる。だがその作品は時代遅れで堅苦しいと評価されてしまう。編集者からは「言うとおりに書かないと売れませんよ」と苦言を呈されるがやはり自分を殺してまで作品を描くことはできないのである。
とはいえ、共に暮らしていた藤子不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎たちは自分の描きたいものを描いてその上で売れていくのに彼だけは(ということでもないのだろうが)そうした商業的路線から外れてしまうのだ。
しかしこうした青春を送った人は彼以外にも数多くいたに違いない。名前が残る漫画家になれた人物はほんの一握りのはずなんだから。
ただ寺田氏の略歴に書かれているように氏があまり幸福な人生でなかったのなら悲しいことだ。でも本当のところは判るんだろうか。

思ったとおり昭和の若き漫画家たちの青春は貧しい。色恋沙汰も皆無。波乱万丈も起こらない。狭くて古いアパートのそれぞれの部屋で自分の夢を漫画に描くだけである。映画の2時間弱物語はそれだけ。悩みは漫画。喜びも漫画。水野英子女史が登場した時だけちょっと画面が明るくなった気がした。いや男性的にはあまり嬉しくはないだろうが。威勢がよくてちょっとだけ跳んでる。でもセクシーではない。水野女史に対してまったくそういう視線がない男たちであった。(なににろ彼女の漫画も迫力あるからなあ。私は『ファイヤー!』しか読んでないけど)
むしろ石ノ森さんのお姉さんがちょっと色っぽい感じで。しかしやはりこの時代女性はご飯をよそう役として登場するのだな。

彼らの悩みはご飯で最初寺田氏が手塚治虫先生から出前の差し入れをしてもらうシーンは観てるこっちも助かった気がした。
仲間が集まってもあるのは玉ねぎとキャベツかなんかを炒めたのに安酒しかない。そんな風なので差し入れの大福が実にうまそう。
人のいい寺田さんはいつも誰かからお金を貸して、と言われて気の毒なのだ。
薄暗い部屋の中で漫画を描き、数人の青年がいるのにこれという事件もなく毎日が過ぎていく。波乱は出版社がつぶれることと自分の漫画が連載になること。
編集者に漫画家になるのは無理だあきらめろと言われた赤塚不二夫が(そうだったんだね)石ノ森の助言で才能を認められ一足先にトキワ荘を出ていく。
そんな後輩たちを寺田は静かに見守っていく。だがその心の中には苦しみがあったに違いない。
それでも藤子たちに「相撲をとりませんか」という無邪気な誘いを受ける寺田さんなのである。

こういう生活をしたわけでもない。でも物悲しくなってしまうんである。
何かを強調するわけでもなくぼんやりとフェードアウトしていく一つ一つのエピソードという演出が胸に迫る作品だった。

とはいえ、実は自分的には男性版だけでなく女性漫画家たちのこういう作品を作ってくれないかなあ、と願うのである。
どうしても作り手が男性が多いので女性漫画家にはあまり視線がいかない、か、作っても若干むむむなものになりそうなのだが。TVではちょこちょこそういう番組もあったりするので近い将来あるかもだ。
無論、萩尾望都や竹宮惠子とかね。森脇真末味なんかもいいなあ。
高河ゆんなんかの同人誌ものなんかも興味あるが。
この辺はまだ生々しくて無理、かな。

藤子氏の一人を阿部サダヲが演じてたのがおやまあだった。

監督:市川準  出演:本木雅弘 安部聡子 鈴木卓爾 柳憂怜 桃井かおり 阿部サダヲ さとうこうじ 大森嘉之 古田新太 生瀬勝久 翁華栄 松梨智子 北村想
1996年日本
ラベル:青春
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2010年02月01日

『蟹工船』SABU

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主人公に松田龍平で一緒に蟹工船で働く一人が新井浩文しかも二人がつるんでいる場面まであるとなったら『青い春』の九條と青木を彷彿とさせてしまうわけでまるでその後の二人か前時代の二人か、などという妄想と共に楽しませていただいた。

とにかく驚かせてくれるのは(といっても判ってはいたんだが)松田龍平の存在感の恐ろしさ。恐ろしさっていうのはどうだかだけど、ほんの少し台詞をいうだけでもなんか他の人たちと全然違うと感じるのはどういうものなんだろう。
本作の彼は今まで観てきた松田龍平とは随分違う言動をする。それは九條の時の彼のキャラクターがどの作品にも投影されているようなところがあって無口でやや退屈気な感じ、という倦怠感がいつもあった。『悪夢探偵』などはその代表かもれない。
今回は『蟹工船』という支配者から虐げられた労働者が自分達の権利を勝ち取るために戦う意志を持とうと呼びかける指導者という役柄なので原作の時代背景もあってか皆の前で大声でアジテーションを行う熱い男を演じている。ぼそぼそと小さな声で口数も少ない印象であったのが意外にも声を張るとよく通って迫力があるのに驚いてしまったのだ。確かに彼がリーダーとなって聴衆を鼓舞すれば一種洗脳されてしまうようなカリスマ性があるのではないだろうか。無口であってくれるのが安心であるかもしれない(変な心配してるが)
はっきり言って作品的には力量や深みが足りなくて観客が思想を変えてしまうほどの陶酔感を持っていないのだが、それを松田龍平が語る時だけはうっかり染まってしまいそうな何かがあるのである。周囲の配役も悪くないだけにもう少し演出の技が欲しかった。
という、これはもう単に本作の作り手がまったく「アカ」でないからなのではないのだろうか。そして今の時代で共産主義を訴えることの意味が昔とは全然違ったものになってしまっている。新しい世界を作る理想的な思想ではなくあちこちで失敗し衰退した思想体制だと判ってしまったからだ。
当時原作者はこの物語で共産主義思想を咎められ拷問を受けしんでしまったのだ。まさか拷問が怖かったんじゃなかろうけど『蟹工船』の中で血を吐くように訴えた労働者の権利、という強い要求が今の人間に足りないのは仕方ない。就職難、不当な首切り、と取りざたされてもやはりかつての人々のような、つまりこの蟹工船で働いていた人々に対する思いのような激しさは欠けてしまっているのだろう。
それはどうしようもないものだろうがそれなのにあえてこの題材を使ったなら本気でそこまで感じさせるか、今らしい違った設定に変えてしまえばよかったのかもしれないが。
とりあえず今風のテイストを取り入れながら原作通りの労働者の権利を要求、という形で制作された。
奇妙な笑いも含まれていて私としては結構楽しむことはできた。
新井浩文も青木じゃないんだけど本当に九條=松田龍平と組んで演じるのが嬉しそうに思えてしまう。久しぶりに顔をゆっくり観れるほどの出演だった。

監督:SABU 出演:松田龍平 西島秀俊 高良健吾 新井浩文 柄本時生 木本武宏 三浦誠己 竹財輝之助 利重剛
2009年日本
ラベル:思想 松田龍平
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2010年01月31日

『細雪』市川崑

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昨日の『青いパパイヤの香り』に引き続いて今夜のこの作品。どちらもその国の美しさを堪能できる情景描写とそこに生きる女性達を映しだした素晴らしい映画であった。

本作は純粋な日本の風景のようでいてやはりそこは谷崎潤一郎文学である、倒錯したエロスがほんのりと漂うのだ。
観ていると次女幸子の夫(石坂浩二)が羨ましくなってしまうのだが(男を羨ましがってどうする)美しい妻を持ちながら彼女の3人の美しい姉妹にかしずくように行動する男は作者谷崎その人そのものもしくはこうなりたいという願望のように思える。
長女の夫もまた妻を熱愛している様子で、4人の姉妹に敬慕の念を抱きまるで仕えるかのような二人の男の言動は他の日本の文学では見つけ難いものではないだろうか。
エロス、と言っても次女の夫の義妹への思慕は彼の言うとおり妹に対する気持ちであり禁欲的なものなのだろうが禁欲的だからこそより倒錯したエロチシズムが彼の胸の内に潜んでいるのである。

市川崑監督の演出には心酔してしまうしかない。冒頭の桜から最後の川面に落ちる細雪の景色、4人姉妹の細やかな描写にも神経が行き届いている。
そして配役の妙がある。4姉妹の布陣もこれ以上のものを望めない気がする。しゃきしゃきしてるが女らしい長女の岸恵子、何とも言えない甘さを持つ次女の佐久間良子、二人が何かとケンカをしながら互いに支え合っている様子が伺える。何を考えているのかよく判らない三女に吉永小百合、次女の夫が心惹かれるのが彼女なのだが無口でしとやかながら自分の意思を曲げない頑固さを持っており、度々の結婚話にも首を縦に振らず粘りに粘って意中の男性と結ばれることになる。心が読みとれないのでやや不気味に思えるのだが谷崎はこういう女性に惹かれたのだろうか。(追記:一日経って思うとやはりこの映画は雪子を描きたかったのだ。家のしがらみなどに追い詰めながらも自分が愛すると思える男性と会えるまで、まさに粘りぬいた。姉二人が感心するに価する雪子の生き方である。谷崎と思しき次女の夫が愛するにも相応しいしとやかでありながら強い日本の女性の姿なのだ。吉永小百合に演じさせたのも素晴らしい配役だった)
そしてその三女の意にかなった男性、華族の御曹司になんと元阪神タイガースの江本孟紀を当てたというのが驚きだった。台詞も殆どないに等しいので無理ではないしひと際高い身長と独特の二枚目な顔立ちが確かに御曹司として合ってなくもない。
長女の夫には亡き伊丹十三氏でこれも文句なしであった。

映像美以外に台詞の美しさも印象的なのだが、身内に話す時の柔らかさと違って使用人達にはかなり厳しい言葉づかいなのだと驚いた。

日本映画にしては稀有なほどの裕福な人々の優雅な生活風景なのであるが時代はこの後すぐ第二次世界大戦へと突入していくのだ。
この穏やかに美しい情景はこのままの形ではもうあり得ないのである。
ここに写し撮られた美は、姉妹がそろって見た桜の景色を見ることは叶わず、そして水面に溶ける細雪のように儚いものなのだろう。

監督:市川崑 出演:岸恵子 佐久間良子 吉永小百合 古手川祐子 石坂浩二 伊丹十三 岸部一徳 桂小米朝 細川俊之 小坂一也 横山道代
1983年日本
ラベル:倒錯 女性 時代
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2010年01月17日

昨日(1月16日朝)のNHK週刊ブックレビューがスリリングだったのだ。

NHKの「週刊ブックレビュー」を観るのが楽しみである。だからと言って紹介された本を殆ど(というかおよそ全て)読みはしないのだが、とにかく楽しみにしている。
毎回様々な3人のゲストによってそれぞれ3冊の本の紹介と一人につき1冊紹介した本を3人と司会者二人で討論しあう。
と言ってもいつもは「いい本を紹介していただきました」だとか「紹介されなければこんないい本を読まないままでした」とか爽やかな会話が多い。
そして稀に対立がある。
今日がその日であった。

日本人的礼儀なのか、相手が褒めた本についてあまり攻撃したりしない人が多いのだが、私的にはせっかく別の世界の人が集まって一冊の本について討論するのだから対立するのは面白いと思う。掴みあいの喧嘩になっては困るが意見を戦わせるのは楽しいのではないだろうか。
ただやはりなかなかそういう状態にはなりにくいものだ。
今日の対立も山崎ナオコーラさんはきちっと意見を述べていたのに北上次郎さんは「こういう若い人の本は読めない。ノーコメントにしたいところだ」という逃げ腰だったのでおやおや、となってしまった。すかさずナオコーラさんが「言った方がいいですよ」と言われたのでうわあ、と一瞬殺気が走った気がした。大げさかしら。取り敢えず北上さんも感想を述べられたが何となく上滑りしているような。しかもその後すぐ司会の藤沢周さんが「小説家は女性を描かねばならない、と聞いたのですがそれは他者を描かねばならない、ということだと気づきました。この小説を読んだ時その言葉を思い出しました」と言われたのでますます、うわあ、となってしまった。
スリリングな今日の書評であった。
いいことだ。
いつもこのくらいざわめいて欲しい。

まさか、こういう対立も脚本ってことはないよね。

その後のオノ・ヨーコさんのお話がまるで先の話とつながっているようでおかしかった。
「喧嘩をせずにBless youが大事」って(笑)確かに。

でもちょっと面白かったから。
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2009年12月25日

フジファブリックのVo&G、志村正彦さんが29歳で急逝

フジファブリックのVo&G、志村正彦さんが29歳で急逝

驚いてしまった。
私は音楽をそれほどよく聞く、というのでもないのだが、最近毎日のように聞くのがフジファブリックで「メメメメメリケーン」と口ずさんでいたのだったが。
しょうもないファンで歌に一目惚れして聞き続けているのに写真すらよく見たことがなくてひたすら音楽のみにはまっていたわけで、今回初めて志村さんの顔をまじまじと見たのだった。こんな素敵な人だったんですねえ。
大好きでした、あなたの歌。

今年は忌野清志郎とかマイケル・ジャクソンとか滅茶苦茶好きだった歌手が亡くなり続けた。あんまりだ。
posted by フェイユイ at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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