映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年05月14日

マット・デイモン『GREEN ZONE』

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マット・デイモン『GREEN ZONE』

こちらも『GREEN ZONE』

ポール・グリーングラス監督作品、さらにぐらぐら感スケールアップしてるみたいですねー。悪酔いしませんように。
posted by フェイユイ at 11:20| Comment(3) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月14日

マット・デイモンとベン・アフレックは遠い親せき

マット・デイモンとベン・アフレックは遠い親せき

うひゃあ。やっぱり人類は皆兄弟ということか。まあ、マットとベンはもっと近くても不思議ではないが。
それに比べ、オバマ大統領とブッシュも姻戚関係なんて、えー。

アンジェリーナ・ジョリーがヒラリー・クリントンと、ブラッド・ピットがオバマ大統領と遠い親せきに当たる、と聞いた時は面白いと思ったけど。
チンギス・ハーンの子孫も男系だけで1600万人いるということだから物凄い関係者がいるということだよね。
自分が誰とつながってるのか。知りたいような知りたくないような。
posted by フェイユイ at 14:19| Comment(0) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月25日

ジョージ・クルーニー監督が、親友マット・デイモンを主役に抜擢

ジョージ・クルーニー監督が、親友マット・デイモンを主役に抜擢

「暫くマット主役がないと嘆いてたら立て続けに」と言ってたらホントに目白押し。
いつになるのか、判らないですが(笑)

あの「ジョージ・クルーニーに迫った男性記者」事件のことにもマット絡んでたのね。どんな仕返しがくることか。
posted by フェイユイ at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月22日

クリント・イーストウッドとマット・デイモン、スーパーナチュラル・スリラーで再タッグ

クリント・イーストウッドとマット・デイモン、スーパーナチュラル・スリラーで再タッグ

再タッグと言われましても。そうですか。“再”ですか。

『インビクタス』
というニュースには触れたかなあ?

とにかく最近主役が少ない、と嘆いてたら色んな映画の主演が立て続けに予定されててどれがどれだかよく判んなくなってきた^^;いやそれは私の記憶力の鈍さのせいですが。
それにしても楽しみですが『インビクタス』というのよりは次の『ヒアアフター』というのがスリラーということなんで私的にはより期待。ですね。
posted by フェイユイ at 21:21| Comment(3) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月18日

マット・デイモンとマイケル・ダグラスがゲイカップルに!映画「リベラーチェ」

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こういう人らしい。マイケル・ダグラスがこうなる。

マット・デイモンとマイケル・ダグラスがゲイカップルに!映画「リベラーチェ」

えええへへへええええっっっっっ!!!!!????!!!!!???
ほんとすか?????!!!!
なんだかもう怖いような嬉しいような不安なような(笑)
マットと何度も組んでいるソダーバーグ監督作品だから間違いないんだろうけど、ぽしゃらないといいなあ。
しかし、「マットは挑戦を受けて立った」と語った、っていうのがおかしいね。娘さんたちもまだ幼いし結構やっぱ覚悟いりますよね。正直いってこういう役柄はもうやんないんだろうなあ、とあきらめていたんですが。
まあ、どのくらいの表現があるのか、ってことですね。楽しみです、くくっ(←苦悶か笑いか)
posted by フェイユイ at 22:45| Comment(2) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月05日

『リプリー』アンソニー・ミンゲラ

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The Talented Mr. Ripley

何だか急に観たくなってしまったんですよねえ。忘れっぽい私が殆ど覚えているほど見返してるんですが。

この映画で特に好きなのはむしろ女性二人。こういう男性主体の映画だと女性の役っていうのは付け合わせ的になってしまいそうだが、本作は女性の役がとても効果的に使われながら人間的な魅力と存在感があるのがいい。グゥイネス・パルトロウのマージとケイト・ブランシェットのメレディス。特にメレディスは脇役にも拘らず時折思い出しては観たくなるのが不思議なのだが。
勿論男性陣も文句なしでマット・デイモンはカッコ悪い側面と頭がよく感受性が豊かで非常に美しく見える側面を上手く出しているし、気まぐれでちょっと馬鹿なお坊ちゃんをジュード・ロウの美貌でこの上なく素敵なトムが憧れるに足る男性像として表現している。そして強烈な印象のフレディを演じたフィリップ・シーモア・ホフマン。最初観た時なんかはあまりに彼が憎らしくて騙してるのはトムなのに早く彼を殺さねば、という気持ちになってしまったが、観る者をそういう気持ちにさせるのは監督の狙いとホフマンの技ということなんだろう。
ディッキーのパパのジェームズ・レブホーンがまたよくて、放蕩息子を甘やかして自分はよく判っていると思い込んでしまっているのが金持ちらしい。
そして後半登場するピーター役のジャック・デヴェンポート。
トムがディッキーに対して抱いた同性愛の想いは彼の冷酷な気まぐれさが引き寄せたあげく踏みにじられてしまうが、ピーターはトムを愛し、トムもまたピーターに惹かれていくにも関わらずトムは結局保身のために彼を殺すことになる。

こんなに上手く物事が進むものか。神がこんな悪戯をするわけはないから悪魔がトムを手玉に取って楽しんでいるとしか思えない。上手くいけばいくほど彼は泥沼から抜け出られない。彼の言い方で表現すれば地下室のさらに奥の奥に彼は隠れ続けることになるのだ。

私がこの映画を何度も観たくなるのは出演者たちの素晴らしさとサスペンスミステリーの巧妙さもだが、無論ディッキーの贅沢な暮らしぶりのせいなんだろう。贅沢というと極端に馬鹿騒ぎをさせたりするのは幻滅で低俗すぎる。ディッキーの暮らしぶりというのがなんともお洒落でこじんまりとした家だとか、でも服や家具は洗練されていてマージのような本物のお嬢様な恋人と気ままに毎日を送っている感じがとてもよくてトムでなくとも入れ替わりたくなるというものだ。
前半のイタリアの小さな街の3人の生活はやがて来る破綻を感じさせながら楽しげだ。この上なく羨ましいディッキーよりトムは才能に恵まれている。だがディッキーの身の上は望んでも手に入らない、はずのもの。
トムはディッキーを殺害後ホテルのフロントから「グリーンリーフ様ですね」と呼ばれはっとする。だが彼と出会う前からトムはメレディスと言う女性に自分はグリーンリーフだと言っている。その時、いやその前、父親のグリーンリーフ氏がトムをプリンストン大学卒業生だと間違えディッキーの友人だと誤解した時からもうトムは自分を偽っている。
彼は最初からディッキーの物まねをしようと企んでいた。単に憧れていただけなのだろうがその物まねの才能が彼を逃れることのできない犯罪の迷路の中に連れ込んでしまう。

マット・デイモン自身この役をやった時はまだ実績もそれほど積み重ねていない時期だったので実にやりがいのある配役だったのではないだろうか。

監督:アンソニー・ミンゲラ 出演:マット・デイモン ジュード・ロウ グウィネス・パルトロー ケイト・ブランシェット フィリップ・シーモア・ホフマン ジャック・ダベンポート ジェームズ・レブホーン セルジオ・ルビーニ フィリップ・ベイカー・ホール
1999年アメリカ
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2009年07月30日

マット・デイモン、フィリップ・K・ディック原作のSF映画主演?!

マット・デイモンの主演映画がない!と泣いてたらいつの間にかこんなニュースがあがってたのね。

フィリップ・K・ディック原作のSF映画の主演はマット・デイモンとエミリー・ブラントに決定

希望したような作品でないかもしれないけど、もしかしたら凄くいいかもしれないし、と一応期待する。
あんまりスピーディな作品じゃない方がいいんだけどな。
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2008年05月18日

『グッド・シェパード』ロバート・デ・ニーロ

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The Good Shepherd

先日待ち望んで観た『ボーン・アルティメイタム』が観るに耐え難い映像でがっくりしたものだが、こちらは落ち着いた画面を充分面白く観通すことができた。
だからと言って好む、という類の映画作品ではなく非常に神経を磨耗させられる点は同じかもしれない。
それでもこの怖ろしい物語には途中で止められない何かがあった。

いつも笑顔を絶やさないマット・デイモンが終始苦虫を噛み潰したその苦さが残っているような顔をしている。アクションでも恋愛でも派手な場面はなく、難しい話ばかりをしているような内容なのだが、わかがわからなくなったりつまらなくなることがないのは不思議だった。
時系列も複雑で登場人物も多いのにさほど混乱せず観ていけるのは映像が殆ど主人公エドワード(マット・デイモン)の目を通しているからだろうか。
例えば彼が外国滞在中の妻マーガレット(アンジェリーナ・ジョリー)の姿と物語が映像として映されることはない。そのために複雑な話もシンプルに感じられるのかもしれない。
おまけにその為に画面にはマット・デイモンが出ずっぱりで観られることになる。『オーシャンズ13』『ボーン・アルティメイタム』で不満だったファンはかなり長い間彼の顔を観ていられるわけだ。
とはいえ、映し出されるその顔はファンが求めているような明るいいつものあの笑顔ではなく殆ど表情の変化のない渋面ばかりである。しかもこの役は「いい人」のイメージのマットを完全に覆す、と言う以上のものがあると思う。それほど露骨に酷いことをした人間でもないように見えてしまうのだが、これほど人間的に最低・最悪の人間はいない。見せ掛けだけではない本質に捻じれた人間なのだ。
ただし、映像は彼を追い続けているのにも拘らずその心の中は全く見えてこない。これだけ見つめ続けてもエドワードは本当は何を考えていたのか、誰を愛していたのか、何も伝わってこないのだ。それは映画の作りがいけないということではなく、彼は何も考えていない、ということが描かれているのでないか。彼には心がないのだ。

笑顔のまったくない「ジョークを解さない男」と言われることがいけないわけではない。だが彼の心は冷たく冷め切っていて何の感情も愛も持っていない。無感動であり無関心であり虚無感だけが彼の心を支配している。
そんな彼の心を少しだけ動かしたのが耳の聞こえない女性ローラだった。だが彼女との交際中にエドワードは突然クローバー=マーガレットに誘惑され彼女を妊娠させてしまう。
エドワードは愛していたローラをあきらめ愛してもいないマーガレットと結婚する。そして復讐するかのように家を離れ仕事に専念する。この部分を観ると彼が国の為に仕事に没頭していったのではなく、自分を陥れたマーガレットへの復讐・あてつけのためにCIAに打ち込んでいるとしか思えない。
エドワードがもしもローラと結婚できていたのなら、もしかしたらあの時、もしローラがエドワードと肉体関係を持っていたのなら、とこの映画は言いたいのかもしれない、エドワードは変わっていたのかもしれない。ローラの笑顔のせいで明るい青年に成長したのかもしれない。
だが運命は彼をそちらへは運ばなかった。
後にエドワードはマーガレットに対し激昂する「出来てしまった息子のために結婚したのだ」と。結婚したのはマーガレットへの愛情ではなく子供が出来た為の責任に過ぎなかった、と叩きつけるのだ。
だが何と言おうとそれは彼が起こした行為ゆえの結果なのであり、それをマーガレットに対し20年後に叩きつけるなど男として、というか人間として最低の行動ではないか。

エドワードは優秀な人間であり紳士であった。違法を犯したわけでもなく責任も取った。
しかし彼が通してきたやり方は温かみがないのだ。
彼の行為には涙を流してすまなかった、と謝り心を通わせようという気持ちがない。
それを感じてローラと再会した時、妻子も組織も全て投げ捨てて逃げてしまってもよかった。
マーガレットと再会した時、やはり組織から抜けて最初からやり直そうとしてもよかった(どちらにしても組織から抜けるのは当然なのだ。あんな所にいたらいい家庭になるわけない)
そして最後に自殺した父親の遺書を読み、妻に謝罪し、息子に「よき夫、よき父親になってくれ」という感動的な手紙を焼いてしまうエドワード。それは彼自身が妻子に言うべき言葉でもあったはずだ。彼は完全に心を捨て去ったのだろう。
彼は恋人も妻も息子も全て捨ててしまったのだ。

彼は何故心を失くしてしまったんだろう。目の前で父の死を見てしまった時からなのだろうか。
人に見せるべき遺書を隠し、封印してしまった。彼が成長する為に読まなければいけなかった父親の言葉を彼はどうしたことなのか、無意識にか故意にか偶然か葬り去ってしまったのだ。
彼は大学時代には女装劇を演じまだ気持ちに余裕があった。だがFBIに促され恩師の盗作を見つけだしナチスの一員であることを密告する。
彼は思いつめたところがあるもののごく普通の青年だったはずだ。だが少しずつ少しずつ何かに追いかけられるように闇の道を歩み始めるのだ。彼自身はそうだと思わないままに。それとも彼はどこか感じていたのかもしれないのだが。

かなり書いてきたのに物語の本筋には触れてこなかった。これが本筋かもしれないが。
CIAの物語は非常に面白く興味深いものだったが、そのことのみがエドワードの精神を歪ませてしまったというのではないだろう。
他の職業であっても似たような家族の葛藤はできあがってくるものだ。だが国の為という大義名分と国際的スパイの疑惑により心と精神が激しく破綻し家族も巻き込んでしまった。その異常性は他の仕事ではあり得ない極端なものに違いない。

正義、のイメージが強かったマット・デイモンがこの映画の中でここまで屈折した人間を演じているとは思ってもいなかった。
ここでの造形は最低の人間であるので無論好きにはならないが、それでもここ最近のなかで最も力を注いだ役柄であったはずだ。
いつもと違ってマットにきゃっとなる場面が殆どなかった作品だったのだが唯一見惚れたのが補聴器をつけているドイツ女性とのベッドを共にした後、一人ベッドに寝ている箇所。眼鏡を外してこちらを見ているシーンのマットがおや、演じるのを忘れたかのように微笑んでいるのだが、この顔が凄くキュートなのである。無論演じそこねたんではなく耳の不自由なドイツ女性にかつての恋人を重ね心を許していたために出て来た笑顔なのだが、それもほんの束の間、数秒後には彼女の正体を知りもとの能面に戻ってしまうのだった。くー。

本作で興味深かったのはCIAもだが、エドワードが在籍したイェール大学の秘密結社「スカル・アンド・ボーンズ」創作ではなく本当に存在する組織なのらしい。
世界中にこのような秘密結社というのは規模の大小はあれど数多く存在するものなのだろう。特にこれなどは有名大学ということもあって数多くの政治家・著名人を輩出している(ブッシュ元大統領&現大統領父子もだ。これを聞いただけでなるほど、と頷いてしまいそうである)
私は有名なフリーメイソンだとか青幇くらいしかぱっと思い出せないが身近にも同じような組織があるものだろうか。無知であるが。

長尺で堅苦しい内容を飽きさせず見せたのは冒頭からミステリーの形を取っていたこともあるだろう。
謎はおしまいに解き明かされることになりそれがまた苦い結果に導かれる。
非常に面白く苦々しくだからと言って喜びも涙もない怖ろしい映画であった。

スカル・アンド・ボーンズの食事会でマーガレットが「ボーンズマン!」「ここに!」と叫んだ後に神に祈る彼らを皮肉って「任務が先、神は二番目ね」とつぶやくシーンが2度繰り返して出てくる。つまりここを強調したい、ということなのだろう。さらに強調して「CIAには“The”が付かない。GOD(神)に付かないと同じように」という台詞があり、彼ら(CIAとスカル・アンド・ボーンズが神と同等或いは上位なのだと皮肉っている)
エドワードがKGBとの取引を断る場面で「ハレルヤ」が子供達の声で合唱されているのも怖ろしい演出だ。ここでエドワードは問いかけに答えない。
結果、息子の妻と自分の孫を見殺しにしてしまう。神を讃える歌の中で。

グッド・シェパード=国家を守る為に我が身を犠牲にする姿を表している。
よき羊飼いであることはすなわち神のよき僕でもあるはずだが、彼らは使命を全うするために次第に神から離れてしまっているのだ。そしてそれが間違っていることだと認識することすら出来なくなってしまった。
使命のために神への愛も家族や恋人への愛も失ってしまう。

エドワードが床下の隠し金庫の中に父の手紙と共に入れていたのが学生時代に演じた『軍艦ピナフォア』(の招待状かパンフレットのようなものだろうか)
この曲がエドワードがCIAの組織の中になおも深く入っていく最後の場面で流れてくる。
この喜歌劇が本作にどのような意味合いを持っているのかいないのか私はあらすじを読んだだけではわからなかったが、女装して喜歌劇を演じたエドワードはもういない、という別れの歌だったのかもしれない。
彼がこの喜歌劇のパンフレット(?)を捨てずにとっておいたのは彼もそれを忘れたくなかったためか。隠しこんでいたのは人に知られたくない過去だったからか。

この映画はもともとフランシス・F・コッポラが作るはずだったらしい。彼の映画は「孤高の天才の哀愁」というのがテーマの底にあるわけで、この映画もその一つなのに違いない。

監督:ロバート・デ・ニーロ 出演:マット・デイモン アンジェリーナ・ジョリー アレック・ボールドウィン ビリー・クラダップ ロバート・デ・ニーロ ウィリアム・ハート ティモシー・ハットン ジョン・タトゥーロ マイケル・ガンボン ジョー・ペシ タミー・ブランチャード
2006年アメリカ

追記:ま、上でもかなり加筆したけど。
随分長く書いたのに肝腎なことはまだ書いてないような気がする。ていうか、この映画自体が一体この男に賛成なのか反対なのかよく判らないのだ。
観る者によって感想が違うだろう、などと言うとそれまでだがそうは言っても作り手がある主人公を作った時に全く反対であるということはないのではないか。
私は上の文でこの主人公を否定的に書いたけど、結局作り手は男なのであってこうした男の生き様に賛辞を送っているのだ。
思えば、この話が昔の日本だったら、ごく当たり前の話なのだ。男が国のために骨身を削って働き、その妻は銃後の守りを務めるのは当然でそれでこそ良妻賢母なのであり、家庭を顧みない夫に文句を言うだとか、寂しいからといって浮気など言語道断。たまに帰宅した夫には甲斐甲斐しく仕え癒してあげるのが妻の役目というものである。そういう内助の功があってこそ男は懸命に働けるのであるわけで。
しかし実際そういう夫に対し、このような態度を妻たる女がとるわけで、男は孤独なのだと、そう言っているわけなのだ。
子供の時代は終わり、男はさらに働き続けるのだと。
男の理想を追った映画だったわけなのだ。

今頃思ったのだが、他の大勢の方は最初からそう思っていたわけみたいで、自分は徹底して否定した映画だと受け止めていたのである。
だってそんな男にまったく魅力を感じないもんね。

マット・デイモン本人は物凄い家庭人なのにこういう主人公をやるなんて。この撮影後には急いで帰宅してお皿を洗ったり、娘さんにお休み前の本を読んでるんだから、役者のいうのは大したものなのだ。


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2008年04月26日

『ボーン・アルティメイタム』ポール・グリーングラス

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THE BOURNE ULTIMATUM

物凄く久し振りのマット・デイモン主演映画。待ちに待っていたのにちょうどDVD化した頃に自分が松ケンに入り込んでしまったために鑑賞が今頃になってしまった。ごめんよマット。
が、しかし待ち望んだ映画にも関わらず喜びはあまり芳しいものではなかった。

グリーングラス監督お好みの手振れハンディカメラは決して嫌いではないのだが、この細かいカットの夥しさは心地よいものではなかった。
こちらは久し振りのマットの顔をゆっくり観たいと思っているのに意地悪としか思えないほど、さささと映しては切り替え撮っては外され、欲求不満がずっと尾を引いてしまう。
まるで神経機能に異常がある人間の目で観ている景色のようであちこちあちこち落ち着かない。それがアクションを描写するのに効果がいかほどあったのか。
カットの多さが売りだという前評判だったわけでなるほどこれがその仕上がりだったわけか。
手振れはいいが、この切り替えの多さには気が滅入る。物語はさほど複雑な事を語っているわけでもないのに映像の複雑さで物々しい雰囲気を作りたい、という狙いなのか。でも単純な話だとはすぐわかるのだけどね。
マットが言っていた「流行のカンフー的なアクションではなく、本当に威力のある格闘にしたんだ」という奴をじっくり見たかったのにあわあわと切り替えまくるカメラで格闘の重厚さも薄くなってしまった気すらする。
それでも確かに格闘シーンが迫力あったのは見えたのだが。
いや、格闘シーンだけでなく単純なストーリーだとは言ったがなかなか見ごたえのある内容だったと思うのにこの落ち着かない映像がむしろ邪魔なのだ。
スタイリッシュというのか、奇をてらったというのか、グリーングラス映像の特徴はこの作品で最高に発揮されているのだろうが、自分としては精神に異常をきたしているとしか思えない。そういえば、人物像に斜線のようなものが入る場面があるのだが、フランシス・ベイコンの絵画のような怪奇な印象を与えるのだった。
ここまでなくともアメリカ映画にはなにやら留まるのを怖れるような早回しの作品が時折あるのだが、そういうものが「退屈させない映画」と思い込んでしまっているのではないか。
あまりに早い映像というのも続きすぎると却って眠気を呼ぶものなのだが。
この作品、同じ内容で普通の撮影をしたものをもう一度観てみたい。
問題は撮影方法というより映像処理の方にあるのだ。

では作品が気に入らなかったかというとその映像処理さえ我慢すれば(って言ったって全編だから全編我慢した上で、なんだけど)面白い、と思う場面は多々あった。
前半は細かい切り替えばかり気になってマットでなければもう止めようかと思ったのだが(顔もよく映してくれてないし)後半に差し掛かるモロッコでのバイクチェイスになった頃「お!」と画面に入っていった。
『ボーン・アイデンティティ』の時、監督は違うがミニ・クーパーのカーチェイスが面白かったのだが、ここではアメリカ映画に珍しいスクーターと軽排気量のバイクでの追いかけっこシーンが楽しい。
マットがオンロードバイクをオフロードのように操るのは(いくらなんでもスタントマンさんだろうが)かっこよくてステキだった。アメリカ風大味カーチェイスには興味がないが、こういう細かいバイクの追いかけっこなんかは大好きなのだ。最近殆どこういうの観る事なかったので久しぶりにクギづけになった。

そして最大の見せ場だろう同じくモロッコの街中をびょんびょん飛び回るアクションも楽しめた。
しつこいが普通の撮影で観れたらもっとよかったのに。

さてボーンの正体を明かす最後の場面は苦い味となって残る。
物語としてこういった人間殺人兵器を作り上げている政府組織への問いかけという意味はわかるが、ボーンが拘束された人間を撃ち殺すのはおぞましく感じてしまう。
アクションシーンの中での殺人はつい見逃してしまうものだが、こうリアルに見せられると露骨に感じてしまうものだ。
これをダーティな魅力として感じるのか、殺人鬼として認識させられてしまうか。
そういった暗い過去を持つ影のある男として捉えるべきなのか。
映画自体に感心していないだけに反感として残ってしまったようなのだ。

マット主演ということで楽しみだった本作だがマットを見れたのは瞬きする合間、合間であった。残念だ。さて次は『グッド・シェパード』もう少し彼の顔をじっくり眺めさせてもらいたいものである。

ダニエル・ブリュールが出演しているというのも期待の一つだったのですが、亡きマリーの兄ということでの僅かな場面だった。
もっとマットとの対決だとかの絡みがあったらよかったのになあ。英語も話せるのに!

ラストシーンは海の中。こういう風に海のシーンから始まったから海の中で終わる、という手法、みんな好きだねー。別に悪くはないが。

監督:ポール・グリーングラス 出演:マット・デイモン ジュリア・スタイルズ デビッド・ストラザーン スコット・グレン パディ・コンシダイン ジョーン・アレン ダニエル・ブリュール
2007年アメリカ
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2008年03月19日

「イングリッシュ・ペイシェント」のミンゲラ監督、54歳で死去

「イングリッシュ・ペイシェント」のミンゲラ監督、54歳で死去

私にとってミンゲラ監督といえばマット・デイモン主演『リプリー』です。
ルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』と比べられ賛否両論でしたが、私はクレマン&ドロンのそれを観て好きでいながらもミンゲラ版のほうがより好きになってしまったものです。無論マット・デイモンの為でもありますが。
音楽と映像が美しく、サスペンス溢れる演出でした。

それにしてもまだ54歳という若さだったのですね。映画監督としてはまだまだこれからという年齢なのに惜しいことです。

ご冥福をお祈りします。
posted by フェイユイ at 15:40| Comment(0) | TrackBack(1) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月08日

『オーシャンズ13』スティーブン・ソダーバーグ

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OCEAN'S THIRTEEN

マット・デイモンで一つのカテゴリを作っているのだが『ディパーテッド』が不満足だった私としては早く次の作品をと心待ちにしていたのが本作『オーシャンズ13』無論『11』『12』は鑑賞済みである。
シリーズものの常として次第に面白くなくなるという不安はつきものだが、とにかくマットを観たいという気持ちで観始めた。
結果、やはり(と言いたくないが)やはり大げさな触れ込みのようには「ド派手な」というイメージでもなく全体が薄まったような感は否めなかった。
まったくつまらないということはなくそこそこに楽しめるのだが何か物足りなくもある。
強い友情で結ばれたオーシャンズの一人ルーベンがアル・パチーノ扮するホテル王に酷い仕打ちを受け立ち直れなくなる。そんな姿をみたオーシャンズはルーベンの復讐のために立ち上がる。
という義侠心あふれる極道どもの話なのだがその本筋がいまいち感動的でなかったということか。

タイトルが『オーシャンズ13』ということで彼らの魅力をバンバン出す或いは滲ませる、というようなスタイルでやって欲しいのだが、『11』『12』『13』と進むにつれて彼ら自身へのクローズアップが少なくなっていく。特にダニー・オーシャンと相棒ラスティをもっといちゃつかせて欲しいのだが、そういう雰囲気が全くない。ゲイっぽい雰囲気でもないのにまるで夫婦の関係のようなダニー&ラスティが素敵だったのに勿体ない。
お目当てだったマットもただ一人の主要女性の相手役にしてはまるきり目だっていない。『オーシャンズ』自体が過激なお色気シーンはなしなのだがマットがホスト役なのでより危険性がなくなってしまったのか、も少し危ない雰囲気になりそうなところまで行ってもよさそうなのに。これも欲求不満。
『12』では一番目だっていたのがキャサリン・ゼタ・ジョーンズだったがここではアル・パチーノ。
無論名優なので貫禄充分ではあるが、色恋沙汰もなし。つまりセクシーガールもなし。秘書(?)の女性は美人ではあるがセクシー路線で売るにはダイナマイトさが足りない。キャサリン美女だったからなー。おまけにジュリア・ロバーツもちらりとも出て来なかった。そのせいもあって全体に色っぽさが皆無になってしまったようだ。犯罪とセクシーさ、というのは切っても切れないはずなのに、ダニー&ラスティのむふふもセクシーガールの登場もなしではこういったコン・ゲーム映画の楽しみは半減してしまうのではなかろうか。

ならこの映画が何を描いていたかというとやはり映画のために作り上げた大掛かりなラスベガスカジノ&ホテルそのものなのだろうが、それがあまりにも前に出すぎたために肝腎のオーシャンズたちが薄くなってしまったのだ。贅沢ではあろうが豪華なホテルはあくまでも背景としてのみ使われるべきだったのだろうがラスト、変わり行くラスベガスに郷愁の想いを語るダニー&ラスティを見ると本当にラスベガスカジノ&ホテル自体を映したかっただけなのかもしれない。
とにかくアル・パチーノ演じるホテル王も最初だけ悪辣で後はずっとオーシャンズに攻められっぱなし。普通ならもっと手強い敵を用意しそうなのにな。かつての敵で味方となったアンディ・ガルシア氏にヴァンサン・カッセルまで絡んでくるコリようだがどちらもちょっと出てきただけで悪役の恐怖感だとか凄みだとかいうわけではない。しかも二人ともお間抜けな落ちがついてるし。
ただとにかく豪華でお洒落で笑いがあって楽しい雰囲気なのだけは伝わってくる。私的に一番心に残ったのはメキシコに行ったケイシー・アフレックの話でメキシコで作られるダイスにいんちきを仕掛けようとしていったはずのケイシーが悲惨なメキシコ工場の現状に立ち上がって工員たちの先頭に立って抗議行動を始めてしまう、というのが悲しくもおかしかった。ラスベガスに戻ったケイシー今度はアル・パチーノにネット送信されてきた「オーシャンズ」面々の画像をオタク技術を駆使して変化させてしまう、というのも笑えたし、今回ケイシーは美味しいとこ持っていってしまったようである。
他にも笑える場面は満載なのだが惜しむらくは元ネタがあってそれをひねった笑いのようでマットの鼻高中国人だとか(なぜ中国人なのに鼻高?)も元ネタを知らないのでいまいち笑えないでいる。女をメロメロにする媚薬というのも何かあるんだろうなー。

そんなこんなで豪華さに感心したり、ちょっと笑ったりしながらもマットのアップが少なすぎるんじゃと不満もあるし、という感じであった。

むしろ特典で観たドキュメンタリー盗みの達人たち、というのがおもしろくて特にアメリカ黒人女性でヨーロッパの宝石店の極上の宝石を盗みまくった話と名画強盗の話はまさに映画のよう。MIT大学生の話はもう聞いていたけど凄い楽しいよね。

というわけでマット目当てとしては「美女と恋仲に?」などという情報を得ていただけに残念だった。映画としては豪華で勿体無い、という感じかな。

監督:スティーブン・ソダーバーグ 出演:ジョージ・クルーニー ブラッド・ピット マット・デイモン アンディ・ガルシア ドン・チードル バーニー・マック エレン・バーキン アル・パチーノ
2007年アメリカ

OCEAN'S THIRTEEN 1.jpgOCEAN'S THIRTEEN 4.jpg



ラベル:犯罪
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2007年11月15日

この世で最もセクシーな男性はマット・デイモン=米ピープル誌

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この世で最もセクシーな男性はマット・デイモン=米ピープル誌

「少々ゆがんだ笑顔」というのがツボでついアップしてしまいました(笑)
しかしファンなのにこういっちゃなんだけどそうなんだあ驚き。
日本ではそうでもないような・・・今は結構人気上昇中なのかな?

去年はジョージ・クルーニーだったそうでこれは納得ですがセクシーじゃない所がセクシーというのがマットの魅力かも(なんなんだ)
年を重ねるごとに素敵になっていってるってことでしょうか。
「人をひきつけてやまないユーモアのセンス、心を和ませる謙虚な姿勢、家庭人としての磐石の地位などによって、デイモンは賞を受けてしかるべき人間だ」という賛辞です。セクシーってそういうことだったのね。男の色気むんむん、じゃないのだね。

ベン・アフレックも選ばれているそうなのでセクシー部門でも仲のよいことで喜ばしい。
マット自身はナショナル・フットボールリーグ(NFL)ペイトリオッツのスター選手、トム・ブレイディの方がふさわしいと謙虚に言ってるようですが。その辺もマットらしい。
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2007年11月13日

「英語でしゃべらナイト」マット・デイモンインタビュー

昨夜のNHK「英語でしゃべらナイト」見ました。主にマット・デイモン出演部分だけですが。
工藤静香さんが英語がうまいのに驚いた後、渡邉邦門さんの英語によるマット・デイモンインタビュー。
若手俳優に対してアドヴァイスを求めました。マットの答えは「俳優になるのをやめたほうがいい」というもの。
驚いて聞き返した渡邉さんにマットは続けて「こう言われてすぐやめてしまうのでは役者にはなれない。僕も若い時、そう言われたんだ「難しい職業だからやめた方がいい」って。でも絶対やめなかった」
なるほどー。素晴らしい答えでした。
思えばマットは「グッドウィルハンティング」で華々しいデビューをしたわけですが若いときにあまりにも凄い目立ち方をしたためにその後の活動はむしろ地味だったのかもしれませんねー。私はむしろその地味さが好きなんですが。雑誌で見たインタビューで「『バガー・ヴァンス』『すべての美しい馬』が続けてこけて『ボーン』第1作も危ぶまれていたんだ」というようなことを答えていました。特に『すべての美しい馬』が好きな私としてはエー?という感じですがそういう危機もあったのですね。ところがそのボーンシリーズがマットをまた有名にしてしまうのだからわからないものです。
若い時、だけではなくずっとこの言葉と戦い続けなければいけないのでしょう。これマットのような俳優というだけでなくみんなが色んな意味で考えることでは考えることではないでしょうか。
posted by フェイユイ at 09:21| Comment(4) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月06日

『ボーン・アルティメイタム 』マット・デイモンインタビュー

「結婚してすっかりセクシーじゃなくなったよ」

いえいえ、これからですよ(笑)
『グッドウィルハンティング』のイメージが残るのでしょうが、私がマットを好きになったのは最近でもあるし今からいい年齢でありますよ。(昔もかわいいですけどね)
子育て疲れのマットの顔、楽しみです〜。
posted by フェイユイ at 14:53| Comment(2) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月29日

「SMAP×SMAP」マット・デイモン見た!!

ボーン・アルティメイタム.jpg
ボーン・アルティメイタム

「SMAP×SMAP」マット・デイモン見れましたー!!感涙
凄くステキでしたねー(ぽー)
小柄な仲居クンより少し背が高いくらいですが体のがっちり具合ときたら倍ぐらいありそー(笑)仲居クンが貧相に見えて可哀想なくらいでした。私はがっちり体格が好きなのでもう惚れ惚れ。

私は録画機を持ってないので自分の為にもここで
 
日本についたばかりで引っ張り込まれてご飯食べさせられるのも大変そうな気がしましたが評判どおり人当たりのよさは感心するばかりです。
食事が出来るまでの仲居クンとの会話。一番気に入っている作品は『グッドウィルハンティング』勿論ですね。ベン・アフレックの顔写真もしっかり登場。
そして仲居クンも得意な野球話。この時はまだだけどレッドソックス“世界一”おめでとう!!
無論マットはレッドソックスの名前が出たらにっこり笑顔。でも仲居クンがフェンウェイ・パークに行ったのはいいけど「ヤンキース側に座った」と言った途端今までのマットとは全然違う険悪な表情に。「じゃヤンキースを応援したのか!」仲居クン身の危険を感じてすかさず「ボクは松坂のサインをもらったんだよ」と言ったのはおかしかった。
マット曰く「ボストンっ子は二つのチームを応援している。一つはレッドソックスで、もう一つはヤンキースと戦っているチームだ」
うわー初めて聞いたよ。
仲居クンが岡島と同じ歯医者というのでマットが握手しようと言ったのもぐふふでした。なにしろボストンでは松坂より岡島の方が人気あるそうだものね。

そしていよいよ食事ターイム。
マットの注文は西洋風和食、ということで。しっかりお箸を駆使してました。山葵つけすぎじゃないかとひやひやしましたが平気で食べてましたね。あの味がいけると言うのは結構食べ慣れてますよね。お箸の練習もすごくしたよと言ってましたし。
まずキムタク・ゴローちゃんペアで次に草薙・香取組。しかしこれ、見た時から勝負わかりましたよねー。キムゴロペアは品はいいけど普通だったのにナギトリペアはレッドソックス攻め!マットが選ばないわけないし!!(笑)
しかも褒め言葉もキムゴロペアにはデリシャス一辺倒だったのにナギトリペアには「グレイト」「すっげーおいしー」だもん。それにしてもマット日本語の発音いいですよね。ちょっと聞いただけなのにぱっと言えて。
そしてナギトリペアのクラムチャウダーにボストンと言えばクラムチャウダーだから厳しいよというマット。
レッドソックスの帽子も効果あり。これは作戦勝ちでした。

とにかく何百回もリサーチして徹底的にキャラクターを作り上げると言うマット。
ジェイソン・ボーンでも拳銃を持つ者の立ち方があるということで常に横にいる人に距離を置いて立つそうな。映画を観る時気をつけて見てみよう。

本当に明るくて真面目でユーモアもあって知的で、変にひねくれたりクールぶったりもしないし、素晴らしい人柄です。
少し歪んだ笑い方もちょっとシャイな感じがして好きなんですよねー。
もうますます好きになってしまう〜ドンドン(←机を叩く音)見れてよかったー。ピース!
posted by フェイユイ at 23:21| Comment(4) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月24日

今朝のマット・デイモンと11月のWOWOW

今朝TVでマット・デイモン見れた。デーブ・スペクターインタビュー。レッドソックスのユニフォームを着てマットの機嫌をとる。マット喜んでました。
パパラッチの問題はマットの場合まったく関係ないとかで、自宅にパパラッチが張っていた時もPTAくらいにしか出て行かないのでパパラッチも刺激がなくてもう来なくなったとか。マットらしい解決策でした。親友ベンは物凄く大変らしいですけど。
素顔のマット若々しくて素敵でしたねー。

ところで11月のwowowはスッゴク観たい映画が多い。すでに観たやつ未見の奴いろいろあります。うちも加入はしてますがなかなかテレビで見通すことができないので結局見ないんですよねー。勿体無い。ビデオないし(笑)DVDレコーダー買いたいですっ。
とにかくケン・ローチ作品がどどんとあるし。『シリアナ』『すべての美しい馬』などマット作品。
『ミュンヘン』『レイヤーケーキ』などダニエル作品。
『イノセントラブ』『キンキー・ブーツ』『BBM』『ローズ・イン・タイドランド』『プルートで朝食を』『弓』『ユナイテッド93』『Mr.レディMr.マダム』『母たちの村』『ハードキャンディ』『ドラッグストア・カウボーイ』『トレインスポッティング』キング罪の王』『グエムル』『ウィンターソング』『アラビアのロレンス』などなどなど。他にもあるし、きりがない。

勿体無いけどDVD借りるしか今は観ることができない私でした。
観れる方どうぞ楽しんでください〜。
posted by フェイユイ at 12:49| Comment(9) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月22日

『すべての美しい馬』ビリー・ボブ・ソーントン

すべての美しい馬d.jpg

マット・デイモンの映画の中でもこの作品は特に強く惹かれてしまうのだ(惹かれるのがいっぱいあることは確かだけど)前に書いたのを読み返してないのだが今日思ったことを書いてみよう。

カウボーイとして生きてきたアメリカ人の郷愁と共にここでもアメリカ以外の“未開の地”にアメリカ人という文明人が入り込んだらどうなるのか、ということが描かれている。
そしてまた今はもう失われてしまった“男として”行動した青年が成長すると共に大切なものを失ってもしまうのだ。

主人公ジョン・グレイディ・コールは祖父の死により牧場を失ってしまう。父母を愛してはいるが心は離れてしまった。
ジョンは親友レイシーとともにカウボーイとして生きていける希望を抱いてメキシコへと向かうのだった。

前半は若者の希望と冒険に満ちている。不安な予感を抱かせる謎の少年ブレヴィスに出会うがその少年の並外れた銃や乗馬の腕前はかつていたカウボーイを彷彿とさせるものだ。
ブレヴィスは銃と馬を奪われてしまうが果敢な勇気と行動で馬を奪い返す。その様はいかにも昔観たカウボーイのようでカッコいい。
そしてメキシコでも最大の牧場で雇われることになったジョンとレイシー。だがジョンはそこの箱入り娘と相愛の仲になってしまう。
まさにアメリカ青年らしい直情型の行動である。勇敢でまっすぐでなんのためらいもない。彼は正義であり間違ったことはしていない。彼の心の中にはアメリカ人の正義と法律が生きているのだ。
ここまではすばらしい冒険の旅であった。特にジョンとレイシーが力を合わせて荒馬を馴らしていく場面は素晴らしい。彼らのカウボーイとしての技量と魅力が溢れている。
だがそこはメキシコであり彼らの理屈で済まされる場所ではなかったのだ。

親友レイシーの言葉など聞こえていないジョンは美しいアレハンドラに夢中になる。
彼女の叔母もメキシコの娘に手を出してはいけない。ここでは女は評判だけが命なのだから、と丁重に諭す。だが効き目はなかった。
一人の女性がどうして思うままの人生を選べないのか、と思っているのだ。
これは遠い昔の物語ではなくハイウェイに車が走っている時代である。
だがジョンとレイシーはある日突然メキシコ警察に逮捕されてしまう。連れて行かれた薄汚い牢の中には馬を奪還した後に分かれた少年ブレヴィスが足を腫らして座り込んでいた。

ここからのジョンたちの運命はアメリカなら考えられないほど理屈の通らない自分達ではどうしようもない方向へ走り出していく。
死刑のないはずの国で行われていたのは個人で行う死刑なのだった。ブレヴィスは一人で銃を奪い取りに行き、3人を殺してしまったのだ。恨みに思った家族からまだ未成年というより子供であるブレヴィスが処刑されてしまう。
銃と乗馬の達人であり勇敢なブレヴィスはかつてのカウボーイをイメージさせる存在なのだが何故かここでは無力な子供の姿で登場し異国の地の法則によりその命を奪われてしまう。そのことが往年のカウボーイのヒーローの末路のようにも思われる。
最後までジョンもレイシーも死んでいくブレヴィスの悲しい目が忘れられないのだ。

少年殺害を(殺人者であるとはいえ)目の前にしてなす術もなかったジョンは深い後悔を覚える。
そしてジョンとレイシーは考えられないほど劣悪な環境の刑務所に放り込まれる事になる。自分から逃げ出そうとしなければいつ殺されるかわからない、という場所なのだ。
レイシーは屈強な男に立ちはだかり腹を刺されて病院送りとなる。一人残されたジョンは闇でナイフを買い、襲ってきた男を刺し殺して木剣を脱した。それまで真直ぐに純朴に生きてきたジョンはやむにやまれず人を殺してしまうのだ。その悔恨もまた深くジョンの心に傷を残して行く。
結局彼らがその怖ろしい牢獄から出ることが出来たのはアレハンドラの叔母の力であった。
アレハンドラはジョンを忘れることを条件に彼の命乞いをしたのだ。

再びジョンはアレハンドラに会い求婚する。が、彼女の心はもう動かすことはできなかった。
ここでもジョンはアメリカでなら自由になったはずの恋が叶わないことを知らされる。

ジョンはレイシーとは別れ一人で馬3頭を取り戻しに行く。警察署長を人質に奪還は成功したが足に弾傷を負う。
傷の手当のために彼は銃を焼いて傷口にあてがう。激しい痛みがジョンを襲った。その痛みはメキシコで与えられた痛みそのものだったろう。
そこへ行けば楽園があると夢を抱いた場所。アメリカ人がかつて持っていたが、失ってしまった思い出の場所がまだ残っている場所。男として生きていける場所。
若いジョンたちは自由を求めて旅立ったが、そこにあるのは思いもかけない現実だった。メキシコの歴史も文化も考えずただ憧れて行った彼らが受け取った試練は厳しいものだった。

アメリカへ戻ったジョンは挙動不審を疑われ判事のもとへ連れて行かれる。だが判事はジョンの言葉に真実を感じて彼を釈放する。
判事を信頼したジョンは再び判事の家を訪れ自分の犯した殺人を打ち明ける。判事の暖かい言葉にほっとする。
殺人を犯し、少年を見殺しにしたジョンの心が本当に解放される事はもうないだろうがそれでも誰かに許されたかったのだ。

親友レイシーにジョンは馬を返してほっとしたものがあっただろう。ジョンのせいでレイシーを危険に追い詰めたという部分もあったからだ。レイシーはそれを咎めはしなかったが。
大きなもの失い、また大きなものを得てジョンは戻ってきたのだ。

原作を読むと大きく違うものがいくつかある。
特にこの最後の場面は映画では家にたどり着き安堵を覚えるが、原作ではジョンは一人きりでまたブレヴィンズの馬を持ち主に返す為、まだ目的地もわからぬまま旅立つのだ。
そのあてもなく続く道のりは彼の人生がこれからも厳しく長いものであることを予感させる。

そしてメキシコでのアレハンドラとの恋物語は映画ではペネロペ・クルスとマット・デイモンの美しいラブシーンで魅了されるが原作では彼らの恋愛よりアレハンドラの叔母とジョンの会話の方に重きが置かれているように感じる。ジョンはそこでメキシコ人というものを学ぶ事になるのだ。が、映画ではここの部分はすっかりなくなっている。複雑になってしまう、ということなのかもしれない。

そして遡るが冒頭、原作ではジョンとレイシーが馬に乗りカウボーイの夢を抱きながらメキシコへ向かうのだが、そこでハイウェイにさしかかるのだ。まず夕暮、遠くにトラックの音を聞き、ハイウェイに近づく。野宿してハイウェイを横断し国境であるリオ・グランデを越える。草原と荒野に入る前にハイウェイを横断するのところがアメリカからメキシコへ行く旅人らしい情景なのだが映画ではそうした場面がなく草原を駆け抜けていくだけなのである。それがどうしてなのかは判らない。トラックが走る場面はあるが小説のような効果が生まれているとは思えない。

ジョンを演じたマット・デイモンは未知の国に憧れる若者らしく真直ぐな印象がある。
女性を愛する事も友情にもためらいなく勇敢だが思いがけない体験で苦悩していく。

とても美しく悲しい映画でもある。心に残る作品だ。美しい馬というのがジョンたちそのものであることは確かだろう。

監督:ビリー・ボブ・ソーントン 出演:マット・デイモン、ペネロペ・クルス、ヘンリー・トーマス
2000年アメリカ

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2007年10月18日

マット・デイモン来日『ボーン・アルティメイタム』

今朝TV見て今マット・デイモンが来日してることを知った。
空港に現れたマットはいつもどおりの気取らない様子。てか、あれじゃまったくスターだとは思わないよねえ(笑)

10月8日が37歳の誕生日だった、ということでファンから「ハッピーバースディトゥユー」を送られたマットは少し照れた感じで可愛かったです。

新作映画『ボーン・アルティメイタム』の為の来日ということで再度マットの日本での顔が見られそう。楽しみです!
posted by フェイユイ at 08:55| Comment(2) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月13日

ショーン・ペンとマット・デイモン、実在したゲイの政治家の伝記映画へ出演か?

ショーン・ペンとマット・デイモン、実在したゲイの政治家の伝記映画へ出演か?
ガス・ヴァン・サント監督作品ということで気になります。ショーン・ペンの役以上にマットの役は微妙です。どうなるのか。観てみたい。

もう一つマット情報
驚異の映像はなんと4000カット! マット・デイモンの出世作『ボーン』シリーズの完結編
4000カット!などと言われても想像できません。通常のアクションもので1000カットならば4倍めまぐるしいわけですか??
全編同じ調子ということはないだろうから物凄い早いカットの部分が幾つかあるということでしょうか。
ボーンシリーズがマット・デイモンの出世作とは知りませんでしたが(『グッド・ウィル・ハンティング』が一番の出世作だと思ってた)完結ということもあるし楽しみですねー。
posted by フェイユイ at 20:39| Comment(2) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする