映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年09月30日

『キャデラック・マン』ロジャー・ドナルドソン

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CADILLAC MAN

実はこの映画、何日も前から少し観ては挫折し少し観ては挫折し、もう止めようかと思ったのだが何しろティム・ロビンス目当てで観てるのにまだ(多分)彼の姿をちらとも観ず止めるのもナンなのでとにかくティムが出てくるまでは頑張ろうと再再挑戦。一旦バイク男のようだと思ったがすぐ退場。やっと40分過ぎに顔を見せてくれた。

90分ちょっとの映画なのでほぼ半分までティムが出てこないし、主人公のロビン・ウィリアムスも嫌いじゃないけど、女ったらしのセールスマンという役なので彼のイメージとしては?だったりする。
しかも本作の前半部分はかなりぐったりする。こういうドタバタコメディというのも久しぶりに観たがドタバタぶりがとんでもなく面白いわけでもなく、なんとなくドタバタしてるだけ。ロビンはこういうドタコメは合っているのかな?植木等さんだったら面白いかもしれないが。(くく、自分で書いておかしくなった)

ロビン・ウィリアムス扮する冴えない車セールスマン。妻子がいたが離婚して別居。家は取られて自分はアパートで貧乏暮らし。職場ではとにかく車を売れと抑えつけられ、元妻にセールスしようとして逆にもっと養育費を払えと約束させられてしまう。冴えない男なのに何故か二人の美女と関係を持っている。その二人との関係も忙しく慌ただしい中でカーショップの特売日を迎えたジョーイは妻からの「娘がいなくなった」という電話と3組の客が同時にやって来て大混乱となる。

あれ?アメリカのコメディってTVドラマでもかなり面白いと思ってたがこの作品はかなりしょぼい。最高のコメディ役者であるロビンでもこのつまらなさってなんだろう。
前半の「ここまでつまらないのないんじゃない」っていう道のりをなんとか乗り越えてやっと物語の核心(?)であるティム・ロビンス=ラリーがマシンガンを持ってカーショップに文字通り突っ込んでくるとこから少しだけ観れる、かもしれない。

物凄く面白くなるわけじゃないが、ティムがカーショップに籠城するところからほんの少し面白くなってくる。はっきり言ってここから始めればいいのだ。前半の説明は不要だし。陳腐な話だけだからなくても判る。
ティムはここでも思い切り頭の悪い大男の役^^;でも確かにこの顔でこの体は頭悪そうにしか見えないもんね。
ティム=ラリーにはこのカーショップに勤めてる美人妻がいるのだが実は店の主人と肉体関係を持っている。ラリーは帰宅の遅い妻が店の誰かと浮気しているのでは、と考え、怒り狂ってマシンガン片手に飛び込んできたのだ。
ジョーイ達店員と居合わせた来客が人質となってしまう。

お馬鹿なティム=ラリーが嫉妬で騒ぎ立てたり、通報で駆け付けた警察に怯え慌てたりする様が可愛い。もう少し脚本がよかったらロビンとティムの掛け合いが見ものだったろうが、とにかく大したことないの。
おかしかったのは偶然だと思うのだがロビンが受話器を慌てて持った時にティムが持っていたマシンガンの紐と絡みあったのをティムが慌てずゆっくりとマシンガンをくぐらせてほどいたのだが、計算であんなにうまくいくとは思えないからきっとアドリブだったんだと思うんだけど、お馬鹿男なのに落ち着いて受話器とマシンガンの紐の絡みをほどくのがおかしかった。
よくある話だけど人質と犯人がいつの間にか同調していって警官が敵みたいになっていくのだとか、元々そう悪い奴じゃない犯人ラリーがジョーイの元妻やお母さんから怒られておどおどしていく様子なんかはちょっとおかしかったし、この事件がきっかけで離婚したジョーイ夫妻がよりを戻すとかいうのはコメディとして上手い結末で楽しいのだが、とにかく脚本が緩すぎるよねえ。
ロビンかティムの作品を観続けようと考えて、ひとつこれならもう仕方ないけどとにかく少々お寒い作品だったと思う。監督のロジャー・ドナルドソンって『世界最速のインディアン』がよかったから結構期待したんだけどなあ。でも他の映画はそう観たいようなものでもないからこんなものなのかもしれない。

ティム目的としては可愛かったし頭悪いけど嫌な奴じゃないのでまあよかった、かな。

上の右の画像のティム。大男の彼がロビンの後ろに隠れて困った顔してるのがかわいす。

監督:ロジャー・ドナルドソン 出演:ロビン・ウィリアムズ ティム・ロビンス パメラ・リード フラン・ドレッシャー ザック・ノーマン アナベラ・シオラ フラン・ドレシャー
1990年アメリカ


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2009年09月20日

『さよならゲーム』ロン・シェルトン

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Bull Durham

ショック!ティム・ロビンスが底抜けのお馬鹿役だったあ(泣)というのは勿論冗談だけどこんな若くてしかもおまぬな顔をしていたのね、と感心しきり。この前観たのはこれの2年後『ジェイコブス・ラダー』で、内容が思い切り違うからなあ。

ティム・ロビンスとスーザン・サランドンは本作で共演し結婚じゃなくパートナーとして結ばれている、ということなのだが、これを観てたらティムがすんごく若くてスーザンはいいお姉さん(?)である。今まで全然気にしてなかったけど当時(若く見えるが)ティムは30歳、スーザンは(若く見えるが!)なんと42歳なのね!!いやあ、俳優さんの年齢って判らないもんだあ。てことはスーザンは12歳も姉さんなのねー。うわーやっぱしこの色気に(あのストッキングの脚に!)惑わされたのかしらねー。

きゃっきゃっ言ってばかりじゃなく本編行ってみよー。
さてこの映画、果たして面白いのだろうか。という質問はおかしいのだが、これというほど盛り上がりもないし、深みがあるとかサスペンスがあるとかでは全然ないし、全編にわたってまったりしていて何の小細工もないような物語なんである。これは果たして他の人が観て面白いのだろうか。なにせ私はティムの若々しいお馬鹿な顔を観れただけでにんまりしていたのでいまいち判らないのである。判らないが何やら身につまされるようでもあり、ティムのことだけではなく見入ってしまったのだった。

この映画の主人公は若造のティムではなくケビン・コスナーである。しつこいが年齢を言うとコスナーはティムより3歳年上なだけなのだがティムはこれから伸びていく新入りピッチャーでコスナーはあちこちのチームから追い出されてしまう老いぼれたキャッチャーを演じているわけで、本当に俳優って不思議だ。
彼らが所属する野球チーム「ダラハム・ブルズ」はマイナーリーグでも連敗づけの超弱小チーム。入団したばかりのエビー・ラルーシュは剛速球を投げるのだが恐ろしいノーコン投手。100万ドルの腕に5セントの頭脳、と皮肉られるほどおつむが弱くマナーも自己管理もピッチングに関する知識も持ち合わせていない。監督たちブレーンは彼を一人前にするために他球団からはすでに追い出されているベテランキャッチャー=クラッシュをチームに引き入れたのだった。

この映画がちょっと変わっているのは彼らの活躍(もしくは非活躍)の語り手となっているのが一人の女性ファンということ。
高校の国語教師である彼女は様々な宗教よりも「野球教」に入信したと断言する女性なのである。彼女の信仰はそのシーズンこれと思った選手と「寝ること」
そして彼の為、チームの為に試合を観戦し的確な指示を与える判断力を発揮することだった。
うーむ、こういう女性いそうである。私はTVで野球をかなり観ていた時期もあるが生で観たことはないのだが、サッカーを生観戦していてやはり熱烈なサポーターがいるのである(アニーのようなことをしていた、と言ってるわけではない、というかそこまでは知らない^^;)
彼女ともう一人の「どの選手とも寝た女」のような存在をよしとするのか眉をひそめるか、でもこの作品の観方が変わってきそうだが、私的にはあまりその辺は気にせず観ていた(と言うのは投げやりだが)
野球関係者じゃなく一ファンなのだから別に問題はなかろう。
国語教師だけあってやたらと詩を持ちだしてくるし、会話も知的なアニーの不思議な魅力に「坊や」な新入りピッチャーエビーとベテランキャッチャークラッシュは参ってしまう。
だがアニーが今シーズンの相手に決めたのは若いエビーのほう。クラッシュはむっとするものの彼の役目はエビーを調教すること。力任せの剛腕投手は経験豊かなクラッシュとアニーの助言を聞き入れるうちに次第に本来持つ力を生かすことができるようになっていく。そしてついにメジャーリーグからの誘いが。
そしてエビーがいなくなり子守の必要がなくなったクラッシュはチームから解雇されるのであった。

これって盛りを過ぎた野球選手クラッシュの悲しさもあるけど、アニーという女性もちょっと寂しい女性として描かれてはいないんだろうか。
物語の中にはさほどアニーの心情が描かれてなく、単に弱小チームの男たちの応援をしている独身女性のセックスが目立ってしまう気もするのだが、彼女というのは多分ちょいと年齢は行ってるわけなんだよね。もう一人のミリーは若そうなので選手の一人と結婚ってことになるんだけど彼女がそういう話にならないのはあえて触れていないのか。普通、他の映画だったらエビーがメジャーに行くのなら彼女と結婚して一緒に行ってもいいはずなのに彼女は「1シーズン限りの恋」を押し通したのか。それともやはりエビーにとって「連れて行く」までの恋ではなかったのか。何も語ってはいないけど、もしかしてこれは彼女がかなりの年上だから、という結末なのかも、と思えなくもない。
若いエビーから誘われることもなく弱小チームの応援女として残ったアニーとその弱小チームから追い出されたクラッシュ。
どちらも年齢を重ねた悲しさがあるではないか。
雨の中「ブルズ」の練習を観て傘をさして帰るアニーの後ろ姿がなんとも寂しげである。雨は心の風景なのだろうか。
彼女の帰りを待っていたのはクラッシュ。ついに選手をあきらめマイナーリーグの監督の仕事を引き受けると告げにきたのだ。
そんな時もちょっと難しいことを言ってしまうアニーはやっぱり「年齢のいった女」なんだなあ。若い女の子じゃない。
エビーは二人の助言をしっかり吸収して新たな場所で活躍していく若者だ。そんな彼を送りだした二人はちょっと寂しげではあるけれど互いの心を判ってあげられる。
アメリカの小さな町の小さな野球チームに関わった目立たない男と女の物語。誰も彼らを羨ましがることもないのだろうけど、なんだか判るなあって思わせてくれる作品だった。

という「年齢のいった女」にはちょっと寂しさを感じさせる映画なんだけど、実際のティムはスーザンとパートナーになってるわけで、おい!現実のほうが甘いじゃんか(笑)
メジャーに行って髪を短くしてるティムなんてほんとに若造にしか見えん。3歳年上なだけのケビン、おじさんに見えるのも凄い。
アニーが雨の日、和傘をさしてるのも大人の女ぽいね。

この映画、ほんとに観る人によってまたは年齢によって随分違う受け止め方なのではなかろうか。年を取らんとこの悲しさはじっくり味わえないかもよー。

監督:ロン・シェルトン 出演:ケビン・コスナー スーザン・サランドン ティム・ロビンス ロバート・ウール デビッド・ニードロフ トレイ・ウィルソン
1988年アメリカ
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2009年09月17日

『CODE46』マイケル・ウィンターボトム

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CODE 46

わーどうしよう?!この映画物凄く好きなんだけど。

何しろちらりと観た他のレビューが手酷かったのでもういいやどうでもっていう滅茶苦茶期待なしに観たのだが、この面白さは何?つか、この世界が好きで好きでしょうがないんだけど。

この世界が好きったって「この世界」は恐ろしいんだけど、この映画のイマジネーション世界が好き、ということね。
これってよく判んないんだけど実際の上海とドバイの風景をそのまま使っていかにも近未来的SFの舞台に見せてしまうという安上がりなアイディアを駆使してるわけでこういうチープさも含めて大好きなのである。
それらしく見せる為の色彩の調整も上海の空港やら夜の街やらを幻想的に見せているのも楽しいではないか。
物語としては人工授精が当たり前になるであろう近い未来への警告とも言える内容でそこに様々に開発されたウィルスを一味加えた料理になっている。
人工授精で困るのはいつどこでどういう形で同じまたは近しいDNA保持者が接近し恋は抜きにしても結合妊娠という事件が起きるか判らないということ。人工授精なら年齢や人種の操作も複雑になってしまう。オイディプスの悲劇がいつ何時起きるのか予測不可能なわけだ。そこで作られたのが『CODE46』妊娠の可能性のある男女は必ずテストを受け二人のDNAが子供づくりに何の問題もないことを証明しないといけない。もし二人がそれをしないままセックスし妊娠した場合は『CODE46』が適用され処分が行われるのだ。
またもう一つ(ここが一番わくわくする描写なのだが)世界に「内」と「外」があり、「内」に生活する人々は快適な人生を送れるが「外」は治外法権。そこに住む「人」は存在しないと同じこと、とされる。
映画は90分ちょっとの短い作品で表現としては文句なく過不足ない仕上がりなのだが、私としてはここに描かれた以上の世界、生活、人々を想像してしまうのだ。

サマンサ・モートン演じるマリア(何気に意味深)は始めから少し外れ者的な存在である。この時、地球は砂漠化が進んでいて居住区はいくつか区切られた場所に定められている。その間を行き来するには「パペル」というチケット(カード?)が必要なのだがそれを入手しないと旅行はできない。マリアはそのチケットを製造する工場に勤務していおり、望んでも入手できない者たちにこっそりと横流しする、という「犯罪」を犯している。
ティム・ロビンス演じるウィリアムは「共鳴ウィルス」を持つ調査員で不正が行われていないかをバンクーバーから上海工場へ調査しに来たのだが偶然出会ったマリアに心惹かれ愛し合ってしまう。
だが彼らは『CODE46』に引っかかる近いDNA保持者だったのだ。

ティムとサマンサの外見からオイディプスとも言われてしまうのだろうが、ティム=ウィリアムの母親のDNAとマリアのDNAが同じとなっていたからむしろ母と息子の関係なのだ。マリアという名前はどうしてもマリア様を想像してしまうからイメージ的にこれはマリアとキリスト?と恐ろしいことを考えてしまう。
とはいえ二人には(今のところ)子供はできていない。禁じられた愛を犯してしまったウィリアムは記憶を消され妻子の元へ戻り、マリアは記憶を残されたまま無法地帯の「外」へ追放されるのだ。
数々の悲恋ものはある、禁じられた恋の物語もあるがこの物語のなんという寂しさ。ウィリアムはすべてを忘れ暖かい生活に包まれ、マリアは過酷な砂漠地帯で愛する男を想いながら彷徨い続けるのだ。

この作品が気に入らないと書いた人はどうしてなのかさっぱりわからないが(仕方ない)私はもうこの話を溺愛してしまうぞ。
サマンサ・モートンは今までいくつか観て実はあんまり好きじゃなかったんだけど、この映画の短髪の彼女は凄く魅力的に見える。さすがにうまいのでこの複雑な女性の役をとても自然に見せてくれている。
そしてティム・ロビンス。前にも書いたけど私はティム・ロビンスが凄く好きでこの映画でまた好きになってしまった。
でかすぎるくらい体が大きくて(サマンサなんて子供にしか見えない)ぶちゃって感じの顔なんだけど何故かとてもセクシーなのだわ。キスシーンとか美男相手のを観ててもそんなになんとも思わんのにティムとキスするのをみていいなーなんて困ったね。
中でマリアが「そのままがいいわ。寂しそうな顔が好きよ」っていうのがあるけど本当にそう。あの寂しげな表情がくせ者ですだ。
あの眼も子供みたいでかわいくて。前も少し観てたけど本当に今度は彼の観ていこう。

ティムとサマンサが恋に落ちるなんて変だと思う人もいるようだけど私はまったく自然にしか思えなかったのだけどそれは自分が二人とも好きだと思ったからなんだろうなあ。
そして愛し合いながらもマリアは植えつけられたウィルスのせいで愛するウィリアムと共に自分たちの愛にブレーキをかけてしまう。
ウィリアムが記憶をなくしのほほんと生活するのを観るのは辛い。そしてどこかで愛の力で彼が記憶を呼び戻すのでは、と期待している。もしかしたらそんな奇跡も起きるかもしれない。
とはいえ妻子側からいえばとんでもない奇跡だが。

ラブ・ストーリーを(ええと健全な男女のラブストーリーを、と言うべきなんだけど)苦手にしている自分だがSFラブ・ストーリーには何故か弱い。この世にまだない愛の形、というものに憧れてしまうから、なんだろうか。

監督:マイケル・ウィンターボトム 出演:サマンサ・モートン ジャンヌ・バリバール オーム・プリー エシー・デイビス
2003年イギリス

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何故この顔がそんなに好きなのか自分でもよくわかんないんだけど可愛い!!
posted by フェイユイ at 22:46| Comment(2) | TrackBack(0) | ティム・ロビンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月04日

『あなたになら言える秘密のこと』イザベル・コイシェ

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LA VIDA SECRETA DE LAS PALABRAS/THE SECRET LIFE OF WORDS

出だしから音と沈黙が交錯する不思議な感覚があり、騒音の工場内で皆が耳を塞ぐためのヘッドホンをしているのに唯一人何もつけてない若い女性がいる、と思ったら彼女は補聴器を付けていて、外へ出たらスイッチを入れるというこれも面白い表現だと思い映画の世界へ導かれた。
暗く笑うことのない女性、金髪のきれいな顔立ちなのに頑なで心を全く開かない人間のようだ。仕事は真面目すぎるほどだがそのせいで却って皆から嫌われている。その為に会社から1カ月休暇を取って旅行しろと命じられる。
そんなことがあるのか、と思いながらも全く楽しむこともなく旅立ち、唐突に看護師を探している男性と出会う。いきなり何事にも無関心だった彼女が「私は看護師です」と名乗る。
彼女が連れて行かれたのは海上の石油掘削所であり、そこに事故で大火傷を負った一人の男性が横たわっていた。

前半の謎めいた暗く重い雰囲気、補聴器を付けた彼女が聞きたい時だけスイッチを入れるという表現が心を閉ざしている暗喩にも思える。
遠海に浮かぶ石油掘削所というイメージも孤独な人間たちの吹き溜まりであるという設定も火傷を負い一時的に視力を失い身動きできずヒリヒリと体が痛む男に彼女が出会うという展開も興味深い。
そして寡黙な彼女が孤立した小さな場所の中で同じようにあまり社交的ではない男たちと過ごすうちに少しずつ表情が和らいでいく過程はどきどきするほど見惚れてしまった。こんなに魅力的な物語はないようにさえ感じた。
問題は後半からの告白からである。
前半の重苦しさ、若く美しい彼女をここまで寡黙にさせ心を閉ざさせた原因を何なのか。それは戦争によって彼女と友人が味方の兵士によって拉致され連日レイプされ続け、拷問に会い、友人の拷問を見せられ救えず、親による子供の残虐な殺害場面を見せられ、そして自分一人が生き残ったという事実である。
勿論そういう事実はあるのだろう。そういう重荷を背負って生きている人もいるのだ。
だがこれはフィクションである映画だ。作られた映画の中でまるで何かのミステリーのような展開の後で種明かしの告白に使うのは、こういう表現で使うのは空しい気がする。
例えばこれが彼女が男の手当てをする間に微笑むことができるようになり、お互い家に帰る。
その後、男はなんらかのきっかけで女性が過去にそういう事実があったのだと知る、というだけでもよかったのではないだろうか。
海の上で数日、手当てを受け、与える間にお互いが何も言わないまま心が癒されたということにしても。
途中までのティム・ロビンスがとてもよかったのに告白を聞いて泣く、という演技は演技だと判っているだけに心が冷めてしまうのだ。それは彼がいけないのではなく、こういう押しつけがましい演出にしてしまったことに冷めてしまうのである。
どうしても彼女に告白させたかったとしてもこの形で泣かせるのは白々しい。もう少し後で、とか時間を経過させてしてほしかった。さらにジョゼフが訪ねていくコペンハーゲンのカウンセラーの女性がジョセフを叱りつけ侮るかのように話すシーンは説明的過ぎてますます興ざめになっていく。もっと簡潔にまとめて欲しかった。
また二人を無理に結婚させる必要はないし、ハンナに語りかける声が最初と最後だけになっていて最後にその声の主が彼女が失ったレイプの時にできてしまった子供の死んだ声だというのも何かやってはいけない恐ろしいことのようにも思える。

途中までの素晴らしい描き方は申し分ないが、後半泣かせようと感じられてしまう部分はもっとひっそりと表現してほしかった。
作品中でも語られるように戦争の傷を負った人は本当に体験を話したくないと聞く。ジョセフの話で彼女がすべてを話してしまうことにしなくてもいいのではないだろうか。

監督:イザベル・コイシェ 出演:サラ・ポーリー ティム・ロビンス ハビエル・カマラ ジュリー・クリスティ レオノール ワトリング エディ・マーサン スティーブン・マッキントッシュ
2005年 / スペイン

日本語タイトルがすでに作品を侮っている気がする。

ティム・ロビンスはここでもやっぱりキュートだけどね。

posted by フェイユイ at 23:11| Comment(2) | TrackBack(0) | ティム・ロビンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月26日

『ジェイコブス・ラダー』エイドリアン・ライン

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JACOB'S LADDER

長年使っていたマイパソが半壊し、ついに今日新しいパソコンが届いて快適なDVD鑑賞となるはずだったのだが、DVDを入れるところから混乱し(単に先に入れたディスクを取り出してなかったのを30分近く気付かず)やっと観だしたもののなかなか操作がうまくやれず鑑賞に集中できないという状況だった。今もキーボード操作が慣れず困ったものである。

さて哀れな今夜の作品だが、めちゃくちゃな状況で観たので申し訳なかったがそこそこ楽しめる内容ではあった。昔観ていたらもっと感心したかもしれないが、今の自分の感覚ではそこまで衝撃ということはないかもしれないし、そういった衝撃というのを別にしてとてもこの世界が好きになるとまではいかなかった。確かにグロテスクな表現なのだが例えばリンチだとかクローネンバーグのように作品のテイスト自体が好き、というような感じではない(しかしキーボードの音がうるさいな)
ジェイコブ役のティム・ロビンスは『ショーシャンクの空に』でもそうだけど全然二枚目じゃないんだけどなんだか独特の色っぽさを持っていて妙に惹かれてしまう。メガネ君なのもまたよいかな。
子供の中でも一番可愛いゲイブを愛していて何かと彼がジェイコブの前に現れるのはゲイブが死の国への案内人となるからという場面はとてもいい。
幻覚と現実(と言ってもそれもまた幻覚)が交錯する映像、狂気を示す頭がぶるぶる震えるというやつはフランシス・ベイコンから来たものだろうしリンチが先かどうなのかよくわからないがやはり不気味ではある。

しかしこうい薬物というのは副作用があろうがなかろうが否定しようがどうしようがこれから先はますます使用されていくのだろうな。肉体的な意味でも精神的な意味でも。

落ち着いた状況で観てたらもっと評価できたか、しなかったか、よく判らないが、非常に面白いと思いながらもいまひとつな感じがしたのは何故だろう。女性たちがあんまり魅力的でなかったからかな。

監督:エイドリアン・ライン 出演:ティム・ロビンス ダニー・アイエロ エリザベス・ペーニャ マコーレー・カルキン エリザベス・ペーニャ マット・クレイヴン
1990年 / アメリカ
posted by フェイユイ at 22:48| Comment(2) | TrackBack(0) | ティム・ロビンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月05日

「ミスティック・リバー」クリント・イーストウッド

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スタッフ・キャストに有名人が勢ぞろいし、アカデミー賞。主演助演男優賞も取ったということもありこの映画への関心はかなり高いようだが、日本での評価となると思い切り分かれていて絶賛しているのもあれば「暗くて救いがない」と観た人を落ち込ませているようで面白い。総じて「なんでこんなムカつく映画を作ったのか」という評が多かったようなのだが私としては随分楽しんで観てしまって、こういう姿勢ではいけなかったのかな?と自分の道徳観を懸念してしまった。
少年時代遊び仲間だった3人のうち一人だけが小児愛好家に連れ去られ強姦されてしまう。なんとか逃げ延びはしたものの3人はそれぞれのに心の傷を負っていくことになり運命は再び巡ってくる。
という興味津々の話なのだがこの力関係を国と国との関係に置き換えて考えて見たりもできるという非常に面白みのある作品なのだ。または謎解き、心理分析、と様々な楽しみ方ができる。
とにかく物凄く大勢の人から評価をされているのであえてまた書く必要もないみたいだが大変楽しませてもらったし、余計なことをちょいと書いてみたい。

私にとってのクリントというのはマカロニ・ウェスタンやダーティ・ハリーの彼であってその削いだような容貌と長い手足のファンではあったが最近の監督としての作品はまったく観てなかったのだった。
まさしくダーティ・ハリー的に問答無用で進んでいく展開は爽快ですらあるし、実際監督としての手際は猛スピードらしく殆ど1テイクで撮ってしまうらしい。些細な失敗や事故はお構いなしで突き進むという男らしさである。例えばジミー(ショーン・ペン)が娘を殺されて遺体安置所を出てからショーン(紛らわしいな、ケビン・ベーコン)と話す場面があるがここでジミーは怒って話しながらコーヒーカップを叩いてこぼしてしまう。これは事故だったらしいのだがクリントは気にせず先へ進みそのまま採用になっている。凄くうまくこぼしたんで「名演技」と思ってたら単なる偶然だった。どおりで自然なわけである。

コメンタリーでケビン・ベーコンとティム・ロビンスが話してるのだが「70年代は大人の映画があったが最近はない」てなことを言っててまさしく「ガルシアの首」で私が感じたことではないか、と。
でもそうなのか、最近は大人の映画がないのか。ふむ。

この映画を観たくなった理由はそのままこのケビンとティムが出ていたからなんだけどケビン・ベーコンは「フットルース」から顔が大好きで(顔のことばかりだな)まったく印象が変わらないのが不思議である。その体型も。そしてここで好きになってしまったのは彼の相棒(ケビンによれば夫婦のような関係)であるローレンス・フィッシュバーン。「マトリックス」のモーフィアス役で有名だがこの方も顔と体型が素敵(笑)このコンビは凄くよくてずっと観たかった。できるならこのコンビの別映画やってください。

二人はクリント監督の手腕をおおいに褒めていたが特に力を込めていたのがそのスピードの事であった。昔は短時間で撮影を終えていたのに最近の撮影は15・6時間がざらだという。ところがクリント監督は仕事が的確ですばやいので終了後にジムへ行きディナーを楽しめるというわけだ。
ケビンとティムは役者はいい映画のためなら十何時間でも働くがいい生活の為・家族の為には町の人々と同じ時間で働きたい、と力説。あら。ハリウッドの役者は時間通りにしか働かない、と聞いていたのに。最近はアメリカを離れて費用が安く済む東欧などでの撮影が多いからこのような長時間労働になるらしい(組合が厳しくないから)ナンだか一番切ない訴えであった。

私がみた批評では触れられていなかったのが何故犯人(ブレンダンの弟・レイ)はケイティを殺したのか、ということで、原作は読んでないからそこには答えがあるのかも知れないが映画を観てる限りではブレンダンが恋人ケイティを何故殺した?と弟を責める。「俺が好きだからか。好きだからケイティを殺したのか?」そして弟を締め上げる。レイの友達が拳銃を取り上げ撃とうとする。ショーンたちが駆けつけ、彼らを取り押さえる。そしてデイブを勘違いで殺した後のジミーに犯人を捕まえたと伝える。「何故殺した?」「拳銃で遊んでたらケイティが偶然通りかかったので脅かすつもりが間違って発砲。逃げ出したので追いかけて口をふさごうとした」とショーンは説明する。
大人しい印象の弟とその友達の殺人の原因としては奇妙なものだ。むしろ兄・ブレンダンが言っているとおり嫉妬で(というかケイティが兄を連れ去ったら愛情の乏しい母親と二人きりになる生活を怖れて、と言う気持ち)といった方が納得がいく。なぜそういう無意味な原因になってしまったんだろう。ショーンが説明しているだけにそれが殺人の原因だったと思われてしまう。弟自身の説明と言うのはされていない。「どちらが」本当だったんだろう。
派手なアクションのイメージがあるクリント・イーストウッドが監督としてこのように抑えた演出で暴力というものを描いている事が興味深かった。
デイブがジミーの子分的兄弟の車に乗った時の既視感は怖かった。ミスティック・リバーというタイトルもまた色々なイメージを起こさせるが運命や嘘や暴力というものが川の流れのように続いていくようにも思われた。

監督:クリント・イーストウッド 脚本:ブライアン・ヘルゲランド 出演:ショーン・ペン 、ティム・ロビンス 、ケヴィン・ベーコン 、ローレンス・フィッシュバーン 、マーシャ・ゲイ・ハーデン 、ローラ・リニー
2003年アメリカ

脚本はブライアン・ヘルゲランドであった。ヒース・レジャーの「ロック・ユー!」と「悪霊喰」の監督・脚本、そしてマット・デイモンの「ボーン・スプレマシー」の脚本を書いている。そうか。
posted by フェイユイ at 23:18| Comment(2) | TrackBack(0) | ティム・ロビンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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