映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年04月21日

『ぐるりのこと。』橋口亮輔

ぐるりのこと。.jpg

ぐるりのこと。気になるタイトルである。
ぐるりのこと、というのは誰にでもあるわけで、皆それぞれのぐるりのことを持っているのだから。
神経質な妻ショウコとのほほんとした夫カナオ。正反対のふたりだが同じなのは上手く言いたいことを相手に伝えきれないこと。でも言いたいことを上手く伝えきれる人っていないのかもしれない。
かつては同じ絵の勉強をしていた二人のようだが今はそれぞれに違った仕事に就いている。仕事場で、家族内で二人のぐるりの人々はいい人もいるんだけどとんでもなく嫌な人もいるわけで。それも誰にでもあること。そして二人だってぐるりの人にとっては嫌な存在かもしれないわけで。
そしてまた二人の一番近い存在であるお互いもやっぱり心が通じ合っているわけでもなく。段々嫌な所が見えてくる。
一番近いだけに我慢するのも一番大変なこと。夫婦ってなんだろう。愛し合うって。一番大切なことってなんだろう。

本当言うとこういう映画って凄く苦手で観たくないのである。もともと橋口監督作品『ハッシュ!』なんかもゲイの映画なのに「日常的でリアルな」と謳われていたのでどうしても観る気がせずやっと最近になって観た自分なのだ。
じゃなんでこれを観たかと言えば無論その『ハッシュ!』がとてもよかったのでずっと拒否していたことを反省し今回は速攻で観るつもりだったのだが思った以上に人気があってなかなか借りれず今になってしまった。

やはり想像したとおりにリアルで日常的でぐさっとくるような内容でしかもとてもいい作品だった。

しかも主人公二人が絵を描くのである。それも天才とかじゃなく片方は絵画の道を諦めて靴の修理をやっていたのに先輩に勧められて法廷のスケッチをする男であり、片方はずっと絵を描かずにいたのに死んでしまいたいともがき苦しんだ後、寺の天井絵を描いてみないかと言われ練習し直している女である。
かつて絵を描いたりすることが好きで(勉強したというほどもない)相方も絵を描いてたりする自分にとっては怖いほどリアルな話だった。
二人の会話はまるで自分らのやり取りのようにさえ聞こえる。
というか、大概の夫婦がこういう会話をやっているんじゃないかと思うのだがどうだろう。
懸命にやろうと思えば思うほど互いにすれ違い憎みでも離れることはできない。
私はショウコでもあり、カナオでもある。神経質に苛立つこともあるしカナオのようにのほほんとしている部分もあるので(だから生きてるのかも)両方の感覚があるし、相方もそういう感じかもしれない。なんだか二人で交代でどちらかを演じているような気もする。

映画の中の二人が互いに不満を持ちながらも当たり障りのない毎日を送っていてその間に不満は膿となって膨れ上がり、たまりにたまって爆発しそうになっている。
とうとうある日妻の方の膿がもうこれ以上溜めておけないほどになってしまう。文句を言い叩き合ってしまう。大げさな叫びあいや殴り合いじゃないのがまた普通っぽくてよいが。それでもやっと胸の中のどろどろを吐き出して涙も鼻水も全部出ちゃってほっとする。

この映画を観てリリー・フランキーを好きになっちゃう女性も多いんじゃないだろうか。私自身もともと好きだったけど惚れ直してしまったし。
かっこよく守ってくれるわけでもないし、決め台詞を言うわけでもないけど、なんだか素敵だった。
しゃべりも凄く自然なんで地の福岡訛りで話してる。自分にとっては日常で聞く訛りで余計に男っぽさを感じてしまった。
木村多江さんはとても綺麗で文句なし。
法廷に登場する記憶に残る犯罪者を演じる面々も見応えあり。特に私が最初は彼が目的で観たかった新井浩文。児童殺傷事件の犯人。怖ろしい台詞。
この映画でどうして主人公の仕事を法廷画家にしたのか、正直言うとまだよく飲み込めていない。
精神が破綻したショウコがカナオの存在で癒されたように彼らもまたカナオのような存在があれば破壊されずにすんだということなのか。

ところでTVで見かける法廷画ってカナオの絵みたいに念入りじゃなくて凄く下手な時もあるんだけど?
ショウコが絵を描くのを観て自分も描きたくなってしまった。あんな風にして天井画を描くなんていいなあ。

それにしてもこれって橋口亮輔監督の鬱体験を元に作られたってことは多江が橋口監督なのだよね。カナオの存在はあったのかな。

監督:橋口亮輔 出演:木村多江 リリー・フランキー 倍賞美津子 柄本明 寺島進 安藤玉恵 寺田農 八嶋智人 斉藤洋介 温水洋一 峯村リエ 山中崇 加瀬亮 光石研 田辺誠一 横山めぐみ 片岡礼子 新井浩文 木村多江
2008年日本
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2008年12月14日

NHKスペシャルドラマ『最後の戦犯』オンデマンドにて

最後の戦犯.jpg

結局観てしまったNHKスペシャルドラマ『最後の戦犯』オンデマンドにて鑑賞。
むろん、新井浩文さん目的である。出番は冒頭と最後の僅かな時間なのだが。
主役のARATAさんは『ピンポン』くらいしか観た覚えがないが(『真夜中の弥次さん喜多さん』にも出てたのね)誠実すぎるくらいの真面目な九州男児を演じていてなかなか見応えありました。ちょっと九州弁はどうかなあと思うのだが、それは他の出演者も同じようなものなので。贔屓じゃないが新井さんくらいの九州弁のほうがリアルに聞こえるんだけどね。他の人のはやりすぎ。ARATAさんの「篠崎〜」は外人さん?っていうようなイントネーションだったので感動場面なのに思わず苦笑い。こういう時、地元人間は却って損ですな。
ま、そういうことはいいとして、このドラマ、かなり地味な内容ながらいい作品だった。
上官の命令によって捕虜を仕方なく処刑し、戦後裁判にかけられる、という物語はどうしても話題の『私は貝になりたい』と重なってしまうのだが訴えている内容はまったく違うものになっている。
『私は貝になりたい』(1958年ドラマ版)はよくできたミステリーを思わせる(と私は感じたのだが)のだがこちらは戦後、アメリカ人捕虜を処刑した仕官見習たちが上官から裁判から逃れるよう指示を受けてからの生き様と心の動きを描いているのだ。
主人公・吉村修が命令でしかたなくやったことで裁判にかけられる理不尽さへの怒りや上官への失望は『私は貝になりたい』の主人公と同じで物語の途中まではやや退屈にも思えたが、逃亡先の岐阜県多治見の陶芸工場で働く逃亡者としての彼の描写に段々魅かれていった。
周囲の人々とのふれあいや信頼が深まっていっても彼の心は鬱々として慕われるほど塞ぎこんでしまうのだ。
やがて3年半が経ちとうとう吉村は警察に逮捕されてしまう。
巣鴨プリズンで再会した同期の篠崎は死刑宣告を受けており、保身の為嘘の証言を述べ立てる上官たちに強い怒りを覚えている。
その姿を見て吉村は「例え、命令で仕方なかったとしても俺達が人を殺したのは事実なんだ。その裁判を俺は受ける」と言うのだった。
このドラマは実際に当時22歳だった見習士官左田野修さんの手記から作られたものだということでこの言葉も佐田野さんのものだったのだろうか。
だとしたらよくそこまで自分の行った行為を見つめられるものだと思ってしまう。
『私は貝になりたい』(私が観たのは1958年TVドラマなのでそれについては)では善良だった一兵士が大きな権力に押しつぶされていく恐怖が見応えある面白いサスペンスミステリーだったのだが、ここではその運命を受け入れていく悟りのようなものが描かれている作品となっている。このあきらめののような心情は人によっては共感できないものかもしれない。篠崎のように俺は絶対認めたくない、と思うのが普通の気持ちだろうと思うから。
だが戦争体験で吉村修がたどり着いたようなすべてを受け入れる悟りの心のようなものを感じた人もまたいたのだろうか。
戦争を体験していない自分は体験していない幸福を感じながらこの主人公の精神に驚いてしまうのである。

戦犯の家族たちが過酷な状況に置かれるというのも怖ろしい事実だった。ここの描き方も『私は貝になりたい』とはまったく違うものになっている。

演出 : 柳川 強 脚本:鄭義信  出演:ARATA 、田辺誠一 、石橋凌 、中尾彬 、倍賞美津子 、新井浩文
2008年日本ドラマ

ドラマ「最後の戦犯」
タグ:戦争
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2008年07月31日

蒼井優×4つの嘘 カムフラージュ 2 第二章 『バライロノヒビ』タカハタ秀太

カムフラージュ2.jpgバライロノヒビ.jpg

とにかく昨日第1話を観たのはこれを観る為だったわけで。
久し振りの新井浩文さん。お懐かしい。髪型も可愛くて優しいイメージで登場である。そういえば新井さんの色々観たけど女の子との恋愛シーンってなかったような。ベッドシーンはあるけど。
しかも相手が蒼井優ちゃんだ。と、思ってたらやっぱりそうそう簡単にはいかないのだった。

脚本の高須光聖氏のコンセプトが「走る」ということで蒼井優ちゃんめちゃくちゃ走らされています。
「走る」なんてのがコンセプトなんてどうなのかな、と思っていたのだがいざ優ちゃんが走り出すとこれがなかなかかっこよくて綺麗なのね。
高須氏は『ラン・ローラ・ラン』みたいだけど、と言ってたがあのローラは逞しくてちょっと怖かったけど蒼井優だと凄く女の子らしくて可愛いのである。それでいてなんだか清々しくキレのある走りである。彼女は『人のセックスを笑うな』の特典映像で体操してても凄く体が柔かくて運動をきちんとしている(バレエとかも?)と感じさせるんだけど、走り方も凄く綺麗なのだ。
唐突に走りたくなる、という奇癖の女性マコトを演じていてしかも自分のアパートからやおら飛び出し10分間どこまで走れるかの記録を自分なりに築いているのである。そのうえその一つ一つの走りが「何かになったマコト」を演出しているのである。
時にアイドルだったり、犯人を追う刑事だったり、着替えては(といってもマコトとしては妄想としての着替えだが)全力疾走する蒼井優大変だったろう。

そしてそんなマコトの幼馴染で密かに恋心を抱いてる男ワタル役が新井浩文なのである。
今回も3つの話で構成されているのだが、主な登場人物は蒼井優と新井浩文だけという感じで私としてはそういう設定は凄く好きなのだ。
どうしても前回の話と比べてしまうが前回の話が大変巧妙な創作で甘いラブ・ストーリーだったのに比べ今回はかなり荒っぽくてジョークがきついんだけど私の好みとしてはこちらですね。
惜しむらくは高須氏が事前に「すべてはこのオチのためにある」みたいなことを言われていたのでよーしと構えてしまったのが(笑)
そう知っていても面白くて巧い騙し方だった。「あれ、じゃどこから嘘だったのかな」みたいな。マコトらしくていいなあ。こういうの好きです。

可愛いマコトに恋してるワタルの新井浩文がまた可愛くてよかったし。といっても新井さんってどっか怖いとこがあるのだよね。どっか冷めてる感じが。その辺が好きなんだけど。

蒼井優はほんとにとことんウマいっす。そして可愛いっす。

前回とは違う写真家さん、飯田かずなさん。カラフルな色使い。写真というのも色んな演出があって面白いなと感心してしまった。

この作品のタイトル「バライロノヒビ」こういうカタカナだけの表記って最近流行だけどさすがに「バライロ」は「薔薇色」だと思ったけど「ヒビ」って壁とかにぴきーって入ってる割れ目かと思った。『薔薇色の割れ目』なんかいやらしいか?
その意味でもいいのか?

しっかしこの灼熱の真夏に冬のドラマを観るのはそうとう辛い。逆はそうでもないがストーブをつけた上にコタツに入ってその赤外線を見せられた日には。我慢大会じゃないんだから。アツアツ。

あ、ぜんぜん関係ないけどよく「日本の電線だらけの空は醜くて嫌い」とか言う人がおられるが私はあの電線だらけの空が凄く好きだ。
全部地中に入ったら寂しくなる。侘びしさがあってすごくいいと思わない?

監督:タカハタ秀太  脚本:高須光聖 タカハタ秀太 出演:蒼井優 新井浩文
2008年日本




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2008年06月25日

新井浩文についての告白2

ぼくなつ.jpg

というわけでレンタル&購入できる範囲で新井浩文作品を観てしまった。今はネットで動画を観ることもできるからも少し作品観れそうだが一応すべて観たというところ。
いやー作品面白かったし、新井さん観れば観るほど好きになってしまいますねー。勿論惚れこんでしまった『青い春』の若い頃も(ってまだ若いですが)ステキですが最近のでれっと疲れた感じで少し肉がついてきたのもまたひとしお魅力を増しておられます。好みなのですわ。
髭&もしゃっとした髪型もいいです、ふふふ。
出演している映画がかなりの確率で好きな分野なのは嬉しい限りです。

また近々蒼井優主演作品でも観れるし『ぐるりのこと。』も凄く期待できそうな感じなので(すみません、映画館に行けないのでDVD待機中)もー嬉しいばかりです。
昨日松山ケンイチ=L観て新井浩文観ると身長は同じくらいですが漂う雰囲気なんかが物凄い違うのでくらくらしそうです。
松ケンくん綺麗だけど、申し訳ないけど浩文さんの色っぽさにはまだ達していないのだよなー。頑張ってほしいものです。(余計なお世話ですね、すみません)

で、ちょこっと探してたら早速こういうの見つけてしまいました。これもいいなあ、映画にして欲しいっす。

『ぼくのなつやすみ3』特別企画中島哲也演出「いま、夏休みの大人たちへ」
タグ:新井浩文
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『ガリレオ 3』第5・6話

cap181.bmp

TVドラマ『ガリレオ』放送中一切観てないが、第6話「夢想る」に新井浩文さんが出演していたのでそれのみ観ることにした。

と思ったのだがちらっと見たら第5話「絞殺る」に大後寿々花ちゃんが出てたので急遽観ることに。モチロン松ケンと共演した『セクシーボイスアンドロボ』でファンになってたからである、
とりあえず、こちらの感想を言うと大後寿々花ちゃんは少し成長してるんだけどまだまだあどけない顔立ちでしかも性格はしっかりしてるというギャップが面白いのだった。『セクロボ』また観たいなあ。
さてこのドラマは福山雅治が天才的物理学者で四角四面の発言ぶりと感情派刑事(そんな言い方あるか)の柴咲コウの掛け合いが面白い、という奴なのだろうな。柴咲コウはまだいいとしても福山にはまったく興味を持たない自分なので彼が活躍しているとこは早送り。
謎解きは大好きなのでこういうドラマを観るのは嫌いではないがそれにしてもなんだかなあ。弓矢のトリックは成功するのかどうかは私にはわからないものの面白いとは思うけど、何も知らされていない奥さんが突然ホテルでダンナがベッドに横たわっているのを見て冷静に手紙を読むかなあ。しかも深く愛し合ってるという設定なのだ。まず手紙なんぞ目にはいらないまま助けを求め、救急車を呼んでしまうと思うけどね。まったくの他人なら却って読むかもしれないが、愛するダンナでしょう。まだ助かるかもしれない、と思わないのか。医者でもないのに。
まあお遊び的に面白かったかな。でもまだ『コナン』のほうが面白い気がする。

さてさて本命の第6話「夢想る」
なにこれ。新井浩文の出番が少なすぎる!!!(泣)だから福山見たくないって。(っていうわけにはいかないか)もー新井さんが湯川さんならいいのに(って無理だろ)でもまあ、なんか犯罪者でいつもの新井さんらしいとも言えるし、物凄くサイケな衣装でいつもと違う感じも観れて楽しかった。もじゃもじゃ髪似合っててすてきさ。
謎解き的には一体どういう理屈なのか、納得していいのかどうかよくわからん。水に浮かぶ文字にいたっては何故そこまでしなければいけないのか不可解。
それに閉じ込められた原因って福山だろ。てめえがのこのこ来るからいけないんじゃないの。ここんとこまったく計算できてないよな。二人が会った時点でどうこうしてもよかったんじゃねえの。なんで柴咲が謝るのかわからない。
話のすべてが破綻してるとしか思えん。言いたいことはわかる気もするがもっと話をよーく練りこんで欲しかった。人間関係の説明が適当すぎるんだもん。
ま、いいか。とにかく新井浩文のサイケな占い師姿を観れてうれしかったです。

出演:福山雅治 柴咲コウ(RUI) 北村一輝 品川祐(品川庄司) 林剛史 福井博章 伊藤隆大 渡辺いっけい 真矢みき 大後寿々花、新井浩文
2007年日本
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2008年06月23日

『青い春』豊田利晃

青い春nn.jpg青い春d.jpg

読み返してはいないんだけど、一回目観た時の記事もめろめろで書いてたんだよね。
でもそん時はさ、まだ新井浩文のことも知らなくて松田龍平が好きじゃないという状態で観ててそれでもぐさりとやられてしまったんだった。2度目観ると感動が以前ほどじゃなかったりする時もあるけど、これに関しては(1度目がめろめろだったうえで)それ以上に打ちのめされて観てしまったよ。

まあどうなるのか知ってっからもうただひたすら青木と九條の顔を見てたんだけど。
ただひたすら青木の九條への告白の映画なんだよな。
青木はもうずーっと九條が好きで好きでどうしようもないくらい好きなんだけどさ、うまくそれが言えないんだよね。
そりゃ男が男に「好き」って言うのはちょっと難しい。彼の場合は恋愛というんじゃなくて友達として好きなわけだけど、でも唯一無二な関係になりたくて九條にそれを言って欲しいんだよ。「お前は他の奴とは違う。お前とはずっと一緒だ」って。でもそれを言うのも恥ずかしいし、どう言っていいのかわかんないの。
馬っ鹿だなあ。言えばいいのにさ。
九條が青木に「どこか行っちまえ」って言った時青木は「ここが大好きなんだよ」って叫ぶけど「ここは」の部分は「お前が」って言うべきだったのに。

屋上で九條に髪を切ってもらってる時の青木の嬉しそうな顔ってないよね。
「アー、シアワセ。この幸せがずっとずっと続けばいいのに。もうこのまんま屋上に九條と一緒にいたいよ」って思ってる。九條もしゃべりながら青木の髪切っててなんか楽しそうだし。間違えて切っちゃっても「おいおい」って言ってるだけだし、青木。

どっかで青木がうざったくなってしまった九條と自分から離れていこうとする九條を青木は怖れはじめる。
九條を振り向かせる為に青木が取った行動はまるで子供みたいなこと。嫌がることをしたら九條が来るんじゃないかって。九條の冷たく動かなくなってしまった心を青木は動かしたかった。自分のところへ来て欲しかっただけなんだ。
放課後、九條が帰っていくのを屋上から青木がじっとみている。じっと見て九條が来るまでここを動かないって思って屋上の柵を握りしめながら意地で立ち続けている。日が暮れて真夜中になり星が動き朝が来ても。ずっと。

朝になり九條が登校してきて青木はベランダゲームを始める。
九條より多く手を叩いたらきっと俺のところにきてくれる。そう思って。

九條、俺も連れていってくれよ。

九條はやっと気づいて走ったけど、階段を駆け上がって転んで柵を越えて走ったけど。間に合わなかった。

青木が残した影の上に桜が舞い散る。
青春ってそんな時間。

今観てると松田龍平はかっこよくてさ、青木が惚れるだけの男に見えちゃうんだよ。クールで。クールだから好きなのに自分にだけは優しくして欲しいんだな、青木。
ずっと馬鹿やっていられたらな。九條はいつもかっこよくて人の上に立つ奴で自分はそいつの一番の友達って言ってほしかった。
青木の願いはそれだけだったのに。
青木が可愛くてせつなくてどうしようもない。
馬鹿だなあって思うけど。

一度目に書いた文章とそっくり同じか違ってるか、わかんないけど、こんな感じだった。
馬鹿馬鹿って思ってしまうよ。

新井浩文をずーっと観てきても一度これ観て。やっぱりこれは凄くいい。これだけ観るとあんまりよくて新井=青木でなくなれるのかと思うくらいだけど。
ちゃんと違う方向へも行ってることはもうわかってるから凄いや。
『ゲルマニウムの夜』は違うしね。
これと『ゲルマ』のどちらがいいか、というのは苦しい。っていうか、主演だからそりゃ新井浩文的には『ゲルマニウムの夜』のほうがいいんだけど、これの青木はもう何かと比較できないくらい自分の中で愛しい奴なんで。
大好きだよ、青木。

青木と九條が煙草をつけあうとこはキスの意味だよね。殴り合いがラブシーンだし。青木がニワトリ野郎って罵られるのは勿論オカマ野郎って言われてんだけど。


監督:豊田利晃 出演:松田龍平 新井浩文 高岡蒼甫 大柴祐介 忍成修吾 山崎裕太 塚本高史 KEE 鬼丸 小泉今日子 新井浩文 大柴裕介
2001年日本
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2008年06月22日

『GO』行定勲

go.jpg

久し振りに観た。歯切れのいい展開、台詞回し。窪塚洋介がびんびんにかっこよかった頃だなあ。

在日朝鮮人である主人公・杉原の日本人少女とのラブ・ストーリー。脚本も演出も申し分ない出来栄えの楽しい映画なのだ。「これは僕の恋愛に関する物語だ」と主人公が何度も念を押すのだが、実際に面白いのは彼女との恋愛部分より、父ちゃん母ちゃんのアツアツぶりだとか、喧嘩早い主人公の親友が学校一の秀才で杉原に落語からシェイクスピアまで教えてくれるとこだとか、何と言ってもボクサー親父との喧嘩シーンは印象的なのである。このシーンが凄くよかったので私はこの行定監督と言う人はアクションが得意な人なのかと思っていたのだが、特にそういうわけでもないようで逆にびっくり。凄くかっこいい殴り合いだと思う。
日本人少女とのラブ・ストーリーは、一風変わったところのある美少女に杉原が惹かれていき、とてもうまくいってたのに「僕は日本人じゃない。国籍が韓国なんだ」と打ち明けたところで突然彼女の態度が変わって別れてしまい、半年後彼女からの電話で再会し、再び打ち解ける。というところで終わっている。
ラストシーンでいつも巧く飛び越えていた門の柵を杉原が飛び越え損ねて転んじゃうのが何とはなしに未来を予感させもするし、彼女の父親の中国・朝鮮韓国人への差別意識を聞かされた以上、困難は絶対やってくるのだろうな、と判っている。
それらをもうしっかり認識した上で少年と少女は雪の夜を笑いながら進んでいく、うまいラストなんだよね。

とにかく彼女との恋愛物語なのだが、杉原=クルパーと親父の関係、そして秀才の友人・ジョンイルとのつながりに惹かれてしまう作品なのである。作品の冒頭にも出てくるのだがクルパーがジョンイルから借りたシェイクスピアの一節「薔薇の名前が変わってもその香りは同じ」という言葉はぐっときてしまう。

さてさて新井浩文はこれが映画デビュー作のようだ。杉原が日本人の高校へ行く以前、同じ朝鮮人学校にいた。短髪で喧嘩早い奴なのだ。
その後の彼のイメージの原型みたいな感じだろうか。
それほど印象的な場面はないのだが、朝鮮語を話しているのを観れたのがよかったかなー。
それにしても新井さんの作品はデビュー作からしてスゲエ面白い映画なわけでなんだかそういうとこでも感心してしまう。

監督:行定勲 出演:窪塚洋介 柴咲コウ 大竹しのぶ 山崎努 山本太郎 キム・ミン 新井浩文 細山田隆人 村田充 大杉漣 塩見三省 萩原聖人
2001年日本



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『少年たち3』第2話〜第5話

少年たち.jpg

第1話では少々退屈を感じたが2話〜5話は一気に鑑賞。非常によくまとまった優れたドラマであった。
とはいえ、自分は『悪(ワル)』なものに惹かれる性(サガ)であるゆえ、こういうまっとうなドラマが大好きとは言い難いわけで(ムロンこれはドラマの中の話なので実生活とは違う。大人の脳で考えてもらいたい)あるが、それでもなかなか涙したりさせられたのであった。特に可愛いサユリちゃんの話はぐっときてしまう。彼女の母親が本当に更生したことを願いたい。どうしても信じきれない自分なのであった(ドラマ中に母親の暴力シーンがあったら、殴ったり煙草の火を押し付けたり、火傷させたり、などを見せられたら視聴者としてはその女を信じるなーと叫ぶだろうが、そういう場面が一切なかったのでいまいち騙されている気がするのだ。かなり年上のお兄ちゃんが一緒だから少しはいいが)
若干、こううまく行くかな?という気もするがそれでも正義感溢れる主人公の行動力は観ていて楽しいものであった。
沢田老人はいいんだけど自分としてはちょっとウザいところもあるわけで。しかし彼がいなくて広川一氏だけでは他の少年はいいとしても北川少年のようにまでなってると出会ってすぐの男にそうそう心を開くものでもないだろうから、その辺でどうしても必要な役だったのだろう。
実のところ、私としては新井浩文演じる北川と沢田老人の関係のみが深く描かれているドラマが観たいわけである。
男同士の関わりというのをやらせたらもうたまらなくいい新井浩文なのであるが、このドラマでもしっかりそういう関係を成り立たせていたのだとちょっと興奮気味の自分なのであった。
北川を追いかけていくなら必ずその体に刃をつき立てられると判っていながら彼を放っておかなかった沢田老人。その愛情をためすかのように沢田老人にナイフを向けずにはおれなかった北川の心の揺れが狂おしく感じられる。映画だったらこの箇所に焦点をあてて描けたのになーと思うわけなのだが、それでも沢田老人と北川少年の心のつながりには、びんびんと共鳴してしまうのだった。
そしてこれが映画へと向かったのが新井浩文主演映画『ゲルマニウムの夜』なのだろう。あの中で沢田老人は罪の子・朧の懺悔を聞く神父へと姿を変え、再び苦しむことになる。そういえばここでの新井浩文の不良ぶりは他の映画での不良姿と違い、『ゲルマ』の朧に似通っているのは偶然だろうか。ほっそりした美しい少年のイメージなのである。

ここまで新井浩文の朧と重なるイメージを以前のドラマで観れるとは思ってもいなかったので実に嬉しい驚きだった。
おまけに自分はモーターサイクルライダーに惚れる癖があるのでその意味でも落ちてしまったのだった。

というわけでドラマ自体の出来栄えも感心できるものだったし、新井浩文鑑賞としては思いがけずも涙モノだった。

ドラマとしてはなんといってももたいまさこさんの裁判官は特筆すべき。彼女の裁判官ぶりはもっとたっぷり観たいほどだった。時間が短すぎる。彼女の裁判官シリーズも作ってもらいたいものだ。

演出:岡崎栄、磯智明、田中正  脚本:矢島正雄  出演:上川隆也 麻生祐未 新井浩文 成宮寛貴 佐々木和徳 遠藤雄弥 小林桂樹 金田明夫 浅野和之  近藤綾子
2002年8月17日から9月9日まで放映。全5回。
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2008年06月20日

『少年たち3』第1話

少年たち3.jpg

数年に渡って数話ずつ放送されたNHKドラマ『少年たち』の第3弾。

家庭裁判所の調査官・広川一(上川隆也)が先輩である小田朋子(麻生祐未)のいる中信濃支部へ転任するところから始まる。
正義感が強く大らかな感じの広川さんは前知識がなくともすんなり観れたが、先輩の小田さんがややテンション高めでちょっと掴みきれない。観ていけば慣れてくるのかもしれないが。
昨日まで観ていた同じくNHKドラマ『クライマーズ・ハイ』とは違い、いかにもドラマというのんびりした雰囲気。
その上判り切った展開、というのが続くので少々苛々したりもする。
おまけに新井浩文が全然出てこない。もしかしたら同姓同名か、勘違いか、と思ってたらかなり後の方でやっと数秒。
2002年ドラマなので凄く若くて細くてかっこいい。モチロン、不良役だ。金髪だし。出演なしだったら、怒りまくりだったが数秒でも観れたからいいや。

たいして深いつながりもない若者達がつるんで親父狩りをしたのは何故か、という物語(この少年たちの中に成宮寛貴がいる)
その内の一人の少女が中年男をメールで呼び出し、まんまとやってきたところを少年4人がぼこぼこにして金を奪っていたのだ。被害にあった男が警察に訴えたところ、その少女が自分の娘だったという話。少女は父親だとわかった時「殺してもいいよ」と少年たちに言うのだ。
まだはっきりとはしてないが他の少年にも親たちへの憎悪があり、その感情が彼らを結びつけている、という話のようだ(まだ先は観てないけどね)
少年の一人はまだ小さな妹と二人暮らし。母親は男と別居していて、妹を連れ帰っては暴力を振るうのでまだ16歳の兄は新聞配達をしながら妹を守っているのだが、この事件を犯してしまうのだ。

頼りない大人達と迫害を受ける子供達、それらの摩擦から生まれる犯罪が絶え間なく繰り返される。
ドラマそのもの、というより実際の世の中の事件について考えさせられてしまう。

第1話目だからか、くどさを感じさせられるがどういう展開になっていくのだろうか。
新井浩文の話はまだちらりとしか出てきてないし。新井演じる北川晃一が沢田虎一(小林桂樹)に金をせびりに来て、次の場面で沢田老人が顔を腫らしているのである。
広川氏と先輩の関係もよく判ってないし、次の話が楽しみである。

親父狩りにあってた最初の親父が蛭子能収さんだったのがおかしい。まさか蛭子能収さんが。

演出:岡崎栄、磯智明、田中正  出演:上川隆也 麻生祐未 新井浩文 成宮寛貴 佐々木和徳 遠藤雄弥 小林桂樹 金田明夫 浅野和之 近藤綾子
2002年8月17日から9月9日まで放映。全5回。
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2008年06月19日

『クライマーズ・ハイ』清水一彦(前編)、井上剛(後編)

クライマーズ・ハイ.jpgクライマーズ・ハイ2.jpg

DVDが全編・後編で分かれていたので二夜で観ていくつもりがあまりに面白くて一気に観てしまった。
タイトルの『クライマーズ・ハイ』は危険な山登りをしている時、気持ちが高ぶりすぎて危険を危険と感じることもなくなってしまい一気に登っていってしまう状態のことをいうとのこと。怖ろしいのはその高揚感が切れた時。もしまだ登山途中ならもうその場から動けなくなってしまうのだと言う。
ドラマの中で登山ではないのだが、気持ちがその状態になってしまう状況が表現されている。またこのドラマ自体が物凄いハイスピードで展開していく為に観る者もハイな状態になってしまうようだった。

もしかしたらもう少し長く時間をとって余裕のある構成作りをした方がよかったのかもしれない、と思うほど中味がぎゅっと詰め込まれた感のあるドラマで出だしなどかなり集中力が必要だった。
非常に面白いエンターテイメントであると同時にそれだからこそ考えさせられる部分もある。
物語の始め頃と終わりにつながりのあるエピソードが語られる。地方の新聞社に務める主人公・悠木(佐藤浩市)が部下に命令を下すのだが、それがもとで(と悠木は思った)部下が事故死するのだ。
その数年後、世界最多の死亡者を出す日航機墜落事故が起き、全権デスクに任命された悠木はそれに没頭する。
その途中でかつて事故死した部下の従姉妹という少女が悠木に「大きな事故だけが騒がれ、小さな死亡事故は問題にされない」という投書を絶対に新聞に載せろと詰め寄るのだ。
原作者・横山氏は実際に新聞記者をされていた、ということで実際にあったことかもしれないがなんだか妙にひっかかるエピソードなのである。

この話は少女という形を借りた作り手側の言い訳(というのが問題なら釈明)のように思える。
少女の従兄弟である事故死した青年は「事件・事故の被害者の写真を何故載せる必要があるんですか」という疑問を持っていた。
そして少女の事故の大きさによって扱いが違うという疑問。
それは報道が商売である以上当たり前のことなのだが、反面携わる人々にも葛藤があるのだということがこのドラマで語れていくのだ。
「凄い事故だ。売れるぞ」と言いながらこれでいいのかと自問する。
その答えが架空の少女の告発という形で表現される。飛行機事故の遺族からの怒りの声と少女からの反省の電話ということで決着するのだ。
この時の悠木氏の行動はかなり手酷い。こうなることは明らかだったはずなのに少女の投書を掲載し、同時に飛行機事故で亡くなった人の最後の手記を掲載する。少女は己の考えの間違いに狼狽するという結末になっている。なんとはなしに「告発するとこういうことになるかもしれないぞ」と釘をさされたようである。
無論、当の悠木氏もミスを犯した、ということで山奥の会社(ってなんだ)へ左遷されることになるのだが、却ってそこで悠々自適の登山生活を始めることになるのだから、よかったのである。
長々と苦言を書いてしまったようだが、面白い話の中にさりげなく自分の思い(原作者、報道者、ドラマ制作者全部の)を語ってしまうとは巧いものだと思ったのだ。

さて以上は前置きなのだが(長すぎ)エンターテイメントとしての部分は(いくら言い訳してもやっぱり面白い話として観てしまうのだ)見ごたえたっぷりだった。
新聞社というのはとんでもなく忙しく荒っぽい所だというイメージがあるがそのとおりの慌ただしさと人間関係の険悪さがどろどろに漂っていてこんな場所自分は絶対ご勘弁だが、観てる分には物凄く面白い。ホントにあんな嫌な社長がいるんだろうか。他のも凶悪なのばかりで松重豊さんだけが頼りだわ。販売部ってなぜあんなに険悪なのか。
今現在もそうなのかもしれないが少し前の男の世界、という匂いぷんぷんである。
少し前、と言えばここには携帯電話が存在しない。携帯電話がでてくるドラマが大嫌いな自分なので嬉しいことであるが、「貧乏会社じゃ通信機器も買えない」といちいち公衆電話の場所まで走って電話をかけ、電話の前でかかってくるのを待ち構えているのを見るとさすがに携帯電話の普及というのは世の中を変えたのだな、と確認してしまう。
でもドラマ的にはやはりない方が盛り上がるではないか。

思うように行かない家族との関係、登山仲間・安西(赤井英和)との友情、などもこの忙しい墜落事故担当の数日間にめまぐるしく関わってくる。そして会社内での確執、報道者としてのプライド、地方新聞社ということの劣等感。先述した少女との問題。
上司たちとの大喧嘩、焼肉屋での罵りあいの後、なにか通じ合う心のつながりを感じる男達。
会社での軋轢、反抗的な長男に心痛める父親に優しく話しかける小さな娘の「お父さんも優しいね」という一言で突然我慢していたものが崩れてしまい泣き出してしまう悠木。人間って罵られるより、優しい言葉をかけられた時が泣いてしまうものだ。
そういった戦いに日々を送った40代の悠木と60歳になった悠木が友人の息子と登山する話が織り込まれていく。
まあよくこの150分間のドラマの中にこれだけ盛り込めたものである。色んな意味を持った力作なのであった。

さてさて、ムロン、このドラマを観たのは登場人物の中に新井浩文さんがいる為である。しかも大森南朋と一緒だ。しかもいつもくっついてる役であった。ふっふっふ。
今までの作品とは全く毛色が違うので役柄も台詞も大人びて(やっぱり口は悪かったが)新たな魅力だった。なんと言うことはないのだがなんでだか妙に色っぽいのだよねー。
大森さんと組んで記事を書く仕事をしていくのだが、これが結構おいしい役なのだ。事故原因を突き止めるという核心をつくのだが気弱な悠木の判断が災い(かどうかはわからないが)となってしまう。
この辺は特に緊張感を持った山場になっていく。
自分的には新井さんと大森さんが出会う場面なんかが変に意味ありげでにやにやしっぱなしだったという楽しみ方をしたのだが。

ところで新井浩文DVD鑑賞で殆どのが簡単にレンタルできたのだがこれだけはなかなか借りれなくかったのだ。ちょうど映画版が公開前ということか、NHKドラマであるこれが凄い人気だからなのか、判らないがそうなるだけの面白さだと思う。佐藤浩市はじめ出演陣も怱々たるものだ。映画版はこれ以上に面白いものができるのだろうか。心配でもある。

演出:清水一彦(前編)、井上剛(後編) 脚本:大森寿美男
2005年日本・NHKドラマ



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2008年06月18日

『血と骨』崔洋一

血と骨.jpg

もうなんだか何回も観てるような気がするが。今回は勿論、新井浩文が金俊平の息子役だということで再観。
ここでの彼は表面的には真面目な善人(という形容も言い難くはあるが)なのだがその体には父親・金俊平の因子が含まれているのだ。

この作品は映画を観る前に原作を読んでいてその頃ちょっと小説から離れてたんで久し振りに読書したんだけど、面白くて面白くて貪り読んでしまったのだった。
その後映画化されバイオレンスジャックなイメージの金俊平(何しろデカイ男なわけよ)が北野武だったんでえーとなったんだがいざ映画観るとこれがぴったりなんでまた驚いてこれも映画の出来が原作と自分としてはばっちり合ってたんで崔洋一監督に感嘆したんだった。
でまた観直したんだけどやっぱり面白くてしょうがないの。他の感想では暴力が酷い、重い暗い、というのだけど自分的にはわりとあっけらかんと乾いてて吹き出すほどおかしい場面もあるし、とても楽しく観てしまうのだよね。そりゃ映画として見てるからであって実際俊平が夫やら父やらではごめんだけど。
鍛えてはあったけど小柄なタケちゃんがメチャバイオレンスなのもおかしいし、鈴木京香さんみたいな美女を妻にして手篭めにしたり他の女を連れ込んだりスゲエ雄々しいのも笑えるし蛆のわく豚肉を食べてしまうのも強烈な笑い話みたいだ。
若き俊平が朝鮮から大阪に船でやってくる場面は『ゴッドファーザー』みたいでもあるが話はむしろ昔読んでいた中南米の小説を思い出す。
俊平はまるでマルケス『エレンディラ』の御祖母ちゃんみたいな業突く張りの死にぞこないだし、登場する女たちは男たちに強姦されるしかない運命、男たちは暴力でのみその人生を渡っていく、荒くれた運命のイメージが中南米の物語を彷彿としなくもない。
どうしても日本では日本や欧米の時としてタガが外れることはあるものの統制された理屈の世界しか理解しがたいのだが、実際にはこういった理論の通らない性と暴力の中で生きているのではないか。
俊平の行動は異様のようにも思えるが、その実彼は男性性の戯画化とも見えるのである。
彼の子供である長男は殺され、長女は自らを殺し、三男は父の死を見ながら飯を食っている。物語の語り手である俊平にとっての次男・正男は己の体に父を感じて怖れているのだ。

物語は正男によって淡々と乾いた笑いと視線で語られる。その感覚が自分は凄く好きでしっくり来てしまうのだ。
可哀想な運命の長女・花子がずっと父親・俊平に虐げられ、死んでなお父の暴力でおちおち死んでもいられずあちこち死体を運ばれる場面はかなりのブラックユーモアで何度観てもおかしい。
若い俊平が日本を目の前にして何らかの希望に満ちた目をし、壮絶な人生を過ごし、多大な寄付を母国にした老後、惨めに死んでいくという最後は最大のブラックユーモアなのだろう。

先に『ゴッドファーザー』を思わせるが、と書いたが、この作品はゴッドファーザーというよりむしろ鈴木京香の李英姫のゴッドマザーの力のほうが強いのかもしれない。
どうしても表面的には暴力を振るう俊平に注目してしまうのだが、彼異常に母親・李英姫の生命力の強さに目を見張ってしまうのである。またそれを演じた鈴木京香の美しさ、強さには見入ってしまうのである。

いつもはどうも感心できないオダギリジョーがこの作品では凄くいいのではないだろうか。美形というのはこういう狂った運命の破綻した性格の人間というのがよく似合う。
一番おししい役の高信義:松重豊。李英姫をひたすら慕い続ける一途さにはやっぱり打たれる。
正男役の新井浩文。もうここでは新井浩文とかいうより正男としか見ていない。
誰かを演じているというより正男だった、という感じ。でもやっぱり背が高くてすてきだ。自転車で張賛明に甘えるように二人乗りしていくとこが可愛い。

監督:崔洋一 出演:ビートたけし 新井浩文 田畑智子 オダギリジョー 松重豊 國村隼 鈴木京香
2004年日本


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2008年06月16日

『さよなら、クロ 〜世界一幸せな犬の物語〜』松岡錠司

クロ.jpg

自分はよく映画を作られた年代に沿って観ずに逆に観てしまう悪い癖があるのだが、今回も昨日観た『69 sixty nine』(2004年)に続いて『さよなら、クロ 〜世界一幸せな犬の物語〜』(2003年)と観てしまったためにこの泣けるはずの映画を観ながら大笑いという失敗をしてしまった。
いやもうこの映画を愛する方には以下を読まれるのはお止めしたい。すべては自分が観る順番を間違えた、ということで。

たまたま逆順番で続けて観た『69』と『クロ』(ん、これってタイトルもそのまま逆じゃん、偶然!オモシロ!)主演:妻夫木聡で脇を新井浩文が張るというのは同じ(時間は随分違うが)で結構他の出演者もカブっているのが非常におかしいのである。
しかも観始めた『クロ』は一体いつの時代の話なのかと思ってたらこれも60年代で『69』と同時期なのだ(数年違いはあるだろうが)
同じく60年代日本が舞台で同じ高校生で長崎県佐世保市と長野県松本市のこのギャップの物凄さはなんだろう!しかし佐世保市はばりばりの方言なのに松本市は完全標準語だ(嫌味を言っております)
片方のブッキーはキレまくりでバリ封鎖だの米兵のH現場の覗き見だのやりまくりで片や犬君の体を案じてあちこち彷徨い歩いてね。新井浩文にいたっては優等生からド不良への変身だ。ブロークンハートなとこは同じだったが。
すみません、違う映画なんだから比較すべきじゃないんですが。たまたま連日で観た映画が同じ出演者でまるでワザとらしい逆さま世界だったのであまりのオモシロさに一人感心してしまったのである。

とはいえ甘い顔が苦手に思えていた妻夫木くんは昨日の『69』ですっかり好きな人になっていたので今回もなかなか好青年に見えてよかったよかった。
新井浩文はここでは不良の面をとって妻夫木くんと仲良しであり恋のライバルである優等生を演じているのだが、なにしろ前半で退場してしまうので自分としては物凄い不満なのであった。
新井浩文は多くの出演映画での不良の面とこれや『天国の本屋』みたいないい人な面を演じているのだが、主演映画『ゲルマニウムの夜』での不良なのだけど頭の切れる繊細な表情そして『松ヶ根乱射事件』でのいい人のはずなのにどこかキレていってしまう、という変化があってすごく面白い。
主演に近づくほど微妙な役作りになってるわけで次はどんな面を見せてくれるのかと期待してしまう。

妻夫木くんは『ジョゼと虎と魚たち』での弱虫役も今思うとなかなか味わい深かったなーと感心してるわけなのだが、またいつか観る機会があったら今度はもう偏見なしで観れるなと思っているのである。
それにしても伊藤歩さんはうまいっすね。彼女が出てるととてもいい作品になってしまうようである。

『クロ』の映画自体に関しては確かにクロちゃんが凄い可愛かった。『69』との比較で笑ったりしたがそれでもやはり60年代の高校生たちの真面目な性格や行動がとても微笑ましい。
だがなんだかただ思い出話として描いているようにも思え生々しい心が感じられなかった。こういう話なら時間を現代に置いて誰かが誰かに昔話をするような構成にするとかが好きなのだが。
話があまりにするすると進んで澱みも屈折もなさすぎる。一番の事件は新井浩文=孝二の事故死になるのだが、ある意味この死で三角関係のどろどろが消えてしまうのだから綺麗すぎるじゃないか。
やはりどうしても佐世保と松本の人間性のギャップに驚かざるを得ないなあ。
佐世保ってスゲエ。っていうことか。
孝二くんも生きてたら東京の大学で学生運動できたのにねー。

監督:松岡錠司 出演:妻夫木聡 伊藤歩 新井浩文 金井勇太 佐藤隆太 近藤公園 三輪明日美 田辺誠一
2003年日本
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2008年06月15日

『69 sixtynine』李相日

69.jpg

観たいなあと思いながらも主演が妻夫木なのでなんだか二の足を踏んでいたのだが、これも新井浩文が出演していたと知って急遽鑑賞。
ところがこれの妻夫木はよかったねえ。これで彼を知ってたら大好きになっていたかもしんない。

妻夫木はまあネイティブといってもいいだろうから(福岡県柳川出身。本来なら地元ということで応援すべきなのにごめん)とにかく佐世保弁が非常に聞きやすくてしっくりいってたし、他のなにより(というほど観てないが)生き生きと魅力的だったんではないだろうか。全く容赦なしの方言のみの作品だったので佐賀出身の自分には非常にわかりやすい言葉だった(佐賀人には佐世保弁は福岡弁より聞きやすいのだ)なにしろ標準語の映画だといちいち九州弁に翻訳してから出ないと理解できないので(←嘘)楽しい映画だった(気のせいか、九州舞台の映画って多くないか?)方言に限って言えば安藤くんは「より方言がきつい」という役なんだけどこちらはその効果がいまいち出てなかったような。仕方ないけどね。でも他地方の方には充分だったのかな。

69年という時期もあるのだろう。熱い青春映画である。今の高校生ならこんなに熱くはなれないのかも。暑い佐世保の夏に馬鹿ばっかりやってしまう馬鹿な男子高校生たちよ。私はよくある青春映画って主人公が巻き込まれ型(自分はやりたくないのにいつの間にか引きずりこまれる)で好きじゃないのだが、この作品のケンは物凄い行動型で周りを巻き込んでいく珍しいタイプなんじゃなかろうか。
可愛い女の子にも積極的、大学生にも先生にも歯向かい戦い続ける、と思ったら最後のあの一言だもん。どこまでが本当なのかわかんなくなってしまったがもーいいや、それはそれでホラ話なのだとしてもケンのハチャメチャ切れぶりが楽しい。威張り腐った全共闘ぶった大学生にペンキをぶっかけるとこなんかホントに痛快だったもんね。そしてその後、アダマと一緒に全力逃走。学校の授業で走るのは疲れるのにこういうことだとめちゃ走り。橋の上で大学生に挟み撃ち。絶対絶命。川に飛び込もうとするケンに泳げないことをつぶやくアダマ。これは『明日に向かって撃て!』だった。なるほどー。ケンとアダマはブッチとサンダンスだったのだ。だからケンは頭が切れて、アダマはクールだったんだねー。

基地の町・佐世保。『69』ってタイトルがやらしい意味を持ってるが佐世保って響きもやらしいのさ。
エンタープライズ、ベトナム戦争、ロック、今よりは近寄りがたかったろう男女の間、今よりはるかに怖ろしい権力を持っていた教師たち、そんなものがごちゃ混ぜになった69年のケンたち。何かをしでかしたいという欲求を実現させた青春の1ページ。思い切り笑いながら時には目を背けながら楽しませてもらった。

方言も愉快だがその当時の懐かしい風物がいっぱい盛り込まれているのが楽しくて。11PMだとか、『もーれつア太郎』『狼少年ケン』コップのデザイン、冒頭のアニメーションのデザインもそういう感じ(『007』みたいなの)
ケン自体が今じゃなくやっぱり当時の高校生なのかなあ。

さてお目当ての新井浩文さん。出ましたア。お決まりの可愛い不良高校生!まだ凄い可愛い頃なんだワ。
強がって登場したのにケンとトマトジュースをラブラブダブルストロー飲み(アレってなんて言うの?)させられて。
思った以上に出番が少なかったのが残念だったけど、これも思いのほか妻夫木がすてきに見えたのが収穫だった。これから見る目が違ってくるね。安藤政信さんはいつもステキだけどここではクールなハンサムという役どころだったので特に魅力溢れてた。サンダンス役は絶対お得なんだよ。かっこいい。

監督:李相日 出演:妻夫木聡 安藤政信 金井勇太 水川あさみ 太田莉菜 三津谷葉子 新井浩文 井川遥 村上淳 加瀬亮 星野源 三浦哲郁 柄本佑 柴田恭兵
2004年日本
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2008年06月14日

『ゲルマニウムの夜』大森立嗣

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花村萬月の『ゲルマニウムの夜』を初めて読んだ時から朧の魅力の虜になってしまった。何度も何度も読み返しこれが映像化されることは不可能だろうなあと思い込んでいた。
そのくらい感情を込めてしまった小説というのが映画になった時、失望してしまうことが多いのではないだろうか。だがこれに限ってはまったくそういう気持ちにならなかった。
画面に登場した新井浩文は私にとって朧そのものだった。

再観して気持ちが変わるのだろうか。いや、前以上に映画の中の世界をゆっくりと堪能することができたし、彼の作品を観続けた後再会した新井浩文の朧はやはり朧だった。
北の国の冷たい空気と降り積もる雪はそのまま朧の精神のようだ。人を殺したために修道院へ戻り辛い仕事を担っていく。同性愛者ではないのにただ言いつけどおり黙々と小宮院長のモノをしごく日常を送る朧。聖女であるシスターとアスピラントの少女との肉体的つながりを持ちながら冷め切っている。仲間の気に入らない行動にかっとなり残虐性を見せる。慕っている老神父の心をも傷つけていく朧。
朧の精神は残虐だ。弱いと見ればつけこみ惨たらしい攻撃を行う。同時に強い者の前では従順となる。シスターを孕ませたことは彼の計算でしかない。美しいアスピラントに対しても性交渉を持つがそれが愛情なのかは定かではない。
朧を慕ってきた美しい少年トオルには優しい接し方をする朧である。だがトオルが朧に対して男色行為を求めても朧にはその嗜好を持たない為にトオルの一方的な愛情になってしまう。
朧は22歳の青年だがまだ大人になりきれていない未成熟な存在なのだ。朧はさまざまな人を傷つけていく怖ろしく危うい子供でしかない。心の中でいつも何かを問いかけ足掻き続けている。彼が受信するのは手作りに小さなゲルマニウムラジオだけ。細い線を伝わってやっと彼の耳に入ってくる小さな音だけなのだ。彼はその小さな音を聞くことで何かの答えを聞くことができるのだろうか。

朧は小さな子供のように残酷だ。そして小さな子供のように純粋でもある。そして偽善への激しい憤りを抑えきれない。それらは人間が大人になるために矯正されなくてはならないものなのだが。
神父は言う「朧が一番宗教に近い」
彼の生き方に人は目を背ける。だがまた彼に酷く惹きつけられる。
それが何故なのか、考えなければならない。答えはたやすく見つかるわけではないが彼と同じように足掻き続けなければいけないのだ。

朧が存在する場所は凍てつく場所であり、鶏小屋や豚小屋のような家畜を世話する仕事場である。
そこには生きているものの強烈な臭いが充満し、生産と共に死が常に隣り合わせにある。それは人間も同じでシスターは懐妊し、神父は死を迎える。人と動物は同じように血を流し、ゲロを吐き、交尾する。
朧は人間でありながらまた家畜でもある。彼は修道院の中で家畜の世話をし、家畜のように従順でなければならない。
朧は苦悩するアスピラントの少女と雪の墓場を通りぬけていく。その向こうにはキリストが十字架にかかっている。闇の中をふたりは通り抜けていくことができるのだろうか。そしてどこへたどり着くのだろう。
朧は泥濘の中を歩いていく。腐った残飯の重みでのめりながら。




幾つかの作品で新井浩文を観た後では何故彼がこんな危険な映画の主演をやったのか、と却って驚いてしまう。内容から酷い偏見を持たれてしまいそうだからだ。
ところがインタビューで新井浩文は「朧はじぶんそのものだった」とあっけらかんと答えていたのでそういう心配をするような人じゃないんだと改めて好きになってしまった。
他人に対する意味もない(と思われてしまう)残虐性と露骨な同性愛描写がいくつもの場面で登場する。日本の(普通の)映画でここまで表現されているのはないのではないか。
小宮院長、三浦隊長との絡みはえげつないものだと言われてしまいそうだし、美少年からフェラチオをされ快感を覚える場面もすばらしい、もとい危険な想像をさせられてしまう。

それにしても『青い春』『ゲルマニウムの夜』と観て好きだったのに新井浩文さんの他の作品も同じようにまさか同性愛的な意味の強い作品ばかりだとははっきり思ってもいなかったのだ。全部ではないが主演に近いほどその傾向が強いというのが凄い。『ゆれる』のように端役だと同性愛的な部分がなくなってしまい残念だった。
新井さんご自身がどうなのかという詮索はこの際やめようと思うが彼のように魅力的な役者がこういう映画にたくさん出ていることだけで嬉しくてしょうがない。
随分遠回りしてしまった自分が歯がゆいばかりだが、『松ヶ根乱射事件』を観てほんとによかった。

監督:大森立嗣 出演:新井浩文 広田レオナ 大森南朋  早良めぐみ 木村啓太 佐藤慶 麿赤兒 大楽源太
2005年日本

寺門孝之氏のポスターがすばらしい。
「シアターパーク」
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新井浩文についての告白

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松山ケンイチに続くようにして新井浩文出演作品を観続けている。知ったのは彼の方が先だが、しかもその時大好きになったにも関わらず他の作品を観ていかなかったのは今更ながら悔しくてしょうがない。ホントにしょうがない自分だがいつもこういうのを繰り返しているのだ。
とにかく新井浩文出演映画作品をかなり観た。中には彼が出てるというのを知らず観ているのもあるのでそれは再観するつもりだが。
たまたま同時期にはまり込んで観てしかも珍しく日本人役者なので松山ケンイチと比較してみたりしたいのだが、とにかく松ケン作品と違って内容的に物凄く自分の好みなのである。年齢的に年上だからというのも関係するかもしれないが作品数自体は松ケンのほうがはるかに多い。数は少ないのに主演に近いほど滅茶苦茶好きな作品が多くなる気がする。
じゃあ松ケン観るの止めろよ、と怒られそうだが、松ケンは未成熟で物凄く悩んでいるのが逆に酷く惹かれてしまうのでとてもまだまだ止められない。

浩文さんのほうに戻るが、ホントにいい作品に出まくっていると感心してしまう。観たもので『GO』『青い春』『赤目四十八瀧心中未遂』『ジョゼと虎と魚たち』『血と骨』『隣人13号』『ゲルマニウムの夜』『松ヶ根乱射事件』はどれも最高に素晴らしい作品ばかりだ。『ラブドガン』も非常に興味深い作品だったし。しかもこのうち主演と記載されているのは『ゲルマニウムの夜』と『松ヶ根乱射事件』なのだが『青い春』と『隣人13号』は主役以上に重要な役だし、『ラブドガン』では主演の永瀬正敏と宮崎あおいより新井浩文と岸部一徳の絡みのほうがはるかに面白かったし(と思うのは私の趣味のせいだろうが)
後日記事を書くことになるが『ゲルマニウムの夜』と『青い春』はもうどうしようもないくらい心底惚れこんで大好きなのだ。
決してハンサムだとか美形だとかいう範疇の人ではないのかもしれないが、長身で体の線がとても綺麗な人なのだ。不思議なほど色気があるし。
これで贔屓の人物(役者&音楽家)のカテゴリが6人になったがイギリス人、アメリカ人各一人ずつはいいとしても台湾人2人青森県人2人と物凄く偏った好みになってしまった。
好きになった日本人役者がなぜ青森県人に偏ったのかはよく判らないが。(そんなこといちいち考えなくていいって?)

新井浩文出演作品、面白くて毎日幸せな日々である。
もうちょっと観ていくことになるが再観作品も含めて楽しみだ。ドラマもあるし。



タグ:新井浩文
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2008年06月13日

『隣人13号』井上靖雄

隣人13号.jpg
THE NEIGHBOR No.THIRTEEN

またとんでもないものを観てしまった。
むろんこれは表面上はイジメの仕返し劇という手垢のつきすぎたテーマのように思えるし、中村獅童氏の狂気が弾けとんだような壊れっぷりを観るのも楽しみなのだがその実訴えたいことは違うものなのだった。

ことの発端は関君だったりするのだが、この人のいい関君が何故13号に殺害されなければいけなかったのか。それは関君が「赤井を殺したい」と言ったからなんだね。
赤井に酷いいじめを受けた十三そして13号にとってこれは味方を得たかのように思えるのだが、このことで関君は彼らに殺されてしまうのだ。それは十三(13号)にとって目的は赤井を殺すことではないから。
小学生時代、赤井から手酷いイジメを受け続けていた十三が赤井を追い詰めていった目的は赤井と仲良くなることだったのだ。
この作品が単にイジメ復讐物語ならあの13号赤井攻撃シーンでさっさと殺すか彼に対する物凄い残虐行為を行って鬱憤をはらせばよかったのだ。だが、残虐行為は彼の息子に対してだけで、赤井を傷つける行為は殆ど行われない。そうしてここで赤井は「悪かった、ごめん」と謝ってしまう。13号の暴力がこれで止まってしまうのだ。
二人の時間が小学生の時に戻り、十三が赤井を反撃した場面となりそれから二人の仲がよくなったことが描かれる。
これはこのバイオレンスな映画を突然ハッピーエンドにまとめてしまったわけではなくこのこと自体が作品の目的だったのだ。

それにしても同性愛的なイメージを盛り込んだ作品なのである。冒頭から小栗旬の美しい裸体と中村獅童のS的な接触があるのでぎょっとさせられるのだがこれは本当は一人の人間の精神なのだからゲイっぽいと思うのは違うのである。とはいえ、映像的にはそうとしか観えないのだからしょうがない。それにしても小栗君の体は凄く綺麗で見惚れてしまう。
やたらと便所が登場するのもホモ的なイメージを湧かせてしまうし、13号が赤井に銃口をつきつけ唾を垂らすのは性的な比喩である。
小学生の赤井が十三の机に置く花瓶がおちんちんそのものでその口からグロリオサがまるで噴出するかのように咲いている。
十三が赤井を屈服させたのもこのおちんちんのような花瓶を使ってであって、床に倒された赤井の側におちんちん花瓶を握りしめて立っている十三の図はまるで彼を犯したあとのようにも見える。
周りには赤いグロリオサの花(血)と水(精液)がこぼれている。倒された赤井はむしろそのことを喜んでいるかのように見えるのだ。
赤井が十三や関君を苛めていたのももしかしたら同性愛的なものの裏返しだったのかもしれない。
工務店で関君が赤井に話しかけるのを見て他の男がからかう「赤井、モテるなあ、お前両刀か」
特に必要な台詞でもないようなのになぜこんな言葉を言わせるのか、それは赤井がそうだということを示しているのだ。
赤井は不良だが妻子を非常に愛していると描かれている。なのに息子を危険な状況に追いやってしまった妻に対し冷酷な態度を示している。
なぜ妻が見ず知らずの十三に大事な息子を預けてしまったのか、これはよくわからないのだがこのことによって十三は赤井への復讐を愛する者を殺害するという形で行うのだが妻に対しては「そういうことをしでかしてしまった」という罪悪感を与えるということで終わっている。無論これは母親にとっては最大の恐怖であり苦痛なのは確かだ。ただこの場面だけは吉村由美の演技がいまいち乏しくて(監督の意志なのかもしれないが)慟哭というようなものにはなっていない。むしろ通常の復讐劇なら赤井の妻に対し肉体的陵辱を与えることが多いのではないか。その猥褻場面が売りになったりするものだが本作では男性の女性との肉体的繋がりがまったく描かれていない(妻が赤井にフェラチオをしている場面がまったく映らないような遠目であるのみ)
復讐の対象となる赤井の子供が娘ではなく息子だというのも同性へのイジメを意識したものになっている。
そして大事な息子を失ってしまうことで赤井の妻への愛情も失われたように思える。


かくして十三は目的を遂げ、勝手に呼び出され勝手に精神の中の小さな部屋に13号は置き去りにされる。ここで十三が13号にキスしているように見える。

そういった隠された本筋を見なくて表面上のストーリーを追っていても面白い映画である。
中村獅童、小栗旬、新井浩文、吉村由美がそれぞれに素晴らしい。
普通はこういう二重人格者というのは一人の役者が二つの顔を演じ分けるのが売りだったりするものだが、ここでは小栗=善、獅童=悪という二人になっているのは二人の裸の絡みを見せたいからだろう。一人の役者が二つに別れて尻を叩いたり、触れ合ったりするのでは色っぽさがなくなってしまう。
13号はなんだか『ツイン・ピークス』のボブを思い起こさせる。この部屋も赤いし。

十三を苛め続ける赤井の大人版を新井浩文がまたも切れまくって演じている。
それにしても新井さんの映画を追い続けて何作品。主演に近づくほど同性愛的な要素が強いのはどういうわけだろう。そういうつもりで観て言ってるわけではないのだが。男性同士の強い絆という話が好きなんだろうなと思っているわけだが、ほぼすべてそういう話なのかなー。いや、心底嬉しいんですが。
ここではいつもにも増してド不良を演じきっている。すげえ上手い。何作か観てきて面白い作品がとても多くて見ごたえあるものばかり。
ますます惚れこんでしまう。
隣人13号の隣人は三池崇史監督だった。

監督:井上靖雄 出演:中村獅童 小栗旬 新井浩文 吉村由美(PUFFY) 石井智也
2004年日本
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2008年06月11日

『ジョゼと虎と魚たち』 犬童一心

ジョゼ.jpg

どういう映画なのかまったく知らずに観始めたのだが、今までに観たことがない映画のように思えてしまった。
何と言っても強がりばかり言い続けるジョゼがせつなく愛おしい。口も悪くて着ている服も(大阪らしいという気もするが)びっくりしてしまうような変てこさなのだ。

ジョゼは脚が動かなくてたった一人の身寄りであるおばあちゃんから「壊れ物」なんて言われている。障害者の孫と貧しいおばあちゃんがトタン壁の家に住んでいてそこにいかにも今風のハンサムな大学生恒夫がやってくるのだ。
ジョゼの作ったご飯があんまり美味しいんで恒夫はちょっと彼女に惹かれてしまう。他のガールフレンドとは全然違うジョゼを段々好きになってしまう。
ジョゼはいつも悪態をついてばかりなのに恒夫の指に自分の指が触れた時、何も言えなくなってしまうのだ。

脚本が抜群にうまくてそれぞれの男女の心の機微や変化が細かく描かれている。
これを観たら誰でもジョゼの可愛さと強さに惹かれてしまうし、恒夫の揺れ動く心にも共感してしまうだろう。
残念なことに自分はフランソワーズ・サガンを読んだことがないのだが(私の世代なら読んでなきゃいけない作家なんだけどね)あの重要な挿話がそのままこの物語を言い表している。
ジョゼが恒夫を嫌いになったとは思えないけど、彼女は最初から恒夫が去っていくことを予感している。
気弱な恒夫にはいらいらさせられっぱなしだけど、こうして人が出会い別れまた別の人と出会うのだと感じさせられる。

男女の恋愛物語というのをあまり観ないのだが(男同士、女同士ならOKなのだが)これはジョゼがほんとにもう可愛かったので夢中で観てしまった。「帰れと言われて帰る奴はさっさと帰れ」と罵った後に「うそや。おって。帰らんといて」ってジョゼが泣き出した時には我慢できなかった。
ジョゼは身障者ということでこの映画の中で描かれているのだが、彼女のような気持ちというのは女なら誰でも持っているものだろう。部屋の中に閉じこもり、突然出会えたすてきな男性につまらない意地をはりながらも恋してしまう。彼が別の綺麗な女性を好きだと知れば嫉妬する。次第に彼の恋心が冷めていくのを感じてしまう。
恒夫と別れてから電動車椅子で町を疾走するジョゼはかっこいい。

新井浩文は年上なのにジョゼの息子役、ということで登場。無論これはジョゼの変わった人間性の一つなんだけど。
モヒカン頭でいつも以上に口汚く罵りマクってておかしい。

実を言うと妻夫木聡が苦手でこれを観ていなくて今回新井浩文を見るためにとうとう観たというのが本音なのだが、観てよかった。
妻夫木はこれを観ても好きにはならなかったが^^;とてもこの役にぴったりで上手かったと思う。キスシーンはどうなのかなあと思ってしまったがこれは彼のせいなのか、演出のせいなのか。それに比べるとご飯を食べるのが凄く上手くてこっちまで食べたくなってしまった。ご飯と漬物とだし巻き卵と味噌汁が物凄くうまそうだった。
ジョゼ役の池脇千鶴は知らなかったせいもあってほんとにジョゼそのものの人なんじゃないかと思えるほど。
ラブストーリーのヒロインとは思えないどすの利いた声で話すのはびっくりはらはらでもあったが。脚が動かないから恒夫に初めて動物園の虎の檻に連れていってもらうのだが逆に「感謝せえよ」というのがおかしいのだ。

こういう映画でこういう風に感動した、というのも自分には珍しいことにも思えて、とても不思議な体験をさせてくれた作品だった。

原作が田辺聖子さんだというのも驚きでもあり、なるほどなあ、という感じでもあった。

監督:犬童一心 出演:妻夫木聡 池脇千鶴 上野樹里 新井浩文 新屋英子 江口徳子
2003年日本

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2008年06月10日

『ラブドガン』渡辺謙作

ラブドガン.jpgラブドガン2.jpg
LOVED GUN

キャストが最高にいいし、物語もそう悪くもないし、唐突に殺し屋と少女の出会いというのが面白そうと期待させるのに、なぜかそこまで乗り切れないという映画であった。

これもまた昨日観た作品とリエゾンしちゃうんだけどファンタジーなんだよね、男の。
まあどうしてこう男というのは殺し屋というのが好きなのか。しかし安易な殺し屋だよなー。
まそれはいいんだけど、殺し屋と可愛い少女(宮崎あおいちゃーん)という男の夢みたいなファンタジーで昨日のにしてもそうだけど夢を具現化することがファンタジーなのだね。
そうでない嫌〜なもう逃げ出したくなるようなファンタジーがあってもよさそうなもんだけどさ。そういうのはあんまりないね(滅多にいや全然)とにかくこうなったらいいなーという男のファンタジーなのである。女は現実を背負っているが。
男のファンタジーと言ったが、感じとしてはむしろ高河ゆんみたいなんである。やたら傷ついて血を流したり銃を振りかざしてみせる嘘っぽさかんかがね。
現実世界のようでまったく現実でないその世界だけの住人が嘘の言葉をぶつぶつ言ってるとこなんかがね。弾丸が撃った人の気持ちで変化する、憎しみは黒、悲しみは青とか、少女趣味。
(注・自分は高河ゆんが好きなんです)
それを認めて観ていくと出演者がいいだけになかなかいい味も感じられたりもする。
何と言ってもよいのは末期状態の老殺し屋丸山(岸辺一徳)と若い殺し屋志望の種田(新井浩文)が最初は激しく反発し合っていたのが次第に心を通わせていく過程なんだけど。
さすが高河ゆんを思わせるだけあって妙に全体のトーンがホモっぽいのだ。丸山と葉山田パパなんか変になにかあるんでないの、という雰囲気だし息子の且士とも意味ありげである。
最後の決着シーンなんかあまりにホモホモで普通なら喜ぶのだがあまりの恥ずかしさにぞわぞわしてしまったよ。丸山さんが撃った赤い弾丸ってこれこそがラブドガン。且士を愛する弾なんでしょ。いやらしいなあ。(親父を愛したくせに息子まで手をだすなんて、なんて殺し屋だ)観てるこっちの顔が真っ赤だよ。つまりピストルは男根だし、弾丸を発射して果ててしまったわけだしね。露骨に倒れてきた丸山さんを且士が抱きしめてるしさ。
しかもさ種田の新井さんまで加わって3人でいちゃいちゃして恥ずかしーよー。すべて意味ありげ、隠されたホモ映画なわけである。言葉が悪いなら男たちの愛の物語であった、と。男はみんな殺し屋だしね。
でも新井さんはやっぱりこういう男の濃い関係が好きなのだなーと思ってうれしくなってしまったのだった(アホ)

ラストシーンはなぜか急にウェスタン調になってこれもまた男のファンタジーだった。

変な映画であったが上に書いたようにとても楽しく観ることができた。
新井浩文さんはとても彼らしいポジションでばっちりステキだった。
久し振りに観た永瀬正敏さんもかっこよかった。



監督:渡辺謙作 出演:永瀬正敏 宮崎あおい 新井浩文 岸部一徳 野村宏伸
2004年日本
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2008年06月09日

『天国の本屋〜恋火』篠原哲雄

恋火4.jpg恋火2.jpg

主役キャストも含めて普通なら絶対観ない映画である。ファンタジーという言い訳であまりにもご都合主義すぎる設定に身の毛がよだつ思いだったが、観ていく内に必死で自分自身を説得しそれなりに観通すことはできた。
竹内結子さんはTV芸能ニュース以外で初めて観た。今まで綺麗と思ったことがなかったのだが^^;ドラマで観てるとなるほど人気があるだけはあると納得できた。
玉山鉄二さんはざわっとするほどの美形で(とはいえ苦手なフェイスなのだ^^;)むしろ時代劇が似合いそうな顔立ちだと思うのだが。『なんたら無頼控』なんていうタイトルで女にもてもての酒豪の剣豪なんて感じだがどうもそういうのはやってないようだね。そういうのだったら観たい気もする。
というのは無論私は本屋の店員サトシ役の新井浩文が目的だったのだ。この作品自体は私にとってはなかなか苦行ではあったけど新井浩文的には大収穫というか、大喜びであった。
なんといってもここでの彼は今まで私が観たいつも目つきの悪い悪たれの彼ではなく、笑顔も可愛い優しいいい人をやっていてこれが結構いい感じなのだった。

ところでこの映画、昨日観た映画と雰囲気は真逆だが設定、というかとっかかりは似たようなものであるのがおかしい。
(自分の才能に疑問を感じ)居場所のなくなった青年が生きながらにして天国へ行くという話なのである。
相方となる女性が竹内結子と寺島しのぶが物凄い反対のベクトルではあるし、青年も思いつめた昨日の生島くんと今日の町田くんの「どーでもいい」感じも正反対である。
加えてどちらでも「店員」役の新井浩文が昨日の鋭い目つきと今日の可愛らしさのギャップが凄くて笑ってしまう。いきなりやってくる青年に対する態度の豹変といったら。昨日は臓物どさりで、今日は「やあ、短気アルバイト。ピアニストなんだって?女にもてそうだなあ」って。声もさわやかなのね。名前は「サイ」と「サトシ」ってなんか似てるようなどうでもいいか。

この「天国」というところ、みょうちきりんな設定をされているものである。何となくわざとらしく幸せそうに演じる人々の姿が逆に怖ろしく感じてしまったのは、本当は怖ろしい国なのに精一杯幸せそうに演じてみせるとある国を彷彿とさせてしまうからだろうか。
一体誰がどのように行政や生産を行っているのか、と余計なことを考えてしまう。死んでしまえば魂だけなのだから食べ物が必要というのもわからんし、食べるなら排泄もするだろうがその処理はどう行われているのか、犯罪ということはないのか、などと埒もないことを考え続けてもしょうがないのだが。
思うにこれはそれぞれの魂が生前に覚えているものをある意味幻影として映像化しているに過ぎなくて無論食べ物を食べているようで食べていないのであろう。美味しいと感じるのも幻覚にすぎない。

深く考えずに観なければいけない(という考え方も怖ろしいが)

しかしなぜ本屋がいきなり出てくるのか。それになんだか図書館のように思えるが。
様々な疑問を残しつつ、考えずに観なければいけないという考え方自体が恐怖であることに気づかせられた作品だった。

ところで何かと名優と評される香川照之氏だが自分はあまりいいと思えないことが多いようだ(『鬼が来た!』は面白かったが)特にこの作品での彼は妙に力が入っているせいもあってぴんと来なかった。
こんな恐ろしい暴力的な感じじゃなくもっとぼーっと無気力になっている人のほうがよかったのでは。その辺は監督の指示もあるだろうから彼のせいばかりでもないか。でもまあいいとは思えなかったなー。

監督:篠原哲雄 出演:竹内結子 玉山鉄二 香里奈 新井浩文 香川照之 原田芳雄 大倉孝二
2004年日本
タグ:新井浩文
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『赤目四十八瀧心中未遂』荒戸源次郎

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舞台やら物語やら設定やらすべてが物凄い好きな世界なので心から楽しんで観てしまった。主人公生島がなにやら時代がかった昭和初期かそれ以前の書生みたいな話し方・考え方なのも非常に嬉しい。本音を言えば今の若者の話し方はどうも入り込むのに大変なのだ。

生島が最初はっきりとした説明はないが人生に絶望し「尼崎」という町に流れ着く。そこは彼が今までに味わったことのないような凄まじい生活を強いられる場所だった。
汚いアパートの一室で来る日も来る日もモツに串を刺し続けるという仕事を与えられた生島の部屋を色々な人々が訪れる。血を含んだ生々しい臓物と彼を取り囲む人々が重なって感じられる。耐えられないほど痛む刺青の彫り物師から背中に迦陵頻伽を彫られた朝鮮系の女性・綾の妖しい美しさ。生島は地獄のようなこの世界に顔は人間で体は鳥だという迦陵頻伽を背負った彼女に惹きつけられてしまう。
映画の中で蝶が飛んでいるのはこの迦陵頻伽と対になっているからだろう。
生島は居場所がないとこの町に来ていつも怯えているのだが絶えず他人から何かを頼まれ続け嫌ということが出来ずにいる。物語はほぼ人からの他の見事を引き受けることだけで進行していっているような感じである。
綾から「この世の外へ連れ出して欲しい」と頼まれた生島は彼女が約束の場所に来ないことを願うが彼女は到着し待っていた生島に喜ぶ。
二人は赤目四十八瀧を彷徨う。そこはまるで極楽のように美しい場所だった。
マイナスイオンがたっぷりでひんやりとした空気と苔が感じられるようだった。そこで生島は死を恐れ、綾はそんな彼の気持ちを知ったのか知らないままだったのか(きっと感じていたのだと思う)すべてをあきらめることを決意する。
最後に抱き合う二人。生島の履いていた下駄が滝つぼに落ちていき、そこには綾が浮かんでいる。
ここで綾は死んでしまったのだ。(でもそうでないことを願いたい)
水面に浮かぶ女性というと気のふれたオフィーリアであり、彼女が恋人ハムレットから「尼寺へ行け」(売春宿へ行け、の意味である)と言われたことと重ねて観てしまう。生島が強引に綾と逃げることもできたろう。生島のあやふやな態度はそのまま綾に「売春宿へ行け」と示しており綾はそれを感じ取ったに違いない。だが綾は生島の苦悩も愛情も感じていたのでそうとは言わなかったのだ。
帰りの電車の中で綾は突然ここで降りると立ち上がる。情けない生島は下駄を履き損ねて綾と離れてしまう。この大事な時に下駄を履こうとした馬鹿な男だよ。裸足で駆け出せばよかったのだ。
彼女を失った生島はコインロッカーに残されているはずの彼女の下着を取り戻しに行く。だがそこにそれはなくあったのは彼が部屋に置いて来た辞書だった。生島はまだ彼女を愛する資格がない。もっと勉強しろ、ということだな。
居場所がない、生きる価値がない、とおたおたとする生島はぶざまであるが、それは無論自分自身の姿なのだ。
生まれも育ちも決して恵まれていたわけではないがさっそうと生きる綾は迦陵頻伽そのままなのだ。

内容は全く違うのだが上村一夫『昭和一代女』を思い出した。きりっとした強い女とおたおたした男の話なのだ。

寺島しのぶの主演映画は初めてだった。変な顔とも見えるし他にないほどの美しさにも思えるし不思議な女性だ。忘れられない魅力を持っている。
主役・生島の大西滝次郎。聞いたことも見たこともなかった。自信もなく希望もなくだが妙に自意識は高い。あやふやで情けない男をこれも魅力的に演じている。
目的である新井浩文。突然ドアを開けて臓物をどさりと置いていく男役。ただし雇い主にはへこへこする奴。刺青をされて呻いている男を笑った為に頭を彫られて叫び声をあげる場面がちょっとステキだった(なんのこっちゃ)作業服が似合う。
後はもう内田裕也氏のわけのわからなさがここではすごくよかったな。
綾のお兄さんが『ゲルマニウムの夜』のあの人だった。ぎゃ。

監督:荒戸源次郎 出演:寺島しのぶ 大西滝次郎 大楠道代 内田裕也 新井浩文 大楽源太 大森南朋
2003年日本

posted by フェイユイ at 00:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 新井浩文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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