映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2008年07月26日

『チルドレン』源孝志

チルドレン.jpg

なんか高評価されているドラマみたいなんだけど、自分としてはあんまり面白くなかった。よく出来た物語・脚本、という感じには思えないなあ。

ナオさんはどうしても贔屓目に見てしまうのだけどそれでも彼の作品の中で物凄くいい、という感じでもない。っていうのは彼の演技というよりは物語が面白くないからなんだけど。
全体として作り物的なストーリーで最後だけしんみりさせようっていう策略がどうもむかつく。
私としてはこの万引き少年と親父は嘘の親子関係で実はホモな二人なのか?と睨んでいたのだが、半分当たって半分ズレていたようなのだがほぼ当たっていたといってもいいような気もする。
最後雪の中電車に乗る前にマフラーした少年を抱きしめる親父の図は殆ど『藍宇』じゃないですか。てことは國村隼さんが胡軍ってことになるけどさ。少年の方は似てるくらいだけど。
爽やかな後味なんて評している人も結構いるみたいだけど私はどうもイライラしてしょうがない後味だったんだけどなー。どうしてこう感覚って違うもんだろうか。
少年が実の親父を卑下しながらその金を気軽に他人に渡すのがそんなに小気味いいことには思えないし、本屋の万引き女性の描写もなんか納得できないそんな片付け方かよ、みたいでなんだか単に色付けする為に女の話も入れとくか的な設定のようでイラつくのである。小西真奈美がどうのというわけではないがこういう女性を登場させるという作者の意図が不満なのだ。
小心者の坂口憲二とお調子者の大森南朋という組み合わせはなかなか悪くないと思うけど物語自体が面白くないのでその魅力も半減してしまうのだ。
このドラマ、面白いという人のほうが多そうなので、まあそれはそれでそういう方は楽しんでいただければいいと思うが、自分としてはこのドラマ自体に騙されているようで楽しめなかったというところであった。
家裁といったらこの前観たNHKドラマの『少年たち』(新井浩文出演)の方がずっと面白かったが比較するものでもないかな。

私としては無精ひげのナオさんもまた素敵だなーと観れただけが収穫だった。ナオさんてちょっとだけチェ・ミンシクに似てると思うんだけど。チェ・ミンシクは吉幾三さんに似てるけど。
ナオさんが坂口憲二にヘッドロックした時、坂口パパが助けに来そうな気がした。すげえ強いんだから。どっちかつーとパパの征二さんのほうをよく観てた私だったりする。

監督:源孝志 出演:坂口憲二 大森南朋 小西真奈美 加瀬亮 三浦春馬
2006年日本



ラベル:犯罪 大森南朋
posted by フェイユイ at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月25日

『猫と奥さんと俺たちの青春 〜山田英治が綴る二つの世界〜 』山田英治

猫と奥さんと.jpg

『迷猫-MAIGO-』と『ゴールデンウィークエンド』の2作品が収録されている。

山田英治監督作品『春眠り世田谷』『鍵がない』に続き3つ目だがどれも好きな感覚を持っている。
そのどれもが30代にさしかかる若者とも大人ともつかない、つまりおじん・おばんとなるかならないかという年齢の切なさみたいなものが描かれている。
そういうのに共感したのかと言えば私自身はこの頃にはもうすっかり大人の生活にはまっていてこういった「私はまだ若いのにもう縛られた生活をしなけらばならないのか」というような戸惑いというものを感じる隙もなく仕事と生活に追われる日々を送っていたのであった。
こうして見るとこういう感情を持つことも必要だったかなーなんて思えるがその時はもう必死で映画なんぞも観なかったし遊び歩いたりしたいとも思わなかった。それどころではなかったのだった。
だもんで共感というよりこういう世界もあるんだなあという感じなのである。人によっては観る映画に「私と同じ」という共感を求める人も結構いるようなのだが、私はむしろ映画を観る時は「へーこういうこともあるのか」というSF感覚が好きなのでこれでいいのである。

『迷猫-MAIGO-』猫が可愛い。おもちゃの猫も可愛い。今時こんなとろんと可愛い奥さんがいるのかな、とも思ってしまうが。お話自体も凄く可愛いくてでも嫌味に思えないのがいいかな。
ナオさんはいつもそうだけど女の人が甘えたりする時のリアクションが凄く優しくて本当に女性から好かれるタイプだよなーと思えてしまう。演技とはいえね。キスもなんだかどきっとしちゃう。
ギタリスト大森南朋も見ることができた。全国ツアーの正体もおかしいし。

『ゴールデンウィークエンド』
男3人の物語なので女性が主人公の『迷猫』よりやっぱり具体的に現実味がある。
どこかアレクサンダー・ペインの『サイドウェイ』を思い出す。といってもこっちの作品の方が先に出来ているが。
やはり30歳に差し掛かった男たちの青春ストーリーでありロードムービーでもある。
山田監督自身が主人公を演じていて、出産の為里帰りした妻が帰ってくる前日と夜を「もうこれで青春も終わりかな」という切なさとともに描く。淡々とした作品なのはこれも同じだが私は結構密度のある作品だと思うし、短くブロックで切っていく構成も見やすくて好きなのだ。
『サイドウェイ』は2人の男だったがこの作品では3人の馬鹿男子という感じでバランスがとれていて面白いのだ。ナオさんはここでも2枚目役で美味しい思いを独占。ずるいのだ。でも寝顔も可愛いんだよなー。
主人公は奥さんと子供との再会を待ちながらも心のズレに不安を抱き自分がもう自由でなくなってしまうことに身勝手にも不満も持っている。
電話から赤ちゃんの泣き声がして、男たちはどうも怖いな、と思っているようなのがおかしい。私には赤ちゃんの泣き声は可愛くてにっこりしてしまうし、思わず「オーよしよし」と言いながら抱き上げたくなる声に聞こえてしまうのだが、やはりこの年齢の男達とは赤ん坊に対する感情が違うのものなのだろうか。彼らには赤ん坊の愛らしい泣き声が青春の別れの声に聞こえているに違いない。
ねちょりさん(名前を忘れた、か出てこない)の昔の彼女のアパートに行ってピンポン押したらまったく関係ない男が飛び出してきて追いかけられる話はちょっと面白かった。確かにこの彼のいうとおり31歳にもなってピンポンダッシュしちゃいけません。
馬鹿な一夜が過ぎて重い頭と体を引きずりながら妻と赤ちゃんを羽田に迎えに行く。『鍵がない』もそうだったが一夜の物語、というのがとても上手い。この朝の気だるさはわかるなあ。
馬鹿でしょうもなく情けない男達と対照的にきびきびと我が子を抱いて歩いてくる母たる妻の力強さよ。
ゴールデンウィークの終わりなどと言ってる場合ではないだろう、男たち。
なんだかんだと言いながら妻子を迎えに行く主人公。車の中で次第に表情が変化していく。あきらめとも決意ともいえる表情に。
ラストで車のウィンカーを羽田方向へ上げる音がする。いいラストだな。


いや『サイドウェイ』よりずっと好きです。

監督:山田英治 出演:山田英治 大森南朋 美月 和田縁郎 馬渕英里何
2002年日本


ラベル:大森南朋 青春
posted by フェイユイ at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月24日

『ハゲタカ』第2回「ゴールデン・パラシュート」

ハゲタカ3.jpg

重い過去を胸に秘めた冷酷なファンドマネージャー鷲津を演じる大森南朋があまりにかっこよくセクシーでうっとりと見惚れてしまうのである。
だがだが、落ち着いて観ているとこれの主人公って(特にこの回は)鷲津なのか芝野(柴田恭兵)なのかよくわからないようになってしまうなー。というのは主人公というのは「かっこいい奴」ではなく「苦悩する者」であるべきだと思うのだが、どう観てもここで一番苦悩してるのは芝野のほうで彼の悲惨さというのはちょっと涙ものなのだから。上司からは叩かれ、融資先からも叩かれなじられ、元部下でありライバルである「ホライズン」の鷲津からは徹底的にコケにされて何も言い返せずぐっと眉間にしわを寄せて耐えているほうが主人公でなくてなんだろうか。それに引き換え鷲津は過去は辛かったかもしれんが今は超カッコイーアメリカ企業のやり手なんだから。しかも柴田さんのほうが年取っているので余計可哀想になってしまうではないか。何をやっても誰からも褒められもせず、罵られるばかり。気の毒だ。
というか、この芝野ってよく判らないキャラクターなんだ。この大銀行でここまでの役職についているのにまるで若造みたいに苦悩し続けている。いわばかつて鷲津が苦悩して脱却したものをまだ芝野は持ち続けているわけで。一体何故彼は鷲津に「資本主義とはそういうものだ」と教えておきながら己自身は迷っているのか。何故誰からも叩かれ役であり続けているのか。答えは鷲津をかっこよく見せる為ってことなんだけど。鷲津をクールにする為に芝野が汚れ役を押し付けられているのだね、このドラマ。しかしそうするとどうしても芝野のほうに同情してしまう。しかしこの企業でこの年齢でこの地位でっていうのがどうも不思議になってしまうのね。普通もう少し達観してるというか鷹揚に対処するというか年齢から来るゆとりってのがあってもよさそうなのに。
もしかしたらこの辺、ちょっとキャラクター設定間違えてるのでは、と思ったりもして。鷲津が年寄りいじめているだけのように見えるのね。恭兵さん、年とりすぎなんだもん。せめて同じ年齢くらいの奴なら少しだけ先輩くらいの。
思えば大森南朋さんって基本的に脇役が多いせいもあるのかもしれないけどこれまで観て来たもので主役でもなにか脇役っぽいとこがあって、そこが彼のよさなのかもしれないのだが(ほめ言葉に聞こえないが)
でしゃばりな俺様的なものがない人なのかもしれない。
そして問題解決策が息子を社長にすげ替えるということだけだったのでうーむ、そんな物凄いアイディアというほどでもないような、と思ってしまったのだが。まあ、この話は次回に続くようなのでまた何かの展開があるのだろう。
鷲津が冷酷のように言われているのだが1話めも今回もどうも本当に社長のルーズさが原因で確かに鷲頭さんの言うとおりだよね!っていう話なのである。今回の社長なんてムカつくほど我儘で実際にもいそーという感じである。しかしおもちゃ会社って今はゲーム関係でなければ成り立たないと思ってたけど違うのか。ホライズンがそちらへ発展させようとしてるのかな。
しっかしNHKだからかまったく恋愛沙汰がないドラマだね。いっそ潔くて私は観やすいけど。
唯一女っ気である三島由香=栗山千秋もいっちゃなんだけど可愛いーって感じじゃないしさ。
最も惜しいのは鷲津の片腕であるアメリカ青年がいまいち好みじゃないことで(すまん)なにやらナオさんの横にいると色っぽい関係のようで嬉しいのだがも少し可愛かったならなー、などと不埒なことばかり考える自分なのであった。

脚本:林宏司 出演:大森南朋 松田龍平 栗山千明 柴田恭兵 嶋田久作
2007年日本
posted by フェイユイ at 22:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月23日

『のんきな姉さん』七里圭

のんきな姉さん.jpg

時間軸をぶれさせながら物語も少しずつぶれて本の中の物語とも交錯しどこまでが現実でどこからが夢なのか作り話なのかまたはあの世のことなのか、わからなくなってしまう感覚が楽しい。
幼い時に両親をうしなった姉弟がいつしか性愛を求め合うようになってしまう。姉は妊娠を知った時にある男性と結婚することを弟に伝える。
森鴎外の『山椒大夫』をモチーフの一つにしているために姉の名前が安寿子(やすこ)弟が寿司夫(すしお)ってのが面白くて。凄くシリアスな場面でも「すしお!」って(いや本当のすしおさん、すみません)
姉弟の愛は悲しく切ないのに姉・安寿子が勤める会社の課長が三浦友和氏でとぼけてる。いつも何かをぽりぽり食べながら盗み聞きしている変な男なのである。また唐突に寿司夫の養父だという男性が登場し、安寿子の冷たい態度を責めたてるのだ。
寿司夫がいかにも弟的な青年で頼りなげで我儘で可愛らしい。兄弟の近親相姦というのは(ま、同性の場合もありましょうが)兄妹か姉弟となるわけで、兄妹の場合どうしても力関係が兄の方が大きいわけで力ずくといった想像をしてしまうものだけど(ちょうど昨日の新聞の悩み相談が兄から性的虐待を受けたという妹の問題だったが)姉弟というと何か弟が姉に甘え、姉が弟を甘やかしてしまうという温い関係が結ばれてしまう気がするのだ。
ここでも姉・安寿子は駄目だ駄目だと逆らおうとしつつも結局「弟のことを判るのは私だけ」などという母性のような考えから逃れられない。
弟・寿司夫もそれを知っているのだ。
墓参りのトンネルを通る時、彼らは安寿子の子宮の中に入っていくのか。そこで彼らは姉弟の秘密を知る。弟は絶望し姉は追いかけていく。
雪の中の花火の風景は美しくも怖ろしい。この世の風景ではないように思える。彼らはもう現実の世界にはいないのだろうか。
それともこの景色は彼らの未来を表しているのだろうか。足を取られ酷く歩きづらく冷たい深い雪の道を彼らは歩き続けなければならない。その上には美しい花火の喜びがあるのだとしても。

安寿子の懊悩は時に苛立ちを覚えるが姉を慕い続ける寿司夫の愛らしさはどうだろう。寿司夫の裸はそんな彼をそのままに表現している。

三浦友和が演じているのは映画ではよく天使だとか世捨て人みたいな達観した存在の人物なのだろうけどそれが課長さんだというのがおかしい。課長さんにしても寿司夫の養父と名乗る男性にしても寿司夫に言い寄る女の子にしてもちょっと現実離れした感じがする。むしろ安寿子と寿司夫の方が普通の人として描かれている。
大森南朋演じる一男は最も普通の人である。彼が安寿子のどこに惹かれているのかだけは理解しがたい気もするが。一男に対して酷く冷たく心を閉ざしてばかりいるわけだし。まあこういうミステリアスな女性に惹かれる男ということなのか。ナオさんはとても優しい二枚目な雰囲気なのに実に気の毒な役回りなのだ。

同性愛ものを観る時同様、近親ものというのも観る者の意識で評価は変わるだろう。
私的には同性愛ものと違ってあまり興味は感じない題材なのだが愛しあいたいのなら子供さえ持たなければどうにでもできるんじゃない?という感覚である。二人のことを知られていない場所に引っ越して。
どんな愛もすべて受容されるわけではないのだからそこくらい(子供と場所くらいは)我慢していいのではないかな。ここで安寿子がわざと子供を生もうとするのは逆に弟との縁を切りたいからなのであって、子供を(多分)堕胎したのは弟とつながっていこうとしたからと思える。
兄弟、姉妹関係ならどうぞご自由にである。後ろ指など怖くないならどの関係でもご自由に、だが、力関係が一方的なものはそりゃもう近親に限らず問題外だ。
あまり興味はない題材なのだがこの作品は演出の面白さやシリアスとおかしさが混じりあっている感じと弟の可愛さと作品の芝居がかった奇妙さが好きであった。ざらざらした画像も作品に合っている。

監督/脚本:七里圭 出演:梶原阿貴 塩田貞治 大森南朋 梓 細田玲菜 三浦友和
2003年日本
posted by フェイユイ at 23:13| Comment(0) | TrackBack(1) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月22日

『怪談新耳袋 第1夜』

怪談新耳袋.bmp

原作の『新耳袋』のタイトルを見たことはあったし、どこかで少し読んだ気もするが映像を観るのは初めて。無論、大森南朋目的である。

原作が短編であるのを無理に引き伸ばしてしまわず、5分という短い時間で作っているのはホラーとしては却って向いているのかもしれない。
映画の長さのホラーってなんだか間延びしてると思うことが多いんだもんね。出だしの余計な説明とか最後のつまらぬ繰り返しとかがいつもうざいものであるし。
この作品、つなぎの白い手も怖くておかしいし、なにしろ最初の話が「第7話」となっていたので「え?なぜ?」と騙されてしまった。正直ちょっとぞっとしてしまったぞ。悔し〜。

自分の好みとしては「カセットテープ」と「ビデオ」がいけた。
「カセットテープ」はナオさん主演だからなんだか贔屓目もありそうだが、それだけでなく一部屋で起きたカセットテープと音が恐怖を作り出していくのが秀逸な作品であった。以前録音したテープにたまたま亡くなった女性の声が入っておりそれが今の状況と奇妙に重なっていること。テープが劣化しておかしくなってしまったのか本当に霊的なことなのかどちらにも取れる表現である。電話からこぼれ聞こえる声も不気味だし、突然差し込む光も意味ありげだ。
ナオさんがまたいい男でこんな感じに好意を持たれていそうなのも頷ける。
最後にテープがビョーンと延びてしまうのもありそうでいて怖い。
監督が佐野史郎さんだというのも驚きだった。

「ビデオ」はまあなんということもないんだが、いつもパソコンで映画を観てると怖ろしい顔が映っていてぎょっとすると自分の顔であった、ということをしょちゅう繰り返しているので。大体怖い映画って画面が暗いので自分の顔が怖ろしい表情で(つまり怖いからね)映ってしまうのだよね。
あとこのお姉さんのように怖いものがいっぱい側にいるのに全然気づいてない、っていう話はちょっとおかしくて好きなのだ。
霊感が強い人はいつも怖い体験をして大変だが、霊感がなければのほほんと生きられるのだよねー。どっちが幸せなんでしょうか。

どれもなかなかおもしろかったのだが、最後の「修学旅行」みたいに何度も覗き込んでは怖がっている人の話ってのはちょっといらいらしてしまう。気にしすぎ。
「背広返し」は他のと違った味で笑える。落語みたい。
それにしてもホラーの題材ってエレベーター、押入れ、トイレみたいな狭い個室だとかカセットテープ、ビデオみたいに霊を写し出すものだとか、ドアからじわりと覗いて手だとか、やはりお決まりのものなのだなーと思う。やはりそういうのはいつでも誰でも何かしら恐怖を感じるものなのでしょう。

第7話「エレベーター」The Elevator(主演:内山理名、監督:清水崇)
第1話「来客」The Visitor(主演:植松夏希、監督:豊島圭介)
第35話「ニシオカケンゴ」Kengo Nishioka(主演:奥貫薫、監督:鶴田法男)
第34話「カセットテープ」Cassette Tape(主演:大森南朋、監督:佐野史郎)
第26話「棚さがり」Off the Shelf(主演:渡辺いっけい、監督:吉田秋生)
第30話「背広返し」The Backward Suit(主演:岡本信人、小橋めぐみ、監督:三宅隆太)
第19話「覆水」Spilt Water(主演:石野真子、監督:鶴田法男)
第31話「ビデオ」Video(主演:三輪明日美、三輪ひとみ、監督:木原浩勝)
第9話「妹の部屋」My Sister's Room(主演:佐久間信子、監督:豊島圭介)
第20話「修学旅行」The School Excursion(主演:栗田梨子、監督:三宅隆太)

2003年日本

ラベル:大森南朋 ホラー
posted by フェイユイ at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月21日

『デーモンラヴァー』オリヴィエ・アサヤス

Demonlover 2.jpgDemonlover 5.jpg
Demonlover

大森南朋が出演しているフランス映画。オリヴィエ・アサヤスという名前にぴんと来ていなかったがマギー・チャンと結婚していたという過去を持ち『パリ・ジュテーム』ではマギー・ギレンホールが出ていた「デ・ザンファン・ルージュ地区(3区)」を担当。私がいまいちぴんと来なかった大人っぽい作品だった。
何かの概略で「性産業の氾濫するネット社会に警鐘を鳴らす作品」と書かれていたが自分としてはネット社会の性産業に期待する話なのかと思いながら観ていたのだけどね。
まあ警鐘鳴らしたって多くが期待すればどんどん氾濫していくわけで。
映像の奥でいつも「ヴーン」という地鳴りがしてるとこやヒロインがどんどん変な方向へ入り込んで迷路から出られなくなっていくような不気味さがデヴィッド・リンチのようでもあるが、彼ほど徹底して変てこではない。
冒頭スタイリッシュなフランス人たちが「東京アニメと契約できないと身の破滅だ」みたいな決死の面持ちで言っているのだがどうも「東京アニメ」という語呂が小さな一軒家で手作業的にやってるアニメ会社みたいな響きである。そこではエロアニメを製作していてその技術と人気の高さは評価されているのだが経営的には困難に瀕している。そこでフランスの大企業「ヴォルフ」は東京アニメの買収計画を進めていた。
やり手の美女ディアーヌ(コニー・ニールセン)がライバルを蹴落としてのし上がっていく話から始まってどんどんと危険な道に入り込み最後にはマニア垂涎の拷問サイトの餌食になってしまうという一連の出来事をごく普通の少年がネットで眺めることになるという落ちにつながっていく。つまり子供でも誰でも興味と金があればこんな洗練された優秀な美女が拷問を受けるのを観れますよーという宣伝の映画みたいな感じなのである。
確かに怖ろしい近未来への警鐘と観れなくもないが単純に「観たい!」と思ってしまう人のほうが多そうである。劇中のカレンという女性も「興奮するわけではないが惹きつけられる」と言っているのだがこれくらいの好奇心で観てしまう者のほうが多いわけで。
ただまあ、思うにこれも劇中の台詞で「チャイルドポルノ」は厳禁と言っているのだが、結局は禁じられたものの方へこそ行ってしまうのはもう目に見えているし、お勧めの「拷問サイト」とやらでちらりと見せられた拷問シーンはさほど過激なものではないように見えてしまうわけで(これなら『殺し屋1』の拷問のほうがより過激)これもひたすら肉体を切り刻むような惨たらしいサイトへ行ってしまうのは必至だろう。
それに主人公及び登場人物に女性が多いのに女がレイプされているサイトばかり見てるってのはどうなのか。まー映画の監督が男だから仕方ないのかもしれないが女性が見るんだったら美青年が拷問されているんだとか、腐女子系のサイトっていうほうが理解しやすいんだけどね。実際そちらのエロサイトのほうが伸びていくんではなかろうか。

などと文句を言いつつも結構面白く観てはいたのだった。この映画監督は日本のエロアニメに警鐘を鳴らすどころか楽しんでいるとしか思えないのは、いかにも日本のエロアニメ的な映像をかなりの長さで挿入しているので判るし、日本の世界を席捲するだろうという設定もその為に大企業が出資するというのも非常に判り易い。日本のアニメにはモデルが存在するわけではなく想像の産物なのだという説明がはいるのもおかしかった。そういう意味でもこれからもっと広がっていくに違いないと思うのはやっぱり自分もオタク感覚を持っているからなんだろうか。

でも日本のアニメならもっと腐女子系を入れて欲しかったという不満が残るのだ。特に商売ならね。その辺いつも駄目なんだよなー。

さて大森南朋。これはちょっと観てよかったよ。いつもと違う短髪でかなり痩せて見えるんだけど。ピアスしてます。
出番がもっと多かったらよかったんだけどね。『ハゲタカ』の逆の立場ですな。

監督:オリヴィエ・アサヤス 出演:コニー・ニールセン クロエ・セヴィニー ジーナ・ガーション 大森南朋 山崎直子 シャルル・ベルリング ジャン=バプティスト・マラルトル
2002年フランス
posted by フェイユイ at 23:04| Comment(0) | TrackBack(2) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月20日

大森南朋への告白

大森南朋に入れ込んでかなり作品を観て来たがなにせ出演作品数が物凄く多いのでまだまだ日にちがかかりそうである。レンタルできるもの以外も結構ありそうなので制覇というのは無理かもしれない。
とにかく手当たり次第の鑑賞でとりとめないのだが、ここらでちょっと感想を書くことにする。
『ヴァイブレータ』で一気にのめりこんでいったナオさんだけどこの作品が初めてではなく多分かつて観ていた『殺し屋1』が初めてかもしれない。
といってもその時は浅野忠信の方にばかり気を取られていたので1の凄さは判ったものの大森南朋という名前を記憶せずにいたのだった。まったくいつものことながら情けない自分である。
はっきり認識しながら観たのは『ゲルマニウムの夜』かもしれないが無論ここでは主役の新井浩文に注目していたのでまたもやナオさんを意識してはいなかった。
彼のことが気になった初めての作品は『赤目四十八瀧心中未遂』だったのではないだろうか。
これも目的は新井浩文だったのだが(といっても脇役だが)新井くんの首に刺青をいれる彫り師の役で痛がって呻いている他の男を見て笑っている新井くんをたしなめる為に羽交い絞めにして頭に針を打ち込むシーンがなぜかとてもセクシーでこれで好きになってしまったのだった。
といっても留めはやはり『ヴァイブレータ』なのだが、彼の出演作品で一番は?と問われたらやはりこれを挙げてしまうんだろうけどへそ曲がりな自分は多分多くの女性が好きになったこれを言うのもちょっと憎らしいので反抗したのだけどやっぱり『ヴァイブレータ』ノナオさんは素敵である。
でも今こうして観ていってもう一つというなら最初に観た『殺し屋1』の1はそれと並ぶ役柄なのではないだろうか。
まっとうに素敵な男が『ヴァイブレータ』のトラック野郎ならまったく反対に位置して大森南朋の魅力が1なのかもしれないし(まだ全部観たわけではないので予想として)
困ったことに『ヴァイブレータ』の時よりも二つの作品で演じられている1の大森南朋の表情が忘れられず次の日も1の表情がちらちら浮かんでしまったという自分なのである。まあ強烈なキャラクターだから、というのはあるだろうけど。
他にも『ハゲタカ』の切れる男、『たとえ世界が終わっても』の不思議系など観てて飽きない役者なのである。

インタビューなどで素の時はさすがにお洒落でいかにももてそうな雰囲気を持っている方であるし。

ドラマまで含めたらまだ当分楽しめると幸せにほくそ笑む私なのだ。
ラベル:大森南朋
posted by フェイユイ at 00:44| Comment(0) | TrackBack(1) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月19日

『鍵がない』山田英治

鍵がない2.jpg鍵がない1.jpg

一晩の物語を一人の若い女性を中心にして丹念に描いた作品。ファンタジックな甘いラブ・ストーリーということで普段あまり好んで観ないものだが昨日観た2作品があまりに酷かったので珠玉の作品に思えたり。いやそんな比較をしなくともとてもいい映画であった。
大森南朋さんは2人と娘から慕われているというハンサム役でこれもまた似合っていたねえ。
困ったのは出演している女性たちの面影が似ているのでよく判別がつかなくて誰が誰かよく判らなくなってしまったという情けない状態になってしまったということ。皆痩せ型のストレート黒髪で顔つきも似てるんだもんな。自然体のリアルな感じにしたかったのは判るけどもうちょっと特徴つけて色分けして欲しかったのだった。カーリーヘアだとか、巨乳だとか話し方が訛ってるだとか。
ま、それは置いとくとして、鍵をなくしてしまった、というありがちな出来事から互いに好き合っていながら思いが通じ合わなかった人との思い出と今の時間が交錯していくというとても好きな構成なので他愛もない話といえばそうなのだが、どうなっていくのかな、と結構惹きこまれて観てしまった。
キスシーンさえ途中で終わってしまう可愛らしい描写なのだが、ナオさんが新しい恋人が帰ろうとするのを「帰るの」と言って引き止めるところは突然生々しい感じがあってどきっとしたのだが、これはインタビューでナオさん自身もそう言っててやっぱりそうだったんだと納得した。女の方ではもう駄目だと感じていて帰ろうとするのを男はそれを感じながらも狡く留めようとする。もちろんそれは一応男としてはそういう気持ちでありながらも肉体的欲求は果したいなという目論みはあるわけでだからと言ってしつこく押し留めないのが今風でもあるし山田英治監督らしい雰囲気なのだろう。

鍵を失くしたという設定が彼がまだそのもう一つを持っているというつながりになり、失くしたと思っていた鍵がそっと彼女の持ち物の中におさまっていたこと。彼がやっと勇気をだして「もうこの鍵は必要ないよ」と言う練習をするくだりなど繊細で愛らしくラストシーンもまた彼ら二人にふさわしい演出だった。

山田英治監督作品は先日観た『春眠り世田谷』と同様過激な設定や行動があるわけでもなく淡々と進行していくのだが、結構自分に波長が合うというのか好きである。
大森南朋を描くという意味でもとても愛らしい彼が観れるので嬉しい作者である。
子供がいて尚且つセクシー。たまりません。
ほんとは主役の美沙子と共感すべきなのだろうけどなんとなく彼と娘や元カノの間に割り込めないのを感じているのりこさんに感情移入してしまう自分であった。ナオさん好きなのに、ぐっすん、なんて。

監督:山田英治 出演:つぐみ 大森南朋 小栗万優子 目黒真希 高野八誠 光石研
2005年日本
posted by フェイユイ at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月17日

『イツカ波ノ彼方ニ』今夜も

イツカ波ノ彼方ニ.jpg

最近珍しく続けて2回目鑑賞。2度観ると何かが判るか、と思ったのだがさして新しい発見はできず。ただ2回続けて観ても非常に面白かった。
そしてちょっとだけ考えたのは、これって最初は勝男が浦島太郎でイチゴやツヨシやアキを助けて竜宮城へ行くように思えたが逆にイチゴが浦島で勝男の背に乗って竜宮城へ来たようにも思える。最後に玉手箱を開けるのはイチゴだしね。冒頭で勝男が亀を背負っている図とイチゴ=乙姫=亀を背負っているシーンが出てくるが亀が浦島太郎を背負って竜宮城へ行くわけなんで。
なお亀をいじめる子供達ってのはあのヤクザ二人組ね。
竜宮城というのは華やかな夢の国のイメージみたいだが単にあの世=死後の世界というイメージでもある。
幼い頃、竜宮城へ一緒に連れていってやるという勝男とアキの約束はそういう理想郷的なものだったのだろうが、その言葉が共に死後の世界へ行くという果し方になっている。
沖縄の墓の形が亀の形であると共に女性性器であるとお婆が言う。人はそこから生まれそこへ帰ると。
男は所詮宇宙である女には勝てないから生きている間だけ好き勝手なことをするのだと。
勝男は自分の思ったように生きて死んだ。アキは自分の好きなものを見つけられずにいたが遠回りをしてやっとやりたいことを見つけ(ここではイチゴを連れて竜宮城へ行くこと)そして死ぬ。

イメージがあまり強烈なものではないし、わざと判りにくくしているフシもあるのだが、それでもその出し方がなかなか面白いので見入ってしまうのだ。
名前もちょっと語ってて勝男はやはり亀=海の生物という連想からの魚のカツオだろうし、ボクサーのツヨシは強いから強しだろう。イチゴは一期一会のイチゴだと思うが。
イチゴがお婆さんになってしまわないのはイチゴが乙姫=亀のイメージでもあるからだろう。
勝男が彼女に対してまたアキもだがあまり女性への恋慕という感情を持たないように見えるのは彼女が二人の母親のような存在としているからではないだろうか。
三線弾きはタツヨシと名乗るがこれも竜宮城の竜にかかっている。ジョーとも呼ばれるが城もジョーだから(かなりしつこい)
ところでなんでボクサーが登場するのか。彼の存在が凄くかっこよくてこの映画の一番の辛味になっているが。沖縄出身の竜宮城(りゅうみやぎ)というボクサーがいるから、という遊びじゃないかと思っているんだが。
とにかく語呂合わせやイメージを溢れさせた作品なのではないだろうか。

ところで三線弾きの「四辻で悪魔に魂を売る」話はロバート・ジョンソンの「クロスロード伝説」からのエピソードだがなぜこの話が挿入されたのか。
好きなものの為なら勝手にする。魂も悪魔に売るということなのか。

そういったイメージを構築しながら語られているのは兄弟のように育った勝男とアキのつながりである。
昨日は同性愛的な含みがあるというように書いたが、それよりも『二十日鼠と人間』のような互いに離れられない関係と見たい気がする。

監督:監督:丹野雅仁 出演:平岡祐太 加藤ローサ 大森南朋 曽根英樹
2005年日本

ラベル: 大森南朋
posted by フェイユイ at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月16日

『イツカ波ノ彼方ニ』丹野雅仁

A DAY BEYOND THE HORIZON.jpg

A DAY BEYOND THE HORIZON

理解できたかということは別としてとても面白い作品だった。特典映像の舞台挨拶を観てたら謎が隠されているのでもう一度観て欲しいと何度も言われているのでそういうものかな、という気持ちになり作品自体は好みなので明日もう一度観てみようか。

今日は一回目ということで感じたことを書き連ねてみようか。

大森南朋出演、同監督ということで気持ち的に昨日観た『1 イチ』を引きずっているところもある。
舞台が沖縄なのでもっと爽やかだし、行動範囲も広いのだが盲目のボクサーが殺人的(ていうか殺人だが)強さだとか、なんか女性がだらしない性格で作品的に粗雑に扱われているようなとこだとか、結局男同士の結束の物語であるというところはまったく同じである。
加藤ローサという可愛らしい少女を登場させているのにも関わらず彼女と男達の関係よりもアキと勝男そして盲目のボクサーとの関係に目が向いてしまう。アキと勝男はお婆に兄弟のように育てられた。勝男はアキに対して絶対的な庇護者である。彼らの会話からいつもアキが厄介を背負い込んでは勝男が守っていたことが判るし、アキもそれを知っているために再び兄と慕う勝男のもとへ逃げ込んでくるのだ。
お婆が言う「アキはお前しか頼る者がいないし、お前もアキしか守る者がいない」それを聞いた勝男もじゅうじゅう判っているという雰囲気である。とはいえ、勝男は盲目のボクサーも庇護してるし、突然流れついた少女イチゴも庇護下にあるわけで助ける亀も一匹ではないので大変である。
幼い時からアキと一緒に竜宮城へ行くことが夢である勝男は途中で死んでしまい、残されたアキもイチゴと共に海へ出たところをスナイパーに撃たれてしんでしまう。そしてイチゴは竜宮城へ向かうアキと勝男の声を聞く、というシュールな物語である。
昨日の話とこれも同じで私にはどう考えても(というか反射的に)ゲイの物語だとしか思えない。ゲイの物語をはっきりとそう言わずに表現するとこうなるのかなーと。

じゃあなんでこうゲイの物語を隠してやるのかといえばそれは私にはわからない。
恥ずかしいとかなんか芸術的に見えるとか。
などと書くとちょっと反感もっているように思われてしまいそうだが隠されたゲイストーリーという表現は隠微に好きなのでそれはそれでもいい。

はてこれで感想になるのか。最近はもう一日一作品のペースで行ってしまっているが今回はもう一度観てみて確かめてみようかと思う。
どんな風に感じ方が変わるのか、ちょっと我に期待してみたりして。

監督:丹野雅仁 出演:平岡祐太 加藤ローサ 大森南朋 曽根英樹
2005年日本

ラベル:
posted by フェイユイ at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月15日

『1 イチ』丹野雅仁

1 イチ.jpg

実は昨日の『殺し屋1』再観は今夜この『1 イチ』を観る為だった。他の方の感想を観るとかなり評判悪そうなんだけど自分としては凄く面白かったのは昨日の影響を引きずっているからか。
まそれは多少あるかもしれないがこれはこれで官能的に楽しめたのだった。
しかもナオさんとしては30歳で高校生の役ということでいかがわしさが漂うのである。『殺し屋1』はどうしても浅野忠信のキャラが前に出てしまっていたせいもあってこちらのほうが1=城石一の特異性がわかりやすく描かれている。
1は暴力そのもので性的欲望が満たされるのだがその彼の暴力性を巡って3人の男が1に絡んでいくという構図がどうしても同性愛的な意味合いを兼ねているように思えてならない。そういえばこれもイジメ=暴力を描いた映画『隣人13号』も暴力と同性愛的なものが重なっていたのだがイジメ=暴力にはどこかそういう意味もあるというのだろうか。(1と13って数字にこだわるのも何故)
それはまた考えねばならない事柄だが、1と「やりたい」としつこく追いかける二人の武闘派(?)と彼をひそかに見守る師匠からは力と性的なものとは切り離せないものがあるのだと感じさせる。
1にいたっては過激な暴力を見た時のみに性的欲望が高まり残虐な暴力を与えた時に射精するというわかりやすさで肉体的暴力は通常女性よりも男性のほうが強いものである為に1の欲望は男性に対して強く表れるのだろう。
それにしても最後に種明かしがあるものの稽古場で一人きりになった1が勃起しているのを影でじっと見つめている師匠というのはただ単にゲイなの?と思ってしまったではないか。いくらなんでもこれは最初からその意図だったと思うのだが。
稽古場に置かれたあの物体(パンチキック練習具)はどう見ても男性のアレだし。それと格闘してる1の姿。

千原ジュニアの狂気的暴力もTEAHの端正で熱い闘志も1を高ぶらせ至高の悦楽へと誘う。
大森南朋の情けない1が次第に狂気を帯びてくる。最後の微笑みはやはり容赦しないものだったんだろう。

TEAHの腕力とジュニアの締め技とナオさんの蹴りというように暴力が色分けされているのが面白い。
蹴り、というのはやはり独特な味わいがあるものだ。これはかかと落としを取り入れているのだろうか。

監督:丹野雅仁

posted by フェイユイ at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『殺し屋1』三池崇史

殺し屋1.jpg
ICHI THE KILLER

あまりにも物凄く面白くて観終わるのが悲しくさえあった。悦楽の2時間余りだった。
などと言うとかつて『藍空』で書いた(よな)この映画の感想を読まれた方が今パソコン画面に飲んでるコーヒーだかビールを噴出してしまわれると申し訳ないのだが、今回再観して(ついに!)そう感じてしまったのだからしょうがない。つまりは数年前、理解できなかったこの作品がいい!と感じることが出来るまでに我が脳が精進したということと思っていただきたい(そんなでもないが)しかしあつかましく言わせていただければ理解不能だったものがこうもクリアに感じ取れるようになるのは快感としか言いようがない。
言い換えれば最初これを観た時は何もかもまったくわからないままに観ていたのである。何も判らず観ても面白かったという方もおられるだろうが自分は描かれているグロテスクな痛みにまず負けてしまい殆ど正視できないような状態だったのだ。こんな痛い映画を我慢させられたというだけでもちょっと苛立ちがあった。
まあこの数年で韓国映画を主とする様々な「激痛ムービー」にすっかり神経も慣らされて強靭にというよりかなり鈍感になることができた。
そうなると色々落ち着いて画面も観れる。また初見の時はただ浅野忠信だけが目的で、監督の三池崇史氏のことも重要人物であるジジイ役の塚本晋也さんも知らずにいた。浅野忠信がマゾ役だと聞いて観た私はさほど浅野のマゾシーンがないことに腹を立てたのだったがこうして再観しているとそういったマゾシーンを特に期待しなくともよかったんじゃ、と思いつつ観たわけで人間こうも変わるものか。
とにかく今回はイチ役の大森南朋が目当てであって彼のことを何も思ってなかった前回とは根本的にまったく違うのだった。

とにかくある意味キャラクター設定の面白さに尽きるのかもしれない。そこを知ってるかどうかで全然違ってくるのではないか。
浅野忠信=垣原の美しさ、妖しさ、危険な個性はもう言うまでもない。いつもまったく自然体で話す浅野のしゃべり方の魅力というのはここで危険な雰囲気をさらに強めている。彼に最上の痛みを与えてくれた安生組の「親父」を探すとともに人間と思えない残虐性を持つイチに対しマゾ的期待を高める。
浅野の傷だらけの美貌はやはり壮絶に魅せられる。裂けた口をピアスで留めているのも顔じゅうの傷跡も色っぽいのだ。
ジジイの塚本晋也。この映画って主人公が誰かよく判んないの。『殺し屋1』って言う割には垣原がずっと出てるし表紙だし、その上、本当の主役はこのジジイなのかな、とも思えるし。塚本晋也さんは映画監督でありながらも様々なとこで役者として登場してるがここでも主役ともいえる重要なキャラクターである。すべてが彼の計画であり彼の駒である1たちを暗示にかけていたという設定はぞくぞくするものだった。
そして1=大森南朋。まだ全部じゃないが色んなナオさんの顔を観て来たが、この1は彼の役の中でも秀逸なものだろう。ジジイによって作られたという彼の歪んだ人間性が大森南朋の表情の上で異常な笑みとして表現された瞬間は神経がゾクゾクと毛羽立ちそうだった。
ヤクザでありながら表情の乏しい緩やかなマゾヒストである浅野と対照的に一見気弱な青年が危険な区域に入ってしまう激情型を見せ付けてくれた大森南朋にこれまでにない魅力を感じてしまったのだ。
自分はどうもこういう危ない目をしたキャラクターが好きでしょうがなくて松山ケンイチもシン・ハギュンもその危ない目に参ってしまってるのだがナオさんの中にもそういったイッチャッてる感性を見せられてますます彼に溺れてしまいそうなのである。
長身で筋肉質な体は1の変てこなボディスーツがかっこよく見えるし、いつもと違う情けないいじけ顔も可愛らしい。ジジイと1の関係、1と金子の関係もなかなかよかったし。

数年後の再観でこの映画がこんなに面白く感じられたというのも嬉しいし、浅野はやっぱり綺麗だし、ナオさんをまたさらに惚れこませてくれたというのでも観なおしてみてよかった。

監督:三池崇史 出演:浅野忠信 大森南朋 塚本晋也 SABU 松尾スズキ 寺島進 國村隼 エイリアン・サン
2001年日本
ラベル: 暴力
posted by フェイユイ at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月12日

『春眠り世田谷』山田英治

春眠り世田谷.jpg

もっと忍従な映画かと思ってたら意外とテンポよくて面白く観れた。
まー主役が大森南朋で出ずっぱりなんで彼が好きかどうかで観る気持ちは変わるかもしれないが自分は今惚れ込み中なのでずっと顔を観続けられるだけでもよいかと。でも結局はそれだけじゃ観続けられないんでやっぱり結構面白かったんじゃないかと思う。

同棲中の恋人がいる30男が突然仕事を辞め、映画作りに専念すると発言。優しい彼女は渋い顔ながらも認めてくれるが何ヶ月たっても彼の映画作りは始まろうとしない。
ただ毎日を怠惰に過ごし人生とは何かを考え続ける日々。彼女のぴりぴり感と彼のダラダラ感が二人の部屋に居心地悪いダンダラ模様を描き出す。

元カノからは外見を「老けたね」中味は「変わらないね」そして「コウちゃんは相手のことをまったくわかってないね」と断言される。
その言葉がそのまま映画になってるわけだな。
男女が逆の立場ならまあそう世間様から文句も出ないのだろうが、彼女の方は雑誌社の副編集長でバリバリ働いてて男が何もしてないっていうのは立つ瀬がないわけだなあ。
しかし私なんかがこういうの観てると文句を言いたいとか腹が立つなんていうのじゃなくただもう羨ましくてしょうがない。休みもなく働き続けてもうどのくらいたつんだろうか。一日でいいからぼーっと何もしないというのをやらせてもらいたいがそういう時間を持てたのは何十年も前のことかな。再びもてるのはまた何十年と先のことなのか。それとも人生どうなるのか判らないのか、死んじゃうのか。
「人間は何のために生きるのか」なんてもうずーっと考えない。考えても10秒くらい。それより仕事とご飯の用意を考えんといかんからね。
彼がぼーっとなさっている年齢の頃は最も何も考えず働いていたようだ。だからと言って今も楽になりもせずエンドレスで働いているわけで。
どちらがいいのかな。そりゃ中間でほどよく働きほどよく遊べれば一番いいんだけど、そううまく行かないのが世の中でさ。

ま、今はこういう映画を観てブログでボヤキが書けるくらいの時間だけはあるんだからそれでよしとしなけりゃね。
明日も仕事だー。日曜日の意味は休みじゃないのさ。どの曜日も休みじゃないけど。

さてボヤキはこのくらいにして昨日のクールなハゲタカ大森南朋とこれ以上ないくらいの違ったイメージの彼である。
あどけないくらい可愛かったりもする。坊ちゃん的なヘアスタイルにゆるい服装。
映画もかなーりゆるくて一部マイクが映ってて何が出現したかと驚いた。キム・ギドクの初期作品以来にびっくりした。
とにかく私の代わりにだらだらしてくれるコウちゃんのだらだらぶりを見ているだけで少しほっとできたかもしれない。これはこれでつらいものはあるなとか。この苦痛に比べれば今の我が生活も悪くはないのかもしれない。
子供に怒ってるとちょうどコウちゃんのように論点をすり替えてくる。勉強しなさい、なんて叫んでいるのに、突然「ピラミッドは宇宙人が作ったの?」だとかまったく違うことを言い出すのだ。子供の質問には答えてやらねばならない、なんていう言葉が浮かびつい答えてるとうっかり怒ってる本質を忘れてしまったり。
でも突然赤ちゃん作ろうって言い出して「順番が違うでしょ」って言われたら「じゃ結婚しよう」ってまず金を稼いで来い、という彼女の叫びが聞こえてない。聞こえるわけもないか。夢だけを追う男とリアルの世界に生きる女と。そして男はさらに勘違いの方向へと走っていく。
ほんとに彼女ってお母さんみたいなの。でもやっぱりお母さんじゃなくて彼女だから彼が突然ベッドからいなくなったらそりゃ辛いしね。
「甘えてばかりいないで、私だって甘えたいんだから」こういう気持ちになる女性って多いっていうか殆どそうなのかな。男って子供!どうしてこう子供なんだろうね。コウちゃんがこの後大人になれたとは・・・思えないよなー。

物凄い自分に対するボヤキ感想になってしまった。

監督/脚本:山田英治  出演:大森南朋 今井あずさ 紀伊修平 永井英里 川屋せっちん
2001年日本
ラベル:人生 大森南朋
posted by フェイユイ at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月11日

『ハゲタカ』第1回「日本を買い叩け!」

NHK_hagetaka.jpg

最近になってナオさんを好きになってから観たい観たいと思ってたNHKドラマ『ハゲタカ』やっと借りることができた。
なるほどなかなか観れないだけのことはある面白さだった。しかもドラマだと物凄くアップが多いのでナオさんの顔を観たい目的の奴には嬉しいことだ。別にドラマ観て初めて気づいたわけじゃないがナオさんの顔て丸顔で一重まぶたでいかにもオリエンタルなんだけど鼻がとんがってるとこがちょっとかっこいいんだよね。そのせいか横顔のカットが多いような気がするんだけど。体つきは背が高くて逞しくてほんと好きな体格です。
で、昨日観た映画の小汚さとはうって変わりびしっとスーツで決め髪もきちんとして細い眼鏡がクールで怖いイメージのナオさんである。

企業買収を題材にある投資ファンド日本代表に就任した鷲津(大森南朋)のアメリカへと逃げるようにして渡った過去と冷徹な人間として再び日本へ向かう現在が描かれる。
日本企業を次々と買収する彼らは『ハゲタカ』と呼ばれるのだ。

冒頭映像がショックだったのでこの場面にどうつながっていくのか、気になるところである。
しかし小銭的な世界でのみ生きている自分には「億」などという単位を言われるとそれだけでゲームのようでさっぱり実感がわかない。今回は何と言っても親父の時代に繁栄した老舗旅館経営を行き詰らせてしまった宇崎竜童氏のよれよれ具合が胸に迫る。足掻けば足掻くほどドツボにはまってしまい己の状況が見えなくなってしまう。ホントに早く龍平くんにまかせればよかったのだ。しかし後悔先に立たず。

様々な役をこなす大森南朋さんだがどっちかというと柔らかなイメージがあるように思えるのだが、クールな男かっこいい。
『ヴァイブレータ』で好きになってしまった私だが(このタイプのファン物凄く多そう)あの時の彼はメチャかっこいいんだけど、本音を言うとあの役はもちょっと馬鹿なほうがいいのである。ナオさんは顔が頭よさそう過ぎて金髪にするなどの工夫はしてるもののちょっと馬鹿さに欠けるのだったが素敵なのでもういいや状態だったんだけど(いえホントに好きでしたけど)これの場合はまさにぴったり。気弱だった時もあり、クールに変身した今もあり、で頭いいのは当然だし且つスーツに隠された逞しい長身でにやにや笑いが止まらない私なのだった。

そして旅館経営の宇崎氏の息子役に松田龍平。実は中村獅童だったらしい。竜童に龍平。竜童に獅童。語呂合わせで決めたんじゃねーよな。っていうのはどうでもいいが獅童氏だったらどういう息子になってたんだ?想像つかん?
とにかく龍平くんでよかった。龍平くん、時々お父さんと同じしゃべり方になる。やはり血なのか。それともお父さんの映画なんかで勉強してるのか。

懐かしいというほど彼の作品を観ていたのでもないが柴田恭兵さんも久し振りに観ることができた。
嶋田久作さんがちらっと見えたのは何かある?

脚本:林宏司 出演:大森南朋 松田龍平 栗山千明 柴田恭兵 嶋田久作
2007年日本
posted by フェイユイ at 22:33| Comment(0) | TrackBack(1) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月10日

『たとえ世界が終わっても CYCLE SOUL APARTMENT』野口照夫

たとえ世界が終わっても CYCLE SOUL APARTMENT.jpg

微妙なバランスの映画で同じ内容でも演出というか雰囲気が違ったら大好きにもなりそうなのだが、結構普通っぽいところが受けるのかもしれないけど自分としてはあまり好みの範疇でない作品だった。

ほんと言うと自殺しようとする人に対してこんなおせっかいをするキャラクターというのが基本的にうざったいと思ってしまう。別に自殺を推奨しようというのではないが、現実にはこうやって止めてくれる人はいないわけでだからこそこういう人がいたらいいのに、という願望なのかもしれないけど、何か反発してしまう気持ちが湧いてしまうのだ。

とはいえ、大森南朋が演じる不思議な男のイメージやアパートの住人の雰囲気がこの映画のこの物語でなく別の話だったらもっと好きになりそう、と思いながら観ていた。
ナオさんの演じる妙田という男はそれこそ妙だな、ということなんだろうけどその名前にぴったりの妙な空気を持つ男で彼のいる部屋だとか白衣だとかも他のストーリーを考えさせられる変な存在感があるのだった。
自殺しようとしてる人を止めるという話でもいいんだけど、偽の結婚でも田舎の両親との再会でもいいんだけどこの作品の持つテイストというか甘い雰囲気みたいなのがどうもむず痒く耐え切れない自分なのである。

それにしても奇妙なアパートの管理人という役のナオさんは凄く素敵である。
もうちょっと違ったやり方で観たかったなあ。

一番の収穫は妙田氏の部屋に飾ってあったナオさんがかっこよくポーズを決めている写真を見れたこと。あれは欲しい〜。売り出してくれ。

監督:野口照夫 出演:芦名星 安田顕 大森南朋 小市慢太郎 平泉成
2007年日本
posted by フェイユイ at 22:40| Comment(0) | TrackBack(1) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月09日

『OUT』平山秀幸

out.jpg

この映画の鑑賞を出だし部分で止めてしまうとこだった。というのは主人公雅子がどうしてこんな馬鹿馬鹿しい自分にとって不利益どころか刑罰を被らねばならない羽目になることを引き受けてしまうのか、あまりにも唐突で理解し難くそういう適当な作品なのだろうかともう少しでストップボタンを押すところだった。
何故止めなかったかといえば別段雅子たちに真実が隠されているとか思ったわけでもなく単に大森南朋さんがどうなるか見たかっただけである。彼が処理される場面辺りでもまだ胡散臭げに観ていたのだが、まあこういう処理というものはどんなもんだろうかと観たくもあったし師匠の他に邦子が加担したぐらいから次第に興味を持ち出してしまった。

あれよあれよと引っ張られそのうちに雅子がどうしてこんなことを引き受けたのかは言われなくとも納得できるようになった。
まあ彼女の気持ちは最後きっちりと言葉で表現されていたのだが、。
これを観てるとなるほど『ファーゴ』で自分が何か不満を持ってしまったのも少し解けたような気もする。
犯罪を扱った物語は山とあるが殆どは男が起こすものであって女がその原因だとか引き金だとか犠牲者として使われることが多い。
『ファーゴ』に置いて女性は悪党の妻の方でも警察の方でも「善人」として登場していた。それはまあたまたまだったのかもしれないが、女性=善き人(であるべき)という考え方にムカついていたのかもしれない。
ここでの4人の女性はごく普通の女達でしかないのだがとんでもない女達である。かといってよく言う悪女だとか小悪魔だとかましてや極道みたいなもんではなく、突発的に起こしてしまった犯罪を行きがかり上片付けているうちに今まで失ってしまっていた生き甲斐をそこに見つけてしまったのである。
ここに私が最初に感じた「何故?」があるのだが雅子自身何故自分がそうするのか判ってなかったのかもしれない。我儘で甘ったれた弥生の理不尽な頼みごとを何となく引き受けてしまった。それは弥生が雅子の手に感じさせたお腹の子供の為だと思い込ませたのかもしれないし、彼女自身が認めるようにきちんと片付けないと駄目な性格が災いしたのかもしれない。
だがきちんとした雅子の生活がきちんとした中で倦み疲れきっていることが判りそうした閉ざされた生活、破裂したいけど破裂できない膨れ上がった膿のような状態になっていた時、心のどこかでこの事件がその膿を出してしまうきっかけになることを感じてしまったのかもしれない。
そしてそれは私を含め多くの主婦(だけではなくある年齢以上の女性は、か)なら感じたことのある感覚ではないだろうか。

きっかけとなった死体処理が雅子たちを次の行動へと移らせる。
もう彼女達ははっきりとその行為に喜びを感じている。男達がぞっとする、と愚痴る行為を「(自分たちの仕事である)弁当作りと一緒ね」とてきぱきと片付けてしまうのだ。
他の話なら邦子が言うようにカーテンを引き、目の下に隈を作って悩むはずの罪の意識などまったく感じることもなくばらばらにされた夫のことなど一度も涙されることもなく彼女達は自分らがどうするかだけを考える。
最後、雅子がどうしようもなくお荷物な邦子と弥生を乗せながら北へと向かう場面は痛快である。その先にやがて逮捕という黒い未来が待ち構えているのだとしても。いやだからこそ突っ走っていく彼女達の姿に見入ってしまったのかもしれないが。
『ファーゴ』で人のいい旦那を持った女性警察署長は彼女達にも「こんないい天気なのに信じられない」と言うことだろう。優しい夫と寄り添って「私たちはいい夫婦ね」と自慢することだろう。よかったね。
雅子が見るオーロラをあなたは見ないだろう。見る必要もないのだから。

忘れてはいけない大森南朋。しょっぱなから登場してくれたのはいいが、ギャンブル狂いのドメスティックバイオレンス夫。
酷いです。殺されても文句言えない、というとこを見せ付けます。このくらいやんないとほら妻が単に悪者になっちまうからね。
それでなくともこの妻。この4人の中で最悪の女だもん。どうして今まで暴力を甘んじて受けていたのか。ここで切れたのか。
とにかくその後はかなり長く死体役。死後硬直で固まってないといけないし、服を脱がされすっぽんぽんにされ、皮かぶりなどと嘲笑されますがとにかく酷い男だったのでそのくらい仕方ないです。
でもやっぱかっこいいですね。悪い男の時は特にかっこいいみたい。しかし本当〜に色んな役をやる人です。首切られそうな時、よくじっとしていられるなあ。

香川照之が演じた金融男の故郷が飯塚っていうのがなんだかリアル。地元民にとって福岡県でも博多っていうんじゃなくて飯塚。リアルだ。それ以上言いにくい^^;結構凄いとこです。
地元っていうので思い出したがこの映画が話題になった時「面白そう」と興味を持ったのだ。でもちょうどその頃、近くでなんだか似たような事件が起きて。
しかも聞いただけのあらすじより実際の事件が凄すぎた。事実の方が映画より怖いじゃん、って。それで観なかったんだよね。でも実際観るとそういう起きた事柄だけじゃないってことがわかる。実話でなく作品というのは何か訴えるものが違うんだな、と。
ところで実話の方では何故他の女が主役級の女に従ったかというと「同性愛的な隷属下」にいたからというのが答えだった。
本当に事実って映画より信じられないことで成り立っている。
でも作品というのは驚かすためじゃなく何かを物語るためにあるのだと改めて思った本作だった。

監督:平山秀幸 出演:原田美枝子 倍賞美津子 室井滋 西田尚美 香川照之 間寛平 大森南朋
2002年日本



ラベル:犯罪
posted by フェイユイ at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月06日

『QUARTET カルテット』久石譲

QUARTET カルテット.jpg
QUARTET

人気音楽家の久石譲氏の初監督映画ということだが、非常に判りやすく素直にまとめられた作品に仕上がっている。
逆に言えば、とことん「よくある」タイプの設定・演出・構成になっているので最初からエンディングが予想できてしまうのだがどれ一つ予想の裏切りがないのでいいと言えばいいのだがまあ、芸術的ではないと言う感じ。
といっても嫌味な感じがないのでさらりと全部見通すことが出来る。多分、久石譲の音楽と同じように口当たりのいい作品ということなのかな。

凄くかっこいい袴田吉彦をリーダーとして綺麗な桜井幸子さん、と凄く弾き方がさまになってる!と思ったら一人本物の音楽家の久木田薫さん。弾いている時の腕がとても綺麗で見惚れてしまう。
そして今回、人がよくて教えるのはうまいけど技術がいまいちのヴィオラ奏者役の大森南朋さん。職を失ったのに奥さんはもうすぐ子供が生まれるという苦しい立場の役。
といっても他の3人もそれぞれ職を失ったり、家が破産したりという逆境に直面しているところなのだ。
こういった4人が仕方なしに日本各地を転々として演奏活動と聞こえがいいが、場所はうるさい子供達が駆け回る体育館みたいなとこや花火会場で牛舎で練習したりホテルとは名ばかりの海の家だったりと散々なツアーをこなしていく。
この展開って凄く面白くてちょっといいなあ、と思うんだが、さすがに映画監督じゃないからなのか久石氏がそういう人なのか、淡々と経過が描かれていくだけで、まあそれはそれでさらっとしていいんだけど映画としての深みがまったくないのは不思議。
やっぱり音楽家の人だからだろうか。
私の好み的にはこの流浪の音楽の旅の部分をもっとぐーっと掘り下げて欲しかったんだけどなあ。あの軽トラで走ってるとこだけが音楽的だった。
昔の話で戦後、食うや食わずで日本各地を演奏してまわった演奏家たちの話を聞いたことがあってすごくいいなあと思ったものだ。勿論彼ら自身はご飯もろくに食べれなくて必死だったんだけどね。その辺がちょっと重なって面白いなと期待したのだがそれほどここが濃密にならなくて全体が同じトーンで進んでいくのだ。
音楽としてはそういう展開ってありえないのにやはり違う表現方法だと簡単になってしまうのかもしれない。

ラストもきっちりスタンダードを持ってきたね。
おひょいさんはじめ他のキャラクターも時折いれる笑いもいかにもという演出だったし。

大森南朋はきちんと自分の役を演じていたし、ここでもまた魅力的だったので申し分なし。
昨日の『アイデン&ティティ』よりは出番多かったな。役的には昨日はベース奏者今日はヴィオラ奏者と主役を引き立てる役どころ。
出産前後の奥さん思いの優しい男性で素敵だった。
どうしても袴田さんと桜井さんのアップが多いのだが自分はナオさんのとこだけ繰り返し観た。

ところでこれはどうでもいいんだけど「シントウキョウ楽団」というのを「新東京楽団」(だよね多分)ではなくずっと「神道教楽団」だと思い込んで観てた。凄い宗教的楽団だと思って、あんまり洋楽的じゃないなとか。ほんとにどうでもいいことだ。

久石譲ファンにとっては気にならないごく当たり前のストーリーの中に彼の音楽がちりばめられていることがより久石音楽を堪能できる、ということでいいのかもしれないのだが。


監督:久石譲 出演:袴田吉彦 桜井幸子 大森南朋 久木田薫 藤村俊二 三浦友和 草村礼子
2000年日本
posted by フェイユイ at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月05日

『アイデン&ティティ』田口トモロヲ

アイデン&ティティ  6.jpgアイデン&ティティ  4.jpg

こんなに共感できる映画もない、と感じてしまった。まてよ、私はさほどロックにはまったわけでもないし、バンドをやってたわけでもおまけに男でもないのだが。その上ボブ・ディランのことは殆ど知らない。
それでもこの映画の主人公アイデン=中島と共鳴しつつ観てしまったのだった。

無論いわゆるロック世代に生存していたということはあるのだろうなあ。今の若者とは違うのかもしれない。
ロックという言葉が反逆を意味していた。ロックという音楽に自由を求め、そこに何か人生の答えがあるのではないかと感じていた世代。
そのくせイカ天だって見てたのさ。
原作者のみうらじゅんさんが「大島渚」で出てたのだって見た。申し訳ないことに内容は覚えてないけど(ほんとすみません)

だからアイデン=中島の熱さは昔っぽいし恋人ティティは70年代の女性みたいなしゃべり方だ。
そういう世界にいたわけでもないがそれでもそういう世界に憧れていた若い頃を思い出さずにはいられない。ロックが世界を変えることがあるのかもしれないとぼんやりと思っていた頃の。

最初から終わりまでもうなんだか切ない気持ちで見続けた。アイデンが苦しみながら悩みながらも自分を失わないで生きてくれたことが嬉しかった。そしてすっかりアイデンになってしまった私はティティがホントに綺麗に見えて彼女なしでは生きていけないような気持ちになってしまったよ。もし自分がほんとに男だったらその外見も含めて彼女に恋するだろうなあ。女としては憧れてしまう。危険な可能性も持ったマザーというのが凄い。
反面、実際には彼女みたいな女性が側にいてくれることなんてそうそうないだろう。迷い続けるアイデン中島は彼女と彼にしか見えないボブ・ディラン(アイデン命名)の助言でなんとか危うく自我(つまりアイデンティティ)を保っているわけで。ここまで支えがないとアイデンティティを持ち続けることは難しいんだ。てことは殆ど不可能ってわけですな。苦しいね。

アイデンティティを見失ってしまいそうになるアイデンにティティはいう「君が君でいる限り私は君が好きだよ」
凄く優しい言葉であると同時に凄く厳しい言葉じゃないか。

アイデンを演じている峯田 和伸はどことなくみうらじゅんを彷彿としなくもないし自身がミュージシャンということで演奏が違和感なく観れるというだけでなくこの映画の主役として素晴らしい存在感なのではないだろうか。こんないい役者をどうして見たことがないんだろうと思ってしまった。
ティティ役の麻生久美子さんは文句なしに女神様です。出来すぎとは判ってもやっぱり憧れます。男になったとしても女としても。
彼女が一番ロックですわ。
ジョニーの中村獅童。がはは。おかしい。いつも破壊的な彼のほうがまだ体面を気にする常識者なの、中島に比べると。
でももう滅茶苦茶になるのかと思ってたらあのバンドが好きなんだとか言うのが泣けた。ん、でも復活するのかな、ジョニーって。
そしてそして目的の大森南朋さんが、くーかっこいい!!無口なベーシストなの!背が高くて脚長くて腕が逞しいからもう素敵で素敵で。でも「俺馬鹿だから」ただバンドと中島についていくっていうのがまたおかしい。無口なのは馬鹿だったからなのね。くくく。でもすてきなのだ。
彼も外されそうになったのに何故かずっとくっついていたからほっとしたあ。
社長の岸辺シロー、居酒屋親父の三上寛、なぜかチョイ役ウェイターに浅野忠信(なぜなぜ)中島のお母さんのあき竹城、お父さんが塩見三省なのも愉快(こんな似た夫婦って。しかもアイデン似てないし)

アイデンのティティへの一途な愛は心打たれるのに、そこは悲しい男の性、ライブ後にファンの女の子とつい寝てしまうのだ。
ティティにはもうお見通しで泣きながら謝るアイデンの場面でもつい共感。ふつうこういう話って女性的にじゃ強烈に反感もってしまうのになんでこの作品ではアイデンに共感してんだろ。その後でも風俗行ってしまうしね、あーあ、アイデンって。
この映画って悩み苦しんでるんだけどホントは凄く甘い話なの。彼女のこともそうだし、仲間とも喧嘩別れはしないしね。駄目になっても駄目になってもそれなりに自分の道を見つけて愛する人たちを手放さない、甘い話なんだよね。でもそれでいいんだ。そうあって欲しいんだもん。
それはアイデンが言ってたように中産階級に生まれ不幸を知らないで育ったのが不幸というような人間だからかもしれないけど。

幾つかロック映画も観たけどさ、好きなのもあったけど、この映画はほんとに自分を振り返ることができた作品だった。
まとめるなーとか言われそうだけど(笑)

でもティティってアイデンの心の中だけに存在する女性なのかな、とも思ったの。だってあんまり他の登場人物との絡みがないでしょ。でも話題に上ってくるから実在はするのかなー。
ボブ・ディランとティティは二人ともアイデンのアイデンティティを存続させる為の心の現象なのかな、とも思ったのだった。

監督:田口トモロヲ (っていうのもびっくり) 脚本:宮藤官九郎 原作:みうらじゅん 出演:峯田和伸 麻生久美子 中村獅童 大森南朋 マギー(ジョビジョバ) コタニキンヤ 岸部四郎(岸部シロー)
2003年日本

アイデン&ティティ.jpgアイデン&ティティ  2.jpgアイデン&ティティ  3.jpgアイデン&ティティ  5.jpg
posted by フェイユイ at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月04日

『蟲師』大友克洋

蟲師2.jpg蟲師.jpg虹郎.jpg

これは思い切り大森南朋目的で鑑賞。原作及びアニメのファンの方からの評価は悪いようだが、自分はどちらも未見のせいかとても楽しく観ることができた。特に自分にとって鬼門となっているオダギリジョー出演作(私はどうもオダギリ出演作と相性が悪いのだ)なのだがこれは面白かった。とはいえ、こうして面白い作品を観ると余計思うのだが主役がオダギリではない方がよかったのではないだろうか。この人って美形ではあるが何か雰囲気がない、と思ってしまうのはやはり私が彼を好きでないからだけか。
目的の大森南朋の虹郎は結構出番があってうれしかった。やっぱりたくましくてからだの線が綺麗な人である。時代ものだとこういう風に脚が見れていいなあ。長くてがっしりしてかっこいい脚なのだ。
そして物語がオダギリ演じるギンコと虹郎の二人旅であり深い交流が描かれるのは凄く好きな展開である。ぼーっとなったギンコを守りながら虹郎が旅を続けるくだりなんかね。
しかし惜しむらくは相手がオダギリのせいなのか、なんなのか思ったほど二人の間に微妙な感覚がないのだよねー。これはオダギリが演じている他の作品のどれでも(自分が観た奴は)思ってしまうんだけど。これは私の勝手な感覚なんでしょうがないんだけどね。
むしろオダギリがボケエとなってしまっている時のたまさんと淡幽と虹郎の間の空気の方がよかったりして。いやもう感覚的なことだが。
たまさんの李麗仙、淡幽の蒼井優の関係なんかは凄くよかった。蒼井優は綺麗だしこういう雰囲気あるなー。
オダギリより子供時代の少年が可愛くてぬいとの関係もよかった。オダギリって誰かとの関係っていうのが色っぽくないと思うのだ。

物語について言えば、蟲師という設定が面白くて説明をいちいち興味を持って観てしまった。映像的にもあまり気色悪いものではなかったので観やすかったし(これは褒め言葉になるのかどうかよく判らんが)
でもさギンコのやってたことより淡幽が箸で文字をぴゅーっ、ぴゅーっってのが面白かったなあ。たまさんの処置もどうなるのかと思い緊張した。
淡々とした展開や時代背景なんかもよかったし、画面は綺麗だったね。

今までさほど興味を持ってなかったのだが、映画があんまり面白かったので原作も読んでみたくなったし、アニメもちょっと観てみたい、と思ってしまったよ。

監督:大友克洋 出演:オダギリ ジョー 大森南朋 蒼井優 江角マキコ 李麗仙 りりィ
2006年日本

posted by フェイユイ at 23:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月29日

『乱歩地獄』 竹内スグル 実相寺昭雄 佐藤寿保 カネコアツシ

乱歩地獄.jpg

浅野忠信さんのカテゴリ作ってたら勿論そこにいれるべきなのだが、大森南朋さんが出演されていたのでこうなった。

江戸川乱歩は大好きでまた数多くの創作者が彼の小説を映像化しているのだが、正直言って小説で読む以上のぞくぞくする喜び楽しさおぞましさというのはまだお目にかかれてない気がする。
これもどうせ、みたいな気持ちがしてなかなか観ないでいたのだが、短編にされていた為なのか、なかなか面白かった。それでも小説には及ばないと思ってしまうのは思い入れが強すぎるのだろうか。

第1話『火星の運河』監督・脚本・撮影: 竹内スグル  出演:浅野忠信 shan  森山開次  加賀谷香
浅野忠信はほんとに綺麗だな。タイトルからして乱歩としては不思議だが、殺人者の孤独感を描いたもの、ということでいいのだろうか。

第2話『鏡地獄』 監督: 実相寺昭雄  脚本: 薩川昭夫  出演:浅野忠信 成宮寛貴  寺田農  寺島進
実相寺監督作品なので安心して鑑賞。オーソドックスな乱歩世界であり、浅野忠信の明智小五郎が見れるというのもお楽しみ。こんなイメージの明智ってないような。しかもちゃんと小林少年が傍についていたのが嬉しい。基本的に自分にとっては江戸川乱歩は日本のメジャー小説の中でも突出してゲイを扱っているのが重要であるのに、映画化されるとなぜかあまりそこには触れられていない気がする。この映画でもゲイ要素は感じられない。実相寺監督のみが妖しい美少年と小五郎とのゲイ的な雰囲気を漂わせてくれている。他の方も頑張って欲しいのだが。『孤島の鬼』をやってくれないかな。
成宮寛貴が充分にナルシストな美少年ぶりを発揮してくれているし、彼と明智小五郎の目のやり取りがなにやら妖しげで傍にいる小林少年がそれに気づいて無言の嫉妬をしているという熱の入れ方である。

鏡というのが美少年をさらに美しく演出している、みごとな乱歩絵巻。

第3話『芋虫』監督: 佐藤寿保  脚本: 夢野史郎  出演:浅野忠信 松田龍平 岡元夕紀子  大森南朋
乱歩というと『芋虫』を思い浮かべてしまう人も多いのではなかろうか。想像してはいけない危険なエロティシズムなのである。
『ヴァイブレータ』でなんともいえない快感を味わせてくれた大森南朋が芋虫になってしまう須永中尉を演じている。戦地へ赴き四肢を失い話すこともできなくなった夫に倒錯した愛情を抱く妻を岡元夕紀子が演じていて美しい。
また二十面相と呼ばれている男に松田龍平。彼の美貌は乱歩にぴったりだ。もっと演じて欲しい。
あの色っぽい肉体を持ったナオさんが手足を失って転がっているとは勿体ない話だが、美しい妻にここまで愛されているというのはさすがにモテる男ということかな。
危険な性衝動に昂ぶる妻が愛する夫をますます傷つけて残された目まで奪ってしまう。
また夫も妻を許し愛を受け入れているのだ。
その現場を覗き見る松田龍平という倒錯劇。
乱歩世界がおぞましくも美しく再現されている。
惜しむらくは小林少年らしき人物を女性が演じていることでこれは実相寺監督と同じくきちんとやって欲しかったなあ。

第4話『蟲』監督・脚本: カネコアツシ  出演:浅野忠信 緒川たまき 田口浩正
これはかなりぶっ飛んでいて特に浅野忠信が見ていいのかな、と思うくらい自分を壊していた。
観ていくうちにおかしくもなってしまい、悲しくもなってしまう。他人と接触することが出来ないアレルギー性皮膚炎を起こしているタクシー運転士が恋をしてしまった美しい女優を殺害、自分の家へ連れ帰りホルマリン注射をする。
そうはしてもどんどん色がどす黒くなっていくので彩色し、それでも今度は腐って膨れていってしまうのがどうにも滑稽なのである。
彼女の腐ったからだから出てくる蛆虫に「蟲ーっ」と叫びながら己が首の皮膚炎を掻き毟るのが痒そうで辛い。
蟲って感じって虫がいっぺんに3匹もいるのが不気味だよね。
緒川たまきさんが物凄く綺麗な死体になっている。
現実の女性と接することができないオタクな青年像でもあってこの作品中で浅野忠信が一番ノリノリでやってるのかもしれない。でなきゃヤケクソで。かっこいい浅野さんがー!って感じなのである。
次第に狂っていく過程が怖くおかしい作品だった。

『ユメ十夜』も楽しかったがこういうある作家の作品をオムニバスで作るというのはとても面白くて好きだ。
短編だから退屈もしないし。どれかは好きになれるだろうし(全部駄目だとどうしようもないが)
こういう企画ってもっとやって欲しいなと思う。

2005年日本

posted by フェイユイ at 23:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。