映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年06月19日

2010FIFAワールドカップ・南アフリカ共和国大会 『日本×オランダ』

もう少しで『日本×オランダ』うー妙な緊張感。何書いていいかよくわからんし。スターティングメンバーは予想通りで、やはり絶対守備であわよくば本田1点、というのは変わらず。変わらず、って私の予想がだけど。
もう観にいく。

前半終了。
日本、カメルーンの時と同じくがっちり守りきってるが前よりなんだかほぐれたようでプレイに自由さが出てきて且つしっかり守備してる、というこれ以上ないほどの良さではないか。
本田がむしろ一番弱気になってるみたいでもっと走り込んで攻めていい場面でもパス出してたなあ。もっと自由にやっていいのに。
他の選手はみんな物凄くよくて、松井なんて素晴らしい。大久保のドリブルも切れてたし、パスがウソみたいに回ってたし、オランダ相手にまったく遜色ないではないか。
昨日のドイツ×セルビアがド下手だったんで、より上手く見える両チーム。オランダ、むしろ固くなってるのか冴えない前半だった。冴えないままでよいけど。日本を甘く見て遊んでたからじゃないか。

試合前、本田が他の日本選手たちそれぞれとハグしてた。いつもあんなんしないよね。マラドーナ監督を真似たのだろうか。くすくす。

いや前半の試合ぶりが物凄くよいので嬉しい。このままの調子で後半も守り抜き、すかさず攻撃できたらば。
本田圭祐、やりたいようにワガママやれよー。
でも前半どの選手もどんどんシュートチャンスできてたし、どの選手がゴール決めてもおかしくない今日の日本だわ。

試合終了。1対0。日本負けた。
後半開始5分過ぎ、スナイデルの強烈なシュートが決まった。
その後も日本は緊張感を保って守備と攻撃を繰り返していたが、はっきり言って松井と大久保が下げられてから何だかいつもの日本代表チームに戻ってしまった気がする。つまり中村俊介が入ったのは打開策にはならなかった。岡田監督が言うには松井が疲れていた為の中村交代だったってことで仕方ないけど俊介が松井の代わりになってなかった。
玉田も大久保のような脅威はなく。
そして本田はやはりオランダからマークされていたのか、よく判んないけど強気が見えなかったよなあ。
とはいえ、1対0。実は自分はもう少しっていうか2−0ぐらいは仕方ないかも、ってちょっと思ってたんで案外オランダ弱し?か本当に日本がしっかり頑張ってたのだと思う。
前半のクオリティのまま後半もやれたらば。オランダ以上に全員守備・攻撃のサッカーだったし、全員よかったんだけど、特に松井と大久保の二人がキレまくってたんで後半途中からいなくなったのが惜しまれる。

本田、どしたのか。やはり目をつけられてたんかな。囮だったかもしんないけど、一発やり返して欲しかった。最後あたり、ゴール前のトゥーリオへのロングパスはよかったけど。

残るはデンマーク戦。同じように張りつめたテンションでやって欲しいものだ。
posted by フェイユイ at 20:06| Comment(0) | TrackBack(0) | アフリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月18日

2010FIFAワールドカップ・南アフリカ共和国大会 『ドイツ×セルビア』

改めて韓国×アルゼンチンを考えると韓国はガチガチに守りきることもできたはずだが攻撃することを止めなかったのはやはり韓国サッカーの強気を感じてしまう。
日本チームはカメルーン戦では極めて張りつめた守備態勢をしいていてそこから本田のワントップにかける、というサッカーをして成功したのだしオランダ戦でもその布陣でいくのではないだろうか。絶対的に守り、あわよくば強気の本田で1点を取る。
それでどうでしょうか。

さてさて韓国に大敗してしまった感のあるギリシャがナイジェリアに勝ち、フランスがメキシコに負けてしまった。私はメキシコびいきなんでこれでいいんだけど。

そして今からドイツ×セルビアである。

前半終了。クローゼ退場。直後セルビア1点先取。なにやってんだろドイツ。←応援してた。
ってうか、前半だけでイエローカード多すぎ。クローゼイエロー2枚で退場だもん。つまんない試合だなあ。昨日の韓国×アルゼンチンがいかに面白いゲームだったか、これでよく判る。も少し締まったサッカー見せてくれよ。なんかでかい選手がどかーんどかーんって感じでつまんないよね、こういう大味フットボールって。
などとぶつぶつ言いつつ。
セルビアの選手って一人除いて皆最後に“ッチ”が付く名前だ。可愛い。

試合終了。
本当に大味な試合だった。どかんどかん。パワフルと言えば聞こえはいいがこういうサッカーってなんかつまんない。
でもって1対0でセルビア勝利。ドイツってこんなに下手だったのか。パスもシュートも守備もぐちゃぐちゃ。おまけにPKは入れきれないし。確かにクローゼが一人いないとは思えない迫力はあったけど、もう少しちゃんとして欲しかったよね。これもオーストラリアに馬鹿勝ちしたせいかな。

試合に見惚れなかったせいで選手にも興味わかず。
イエローカード9枚だった?酷い試合。これは審判のせいじゃなくて選手のプレイの酷さだったよ。最悪だったね。
posted by フェイユイ at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | アフリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月17日

2010FIFAワールドカップ・南アフリカ共和国大会 『韓国×アルゼンチン』

中身は観てないけど『スペイン×スイス』もまさかのスペイン敗戦、やはり今大会は不思議な状態であるようだ。

で今から凄い楽しみな『韓国×アルゼンチン』勿論韓国応援だよ。メッシは好きだけど、そこはそれまた別物だから。
パク・チソンがどんなサッカーを見せてくれるか。

ところで『ブラジル×北朝鮮』北朝鮮を観るのが嫌だったんだけど、さっきTVでチョン・テセ観てたら北朝鮮チームもちゃんと観なきゃって気になってしまった。彼らが悪いわけでもないし。と言ってもグループGは恐ろしい組み合わせだからほぼ進出は無理だろうけど。後がポルトガルとコートジボワールではどうしようもないよね。

前半終了。
アルゼンチンが2点先取して、わーもうこりゃ韓国全然太刀打ちできないわ、と思ってたら終了間際にドサクサゴール。いや、よかったよかった。
とは言え、実は韓国応援とか言っておいてメッシに目はくぎ付け。
なにあの人やっぱ凄いわー。
もう凄過ぎて涙出る。
他の選手の凄さなんて素人の私にはよく判んないんだけどメッシの凄さだけは判るよね。韓国の選手二人立ちはだかってるのにすっと横に出てシュート。サイボーグ009の加速装置みたいなん。眼にも止まらぬ早業ってあれぞ。も、ずっと見てたいもん。
それにアルゼンチンの選手って皆ドリブル上手いよなあ。
あああ、韓国の応援になってない。
上手いプレイには見惚れてしまうのは仕方ないよね。
それにマラドーナ監督も面白くてファンになってしまうの当たり前。凄い人なのに全然威張ってなくて愉快な人なんだ。そのくせボールが転がってくるとちょいと足で拾い上げて選手の手元に持っていくその技。スゴ。

さて後半どうなるか。アルゼンチンが怒涛の攻撃をしちゃうか。韓国がまさかの同点いやまさかの逆転?
それはちょっと・・・?

試合終了。
なんと4対1でアルゼンチン勝利。韓国残念だけど仕方ない。アルゼンチンの技術に完全においてかれてた。
メッシに見惚れた90分間であった。得点はなくても素晴らしい。
そして相変わらず選手以上に目立ってるマラドーナ監督。ここでも足技を何度も披露。くくおかしい。
韓国は初戦で楽勝したのが惜しまれるよね。あれで少々気合いが抜けてしまったはずだもん。アルゼンチンが初戦の方がよかったかもなあ。って言ってもしょうがないけど。
ところでアルゼンチンってマラドーナのイメージが強いから皆マラドーナみたいな顔してる気がするけど、他の選手はハンサムなんだよね。ハットトリックのイグアインも二枚目だわん。

韓国のキ・ソンヨン。水木先生こと向井理くんにも似てる可愛い。でも残念だった。パク・チソンも目立つことなく・・・。
ナイジェリア戦でがんばってくれい。

本大会で今日初めて世界のサッカーらしいものを観た気がした。
posted by フェイユイ at 20:49| Comment(0) | TrackBack(0) | アフリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月16日

2010FIFAワールドカップ・南アフリカ共和国大会 『ホンジュラス×チリ』

ワールドカップ1次リーグ・一巡目もだいぶ押し迫ってきた。
期待してたポルトガル×コートジボワールは何だかもう互いに足が出ない感じでじれったい試合だったなあ。
むしろ今終了したホンジュラス×チリが面白かった。チリが圧倒的に攻めまくりではあったけど他の試合みたいに互いに様子見みたいなんじゃなくてぼんぼん蹴り込んでいくのが楽しかった。同じ1点先取でも日本みたいに「この1点を守りきれ」じゃなく最後の最後まで追加点取りにいくチリチームだった。

ところでゲームは観なくても一応全部結果を気にしてるつもりだったのにイタリア戦があったことを全く気付かずにいた。そうか。日本戦の後だったんでもうイタリア戦のことすっかり忘れてたのよね。ニュージーランド×スロバキアもあってどちらも1対1の引き分けだったのだ。そうそうそうでした。

これで後はこれからスペイン×スイスが終われば1次リーグが一巡するのだ。
本大会って南アフリカ共和国っていうのもあっていまいち場所的に端っこだし、イケメン選手もいつもより少ない気がするし、派手なパフォーマー選手もいないし、話題が少ない気がするのだよね。加えて日本では前評判が低かったし(この前の勝利で持ち直したのかな)選手も以前よりキャーキャー言われない感じだし。
メッシもロナウドもドログバもルーニーもあまり大活躍じゃなかったもんね。
そういう諸々があるせいかどうかこの初戦めは地味な印象だった気がする。誰が一番目立ってたんだろ。イングランドのグリーンか?^^;
ボールが一番目立ってるし。飛び過ぎ。
ブブゼラか。日本仕様。オシムジャパン。

日本的には日本が勝ったことが一番予想外だったのだよねー。きっと。
松井から本田へのパスそしてゴール。録画しても一度観たけどやっぱり気持ちいい。
オランダ戦、どうなるか。岡田さんはまたとんでもない作戦を立ててくるのだろうか!?
posted by フェイユイ at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | アフリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月15日

2010FIFAワールドカップ・南アフリカ共和国大会 『日本×カメルーン』興奮の一夜明け

興奮の一夜が明け、TVで中山の解説聞いててまた嬉しくなる。やっぱゴンは素敵だナン。
本田圭佑がゴール後にベンチのサブメンバーのとこへ走ったという写真がよかった。本田もやるなあ。まるで救世主の構図みたいに両手を広げてた。

昨日は朝から「はやぶさ」のニュースがあって幸先よかったんだよね。長い長い間苦しんで任務を遂行したっていうさ。

オランダ戦、どういう布陣でいくのか、楽しみではあるんだけど。自分としては昨日の先発メンバーが好きなんであまり変えて欲しくない。中山が言うように森本入れて一人多い布陣でいけたら最高だが(笑)オランダ相手だから少しまけてよー^^;一人多くなって「12人いる!」とか(笑)
あーもう勝ったから何でも楽しい。
posted by フェイユイ at 10:13| Comment(0) | TrackBack(0) | アフリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月14日

2010FIFAワールドカップ・南アフリカ共和国大会 『日本×カメルーン』

15分後、試合が始まる。『日本×カメルーン』
本田圭佑のワントップで行くという岡田監督の采配がどうなるか。私はよく判んないので別に文句はない。

関係ないけどTVで岡野の特集やってたの観てて懐かしくもあり(岡野は今も現役なんで、フランスW杯予選が懐かしかったと言う意味ね)この頃が一番楽しかったなあ、なんて。応援も燃えてたよね。今度なんてすっかり皆冷静になっちまって。
岡野みたいな野人いたいな選手いたら楽しいよね。
本田や大久保もワイルドになって欲しい。
もーどーでもいいからがーってやってくれ。それだけ。落ち着かないで。うがーって。それだけが望み。

先発メンバー
GK:21 川島永嗣
DF:3 駒野友一、4 田中マルクス闘莉王、5 長友佑都、22 中澤佑二
MF:2 阿部勇樹、7 遠藤保仁、8 松井大輔、17 長谷部誠(Cap)、16 大久保嘉人
FW:18 本田圭佑


前半終了!
ぎゃーっっっ!!!!!本田が入れたああああ!!!!!!
凄かった!

試合始まった時から日本もカメルーンも凄い緊張感のある戦いで地味に見えるけど私はこれまでにない日本チームのたかぶりを感じたのだけど。
アクドイ所のないいい試合ぶりだったよね。
特に日本はいつものぐだぐだ感がなく絶対に守り抜く戦い抜くという凄まじいテンションの中でやってて凄かった。本田がゴールを決めたのも当然のような精神力を感じたなあ。
点が入らない部分でも今迄にない気力に驚いたもの。
中田が言ってたような練習を本番で生かすっていうのをマジで見せてくれたんじゃないかな。
本田も冷静に熱くなってた。絶対決めて見せるっていうオーラがはっきり見れた。大久保もよかったし、松井も・・・いや凄過ぎてなんだかもう。
トゥーリオも絶対オウン・ゴールするまいと。
確かにうがーっていうの感じた。
後半もこの緊張感が持続できれば。
いける。

試合終了。
日本1対0で守りきった。素晴らしい集中力を見せてくれた。本当にW杯前の不穏な空気が嘘のように安定した守備と攻撃だった。一丸となってとかいうけどその通りのプレイだった。

んでもって自分としてはお気に入りの本田が活躍して点を取ってくれてもう言うことない嬉しさ。
頑張ったなあ。中田にもこれで心おきなくまた対談できるというもの。うんまた是非やって欲しい。

ほんとうによかった。
posted by フェイユイ at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | アフリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010FIFAワールドカップ・南アフリカ共和国大会 『日本×カメルーン』直前の『オランダ×デンマーク』

hayabusa_earth.jpg
「はやぶさ」が最後に送ってくれた映像

今朝は小惑星探査機「はやぶさ」が地球に帰還したニュースで思わずもらい泣き。少し前にも「とくダネ」で「ハヤブサ」の苦労話を聞いてたもんだから余計感情移入してしまった。任務を遂行し自らは燃え尽きた。最後に送ってくれた映像は地球の姿だった・・・「ただいま。僕の任務は終わったよ。サヨウナラ」という言葉のように思えた。
つい山下和美の『不思議な少年』の毛糸の帽子のロボット少年の話「NX-521236号」を連想してしまい、ますます勝手に泣き顔になってしまった。

<はやぶさ>カプセル回収完了 

日本も凄いことやるなあ、という感動を胸に夜は待ちに待った2010FIFA
ワールドカップ・南アフリカ共和国大会 『日本×カメルーン』だ。
その前に「オランダ×デンマーク」も観ねばならない。
ではまた!

試合終了。
予想通り(と後で書いちゃ駄目か^^;)オランダ勝利。2対0。
気持ち的にはもー日本戦の方が気になるし、この2国は敵だから応援する気もしないからここまで。
posted by フェイユイ at 20:14| Comment(2) | TrackBack(0) | アフリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月13日

2010FIFAワールドカップ・南アフリカ共和国大会 『イングランド×USA』

さてイングランド×USAである。
イングランドは勿論だがUSAのフットボールはなかなかいい。
他のスポーツではいつも華やかなUSAもサッカーは地味。何しろサッカー代表チームで自国から応援されてない国として世界一なのではないか。NBAに夢中でワールドカップどころではないかもしれない。
そんな中でUSA代表チームはなんとも健気に頑張っている。最もハングリーなチームだ。
そして相手はイングランド。アメリカチームにはプレミアリーグで活躍している選手も多いらしいが何だかアメリカチームだと地味〜見えるのはどうしてかなあ。いつものアメリカ人のイメージではない真面目な感じなのよね。でもタフで男らしいストレートなサッカーでいわば日本サッカーと対極にある力強さがあって気持ちよいのだよね。
いや、日本チームを鼓舞する意味でね。
日本もガンガン男っぽくやって欲しいんだけどなあ。

ところでイングランドはワールドカップ前の対日本戦もなんか調子悪そうだったけどこの本番対USA戦でこの結果は。
うーむ。USAがより強くなったのか。イングランドどうした。

1対1。引き分け。期待どおりではあったのだが。複雑。
posted by フェイユイ at 22:25| Comment(2) | TrackBack(1) | アフリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月12日

2010FIFAワールドカップ・南アフリカ共和国大会 『韓国×ギリシャ』

さて今日は韓国×ギリシャ。最近はサッカーも全然観てなかったからどんな選手がいるかも知らないんだけど、やっぱ応援するのは韓国だな。
知ってる選手ってチャ・ドゥリとパク・チソンだけ。今日ちょっと覚えよう。

前半終了。韓国なんなく1点先取。ギリシャ弱。昨日のメキシコ×南ア共和国が面白かっただけに眠い。韓国もギリシャに引きずられていつもより迫力ない感じ。っていうか全然戦力違うと思うのだが。
1点取ったのがアントラーズにいるイ・ジョンスなんすね。一人覚えた。
韓国強し。

試合終了。本当に何事もなく韓国勝利。あまりにも戦力差が酷過ぎ。
2点目はパク・チソンでしたー。さすが強いうまい。
ギリシャって何故ヨーロッパ勝ち進んできたのかな。そんなに弱いのか今欧州。この下手さ加減って。韓国が勝ったのはいいけど試合としてはつまんねーぞ。もう少し強いチームとやって欲しい。って言っても今度はアルゼンチン。これを早く観たいやね。

今夜というか次はイングランド×アメリカを観たい。これは楽しみだ。
posted by フェイユイ at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | アフリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010FIFAワールドカップ・南アフリカ共和国大会 『メキシコ×南ア共和国』

2010FIFAワールドカップ・南アフリカ共和国大会。始まりましたね〜。
ドイツ大会の時はあまりまじめに観てなかったんだけど、今回は日本では不人気・盛り下がりなので余計に観てみようかな、と。大会以外の現地の状況も気になるし。今回観てて今迄になく現地情報がまったくないんだもの。今までは女性リポーターとかが現地での様子を実況中継でアレが美味しいだのこういうのが流行りだのってやってましたよね。街中でインタビューしたりとか。そういうの全然やってないみたいだもの。現地の様子が何も判らないというかなり異常なワールドカップ開催国。
珍しく1時間前のNHK番組から見てたのは勿論中田が出てたから。
相変わらずかっこいいなあああ。一部の隙もないお洒落です。
話し方も好き。でもこれ、ここの時間、ワールドカップ情報じゃなく中田英寿情報になってた。よいけど。それ目的だったんで。

メキシコ×南ア共和国、前半終わって0点折り返し。メキシコがやっぱり強いけどさすが開催国だけあって負けていられません。



で、試合終了。
結果、1×1同点。凄い試合だった。メキシコ圧倒的勝利かと思ったけど、やはりそうそう簡単ではない。
南ア頑張ったなあ。
posted by フェイユイ at 01:07| Comment(0) | TrackBack(0) | アフリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月21日

『約束の旅路』ラデュ・ミヘイレアニ

vas_et_viens2.jpgVa, vis et deviens 3.jpg
Va, vis et deviens 行け、生きろ、生まれ変われ

まずこの映画がもたらしてくれた「エチオピアの山奥に黒人のユダヤ人が大昔から暮らしていた」というちょっと聞いただけではすぐに飲み込めない事柄に驚く。
ソロモン王とシヴァの女王の子孫である彼らは他のユダヤ人との接触のない世界で長い時の間、自分たちだけでユダヤ教を信仰し続けていたというのだ。彼らにとっては自分達こそがユダヤ人なのであって後に白人のユダヤ人を見て信じられなかったのである。
彼らはファラシャ(よそ者の意)と呼ばれる。(出エジプトの際にエチオピアに向かったヘブライ人だと言う説も)

そして1980年代以降、イスラエルと米国は「モーセ作戦」「ソロモン作戦」と称して大規模なファラシャのイスラエル移住計画を遂行したのだ。
移住を認めないエチオピア政府の元、ファラシャたちは歩いてスーダン難民キャンプへと向かう。その移動は過酷を極め、多数の死者が場所もわからないまま埋められる事になった。

以上が事実であり、ルーマニア出身のラデュ・ミヘイレアニュ監督はその体験者からのリサーチを集めて独自の物語を作り上げている。

ここでの主人公はそのエチオピア黒人ユダヤ人ではなく、キリスト教徒の黒人の少年である。母親とともに難民キャンプにたどり着いたのだ。
だがユダヤ人である黒人だけがイスラエルへ輸送されることを知った母親は少年を追い立ててその中へと送り込む。
子供を失ったばかりの女性がキリスト教徒である少年にユダヤ人らしい受け答えを教えて彼を助けたのだった。

何と言っても知らなかった事実と物語の設定が興味深いので夢中になって観てしまう。
ユダヤ人らしい名前シュロモと名乗ることになる少年の半生を3人の役者が演じている。
特に子供時代のシュロモはいきなり最愛の母親と別れ、言葉のわからない土地へ住み、キリスト教徒であることも自分の正体もひた隠しにしなければならない苦悩で精神が歪んでしまう状態が丹念に描かれていくので思わず涙が溢れてしまう。
だがそんな彼も少しずつ養父母家族に慣れ、恋を知る。実の母が別れの時「何者かになるまで帰ってはいけない」という言葉にも悩むシュロモがようやくその道を見つける。
シュロモには3人の母親がいて、まず実の母、自分をユダヤ人として導いてくれたほんの僅かの間の女性、そして頑なだったシュロモを養子として引き取って育ててくれたフランス系白人のイスラエル人。
心を鬼にして幼いシュロモを一人きりユダヤ人の中に追い込んで「行きなさい」という母親と大人として自立する為にフランスの大学へ行くシュロモに「行きなさい」と励ます3人目の母親の姿が重なる素晴らしい演出である。
この作品ではシュロモに対する母親達の愛情が心をこめて描き出されているのだ。

物語の面白さとシュロモの成長と母親や恋人との触れ合いに非常に感動しながらも、ややトントン拍子に進みすぎるドラマ展開に納得のいかない部分もある。
重いテーマと半生を描く長いドラマであるためにどうしても説明不足になる部分、端折ってしまう箇所、都合よく行き過ぎる展開が多いせいもあるだろう。
また丹念に描かれていた前半に比べ、後半から終わりに近づくほど急ぎ足になりラストはまるでもう時間がなくてどうしようもなかったみたいな慌ただしさに思えた。自分の好みかもしれないが、突然再会した母親が慟哭する、と言う風にしなくても(もしかしたらあれは人違いで叫んだのでは、と思えてしまう)「きっと見つけたんだ」と思わせるような終わり方でよかったのではないだろうか。
母親に焦点をあてるために義父はわりを食っている。彼も懸命にシュロモを愛しているのに可哀想なのだ。彼との関係も映画内で解決して欲しかったのだが。
代わりにケス・アムーラが父親であり友人でもある存在となっている(シュロモにはいい同性の友達がいないようだ。これも残念だった)
おじいちゃんもいい人であるが。

映画同様、感想も始めが力入って最後はしぼんでしまった。幾分心残りを覚えはしても、エチオピア、スーダン、イスラエル、フランスにまたがるシュロモの旅の物語は忘れられないだろう。
母国語のみしか話せない自分と違いシュロモは一体何ヶ国語話せるのか、驚異である。
国、宗教、人種、家族、様々なことを生きていく中で絶えず問い続けなければならないシュロモの人生を考えてみなければいけない。
シュロモの養父母がイスラエル人でありながら「敬虔でない」ユダヤ人で宗教にも無頓着な「左派」という家族なのも驚きだった。
自分もまたどうしても画一的なイメージを持ってしまっているのだ。

最後の青年期シュロモを演じたシラク・M・サバハは実際少年期にエチオピアから遥かな旅路を歩いた経験を持つのだという。
外見は今風のお洒落でハンサムな若者に見えるのだがその経験のためにも映画作りには並々ならぬ思い入れがあったようだ。
素顔も真面目で礼儀正しいステキな若者に思えた。
ミヘイレアニュ監督はフランス在住だがかつてのチャウシェスク政権下のルーマニアから逃れたという過去を持つそうである。

監督:ラデュ・ミヘイレアニュ 
出演:養母ヤエル/ヤエル・アベカシス
養父ヨラム/ロシュディ・ゼム
シュロモ(幼年時代)/モシェ・アガザイ
シュロモ(少年時代)/モシェ・アベベ
シュロモ(青年時代)/シラク・M・サバハ
ケス・アムーラ/イツァーク・エドガー
サラ/ロニ・ハダー
おじいちゃん/ラミ・ダノン
ハナ、エチオピア系ユダヤ人の母/ミミ・アボネッシュ・カバダァ
シュロモの実母/マスキィ・シュリブゥ・シーバン
2005年/フランス映画
ラベル:宗教 人種 家族
posted by フェイユイ at 22:26| Comment(0) | TrackBack(1) | アフリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月13日

『ラストキング・オブ・スコットランド 』ケヴィン・マクドナルド

ラストキング・オブ・スコットランド.jpg

逃れられない恐怖感に固唾を呑んで見つめるしかなかった。
正直に言うとウガンダとアミン大統領について殆ど何も知らず食人大統領と言われていたこともどういう意味か判らず何も知らないまま観たのであった。
観ていく内にそれらが少しずつ理解できるようになったものの史実を巧く取り入れながら描いたものであるにも拘らずどうなることかと肝を冷やしながら鑑賞した。

アフリカへ行って医師として働き自分探しの旅をしよう、といういかにも西洋の若者が考えそうな出だしである。閉塞感のある人生に嫌気がさして地球儀を回して指先が当たった所へ行く、と念じる。だが最初に触れたのがカナダだったのでやり直し。それでは「正常」過ぎる。もっと危険な場所、未開の地。つまり指先をもっと赤道へ近づけたのだろう。次はウガンダとなり彼は満足した。
到着して程なく新大統領に選ばれたアミンと出会い事故での手当てをしたために主治医となってしまう、という突拍子もない筋立てが何の違和感もなく進んでいく。アミンのお気に入りとなり深入りしてしまった青年ニクラスは気付いた時にはもうそこから逃げ出せなくなっていた。というか彼が事故で捻挫して治療に呼ばれた時からもう逃げ出せなかったのでは、と思えるが。
ふとしたことからアミンの妻の一人(何人かいるので)と恋仲になってしまうがその代償は痛烈なものだった。

史実を巧く混ぜ合わせながら架空の青年ニクラスとアミン大統領の話を作り上げた、とは思えないほど「本当にあったこと」のように見えてくる。
アミンを演じたフォレスト・ウィテカーの無邪気な笑顔と突如として爆発する狂気が怖ろしい。
二クラス役ジェームズ・マカヴォイの頼りなげでありながら向こう見ずであり、英国人とスコットランド人との違いを気にする性格そして来た時から社会状況の無知が彼をどうしようもない地獄へ追い込んでいってしまう。

多くの人々を苦しめた史実を下敷きにしてこのようなサスペンス溢れる娯楽を作り上げてしまう、ということに「いいのか?」という疑問と困惑を覚えもするがしかし目を離せない面白さで息つく暇もなく感じたのも確かである。
しかし1971年から1979年までの政権下で30万ないし40万の国民を殺害した後サウジアラビアへ亡命して2003年まで生きていた、というのはとんでもないことではないか。
創作とはいえ情けないニコラスも生き延びて、死んだのはいい人ばかりという悲しい映画であった。
ケイ夫人はニコラスのような白人青年と浮気したわけではないがアミンの子供を堕胎したことで夫の怒りを買い、映画のように両手・両足を交代してつけられたという話があるようでため息をつくしかない。

しかし西洋人の作るホラーには「アジア・アフリカなど未開の地に深入りするとこのように怖ーい思いをするぞ」という類の作品が結構ある。
ふっふっふ、怖いかね?

監督:ケヴィン・マクドナルド 出演:フォレスト・ウィテカー ジェームズ・マカヴォイ ケリー・ワシントン サイモン・マクバーニー ジリアン・アンダーソン
2006年アメリカ/イギリス
ラベル:サスペンス 歴史
posted by フェイユイ at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | アフリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月09日

『ツォツィ』ギャヴィン・フッド

ツォツィ.jpgツォツィ2.jpg

シンプルすぎるほどのストーリーなのだがそれだけに強い印象を与える、そんな映画だった。

主人公は仲間から「ツォツィ」=ごろつき、不良と呼ばれている。太っちょのアープが「今夜どうする?」とツォツィに聞く。彼らは4人一組になり毎晩窃盗などを繰り返しているのだ。
南アフリカ、ヨハネスバーグ。アパルトヘイトは廃止されたが黒人達の間の貧富の差は激しく、スラム街に住む人々は教育も職も欲しても手に入れるのは難しい。
ツォツィはまだ少年なのだがもっと幼い時に家を飛び出していた。その記憶はエイズにかかった母親に近づく事も許されない寂しさと暴力を振るう父親という悲しいものだった。

厳しい境遇のためかツォツィの顔は歪んでいた。仲間ですら気に入らなければ平気で拳を叩きつけてしまう。
そんなツォツィが一人で裕福な女性を撃ち、自動車を盗んだ時、その車に彼女の赤ん坊が乗っていたのを見つけた。
ツォツィはなぜかその赤ん坊を抱き上げて住処に連れて来てしまう。そして覚束ない手つきでおしめを替えたのだった。

どうしてツォツィは赤ん坊を拾い上げ面倒をみよう、と思ってしまったのか。
それまで固く冷たく見えたツォツィの顔が赤ん坊を見た時から可愛らしい少年の顔に戻ってしまうのだ。
赤ん坊は彼が忘れていた子供の時の記憶を呼び覚ます。
それは悲しいものではあったけど。

赤ん坊に乳をやる術のないツォツィは近くに住む乳飲み子を持つ若い母親ミリアムに乳をやれ、と脅すのだ。
何をするにも拳銃を持って脅すしかできないツォツィの姿は悲しいというしかない。彼はその言葉しか持っていないのだ。
だが仕方なく乳を与え自ら赤ん坊の体を洗ってあげたいと言い出す優しいその若い母親が「赤ん坊の名前は?」と聞いた時ツォツィは自分の本当の名前「デヴィッド」だと教えるのだ。
優しくミリアムが「デヴィッド」と語りかけながら赤ん坊をあやす時のツォツィの嬉しそうな顔はまだ母親に甘えたかった子供の顔でしかない。近寄ってはいけないと言われた母親に触れたかったデヴィッドだったのだ。

そうして子供の頃父親の暴力から逃げ出したツォツィは同じような境遇の子供たちが住んでた土管の中で暮らし始めたのだ。
今はあばら家ながらも家を持つツォツィは昔の土管の所へ戻ってみる。数個の土管の中に新しい子供たちが住み着いていた。
ツォツィは裕福な家の子供であるその赤ん坊に自分が住んでいた土管を見せたのだった。

荒んだ環境の中のツォツィの歪んだ行動と思考。赤ん坊を抱き上げたことで変化していく彼の表情。
映画の結末は彼がこれからどうしていくのか、どうなっていくのか考えさせられるものだった。
私としては刑期を終えた彼が本当の生活を始めてくれることを望みたい。あの優しかったミリアムの元へは行くだろうが、多分それ以上のことはないと思うのだが奇跡も起きるかもしれない。

DVDの中には後二つの結末が収録されていた。というか本来ならこちらの内の一つになるはずだったという。
だが監督の考えどおり、本作の結末であってよかったと思う。
「死」であるならもう何も希望がないし、本作の場合は「逃走」であっては意味がない。

ツォツィ役のプレスリー・チュエニヤハエ、凄くいい目をしている。ツォツィの冷酷さと子供らしさを素晴らしく演じていた。

監督:ギャヴィン・フッド 出演:プレスリー・チュエニヤハエ テリー・フェト ケネス・ンコースィ モツスィ・マッハーノ ゼンゾ・ンゴーベ
2005年イギリス/南アフリカ
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2007年09月23日

『ルワンダの涙 』マイケル・ケイトン・ジョーンズ

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つい先日やっと観た『ホテル・ルワンダ』と同じ虐殺についての映画でありながら違った語り口である。
同じように突然起こった虐殺の為に自分を守ってくれるかもしれない場所(あちらではホテルであり、ここでは学校だった)に追い詰められたツチ族が逃げ込んでくる。そこを守る国連の兵士たちはいるのだが一歩外へ出ればもう命はなくそこから出て行く術もないという状況も同じである。

違うのはまず『ホテル』の方はルワンダ人のホテル支配人の目から物事を見ているのに対しこちらでは白人である若い英語教師とカソリック神父が目になっているというところである。そして彼らはこの「アフリカの一つの国で起きた集団虐殺」に対して全く自分達が非力である事を思い知らされる、という筋立てになっている。

『ホテル』はかなり視野が広く取られているように感じたが(広範囲にわたって色々な側面が実に巧く語られていた)『涙』は若い教師と老神父とその周りの子供たちに焦点が置かれていて白人目線なのにより物語が身近なものになっている。
虐殺の場面もこちらでは教師のジョーとクリストファー神父がその惨たらしい殺害現場を直視していて怖ろしさがより迫っている。

反面、先に『ホテル・ルワンダ』を観ているから思うのだが、あちらでは主人公がフツ族の男性であった。そしてツチ族の妻を持っているということで大きな苦しみを味わう事になる。
冒頭でもツチ族とフツ族の女性同士の友人という二人が登場し全ての人々が憎しみあっているわけではないことが判る。

だがここではそういった関係は描かれていなかった(多分)のでこれだけを観た人はフツ族は皆凶暴で無知で冷酷であり、ツチ族は少女とその父親のように優しく理性があり神を信じている人たちと分類されてしまいそうな気がする。他の方たちが極端にそう信じるかは判らないが、私自身はこちらだけを観ていたらどう考えたのか想像がつかない。やはり一つの映画、誰かだけの情報を聞くのは偏ってしまう、ということかもしれない。
実際穏健派のフツ族も大勢が虐殺されているのだから、暴力を嫌いツチ族と親しくしていこうと考えているフツ族もいたはずである。だがそういう人はどうしても過激派に負けてしまう。そして元々はそうでなかった者たちですら集団心理によって異常な衝動を持ってしまうのだ。最初は学校で優しげに働いていた青年が血のついたナタをぶら下げている姿は衝撃である。
それまでは同じ学校にいたはずの青年がある日変貌してしまったのだ。

クリストファー、という名前は先日映画『魔王』で聞いた名前である。子供を肩に乗せ、河を渡ったという聖クリストファーの名前である。
長い間アフリカで神の心を説いてきたクリストファー神父は最後まで子供たちを守ろうとする。その代償は自分自身の命であった。彼のモデルとなった神父が実在したそうである。
一方の青年教師のモデルは特にないらしく彼はいいことを言っていても結局何も出来ない者たち(私自身もそうだが)の姿を表しているのだろう。

走る事が大好きで足の速い少女マリーが最後ナタを振り回し興奮しきったフツ族からクリストファー神父の助けで逃れ走り出す。

彼女は残した父親が必ず殺されてしまうことを知っているのだ。そして憧れていたジョー先生が自分を捨てていったことを思っただろう。どこへ続くのか判らない道をマリーが懸命に走っていく場面は悲しくまた怖ろしかった。

監督:マイケル・ケイトン・ジョーンズ 出演:ジョン・ハート ヒュー・ダンシー クレア=ホープ・アシティ ドミニク・ホルヴィッツ ニコラ・ウォーカー
2005年イギリス/ドイツ
クリストファー神父を演じたのがジョン・ハートだと後で知った。『ミッドナイト・エクスプレス』や『エレファントマン』で有名だが(この辺のタイトルが一番先に出るというのが)名バイプレイヤーといった感がある上、顔に強烈な印象がないので気づかなかったのだ(決して悪く言ってるわけではない)温和な人柄でありながら融通のきかない兵士に激怒し、危険を承知で薬を買いに行ったり子供たちを守る神父を演じていて素晴らしかった。

『ホテル・ルワンダ』の方だったか、「〜族、という表記はやや差別的な意味にとられそうだが、ここでは判りやすいよう用いた」とあって私もそれに倣った。確かに映画の中では「フツ」「ツチ」とだけ発音しているのだけど。
posted by フェイユイ at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | アフリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月17日

『ホテル・ルワンダ』テリー・ジョージ

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歴史の中で繰り返される差別・戦争・虐殺。多くの罪なき人々の血が流れ悲鳴が聞こえる。人々は幸せを求めるものなのに何故争いは繰り返されるのか。

ルワンダはかつてヨーロッパ人の植民地となっておりその時少数派であったツチ族が肌色の薄さと背の高さと鼻の幅の狭さをベルギー人から認められ多数派であったフツ族を支配することになったという。
その後、国は独立したが内戦状態となりフツ族とツチ族は対立していくがフツ族の大統領が暗殺と思われる飛行機事故によりフツ族によるツチ族への大虐殺が起きたのだ。

何かのきっかけで暴動が起き抑制の効かない巨大な力になっていく。その前で一般の市民は何の抵抗もできず死んで行くしかない。

ベルギー人が経営する高級ホテル「ミル・コリン」の支配人であり家族思いのポールを主人公にしてこの怖ろしい大虐殺の物語が描かれていく。
品格のある仕事に誇りを持ち様々な西洋人とも交流のあるポールはいざという時は彼らを利用することを考えていたが、その時になって頼ることができるのは誰もいないと思い知らされてしまう。
とはいえ、それでもポールを助けてくれる幾人かの西洋人がいたのは彼の人柄によるものだろう。彼の誠実さだけが救いだったように思う。
そんなポールでも事態がまだ飲み込めていない当初には我が家に逃げ込んできた隣人達を疎ましく思っている。
ポール自身はフツ族なのだ。だが彼の妻はツチ族であり、隣人にもツチ族が多かった。
フツ族とはいえツチ族に肩入れするものも殺されていく状況の中で家族を守りツチ族である隣人をなんとかして助けようとしていくポール。
優雅だったホテルに逃げ場のないツチ族を受け入れて襲ってくるフツ族かた懸命に守っていく。

これは実話なので実際にポールのその家族の方はおられるわけだが、この物語の主人公に温厚な一市民であり、夫(自分)がフツ族、妻がツチ族である彼を選んだのは的確な選択だったのではないだろうか。
常に冷静であることを自分に課している優秀なホテル支配人ポールが張り詰めた緊張の中、ネクタイを結ぼうと何度も試みるができずシャツを引きちぎって泣き出すシーンがある。ドアの外に駆けつけた従業員にその姿を見せまいと入れさせなかったポールが悲しかった。惨たらしい虐殺行為と周囲の人種の軋轢、仕事を遂行せねばならない圧力に耐えかねて心が張り裂けてしまったのだ。

ポールは家族だけを守れるならそれでいい、というごく普通の人間だったはずだ。それが凄まじい殺戮と可哀想な子供たちを見ているうちにどうしても助けねばならない状況に置かれていってしまう。
ついには家族と離れホテルに残った人々を守ろうとさえしてしまう。
その結果彼は予期しない窮地に立たされてしまうのだ。
そのことで彼は改めて家族を守ろうと決心したのだろう。
このような怖ろしく悲しい体験で救われるのは妻タチアナ二人の姪っ子と再会できたことだ。そのために危険を省みずその子供たちを捜した赤十字の白人女性には畏敬の念を持つ。自分なら怖くて絶対できない。

他にも助けたいという気持ちはあってもどうしようもなく帰国しなければならなかった外国人のうなだれた様子、なんとかポール達を脱出させようとする国連のオリバー大佐の奮闘振りが心に残る。
関わった人々は皆彼らを救いたかったのだ。

大虐殺の様子をテレビ放送すればすぐに助けに来てくれる、と楽観的なポールにカメラマン・ダグリッシュは「テレビを観ている世界の人々は怖いねと言ってディナーを取るだけだ」と答える。確かにその通りなのである。

この大虐殺はほんの十数年前に起きたことなのに自分は全く知らなかった。
テレビを観ても何も思わなかったのに違いない。
恥ずかしい。

監督・脚本・製作を手がけたテリー・ジョージが北アイルランド人だということも驚きだ。
このような複雑で予備知識もない事件をここまで判りやすく人間性豊かに描けるというのは素晴らしいことだ。また虐殺の異常さ、残酷さも非常に怖ろしくしかし目をそらすことなく映し出されていたと思う。
主人公を始めとする登場人物も魅力的でありまた怖ろしくもあり、物語を明確に浮かび上がらせていた。
ポールを演じたドン・チードルはその心の移り変わりと戦う意志を強く感じさせた。
マッチョなイメージのニック・ノルティがここでその特性をうまく表していた。

本作が日本で公開されるために多くの働きかけがあった。こうして自分もDVDではあるが観ることができて本当によかった。

2度目に観ると冒頭の荷物の箱が壊れナタがこぼれ落ちる場面はぞっとする。ここから殺戮が用意されているのだ。

平和であることは生活するために最も重要なことなのに難しい。自分の周囲も含めて世界中の人々が差別なく平和であって欲しいと願う。

監督:テリー・ジョージ 出演:ドン・チードル ソフィー・オコネド ニック・ノルティ ホアキン・フェニックス デズモンド・デュベ
2004年 イギリス/イタリア/南アフリカ

こんな比較もないものだが、本作を観ていて昨日観た塚本晋也監督の『HAZE』に酷く似ていると思った(以下ネタバレあり)


いきなりわけのわからない状況に投げ込まれ進めば進むほど怖ろしい立場になっていく。いきなり殴られ傷つけられる。どうあがいても行く手が見えず、鉄管を噛むような思いをせなばならない。
愛しい人を守りたいと思ってもままならず、迫り来る恐怖から逃げ惑うだけ。
そこを逃げ延びるにはばらばらになった死体を乗り越えていかねばならない。そして死んでしまうような激しい苦痛を跳ね返さねばならない。
たどり着いたそこには爽やかな青い空があった。
まるでこの映画を別の視点で作り変えたかのようにさえ思える。

ポールの結末は青空だったろうか。他のルワンダの人々は。全ての人にあの青空が待っているといいのだけど。
posted by フェイユイ at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | アフリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月20日

「母たちの村」ウスマン・センベーヌ

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女性器切除をしている国があるということは最近になってニュースで知ったのだが、そんな怖ろしい事が今も行われているなど信じられない、というのが正直な思いだった。
不衛生な環境下でナイフあるいは石などを使用し女性外性器の一部もしくは全部を切除し縫合するという行為は例え異宗教であり異文化なのだといっても頷けることではない。
映画の中でもこの儀式は大昔(2千年ものあいだという)からの伝統なのだというのだが、その施術自体の想像を絶するであろう痛み、感染症、それ以降の排泄痛、性交時の激痛、恐怖、難産加えてHIV感染、という生涯における苦痛と恐怖は想像できる範囲のものではない。

長い間の慣習を部外者が軽々しく反論すべきではない、という人もいるのだろう。しかし施術時に死亡する例や性器切除により難産の上、母子死亡率が高い、ということでそれを受ける女性達が苦しんでいるのであればどうしても心は動いてしまうのである。
それにしてもこのような根深い慣習を映画の中でどのように描き導いていくのか、どうしようもない悲劇で涙を誘うのか、という懸念もあった。だが、本作の描き方の力強さはどうだろう。そこで映し出されるのは、のどか、といっていいテンポと明るく伸びやかな調子なのであった。

とりたててどこ、という名前はないが西アフリカ(セネガルのどこか、ということであろうか)の小さな村のようである。
そこでは女性達は明るい色彩の美しく清潔な衣服を身につけ、水や薪を頭に載せて運び、働いている。ラジオで音楽やニュースを聞くことが女たちの楽しみのようで質素ではあるが村の暮らしはのんびりとした秩序が保たれているようだ。
女主人公・コレの住む家は比較的裕福であるようだ。第一夫人、第三夫人たちと仲良く家を守っている。主人は勿論他の男に出会っても女性は身を低くして礼をするのが習慣のようだが、そんな中でも女たちはお洒落をし音楽を聞き、明るく生活している。

そんなコレの所に突然4人の幼い少女達が駆け込んできた。「性器切除」の儀式を受けなければいけないのだが、怖ろしくて逃げて来たのだ(映画では「割礼」と言ってるがやや中途半端な響きにも聞こえる。「割礼」というとユダヤ人の少年が行うものを思い浮かべてしまうが、先に言ったようにその内容は全く違う)
不思議なことであるがそうやって逃げて来た少女を保護する「モーラーデ」というものがあり、その力は強いもので「モーラーデ」を受けている少女を連れ去る事は出来ないという決まりがあるのだ。それを破れば呪いがかけられるというほど強固なものなのである。
だが「性器切除」の儀式を行う女性達や村長ら男達を断固として撥ね返さねばならない「モーラーデ」の役は容易いことではない。
「性器切除」を行わなかった女は「ビラコロ」と呼ばれ結婚もできない、と言われる。
自らの娘の性器切除をさせなかったコレは逃げて来た4人の少女を「モーラーデ」=保護することを決意した。

コレ自身は性器切除をしておりその為、セックス時に激痛を伴い、2人の子供を亡くしている。
コレの夫は優しくコレを愛しているのだが兄を始めとする村の男達に「夫の尊厳はどうした」と罵声を浴び仕方なくコレを鞭打つ。
村人の目前で激しく鞭打たれるコレはその痛みに耐える。

娘の性器切除をことわり、他の少女達を守るコレの力強い行動に賛同せずにはいられない。
コレが鞭打たれてから後の現象はもしかしたら「性器切除」を行っている社会への願いを映像化したものなのかもしれない、と思う。
コレの夫が勇気ある妻に賛成し、ビラコロの娘とは結婚させないと父親に言われた息子が父から離れ歩き出す。
女性達がコレに賛同して「これからはもう誰も性器切除はさせない」と叫ぶ。
慣習に逆らう女達に戸惑う村長ら男たちにコレたちは勝利を確信したように叫び踊る。コレの夫が妻を見てにっこりと微笑む。
これは実際にあったことなのか、夢なのか。
こうなって欲しいという希望なのではないだろうか。

女性たちに余計な知識を与えた、ということでラジオが燃やされる。それを見て女達は「(男達は)何も知らないんだから」と笑っている。
燃え盛るラジオの炎の中に性器切除のためのナイフが投げ込まれ、もくもくとした黒い煙が美しい青い空へ昇っていく。
何も知らないよそ者が衝動にかられ言う言葉かもしれない。だけどもやはり願わずにはいられない。
長い間の慣習というだけでこのような苦しみを受ける人がこの映画のようにもうこれからは存在しないですむように、と。
何の知識も与えられない子供達が泣き叫ぶ苦痛はもう存在しないようにと。

「傭兵」と蔑まれて呼ばれていた物売りの男。小さな村にパンや衣服や小物を高値で売り女と見れば誘いかけるような男だったのだが、鞭打たれるコレを見てつい止めに入ってしまい、村の男達に殺されてしまう。軍隊を追われたのもわけがあってのことだったのだが。
蔑まれる彼もまた偏見の中で生きなければならない存在であった。

先に書いたが本作は「性器切除」の反対を訴えたものだが、それだけでなく、全体に流れているのんびりと穏やかな雰囲気、会話の明るさ、衣装や人々の美しさ(若者たちの手足が細長くてかっこいいこと)もまた堪能できるものなのである。
コレを始めとする人々の言葉の簡潔で力強い響きなどわからずとも聞いていて楽しいものであった。話のやり取りがアジアや欧米とはまた違った感覚があって面白い。
しかし何と言ってもコレという女性のかっこよさに見惚れてしまったのである。

監督・脚本・製作:ウスマン・センベーヌ 出演:ファトゥマタ・クリバリ マイムナ・エレーヌ・ジャラ サリマタ・トラオレ アミナタ・ダオ ドミニク・T・ゼイダ
2004年フランス・セネガル
posted by フェイユイ at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | アフリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする