映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年12月17日

『劔岳 点の記』木村大作

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映画公開当時に非常に熱烈な監督の映画に対する思い、映画作りにかけた労苦を聞いて興味を持って観賞を待ち望んでいた。そして今夜その望みがかなったわけなのだが。
これは。
確かに気持ちは判る。
この素晴らしい風景と恐ろしい自然の脅威を映し撮った思い入れには深く感心するのだが。
それを聞かないでいての観賞であったらこれほどたどたどしい映画はあまりない、とだけ思ったかもしれない。
熱意ある映画製作者方々には気の毒だが「映画作品」としてはかなり幼い段階にあるとしか言えないのではないだろうか。

かといって、嫌悪感を覚える、というような類の作品ではない。心をこめてこの上なく危険な山を登り計測し地図づくりに人生を賭けた男たちの物語を描きたかった真摯な思いは伝わってくる。
だがこれでは映画としての感動は悲しいほど伝わってこなかったのだ。

真面目な作品と思うだけに言い難い気もするのだが、人物設定もその描き方も物語の展開も表現も音楽の使い方、場面の切り替え方、すべてが素人で何も判らない自分にとっても幼稚過ぎて恥ずかしいのである。
例えばこれが海外で観られることを禁じて欲しいくらいなのだ。もうせめて日本人の間だけの観賞に留めてもらわないとこんな子供っぽい映画を日本人が意気揚々と真面目に作っているとどの国の人にも思われたくないような気恥かしさがある。
一体どうしてこんな映画を真剣に作ってしまったんだろう。
あまりに作品がボロボロなのでどこから添削していいのか迷ってしまうが、まず時代の雰囲気がまるでない。明治時代であるという作りこみがないし、あえてそう作ったのだ、という意識も感じさせない。
宮崎あおいの使い方が酷過ぎて彼女が可哀そうである。こんな演技しかできないような女優ではないのに。妙に夫に尽くす、というとってつけたような演出でしかも妙にべたべたとしていて日本人ではないようだ。
台詞も中学生くらいが考えたのかと思うほどの語彙の少なさでしかもその使い方もやはり幼稚でせっかく大自然で覚える感動が台詞で全部消されてしまう。誰がこんな甘ったるい陳腐な台詞を思いつくんだろう。
カット割りというのか場面の構成や切り替えがまた素人並みでまるで感動させたくないような手法ばかりで作られている。
どの場面が、と言おうとしてもほぼ全ての場面が酷いのだしとにかく物語も人物も穴があったら入りたいくらい恥ずかしい代物なのでどこを特に取り上げていいのか。
例えばクライマックスで「あなたが先に」「いやあなたが」みたいな見せ方が不味いのだ。そしてせっかくの感動を途中で切ってしまう。何故。
宮崎あおいが最後に夫への気持ちを口に出して全てをぶち壊し(と言っても元々ぶち壊しだからどうでもいいか)にしてしまう。
戻っていくが柴崎と小島がお互いに「何故山を登るんですか」と聞いた後の処理の仕方、古田(役所広司)に移るのが下手過ぎて失笑ものだし、山岳会や軍部の描き方がよくある「嫌な感じ」で馬鹿馬鹿しい。しかも山岳部とは最後仲間になるという臭さも堪え切れない。
とにかくこういった調子で作り手の意識と技量が幼いのでどこが良くてどこが悪いではなく、全部が未熟なのである。
監督はこの作品が初監督だったわけでいた仕方ないということもあるだろう。最初から完成されていることは難しい。
子供っぽいということは純粋でもあるということだが、映画作品というのはやはり技術によって感動を生みだすものなのだと改めて思わされた。真摯な思いだけでは表現できないものがあるのだ。
制作に関わった方々の溢れる熱意を知ると実に残念で気の毒だがそう言うしかない。

観てるうち、少女時代に繰り返し読んだウィンパーの『マッターホルン登頂記』を思い出した。「魔の山」と評されていたがまさしく剣のような形をしているではないか。どちらがどうなどと私には想像もつかないが遠くから見る形では随分違う気がする。しかしそれでもあんなに恐ろしいのだから本当に物凄い人たちである、登山をする人々は。

監督:木村大作  出演:浅野忠信 香川照之 松田龍平 モロ師岡 螢雪次朗 宮崎あおい
2009年日本

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どうでもいいけどマッターホルン。こんなの登るってどうやって???上に貼った劔岳とは角度がかなり違うなあ。


ラベル:歴史
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2009年12月09日

ドラマ『坂の上の雲』

隣部屋「雑文手帳」で2007年1月に記事書いてから、もうドラマ放送なしになったんじゃ、と思ってたのだがきちんと予定通りの放送になったのだね。

最近はTVドラマとんと観なくなったのだが、さすがにこれは気になって1回目2回目少し見逃した部分はあるが観てみた。
長い時間をかけ、桁違いの製作費、というだけあって他に観ないほどがっしりした深みのある映像ではないだろうか。
とは言え、自分は原作にはまり込んだ記憶のもとに観ているから初に観ている人がどうなのかはよく判らないが。
なにしろ原作者の司馬遼太郎氏が連載中から来ていたオファーを断り続けてきた、というだけのスケールの大きさと確かに戦争賛美と思われるかもしれないかっこいい男たちが出てくるこの作品を本当に最後まで作ることができるのか、いまだに心配だったりもする。
秋山兄弟は文句なしの配役だと思うし(珍しいよ、納得できるって。特に兄貴はさー西洋人のように見える人だし)いつもは嫌いな香川照之もぴったしの正岡子規で、妹の菅野美穂も可愛いし泣ける。
気になってた広瀬武夫さん(ファンなの)が藤本隆宏さんというかっこいい男性だったのでほっとしたー。

とにかく物語はまだまだ始まったばかりでここら辺はドラマにもしやすいだろうが二百三高地を経て海戦の場面など一体どういう映像化になっていくのか。しかも16話を3年がかりで放送するという気の長さ。1話が90分という長さでもあるのだが、それでも描きつくしているわけではなくかなりすっ飛ばしている感もあり。確かにあの小説のドラマ化は難しいのだろうなあ。

しかし真之が今をときめく本木雅弘で、白い軍服の決まっていること。20歳くらいの時期だが全然おかしくないんだから凄いものだ。腰が細くて見惚れる。
などとそんなことばかり言ってるが日本が鎖国を解きやっと世界に目を向けた途端、その頂上を目指して突き進んでいったあの青青しい時代をドラマがどう描いていくか、最後まで行きつけるか、観ていきたいものである。
ラベル:TVドラマ
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2009年12月02日

ウホッ!!いい男たち2 ヤマジュン・未発表作品集 (fukkan.com)

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ウホッ!!いい男たち2 ヤマジュン・未発表作品集 (fukkan.com)

「やらないかバンダナ」付き、とはいえ、96ぺージ未発表作品4作でこの値段なのでかなり勇気はいるがでも彼の描く男たちって凄く好きなんだよなあ。
ていっても理想の恋人たちがいつもほぼ一緒だが(笑)それでも好きなのだ。
この年になるまでまったく知らなかったんだから後悔のしようもないが、こんないいマンガ家が不遇だったなんて気の毒としか言いようがない。(ほんとなのかな。ほんとは別に描いてるんじゃ?と思ってしまう)
4作どれもいいけどやはり表紙になるだけあって最初のお二人の行く末が気になるなあ。・・・幸せになって欲しい・・・です。
ラベル:同性愛 マンガ
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2009年11月20日

『博士の愛した数式』小泉堯史

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数学博士の話であるということで興味があった。数学という題材をどんな映像にするのか、物語にどう組み込んでいくのか。

登場する数学博士は80分しか記憶が保たれないという障害を持っている。それと彼独特の気難しさもあって家政婦が次々と辞めていった後へ主人公であるシングルマザーが雇われるのだが。
何度も繰り返される質問だとか、主人公の息子にルートというあだ名をつけるとか黒板に数式を書いて説明するだとかは確かに心惹かれるものがあるし、実はこの一見気難しく実は優しい初老の博士と義姉に人に秘められた恋があったとか、差し出される材料はなかなか含みがあると思ったのだがそれを表現していく手法は残念ながら納得できなかった。

まず中学校に新任した若い教師が突然自分の過去を説明していく、ということからひっかかってしまう。最初に騒いでいるような今時の中学生がこんなクドイ話を聞いているだろうか(その点は『モナリザスマイル』は納得できるな。話をしようとすると生徒たちからこっぴどく苛められる)しかも自分の母親が許されない恋でシングルマザーだとかそういうことは親密になった一部の人間に話すもしくは状況を見て打ち明けることではないか。
そこを我慢するとしても物語が最初からハートフルな方向へいくものとして予感させてしまっているし、家政婦が次々と辞めるというのは博士が相当な変人だとか恐ろしいことをしでかす、ということがなければいけないはずだが、主人公が入り込んだ最初の時に「仕事に没頭している時に邪魔をするとは失敬だ」とか怒鳴られただけで後はさほどのことは起きない。極めて温厚な人格であるし、強姦されたとか猟奇的な趣味があるのを見たとかいうようなこともないし、記憶がすぐなくなるのでトイレがどこか判らずそこらじゅうを汚すとかいうのでもないのに何故それまでの家政婦は辞めたのだろうか。金持ちで給料も悪くはなさそうである。
尚且つ子供がいると知るとここで一緒に夕食を取ればいい、とか主人公に都合のいいことばかりである。難しい人だが次第に好きになっていった、ではなく最初から互いに好き合っている。それが友愛数とかの比喩につながるのは判るが見せ方が簡単すぎるのだ。予定調和という言葉があるが最初から調和しすぎている。
つまり物語があまりに計算通りに進み過ぎて何の余分もなく完全なゼロになってしまっている為に人生の物語としての面白みに欠けてしまっているのではないか。
すべての人生も宇宙的な規模で見れば完全な数式になるのだとしても映画で描けるほどの人生の中では歪んだり端数が出たりどうしても解けない方程式として残ってしまうものではないか。
確かにこの物語が決して組み合わされることのないπとiとeが+1のせいで0つまり無になるというのは判るが人間の心の中にあるものはそうそう簡単に結びつかないのではないか。
(つまりπが博士でeが義姉、iが主人公でそれらは決して交わらないが+1である少年によって0となったのか。彼は√なんだけど)
それは希望だけであって作品の中で完全に示してしまわなくてもいいものではないだろうか。
タイトルが『博士が愛した数式』だからそのまんま、ということになるのだがどうもこのハートフルさにむずむずとしてしまうのはやはり私が完全なる28ではないからなのだろうか。

子供は純粋で企みなどありません、という主人公の言葉にも疑問あり。まさしく企んだのではないかと思うし、また企むことが何故悪いのか判らない。好きな人から引き離されたのならまた元に戻りたいと願うのは当然のことだ。主人公の女性が心のどこかでそれを望んでなかったとか思えないし、それが悪いことではない。いい方向にいくように企むべきだ。
というか。
何故義姉はもう何の邪魔もされないだろうに愛した人と一緒に住まないのかが判らない。若い家政婦を雇うこと自体絶対しないと思う。
・・・もし子供ができたらどうしたんだろう。それとも博士はもうできない人なのか?

非常に面白そうな題材だったのだが、人間の深淵を見ようとして止めてしまったように思われてならない。
タイトル通りの物語なので偽りはないのだが。
 
監督:小泉堯史 出演:尾聰 深津絵里 齋藤隆成 吉岡秀隆 浅丘ルリ子
2005年日本
ラベル:家族
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2009年11月19日

『ツィゴイネルワイゼン』鈴木清順

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鈴木清順といえば日本で最も有名な監督の一人だろうけど、大昔に『けんかえれじい』を観たのと(面白かった)最近『オペレッタ狸御殿』を観たくらいである(これは判らなかった)本作は当時凄い話題になったものなのでタイトルと監督名はさすがに知っていたのだが、やっと今になって観賞に至った。
 
もっと破壊的にグロテスクで難解で退屈なのかと懸念していたが、非常に入りやすく居心地も悪くない作品だったのでほっとした。というとまるで悪評のようだが決してそういうことではなく、さすが清順美学と言われる個性的な世界観がくっきりと見えてくる作品だった、ということである。大正デカダンスな雰囲気と生と死のはざまを漂うオカルティズムな空気は自分がとても好きなものなのでここまでそれを追求して描いた映像作品があることが嬉しくなってしまった。スチールを荒木経惟が担当しているのを見つけてこれはもう映像は間違いなく素晴らしいだろうと思い、その通りであった。
ただ、こういう生と死、そして性の世界をシュールな独自の世界観で描く作家といえば自分は寺山修司を筆頭に挙げるものなのだが、鈴木清順を知ってもその席順は変わらなかったのはどうしてなのか、今すぐ思いつけなかったので追々考えていきたいと思う。

思いつくところを挙げれば清順氏のユーモアというべきなのか笑いの部分が軽みというより若干自分的には引いてしまう箇所になってしまうのと、寺山氏の重い情念を味わってしまった後に類似した世界はどうしても物足りなくなってしまう。それは自分が寺山修司に心酔しているからしょうがないことではあるのだが。
類似した世界と書いてしまったが、それは生と死と性という題材というだけなのであってその答えというか、世界観は恐ろしく異なっている。寺山の世界はまず母親であり同性愛であり傷ついた美しい少年であり個と集団との対話であるが清順氏の本作はそのどれもが一切描かれてはいない。寺山氏の世界観が現実とかけ離れた異世界なのに対し、清順氏のシュールさはあくまで生々しい現実社会とつながっているからなのだろう。そういう意味では清順氏の作品は身近に共感しやすいものなのかもしれない。

なんだか清順の映画を観て、寺山修司がどんなに好きかを改めて確認してしまったようだ。
本作の類似としては寺山よりデヴィッド・リンチのほうが近いのではないだろうか。寺山はあくまでも文字の人でリンチは絵画の人なので。
それでも中砂・青地・小稲の3人が酒を酌み交わし会話する物憂げな場面などとてもよい。二人の男にはそれぞれ妻がいるが、芸者の小稲でないと対等な三角関係にならないのが面白い。

中砂役の原田芳雄。日本俳優には希少なエネルギッシュなセクシーさを持った男優である。セクシーというカタカナで言うより思い切り性的な男というべきか。とにかくスケベに色っぽい。
自分としては特に好きな俳優に数えているわけではないのだが、何故か出演作はよく観てる。というか観た映画によく出ている。やはりいい作品に出したい個性なのだ。他に似た人がいないから彼でないとどうしようもない。
寺山修司『田園に死す』にも『さらば箱舟』にも出演しているのだ。やはり稀有な存在なのである。
青地役の藤田敏八は真逆の知的イメージで二人の友人関係が微妙なバランスでいい。互いの細君との関係を匂わせるが芸者小稲と3人になった時に最も結びつきが生まれてくる。
小稲の大谷直子。色っぽい、の一言の女性。無論綺麗で芯の一本通った感じがかっこいいのだが、男だったらとろっとなってしまいそうなエロな女性だ。きりっとした顔立ちなのだが不思議。

あまりプロデューサーにまで触れたりしないが本作をプロデュースしたのが、荒戸源次郎。経歴を見ると凄いし、『ゲルマニウムの夜』もやってる。なるほど。監督作品には『赤目四十八瀧心中未遂』大森南朋、新井浩文目的で観たっけ。寺島しのぶ出演。どの作品も生と死と性だ。

本作を観てたら青地と小稲が出会う洞穴みたいな切り立った崖は『真木栗ノ穴』で観た光景だったので一瞬デジャヴュ状態になって驚いた。
順番から行けば本作を観てから『真木栗ノ穴』を観るわけだからあの映画を観た時に「あ、この場面は・・」となるべきだったのだね。
あの世とこの世をつなぐ場所のように思えた。無論『真木栗ノ穴』も同じ題材を描いていたのである。

監督:鈴木清順  出演:原田芳雄 大楠道代 藤田敏八 麿赤兒 大谷直子 玉川伊佐男 樹木希林
1980年日本
ラベル:
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京山あつき『聞こえない声』『見えない星』『仮面ティーチャー』

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珍しくマンガの感想のみを書いている今夜である。
先日山川純一の漫画に夢中と書いたがまだ続行中である。
とはいえ私はゲイものが好きなくせにゲイマンガ特にボーイズラブとかBLとか言われる分野のマンガを読んでない。
これは、一つは貧乏な為で、とかくのめりこんでしまうタチなのでこれ以上没頭するものを開拓したくない。するのが怖いのである。金持ちだったらぽんぽん買いまくってしまうのだが。
第二は、なんとなく目につくBLマンガの絵にどうしても萌えない。
皆痩せすぎで、美形すぎ。こういうの見てると自分は美形が好きじゃないのだなあ、と確認してしまう。
かと言ってよくある男性向けの(って言い方もおかしいか)ゲイマンガは激しすぎて、そう考えるとやや女性っぽいと言われたらしいヤマジュン氏が描く男性は一番自分にぴったり好みだったりする。

前置き長過ぎでやっと京山あつき作品について書こう。
何故いきなりこの人なのかというと好きなブロガーさんのお勧めだったからだ。気にはなっていたのだがやっと読むことになった。
まずは『聞こえない声』『見えない星』のシリーズ。
高校の野球部に属するかっこいい今井と変な顔の後輩引田の物語。
まずはさすがお勧めされてただけあって読ませる。
凄く惹きつけられる。
受である後輩・引田が美少年でないのは人によってはNGかもしんないが私は美少年と聞くとむしろ引いてしまうし、彼くらいの変顔なら完全に圏内である。先輩・今井のかっこよさもよくあるきらびやかなハンサムじゃないのが嬉しい。
が、やはり細い。
どうしても細いのだねー、BLって。
っていうか細身でないとBLじゃないのか。
ああ、これで肉がついてたら。
変な願望だけど。

高校野球マンガって言えば私はやはり水島新司である。『ドカベン』である。
水島新司の漫画はどれも凄いが『ドカベン』はまさにゲイカップルの宝庫とも言うべきマンガでどの組み合わせも私は嬉しい。ゲイマンガを見なくても水島氏の漫画で充分なんだけど、それじゃ話が続かない。
今井&引田を見てると連想するのは土門&谷津である。ちょうどデコボコ加減が。違うのはとにかく受の後輩の体格で確かに谷津の体は素敵だー。
土門さんはホントは微笑が好きだったんだけどふられてしまって谷津を仕方なく選んだんだけど、きっと満足してると思う。谷津も土門さん尊敬しきってるしねー。土門&谷津を見てエロい妄想にふける私であった。
限りなく脱線するが、水島氏の漫画は『男どアホウ甲子園』の藤村&豆たん、『ドカベン』の山田&里中、弁慶高校の武蔵坊&義経(美形だし)『一球さん』の一球&九郎は殆ど夫婦だし、など他にも挙げたらきりがない。

いいから京山あつき。
てなわけで、確かに顔がいいとして体がいまいちMY萌えではないがそれでも話で読ませてくれる。
最初っから両想いなのが不思議といえば不思議だし、なんの障害もなく結ばれていくのもよすぎかなーと思いつつもやはりよい。
あーこれで今井が引田を見て「首が細い」じゃなく「首が太い」だともっと萌えるんだが。
でもよかった。

で、次読んだのが『仮面ティーチャー』危ないショタコンものである。
つまりこれもしょうがないけど「少年の細さ」が主人公のショタコン先生の趣味なわけで仕方ないけど細いのねー。
つまりやっぱり細いのが好きなのだね。
とはいえ、これは凄くおかしくてある意味『見えない聞こえない』シリーズより上手い作品だった。
今特にタブーな題材で笑わせ読ませてくれる。
ほんとに
この作者さん、すごい才能の御方である。私は無論まったく少年では駄目なので萌えは期待できないがとにかく面白かった。凄い童顔の臨時教師を抱けることになったのにモノが大人で萎えてしまい、どうしてもイケない、というのは傑作。
声変りもしてない少年期だけを愛するショタ先生なので純愛とは言えないのだが、なのに純情であるという。

京山あつき作品、引き続き読んでいく予定なので他の作品についてはいずれまた。
ラベル:同性愛 マンガ
posted by フェイユイ at 00:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月18日

『休暇』門井肇

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刑務所に勤める中年の刑務官・平井がお見合い結婚をすることになる。相手の女性は子供連れなのだが独身を通してきた無口で武骨な平井はなかなか打ち解けることができない。
そんな折、服役中の金田の死刑執行が決まった。死刑執行の「支え役」を志願すれば一週間の「休暇」を取って二人と旅行ができるのだ。だが結婚式という御祝の前日にそういう恐ろしい任務は免除されるのが通常でまして志願する者はいない。誰もが思ってもいなかったが、平井は死刑を受ける者の体を支える、という役目を引き受ける。

時間軸を交錯していく、という演出はあるものの極めて淡々と進行していく作品だった。テーマも内容も重く深刻で変な音楽も流れず静かにひっそりと物語られていく。台詞や含みのある演出などで登場人物の心情を表現する、ということも殆どない映画だったので心の奥底を覗くことができず想像に頼るしかない。しかし誰でも主人公の真面目な態度に心打たれるであろうし、何の罪だったのかは明かされないまだ若いハンサムな死刑囚の突然の死刑にも衝撃を受けてしまうだろう。
極めて重く真剣に考えねばならない映画である。

と思う。

ので。

これから先は真面目な方は読まないでいただきたい。
怒髪天を突かれても困るし。
勝手な感想の責任は負いかねます。

では。

しつこいけど。

勝手な感想ですので。




悪しからず。



このブログではあまり書いてないのだが、私は小林薫さんが凄く好きで。
好きなんだけどあまりそれほど作品を観ていない。
それはただそれほど観たい作品がなかったりする、ということになるのだが、少し前この作品を見つけてちょっと気になった。
共演は西島秀俊で彼もまた気になる人である。彼の作品の方が余計観てるかな。
というわけで気になる男二人が共演、しかも刑務所の刑務官と死刑囚という関係。
ここでよからぬ想像をしてしまう私なのだった。
悶々。
ああいけない。
そんな期待をしてもそんなシーンがあるわけもないだろう、とうずうずしながらDVDを差し込んだのである。
男なら大きくなってるとこで、女だから・・・まあ下品になるといかんから止める。
内容は上に書いたような極めて真面目なあくまで真剣な作品である。
だがだがいけない予感を膨らませながら観る腐れた観客にはうぎゃあと思えるほどの展開なのだった。

とても不思議な設定物語なのである。
確かに死刑囚金田と刑務官平井は余計な会話は殆どしないので彼らが互いの心情を語ることもないし、そちら系の漫画や小説のように突然キスしたり抱きついたりことに及んだりということはないんだが。
平井はこの中で特に金田に優しくしている風でもない。むしろ優しいのは他の刑務官の方なのである。なのに金田はその優しい刑務官には至って冷めた態度なのにそっけない平井にはなにかと話しかけたり他には見せなかった微笑みを彼だけに向ける。そして罰則も気にせず(といってもすぐ死刑だったんだが)彼の為に描いた絵を彼だけに渡すのである。
平井は何も言わない。金田も何も話さない。二人は互いをどう思っていたのか。
死刑の前に金田は刑務官長から「妹さんに遺書を書いてあげなさい」と言われるが結局何も書けず白紙を折りたたんで幾人も並んでいる刑務官の中の平井にそれを手渡す。何故彼は白紙を平井に渡したのか。書けない言葉がそこに書かれていたのか。
平井は独身を通していた、という話になる。説明が極端に少ないこの作品の中でされる説明の一つだ。
平井の結婚相手は子連れとはいえまだ若く美しい(大塚寧々)である。だが彼女は彼の心を見透かすように言う「あなたは私のことも子供のことも好きじゃないんでしょ・・・でもいいわ。私がずっと一緒にいる、と決めたんだから」平井はそれを否定もせず、ただ抱きしめるのだ。
だが映像上だけとはいえ、映画に付き物のサービスシーン、とも言うラブシーンもキスシーンもなし。彼女が服をはだけるようなことすらない。平井が彼女に対し男が持って当然の欲望を匂わせる場面すらないというのも奇妙でもある。

これはもう勝手に確信させてもらう。

金田は何故平井が好きだったんだろう。
この作品は本当に説明が少ない。なので逆にどうにでも想像できる。
金田は平井に何を伝えたかったんだろう。
金田が狭い仕切りのある屋外で縄跳び運動をするのを平井が背後から見守る場面がある。平井は「作業をずっとしていたので握力がないんです」と言って縄跳びを平井に渡しやはり背を向けて縄なしでぴょんぴょんと跳んで見せる。その後ろ姿を平井は見つめるのだが、足元から頭まで舐めまわすように見るのである(妄想?)
話が変わるがこの後独房に入った金田の背後に年配の男女が立って金田御見つめている、という幻がある。もしかしたら金田の罪は両親殺害なのかもしれない。
就寝した金田の部屋を平井が覗き込み(これは単に仕事である)布団をかぶって寝てるのを注意するのだが上目づかいに見る金田の顔が可愛い。
死刑執行を刑務官たちの態度で察してしまった金田は今までの冷静さを失い突然暴れ出す。移された反省房から部屋に戻る金田に付き添った平井に金田が結婚祝いの絵を渡す。それは平井が結婚式を挙げているような情景を描いたものだったが、彼の妻の顔を知らない金田は女の顔を妹に似せて描いてしまう。これも金田が平井とのつながりを願望しているかのように思える。
絵を渡されて平井が初めて金田に打ち解けた声で礼を言う。その時唯一金田が小さな微笑みを浮かべるのだ。

死刑が決行され首を吊られた金田の体を平井が支える。何故そうする必要があるのかは判らない。アメリカ映画などでは何度も観た光景だが、体を支えたりすることは一度もなかったが。
だがここでは平井は初めて金田の体を抱きしめることになるのだ。その体は痙攣し息絶える。
その後、平井は目的だった新婚旅行へと出かける。結婚相手の子供も一緒である。平井の目的はむしろこの子供に打ち解けてもらいたい為の旅行のようだ。
少年は金田と不思議な相似点がある。酷く内気で言葉がなく心を閉ざしていること。そして絵を描くことが好きであるということだ。
囚人とは打ち解けて話すことは禁じられているとしても、子供となる少年と打ち解けることは平井の願いでもあるように見える。無口で無愛想な平井だがなんとか少年から好かれたいと絵を褒めたりボールを買ってあげたりする。だが少年はなかなか心を開かない。

死刑の時、金田の体を抱きしめた平井に金田の手が触れる。物語の中で唯一二人が触れ合ったのが死の瞬間であるとは。

旅先の真夜中、一人起きていた平井は突然起き出した少年を抱きしめて「ごめんな」と謝る。それは金田への言葉ではなかったのだろうか。そして少年の「うん」という言葉は金田の答えだったのだ。
妻になった女性は平井の隠された心を感づいている。彼は本当は自分を求めていないと。平井もそれを否定はしない。きっと本当だったのだろう。
平井がどういう気持ちでいるのか。それはもう想像するしかないのだが。
結局妻との愛情を見せるシーンはなく、ただ平井が少年と仲良くなった状況が最後に示される。
平井の愛情がいつか少年に向けられていくのだろうか。

という萌え萌えの状態で観通した。もしかしたらこの映画退屈だとか眠いとか言う人がいるかもしれないが、私的にはギンギンに萌え上がって観ていたわけである。
多分提供の具合からして真面目な映画を作らざるを得なくて作った作品なのだろう。なのにこの含み。これが怪しいと言わなくて何が怪しいのだか。
腐女子的パロディマンガに是非ともしたい題材だが、さすがにブラックな内容になってしまうのだよなあ。
ここまで楽しく勘ぐらせてくれる映画も数少ない。小林薫、西島秀俊、二人ともエロい。嬉しい。

監督:門井肇 出演: 小林薫 西島秀俊 大塚寧々 大杉漣 柏原収史
2007年日本
ラベル:同性愛 犯罪
posted by フェイユイ at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月12日

今更なのだが『ウホッ!!いい男たち』に夢中

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今頃この漫画に夢中になっているというのは恥ずかしいことなのかどうか。と言っても決してこの漫画自体が恥ずかしいわけではなく、そういうものに物凄く興味があるのに今までその存在を全く知らず、ホントはちょっとタイトルだけ見ていたにも関わらず反応してなかったことに対して恥じているのだが。

というわけでかなり前にネット上で盛り上がったという山川純一の名作『ウホッ!!いい男たち~ヤマジュン・パーフェクト』なのである。

私もしっかり動画で興味を持ったクチなのだが、今ではマンガ本もしっかり購入し阿部さんと小早川大尉に毎晩見惚れているしょうもない奴なのだが。

告白すると実は流行りのBLだとかゲイマンガとかを全く読んだことがない。もしかしたら自分が物凄く好きな世界があるかもしれないと思いながらなんだかつまり縁がなかったわけなのだが、とうとう繋がりができてしまった、ということなのか。
好きなのはやはり最も有名な阿部さんが登場する『くそみそテクニック』(なんつータイトル^^;)大感動号泣ものの小早川大尉出演『地獄の使者たち』そして『男たちの夏』はあの『ブロークバックマウンテン』から影響を受けた?と思ったのだが小説自体がこの漫画より随分後で書かれて(あちらで)いるのだからそうではないのだが、ひと夏を山でやりまくるってのはやはり夢なのかしらん。『男の約束』もいいなあなどと読みふけってしまうのだ。
ヤマジュンさんがこの漫画を描かれていた当時は出版社の意向とそぐわず、つまり男らしくないとか女っぽいとかいうことだったらしいのだが、自分的には充分男らしく且つタイトル通りいい男たちで阿部さんを筆頭に凄く好みだったりする。相手役の道下くんも可愛いしね。

というわけで今没頭中の『ウホッ!!いい男たち』なのである。

更にこちらも『ウホッ!!いい男たち2 ヤマジュン・未発表作品集』
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えと、動画は恥ずかしいんでここへ行ってください。
くそみそテクニック フルボイス

あと山川純一さん関係
ラベル:マンガ 同性愛
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2009年09月30日

『野良犬』黒澤明

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黒澤作品って観始めるとあっという間に引き込まれてどんどん観てしまう。これなんか映像も音もかなり悪いのだが、そんなことはどうでもよくなってしまうんだよね。
もうこれを観た人は皆この作品の暑苦しさに汗をかいてしまいそうになると思うがほんとにめちゃめちゃ暑そうだ。1949年の作品なのだから戦後間もない日本の光景。建物も熱を遮断するようなものじゃなかろうしエアコンもない。満員のバスは熱気でむせかえりそうだし、登場人物からは汗が噴き出てきそうなほどでいつもハンカチで拭っている。だけど三船敏郎演じる新入り刑事の服装はいまよりずっとオシャレである。

「拳銃を盗まれた」というところから始まる実に簡潔。盗まれた新人刑事・村上は自分のピストルが悪事に使われないかと必死で探しまわるが見つからない。しかも探し方がまだまだ未熟で頼りない。そこで彼はベテランの刑事とコンビを組まされ自分の盗難のことばかりではなく拳銃密売の検挙に乗り出す。
だがついに村上の銃を使った犯罪が重ねて起きてしまう。
ガタイの良い熱血新人刑事と老獪なベテラン刑事のコンビという組み合わせを三船敏郎と志村喬が演じていて面白いったらない。志村さんは黒澤作品のどれを観ても思うが、全然ハンサムなわけでもないのに、物凄くかっこよく見えてしまうのだよね。男のかっこよさって結局こういうとこにあるのかなあって思ってしまうのだ。
三船も相変わらずで汗びっしょりの熱血男なんだけどひたむきさがやはり心惹かれる。
ちょい演出過多だったり御託が多すぎるようなとこもあるがそういうのも時代を感じさせて楽しかったりする。アプレゲールと言う言葉があることを知った。戦後、既存の道徳観を失った若者が持つ思想だったらしい。
復員の時同じように村上刑事と犯人の遊佐はリュックを盗まれるが遊佐は世の中に絶望し犯罪者となり村上は逆に刑事となる、という対比。
村上が犯人を追ううちに見えてくる戦後の日本社会の様子なども興味深い。
自分の銃で殺人が起きて行く村上の苦悩、ベテラン刑事の落ち着いた捜査などが素晴らしい脚本によって描かれていく。
特別に派手なアクションだとか猟奇的な場面だとかがなくてもこのスリルとサスペンス。観ないでいるのは勿体ない作品である。

さほど豊かではないベテラン佐藤刑事の家だが、置いてあるおもちゃがとても可愛い。これは黒澤監督の趣味なのだろうな。

監督:黒澤明 出演:船敏郎 志村喬 淡路恵子 三好栄子 千石規子 河村黎吉 飯田蝶子 東野英治郎 永田靖 三好栄子 清水元
1949年日本
ラベル:黒澤明 犯罪
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2009年09月26日

『羅生門』黒澤明

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何度となく観ており観るたびに感心する作品だがまた観たくなって観賞。やはり面白い。

『羅生門』を思い出すといつも植草甚一さんの書かれた「映画だけしか頭になかった」の中の「羅生門」を思い出す。そのことは以前自ブログの「雑文手帳」のほうに書いていたのでちょっとそこから取りだしてみる(って植草さんの文をだが)
「日本映画は人工の菊であって、そこには真実性なんかないんだと考えていた人たちの腹黒い心を八つ裂きにしたのだった」
これは植草さんが1963年9月20日号のタイム誌から見つけたものなのだそうだが興味のある方は是非植草氏の本を読んでいただきたい。
つまりこれはタイム誌なので当時彼の国の人々は日本映画をそういう風に思っていて黒澤監督の『羅生門』を観て落雷のような感動を覚えた、ということなのである。植草さんも随分嬉しそうな文章だったが、自分もなんだか嬉しくなったしたかをくくって映画館に入った人々がふらふらになって出てきた、という箇所なんかはちょっと自分も同じ思いを味わってみたい気にもなった。映画を観てそんな衝撃を受けるなんて羨ましい状態じゃないか。

さて映画がつくられてから60年近く経った今日観ても昨今の映画に勝るとも劣らない迫力と緻密さが感じられる。
最小限の登場人物と作品時間と舞台設定の中でどの場面も研ぎ澄まされた鋭さを持っている。
ミステリーとしての楽しさ、人間の心理をつく面白さは時代や人種を越えても訴えるものがあるに違いない。

人間の心の不可解さと醜さを嘆きながらも(鬼でさえ人間のあさましさに恐れをなして逃げ出した、なんていうくだり)最後に一筋の希望を見出し雨が上がる。

『羅生門』スタイルは何度も繰り返し多くの人が使っているがやはり面白くなってしまうはずなのだ。
それにしても本作のうまさは格別になってしまうのだろうが、弱い女の面を見せていた妻が突然笑いだし、二人の男の身勝手さをなじる場面は見ものである。
とはいえ3人の当事者の証言が真実か嘘か誰にもわからないように樵の証言もまたすべてが本当なのかは立証できない。赤ん坊の上着をはがした男から問い詰められ反論できない彼はどこかで嘘をついているのだ。それがどこなのかを知ることはできないのだ。
すべての人間が信じられなくなったと苦しむ坊さんは最後に樵が言った「捨てられていた赤ん坊を育てる」という言葉を信じる。ここまで何も信じられなくなったと言いながら樵の善意を信じてしまうのはただもう直感としてそう思った、ということなのだろうか。
土砂降りの雨が上がり明るい日差しの中を歩きだすという光景がそのまま人間の心の明るさを表現しているのだと思いたい。

三船敏郎の男らしさがむんと汗になって匂ってきそうである。京マチ子の美しさは不思議で少女のように見える時もあれば狡猾な年増女のようにも見えてくる。確かに多襄丸の言うようにあの帽子のヴェール(何て言うんだ)からちらりとだけ女の顔が見えるのはどきりとする効果がある。
幾つかの証言から事件の真相はどうだったのか、を考えてしまうわけだが、何といっても気になるのは「女」の本性なのだろう。ある時は弱々しくある時は「他に見たことがないほど」勝気な、ある時は激しく、ある時は艶めかしく、他のふたりの男の本性がどうだったかよりやはり魅力的なのは妻である「女」の描写なのだ。
そして多分誰でもよよと泣き崩れる女の姿よりかっと見開いた目で男の本性を嘲笑う女、白い肌に玉の汗を浮かべ男をじっと見入る女、この男を殺せと叫ぶ女の姿に見入ってしまうのだろう。

黒澤明の特に優れた作品に今更感想を書くのも却って気が引けてしまうが、観てしまうとどうしても唸ってしまわずにはいられない。
暑い日差しの森の中と激しい雨に体も冷えてしまう荒れ果てた羅生門の対比も凄い。

監督:黒澤明 出演:三船敏郎 京マチ子 森雅之 志村喬 千秋実
1950年日本
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2009年09月12日

『按摩と女』清水宏

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先日TVでちらっと冒頭部分を観て都合で観れず仕舞いだったのがどうにも数分の映像が鮮明に思い出されやはり観てみることにした。
少し前に同監督の『みかへりの塔』と同じように淡々とした物語が際だった映像で描かれていく。わずか60分あまりの作品とは思えないほどゆったりとした趣のある映画なのだが、中身の濃い短編小説を読み終えた時のような満足感のある作品なのだ。

目の見えない按摩である主人公「徳さん」は「めくら」である自分は「めあき」である人々に負けてはいない、という強い自負心がある。山奥にある仕事場の宿屋へ行く途中もめあきの登山客を追い越しては自分の健脚と人数や東京から来た女だということを当てたりする勘の鋭さに絶対的な自信を持っているのだ。
そんな彼が東京から来た美しい女性の肩を揉み、ひそかな恋心を抱く。そんな折、持ち上がった宿屋での盗難事件。
徳さんは身を隠すように滞在している彼女が犯人だと見破り彼女を助けようと骨を折るのだが。

高峰三枝子演じる「東京から来た女」の美貌と謎めいた言動が物語をミステリアスに彩っていく。徳さんはめあきには到底判らない彼女の秘密を探り当てたという興奮に襲われている。
だがそれは徳さんの勘違いで彼女は囲われの身の女で旦那の元を逃げ出して身をひそめているのだった。
絶対的な自信を失いがっくりとしてしまう徳さん。
鋭い徳さんの勘も美しい女性の前で乱れてしまったのだろうか。甥っ子を連れた独身男も美女に心を翻弄されたまま東京へと帰っていく。
山奥の温泉場でひっそりとかわされた男女の恋物語とミステリーが不思議に奇妙な味わいのあるユーモアに満ちている。
目の見えない男性が恋に落ちて失敗してしまうという非常にブラックなコメディなのだ。
徳さんの気の強さと乾いた語り口がこのもしかしたらとても難しい題材を楽しい作品に仕上げているのだろう。

少し昔の日本の情緒溢れる景色も心を和ませてくれる。

監督:清水宏 出演:高峰三枝子 徳大寺伸 日守新一 佐分利信
1938年日本
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2009年09月11日

『盲獣VS一寸法師』石井輝男の記事の件?

ほぼ昔の映画DVDを鑑賞しながらのほほんと感想記事を書いてるようなブログゆえ、毎日のアクセス数にさほどの変化はないのだが、ここ数日いきなり 『盲獣VS一寸法師』石井輝男 へのアクセス集中が続いててびっくりしてる。
突然昔の記事にアクセスが集中するのは関係者が亡くなられたとか(山田辰夫さんの『狂い咲きサンダーロード』)、先日の陸上競技会で問題になった時『セックスチェック 第二の性』が引っかかったとか、あるのだが、今回はなんだろう?
増加数が今までにないほどなのだ。
かなりマイナーな作品なのでこういう記事を書いてる人も少なかったんだろうけど。(しかも書いてることがほんとしょうもないんだけど、いつものことながら)
私のとこで今までわっとなったのは映画では先に海外版を観て後で日本公開になった『イニシャルD』
後、別部屋ブログでサーシャ・コーエンが好きだと書いた短い記事がオリンピックの時に爆発しました。私としては最高数。あの時も驚いたんだよねー。

どうでもいいこと(だと思うけど)なんだけどこういう突然の集中って凄いなあ。
ラベル:アクセス
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2009年08月25日

『祇園の姉妹』溝口健二

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京都の花柳界を舞台にして芸妓姉妹の生き様を描く。姉の梅吉はおっとりとした性格で昔の恩義のある旦那が落ちぶれてしまったのを見捨てておけず家に住まわせ何かと世話をする。が、現代的な妹おもちゃはそんな姉が男に利用されているだけなのに我慢できず貧乏になった元旦那を追い出そうと画策する。

『祇園の姉妹』と言うタイトルからして日本的情緒に溢れたしっとりとした作品を想像していたが、冒頭に流れる音楽からしてモダンなものだったのでちょっとびっくり。だがしかし横文字はしっかり右側から読まねばならない。
かつらではあるが日本髪だし和服が主流なので大昔の話みたいに思っていたが途中から町中の看板のカタカナやおもちゃがお洒落なワンピースを着るのを見て映画の作られた昭和10年ころの話そのままなのだろうと気づく。デパートみたいな場所で食事をしようとするシーンもある。「横文字は読めん」と言ってるがまさか英語だとかじゃなくてカタカナ和製英語ってことだよね。

芸妓を金で買い慰みものにする男衆に恨みを抱き断固戦うと息巻く妹おもちゃと芸妓というのはそういうもの、と諦めている姉・梅吉だが結局どちらが賢い生き方だった、とかではなく二人とも男に酷い目にあわされてしまう、という救いのない作品なのだが、面白く観てしまうのは何故なんだろうか。

登場する3人の旦那衆が似ていて見わけがつかないのもあえての皮肉な演出なのだろうか。どれでも一緒。
騙したり騙されたり、というのがこの世界なのだろうが、おもちゃにコケにされたと恨みを抱いて暴力で仕返しをする男だけはむかついて仕方ない。

京都言葉のちょっと冷たい響きや逆に柔らかく聞こえる話し方がとても心地よく聞きいってしまう。
結局男衆の身勝手さが芸妓だけでなく妻である女性も傷つけていく、その悲憤が描かれていくのだがこの作品はそういう批判めいた語り口だけではない男女の掛け合いの絶妙な面白さがあって、姉の梅吉のおっとりさも妹おもちゃの負けん気も魅力的に表わされている。
しかしこの世界、男はやはり旦那でなければ意味がなく若者の出る幕はないようだ。

おもちゃを演じていたのが19歳の山田五十鈴だと知って驚いた。登場が下着姿で大あくび、歯磨きをして気に入らぬ男にちくりと嫌味を言うのである。
他の芸妓たちも寝ころんで店の悪口を言ったり。
こういうの当時は描かない情景であったのだろう。

監督:溝口健二 出演:山田五十鈴 梅村蓉子 
1936年日本
ラベル:溝口健二 人生
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2009年08月13日

『1999年の夏休み』金子修介

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この映画が作られたことを知った時、萩尾望都の名作である『トーマの心臓』が原作だと聞いて「あり得ない」とあきれたがさらに登場人物を少女たちが演じると判りはっきり幻滅したのだが、気持ちを入れ替え観てみることにした。しかしもう20年以上たっているのだなあ。

脚本は岸田理生。なるほどこれは判る。監督は金子修介。多分この当時この名前を聞いてても「?」だったのだろうが今では納得。『デスノート the Last name』の監督でもあり他にもマンガを原作の映画化をしている方なわけなのだ。

一体あんな舞台がドイツの学校ものをどうやって映画化するのか、と思ったらタイトル通り夏休みなわけで学校に残った3人ないし4人が体験する日本の物語になっていたのでこれは上手いなと思ったのだった。
無理があるとは思うが夏休みの学校寮内で食事の用意も自分たちでする、というので登場人物は彼ら4人だけである。大人や男性が出てきたら少女が扮した少年とのバランスが悪いだろうし、多分予算上のことだろうが変な者を出さず主要人物だけでやった方が判りやすいし独特な効果もある。
女性がやってるということでかなり馬鹿にしていたのだが実際観てみると少女とはいえきっちり男の子らしく髪を短くしていたのでそれでもちょっと驚いた。もっと女女したものだと思っていたのだ。少女たちも悪と自然に男の子らしくふるまっててずっと観てると少女だとか少年だとかそういうのはどうでもいいような気もしてきた。
年少組が上手くてどちらもとてもいい雰囲気がある。特に深津絵里はさすがに後で人気女優になるだけあってこれを観てても断トツに存在感があってうまい。彼女が演じたのは私的には原作の名前の方が判りやすいのだがアンテ役で可愛いけどちょっとひねくれたとこのある少年役を印象的に演じている。他の3人とはかなりの違いを感じさせる。アンテの役がいいのかやはり彼女がうまいのか。絡みあう3人から阻害された感のある少年という役どころは普通なら一番損みたいなのに上手い演じ手というのは違うものなのだ。
トーマ&エーリク役の宮島依里もちょっとたれ目な感じが少年ぽくてよかった。
年長組はそれに比べるとさすがに女性ぽさが出るのかややぽてっとした感じになってしまうのだ。しかも声は吹き替えであるという事実にも驚いた。
アンテとエーリク役の二人の演技が際立って差異を感じるのに上の二人は顔は違うのにどちらがどちらかよく判らなくてこれは演出の責任でもあるだろうが原作とは違うとはいえ、怜悧な感じのするユーリ役と大人びた優しさを持つオスカーの性格と外見の違いをもっと明確にしたらより面白かったのに、と思ってしまう。

『トーマの心臓』を翻案にしているとはいえ内容が全く違うものになっているのも正解だろう。
それにしても萩尾望都氏のマンガを読み返すとその画力の凄さに(判り過ぎるほど判っているのだが)やはり驚いてしまう。マンガ自体が映画そのもの、というより映画の技術を越えている。映画でもここまで演出に凝りに凝ったものはそうないだろうし。ユーリが夜中にトーマがそこにいると言いだし、発作を起こしてオスカーが人工呼吸する一連のシークエンスは奇跡みたいな出来栄えで、そのまま映画化するのは至難なのだろう。その後のアンテにキスするシーンは再現してなかったし。

さらにこの1999年はなにやら近未来的に描かれているのも不思議な光景である。

同監督自身その後もマンガ原作を映画化されているわけだが、ハリウッドもまたマンガ原作が目白押しである。私自身はマンガというすでに完成された具象世界をさらに人間でやることにそれほど興味が持てない、というのが本音なのだが、時代的にはマンガ原作の映画化がますます増えていくのだろう。この映画は先駆的存在だったのかもしれないが。
それじゃあ、他にもやってもらいたい少女漫画もたんとあるよと言いたくなったりする気持ちもあるのだが。

監督:金子修介 出演:宮島依里 大寶智子  中野みゆき 深津絵里
1988年日本
ラベル:友情
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2009年08月05日

perfumen新作!『男3人で Perfume - edge を踊ってみた』が出てた!!!

実は先日YouTubeの『男3人で Perfume ワンルーム・ディスコ を踊ってみた』をここに貼ってからというもの毎日perfumenを観てるという^^;事実を抱えてる私。
新作発表されてたんで本来ニコ動だったのだよね、彼ら。



やっぱり白が好き(ぽっ)可愛い。白くんは背は他の二人より小さいのになぜか腕が長く見えて綺麗なの。お得な体型だなあ。
でも眼鏡も仮面もよいです。ほんとに好きで困ってしまう。

あああ、またこれエンドレスで観ちゃうじゃないかあ。
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2009年07月28日

『狂い咲きサンダーロード』の山田辰夫さん逝去

俳優の山田辰夫氏死去

昨日急に『狂い咲きサンダーロード』の記事へのアクセスがあったので何故?と思ってた。そうだったのか。
私には『狂い咲きサンダーロード』だけでの彼だったが、それひとつで他にないほど忘れられない強烈な存在だった。

ご冥福をお祈りします。
ラベル:訃報
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2009年07月16日

『中国の鳥人』三池崇史

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三池崇史監督、本木雅弘主演でこの写真、絶対飛べそうにない羽根をつけて真面目な顔で立っている。一体どんな映画か想像もつかなかったのだがハチャメチャな作品であることは間違いない、と思っていたのにこんなに立派な映画だったとは。
時折、石橋蓮司のバイオレンスで三池監督作品だということを思い出させてくれるが、それ以外は非常に真摯な映画であった。
とはいえ、他の映画にはあまりないほど強烈な笑いがあちこちに仕掛けられているし、三池監督作品は基本的にファンタジーであるので確かにそういう意味ではまさにらしい映画でもある。

何といっても本木クンの端正ながらどこかユーモアを持つ美青年ぶりと石橋蓮司のいつ爆発するかわからないおっかないヤクザぶりの対比が非常に効いていてその化学変化がたまらない。そこにはちゃめちゃ日本語の案内人・沈を演じるマコ・イワマツの奇妙な薬味も作用して若干悠長な作品ながら飽きさせないのである。
唐突に中国雲南への出張を頼まれた会社員和田(本木)はよくわけのわからないまま、翡翠の産地である山村へ赴くことになる。だが彼を待っていたのは通訳兼案内人の沈さんだけではなく借金取立人のヤクザ氏家と名乗るコワモテ男もだった。
初対面の3人の男の珍道中がおかしくてたまらない。都会暮らしの日本人が中国奥地に行ってとんでもない目に遭う、という話はもう数えきれないくらい聞くのだがそれでもやっぱりおかしいんだよね。
どこまで本当で嘘か判らないが殆ど本当の体験談じゃないのかと思ってしまう。物凄くフレンドリーに話しかけてくる列車の中の人だとか、いきなりドアやハンドルが外れてしまう自動車だとか、丸見えのトイレ(と言える代物じゃないが)だとか、いけどもいけども山また山、亀が動力である船(じゃなくイカダ)なんかもまさかこれはありえねーとは思うけど。
ああ、そういえばヤクザって都会の生物なんだよね。岩山登山してるヤクザって。石橋さんが必死でロッククライミングして上りついたら土砂降りの中じっと座りこむ。きっと「ヤクザの仕事ってこういうのだったけ?」って心で泣いているはず。もうおかしくて笑うしかないやね。
山の中の村は中国の山並みの絶景で緑が滴り落ちるような美しさ。村人は皆純朴で子供たちの笑顔が可愛らしい。主人公が仕事も忘れて自然と村人たちに惹かれてしまうのはお約束だけどもっと彼らを愛してしまったのがヤクザ氏。小指一本を引き換えに足を洗って(というのがまたおかしくて)主人公和田の会社の開発アドバイザーとなって村に住み着いてしまうなんて。
主人公・和田は結局日本に帰り結婚し子供が生まれ数十年が過ぎ去りかの村を懐かしむ。

主人公のナレーションで「僕は空を飛んだ夢を見たことがない」というのから始まる。
世の中には結構空飛ぶ夢を見る人がおられるようだ。実は私も空を飛ぶ夢、というのはまったく見たことがない。あまり要望していないのだろうか。ただ、ずっと昔あんまりそのことを考えていたせいか一回だけ「どうもうまく飛ぶ夢が見れないなあ」みたいな感じの夢を見て物凄く低い地面すれすれに飛ぶ夢を見た。しかも物凄く辛くてこんなにきついんだったら飛べなくていいやって感じだった。以来一回もない。おまけにわたしは夢の中で自分じゃない人が主人公だったりすることが多かった(過去形なのは大人になってから殆ど目が覚めてからも覚えているような夢をみたことがない。いつも疲れきって爆睡なのだ、うたたねの時馬鹿夢を見たりはするが)
しかしはっきり覚えてるがちょうどこういうのみたいな「飛ぶ子供がいる山村を訪れる」夢は昔観たことがある。その村はこの映画より切り立った危険な山村だったので15歳未満ほどの子供だけは空を飛べるのである。夢の中の私は(これは自分だったようだ)「へーっ」と驚いた、つまり信じたわけだが、そりゃ目の前で飛んでたからね。飛ぶと言っても舞い上がるんじゃなく崖から落ちても大丈夫なように浮かんで降りる、というのが妙にリアルであった。残念なのは大人になると飛べなくなるのだ。「人間というのはよくできたものだ」と夢の中で感心していたが本当にいるのかな?あ、そこはさすがに日本じゃなく外国だった。よくわかんないけどアジアのどっかだったのかなあ。(夢の話だけど^^;)

監督:三池崇史 出演:元木雅弘 石橋蓮司 マコ・イワマツ
1998年日本
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2009年07月15日

『青い沼の女』実相寺昭雄

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実相寺監督らしいあまり予算のない中で何かと演出を凝らして雰囲気を出していくこのチープな感じが好きである。
原作が泉鏡花で幻想的であることを期待させられるし(と言っても私は鏡花は全然知らないのだがイメージ的に)無論映像は思い入れたっぷりの雰囲気で楽しめる。
だがこれで勿体ないなあと思うのはヒロインの山元陽子さんは申し分のない美女で何の不満もないのだが、彼女を挟んで愛憎劇を繰り広げる二人の男優がどうしてもいただけない。本当に申し訳ない言い方だが中山仁と田村亮(ロンブーじゃなくて俳優の)なのが二人ともどうにもおじさん過ぎて、いやおじさんでいいのだがなんだか色気がないのだよねー。
当たり前だがこういう幻想的なドラマというのは(なんでもそうだろけど)俳優の魅力というのが決め手である。登場人物はごく当たり前の人間というよりどこか他と違う美貌や才能を持っていて欲しい。お二人は確かに俳優として当然の美男ではあるのだろうが匂い立つような妖しさだとかが足りなくてどうしても普通のおじさん、みたいに見えてしまう。山本陽子さんだけは魔の魅力を感じるがどうして男性陣はこんな味気ない面々でそろえたのか、当時では人気があったのだろうか、この顔では単なる昼メロに見えてしまって損だと思うがまあこれはTVドラマであって私のようにまったくTVドラマを観ない者にはよく判らないのかもしれない。

原作が泉鏡花『沼夫人』ってなんだか凄いタイトル。いや沼って名前の方も確かにいるだろうがここでは姓ではなく心中事件を起こす女性のことだ。脚本が岸田理生というのもなるほどね。
舞台が田舎に建つ富裕な画商の洋館で勝手気ままな御曹司滝川とその美しい夫人・水絵。そして滝川と大学以来の友人・流の三角関係をおどろおどろしくも美しく幻想的に描いたものである。
水絵と流(みんな水っぽい名前なのだ)は心中事件を起こすが流だけは生き残ってしまう。友人滝川に引け目を感じている流のもとへ再婚の手紙が送られてくる。過去はもう忘れたから遊びに来てくれ、というのである。
この新しい夫人が前夫人水絵にそっくりで(山本陽子ふた役)再び流を苦しめる、という物語である。
洋館のホラーっぽさもよろしいし、怪しげな執事も登場し、その上霊媒師まで参加してくるにぎやかさなのだが如何せん肝心の(いや肝心は夫人だろうが、男だってやはりいいのを選んで欲しい)二人の友人に魅力を感じないままの鑑賞なのでいまいち楽しめない。
他はそのままでいいから彼らだけ誰かいい人と交代してくれないかなあ、という残念なドラマだった。
こういう手作りっぽいオールセットのドラマというのも面白いと思うんだけどねえ。

監督:実相寺昭雄 出演:山本陽子 中山仁 田村亮 堀内正美 原知佐子
1986年 / 日本
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2009年07月08日

『赤線地帯』溝口健二

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この映画もタイトルの意味を知る人なら何らかの含み笑いを浮かべて観始めてしまうものだろうが、作品自体はこれまで観てきた「売春宿」を舞台にした映画とは全く違う作品であってそうした世界にエロティシズムを感じようとした人にはがっかりさせてしまうものかもしれない。
つまり性描写などは皆無と言ってよく『赤線』と呼ばれた公認の売春宿で働く女性たちのそれぞれの苦悩と生き様を描きだしていく作品なのである。

とはいえ、この作品で私が最も惹き込まれたのは彼女たちの苦悩というより当時の街の景色や部屋の雰囲気、女性たちの風貌のほうだった。
ちょうど売春防止法が施行される1956年公開で内容はその売春防止法前夜の店の主人や女性たちの揺れ動く心が描写されている。
東京なのだからとても華やかなのだろうが小じんまりした売春街の夜景も何ともいえずみみっちい情緒があるではないか。和服が殆どの女性の中で神戸出身のミッキーは京マチ子が演じているせいもあってすばらしく肉感的扇情的進歩的な洋装なのである。「八頭身よ」と威張る姿が可愛らしい。貧乏や不遇が原因で身を売る羽目になった他の女性たちとは違い彼女は金持ちのお嬢様なのだが金儲けしたのをいいことに大勢の遊び女と関係を持つ父親が母親を苦しめたことに反抗する為に不良となり売春婦になったという経緯を持つ。今の女の子たちの売春に似ている存在かもしれない。
迎えに来た父親に思い切り言い返し「私と遊んで行けば」とつきつけ逃げ出す父親に「とんだメロドラマだ。マリリン・モンローでも観に行こう」と叩きつけるミッキーは小気味いいが、彼女の心の奥に淀む父親という男性の買春に対するしっぺ返しが自分の身を売ることだという行動は彼女の恨みや悲しみがどんなに精神を歪ませているのか、彼女が明るいだけにその闇は酷く暗いものなのではないだろうか。

或いは親の運命の為に売春する羽目になったやすみ(若尾文子)は持ち前の美貌を活かし人を騙しても金儲けをして布団屋を経営するまでになる。
結婚を夢見て敗れ店に戻る女、息子と一緒に暮らすことだけを夢見ていたのに息子に「汚い」と言われ気の狂う女、病気の夫と赤ん坊を世話し所帯じみながら働く女、それぞれの心情が細やかに映し出される。

そして様々な風景。売春街、田舎、工場などの様子がこれは今再現しようとしてもできないもうなくなってしまった空気だとか、土だとかが感じられる。
この映画では彼女たちが苦しむ売春というものがどんなに彼女たちの体と精神を蝕んでいくのか。その仕事自体は想像するしかない。だが結局映画でそれがどんなものか、判るように描ける映画はないだろう。それを観た者でも受け止めるものは違ってしまう。
そうした場面を描くことは一切ないが、映画の中で流れる音楽が奇妙に神経に響く不協和音のような不気味なものであることが作者の気持ちを表しているのかもしれない。

場末の買春宿を描いても溝口健二の映像はやはり美しい。それはそこに描かれる女性たちが虚飾ではないと思わせる力を持っているからなのだろう。

監督:溝口健二  出演: 京マチ子 若尾文子 木暮実千代 三益愛子 町田博子 小暮実千代
1956年日本
ラベル:売春 家族
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2009年07月01日

『悪夢探偵2』塚本晋也

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前作がとても面白くまた松田龍平の味がとても活かされた作品だったのでかなりの期待で観たのだがそれを上回る面白さだった。

前作もそうだったが松田龍平=悪夢探偵が活躍する前に依頼者である少女の葛藤が描かれていく。それで思ったのは昨日観た少女が迷路に入りこみゴブリンとともに或いは戦いながら大切な弟を探すのが一時代前のラビリンスなら現代のラビリンスはオカルティズムなのかもしれない。
しかしここでも少女が両親から見放された状況だという設定になっているのもそうした不安定な精神の少女がゴブリンもしくはオカルトの世界に入り込んでしまう、ということなのだろうか。

悪夢探偵の前に現れる少女雪絵の依頼がやや強引で自分勝手なことに苛立ちを覚えてしまうがそれは彼女の心がやはり歪んでいることの前説だったと後で知る。
雪絵は気に入らない同級生の少女菊川夕子を仲間を使って酷いイジメを行う。恨みを持ったその子が夢に出てきて雪絵たちは苦しみ仲間二人は死んでしまう。残った雪絵は菊川に殺されてしまうのだろうか。
というような物語は他にもよくある筋書きなのであるが、悪夢探偵である影沼京一は最初から雪絵を快く思ってはおらず、むしろ彼女たちが忌み嫌って苛めた上に復讐されると恐れている菊川に心を惹かれているのである。
それは京一の母親が菊川によく似た精神を持った女性でその為に自分は殺されかけもしたのだが、それでも京一は母親に思慕を抱いているのだ。
普通なら気持ちの悪い悪霊というか生き霊として退治されてしまう存在の菊川を京一が優しく抱きしめ慰める場面は今までのオカルトものにはない癒しを感じさせられるのだ。(先日観た『永遠の子供たち』に似たものがあるが)
京一が初めから雪絵に対し「菊川に心から謝らなければ夢から逃れられない」と言っているのに雪絵は菊川に恐怖しか感じられず「謝っているのに」と苛立ってしまう。
京一は菊川には怒りはない。ただ怖がっているだけだ、と悟る。
それは彼の母親がいつも世の中のすべてのものを怖がりついに子供である京一にも恐怖を感じて殺そうとしてしまったことを知っていたからなのだろう。
「世の中が怖い」そういう思いは皆の心に大なり小なりあるものだろうが異常に感じてしまう人々にはそれが心を閉ざすことになり場合によっては歪んだ間違った行動へと発展してしまうこともある。
この作品で菊川が再び登校し彼女を見た同級生たちが微笑むことで希望を与えてくれた。
また雪絵は菊川のから恨まれているという恐怖から逃れることはできたのだろうが人の心が読めてしまう、という重荷を科せられることになる。
母親から殺される夢を何度も見続けていた京一はまるでそのことが夢だったかのように優しくハンバーグを作ってくれる母の夢を見る。
だがそれは夢であった。
母がハンバーグを作っていた台所は夢の中のことで現実には錆びた流しがあるだけ。
いつもしかめ面をしていただけの京一がわあわあと泣きだす最後には耐えきれない悲しさがある。

ほんとに松田龍平は観る度に好きになってしまうのだが、以前好きでなかったということが信じられないくらいいい顔だと思う。
今までの色んな役がいいものだったが、この悪夢探偵はダークなかっこよさが彼にぴったりである。
年をとってもいいタイプの役者のようの思えるからますますいい役者になっていけるのではないだろうか。
ところで彼のお父さんである松田優作は私の世代の特に男性にはカリスマと言っていいほどの人気を持っていたが私はそれほどファンと言うのでもなかった。というか彼の人気というのはやはりアクションもののイメージで自分的には男性ファンのように憧れるというものではなかったのだった(もちろん女性ファンも多かったのだが)
最近になって彼の話を聞いたりするとアクション俳優のイメージがありすぎて彼自身はもっと違う演技もしたかったらしい。それでまだ観てなかった『それから』を観たのだがそれまで思い込んでいた松田優作とは違うとてもいい味を持っていてこれを早く観ていたら好きになっていたかもしれない、と思ったものだ。
彼の息子である龍平くんはアクションというのはあまりないと思うし実に様々な役を演じている。パパの優作さんが息子龍平くんの仕事ぶりを見たら随分羨ましく思うのではないだろうか。しかし時代がそうさせなかったのもあるし無論彼の出生も時代背景が原因がしていないとは言えないが。
そういえば優作氏は一重の目を気にして二重手術をしたのらしいが、龍平くんはくっきり一重だけどメチャハンサムであるのは皆が認めるところだろう。この辺も時代の違いなんだろうか。
無論アクションものに出なかったら優作があんなに男性の憧れのスターになることはなかったんだろうけど。
龍平は父親のような激しい人気者ではならないだろうけど、私はやっぱり優作氏は息子が羨ましいだろうな、と思う。

この最後辺りの文章は優作氏をさほど知らない私が勝手にイメージして思ったことではあるのだが。もし全然違うのならお許し願いたい。

監督:塚本晋也 出演:松田龍平 三浦由衣 韓英恵 松嶋初音 安藤輪子
2008年日本
posted by フェイユイ at 23:12| Comment(0) | TrackBack(1) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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