映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年06月06日

『紀雄の部屋』深川栄洋

紀雄の部屋.jpg

『真木栗ノ穴』『体育館ベイビー』『狼少女』とどれも面白かった深川栄洋監督作品、ということでこれも観てみた。
わずか57分の映画で内容もごく普通のオタク青年の(オタクは普通じゃねえという方には普通ではないが)日常的ラブストーリー(オタクに日常的ラブストーリーがあるのか、という方には日常じゃないが)ではあるのだがさすが一見ごく当たり前の出来事を面白く描くという腕前は比類なき深川監督作品であった。

主人公のオタク青年が宮崎あおいの心も掴んだ高岡蒼甫氏でこんなかっこいいオタクがいるかな、って思わなくはないがそこはまあサービスということで。
薬学部に所属する秀才でありプロレス好きフィギュアコレクターのオタク青年でもある紀雄氏はプロレス会場でバトンガールをやっていた可愛い女の子綾子に一目ぼれ。以来付き合うことになるが潔癖症の紀雄には彼女のぐうたらさが我慢できずいつも怒鳴ってばかり。綾子はいつも煩く咎める彼にうんざりもする。
だが喧嘩ばかりのようでいて二人は離れず過ごしていた。
そういうある日、紀雄はオタク先輩の妹から横恋慕されてしまう。その妹は紀雄の彼女の秘密を見つけてしまうのだ。

と言っても彼女の秘密は先ほど観た『あなたになら言える秘密のこと』みたいな凄いことでもないわな。
単に「21歳だと言ってたけどホントは27歳だった」というようなことで。
確かに22歳の大学生である青年にとってはちと衝撃なことかもしれないが。
紀雄も5歳も年上か、とショックを受けてしまうのだが、そのまま綾子が姿を消してしまうと段々不安になり、彼女がバイトしていたプロレス会場で「綾子はどこに行った」と叫んでレスラーにぼこぼこにされてしまう。
傷心のまま勉強を続ける紀雄の部屋にある日綾子がひょっこりと戻ってくる。
相変わらずねじの外れた彼女にガミガミと怒りつけ紀雄はスパゲッティを作りながら鼻水と涙を鍋の中にぼとぼとと落とすのだった。

他愛のないようなお話で(笑)
もっと年取れば27歳なんて若い若い、ということだがねえ。5歳くらいの歳の差なんてなんつーこともないっしょ。
いっつもガミガミ言って嫌っているかのように思えた男が実は彼女がいないとてんで元気がなくなってしまう、っていうのもよくある話なんだけどね。
綾子のどうしようもなさ加減と紀雄のオタクな感じと日常のぐだぐださもあいまってその辺が却っていい雰囲気を醸し出しているいい作品であった。

オタクってホントに気持ち悪がられるねー。これ観ててもやっぱり気持ち悪しおかしいんだけど、そういう自分もオタクの一員ではあるからなあ。
しかし「同じコナンでも『名探偵コナン』じゃなくて『未来少年コナン』じゃ古いですよね」っていうのはある。年齢を誤魔化す時は好きなアニメに気をつけよう。私なんざ『コナン・ザ・グレート』だもんね(アニメじゃないけど。単に筋肉マニアというだけか)

監督:深川栄洋  出演:高岡蒼甫 つぐみ 安藤希 菅原永二 富豪2夢路
2004年日本


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2009年06月05日

男3人で Perfume ワンルーム・ディスコ を踊ってみた

あんまり可愛いのでつい。のっちの白服くんばかり見てしまう〜。



他にもあります。もう虜になりそう。
男3人で Perfume
もっと観てみたい。

perfumenという3人なのですねー。
ラベル:YouTube
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2009年05月09日

『戒厳令』吉田喜重

戒厳令.jpg

『226事件』と関係する作品ということで観たのだが、これは凄かった。
昨日見たクローネンバーグ『ビデオドローム』が平凡に思えるほどのシュールで摩訶不思議な世界である。別段異常な現象だとか奇をてらった行動をとるなんてことは全くないのだが、凝りに凝ったモノクロームの映像美の鮮烈さ、語られる言葉の難解さ、不気味なBGMも相まって何かしら怖ろしい空気が張り詰めているのである。
北一輝という人物について全く知らなかったのだがこれがまた奇妙な人物である。三國連太郎は怪演と呼ぶにふさわしい迫力で「片目の魔王」と呼ばれたこの人物を演じている。
彼の著書に感銘を受けた人々から師と仰がれ青年将校らによって515事件さらに226事件を引き起こしていくのだが当の本人は関わりになることを極端に嫌っている。
妻との会話は冷淡でこれも尋常でないものを感じるのだが、剃刀で首筋を剃っている妻からそれを取り上げ、自分の手首(といっても甲のほうだが)を傷つける。そして「私が幼い頃住んでいた島では子供が悪いことをすれば罰したものだ」だとか「私が怯えた時、いつも罰されていたが今は誰も私を罰しない。だから自分で罰さねばならないのだ」だとか言い出す。それを聞いた妻が「では今度あなたが怯えた時、私が罰しましょう」というと「そういうお前こそが怯えているのだ」とくる。
日本人でありながら中国の長袍を着て歩く姿は威厳があるが、三井家を訪ねてお金を出されたらあっさり受け取ったりと強さと弱さ、表と裏が際立って存在していたような描き方である。
人々への影響も示したいのか、控えめでいたいのかなかなか掴みどころのない人物なのだ。
どのエピソードも一風変わっているのだが一番の見所は北一輝と盲目の物貰いの老人との会話だろう。
壁を背にして金をもらっている老人は「陛下は私がこうしていることをご存知です」と言う「ではお前は陛下がおられる事を知っているのか」「いえ、私は陛下が私がこうしていることをご存知なのを知っているだけです」なんだか妙な哲学みたいで飲み込めないがこの会話こそがこの作品をそのまま表しているみたいなのだ。陛下とは無論天皇陛下なのだがまた別に「陛下はただおられるだけであっていがみあっているのはあちらとこちらだということではないか」みたいな会話もある。
なんだかこの国はよくわけのわからない不思議なものによって動かされていたのかもしれない。
またこういう微妙に危険な作品があり得たというのも不思議である。

先日の『226』が思い切りメロドラマだったのに対しこの作品の難解さはむしろ爽快ですらある。
秀逸な映像も三國連太郎の演技も見入ってしまう魔力がある。

監督:吉田喜重 出演:三國連太郎 松村康世 三宅康夫 倉野章子
1973年日本
ラベル:歴史
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2009年05月06日

『226』五社英雄

226 五社.jpg

『スパイゾルゲ』でも描かれていた『226事件』これも教科書以上のことは知らないので早速観てみることにした。
大変な豪華出演者で待望のDVDでもあった本作らしい。確かに知っている顔ばかりだと人物が判別しやすい。イケメンが多いのも華やぐし、時間は僅かだが妻役の女優陣も彩り豊かであった。

さて内容はというときっぱりと主題が『226事件』に関わった青年将校達の心情を描くというものだった。そこに焦点を集めるために何故そういう事件を起こしたのか、それまでの経緯とそれからの展開、上層部についての表現は極端に切り落とされている。日本人なんだから『226事件』くらいは把握しているはずという前提の上で観ねばいけないのだろう。その事態把握がなければ彼らの心情、悲しみというのを理解するのは難しい。
冒頭に日本の農村地帯の貧困、農村出身の兵士たちの姉妹は身を売らねば食べていけない状況にあるという説明が僅かにされるが、そこからいきなり青年将校たちの怒りが爆発してクーデターを起こし寝ている老人達を殺害していくので何も知らないままに観たらとんでもないテロリスト集団としか思えない。殺人集団である青年達が続く場面で妻たちに優しい言葉をかけていくのも自分達の運命に涙を浮かべるのも白々しく思える。
一体どうしてこういう風に感じさせるのか。
これは別に彼らを美化し悲劇の英雄として描いているのではなく、こういう時代の中でこういう生き方しかできなかった男達を皮肉に描いているのではないだろうか。
時代の流れによって崇高な憂国の志を抱いた若者達が強大な権力には抗えるわけもなく行動し失敗し追い詰められ自害或いは処刑されてしまう。最後の「天皇陛下、ばんざい」の言葉も皮肉めいて聞こえてしまう。
野中大尉のやや無様にも思える最後にしても果物ナイフで自害する河野大尉にしても皮肉めいた眼差しを感じてしまうのだ。
表面的には青年将校の悲劇を憂いながら奥では痛烈に批判している。表立ってしまってはまだ問題があるだろうから、というように見えてしまうのだ。
もう少し時間が経てばもっとはっきりした表現ができるのかもしれない。

監督:五社英雄 出演: 萩原健一 三浦友和 竹中直人 本木雅弘 加藤雅也 川谷拓三 佐野史郎 有森也実 安田成美 南果歩 名取裕子
1985年日本
ラベル:歴史
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2009年05月03日

『スパイ・ゾルゲ』篠田正浩

SPY SORGE.jpg
SPY SORGE

世間では「歴女」と称された女性たちが歴史上の人物に思いを寄せることが流行っているようだが、その標的はどうやら日本の戦国時代が主になっているようだ。私も若い時はその辺りに興味がなくもなかったが年を取った今ではさほど気持ちが動かない。今興味があるのは若い頃には見ようとしなかった昭和初期とその前後である。明治大正昭和初期と日本が突如として世界の中に入って行こうとした時代。今見ればあまりにも急激な状況の変化の中であわよくば国土を広げ列強国に躍り出んとした過激な時代である。引きこもりだったおとなしい子供が突然おかしくなってしまったような時期でもある。母国である国が隣接する国々及び他の国までにも人間性を失った行動を取った時代であるが為、自分が少女期には見聞することが怖ろしく耐え切れなかったのだ。この年齢になってやっと少しずつ学ばなければいけないのではないかと思えるようになってきた。あまりにも遅い出発ではあったがやはり(非常に複雑で難しい時期ではあるが)知っておかねばならない時代だと思うようになった。映画は非常に面白く知識を与えてくれる媒体であるがこの時期を描いたものというのはなかなか簡単に見つからない。いわゆる戦争もの、はあるのだが私が観たいのはその以前の時期なのである。どうしても日本が難しい立場にあり、人に知られたくない、触れて欲しくない行動をしていたからなのだろう、そうした映画はあまり見当たらないのだ。
そんな中で幾つかの映画を観ることができ、今頃になってやっと本作の存在に気づいた。それは私がゾルゲと尾崎秀実という人物たちのことをまったく知らないでいたためだろう。
どうもこんな体たらくの者の鑑賞では本作も気の毒というものだが、自分としては「こんなに面白い映画があったのか」というほど感動して観てしまったのだった。

いつもながら物凄く長い前置きになったがまだ続く。幾つか他の感想などを見ると思いのほか酷評であることが多いようだ。「こういうのが観たかった」とのめり込むようにして見た自分にとっては不思議なのだがこの作品があまりに真面目にその時代と取り組んでいるのが教科書的でつまらなく見えてしまうのだろうか。だが自分としてはゾルゲも尾崎もまったく知らなかった為、ここまで丁寧に判りやすく作られているのはとても有難いことだったし、台詞の端々に伺える作者の思いも素直に頷けるものであった。この長さも必要だったし、むしろぎりぎりの短さかもしれない。
主人公であるゾルゲ、尾崎は名前くらいしか知らなかったのだが、篠田監督の描く彼らには強く惹かれる。彼らの言葉行動に作者の思いが込められているのが伝わってくる。
戦争というのは何故起こるんだろう。民は毎日の糧を得、人間らしく生きていければそれでいいのに「国」が富や権力を得るために犠牲になれと言われる。誰に?それぞれの国の一握りの権力者らに。
ゾルゲは「ナチスのような」圧政と暴虐を憎み純粋に思想としての「共産主義」を望んでいた。それは現実にできた政治としての「共産主義」ではなく「人々が力を合わせて平和に生活できる理想」としての夢だったろう。(ただここで描かれるゾルゲが理想のために妻も恋人も友人も犠牲にしていったことは怖ろしいことだと思う。理想に夢中になったがために大切なものを傷つけてしまう、人間がはまってしまいやすい落とし穴である)
尾崎秀実もまた他国に侵略していく母国に疑問を持ち、ゾルゲと彼らを引き合わせた女性ジャーナリスト・アグネス・スメドレーと共に人種も宗教も越えた世界の平和を真実求めていたのだ。だが国という巨大なものの前には彼ら数人の思いが太刀打ちできるわけもない。彼らの行動は「スパイ」であり「国家の裏切り」であり、正義ではなくなってしまうのだ。彼らの行動が真に平和を求めたからであったとしても。
ならば本当に世界平和のための行動、というのはどういうものなのか。彼らの時代ではその考え方自体が間違いであったのだろう。国のために戦うのは正義だが、平和のために行動するのは非人間的行為だったのだ。
実際の彼らがどうだったとかは判らない。ただこの作品で篠田監督は彼らを通じて昭和という時代と本当に平和を求めるということはどういうことなのかを表現したかったのだ。
最後にジョン・レノンの『イマジン』の曲が流れる。奇しくも昨日、忌野清志郎さんが亡くなった。私としては彼の歌った日本語での『イマジン』が頭に流れてきてしまった。
「夢かもしれなぁぁい。でもその夢を見てるのはぁ一人だけじゃなぁぁい。世界中にいるのさ」清志郎の声が。
「天国は無い、ただ空があるだけ
国境も無い、ただ地球があるだけ
みんながそう思えば
簡単なことさ

社会主義も、資本主義も
偉い人も貧しい人も
みんなが同じならば
簡単なことさ」

彼らは本当にそう思っていたのではないだろうか。

「夢かもしれない
でもその夢を見ているのは
きみ一人じゃない
仲間がいるのさ
平和に生きている」

監督:篠田正浩 出演:イアン・グレン 本木雅弘 椎名桔平 上川隆也 永澤俊矢 葉月里緒奈 小雪 夏川結衣 岩下志麻 葉月里緒菜
2003年日本

この映画にたどり着くのに随分時間がかかってしまったが、時期として今がちょうどよかったと思っている。
もっと前に観ていたらきっと全然意味がわからなかっただろう。そしてゾルゲ役のイアン・グレン。
いきなり見ても充分な2枚目ではあるが、つい先日だが『ペインテッドレディ』鑑賞後だったことはほんとに(自分的には)よかった。
何と言ってもあのセバスチャンなのだ。本作ではかなりの女たらしであられるゾルゲ氏=イアンがつい先日は美青年に夢中になっていたゲイだったので私としてはぐふふ的な思いでずっと観れることができた。
尾崎秀実の本木雅弘は申し分ない配役でその端正さは魅力がある。小雪さんの出演は僅かだが彼女の演じた淑子さんは写真で見てもはっとするほどの美貌の女性である。ウェディングドレスが実に似合っている当時としては並外れた雰囲気を持つ日本女性だったのではないだろうか。

この時代を映画化するのは思想的にも他の国への配慮からも困難だろうとは思うのだがそれだけに非常に惹かれる題材でもある。
時間が経ち、今から少しずつ作られてくるのではとは思うが、考慮も重ねながらいい作品が生まれてくることを願ってしまう。

ゾルゲを知る為にこういうのもあり。→NHKオンデマンド「歴史への招待」
参考までに。
ラベル:思想 世界 戦争
posted by フェイユイ at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月02日

<訃報>忌野清志郎さん

どうしよう。忌野清志郎が死んじゃった。信じられないよ。

<訃報>忌野清志郎さん
posted by フェイユイ at 23:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月29日

『狼少女』深川栄洋

ookamisyoujo.jpg

深川栄洋監督作品鑑賞3作目。これもまた特に目新しい題材で衝撃を受けるというようなものではないのだが登場人物一人ひとりに細やかな演出がされていて昔懐かしい雰囲気ながら新鮮な感覚なのである。この監督だったらどんな平凡な物語でも面白くなってしまうような気がする。

話題になった作品だったのだが昭和が舞台というのが流行っぽく『狼少女』というのがまたチープだなと二の足を踏んでしまったのだがそんなことはこれもまたまったく関係ないのだった。
変に昭和っぽく見せようとかいうのではなしに子供達の関わりが心に染みてくる。
酷い貧乏のためにいつも汚れている女の子小室ヒデコ、クラスの皆は彼女を穢れたものとして忌み嫌っている。主人公アキラは普通の家庭の子のせいもあってただクラスの雰囲気に流されて生きている。
彼らのクラスに美少女手塚留美子が転入してくる。頭もよく運動神経も優れている勝気な留美子はクラスのガキ大将にも負けていない。仲間はずれのヒデコと友達になろうと頑張るのだった。

ぼんやりしてるけど見世物小屋の「狼少女」の存在を信じ見たくてたまらないアキラ。そんなアキラは転入生留美子に振り回され、なんとなく避けていたヒデコの味方にさせられる。
子供達は(大人だってそうだけど)きちんと自分の気持ちを整理して話すことができない。何が正しいのか、何が必要なのか、そして正しくても必要でも自分の意志だけではどうにもならないこともあるのだ。
何でもできる誰にも負けない留美子も「もう10歳、まだ10歳」であるがゆえにやはり誰かを頼りにしなければならない。
幼い彼女が見世物小屋で「狼少女」になることは彼女の心にどういう重荷であるのか、屈辱だとか悲しさだとかそういう葛藤はこの物語では語られない。留美子の精神は他の子供達とはかけ離れている。彼女の並外れた強さはすでに何かを乗り越えてしまった強さなのだろうか。
決して泣かない様な彼女が友達になったと思ったアキラとヒデコから拒絶され旅立ちを決意する。そこでもまだ涙を見せなかった彼女が追いかけてくる友達を見て「ありがとう」と泣いた時、彼女がまだ子供なのだとお母さんが欲しかったという言葉にも泣けてしまうのだ。

この作品は子供達の物語だが本当のことを言えない「狼少女」であることも周りの流れでつい自分を偽ってしまうこともうまく気持ちを伝えられないことも大人も同じことなのではないだろうか。
アキラが「狼少女はいない」と叫ぶ時、いつもだんまりのヒデコが「留美子ちゃんの所へ行こう」と言った時、ガキ大将が留美子のランドセルを走って持って来た時、心を伝えるためには走って叫ばなければいけないんだと涙が止まらなくなってしまうのだ。
彼らはまだ幼くて別れてしまわなければいけないけど、いつかきっと再会できる。再会することがなかったとしても心の中から友達が消えてしまうことはないだろう。
ヒデコも留美子もアキラもきっと素敵な大人になれるんじゃないかなとなんだかそんなことを考えてしまういい映画だった。

ただ、この映画でいくつかひっかかる部分は確かにあると思う。特にヒデコのお母さん。本当はヒデコの家を描写しない方がよかったのでは、とは思ってしまう。もしくはヒデコの母親が悪そうに描かれていれば疑問もなかったのだがいい人として登場してきたのでヒデコの状況がよくつかめなくなってしまった。新聞配達は仕方ないのかもしれないがあの髪はやリすぎのような気もする。
留美子の実生活の説明がないのもやや怖い。何故彼女があんなにまで身奇麗にしているのか、見世物小屋のオヤジ(田口トモロヲ)との関係も危ぶまれる。
観ていておやっと思わなくもなかったがとにかくラストで全部泣いてしまって流された。

アキラの友達くんは、ほんとに昭和な顔でよかった。

私世代は本当はこういう見世物小屋を見れたのだけど残念なことに私は体験できなかった。実際観れなくてもそういう小屋があったということだけでも知っていたら面白かったのだが。同じ年齢の相方はしっかり見たらしい。悔しい。
変なものを売りつけるオヤジはいた。こういうトランプじゃなかったが、変な石膏板みたいなのから綺麗に動物模様みたいなのを切り取れたらお金をくれるとか、言われて。私もしっかり騙されて買った(泣)

監督:深川栄洋 出演:鈴木達也  大野真緒 増田怜奈 大塚寧々 利重剛
2005年日本
ラベル:昭和 友情
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2009年04月28日

『体育館ベイビー』深川栄洋

体育館ベイビー.jpg

別に昼間「ゲイ映画ベスト」をやったから観たんじゃなくたまたま今日の予定がこれだったのだが^^;
世を賑わせているBLもの、ゲイ映画が大好きなら観てもよさそうなものだが多分今まで自分は観たことがないのだ、と思う(確信は持てない^^;)何故これを観たかといえば無論監督が深川栄洋だったからで。『真木栗ノ穴』でよくある物語をあそこまで面白く見せてくれた監督なら若干軽んじられるBLものをどんな風に見せてくれるのかと期待したのである。
さて他のレビューをチラ見してもそれほど高い評価でもなかったようだし、出演の少年たちも初見の身ではあったが、これは予想した以上に素晴らしい出来だったねえ。

『真木栗ノ穴』もあまり予算があったように見えなかったが本作はもっと厳しい状況だったのではないかと思われる。登場人物もほぼ主演の3人の少年と一人のコーチパパ、病気の少女、学校の女性教師くらい。
映像もかなり渋いもののように思えたが出来うる限りに美しく撮られていたように感じられる。
ゲイ・少年愛とプールというのは定番であるし、出てくる3少年が3人とも可愛いし、一番の美少年であるジュン君を彼と同じ水泳部の村井とジュンの幼馴染の加藤が取り合いをするというなんだか他愛ない話なのだがさすが深川監督の微妙な匙加減が効いていて結構キュンとしながら観とおしたのだった。

3人とも美形だと思うのでそれほど大変ではなかったろうけど、それでもかなりの演出を駆使してより3人が魅力的に見えるように工夫されている。
あまりぺたっとしたアップがなくて光と影を多用に使い分けている。村井君はとんがった横顔の感じがちょいファニーで可愛いし、ジュンが勉強しているとこが蛍光灯で照らされているのがとてもいい感じである。プールの中の二人の撮り方は本当に綺麗でジュンが最初失神してしまいぼんやりと浮かんでしまうところ、それを村井が助けに飛び込む場面、夜のプールに二人がいる場面、薄暗い照明で浮かび上がる少年たちの裸、水に浮かぶ裸の腹が水を弾くところなんかも若々しい美しさが眩しいのだ。
水の外と中で音の響きが違うのも幻想的な雰囲気がある。
ほんの触れ合うほどのキスシーンの他は好きだとか言う台詞だけで特に際どい場面なんかはないのだけど、まだ幼いと言ってもいいような少年たちの恋物語なので自分としてはこれで充分である。
なんだかやたらと気持ちが高ぶっている村井君の思いつめた台詞も加藤君の思いを封じ込めた切ない語りかけも二人の友人に思われている美少年ジュンのまだ目覚めていない様子もどれもいたいけで透明な少年期を描いた美しい作品だと思う。
終わり方もいかにも無茶をやる若者らしく微笑ましくて可愛かった。

ジュンのパパの存在が気になってこういう話だからまさか息子に恋心を抱いているだとか村井に気があるとか心配したがそういうんではなかったようで安堵した^^;マッサージのシーンが一番濃厚に肉体接触があるもんだから。

昨日の夜、ベン・ウィショーの『Baby』のDVDを観てたもんだからプール続きでセクシャルな裸体ばかり見てしまった。
だってこれ『体育館ベイビー』だから水泳とは思わなんだ。
『体育館ベイビー』ってジュンのパパが体育館で教え子をやっちゃってできたのがジュンだからだって。すげえこと考えるなあ。

監督:深川栄洋 出演:中村優一 高橋優太 久保翔 桐谷美玲 桜庭ななみ
2008年日本
ラベル:少年 同性愛
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2009年04月24日

『真木栗ノ穴』深川栄洋

穴.jpg

深川栄洋監督、気になっていたがこれが初めての鑑賞である。
なるほど。売れない小説家が妄想の世界とも霊的な世界ともつかない不思議な状況に陥ってしまう、という物語で『牡丹燈籠』のようでもあり江戸川乱歩のようでもあり、もう半ばで筋書きは判ってしまうのだが、そんなことはどうでもよくて奇妙にもしんみりとさせるいい映画だった。

西島秀俊さんは北野武『Doll』でも大変よかったし、この作品でも甘い二枚目なのがとても効いている。クールなようでおかしさを出せる味わいのある人だ。
映画というのは当たり前だけどストーリーだけじゃなくて観ている時に画面から感じる雰囲気こそが大切である(ほんとに当たり前だけど)
汚い古ぼけた安普請のアパートは雨が降ると湿気てじとじとしそうだし、いつも薄暗い。登場人物は皆情けない感じである。台詞がとってつけたようなわざとらしさがあるのもおかしい。
映画自体がどこが現実でどこが妄想なのか、考えながら観るのも面白いが、孤独な人間にとって妄想ほど楽しいものはない。
妄想と現実がごちゃ混ぜになる、という映画は多いがこれは映像によって妄想を現実として観てみたいという妄想から生まれたものだろう。
現実でかなうこともない美しくセクシーな男女を自分の意のままにできるのだから。
妄想が行き過ぎてしまうのは惨めだがそれが西島秀俊ならば綺麗に見えるというものである。
この主人公が不細工だったら相当反感買いそうだ。

覗き、妄想と普通ならおぞましさを感じさせる行為を映像化しながら、主人公の姿は滑稽なものから次第に心の内側を覗き込むような深遠な意味を持つようになってくる。
現れるはずのない中年女の来訪と色香の漂う人妻との交わりを孤独な主人公が思い描く様はどこか文学的な寂しささえ感じさせる。
この染み入るような情感は観てみないことには説明できそうにない。

タイトルの『真木栗ノ穴』って最初主人公の名前だとは気づかず、真っ暗の穴、ってことかと思ったのだが、やはりそういう意味が含まれているのだろうか。

監督:深川栄洋 出演:西島秀俊 粟田麗 木下あゆ美 キムラ緑子 北村有起哉
2007年日本
ラベル:ホラー サイコ
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2009年04月22日

『闇の子供たち』阪本順治

闇のこどもたち.jpg

映画化するのが非常に難しい内容ながら役者と作り手の真摯な思いがこもった内容だった。
我が子を助ける為の臓器売買を希望する親と児童買春を映像として捉えなければならない。原作ではもっと生々しい描写だったがそれを映像化するのはかなりの苦渋だったのではないだろうか。子供を放り出す場面で明らかに力が抜けているのが見て取れるが当然のためらいだろう。
タイにおける児童の臓器売買と児童買春が絡み合っている事実が浮き彫りにされる。
理想に燃え先走りしてしまうNGOに属する若い女性は経験のなさから軽はずみな行動をとってしまうがその気持ちは真実であることを貫いていく。
臓器売買の秘密を暴こうとする新聞記者の隠された性癖が少年嗜好であるという事実。
児童買春と臓器売買に関わるタイの青年がかつては彼自身もそういう環境であったこと。
登場する人物の裏表を描き、タイの貧しい子供達の逃げ場のない運命を描いていく。
衝撃の内容に憤っても様々な事柄によって成り立つ状況を簡単に変えてしまうことは難しい。だがそれでも現実を知っていたい。
原作ではもっと児童買春の様子が描かれていて私が一番ショックだったのは一般的には男性の買春に怒りを覚えることが多いものだが、この作品の中では女性も少年を買い、ホルモン剤注射で無理矢理勃起させ性交を強要することだった。無論性器に注射することには激しい痛みがあり、数回の注射を繰り返したことで少年は死に到る。映画ではその場面がありはしたがよく伝わらない描写だったので女性も惨たらしい買春をしているとは受け取りにくかったのではないだろうか。

臓器にしろ性にしろ否応なく子供達の体を売買する仕組みがあることを見せ付けられる。
人格者であるように思えた主人公が実は児童買春をしていたという事実がこの物語をさらに苦いものにしている。

子供たちを運ぶ若い男が車の中で「タイガーマスク」のエンディングテーマをくちずさんでいた。
「ああ、だけどそんな僕でもあの子らは慕ってくれる」って。そりゃないだろうが、孤児のテーマソングなのである。
「強ければそれでいいんだ、ひねくれて星をにらんだ僕なのさ」
「温かいひとのなさけも知らずに育った」んだな、この人も。と思わせる場面だった。

監督:阪本順治 出演:江口洋介 宮崎あおい 妻夫木聡 佐藤浩市 鈴木砂羽 豊原功補 プラパトン・スワンバーン プライマー・ラッチャタ
2008年日本
ラベル:犯罪
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2009年03月31日

『ギミー・ヘブン』松浦徹

ギミー・ヘブン.jpg

これもまた怖ろしく中途半端な出来栄えでいっそのこと物凄くつまらないんだったら観ないですむんだけど惹かれるところもあるだけに腹が立つ作品だった。

着想自体は面白いしストーリーも悪くないんだけど脚本が酷すぎるのか。とにかくまず台詞が耐え難い。鳥肌ものの陳腐な台詞だけで構成されていくのである。共感覚だったらこの台詞もパフュームか極上のアイスクリームのように感じられるのかもね。

同じ話を別の脚本家と監督でやれば凄く面白くなりそうな題材なのにどうしてここまでつまらなくできるのかが不思議。台詞、演出がしょうもないTVドラマのようで何故もっとこの不思議な世界を突っ込んで表現してくれないのか。つまりはまあ表現者が「共感覚」なるもののイメージがつかみきれていないということなのだろう。

目の前にある物体、事柄、出来事が他人と共有できない自分だけの感覚を持つ、という経験は誰でも少しは味わうことはあるはずだし、いつも他人と違う感想を持つっていう人もいるだろう。本作の「共感者」の説明のように物体が他人と違うように見える「水が四角」だとかスプーンがタンポポだとか、だと本当に生活に支障がないのかよく判らない。
ミッキーマウスがちっとも可愛くない、なんていうのはよくあることでさほど驚くことはない(私もあの世界に共感できない一人だ)数字に色を感じる人は結構いると聞く。計算すると様々な色が交錯するとか、これは面白い。絶対音感なんていうのも凡人にはわからない特殊な感覚だし私自身は子供の頃、面白い本を読むと独特の甘い匂いがして恍惚となったりした。大人になったらこの感覚がなくなってしまった。なんてことだ。誰でも少しずつ他人と違う感覚を持っているんじゃないかと思うし、そういう意味でもこの映画は凄く興味がある題材なのだ。なのにこの顛末というのはなんだろう。

色んな点が不満だ。貴史の存在があやふや過ぎる。何故彼なのか。麻里が新介と関係を持つために彼を邪魔だと感じる、のなら彼ら二人の関係がもっと深いものである描写が必要だ。普通なら新介の子供を妊娠している彼女の方を攻撃するはずだ。この女もなんだかめそめそ泣いてて鬱陶しい。
妙に貴史の台詞が新介との関係を怪しく感じさせるがそれならそれで二人が強く結びついていた方がいい。
麻里が兄に性的暴行を加えられていた、というのもよくあるものだが、それが上手く物語に作用していない。むしろ麻里も同意している関係だったほうがいいのではないか。

狂言回しの女性刑事の存在が一番無意味。あのオジサン刑事だけでよかったんじゃないか。

奇妙なやくざ、こんちゃん(鳥肌実)は面白いが肝腎の主役・江口洋介は嫌いじゃないがこの役には合わないんじゃないか。大体この才能を持つ人間ってイメージ的にはこんなごっつい人じゃ嫌だ。むしろ安藤政信と役を交換すればよかったと思う。
宮崎あおいは申し分ないけどね。
そして松田龍平が出てくる時だけ、映画になる。彼は声が凄くいい。台詞も彼が話していると惹き込まれるのだ。あのちょっと変な感じのする顔もこういう役にはぴったり合うし。出番が少ないのも美味しいのだ。

観て損する映画じゃないけどのめりこんでしまうものがない。勿体無い作品である。

監督:松浦徹
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2009年03月29日

『ブラックキス』手塚眞

ブラックキス.jpg

安藤政信をもう少し観たくなったのと手塚眞監督映画というのを(多分)まだ観たことがないので手にとってみた。
なるほど(どうしても言ってしまうが)父・手塚治虫氏と関連するような医学的な要素だとかぺダンチックな要素も絡んだなかなか面白いミステリーで非常に惹き付けられる部分も多々あるのだけど、逆に「どうしてこんな」と思うような幼稚な部分も露出していて好きとも嫌いとも言い難い中途半端な作品だった。

こういう手の込んだからくりと落ちがあるミステリーはむしろコメディに仕上げたほうが楽しめるのではないかと思う。
出演者に有名な俳優を出しすぎているのも妙に騒がしい感じがしてしまう。怪しいプロファイリング博士を演じた草刈正雄だけはとても上手い使い方だと思ったが。奥田瑛二はいいけどオダギリはブラピの真似をしてるみたいに見える、もっとブサイクな奴で充分な気がするのだがたにかく美形をそろえたっていうのが売りなのか?安藤政信目当てで見たくせに言うのはなんだけど別に安藤くんでなくてもいいような、っていうか安藤くんが何故こういう役をやるのか、よく判らない。
大体この役自体がどこか物足りないというか奥歯にものがはさまったようなというか最初隠し撮りみたいな仕事をしていて実はいい写真を撮るのが夢なんだとか言って女の子を騙したり、まあ彼のことも「犯人なのか?」と疑いを持たせようとしたのかもしれないが医者志望だったとか外国旅行をしていたとか怪しげすぎる人物である。いきなり屋上からダイビングするような技も持っているし(普通の人間にあんなことできないよ)彼こそが怪しい、と思われてもいいのだが、本作中ではよく判らない謎のままで終わってしまった。

無駄なほど凝り過ぎた画面は人の好みだろうけど、若いモデル女性が住む部屋としてはあまりにアンチークすぎるのではなかろうか。
美女ふたりがビアン的に仲良しなのを観てるのは凄く好きだが結局そこどまりで男女のエッチシーンは不必要なほど露出するのにビアンな方向を匂わせるのならきちんとやればいいのにと思うのだが日本の映画って何故ここまでなのかねえ、とがっくりしてしまう。ま、ビアンがテーマじゃないんだろうけど、そろそろそういうのが当たり前に描かれてもいいのではないのだろうか。匂わせるんだったらもう一歩踏み込んでやってもらいたいものだ。

猟奇殺人そのものの表現はあまり面白いとも思わないが会議や捜査風景なんかはちょっと興味を持たせられた。
つまりそんなこんなでちょっといい箇所とつまらない箇所がごちゃ混ぜになっているのが本作ではなかろうか。
安藤くんが主人公を気に入って写真を撮っていくとこなんて何かあるのか?と思わせぶりで何もないし何もないなら随分無駄な部分である。

手塚眞氏作品を初めて観てなんだか判る気にもなった。非常に頭を使っているようで大筋が弱いし、表現したいものやり方が多すぎてまとまりがつかない感じ。TVドラマ風な楽しさで作ればいいのだろうけど、映画作品としては奥行きのなさが感じられて寂しいのである。

安藤政信はホントに素敵な顔立ちでスタイルもいいし演技者としても魅力あると思うのに作品に恵まれない人なのではないだろうか。
彼自身もどこかで言ってたようだけどデビュー作『キッズ・リターン』を越えるのは難しいことなんだろう。『46億年の恋』はとてもよかったんだけどね。
今はチェン・カイコー『梅蘭芳』を待つだけだなあ。

監督:手塚眞 出演:橋本麗香 川村カオリ 松岡俊介 安藤政信 小島聖 岩堀せり あんじ オダギリ ジョー 草刈正雄 奥田瑛二
2004年日本
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2009年03月28日

『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち) 』若松孝二

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち).jpg

映画賞を取ったこともあって評価の高かったこの作品は題材に興味があることも手伝って大いに期待した作品だった。
やっと観る事ができたわけだが非常に思いのこもった優れた作品だとは思うもののやや拍子抜けを感じてしまった。

というのは公開当時観れなかった私は代わりに存在も知らなかった高橋伴明監督作品『光の雨』を観たのだが、その時は案外面白く驚いたものだった。その印象が強かったので新しい作品である本作はどんな凄いものかと過大に期待しすぎたのかもしれない。
これを観て逆に『光の雨』の面白さを再確認してしまったようだ。

後に作られた作品の為か本作の描写が『光の雨』と非常に似ているのですでに観てしまった映画をもう一度観ているような気になってしまう。同じ題材を作るのだから仕方ないとは言え演出そのものが似ているような気がする(記憶を探ってそう思ってるだけかもしれないが)
特に森役の山本太郎(『光の雨』)と本作の地曵豪が妙に似ている。のはまだいいとして『光の雨』の永田役の裕木奈江と本作の遠山役の坂井真紀が似ているので最初混乱してしまった。まあそれはどうでもいいが。
二つの作品の大きな違いはまず、『光の雨』が『光の雨」というタイトルであさま山荘事件を映画化すると劇中劇の設定になっていることで、本作のようにそのまま当時を再現しているかのようなドキュメンタリー風作品ではなく当時を知らない若い役者たちが俳優として事件を演じている、といういわば事件の疑似体験をする形になっている。これは非常に面白いことで本作が当時を再現したかのようなしかしやはりフィクションであるに対し、『光の雨』は始めから「演じているだけ」という設定になっているわけである。ところが仕事として演じているだけの革命戦士のはずがいつの間にか現実であるかのような錯覚を覚えてしまう、という面白さがあった。本作では最初に事実だがフィクションもある、と書かれているがそれがどの部分なのかは観ている者にはわからないのだ。例えば本作では酷い暴行場面が頻繁に出てくるものの監督があからさまな描写を避けているのか表現をかなり避けたり隠したりしているし、『光の雨』で遠山に男性が卑猥な言葉を言うことや妊婦に暴行や暴言を与える場面もなくなっている。ぞっとする場面であるだけにそれを削除してしまうことはやはりフィクションになってしまうのではないだろうか。ちなみに「妊婦から赤ん坊を取り出せ」などという残酷な台詞を女性である永田が発言したということが『光の雨』では男性の森が発言し当の永田は首を横に振って否定している。本作ではまったくなくなっている。
3時間という怖ろしい長さを使い、淡々と彼らの総括を描いているようで監督の好き嫌いは作用しているようだ。
次の違いは『光の雨』では登場人物が仮名だったのに本作では本名になっていることだ。これはどういうことなのだろうか。やはり本名、というのは覚悟のいることなのか。『光の雨』の時点では何かしらの遠慮が働いたということなのか。劇中劇、という設定自体が遠慮なのかもしれないのだが。しかしこの遠慮による設定が却って効果的になっているというのも面白いが。
そして第3の違いは『光の雨』では肝腎のあさま山荘の場面は僅かしかなかったのに『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(は道程なのに)あさま山荘の場面までが描かれていることだ。
『光の雨』であさま山荘の部分がなかったのかちょっと驚きだった。いわばメインがないみたいなものだからだ。だが本作を観るとあさま山荘の部分はやや興醒めなのだ。今まで脇役だった坂口(ARATA)が突然ここから主役になりしかもどこか悲劇のヒーロー的な存在になっている。森・永田があくまでも残虐な指導者であったのに比べ彼はどこか「いい人間」であったかのような描き方である。何故なのかはよくわからない。総括でも率先して仲間に暴行を加えていた(少なくともこの映画では)のにいい人間とは言い難いだろうが。

最も「?」な表現だったのはまだ未成年である加藤弟が「勇気がなかったからだ」と叫ぶラストでいきなり答えを言われてしまってありがとう、というのかここまできっちり明言されてもなあと若干引いてしまった。

なんだかだと書いたがそれでも3時間の長丁場を退屈もせず観てしまったのはやはりそれだけ迫力のある映画だったのだ、と思う。
しかし心の中で『ゴールデンボーイ』の優等生のように「そこでどう感じたの?興奮したの?」という好奇心で観ていたのは確かである。
信じがたいほどの緊張感と自分を正当化する欺瞞の数々。一体何のために彼らは死なせ死んでいったのか。自分の行為を正当化し、他人を貶めるのはこんなにも簡単なことなのか。
集団心理というものをどうやったら動かすことができるのか。
やはり興味の尽きない怖ろしくも面白い物語なのだ。

監督:若松孝二 出演:ARATA 坂井真紀 佐野史郎 伴杏里
2007年 / 日本
ラベル:歴史
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2009年03月26日

『DEAD OR ALIVE 犯罪者』三池崇史

deadoralive.jpg

何年も前の話だがまずファイナルを観て次に第2弾を観て早く1作目を観なきゃと思いながら月日が経ってしまった。
やっと『DEAD OR ALIVE』ファーストを観たわけだが、心なしかスタンダードすぎて2や3の方が滅茶苦茶で面白かったような気がする。まあその普通さはラストの為のあえてのスタンダードなのだろうとは思うが。
遠い記憶との比較でありこれはこれで滅茶苦茶ではある。が、昨日の『IZO』なんか観た後ではどこか物足りない気もしてくるが、だとすれば三池監督はさらに過激度を増していることになるのだから凄いことである。

気に入らないのは城島家族の関係でこういうのはよくあるものなのかもしれないが男のプライドというか哀愁だと思いながらもどうしてもむかついてしまう。
かたや、中国人グループの兄弟愛は結構泣かせるわけでその辺の対比もきっちりつけているということだろうか。

とにかく昨日の斬って斬って斬りまくる、今夜は撃って撃って撃ちまくる、ということで物凄いドンパチではあるのだが結局こういうのって映画館の音響でわーっと観てるのは楽しいだろうけど、一人小さな画面で観てると何の興奮もなくふーんと観てるだけなので寂しいものがある。
こういう環境で観ていてもうげげげだとかぎゃーっとか来る時もあるのだからそうした興奮を引き起こすものは弾の数ではないのだろう。

気になっていた第1弾だから観れただけでもよしとしよう。ラストが凄い、だとか全く知らずに観たのだがさすがにこれは話題になるとんでもなさだ。究極の破壊は作品自体を破壊することだった。

三池作品というのは馴染みになるほど面白く思えてくるものなのである。本作もお馴染みの面々が登場し安心して観られるという感じだ。
そういえば第2弾にはエディソン・チャンも出てたんだった。彼がまたいつか再登場する時も来るんだろうか。

監督:三池崇史 出演:哀川翔 竹内力 小沢仁志 寺島進 田口トモロヲ 石橋蓮司 鶴見辰吾
1999年 / 日本
ラベル:三池崇史
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2009年03月25日

『IZO』三池崇史

izo-.jpg

この映画の原案である岡田以蔵は実在の人物で、幕末の志士の一人であるから彼を知る機会は様々だろう。
私は司馬遼太郎氏の『人斬り以蔵』を読んだのだが、短編でありながら非常に心に残る作品だった。忘れたくても忘れることができない、と言ったほうが正しいかもしれない。
小説で驚いたのは多分これは作者がこの主人公を愛していない、ということだった。
多くの場合、例え主人公が殺人鬼でもどこかに作者の共感あるいはかっこいいなあだとか実は羨ましいだとか主人公への好意が少しは感じられるものだ。それは容姿でも剣の腕だけでもいいだろう。がこの小説での以蔵は明らかに司馬氏に憎まれているとしか思えない。好意も同情も微塵も感じられないのだった。
こんな哀れな人物がいるのだろうか。小説の中のすべての人に悪鬼、畜生、虫けらのように忌み嫌われるだけでなく彼を描き出す親とも言うべき作者にまで疎まれるとは。小説の中で彼を書き出す文体自体が彼への憎悪、嫌悪、侮蔑に満ちている。彼は誰にも誰一人にも愛されていないのである。
それが信じがたくて何度も読んだ。もう一度読めばどこかに救いがあるのかもしれない気もしたし、怖いもの見たさ、気持ちの悪い虫をそっと覗いてみたくなる心理で読み返したが私自身もこの人物にまったく好きという感情は持てなかった。
彼は容姿としても剣術としても人格としてもその生命自体も悪辣に醜いのだった。と司馬遼太郎の小説からは感じられた。実在の人物なのでその人自身がどうだったのかは知らない。司馬氏の「以蔵」はそうだった。

さて三池崇史監督は以蔵をどう描いたのか、知りたくて観てみた。さすがに人斬りの異名を取る人物にふさわしい人斬りの連続であり、殆どすべての登場人物から嫌われている。
映画として奥行きを持たせるために「IZO」という殺人鬼はいつの時代にも様々な形で存在していくのだ、という表現もされている。国家、戦争なども巧みに織り交ぜ底辺の人間である以蔵の苦しみと存在の哀れさを描いていく。天皇の御前に居並ぶ面々も観てて面白い。
そして幕末に人を殺し続けた為に怨霊となって彷徨い続ける哀れな魂の以蔵。体が強すぎて毒を飲まされても死ななかったという強靭さも何度刺され撃たれても死なない、ということで表現されている。
罵られ、殺され続けても彼は死なず魂は永久に救われることはない。彼はあるゆる殺人者の代表としての怨霊なのだ。

醜悪というべき以蔵と対照的存在の青年(天皇)を松田龍平が演じていてその端正な顔立ちと真っ白な衣装に整然とした美しさを感じさせる。何という神々しさか。
その青年に最後手を伸ばす以蔵は彼の一吹きで倒れ落ちてしまうのだ。残酷な最期だ。こんな男の手が届くわけがない、という惨めさ。
そして以蔵は再び生れ落ちる。また人斬りとしての人生を歩むためか。
誰からも愛されずそのために苦しみ人を殺めまた救われることのない人生を。
怖ろしい永遠を彼は繰り返すのだろうか。

とはいえさすがに長い映画だったなあ。もう少し短いともっとよかったんだけど。まあこの長さが監督の思いだということだろうか。
カソリックだったら懺悔すれば許されるのかな。

監督:三池崇史 出演:中山一也 桃井かおり 松田龍平 ビートたけし 美木良介 高野八誠
2004年日本
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2009年03月20日

『46億年の恋』三池崇史

46億年の恋b.jpg46億年の恋a.jpg

前に一度観ててそれからもなんだか気になってもう一度観たくなった。
短い作品でとても不思議な物語なのだが物凄く好きだ。前に観た時よりよけいに好きになってしまった。
この世に存在しないような奇妙な刑務所の話である。若者ばかりがいるから刑務所ではなく少年院というべきなのかもしれない。
と思っていたらもともと三池監督はこの映画を『あしたのジョー』実写版をやるつもりだったらしくてなるほどと思った。
滅茶苦茶ケンカが強い香月は力石徹だったんだ。
『あしたのジョー』は通して素晴らしいマンガだけど特にあの少年院の中の物語部分は秀逸である。
荒くれていただけのジョーが拳闘を通して力石と強い因縁を持っていく。それなのにオタクな読者は心の奥で二人の危険な愛の匂いを嗅ぎ取ってしまうのだ。
『あしたのジョー』を実写化するために他のマンガを下敷きにするなんてなんだか複雑な三池監督である。肝腎の原作マンガ『少年Aえれじい』は読むこともできないが『あしたのジョー』が元だったと知って納得したのだった。

有吉と香月は映像としてはそれほど接近するわけでもなく台詞で愛を語るわけでもないのだが、眼差しが互いを求めているような狂おしさがあって切なくてしょうがないのだ。
色んなゲイ的要素を持つ作品を思い浮かべてしまうのだが、「お前はどこへ行きたい?」というのは『009』でジェットがジョウに問いかける言葉みたいだし、有吉が香月に僕も行ったらいけないかなと言う場面は『銀河鉄道の夜』のジョバンニみたい。映画自体はファスビンダー『ケレル』を思わせる。
とはいえ二人を演じた松田龍平と安藤政信は他の誰とも比べようのないほど素晴らしく魅力的だ。
安藤政信はそれほどマッチョだというわけでもないがここではとんでもなく強い男になっている。彼には怖ろしいような刺青があるが眠っている時はそれが消えている。刺青は彼を守る鎧みたいなもので眠っている時はそれが消えてしまうのだろうか。
松田龍平は他で観る時の彼より優しげな風情を出しているがそれでも何をしでかすか判らない狂気のようなものも感じられる。

簡略化した舞台背景、ボロボロの囚人服、よく判らない洗濯場なんかが怖ろしく物語に合っている。
脇役達のメンツのよさといったら彼らの顔を眺めているだけで嬉しいくらいだ。石橋凌の青白い顔も楽しい。
ミステリー仕立てになっているのも自分的に非常なツボで堪えられない。問いかけが文字で出てきて人物が答えるなんていうのはたまんない。

こういう作品はこの短さであるのが正解だと思うがあまりに好きな世界なのでつい不満に思ってしまう。もうちょっとゆっくり観たかったし、できるなら香月と有吉の接触がもう少し深くあったらなあ、とか意地汚い。
でもこの「もう少し食べたかった」というとこが美味しいわけで。

自分が求めている不思議な感覚、切ない思いがこの映画には溢れるように表現されている。有吉の繊細な美しさも香月の心が引き裂かれそうな愛もたまんなく愛おしい。

監督:三池崇史 出演:松田龍平 安藤政信 窪塚俊介 渋川清彦 金森穣 遠藤憲一 石橋凌 石橋蓮司
2006年 / 日本
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『白痴』黒澤明

白痴.jpg

黒澤明監督作品はよくTVでも観ることができるので何度も観てしまう作品もあるがこの作品はあまり観ることができないのではないだろうか。
ダイナミックな活劇ものや『赤ひげ』『生きる』のようなジャンルともまた違う黒澤映画としては珍しいラブ・ストーリーであるし、何と言っても作品時間が166分という物凄い長さである。私も遠い昔に一度観たきりだと思うが他の映画以上に強い印象があった。

この映画はドストエフスキー『白痴』が原作となっていてこれもまた少女時代夢中になって読んだ小説である。
といっても自分はいつも熟読できない人間で好きな場面を偏って繰り返し読む、というどうしようない読書なのだが。
とにかくロシアの上流社会を日本の映画監督が映画化するというのはどういうものになるのか興味と不安の中で初観したものだが、そこはさすがに黒澤でそんな不安など蹴飛ばしてしまう面白さだった。
冬の北海道を舞台にあの愛らしいムイシュキンが亀田となって森雅之が絶世の美女であり男を虜にする魔性の女ナスターシャ・フィリポヴナが那須妙子という名前で原節子がムイシュキンと対立する野蛮な男ロゴージンが赤間となり三船敏郎が演じている。
ロシア小説と思って読んでいる時はさほど違和感を感じないのだが日本人が同じ言動をすると途端に突拍子もないもののように思えてくるのだがそういうとんでもなさも非常に面白く観れてしまう作品だった。
とはいえ原作をまったく知らない人がこの映画を観たらどんな風に思うのか、かなり不思議な世界なのではないだろうか。

ムイシュキンこと亀田の森雅之はタイトルの『白痴』を素晴らしく印象的に見せてくれた。「僕、わからないんです」という台詞が記憶に残ってつい口から出てしまいそうだ。
そんな純真無垢な亀田を一目見た時から「可愛い」と思って好きになってしまう野蛮男を三船がこれも魅力たっぷりに演じてくれる。彼ら二人はナスターシャ=那須妙子を取り合う関係でありながら互いに非常に好き合っている、というのもくすぐられる関係なのだが、ロゴージンがついにナスターシャを殺してしまった後、こっそりとムイシュキンを部屋に呼んで一晩二人で通夜をしながらナスターシャを偲ぶという場面は小説を読んでいた時から何度も頭の中でその場面が映像となって表れなんという美しい場面なのか、美しい女性が僅かな血を胸からこぼしただけで死んでしまい、二人の対照的な美しい青年が彼女の遺体を見守って話し合っている、その場面を思い描いたものだった。
こうして黒澤が作り上げたその場面は黒澤自身もこの場面に思い入れが深いことが強く伝わってくる。那須妙子の死体を一度も見せずにその美しさを表現しているのである。
二人の青年の震えるような魂の描き方も忘れることのできない闇の中の場面である。

私はこの時の原節子のイメージが強くて一般に原節子というと小津の彼女を指すことが多いのだが私には那須妙子なのだった。
日本の物語としてはあり得ない女王的存在の美女を演じられるのは彼女の美貌でなくてはいけないのだ。

『白痴』と言われる無垢な亀田を人々は笑いながらも弾かれ愛してしまう。だが無垢であることはやはり難しいことなのだろうか。
純粋な愛とはなんだろうか。
赤間と亀田の不思議な友情にも強く心惹かれる。

監督:黒澤明 出演:原節子 森雅之 三船敏郎 久我美子 志村喬
1951年日本
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2009年03月16日

『うなぎ』今村昌平

うなぎ.jpg

これは最も嫌悪感のあるものだけで映画を作ってみよう、という意図で作られたものなのだろうか。
とにかく出て来る人物、起きる出来事、映画の中のすべてがむかむかと虫唾が走るようなものばかりなのだ。
というとこの作品がくだらないものだと言っているみたいだが、そうではない。
世の中で高評価を得ている映画というのは癒しであり、心地よくかっこよく共感と賛同を得るものであるはずだ。登場人物も憧れの対象で自分もこうなりたい、恋人にしたいという役柄である。
ところがこの作品には好きになれる人が全くいない。嫉妬だけで妻を殺し、そのことを悪かったとかかわいそうだったとか思いやりもしない主人公。すぐ見つかる場所で自殺未遂し嫌がる男の店に乗り込んで居ついてしまい、挙句にたちの悪い元恋人が押しかけてきて仮釈放中の主人公を刑務所へ逆戻りさせてしまう女。しかも堕胎ができなくなってから妊娠してたと言い出して男に親代わりにならせてしまう。最初から産むつもりならそれでもいいが、「絶対堕ろします」などと言うところが寒々しい。もっと早く処置をすればいいのに、といらいらしてしまう。その女の元恋人も女の母親も何とも嫌な存在だし、主人公を付け狙う元務所仲間の男も苛立つし、親切気な住職もその妻も近所の面々もよく言う淡々としてなくて皆ねちねちと粘っこくそうかだから『うなぎ』なのかと思うほどねとねとした関係で成り立っているのだ。
今村昌平監督作品は他のもそんなに気持ちいいものでもないがこの作品はそれらの集大成と言っていいほどに嫌なものだけで成り立っているようだ。
妻の浮気現場、「映画のようにロマンチック」ではない生々しい殺人、男の出所後に妻そっくりの女に出会うという気持ちの悪いこと、その女の態度、肉体関係がないのに噂が立つこと、同じ刑務所にいた男の言動、「うなぎ」にまつわる話をしながらさもいい話にしていく過程も、UFOを信じている若者という陳腐な設定も全部が大嫌いなのだがどうしてここまでこんな嫌なものだけでできているのか。何故さらりといい話にせずぬるぬると気持ちの悪い話にしてしまうのか。しようと思えばできるはずなのにここまで嫌悪感で満ちているのはあえてのことなのかと思ってしまうのだ。
そしてなぜそういう嫌悪感を感じるような人々を描いて見せるのか。それは多分こんなとんでもない人でも生きていくのだから自分はまだ少し頑張れるかな、という逆の安心感みたいなものかもしれない。そういう意味ではこの映画も癒しの作品になるのだ。
ただここまで強烈な安堵感を求めない人には嫌な部分だけが感じられてしまいそうだ。

これはだから単にいい映画いい話、というものではないんだろう。主人公はいやな奴で女もいやな奴なんだけどそれでも彼らは生きていく。正しくなかろうがなんだろうがそれでも生きていくんだと。UFOだって信じればやってくるんだというそんな開き直り、捨てばち、ふてぶてしさで彼らは生き延びていくのだ。

監督:今村昌平 出演:役所広司 清水美砂 柄本明 常田富士男 倍賞美津子 田口トモロヲ 哀川翔
1997年日本
ラベル:今村昌平
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2009年03月12日

『狂い咲きサンダーロード』石井聰亙

狂い咲き.jpg

ずっともう一度観てみたい、と思っていたのだが確かBOXでしかDVDになってなくてこの度単独のDVDになったのではないだろうか。やっと再会できた。

というような愛らしい作品ではなく、ぎらぎらとした暴走族映画である。石井聰亙監督が大学の卒業制作作品だから画面は思い切り荒れ果ててブチ切れているし音はとんでもなく劣悪だ。主役はこれが映画デビューの山田辰夫だし、知っているのは小林稔侍ただ一人(ってよく出演してくれたよね。なにせ右翼で同性愛者という設定。ベッドシーンあり(添い寝してるだけだが))だけなのだ。
だがそれだけに異常に過激な暴走族の抗争がより生々しく感じられる。おまけに撮影現場が福岡市なのでこの撮影の少し後にその町に住むことになった自分としてはより身近に感じられた。と言ってもこの映画に出てくるような場所にはあまり行ってはいないが。天神地下街だけはお馴染みだが。バイクのナンバーも福岡だしね。

物語ははっきり言ってなんだかよくわかんない。ていうか物語なんかどうでもいいのだ。
山田辰夫演じる暴走族・魔墓呂死(まぼろし)の特攻隊長ジンの滅茶苦茶な生き方が映されているだけなのだ。
ジンが何を考え何を求めていたのか、なんていうことはまったく判らない。ジンはただバイクで走り暴れる、ということだけが生き方なのである。
自分と同じ考えなら仲間だし、そうでなければ仲間じゃない。愛とか友情とかそういうものもない。
ただ走り暴れまわる、そういうジンと他の暴走族連合の対立、そして右翼であり魔墓呂死を作った男・剛がジンを引き込もうと近づいてくる。
ジンはそういったすべてを嫌いはねつける。
ある日バイクのブレーキに必要な右手足の先を切り落とされたジンは見境なく彼らに銃を向ける。
そして剛に蜂の巣にされたジンはブレーキをかけられない体でバイクにまたがり走り出すのだ。

今だったら『クローズZERO』をちょいと思い出すかもしれない。三池崇史監督もそうとう滅茶苦茶な人だが、さすがにこの『狂い咲きサンダーロード』には負けるかもしれない。というかそれは無論三池監督作品のほうが高度な技術があるからなのだが。
それに小栗旬をはじめイケメンだらけの『クローズ』と違い『狂い咲き』にはそういう甘さがない。結構二枚メな顔は見えるのだがそういうかっこよさ、というのを出している感じよりも顔に変てこなものを貼り付けた様な不思議な外見の奴が多い。
けんかシーンもとにかく滅茶苦茶である。低予算でとにかく情熱だけで作った、っていうような熱いものだけが伝わってくる。街中のバイクの暴走シーンなんかも無茶苦茶危ないとしか思えない。福岡の街中でゲリラ的に撮影したのだろうか。
そんでやっぱり山田辰夫が凄くかっこいい。別にどこもかっこよくないんだけどかっこいい。あのだみ声がずっと耳に残ってしまうのだ。
酷い悪態ばかりをつく声だ。
もう二度とブレーキをかけることなく走り続けるバイクで彼はどこへ行ったのだろう。

監督:石井聰亙 出演:山田辰夫 中島陽典 南条弘二 小林稔侍
1980年日本
ラベル:オートバイ
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2009年03月06日

『アヒルと鴨のコインロッカー』中村義洋

アヒルと鴨.jpg

とても凝った演出構成で非常に楽しんで観ていた。観ていた間は。少なくとも途中までは。
観終わってみるとこれは嫌な話だったのに騙されたような気がしてきた。
特に女性の描写に反感を覚えてしまう。

全体にゆるい雰囲気があって特に前半はコメディな感じが強く出ている。こんな風に可笑しなタッチで巧妙に仕掛けている日本映画は珍しいと思う。
大変愉快に観ていったのだが観終わるとあまり感動はなかった。「神様この話は見ないで」という考え方もしっくりこない。
原作は評価の高い人気小説らしいので原作では納得できるのかもしれないが映画はどうしても端折らねばならない部分が出てくるのでその辺が原作を知らない者にも疑問になってしまうのかもしれない。

前半のとぼけた風采の主人公椎名が大学入学の為にアパートに越してきたら両隣になんだか不思議な住人が住んでいた、というところから始まりなんかねじが弛んでいるようなそして突然に事件に巻き込まれ狐につままれたというような展開はとても面白い。
馴れ馴れしい隣人は自分の事、反対側の無口なブータン人、突如出会ったペットショップの主人である美女などに関わる色々な物語を椎名に話して聞かせる。
椎名は河崎と名乗るその男の言動に面くらいながらもつき合うことになる。
だが河崎が「あのペットショップの女の言うことは信じるな」というその女レイコもまた「河崎くんの言うことは信じるな」と言うのだった。
前半のゆるく可笑しな話が後半がらりと緊張感のある悲しい話へと変化していく。そして前半に椎名を迷走させた謎が解き明かされていくのだが。
観ている間はとても楽しんでいたのでそれはそれでいいのだが河崎=ドルジの人格設定には破綻が感じられる。どこか実はブータン人だから謎の男なのだ、という意識も感じられてしまう。ドルジは石を投げた相手にもあやまるような善良な人間なのにガールフレンドを殺した男に復讐しようとするのだがそのやり方が残忍である。ブータン人という設定だと殆ど観ている日本人はその性格を思い浮かべることもできないのでそんなものかと思ってしまいそうだが、イメージ的にも非常に温厚そうなブータン人がこんな日本人がやりそうな復讐を実行するのだろうか。考えたのは本物の河崎のほうかもしれないがドルジにはやれないかもしれないし、もっと違った展開になったほうがよかったと思う。
というか前半ののんびりさに騙されてうっかり後半を観ていったが実際にこういうことが起きるのだとしても動物虐待が扱われた映画だけだったら絶対観たくないし、それを止めようとした女性の顛末も苛立たしいものでこんなに嫌な話もない。助けを呼んだ警察の間抜けで意地の悪い描写もいただけない。警察官がこれを観てたら相当嫌な気分になりそうだ。
そして登場する女性の扱いというのがどれも酷すぎる。
男性陣3人はとても魅力的に描かれていると思うのだが、この監督は女性嫌いなのだろうか。
特に動物虐待に怒ったために暴行されそうになり最後は自ら轢き殺されてしまうなどとあまりに馬鹿馬鹿しい行動ではないか。こんな描き方をする、ということに苛立つし、ペットショップ女主人も「自首しなさい」とか一人善良ぶった言い方をさせているのが気に食わない。
動物虐待の一人の女も河崎の浮気相手の女性も全部女性は嫌な存在でしかない。

ここまで女性が醜く描かれている映画もない。
反面、河崎とドルジと椎名の関係はとても深く美しいつながりとして描かれていて何故男性同士の関係だけこんなに綺麗なんだ?と文句をつけたくなってしまう。
確かに凝った内容は面白く観れたけど。
男同士の深い友情物語はいいものだけど。
それを描く為に女を哀れに利用しないで欲しい。

凝った物語、というのは得てしてこういうところに作り手の本音が出てしまうものか。
観終わって残るのはドルジのことみへの愛情より河崎と椎名との友情のほうだ。
ことみを殺したのはあくまでも製作者なのだからそこに何か意味がなければならないのに、彼女の死はなんだったんだろう。

ボブ・ディランの歌だけが空しく心に残る。一見上手い映画、と絶賛されそうな所が悲しい。

配役は申し分ないものだったと思う。椎名役の濱田岳はとても可愛くておかしいし、瑛太はさすが最近特に目立っているだけあって魅力的だし、松田龍平氏はいつもながらに素晴らしく、出演時間は短くても印象に残る。
だけに余計この技巧的な作品の底にあって欲しい人間性がなかったのは残念だ。話の為に登場人物を殺す、というのはげんなりする。犬が助かってよかったねー、って問題じゃない。そのために本当に自分の命を犠牲にするか?嘘だ。
本当に大切なものがこの物語にはないと思うのだ。現実を見せたようなつもりの虚構の為の虚構、これもまた。

監督:中村義洋 出演:濱田岳 瑛太 関めぐみ 大塚寧々 松田龍平 田村圭生 関暁夫
2006年日本
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