映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2008年11月28日

『私は貝になりたい』<1958年TVドラマ作品>

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1958年TVドラマ版『私は貝になりたい』である。
物語の内容もわかっているのだが、フランキーさんがあんまり素晴らしくてどうしても泣けてしまう。
だがこれはむしろ上等なサスペンスミステリーと言ってもいいのではないだろうか、と思ってしまった。

今、主演仲居正広で映画が公開されているわけだが、フランキーさんの方が一介の理髪店主という感じがするように思えるのだが、どうだろうか。ただこの時のフランキーさんが今の仲居くんよりはるかに若いとは思いもしなかった。主人公の年齢は33歳と言っているが、仲居くんはもっと年上でフランキーさんはもっと年下である。

とにかく古いTVドラマなので映像も古ぼけているしセットもなにもかもぎりぎりの予算でやっている感じである。なんとか演出でうまく誤魔化しているのがうれしい(私はドラマとかできるだけ低予算で作っているのが面白くて好きなのだ)
しかも裁判場面以降は生放送というのが驚きである。昔のTV番組というのはとにかく凄い。
観てる間は真面目で人のいいちょっと要領の悪い清水豊松さんが怖ろしい命令を受けたりやっと家へ戻れたかと思ったら戦犯として裁判にかけられ絞首刑を言い渡されたりして戦争の恐ろしさ、世の中の不公平さにはらはらしたりイライラしたりして(筋がわかってはいても)最後には涙が溢れたものだが、こうして観終わってみると一つのフィクションドラマとして大変に面白いものだったなあと思ってしまうのである。
無論、同じように戦争時に不条理な運命を担ってしまった人は事実いるわけで「面白い」などと言ったらお叱りを受けてしまうのかもしれないがそれでもこの90分と言う間にこんなにも人間の運命と心の動きを巧みに描いてみせた本作の面白さは他にはちょっとないものかもしれない。
そしてその面白さをフランキー堺氏がほんとうに豊松という人物がそこにいるかのように思えるリアルさで演じている。
貧乏で夫婦で理髪店をやっとの思いで開業して戦争が始まって我が子がおなかがすいているのを見かねて真面目な豊松が妻に配給の石鹸(髭剃りに使わねばならないのだが)を米に変えて来いと言い出す。妻は真面目なあんたがそれでいいのとやんわり言ってやっぱり我慢することにする。そんな家族なのである。
自分を死刑に追いやった司令官の謝罪を聞いてつい同情してしまい「閣下」と呼んで散髪してあげ、彼の死刑後にはお経を読んで同室の者から非難されると「世の中理屈ばかりじゃない」と言ったりする。
お人よしな男なのだ。
窓から見える空から景色の移り変わりを感じることで年月の流れが伝わり、同じ運命となった人々との交流の様子が生き生きと(というのはおかしいか)描かれていく。
裁判に憤り怯え、死刑執行がぴたりとなくなってからは奇妙に都合のいい噂が飛び交い希望を持ってうきうきし、ついに宣告を受け驚愕の表情をする豊松。
宗教は信じないと言いながら彼の側にいてくれる小宮教誨師に抱きついてしまう。死への怖れ。
死刑台に向いながらあの「貝になりたい」の言葉を訴える。
そうした物語の展開は面白いとしか言いようのない巧みさ素晴らしさである。
むしろ舞台劇をみているような感情の爆発や力強さを感じる。
ひたひたと迫ってくる死を気づかず笑っている主人公がそれを知った時の驚愕。いくつかの謎。これほど面白いサスペンスミステリーもないと思うがどうしても反戦と人情ドラマとして観られてしまう。それはそうだしそれとしても素晴らしいが自分としてはこの運命の怖ろしさとスリルに見入ってしまうのだ。
ただ彼の帰りをひたすら信じて待っている妻と息子がいじらしい。

ところで作品中、「死刑というのはみせかけで死んだはずの男が北海道で生きていたよ」というくだりがある。アメリカ側が死刑執行したことにして解放しているという噂なのである。
豊松は宣告を受けすっかり動転して死刑へ向かうがこの噂が事実だったら、彼はこの後、自由になったということはないのだろうか。
彼の死刑そのものの映像はないのだからもしかしたら、とも思ってしまう。
そして司令官が豊松さんに「責任は全部自分にあるという書類を書いた」と言って安心させる場面がありこれで豊松さんが再び司令官を閣下と呼び出すのだが、これも彼が話した言葉だけであって事実なのかどうかはわからない。結果、豊松氏が死刑宣告されたことからももしかしたら何もそういう書類など出さなかったのかもしれない。ただかまって欲しくて嘘をついたのかも。どちらも謎のままである。

演出:岡本愛彦 脚本:橋本忍 出演:フランキー堺 桜むつ子 平山清 高田敏江 坂本武


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2008年11月19日

『憲兵とバラバラ死美人』並木鏡太郎

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何故またこんな変なB級タイトルの映画を?と言われそうだがこれが中味は結構風格のあるきちんとした娯楽ミステリー作品であったのは驚きだった。
かなり古い映画だがうれしいのは名探偵の憲兵として中山昭二さんが主演されていることで私たち世代にはウルトラ警備隊キリヤマ隊長のイメージが強い方だが、この映画でも隊長の貫禄そのままのキャラクターで2枚目でありながら男らしくしかも優しい人格を表現しておられた。
憲兵の服装もお似合いだが最後スーツ姿でさっそうと登場する場面もかっこいいのであった。

昭和12年。仙台歩兵第四連隊が舞台となる。炊事用井戸から異臭がした為調べると、女性のバラバラ死体の胴体部分が見つかった。しかも子供まで身ごもっていたのである。
憲兵隊の名誉にかけて警察の調査を嫌ったことで犯人捜査は難航。仕方なく東京から援軍を乞う事になった。
この東京からやってきたのが中山昭二演じる小坂である。
東京の助けを借りたことを侮辱に感じて隊内では小坂への反感がつのり功をあせってある軍曹に嫌疑をかける。そして拷問にかけて口を割ろうとするのだが。
色男の為、死体の女性と関係があったのではないかと疑われる軍曹が天地茂なのだ。なにしろDISCASに書かれたキャストの2番目に名前があったので彼が名探偵なのか、はたまた犯人なのかと探しながら観てたのだが、物凄くスマートで最初まったくわからなかった。昔はこんなに細かったんですねえ。しかも嫌疑をかけられ激しい拷問を受け続けるが実のところは単なるこそ泥で隊内の食料を横流しして金を儲けては女遊びをしていた情けない奴、という設定にすぎなかったのだ。とほほ。

心優しい小坂は殺された女性の無念と拷問されている軍曹を救おうと1人の部下と共に懸命に捜査を続ける。地元警察と懇意になったことも手伝って小坂はついに犯人をつきとめる。

単にミステリーの筋書きというだけではなく、東京から仙台へ出張して美人女将が営んでいる小料理屋兼宿屋に宿泊しているくだりや捜査をしている過程などがなんともいえない昔の風情があって見ごたえがあるのだ。ミステリーというのは謎解きだけではなく物語の雰囲気が何より大切でタイトルからは想像しにくいどっしりした醍醐味が感じられる作品だった。美人女将と小坂氏のほんのりとしたラブストーリーも加味されている。
面白いのは犯人が満州へ志願して渡っていたために小坂が逮捕を任命されるのだが、犯人は隊を脱走。中国人に変装して現地の女性としっぽり酒を飲んでいたところを取り押さえる。
犯人の八角眼鏡が怪しげであった。最後だけ突然銃撃戦のアクションものになるところがやはり娯楽映画ならではというところか。
犯人が私利私欲のため、女性を殺害し近所にあった病院で死体をばらばらにしようとする場面はなかなか怖ろしい緊張感のあるものだった。

満州がちょっと出てきたので自分の興味が湧いたのも確かではあるが、多分セットでそれらしく仕上げたものであるだろうな。

監督:並木鏡太郎 出演:中山昭二 天知茂 江畑絢子 細川俊夫 若杉嘉津子 鮎川浩 小高まさる 江見渉
1957年日本
ラベル:ミステリー
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2008年11月15日

『独立愚連隊』岡本喜八

独立愚連隊2.jpg

またまたとんでもなく面白い映画を観てしまった。
戦争映画といえばそのまま反戦映画を意味しているのであり極めて真剣で丁重なのが当たり前という日本人の常識のようなものがあるのにずっと以前にはこんな型破りの戦争アクション映画があったのだ。

物語の形態はミステリーのカテゴリに入るのかもしれない。毎朝新聞の記者という男が最前線の危険な戦場へ赴く。そこには特に危険な場所に配置された『独立愚連隊』と呼ばれる部隊があった。
兵隊の屑ばかりを集めたと言われるその部隊へ記者は危険を省みず向かう。その部隊では以前大久保という見習士官が現地の女性と心中事件を起こしたという醜聞があったのだ。記者はその話の秘密を懸命に聞き出そうとする。一体記者は何故その事件にこだわるのか。その事件の謎を知るものは。という物語なのである。

なんといっても風来坊的主人公を演じた佐藤允の他にない独特な魅力がこの映画の強烈な癖のある味わい、軽快だが迫力のある映像を作り上げている。日本人離れしている、というのか個性的なアクの強い容貌であり印象に残る表情をする。忘れられない笑顔なのである。
彼自身も他の戦争映画にありがちな熱血で生真面目な軍人というイメージとは違っている。代わりに帝国軍人の権化のような存在といて三船敏郎が登場するのだが、とんでもないことに彼は気がふれてしまい意味もなく号令をかけるおかしくも悲しい姿に成り果ててしまっているのだ。よく三船敏郎がこんな滑稽で無様な役を引き受けたものだと唖然とする。反面三船敏郎がやっているからこそこの悲しさと迫力が生まれてくるのだ(そしてここにもミステリーが隠されている)

よくある反戦映画ではないとはいうもののこの映画の奥にはやはり戦争というものの馬鹿馬鹿しさ、個々の人間の無力さへの悲しみが込められているのは誰もが感じることだろう。
ただ最後の場面だけは驚いてかなりめげてしまった。それまで当地にいる馬賊とも仲良くなっていった主人公だが独立愚連隊の連中と共に八路を撃ち殺していく場面があるのだ。
どうしてもこういう展開にアレルギーがあるのだが、この場面がなければ日本軍がまったく当地で戦闘などしなかったかのように思えてしまうし(今話題の「日本軍は侵略などしなかった」発言のような)実際、飛び出していかなければいいのにやっぱり死ににいってしまういかにも日本人らしい顛末であり残虐に敵を全滅し、自分達も全滅してしまう空しさと馬鹿馬鹿しさをこの場面から感じてしまうのだ。あそこまで我慢したのに何故命を捨ててしまうのかなあ。

従軍慰安婦も当然のように登場してかなりおっかなびっくりで鑑賞することになる本作だがそれもまた事実として観なければいけないのだろう(あの人たちとかはこの映画、とても承認できないのだろうな)

そういった強い衝撃を受けながらもミステリーの面白さと弟の為に脱走兵という汚名を被って現地へ駆けつけた兄の一途さに打たれてしまう自分である。

監督・脚本:岡本喜八  出演:佐藤允 中谷一郎 雪村いづみ 鶴田浩二 上村幸之 三船敏郎
1959年日本
ラベル:戦争 ミステリー
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2008年11月10日

『ときめきに死す』森田芳光

ときめきに死す.jpg

つい先日同じ言葉を書いたので気が引けるがこの映画も全く未見だと思っていた。初めて観るジュリーの映画と思って観始めものの何分か、杉浦氏が沢田研二を駅に迎えにいくところであっとなった。観ていた。
うむー、かなり衝撃的な内容なので忘れてしまっているということが信じられないが完全に忘れていた。しかも物語の進行を観ていくと「そうだった」と思い出すが全く寸分も先を覚えていず、最後までどうなるかと思って観ていた。一体なんだろう私の記憶。

しかしほんとうに不思議な感覚の作品である。
ここでも沢田研二は常識に反抗するような孤立した男である。『太陽を盗んだ男』よりもさらに謎を秘め、悲しさを胸に隠しているような男なのである。
3人の主要人物が登場するが3人ともどういう人間なのか判るようで判らない。最も奇妙に思えるのは杉浦直樹演じる元医者である。かなりの強面で腕っ節も強そうだ。何度も「高いお金で雇われていますから」と言っている。ある組織から送り出された殺し屋である青年=ジュリーの世話をし、健康のチェックをするのが彼の仕事である。元医者だから健康チェックをするのは専門だろうが車の運転、掃除から食事の支度をし、青年の言うことを何でも聞くように言いつけられている。
真面目なようで酒を飲んだり、浜辺で女の子にちょっかいをだしたりハンサムな青年に心惹かれているような言動をしたりなかなかつかみどころのない人物である。
二人がやっと馴染みだした頃、「二人の為の女」という女性が送り込まれてくる。静かな小さな山村で見知らぬ3人の男女がひと時を過ごすことになる。それは青年が「ターゲット」である新興宗教の会長を殺害するまでの共生であった。

あまり説明のない作品なのだが特に青年についての紹介は殆どなされない。終わり近くに青年が医者の運転で生家に行く場面がある。一緒に来ないよう頼んだ青年は1人小さな家へと入って行く。やがて青年がその家から出てくるのが見え、近所の家々からも青年を呼び止める人々が飛び出してくる。一体この青年は何者なのか。どういう生い立ち、どういう暮らしをしてきた人間なのか、そこに殺人者となった答えがあるのだろうが、はっきりとはわからない。

新興宗教家を殺害するというきわどく怖ろしい内容ではあるが、この作品の主要な部分は田舎の一軒家で見知らぬ3人が一種の主従関係を保ちながら共に暮らす幾日かの時間にあるのだろう。
元医者の青年へのややぎこちない献身ぶりと結局は肉体関係を持たないままになった性提供者の女性という存在が奇妙なバランスを保っている。
ずっとこんな生活が続けばいいと願いながらもそれはかなわない夢である。

映像も物語もすべてを言い表していないだけにもどかしさもあるのだが、新興宗教に没頭している小さな山間の町というのが現実にありそうだし、パソコンやネットで知り合うことになる人間関係というのも現実になってきた。時代を予見した作品だったのかもしれない。

監督:森田芳光
ラベル:犯罪 沢田研二
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『太陽を盗んだ男』長谷川和彦

太陽を盗んだ男.png

『悪魔のようなあいつ』を観ているうちに急に観たくなってきた。『悪魔の』の脚本・長谷川和彦が本作の監督、音楽は同じく井上堯之である。
公開当時、とにかくジュリーと菅原文太さんのきわどくも危ないポスターにどっきりしてしまった。映画の内容にはないポスター用の写真だったのだがね。

映画で観たのかTVだったかもう忘れたがとにかく「面白い!」という印象だった。何十年かぶりに観なおしたわけだが、思った以上にというか「こりゃー面白いや」と感心し直してしまった。たとえリメイクしてもこの面白さはなかなか再現できないのかもしれない。
一つは何と言ってもジュリーの魅力によるもので、あの目の魔力というのは他の人にはないモノのように思える。ちょっととろんとした切れ長の目なんだけど何かを秘めているような不思議な力を持っているのだ。容貌も女性的のようでいて非常に男性的にも思えるし、少年のような可愛さと冷めた部分も感じられるまさに魔性の人なのかもしれない。片やその敵ともなる堅物の警部に菅原文太が扮していてこちらもその溢れるようなマッチョさがジュリーのなよやかさと相対的で面白い。
フンガーと突っ込んでいく男っぽさが笑いを誘いながらもその一途さに打たれもする。
二人の間に立つラジオのディスクジョッキーに池上季実子。この時代らしい「飛んでる女」というのか、ちょっと声のトーンが高いのが気になるが犯罪者である城戸=ジュリーに夢を求める女性として登場。

やや長い映画ではあるがテンポよく見せ場が次々とやってくるし、アクション映画としてもかなりの迫力を持っているのではなかろうか。
幾つか面白い見せ場があって今観ても遜色ないが電話の逆探知の箇所は今は携帯なのでかなり方法も変わってしまうのだろうか。犯人の居場所を特定する為に東京の電話回線をどんどん切っていくというのが楽しい。
そして映画の最も興味深い部分はジュリー演じる中学校の科学の先生である城戸誠がアパート自室の手作りの実験室で原爆を製造していく過程ではないだろうか。
一体これでほんとうにできるのかどうかはわからないが学校で生徒達に「原爆の作り方」という授業をやりながら帰宅してはこつこつ原爆を作っていく様子が面白いったらない。原爆をつくるだけでなくその後の仕上げの時限爆弾作りの過程など根気がいる仕事で観ているだけでへとへとになりそうだった。こんな大変な作業自分には絶対できそうにない。
物語の面白いのはこんなに大変な思いをして原爆を自作仕上げたのはこの原子爆弾を所有することで世界を思うままに操りたいということなのだが、肝腎の「どう操りたいのか」は本人自身がまったく思いついてないということなのだ。
原爆が完成してから「何を要求したいか」を考える城戸。とりあえず観ていたプロ野球巨人戦のTV放送を最後まで見せろと要求する。
それ以上何も思いつかずここでラジオディスクジョッキーの“ゼロ”に「原爆を持ってたら何を要求したい?」と問題を出すのだ。彼女の答えは「ローリングストーンズの日本公演を政府に行わせること」
そして「5億円」
だが城戸は原爆製作中に被爆し、次第にその兆候が見え始めた。髪が抜け、歯茎から出血し吐き気が襲う。
そこからゼロを巻き込んでのカーアクション、山下警部との死闘などエンターテインメントとしても凄いのだが城戸が「何かを訴えたい」「世界を操りたい」という漠然とした欲望は持っていてもそれがはっきりとした何かではない、というのが当時からこっちの若者らしい思考なのだろう。
といっても昨日観た『ルシアンの青春』ともどこか重なるものを感じるのだが、これも映画が製作された70年代の雰囲気なのかもしれない。
世間に反抗し犯罪者と呼ばれる存在になるのだが本人にはこれという思想がないのである。ただなにか抑圧されることへの反抗、支配したい欲望、とはいえそれらにそれほどの執着があるわけでもないのだ。
映画に重く漂っている悲しみも似ているようである。

城戸という名前が「キッド」という言葉を連想させるように思える。どこか子供っぽい悪戯を考えている。

原爆という日本人にとっては冗談の対象にはならない題材をこのような娯楽作品に使ったこと、それで社会を脅迫する主人公がかっこよく描かれていることなど今現在ではまかり通れない作品ではないだろうか。
映画というメディアで社会に反抗的な問いかけを投げかけていたそういう時代の作品の一つである。

監督:長谷川和彦 出演:沢田研二 菅原文太 池上季実子 風間杜夫 雄之助 北村和夫 神山繁  小松方正 西田敏行 水谷豊
1979年日本
ラベル:犯罪 沢田研二
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2008年10月28日

『陸軍中野学校 開戦前夜』井上昭

開戦前夜.jpg

『陸軍中野学校』シリーズ5作目。真珠湾攻撃に関するアメリカ側スパイとの攻防が繰り広げられる。

昨日まで観ていた『戦争と人間』後の話だ。昨日まで憎らしかった憲兵がここでは椎名次郎の命令で動くことになる。
『007』のようなスパイアクション映画を目指して作られたらしいがそこはなんとも言えず和風な味わいのスパイものになっている。同じ2枚目といってもショーン・コネリーと市川雷蔵では全然違うからなあ。とはいえ、アレを模倣したような派手なアクション映画になっていたら恥ずかしい珍妙なアクション映画ができあがってしまったろうから、無論これで正解だのである。
市川雷蔵の思いつめた雰囲気のスパイは魅力的だ。確かに地味なアクションにはちがいないだろうが、それが却って本格的なスパイものに見えて変な物真似になっていないのがいい。

物語は椎名次郎(市川雷蔵)が使命を受け香港へ飛ぶ所から始まる。
椎名のために手はずを整えていた青年・磯村を細川俊之が演じている。あるホテルに滞在するダイク大佐が保管している重要機密書類を写し撮るのが椎名の任務だった。磯村の婚約者・昌子とその友人の女性・秋子を交えてホテルのラウンジで談笑しながら椎名はダイク大佐の行動を観察した。
任務は成功したが怪しまれた椎名はダイク大佐の手先によって捕らえられ、拷問を受ける。運よく秋子が外国人によってある家に連れ込まれた椎名を見たことで椎名は磯村たちに助けられた。

実はこの秋子が敵のスパイであり、スパイものになくてはならないスパイの中のスパイというストーリーになっている。
後半は日本の真珠湾攻撃の情報をダイク大佐らがスパイしていくという展開になり磯村が薬によって情報を吐いてしまう。あわや情報がアメリカに流される前に椎名たちの活躍によって阻止される。
真珠湾攻撃の情報はアメリカ側はすでに知っていたという話もあるからここでは阻止されたが別のルートで流されたのだろう(虚実混同してるが^^;)
薬で自白してしまった磯村が責任を負って自決したというのが悲しい。
重い心を抱えながら椎名は次の使命を待つことになる。

晩年はまったくいい人のイメージの船越英二さんがここではちょっとすけべな感じの悪い奴を演じている。先日観たばかりの増村監督作品『盲獣』では凄まじい肉欲に溺れた男を見せ付けてくれたが。
昔の映画を観ていると今のイメージと全然違う役者の顔を見つけて驚くことが結構あるものだ。今可愛い役、或いは不良をやってる役者もどう変わっていくかは判らないわけだ、と当たり前なことに頷いてしまう自分である。

監督:井上昭  出演:市川雷蔵 小山明子 浜田ゆう子 船越英二 細川俊之
1968年日本
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2008年10月26日

『戦争と人間 第三部 完結篇』後半 山本薩夫

戦争と人間a.bmp

いやあ、さすがに最後は面白かったなあ。こうして観ると最後は幼馴染みだった耕平・俊介の二人が締めを飾っているということになっているのがいい。特にこの作品は伍代俊介の成長物語になっているのである。耕平は最初から出来上がった人格だったが、俊介の成長による変化は見応えがある。
作品自体、本来まだ続きがあるはずの構想だったのだろうから、厳密に言うとあちこちの話が尻切れトンボになっているのだが、却ってこのノモンハンの戦地で終わったことがよかったのではないのだろうか。何となく後は後始末的な展開になりそうなので。

伍代家のお荷物的な存在でやや優柔不断に見えたお坊ちゃまの俊介が最後に狙撃の腕を見込まれ狙撃兵として活躍する。何不自由なく暮らし、望めば兵役につく事も回避できた俊介は単なる一狙撃兵としてノモンハンの壮絶な死闘に向かうことになるのだ。
この最後のノモンハン戦場の場面は物凄い。比類ないスケールとリアリティがあるのではないだろうか。かつてのソ連の援助もあったようで(不思議な話だよなあ)このような壮大な平原での戦闘シーンが撮影できたのだろう。
ところで驚いたのがソ連軍が攻めて来る時、怒涛のような戦車のバックで「ヴォルガの舟歌」が大音量で流れてくるのだ。(有名な「エイコーラ」というロシア民謡ですな)これはまさしくフランシス・コッポラ『地獄の黙示録』で戦闘機のバックにワーグナーの「ワルキューレの騎行」が流れるあのシーンを彷彿とさせるではないか。製作年はこちらが先だが。これは監督の演出なのか事実なのか判らないがソ連軍が日本軍を混乱させる為に平原にスピーカーを置いてロシア民謡を大音量で流しているという場面は出てくる。その上、ぶよや蚊に悩まされ何より全く水がない地域なのが兵士たちの苦しみだったようだ。
苛烈な戦いで次々と仲間が倒れ、生き残った兵士が俊介に「これからどうなる」と問いかける。俊介は「天皇に聞けよ」と答える。どきりとしてしまう。
その仲間も失い、1人逃げる俊介は途中、尊敬する画家の灰山さんに出会う。灰山さんは絵を描く右腕を失って倒れていた。俊介は水を欲しがる灰山さんを励ましながら背負って歩き続ける。だがそこへオートバイのサイドカーに乗り込んだ将校が彼らを呼び止める。そして「全滅したとはなんだ。最後の一兵まで戦わんか。元の戦場へ戻れ」と喚くのだ。
俊介は静かに灰山さんを降ろして銃を構え「では自分の所属する部隊がどこにいるか教えてください」(自分のというのは俊介のほうね)と睨みつけた。将校は俊介の鬼気迫る表情に怯え去っていった。
バイクの操縦士である兵士が思いやって置いていった水筒の水を灰山さんに与え、自分も飲みながら「絶対にこのくだらない戦争で死にはしない」と誓う俊介。
かつての弱々しい少年の面影はもうなかった。

話は前後するのだが、この話の前に語られていた耕平の戦い。自分の主義を曲げ罪なき中国人を殺した耕平は自責の念に駆られていた。
またも日本軍が小さな村を襲った時、上官に怒鳴られ殴られても耕平はもう村人を殺せなかった。
味方からも取り残された耕平は戦死したという手紙が妻・順子の元へ届けられる。
だが憲兵が戦死したはずの耕平の手紙を捜索したのを見て順子は耕平がまだ生きていることを察する。
憲兵は耕平が軍から逃亡し中国側についたことを知らせ、非国民がと罵るのだった。
この物語が最も驚いたことだったので後に書いたのだ。
どうしても殺せないので中国側に入ってしまうなんて。考えてもみない展開だった。こういう人が事実いたのだろうか。しかし先ほどまで鬼子と呼んだ日本人を殺さずに味方にするなんて中国人てやっぱ日本人と違う。(事実かどうかはわからないが)
憲兵に殴られ罵られた順子だが耕平が生きていたことだけが彼女の幸せだった。
この作品中で唯一幸せで希望の見える恋人達であった。彼らはきっといつか再会できると信じるのだが。

前半で俊介と肉体関係だけ持つことになった苫が後半でも登場。言葉通り売春婦となっていた。俊介がノモンハンから逃げ延びた時、街中で傷ついた兵士たちに水を配っており、おやもしかしたらと思ったが、俊介は水を受け取って飲み干すと何も言わず去ってしまった。
ありゃ、俊介って本気で苫のことは女性として受け付けないのかもなあ。何しろ好みは温子(佐久間良子)さんみたいなしっとりした美人だからなあ。粗雑な苫には色気を感じなかったのだろうねえ。思えば気の毒な苫である。

耕平に一途な恋を全うし続ける順子と違い、由紀子は結婚相手にも幻滅して「伍代家に戻りたい」なんて言い出してる。
うーん、気丈なお嬢様と思ったのだが、やたら「何でもいいから何かに命懸けで打ち込みたいのです。男性でも仕事でも」と騒ぐばかりで結局何にも打ち込むものがないお嬢様だったのね。
まだ若いからこれからがあるのかもしれないがこういう夢ばかり追っていてプライドは高いが何もしない人っているもんだ。
口ばっかりじゃなくて本当に何かに打ち込むのなら黙ってそうすればいいのだよ。このまま老婆になるのだろう。「打ち込む、打ち込む」って言いながら。

瑣末な部分に流れてしまったが、作品の最期の虚無感は心に迫ってくるものがある。
多数の巨大な薪のやぐらで戦死者が焼かれていく。
しかも戦争は終わったのではない。ここから第二次世界大戦が始まっていくのだ。

監督:山本薩夫 出演:芦田伸介 滝沢修 高橋悦史 浅丘ルリ子 高橋英樹 三國連太郎 高橋幸治 石原裕次郎 田村高廣 加藤剛 吉永小百合 山本圭 北大路欣也 夏純子 藤原釜足 鈴木瑞穂
1973年日本
ラベル:戦争 歴史 満州
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2008年10月25日

『戦争と人間 第三部 完結篇』前半 山本薩夫

戦争と人間 完結.jpg

この映画を観出した最初の目的は「日本人の戦争」じゃなく「満州における中国人と日本人」だった。第一部はまさしくそういう世界を描いてくれていて中国人(満州人)の言動も様々であって大変に満足な作品だったのだが第二部、第三部と完全に日本人主体の物語になってしまった。両方を対等に描くのは難しいのかもしれないが残念だ。

とはいえ第三部の前半、恋愛劇ばかりだった第二部よりは時代情勢の物語になってきて見応えはあった。ただし日本軍(関東軍)内部の陰惨なシゴキだの左翼に対する無惨な拷問だのばかりを観続けなければならないのでかなりめげてしまう。
だがこういうの観せつけられてしまうとそれだけで日本(まあ昔の)という国が嫌になってしまうではないか。どこの国でもあることかもしれないが、だからと言って理屈の通らない乱暴を受け続けるのを観てるのもしんどいことである。
特に新兵がやらされる中国人を銃剣で刺し殺す練習の場面は知ってはいても観たくはない。入隊した標耕平がどうするのかと思ったら腕と体の間に剣を差し込むという逃げをうっていたのでほっとした。その為に彼は上等兵に銃の台尻でがんがんに殴られた上、起きることもままならない状態で鉄道守備に行けと命令される。だがこの上等兵、中国人を刺す事ができなかった標をわざと殴り、他の上官にしごかれる前に鉄道守備に行かせたのだった。この上等兵もかつて監獄に入っていて新兵の時、苛め抜かれたのを深く根に持ち、新兵達から馬鹿にされないよう威張り散らしていたのだった。
耕平はとうとう順子と結婚。無論、彼女の父・伍代由介には秘密で結婚し事後報告したのだ。それを聞いた由介は可愛がっていた順子を家から追い出してしまう。
一方姉の由紀子は柘植少佐との結婚はあきらめ伍代家に有利な銀行頭取の息子と結婚。弱気で逃げる女と強情で背く女とどっちがいいんだか。
(弱気っていうのはあの温子さんのことね)
順子は伍代家を出て耕平の仲間の所で世話になっているらしい。ところで順子っていうのは「よりこ」で標は「しめぎ」って読んでいる。

伍代俊介は満州で左翼組織と反戦運動に没頭していく。だが軍部に対する抗議により投獄。同志・田島は激しい拷問を受けるが、俊介は伍代の人間ということで無傷で釈放。血だらけでさらに拷問される田島を俊介は苦悩に満ちた目で見つめるしかなかった。
温子と別れた後、俊介は尊敬する画家・灰山の頼みで身売りすることになった貧しい農民の娘・苫を伍代家の使用人にすることになる。ところが苫は俊介に恋し、満州まで追って来て「身売りされてしまったから今夜だけが自分の体だ」と言って俊介に迫るのだ。
物凄い思い込みに驚いたが言葉通り一晩過ごしたらさっと飛び出して去ってしまった。どうも俊介はあっという間に去ってしまう女性ばかりと関係してしまうようだ。苫が好きだったかどうかはよくわかんないが。多分経験少ない性体験で心はすっかり動いてしまってたみたいなのだが。女運がない人なのだなー。

戦争に無関心のように見えた伍代由介だが、日本が中国だけでなく先に英米ソを相手とする大戦を予想していることを察し動き出す。
日本の主だった工業を軽工業から重工業へと変化させ、そのためには国の支援が必要であると政府に持ちかけたのだ。
さすがおっとりしているようで決めるとこは決める伍代由介氏である。長男・英介は威張ってるばかりでいざという時じたばたしてどうしようもないけど。

自分の求めていた話ではない方向に行ってしまったが(もっと満州での話・瑞芳さんや不破医師、服部医師の話、白永祥、徐在林の生き様のほうを観たかったなあ)日中戦争から世界大戦に向かう緊迫した状況を追っていける。
いよいよ完結となるこれから、彼らはどうなっていくのだろうか。

監督:山本薩夫 出演:芦田伸介 滝沢修 高橋悦史 浅丘ルリ子 高橋英樹 三國連太郎 高橋幸治 石原裕次郎 田村高廣 加藤剛 吉永小百合 山本圭 北大路欣也 夏純子 藤原釜足 鈴木瑞穂
1973年日本

せっかく余韻にひたってもいいとこなのになんだけど、この作品いい感じで渋く面白いのに何故かあちこちに配される濡れ場シーン。どっちかというと男性向け作品なので戦争もありつつ濡れ場シーンはお楽しみで、という配慮なのか。
ま、よいけど今観るとかなりおかしく見えてしまうのは仕方ないことか。特に吉永小百合女史のそれは清純派女優としてはかなり衝撃的場面なのかもしれないが全く何も見えてはいない。あらわになった肩だけだ。それでも切なげな表情の彼女を観ればサユリストとしてはうれしくも許せないことだったのかも。とはいえ、奇妙に美しい映像として耕平と順子の初夜が映される演出がかなり笑えてしまうのだ。何もしてないのにね。
その穴埋めとして俊介と積極的な田舎娘・苫のベッドシーンがございます。これなんかもわざとらしく積極的なのでおかしいのだよねー。なんで満州までセックスしに?
潔く去ってしまうのもそれだけのために登場した娘って感じで笑えてしまうのはいけないのだろうか。
戦争場面はいいんだけど恋愛劇の部分はどうしても笑いを誘ってしまうちょっと昔の映画なのだった。
いい所はいいんだけどねー。難しい。
ラベル:歴史 戦争 満州
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2008年10月24日

『戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河』後半 山本薩夫

戦争と人間 第二部・愛と悲しみの山河 2.bmp戦争と人間 第二部・愛と悲しみの山河.jpg

第一部に比べどうも色恋沙汰が多いなとよくタイトルを見直したら『愛と悲しみの山河』だった。そうか。
それにしても苛立つのは俊介(北大路欣也)と人妻温子(佐久間良子)の恋である。イライラしながら前半を観終え後半に入ったら満州へ行った俊介の元へついに温子は勇気を出して旅立つと伍代由紀子に告げる「29年間自分の心に背いてきたけど一度だけ正直に生きてみたいのです」オオ!エライぞ。満州で再会した二人は熱い抱擁と接吻を交わす。そこへいやらしく登場する温子の夫・狩野市郎(西村晃)温子と離婚する気はないと言い、どうやら俊介に金を要求した様子。これですっかり温子の勇気が萎えてしまい元の木阿弥。「やっぱりあなたを不幸にはできない。夫の側であなたを思って少しずつ死んでいきます」なんだかなあ。一体この話ってこの物語に必要だったのか。これからなるのか。結局ぼんぼんなのよね、と言うしかない俊介なのだった。
一方日本では俊介の友人・標耕平(山本圭)が俊介の妹・順子(吉永小百合)が絆を依り深めていた。赤狩りで投獄された耕平が拷問で傷ついた同志の熱を下げる為冷たい壁に手を押し付け額にあてるのを繰り返す優しさが胸を打つ。順子は有力者である父親に頼んで耕平の解放を求めるが父親の答えはにべもない。
やっと出所した耕平は兵役につくか留置場に戻るか逃げるか迷っていると順子に訴える。
ぼろアパートでどうすることもできない未来を嘆きながら抱き合う二人が切ない。
趙瑞芳(栗原小巻)と服部達夫(加藤剛)の恋。憲兵に追われる瑞芳を救う為、鴻珊子に彼女を託した服部だったが、列車に乗ろうとした彼自身が憲兵に捕まってしまう。
そして少佐になった柘植(高橋英樹)と由紀子(浅丘ルリ子)強情な由紀子だが、やはり柘植さんのことは気になるようで。柘植が帰国していたのを見つけ声をかける。彼女の言葉を皮肉に思い出して言う柘植に「では彼女になんと伝えましょうか」と問いかける。柘植は「戦争が終わるまで待っていてください。待てないならしかたありません」と答えた。
気弱は気弱で歯がゆいし、強情も強情でため息である。しかしルリ子さんの美貌はずっと見てても素晴らしいですな。

どうなることかと混乱する第一部に比べ第二部の苦悩に満ちた恋愛劇は自分としては物足りなく感じた。恋愛がそのまま事件につながっていくような描き方ならいいけど、特に俊介・温子のようなのはいただけない。
やはり喬介や鴫田が活躍する話のほうが面白い。

日本では1936年二・ニ・六事件が起こり、大陸では1937年盧溝橋事件により日中戦争勃発。
さらに人々は大きな渦に巻き込まれていく。

監督:山本薩夫 出演:芦田伸介 滝沢修 高橋悦史 浅丘ルリ子 高橋英樹 三國連太郎 高橋幸治 石原裕次郎 田村高廣 加藤剛 栗原小巻 岸田今日子 佐久間良子 吉永小百合 山本圭 北大路欣也 地井武男
1971年日本

ラベル:歴史 戦争 満州
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2008年10月23日

『戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河』前半 山本薩夫

戦争と人間4.jpg

物語が中盤にさしかかった時の常として状況は泥沼化。どの人物も自分の立場から逃れられない苦悩を持つ。
左翼弾圧で虐げられる人々もいるが(ここで最近話題になった『蟹工船』の小林多喜二の名前が出てくる。「小林多喜二がどうなったか知ってるだろう」と脅されるわけである)舞台が日本になった時の話題と満州での物語りの差が激しい。
俊介くんは友人標耕平の思想行動は置いといて兄の妻になるはずだった年上の女性に夢中。この女性もどうもねちっこくて確かに女性らしいといえばそうなんだけど、思わせぶりで被害妄想でなよなよとして不幸じみてうざったい。こういう女性に俊介のような男は夢中になってしまうわけなのだ。演じたのは佐久間良子で美人だから仕方ないけど。
貧しい友人耕平くんは(ところで耕平くんと俊介くんの学生服は明らかに仕立てが違う。耕平くんの学生服ってぴらぴらでいかにも貧乏そう)山本圭になっていて急にかっこよくなったぞ。俊介くんは北大路欣也。耕平くんのほうは伍代家の次女・順子(吉永小百合)から好意を寄せられていた。
伍代家って由介・喬介、英介は財閥然として威張っているが俊介・由紀子・順子は反抗的なわけで真っ二つに分かれているのだ。とはいっても威張っている方が強いだろうが。弱いほうも強情そうで。

満州のほうに行くとより憎悪や確執が激しくなっていく。日本人の大塩は兄を朝鮮人に殺された恨みで心が歪んでしまっている。その歪みのために中国共産党員である白永祥は逃亡せねばならなくなってしまう。
また日本人に家族を惨殺された朝鮮人・徐在林も激しい恨みで生きている。その恨みのために志を同じにするはずの中国人白永祥とは全く異なった思考になってしまう。
白永祥を逃がした日本人・高畠正典(高橋幸治)も憲兵隊に追われる身となってしまう。
伍代由介は中国人・趙大福と取引するために満州へと赴く(よく取引しようとするよな。息子が趙の娘を強姦してんのに)無論趙氏から快い返事はもらえない。

関東軍の中国人拷問シーンも出てきたりして身の毛がよだつ。仕方ないとはいえ誠実そうな柘植大尉も一応文句は言い出すが「言うな」と言われれば黙るしかない軍人である。勇んでいかがわしい店から阿片を押収すると伍代喬介からは「若造が。満州がどうして成り立っているか全くわかっとらん」と罵られ、由紀子さんからも「女はいつも待っていると思っていらっしゃるの。考え違いだわ」とか言われて立つ瀬がない柘植大尉であった。

日本人(関東軍)が満州の人々を苦しめ、そこから抗日が生まれてくるのだが朝鮮の一派が日本人と満州人との間で苦しむことになる。
徐在林の激烈な人格は怖ろしいほどだが演じているのが地井武男でまた驚いてしまう。観てる間はまったく気づかなかった。
家族を殺され「恨」を持った彼は中国共産党と共に命懸けで戦うがどうしても中国人とは理解しあえない。
仲間を救うため愛する女性も殺されてしまった徐在林の行き先は金日成の元なのだろうか。

この物語の主人公は「伍代一家」のようなのだろうが、どうも他のキャラクターの人生が凄すぎて影が薄い。
一番面白いのはやっぱり伍代喬介かな。

監督:山本薩夫 出演:芦田伸介 滝沢修 高橋悦史 浅丘ルリ子 高橋英樹 三國連太郎 高橋幸治 石原裕次郎 田村高廣 加藤剛 栗原小巻 岸田今日子 佐久間良子 吉永小百合 山本圭 北大路欣也 地井武男
1971年日本
ラベル:戦争 歴史 満州
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2008年10月22日

『戦争と人間 第一部 運命の序曲』後半 山本薩夫

戦争と人間3.jpg戦争と人間2.jpg

後半になって滅茶苦茶面白くなってきた。冒頭部分の広げすぎた感のある大勢の登場人物、舞台設定がそれぞれじっくり語られていくようになり類型的かなと思われたキャラクターたちも味わうことができるようになってきた。

とにかくこれを観てたら日本人と関東軍とブルジョアジーが嫌いになることは請け合い。もうむかむかしてしまうんだが(映画だから言えることだが)だからこそこの時代のこの舞台が面白い。
それにしても標兄弟がかわいそうだ。貧しくても兄弟仲良く支えあって生きてきて兄は思想を貫くことができずに兵士となって満州に赴き、兄の帰りを待ちながら新聞配達をして生活している弟に兄の戦死の手紙が届く。兄が弟に言った言葉が「俺の意志を継いで共産主義になれ」ということじゃなく「馬鹿にされてもいいからよく物事を見つめて信じるものを見つけろ。」ということだったのが驚きだった。伍代俊介とはまだ友人でいるというのも不思議なのだが彼らが成長してまた物語が展開していくのだろう。伍代俊介を演じているのは仲村勘九郎と書いたが今は勘三郎になっているのだよね。この辺を観ると確かに息子さんに似ている。ブルジョアなのに貧しい友人を思いやり労働者たちの苦しみに泣く優しさに若さゆえとはいえうたれる。ずっとこのままの人格でいてくれるのだろうか。伍代の人間になってしまうのだろうか。

その伍代の一員、英介の憎々しさといったら。まだしも悪党らしい伍代喬介(芦田伸介)は男らしいが、腐った奴というのはこういうのだ。高橋悦史さんという人もわりといい人のイメージがあったのだがこんなに憎々しい男を演じていたのだ。
そして伍代喬介の片腕・鴫田駒次郎の三國連太郎。いやもう荒くれ男でかっこいい。息子さんの佐藤浩市とはあまり似てないなあと思っていたのだが若いこの時期を見るとそっくりである。勘三郎にしろやっぱり親子って親子だ。

見せ場たっぷりでどこを取り上げていいかと思うほどだが、伍代公司に勤めていながら妻を伍代喬介の差し金で殺されてしまう高畠正典(高橋幸治)と彼の通訳をしていく白永祥(山本学)のコンビ(?)が緊張感があって面白い。思いつめた表情の高畠とひょうひょうとした白のバランスがいい感じ。叔父さんがこの作品の監督・山本薩夫になるのか。だからというわけではないだろうが謎を秘めた中国人で物語の鍵となる気になる存在である。
幼い女の子に話すたとえ話が物語を説明している。幼い双子(旅順と大連)を誘拐して働かせ最初は9年で解放すると言っていたのに稼げるとわかった途端99年働かせると言った、という話である。
この作品で日本人が中国や朝鮮の人々に惨たらしいことをしていたのかを見せ付けられ苦しくなってくるのは確かだ。
それでもこの時代の満州の物語に強く惹き付けられてしまうのは何故なんだろう。

監督:山本薩夫 出演:芦田伸介 滝沢修 高橋悦史 浅丘ルリ子 高橋英樹 三國連太郎 高橋幸治 松原智恵子 石原裕次郎 田村高廣 加藤剛 栗原小巻 岸田今日子
1970年日本

ラベル:歴史 満州 戦争
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『戦争と人間 第一部 運命の序曲』前半 山本薩夫

戦争と人間 第一部 運命の序曲.jpg

先日ちょっと書いたが満州を舞台にした映画を観たいと思っているのだがそういうものはあんまりないようだ。あるのかもしれないがDVDになってないのか。その中で見つけたのがこれ。なんと9時間に及ぶ映画(TVドラマでなく)という代物。三部作であるが本当はもう一部作る予定が財政難で三部で途切れたということらしい。今まで知らなかった作品だがキャストは豪華である。一気に観れない立場なので少しずつ楽しんでみよう。

昭和三年(1928年)満州と日本を舞台にして様々な人々の生き様を描いていく。
出だし、ということもあるが長時間の映画にも関わらずめまぐるしく物語が交錯していく。歴史的状況の説明が忙しく行われ、大勢の登場人物が紹介されていく為にやや人間像が類型的になってしまい誰に肩入れ、共鳴していいのかよく掴めない。
自分としては冒頭から出てきて満州で貧しい人々の医療をしている日本人青年・不破学(田村高廣)が最も魅力的なキャラクターであるように見える。
血気走った関東軍、満州で金儲けをする伍代財閥などの描写が批判的なニュアンスを持つが、対照的な共産主義思想の兄弟は立場が弱くシンパの男も殺気だっていてまだ混沌としている。

どうしても悪く見えるほうが目立つもので伍代財閥の勢力をより広げる為に関東軍と意気投合している伍代喬介(芦田伸介)とその手先である鴫田駒次郎の悪辣ぶりが印象的である。特に鴫田駒次郎を演じる三國連太郎は今はなんだかいい人的なイメージが強いのでここまでの悪党振りを観れるのも面白い。
中国語が挨拶程度に使われるのではなくしっかり会話として話されているのも本格的に思える。出演者はほぼ日本人のようなのでその辺りもきっちり演じられているのは珍しいことなのではないか。
タイトルどおり序曲の前半なのでまだこれからの物語である。日本と関係の深かった張作霖が次第に日本から離れていく中で関東軍は列車で移動中の張作霖を爆破する(柳条湖事件)までであった。

1970年の作品なので豪華キャストの役者たちの若さに驚く。一番の驚きは伍代財閥の変わり者であるまだ中学生の俊介を演じた仲村勘九郎だろうか。とにかくまだ少年なのである。新興財閥でありまだこれからの成長を狙っている伍代家において絵を好み、共産主義者である友人標耕平の影響を受け、家族の者に危ぶまれている。
そして同じく伍代家の娘由紀子役の浅丘ルリ子。知ってはいるがまるでお人形のような美しさ、若さである。関東軍軍人である柘植進太郎(高橋秀樹)と恋仲なのだろうか。
ほかにも怪しげな雰囲気の女性に岸田今日子、日本人だが満州に育ち国籍に悩む青年服部を加藤剛、石原裕次郎、大滝秀治とキャストは物凄い。
かなりの長丁場だがどうなっていくのか楽しみである。

監督:山本薩夫 出演:芦田伸介 滝沢修 高橋悦史 浅丘ルリ子 高橋英樹 三國連太郎 高橋幸治 松原智恵子 石原裕次郎 田村高廣 加藤剛 栗原小巻 岸田今日子
1970年日本
ラベル:歴史 満州 戦争
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2008年10月10日

『鬼畜』野村芳太郎

鬼畜.jpg

公開された当時衝撃作として話題になったのだが、今これが同じような衝撃を受けるかというとそうでもなくなってしまったというのがむしろ怖ろしいことなのかもしれない。
この作品の登場人物より鬼畜な映画は氾濫し、現実ではさらに怖ろしい事件が次々と起きているのだから。

久し振りにこの映画を観てみたらいいと思える面とそうでもない面があって一言で秀作とは言いがたい気がしたのは上に書いた猟奇的なことだけではなく作品としての作りにもある。
これは私がミステリー好きだから思うのかもしれないが松本清張原作なだけあってミステリーを描いた部分は非常に面白い。子供達が突然大好きな母親から捨てられ頼りない父親と彼らを憎みきっている父の妻の家へ行くことになる過程、最初から絶えず子供達の死を狙っている父の妻と次第に変化していく父親の心理。子供たちが死へと追い詰められていく恐怖。一番目の赤ん坊殺害時になっていたむき出しのオルゴールの音が再び聞こえた時の夫婦の狼狽という演出などは素晴らしい。
私としては善良な宗吉がもっと狂っていって鬼畜そのものとなっていく過程を描いていたらと思うのだが、ここで描かれているのは嫉妬深い妻に怯え卑怯にも子供を犠牲にする臆病な男である。その姿は鬼畜というより虫けらというのか矮小な惰弱な人格といったほうが合っている。『鬼畜』というのが誰を指すのかということにもなるが『鬼畜』の意味を見てみると性的な行為を含む残酷な行為とあり、それは妻と愛人の人格であるようだ。男と逃げたのではないか、と思われる愛人と夫の赤ん坊を殺した後夫に性を求める妻・梅に『鬼畜』という言葉はあてはまるのかもしれない。
この作品の主人公は宗吉なのだろうが『鬼畜』である二人の女に追い詰められる弱い精神の男を描いたもの、ということなのだろうか。

ただそういう弱い男を描く表現手法が今の感覚で観るとやや大仰で引いてしまう。緒形拳の心理がはっきりとわかる表情をアップで見せるより何を考えているのかわからない表現の方が却って怖ろしいのではないだろうか。
大げさな芥川也寸志の音楽を無くしたほうがあのオルゴールの音がより印象的になるのではないか。
宗吉が利一を落とすところなど音楽が邪魔をしている。
最後に警察が宗吉に怒る場面も説教じみている。

それにしてもやはり今の現実の方がこれよりもっと怖ろしい。この映画では実の母親が子供を捨てその父親の妻が嫉妬で残酷な仕打ちをしていくという物語になっているが、現実には実の母親が子供を殺したりさらに保険金をかけて儲けたりもするわけでこの映画の登場人物などは同情できる余地を含ませている分、鬼畜性を弱めている。宗吉が実の父親ではないかもしれないという台詞なども逃げている気がする。
今これをリメイクするならかなり残忍さを強めなければリアルですらなくなってしまう。

父親と息子の旅の過程は怖ろしい。死への旅である。『砂の器』で不幸な運命でありながら父子で支えあって旅をするあの美しい情景とは違いここでは父が子を殺そうと思いながらの旅なのだ。
殺害の直前にかかる音楽や「こんなのお父ちゃんじゃない」という台詞などがあまりにも説明的すぎてはいないだろうか。

また今の子役のうまさに慣れてしまったために本作のような昔の子役のぎこちなさは演技場面が多いと気になってしまう。
それにしても、宗吉が本当に強面で自分勝手だったらこうもむかむかとする物語にはならなかっただろう。妻と愛人両方に怯え、子供の存在にも怯えている。妻と愛人両方をぶん殴って「うるせえ、女は子供の面倒でも見てろ」というような勝手な男だったらこうはならなかったのにやっと手に入れた「女」というものをそんなに手放したくなかったのか。
岩下志麻と小川真由美は役にぴったりで申し分なかったが、この映画の緒形拳は代表作といわれるにはうまく当てはまってないのではないか。
頑丈そうな大きな男なのにどうしてこんなに女に怯えているのか。
緒形拳は荒っぽい男はとてもいいがこういう惨めに怯える男を演じていても時々ふっと強い男が出てしまっていてなりきっていない気がしたのだがどうなのだろうか。

監督:野村芳太郎  出演: 緒形拳 岩下志麻 小川真由美 岩瀬浩規 蟹江敬三
1978年日本

上のDVDの写真が怖い。『黒い家』みたいである。あの夫婦は本当に『鬼畜』だった。


ラベル:家族 虐待
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2008年10月07日

緒形拳さん逝く

先日のポール・ニューマン、そして緒形拳と自分が若い時からよく観ていた役者さんが続いて亡くなった。
ポール・ニューマンは大好きであったけど殆ど当たり前の感想しか書けないだろうしブログでも取り上げてなかったので書かずじまいだったが緒形拳の出演作品は幾つか書いているし、そのどれもがとても優れた作品ばかりである。
特に『復讐するは我にあり』の記事には今でも時々アクセスがあったりしてやはり興味を引く作品なのだと感じられる。
また他にも同じく今村昌平監督の『女衒』五社英雄監督の『吉原炎上』『陽暉楼』などを鑑賞して書いていった。どれも印象の強い役柄である。

だが緒形さんを知ったのはやはり『必殺仕掛人』梅安だろうか。そして映画『砂の器』の優しいおまわりさん。そして『鬼畜』『楢山節考』

今は優しいおじいちゃんみたいなイメージで捉えられているみたいだけど私の中の緒形拳はいつもぎらぎらとした目をしていて野獣のようなセクシーさを持ちながらにかっと笑うとまるでやんちゃ坊主みたいな可愛らしさがある今の若い男性俳優には見ることの少ないエネルギッシュさに溢れている。
怖いくらいの迫力がある人だがいつもは優しくてとても面白い方なのだと他の俳優さんたちが語っている。繊細で演技の時だけ凄いパワーを出す、なんだかそういう役者ってかっこいい。
ラベル:緒形拳
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2008年10月02日

『蟻の兵隊』池谷薫

蟻の兵隊.jpg

昨日に引き続き池谷薫監督のドキュメンタリー作品である。
この二つの作品を同じ目で観て感想を言うことは日本人には難しいだろう。『延安の娘』は「かわいそう」と涙を流してもやはり自分とは無関係の国の話という気持ちがある為に作品の叙情性や面白さをそのまま楽しんで観ていた。だが本作は中国で日本軍がどんな怖ろしいことをしていたかをまざまざと訴えられてしまう。中国人の口からその惨たらしさを聞かされて平然とは観ていられない。
昨日いけないのかもしれないがのほほんと観てしまった『延安の娘』と比べ今日の鑑賞は酷く辛いものであった。

それでもあえて作品として比べても『延安の娘』には過酷な運命を乗り越えて明日を生きようとする登場人物たちに希望がある。
すべてが解決するわけではないが黄玉嶺たちの奔走でいたいけな娘と父親の再会がかなえられていく大きな物語があった。黄玉嶺の涙にも感動した。中国の大自然の美しさや人々の力強さも感じられた。
だが本作はほぼ奥村和一という1人の老人の行動を追うだけになっているので『延安』のような広がりがない。カメラは単調に彼の姿を映し出していくだけなのだ。神経はすべて彼の聞き取りにくい言葉を聞き取ろうとすることに集中せざるを得なくなる。昨日は字幕を読めばよかったが字幕もない為日本語がしかも昔の日本語が多く使われるので気持ちを傾けていなければいけない。辛抱のいる2時間弱となった。
また本作では奥村氏の言葉が物語を作っているので時折暴走気味かなとはらはらする時もあり、特に中国で奥村氏が戦争の記憶がある人々にインタビューする場面は緊張してしまった。
しかし無論そういった奥村氏だけを追うことで戦争の知識が乏しい自分には判りやすい展開になったのだと思う。
彼の聞きづらい言葉を懸命に聞くことでより耳を傾けることになったのではないか。

奥村さんの「これが日本軍の本当の姿ですよ」という言葉に悲しみと怒りがある。
終戦当時、中国から日本へ帰国できるはずの日本兵たちが上からの命令により残留し中国国民党軍に編入され共産党軍と内戦をするはめになった。
まだ20歳頃の奥村氏は4年間をその戦いに費やしさらに5年捕虜として過ごしやっと帰国した時は逃亡兵として扱われた。
どんなに悔しさを訴えても表現できないものだろう。すでに寝たきりで意識もないと思われる宮崎元中佐を奥村氏が見舞った時、何も判らないはずのその人が奥村氏の声で反応し雄たけびのような嗚咽のような慟哭をあげる。娘さんが「死んでもいいはずなのに死んでも死に切れないのです。悔しくて」と淡々と言われた。

宮崎参謀や仲間の思いを背負って奥村氏は中国へ渡りあちこちへと当時の記憶を探していく。
だがそこで見つけた様々な証拠も奥村氏たちの裁判に有効には働かない。
物語は最初から最後まで殆ど動くことがなくただ戦後60年以上が経ち、さらに証拠も証人も消滅していくばかりなのだ。奥村氏自身も次第に動きにくい体となってしまう。
この物語の未来は先細りとなっていく。

軍隊というものを美化し勇敢なものとして賛美する人々とそういう人々を悲しい目で見ている奥村さんの眼差しと。
戦争というもので人間は鬼になってしまう。そして過ぎ去ってしまうと忘れてしまうのだが戦争で体にも心にも深い傷を負った人は忘れられてしまうわけにはいかないのだ。

「戦争で死んだから神になるわけではない」

監督:池谷薫 出演:奥村和一
2005年日本
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『延安の娘』池谷薫

延安の娘.jpg

中国の文化革命・下放により人生を翻弄された数多くの人々がいる。延安で青春を過ごした少年少女が長い時を経て50代となった今向かい合う現実がある。そんな彼らを捉えたドキュメンタリーである。

とにかくハイシアの顔を正面から見た時にえっとなってしまった。中国で下放された若者がその地で産んだ娘にしてはあまりに年をとって見えた。小さく乾いた顔には無数の小じわが刻まれていて北京に住んでいる父親より年上のようにさえ見えてしまう。だが確かに彼女は27歳の若い女性で少し離れて見ると首筋や体の線は確かにまだ若い女性のものだ。ハイシアは老女のような顔に逆に童女のような表情をするのだった。

そして父親はそんな娘の写真を見せられ、最初がっくりしてしまうのだ。「なんだ農民の顔じゃないか」どうなるのかと思っていたが次には泣きながらすまなかったと言い出す。だが自分の生活もままならないような貧困の中にいる父親は娘の母親ではない今の妻のこともあって酷く戸惑い悩む。
カメラが捉えていく二人の表情が次第に変わっていく。
思い悩む二人の顔、そしてやっと会えた時、抱き合うでもなくどうしたらいいのか判らない戸惑ったままの二人の顔、少しずつ打ち解けハイシアは父親に甘えた話し方を始め怒ったりもする。最初は会いたくないと言っていた父親が別れたくない、と言い出す。
そんな長い時間を共にできなかった父娘の思いが伝わってくる。
そしてそんな父娘を再会させようと奔走した黄玉嶺もまた文革・下放で心をずたずたにされた1人なのだった。
当時無実の罪を着せられ重い罰を与えられた王偉の無念を晴らすため、また父娘を会わせるために彼は必死で色々な人々と話をしていくのだが、何の役得もないことに彼は何故ここまで懸命に駈けずりまわったのか。「俺は畜生ではなく人間だ。俺の歴史を見て欲しい」と最後に黄玉嶺は泣く。
彼が同情する王偉も王偉を貶めた当時の幹部もハイシアの父親も他の当時下放された人々一人ひとりに過酷な人生が与えられたのだ。
青春と勉学を放棄させられ長じては無学の為リストラされてしまうその世代の人々の悲痛な思いがある。
そしてそれでも「あの時を生き抜いたのだ」という思いも彼らの中にあるのだ。

作品の中でハイシアは父親と別れ母親とは会えずじまいで農村へ戻る。だがその後も父親との連絡は取っているということで、まだ彼らの人生が終わったわけではなくこれからもっといいことがきっとあるに違いない。いつか母親とも会える日がくるのではないだろうか。

延安でずーっとゲームに興じる老人達の風貌と会話がなんとも言えない。老紅軍に属していた人たちである。
北京の繁栄と黄土高原の大自然の対比も凄まじい。

監督:池谷薫
2002年日本
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2008年09月29日

『浪人街 RONINGAI』黒木和雄

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昨日観たマキノ雅弘監督の『浪人街』が凄く面白かったので普通後で作られたリメイクものにはがっかりしてしまうものだが、これが全作品よりも上回って面白かったというのはちょっと他にはないかもしれない。

原作小説は知らないがマキノ『浪人街』とおおよそ同じストーリーながら細かい改変が色々となされている。こういうのも前作がいいと「変えないがよかったのに」となるものだが、前作は前作でよしとして本作の方がさらにいい感じに浪人街なのだった。

一番の設定の違いは浪人の4人が前作のは何もしていないのと比べると源内はここでも何もしていないが母衣は死体切りという仕事、赤牛はヨタカ相手のお習字の先生、孫八郎は仕事はしてないが小鳥をたくさん飼って世話をしているというキャラクターづけがあって特に前作では人のいい感じだったホロゴンさんがここでは眼力鋭い人斬りになっているというのが驚きだったが石橋蓮司さんの魅力もあってなんだかすげえかっこいいのであった。というわけで前作も本作もキャラクターが違うのにホロゴンさんが一番好きな浪人である。
ストーリーとしては孫八郎が帰参のため短刀を懸命に探すというのがここでは百両の金が賄賂として必要、ということになっていてストーリーがそのためすっきりとして妙な苛立ちを感じずにすんだ。源内がそれを持っていてどうしたのという部分が昨日はそう思わなかったがややめんどくさいものになっていたのかもしれない。
悪役は前作の不思議に優しい悪役じゃなく悪人らしい悪人を中尾彬が演じていて文句なし。
そして終幕。前作、帰参の為お新を助けに行かなかった孫八郎が本作では鎧兜に騎馬でもって駆けつける。それまで情けなかった孫八郎が最後に男になってみせる。しかし前作では弱虫だが美男子だった孫八郎が美男子じゃない単なる弱虫になっていたのがおかしい(いや田中邦衛さん好きです^^;)おまけに九州弁だったので九州の自分としては途中までどうも歯がゆくて最後に決めてくれたのでほっとした^^;
そうそう登場人物それぞれにお国訛りをつけたのも本作の特徴。凝ってるなあ。話し方だけでも違いが判る。顔見ただけでも充分わかるけど。
源内は会津、ホロゴンさんは四国、赤牛が関西で孫八郎は九州というところである。
好みは一番のラストの場面だろうか。生き残ったホロゴンが命を落とした赤牛の位牌を前に語りかけるのは同じだが、その後捕まえに来た役人と斬り合いになる前作と違い本作は母衣ひとり旅にでる。
皆に温かく送り出されていくホロゴン。そして前作の「浪人街の白壁に、いろはにほへと と書きました」の言葉ではなく「この30年後侍の時代は終わった」てな言葉になっている。
情緒でいくか事実のみ伝えるか、っていう好みかな。私はここはどちらも好きで決めきれない。
前作でかっこよかった小芳さんがいなくなって代わりにお葉という会津出身の女という伊勢屋の囲い者みたいな人が出てくる。小芳と違ってこれはちょっと悲しい人である。本作ではお新が前作以上に気が強くて活躍するのでかっこいい小芳まで出したら目立たなくなる為、やや大人しい女性に変更したのだと思う。その辺のバランスもうまい。
おぶんはあらまあ町人になってしまったのかな。これも驚きだがいいのかもしれない。

顔の大きな3浪人といっていた前作と違いさすがに新しい方は感覚的にかっこいい。原田芳雄の源内はなんだか色っぽくて悪な感じが素敵である。でもやたら裸体を見せてる感じがするのだが。いいけど。ジャングルの王者ターザンみたいだったけど。
赤牛=勝新太郎、その名前の割にはちょっと控えめな出演だった気も。それでもかっこいい。やっぱ座頭市のイメージがあるからなー、もっと観たかった。
石橋蓮司の母衣権兵衛。とにかく好きだ。死体を斬る、という怖ろしい仕事をしており、金は持っているが愛を求めている悲しく辛い眼差しの男である。体には死の匂いが染み付いている。
殺陣がまるでブルース・リーのような表情だった。

監督:黒木和雄 出演:原田芳雄 石橋蓮司 樋口可南子 勝新太郎 田中邦衛 杉田かおる 伊佐山ひろ子 中尾彬 水島道太郎 佐藤慶 長門裕之
1990年日本
ラベル:時代劇
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2008年09月28日

『浪人街』マキノ雅弘

浪人街.jpg

最初画面が揺れて閉口したが(多分劣化したフィルムでDVD化したせいだろう)観ていくうちに面白くなり気にならなくなっていった。
とはいえなかなか台詞が聞き取りづらくおまけにぴんとこないので日本映画なのに日本語字幕を出して鑑賞。漢字がわかる方が理解しやすいので字幕はありがたい。

登場人物が知らない上に顔の大きなおじさんばかりなのでこれも最初困惑ものだったが次第にこれも気にならなくなる(笑)
主役の源内=近衛十四郎は特に顔がデカイのだが女にモテモテの色男。妻であるお新にスリをさせて金を稼がせては外で遊び歩き金がなくなるとやっと家に帰ってくるというとんでもない浪人者なのだ。妻お新はこのぐうたら亭主にぞっこん惚れていて帰ってくると大喜びで歓迎しなんともなよなよと色っぽいのである。美人で色っぽくて金を稼いでは亭主に小遣いとして与えてくれる。なんだか夢のような理想の女房であるが色男源内は「男をつなぎ止めるのは金だけだ」と言い、金を出せと刀の鞘でお新の体をいたぶるとんでもない奴なんだがお新は惚れこんでいるというわけ。
このお新を密かに思っている母衣権兵衛=藤田進と母衣(ホロと読むのだ、へー)に男惚れしている赤牛弥五右門=河津清三郎が源内とケンカしたりして三つ巴の様相を呈してくる。
この3人が顔デカおじさんで主に絡んでいるので現在の映画の傾向からするととんでもないみたいなもんだが見慣れてくれば面白いんだから不思議である。
唯一、土居孫八郎=北上弥太朗さんは細面の美男子なのだが、優男だけにどうにも頼りなくて妹に甘えっぱなしでイライラする。つまりお坊ちゃんの侍が浪人になって傘張りなんかをしてるのだが食うのにも困って宝刀を売ってしまう。そこへ帰参の話が舞い込むのだがそのためには宝刀が必要なのだ。やっと夢がつかめるかというのに肝腎の刀がない兄はやけになって酒びたり。そんな兄を妹は体を張って救おうとする。
源内はこれ以上ないいい女房を見捨てるようなことをするがその女房は泣き言も言わない。
なんだか出てくる男達、母衣さんを除くとみんなどうしようもない体たらくの奴ばかり。女だけが必死で働いていて男は情けない。ん、この感じ、この前観た『色、戒 ラスト、コーション』の時に感じた男の不甲斐なさに似ている。なんとかしようと頑張る女達を利用して男達のだらしないことよ。
ま、しかしこちらは最後は母衣さんは無論だが源内も赤牛も身を翻して戦ったからまあいいや。あの優男の兄貴だけは駄々っ子みたいに泣き喚いてやっと帰参したようで苛立つばかりだったけど。
愛しいお新さんは結局遊び人の亭主と仲良くなったのかどうかはわからないが母衣さんは斬り合いで死んでしまった赤牛のために赤牛が好きだった居酒屋で酒を飲んでいるところ「御用だ、御用だ」と岡っ引きに踏み込まれこれまた斬り合いになる。
一部始終を見守っていた小芳=高峰三枝子が最後も母衣を見つめていた。
「浪人街の白壁に、いろはにほへと と書きました」
と最後画面に書かれる言葉である。

浪人ばかりの世の中、という設定が今現在の世間のようでもある。つまりニートなわけである。定職もなくぶらぶらとする若者、といっても結構いい年をした若者なのである。
そうしたフリーターな剣士たちが「自分には才能があるんだがな」とひとりごちりながら先の見えない将来をひそかに夢見ている。

男たちはなんだかどれも情けないのだが、女たちが個性が合って面白い。小芳役の高峰三枝子がかっこいい。この髪型は男風なのだろうか。ちょっといなせで素敵なのだ。
お新は先に書いたが美人で色っぽくて亭主に恋する一途な女房。といっても少し思いを寄せてくれている母衣にも好意を持っている。
気弱な兄を持つ妹おぶんも兄のために懸命に動き回る。優しげだが武家の娘なので結構強かった。

大変面白い娯楽作品、というところだろうか。やはり今の時代劇映画とは随分違う箇所が色々とある。
居酒屋の室内も階段状になっていて壁に酒樽がたくさん置いてあるのから枡に注いで飲むようになっている。女性の髪形もバリエーションがあって楽しい。
悪役の小幡の兄が商人近江屋の入れ知恵で捕まえた女・お新を牛裂きの刑にしたら、というのを「かわいそうだ」というのがおかしい。優しい悪役である。確かに酷いよな。今の映画みたいに残酷なことばかりするのでないのが嬉しい。
源内と赤牛の斬り合いで刀同士がカチンとあたる度に火花が散るのは驚いた。あれは映像処理なのか。ほんとに火花が散っているのか。

情けないけど強い男達とそれを支える女らしい女達の時代劇だった。

監督:マキノ雅弘 出演:近衛十四郎 河津清三郎 藤田進 高峰三枝子 水原真知子 北上弥太郎 北上弥太郎 龍崎一郎
1957年日本

ラベル:時代劇
posted by フェイユイ at 22:44| Comment(0) | TrackBack(1) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月27日

『盲獣VS一寸法師』石井輝男

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昨日観た増村保造『盲獣』が江戸川乱歩の原作から核となる盲目の男と1人の美しい女の交わりの部分だけを抽出したかのような濃厚さだったのに比べ、こちらは『盲獣』に同じく江戸川乱歩原作『一寸法師』を加えて作られており、『盲獣』の箇所も原作のようにたくさんの女が登場し且つ一寸法師が絡んでくるという混沌とした物語になっているがこれはこれで奇妙な面白さがあった。

美術・音楽に金がかかっていない作品に我慢ならない性質なら観ないほうがいいだろう。その他の役者陣は素人だし映像も背景も怖ろしくお粗末なのだから。
自分はそういうところは却って面白いと思ってしまうのだがそれでもかなり覚悟を決めた粗末さである。
例の盲獣の隠れ家は昨日のオブジェが迫力だっただけにみすぼらしくて悲しい。これでは芸術とは言いがたい。
『盲獣』ではその人が主体で彼の心の葛藤が伝わってきたがここでは明智と小林が主人公になっているので『盲獣』と『一寸法師』は単に気持ちの悪い存在になってしまった。その分本当に気味悪く怖ろしい。
明智小五郎に塚本晋也。他が他だけに抜群に上手く見える。その友人の小林紋三にリリー・フランキー。私は多分彼が演技しているのを初めて観たと思うがなかなか面白い味のある雰囲気であった。この二人が主役なのだからそれだけでも変てこな作品になりそうな予感はする。
なんとなくぼーっとしたリリーさんとびしっと決める塚本晋也さんのコンビはバランス取れてていい感じだった。でもすらりとした長身というイメージの明智さんと美少年小林くんとは違うがなあ。

グロテスクさはこちらの方がより激しいがエロチックさは裸は出てくるもののあまり感じられない。ユリエ夫人が美人で着物姿で登場しているのが一番エロチックだった気がする。
全体の印象としてはこの前観た『姑獲鳥の夏』の世界と似ている。

石井輝男という監督はこれまで知らないと思っていたが『網走番外地』の監督であった。まったく違ったジャンルのようだが確かにあれも奇妙に変てこな感覚があった。いきなり逃亡者の相棒が健さんを襲ったり。
本作は紛れもない変な作品だろうが意外とクセになりそうな不思議な味であった。
及川光博、丹波哲郎がちょっとだけ出てくる。

監督・脚本・撮影:石井輝男 出演:リリー・フランキー/塚本晋也/橋本麗香/藤田むつみ/丹波哲郎 /リトル・フランキー/平山久能/鳴門洋二/薩摩剣八郎/及川光博/しゅう/手塚眞/園子温/熊切和嘉/中野貴雄/アスベスト館
2003年日本
posted by フェイユイ at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月23日

『姑獲鳥の夏』実相寺昭雄

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人気作家・京極夏彦原作の映画化で自分は小説は未読ながらなんとなく小説を思いながら観てしまった。
というのは小説を読んでもいないので勝手な想像だが小説にこだわってしまった部分が多いのではないかなと感じたのだ。
実相寺昭雄監督作品はいくつか観ていて特にこういった
明治から昭和初期を舞台にした作品は独特の魅力があって大好きである。変に芸術的に構えずエンターテイメントな作風なのも却ってそれらしい雰囲気が感じられるのだ。
ただ本作は原作を大事にしすぎてしまったのだろうか。色んなものが詰め込まれすぎでしかもどこか語り足らないままのように思われる。
京極小説を知らないのだが、それでも榎木津という名前を聞いたことがあり、この作品にも登場してくる。
だが本作では関口と京極堂の主人が主体になっている為、少しだけ登場してくる榎木津という人物の存在が必要ないのでは、と思ってしまうのだ。イメージ的にも榎木津と京極が重なってしまうのでこの作品のみのことを考えれば榎木津の能力を京極が兼ねていてもよかったしすっきりしたように思う。多分そんなことをしたら榎木津ファンから怒りの声があがるんだろうけど。且つ田中麗奈演じる京極の妹ももっと活躍させるのかいないのかどっちかがよかったのでは。つまり無用に登場する人数が多すぎてシリーズ物とかならわかるけど単品としては意味なく複雑になりすぎているようなのだ。
物語と演出もわざと複雑にし奇妙な台詞を多用して作品をあえて判りにくいものに思わせているようだ。
実相寺作品はそう難解さを売り物にしているものでもないと思うので内容過多な(と想像する。あの小説の分厚さとかで)京極夏彦作品がさせてしまったのかもしれない。

とはいえ元々こういう怖ろしい話が好きな性質なので若干設定が判りにくいとはいえ、なかなか楽しめた。
「姑獲鳥」というのは特に女にとっては悲しい妖怪である。この作品ではあまり描かれていないが女性を貶めているとしか思えない発想で気の毒にも産褥で亡くなった女性は血の池地獄に落ちるのだなどとあまりにも理不尽な考えで頭にくる。ホラーの恐怖というのは怖いだけではなく常に悲劇を伴うもの、もしくは悲劇であるほど怖ろしいものなのだが因習に囚われたがために人格を破壊されてしまう人間の悲しさ、業の深さを思い知らされてしまうのだ。
ここではその恐怖と悲しみをすっかり楽しんでホラー作品にしているものなのでおせんべいでもかじりながら「ウブメって怖いなーぽりぽり」みたいな感じである。
やっぱり日本人は中国やインドから渡ってきた学識を日本流にアレンジしたものが怖くも楽しいわけなのである。
とはいえ自分は昔いもしない西洋のハーピーがマジでいるような気がして鳥を見てぎゃっとなっていた。つまり見えないものを見てしまっていたわけだ。

本作は出演者も豪華でなんだか主演級の役者が勢ぞろいみたいなところも満腹状態、どの人も中心人物みたいみ見えるのもいけないのかもしれない。しかも皆年齢に大差がないので学芸会みたいに見えてしまうのだ。堤真一 永瀬正敏 阿部寛 宮迫博之 原田知世 田中麗奈 って誰が主人公なのかわからない。だもんで榎木津有名だし、阿部寛だったんでコレか!と思ってたらあまり出てこなかった。あれれ。
田中麗奈も可愛くていいなと思ってたのにあまり出てこないし。永瀬正敏は眼鏡も似合ってて不安定な精神状態の青年がよかった。堤真一はそれほど大好きでも嫌いでもない人なのだけど和服姿がセクシーでちょっと見惚れてしまった。男の人の着物姿っていいですね。

自分としてはそれほど堪能する、ということもないけれどそれほどグロテスクでもエロな部分もない作品なので楽しく怖がるにはいいのかもしれない。

監督:実相寺昭雄 出演:堤真一 永瀬正敏 阿部寛 宮迫博之 原田知世 田中麗奈 清水美砂 篠原涼子 すまけい いしだあゆみ 京極夏彦
2005年日本
ラベル:ホラー
posted by フェイユイ at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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