

久しぶりの増村保造だが、やはり面白い。しっかし恐ろしいタイミングというかまったくの偶然なのだが、昨日観て不満だったナタリー・ポートマンのアン・ブーリン!若尾文子に演じてもらったらよかったねえ。こういう色香を持つ悪女を想像していたんだが、まさか次の日、日本映画に登場してくるとは思わなんだ。
若尾文子が女優として活躍していた頃を知っているわけではないので自分にとっては映像の中だけの存在なのだが、目鼻立ちも体つきもどぎつさのない小作りのまるでお人形のような美しさに見えるのだが、日本女性にしてはちょっと低音の声でそれがまた悪女の色気を持っている。
本作の彼女は特に徹底した悪女となって描かれているのだが、それは彼女の白い背中に彫られた女郎蜘蛛が男の生き血を欲しがっているからだという理由なのである。
裕福な商家の箱入り娘であるはずのお艶は手代の新助と駆け落ちし、船宿の亭主の家へ隠れるが、悪党たちの算段で女郎として売り飛ばされてしまい、新助は殺されそうになってしまうのである。
ここまではよくある話といったところだが、このお嬢さん、まったく怖気づくこともなくまさに女郎蜘蛛の魂が入り込んでしまったかのように男たちから金を絞りとることに喜びを見出していくのである。なよなよとした愛らしい手弱女が人を殺すことすら何のためらいも恐れも見せず己の欲だけを満足させる姿はぞくぞくさせられる。
しかしそのお艶と恋仲になった新助は彼女との駆け落ちでさえすでにびくびくと怖気づき、お艶の変貌に愕然とし、人を殺すたびに焼かれるような苦しみを背負ってしまう。そのくせどうしてもお艶からは離れきれず彼女が他の男と体を重ねることには激しく嫉妬してしまうのである。
ここまで微塵も心が揺らがない悪女の表現というのはブニュエルなんかを思い出すくらいだろうか。
あまりに躊躇いなく恐ろしいことを口にし、行動する美しい女に見惚れてしまうのだ。
映像はきっぱりと計算された美しさがあり、艶が着る着物も今よく見るような類のものではなく、なんともお洒落で可愛らしい。着物を身につけていく様子、また脱がされていく過程も現在ではあまり観ることのできない美しい動作なのではないだろうか。
冒頭から縛られ、薬を嗅がされて気を失ったところをまっ白い背中に刺青をされていく、いかがわしい色欲に犯されていくそのままの表現としか思えない。
実際には彼女の裸も性的な場面もないのだがぬめぬめとした淫猥さに満ちている作品なおである。
このくらいの色香が昨日のアン・ブーリンにあったなら。といってもむしろそれを持つのはメアリ役のスカーレット・ヨハンソンのほうだが。
お艶のような美しい悪女に憧れてしまうのは自分がどうあっても絶対になりえない存在だからなんだろう。それは幸せであるのかもしれないが。
監督:増村保造 出演:若尾文子 長谷川明男 山本學 佐藤慶
1966年日本