
ぐるりのこと。気になるタイトルである。
ぐるりのこと、というのは誰にでもあるわけで、皆それぞれのぐるりのことを持っているのだから。
神経質な妻ショウコとのほほんとした夫カナオ。正反対のふたりだが同じなのは上手く言いたいことを相手に伝えきれないこと。でも言いたいことを上手く伝えきれる人っていないのかもしれない。
かつては同じ絵の勉強をしていた二人のようだが今はそれぞれに違った仕事に就いている。仕事場で、家族内で二人のぐるりの人々はいい人もいるんだけどとんでもなく嫌な人もいるわけで。それも誰にでもあること。そして二人だってぐるりの人にとっては嫌な存在かもしれないわけで。
そしてまた二人の一番近い存在であるお互いもやっぱり心が通じ合っているわけでもなく。段々嫌な所が見えてくる。
一番近いだけに我慢するのも一番大変なこと。夫婦ってなんだろう。愛し合うって。一番大切なことってなんだろう。
本当言うとこういう映画って凄く苦手で観たくないのである。もともと橋口監督作品『ハッシュ!』なんかもゲイの映画なのに「日常的でリアルな」と謳われていたのでどうしても観る気がせずやっと最近になって観た自分なのだ。
じゃなんでこれを観たかと言えば無論その『ハッシュ!』がとてもよかったのでずっと拒否していたことを反省し今回は速攻で観るつもりだったのだが思った以上に人気があってなかなか借りれず今になってしまった。
やはり想像したとおりにリアルで日常的でぐさっとくるような内容でしかもとてもいい作品だった。
しかも主人公二人が絵を描くのである。それも天才とかじゃなく片方は絵画の道を諦めて靴の修理をやっていたのに先輩に勧められて法廷のスケッチをする男であり、片方はずっと絵を描かずにいたのに死んでしまいたいともがき苦しんだ後、寺の天井絵を描いてみないかと言われ練習し直している女である。
かつて絵を描いたりすることが好きで(勉強したというほどもない)相方も絵を描いてたりする自分にとっては怖いほどリアルな話だった。
二人の会話はまるで自分らのやり取りのようにさえ聞こえる。
というか、大概の夫婦がこういう会話をやっているんじゃないかと思うのだがどうだろう。
懸命にやろうと思えば思うほど互いにすれ違い憎みでも離れることはできない。
私はショウコでもあり、カナオでもある。神経質に苛立つこともあるしカナオのようにのほほんとしている部分もあるので(だから生きてるのかも)両方の感覚があるし、相方もそういう感じかもしれない。なんだか二人で交代でどちらかを演じているような気もする。
映画の中の二人が互いに不満を持ちながらも当たり障りのない毎日を送っていてその間に不満は膿となって膨れ上がり、たまりにたまって爆発しそうになっている。
とうとうある日妻の方の膿がもうこれ以上溜めておけないほどになってしまう。文句を言い叩き合ってしまう。大げさな叫びあいや殴り合いじゃないのがまた普通っぽくてよいが。それでもやっと胸の中のどろどろを吐き出して涙も鼻水も全部出ちゃってほっとする。
この映画を観てリリー・フランキーを好きになっちゃう女性も多いんじゃないだろうか。私自身もともと好きだったけど惚れ直してしまったし。
かっこよく守ってくれるわけでもないし、決め台詞を言うわけでもないけど、なんだか素敵だった。
しゃべりも凄く自然なんで地の福岡訛りで話してる。自分にとっては日常で聞く訛りで余計に男っぽさを感じてしまった。
木村多江さんはとても綺麗で文句なし。
法廷に登場する記憶に残る犯罪者を演じる面々も見応えあり。特に私が最初は彼が目的で観たかった新井浩文。児童殺傷事件の犯人。怖ろしい台詞。
この映画でどうして主人公の仕事を法廷画家にしたのか、正直言うとまだよく飲み込めていない。
精神が破綻したショウコがカナオの存在で癒されたように彼らもまたカナオのような存在があれば破壊されずにすんだということなのか。
ところでTVで見かける法廷画ってカナオの絵みたいに念入りじゃなくて凄く下手な時もあるんだけど?
ショウコが絵を描くのを観て自分も描きたくなってしまった。あんな風にして天井画を描くなんていいなあ。
それにしてもこれって橋口亮輔監督の鬱体験を元に作られたってことは多江が橋口監督なのだよね。カナオの存在はあったのかな。
監督:橋口亮輔 出演:木村多江 リリー・フランキー 倍賞美津子 柄本明 寺島進 安藤玉恵 寺田農 八嶋智人 斉藤洋介 温水洋一 峯村リエ 山中崇 加瀬亮 光石研 田辺誠一 横山めぐみ 片岡礼子 新井浩文 木村多江
2008年日本
ラベル:ラブ・ストーリー