映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年01月24日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.22』「策謀の結末」

The Conspirators

とうとうこのシリーズ最後の作品となってしまった。TV放送としては新シリーズもあるのだが、私がレンタルできるDVDシリーズとしては最終巻である。
そしてその最後にふさわしい素晴らしい味わいの作品であった。コロンボ作品の最盛期のようなトリックの妙とおかしさ、という点はさすがに乏しくなってしまっているのだが年齢を重ねた人間の如くじんわりとにじみ出てくるようなコロンボの雰囲気と彼の好敵手として不足のない風格の殺人犯人である。
また事件の背後にアイルランド紛争が絡んでいることもドラマに深みを加えているだろう。本作の犯人は詩人である為にドラマのそこここに彼が韻を踏んだ台詞が散りばめられており(と言っても残念ながら日本語吹き替えで観てるのでその妙味は想像するしかないが)アイリッシュらしい言葉の達人であり豊かなユーモアを持っている。詩には疎かったというコロンボもここで彼と詩の対決及び酒場でのダーツの対決を披露する。飲んだ酒の量もドラマ一ではないだろうか。
『別れのワイン』での犯人と同じように本作の犯人ともコロンボは深い友情を感じているようだ。ただワインを愛して一人を殺害してしまった以前の犯人と違い本作の犯人であるデヴリンは結局テロリストであり彼が銃を輸送することで多くの人々が死ぬ運命にあるのはコロンボとしては絶対に許せないことだったに違いない。コロンボがなんとか船を止められないかと疾走する場面は単なる犯人逮捕だけの問題ではなかったはずだ。
それでもデヴリンから酒を勧められほっとして承諾する心にはそれと知っても芽生えた友情の気持ちを感じてしまう。
そして犯人を知る手掛かりとなったウィスキーのボトルに傷を入れる「飲むのはここまで。これよりも過ぎず」
こうしてコロンボを作るのも観るのもここより過ぎることはない、という暗喩になったのである。

かつての大げさなトリック、笑い、コロンボのしつこい演技が抑えられウィスキーの如く大人の味わいになっている、というところなんだろう。
犯人のデヴリンは冗談ばかり言っては酒を飲み過ぎる欠点もあるのだが、14歳の頃からアイルランドを飛びだし一人アメリカで必死に生きて刑務所に入った過去を背負っている。
コロンボシリーズでは私利私欲の為に殺人を犯す、という設定が案外多いのだが本作はそれとは違う苦いものがある。
アイリッシュの物語、というのは彼らが素晴らしい詩人であり文筆家であることもあって見応えのある作品が様々にある。また様々な人種が混合するアメリカの中でも目立つ存在だ。
私はウィスキーは全く飲まないがアイリッシュの話を読んだり観たりすると味わってみたくなる。黒ビールもまた。

さてコロンボシリーズも最後ということでその締めくくりの感想も書きたいものだが、思い出そうとするとどっとわき出てきて何をどう言っていいのやら。
とにかく、私としてはずっとコロンボが好きだったのだが、そのくせそれはかつて観た時の思い入れであって実際は諸々をとんと忘れていた。
こうして観返すとどうやらぼんやり覚えていたのは最後の6作品ほどと『忘れられたスター』くらいで後はすっかり忘れきっていたのだから一体何を言わんかや、だ。
それにしても凄いのはコロンボを作ったのは脚本演出含めて様々な人が関わっているのにコロンボは歴然としてピーター・フォークのコロンボである、ということだ。
確かに続けて観ると怒りっぽかったり優しすぎたりかっこつけてたり特にしょぼくれてたりするがこれだけ違った人々が作っていてもイメージが全く食い違う、ということはなくコロンボである。
それは無論毎回軌道修正が入っていたであろうと思うのだが、やはり観る者としてはピーター・フォークという俳優がコロンボを作ったのだろうな、と信じてしまうのである。
義眼の為の独特の眼差し(これは他の役者では真似できない)お決まりの手を挙げるポーズ、小柄なくせに猫背でよろよろとがに股で走ってくる。よれよれの着っぱなしのレインコート浅黒い肌と濃い髭の剃り跡。変てこな眉の形ともじゃもじゃ頭。なのに他のすらりとした男たちよりかっこよく見えてきてしまう。ぶつけた痕だらけのプジョーやぼさーとした犬くんも可愛く見えてしまう。
しつこくて嫌な奴、という設定だと思ってたが、ずっと観続けたせいかそうでないか判らないが観直してみるとコロンボのしつこさは当然のことでとにかく冷酷な犯人が多いこともあって彼としては絶対に逃したくないのである。
多くのファンを持つこのシリーズだが心底頷ける。
それにしてもコロンボはピーター・フォークだからこそのコロンボなので彼ばかりは他の役者でリメイクすることはないだろう。
コロンボ夫人が存在するのは確認できたが彼女が姿を見せない、という演出もうまい。それでもコロンボが奥さんを凄く愛しているのが伝わるので女性ファンもまた多いのだと思うのだ。私もその一人である。

監督:レオ・ペン 脚本:ハワード・バーク 出演:ピーター・フォーク クライヴ・レヴィル
第7シーズン1977〜1978年アメリカ
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2010年01月23日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.22』「攻撃命令」

How to Dial a Murder

心理学者とコロンボの対決。ドラマ中コロンボが犯人に対し「あなたにはがっかりしました。心理学者なのに手がかりを残しすぎる。簡単な事件でした」これはコロンボがあえて言った意地悪な言葉でそうそう簡単な事件であるはずもないがコロンボがスルスルとたやすく事件を解いていくのでそう見えるだけなのではないだろうか。絶えず人の心理を突こうとするコロンボと心理学者の犯罪はむしろ波長が合ってしまったのかもしれない。
そう言えば今思い出したのでここに書いてしまうが(前回だったか?少し前の事件だったが)コロンボが力説して「理由なき殺人とか言うが実際は必ず理由がある。私は犯人の動機を寝ないで考えてしまうのです」みたいなことを話していたのだがそれこそ最近の殺人事件には理由なき殺人、と言われることが多くなった。これらの事件にもコロンボは動機を見つけることができるんだろうか。もしかしたらコロンボにならできるのかもしれないが。

ところで今回の事件は愛犬家には拒否反応を起こさせてしまうのではないか。罪もない犬たちに殺人を犯させしかも保身のために自分の犬(主人に忠実な心を捧げている彼らにだ)を殺してしまおうとする。確かにコロンボの言葉ではないが、がっかりさせられる犯人である。(犬にチョコレートを食べさせようとしたらコロンボに邪魔され自分で食べてしまったので驚いたが、これは毒入りチョコレートということではなく、チョコレートそのものが犬には中毒を起こさせるのだと後で知った。(キシリトールがいけないっては聞いてたが)本当に酷い奴だ!)
この男は妻と友人と犬と彼に好意を寄せている若い女性に対しても冷酷な仕打ちをする。その上、手がかりだらけのお粗末な殺人者ではどうしようもない。
同じ演出家によるものだが昨日の作品も今回のもコロンボにたやすく見破られているのだが、物語の印象が全く違うのは脚本の力のせいだろうか。

それでも「キーワード」という題材はなかなか面白いものだった。
以前にも催眠術をかけてキーワードによって人間を動かしてしまう、という話があった。魔法は言葉によって掛けられるものだがまさに、である。

監督:ジェームズ・フローリー 脚本:トム・ラザラス 出演:ピーター・フォーク ニコール・ウィリアムソン
第7シーズン1977〜1978年アメリカ
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2010年01月22日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.22』「秒読みの殺人」

Make Me a Perfect Murder

そうだったー。これが大好きだったんだよなあ。特にあの映写技師さんが「パンチが出たらここをこうやって」と華麗にフィルムを切り替える場面が印象的でコロンボが自分もやってみたいとねだる気持ちがよく判る。頭脳明晰なコロンボ警部、こういうのはほんとぶきっちょでしっかり失敗してみせてくれるのが嬉しい。技師さんはかなり落ち込んで可哀そうだったけど。完全主義者みたいだったもんね。

前回までの数本に「もうコロンボも下降線だ。駄目になった」とぶつくさ言ってたのを吹き飛ばすかのような切れ味のある作品。犯人が女性のせいもあってよりはらはらさせられるドラマだった。
車の乱暴運転のせいで鞭打ち症になり首にコルセットをつけた情けないコロンボの登場が何だか昔の彼に戻ったような気がするのだ。
慌ただしさと最新技術のそろったTV局の中をうろうろするコロンボがとんでもなく邪魔者なのもまたよい。
そして今回の犯人ケイはバリバリに働くキャリアウーマン。TV局の支局長マークの愛人でもある彼女は彼がニューヨークへ栄転するという話を聞いて大喜びする。彼のチーフアシスタントでもある彼女はマークの後継者として支局長に推薦されると信じていたのだ。
だがマークはケイに支局長をまかせらるほどの裁量はない、と判断していた。その上彼女との関係はこれまで、と高級車一台をプレゼントして別れるつもりでいたのだ。
ケイは全てを察知し、素早く身を引くと彼を殺害する計画を立てる。

非常に面白い物語なのだが、こんなに辛い話もない。優秀なアシスタントだが物事を決断する才能はない、と恋人に言われるケイ。その判断が正しいのかどうかは判らない。だが、彼女の作った作品も重役たちにきにいられることもなく、生放送に出演するはずだった歌手のドタキャンのせいでその評判の悪い作品を差し替えたのだが、この行為もまた重役にとんでもないミスだったと批判される。
常に強く生きると言い切り、涙一つ見せず背筋を伸ばして働き続けようとするケイ。犯行自体が秒刻みで行われることがまるで彼女自身の人生のようにも思えるがほんの少しでも間違えば命取り、というような緊張感に満ちた生き方なのだ。
彼女は本当に才能がないんだろうか。少なくとも笑顔の少ないゆとりのないやり方は嫌われてしまいそうでもある。
だが「女性だからここまできつく追い詰められてしまうのでは」と思ってしまうのは自分が女だから感じるひがみだろうか。
最後まで「私は戦い続けます」という彼女は強く張りつめた糸のようでいつ切れてしまうのか、と心配にもなってしまう。
か弱き女性には甘いコロンボも彼女にはややきついようにも思える。
負けまいとして毅然と立ち向かうケイに対してコロンボはだらだらとしているようでいて優勢なのである。
悲しい女性の姿だ。
男たちに負けまいと挑み続け、才能がないとあちこちから言われてしまい、自分の運命を狂わせる殺人を犯して逮捕される。戦うつもりと言っても殺人なんかをするなら負けだ、とまた笑われそうだ。
コロンボの罠であるエレベーターの上のピストルを必死で取ろうとする彼女が哀れだった。
なのに最後まで彼女は表情も態度も崩さない。
彼女が懸命に作った作品が自殺する男のドラマで少し観ているだけでも重苦しい残酷な作品なのがまたこういう女性が作りがちな作品のようで痛々しい。きっと可愛いラブコメディなんぞは女はそういうもんだと馬鹿にされそうで作りたくないのだ。

頭はいいが余裕のないぎすぎすした仕事一筋の女性、ケイ。なんだかとても可哀そうでしかたない。
彼女が生まれ育ったという貧しく狭い家、もう今は荒れ果て誰も住んでいない場所を観に行く場面でもコロンボが現れ「成功した人間が過去の家を見にきたのだと思ってました」などと嫌みを言われる。ほんとに意地悪なコロンボである。これが元々のコロンボなのだ。

ケイはマークと恋人関係であったのだが、クスリ漬けの歌手ヴァレリーとビアン的な関係のようにも思える。重役がケイに冷たく言ったのもその辺を感じてのことだったような気がする。
コロンボシリーズは健全なのでそういうセクシャルな部分は出さないのだが、本作は難しい内容ながらよく練られた優れたドラマになっている。
演出にも工夫が多く、特に最後のメリーゴーラウンドの前に立つコロンボをモニターが捉えた映像で様々な効果を出してみせるのは面白かった。
こういういい作品の時のコロンボは本人も凄くかっこよく見えるのである。愛犬がTVを観るのが好き、と言う場面も可愛らしい。

監督:ジェームズ・フローリー 脚本:ロバート・ブリーズ 出演:ピーター・フォーク トリッシュ・ヴァン・ディヴァー
第7シーズン1977〜1978年アメリカ
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2010年01月21日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.21』「美食の報酬」

Murder Under Glass

昨日は珍しく記事を書かずに今日は記事3本。しかも全て『コロンボ』何事、というようなことでは全くなく(何て誰も疑問に思ってないって)昨日弱ったことにインターネット接続ができなくなってしまい、却って時間が余った為に『コロンボ』を2作観てしまうはめに。だもんで今夜は今日の分まで含めて3記事書いてるわけなのである。

さて本作、なんと『羊たちの沈黙』のジョナサン・デミ監督による演出である。
『羊たちの沈黙』と本作の共通点は「美食」つまりレクター博士は最高の美食家であったってことなのだよね。
思わずうっとなってしまいそうである。しかも本作も日本が絡んでくるというのが『羊たちの沈黙』をさらに連想させる。と言ってもデミが監督したのは1話目だけだから彼とは関係ないが。

しかしやはりそれでも共通項はあるやもしれない。究極の美食、と殺人者の気取った言動などが。

今回のコロンボ警部は美味しいモノづくめでしか自分でも料理の腕を見せてくれる。どうやら多趣味の奥さまは料理だけは苦手で亭主をおだててごちそうを作らせるということらしい。最後にコロンボが作る牛肉料理美味そうであった。

それにしても殺人に使われる毒がふぐの毒とはねえ。日本人なら誰でも毒、というと真っ先に思い浮かぶ毒の一つだと思うがアメリカ人にとっては特別詳しい人でもなければ思いつくものではない、というものなのだろうか。
犯人とふぐ料理を食べる日本人役であのマコさんが登場している。犯人の恋人役の女性が「松竹梅」と書かれたハッピを着てるのは御愛嬌。取り敢えずいい方だろう。芸者さんたちは何とも言えないが。

犯人役のルイ・ジュールダンがハンサムだし、美味しそうな料理がたくさん出てくるし、コロンボのイタリア語だとか料理の腕前だとかの見どころもあり、被害者の甥っ子が可愛いけどやたら落ち着きがないのが面白かったりコロンボが小さい頃住んでたイタリア人街の横が中華街でコロンボは餃子ばかり食べてたという逸話だとか(あの時食べたのはシューマイみたいだったけど)色々楽しくはあるのだが、肝心の本筋であるコロンボ対殺人者の対決にはさほどの妙味はない。確かにコロンボは犯人に会って2分で容疑をかけたのだろう。
いかにもな展開だし犯人も胡散臭すぎるんだもの。
犯人の最後の台詞「あんたは料理人になるべきだった」コロンボは腕を褒められて喜んだようで実はコロンボが料理人になっていたら私は捕まらずにすんだのに、というダブルミーニングがあるのだよね。

物語自体には深みはなくてやや軽過ぎたかなあ、という印象であった。

監督:ジョナサン・デミ 脚本:ロバート・バン・スコヤック 出演:ピーター・フォーク ルイ・ジュールダン
第7シーズン1977〜1978年アメリカ
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『刑事コロンボ 完全版 Vol.21』「死者のメッセージ」

Try and Catch Me

アガサ・クリスティかマープル婦人か、と思わせるいいお年の女性推理作家が犯人という、これも好きな題材である。小柄でしゃきしゃきした言動の元気なおばあ様作家も魅力的であった。演じたルース・ゴードンは『ローズマリーの赤ちゃん』で謎の隣人だった方なのだね。

とても楽しんで観たのだが、こうしてみると確かに『刑事コロンボ』はすっかり前半と違うものになっているのが判る。
最盛期のコロンボははっきり言って嫌な奴であった。裕福であり人物としても何の遜色もない犯人が優れた頭脳で計画し実行した殺人に犯人自身は絶対的自信を持っているところへ小柄で貧相なイタリア系刑事のコロンボがよろよろ登場する。
どう見ても冴えない存在の彼がひたすらしつこく犯人の周囲を嗅ぎまわるうちに次第に真相へ近づき犯人の完璧なはずの犯行を見破ってしまう過程に観客は案外逆にコロンボにイライラしてしまうことさえある。どこからともなく表れ、何度も引き返してきては部屋を汚したりおしゃべりをしながらくどい質問をする嫌な奴なのであった。
ところが最終に近づいてくるとそういった嫌らしさが薄れ物語の中に「コロンボはこんなに凄いぞ」といった描写が増えてきた。
前回の高い知能指数を持つ人々よりコロンボは凄いぞ、とかいう表現もそうだし、以前よく描かれていたコロンボのしょぼくれた感じが少なくなり、むしろかっこいいとさえ思える雰囲気になってきている。
作品も警察ものではなくまるで探偵ものみたいな雰囲気になってきているようだ。
それはたぶん『コロンボ』という作品がマンネリ化しないような工夫が絶えずされていたせいであり、毎回他とは違うものになるようなトリックやら演出やらを試みているからこそなのだろう、とは思うのだが。

今回もまた他とは違うものがある。以前の犯人は冷酷で己の欲望の為に他人の命を奪う、というものが多かったが本作の犯人は愛する姪の仇討ちというのが目的であり、殺人自体の悪はあっても被害者の犯した罪の非道さを思うと果たしてこの犯人だけが断罪されるのみでいいのか、よく判らなくなってくる。しかも彼女は弁護士と秘書の二人からも脅迫を受ける。
犯人だけがいい人で被害者や他の関係者が嫌な人間ばかり、という奇妙な設定なのである。
無論ここに描かれていないだけでこの推理作家もまた嫌な人間だったのかもしれない。秘書や弁護士から恨みを買うような言動をしていたのかもしれない。悪人ではなさそうだが、やや自分勝手な人格も垣間見えるし最後にはコロンボに同情を買おうとするしたたかさもある。
いつもか弱い女性に甘いコロンボも彼女は「強い女性」だと判断したのだろうか。同情を見せることをしなかった。

とはいえ少し前に魅力が薄れたように思えたピーター・フォーク=コロンボが本作ではすっかり前のように素敵に思えたし、とにかく本作は以前の『コロンボ』の水準になっているのではないだろうか。コロンボが次第に変化してきているのは仕方ない、としても。

監督:ジェームズ・フローリー 脚本:ジーン・トンプソン&ポール・タッカホー 出演:ピーター・フォーク ルース・ゴードン
第7シーズン1977〜1978年アメリカ
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『刑事コロンボ 完全版 Vol.20』「殺しの序曲」

The Bye-Bye Sky High IQ Murder Case

そうそう。この作品も気になっていた作品の一つだった。こんなところにあったんだなあ。
世界中から選ばれた知能指数の高い方から2パーセントの人々が集うというクラブが題材になっている。だからと言って特別に高度な催しをやっているというわけでもないようで見た目にばらばらな老若男女が集まって気楽に語り合う、という風なクラブなのである。
そんなクラブの集まりの最中にその2階で殺人事件が起きる。被害者と犯人の二人はこのクラブのメンバーであり、仕事でも共同経営の会計事務所で働いているという関係である。一見仲のよさそうなふたりだが、ブラントは子供の時から絶えず相棒であるバーティをからかい続けてきた、という変なところがある。ブラントにとってそれは友情の表現だったがバーティには耐えがたい屈辱なのだった。
さらにバーティはブラントが会計事務所で顧客に関して不正を働いていることを知り、ブラントにそのことを訴え自分をからかうのをやめるようにと語気を荒げる。だがブラントはすでにバーティを殺害するための
計画を練りクラブの仲間にも気づかれないような細工をその部屋に施していたのだった。

つまりここで世界屈指の知能指数の持ち主たちとコロンボの知恵比べが始まるのだ。犯人との競争だけではなくクラブの皆が犯罪の謎を解き明かそうと考える。だがその誰よりもコロンボは上をいく推理をしてしまうということになるのだ。

このドラマの真実の答えはどうなるんだろう。
というのはそういった知能指数の高い人々の推理よりやはり事件の場数を踏んだ刑事のほうが殺人事件の解決は適格だ、というのが事実、ということになるんだろうか。それともやはりコロンボの知能指数はもっと高いんだろうか(っていうと「金貨の袋の謎」を解いたコロンボの奥さんはもっとすごいことになるぞ)
なんだかそういうのを考えるのも楽しい一作である。

だがしかし、なんだなあ、この会計士さん、神童と言われるほど頭はよかったんだろうが、不正のやり方も親友を殺す動機もさほど一般人と変わらない寂しさがある。しかも奥さんに対するあの冷たい態度はなんだろうな。結局この人って親友へも妻へも愛する人に対しての表現の仕方が情けないほどボンクラである。知能が高くてもそういう部分が欠如していては何の意味もない。不正もすぐばれるようでは頭がいいと言えない。といってもこの場合、見破ったバーティも天才だったから仕方ないのか。
しかし世界の2パーセントっていうほど知能が高くなくてもしっかり不正で稼いでいる人もいると思うのだが。

自分より遥かに頭のいい人、という設定の人々の話を描くのは勇気がいる。観てる者はさほど頭がよくなくても「なんだかこの話あんまり頭よくないなあ」というのは簡単だ。
それとも知能指数が高くても案外こんなものなのか?それすらよく判らないぞ。
自分は何かのクラブ、なんていうのに属していないのだが、それだけにこういうクラブの集いって凄く興味があったりするのだ。

「赤毛連盟」みたいな特徴のある人のクラブ、なんていうのも面白いよね。

監督:サム・ワナメイカー 脚本:ロバート・マルコム・ヤング 出演:ピーター・フォーク セオドア・ビケル
第6シーズン1976〜1977年アメリカ
posted by フェイユイ at 18:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月19日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.20』「黄金のバックル」

Old Fashioned Murder

昨日、「コロンボが終焉を迎えた」ことを嘆いたが今回やや持ち直したかのようだ。少々心もとない気もするが、前2作のような意表を突いた演出には頼らず以前のコロンボテイストに戻りじんわりと味わいを出してくれる。
ただ笑いの部分が全盛期のような切れがなく随分古めかしいやり方になっている気がするのだ。こんなことくらいで気絶する女性っていうのが1970年代も後半のアメリカにいたんだろうか。信じ難い。題材が歴史的美術品なのでつい女性まで昔風になってしまったのか。
逆にコロンボが花粉症アレルギーで苦しんでいるのは日本での流行りより随分早くて驚いた。この頃日本ではまだ騒いではいなかったよねー。私もやっと最近になって追いついた(こういう流行に乗らずともよいのにー)
トリックはさほど面白いわけではなく、人間模様もそれほど感動するわけでもない。
などと不満もあるのだが自分としては結構この題材や物語好きだったりする。
もっと長い映画であればそれぞれの人物描写や過去の出来事なども切り込めて判り易くなったかもしれないが、このくらいの描き方もまたよいかもしれない。
経営するのも難しい時代遅れの美術館だけを生きがいにした年配の女性。本当は綺麗であるのに美人で男にもてる姉に対して過大な劣等感を持つ。ただ一人愛した婚約者の男性がその姉と結婚してしまったという悲しい過去。
コロンボに「もう遠く過ぎ去ったことです。でも姪にとってはそれだけではないのです」と言う言葉でコロンボに彼女の昔の犯罪を打ち消させてしまった。無論その犯罪の犯人も彼女だったのだ。
コロンボがその罪を暴いても悲しむのは姪だけなのだと彼女はコロンボに悟らせた。そしてその代償に彼女は今回の殺人を自供することにしたのだ。
コロンボはここでもまた弱き女性(つまり芯は強い姉のほうではなく)に手を差し出す。

本作での見どころは美容室で髪をセットされマニキュアまでされてしまうコロンボ。綺麗に髪を整えたコロンボ、爪もぴかぴか、という姿を拝見できる。
犯人がいつも出ていく時に部屋の電気を消してしまうので、殺人現場でもついうっかり消してしまった、というのはやっぱりあり得るんだろうか。私もそういうとこはあるが、殺人の際には気をつけないと。

監督:ロバート・ダグラス 脚本:ピーター・S・フェイブルマン 出演:ピーター・フォーク ジョイス・ヴァン・パタン
第6シーズン1976〜1977年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:43| Comment(0) | TrackBack(2) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月18日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.19』「ルーサン警部の犯罪」

Fade in to Murder

これもかなり風変りな演出になっている。前回の『さらば提督』のように素人くさい映像というのではないが現実のコロンボ警部、とTVドラマの中の登場人物であるルーサン警部という虚実の警部二人が実際の殺人事件の追う者と追われる者という立場ながら仲良く推理をしていく、という演出である。ここでルーサン警部をTVの中で演じるウォード(ウィリアム・シャトナー)が「もし私がルーサン警部と言う立場でウォードに嫌疑をかけるなら」という奇妙な論理を繰り広げコロンボもこれに乗って話を続ける。しかもウォードは彼のアリバイに関わるビデオ装置をコロンボに見せたり、様々な種明かしとも思える供述をしていく。一歩間違えばまさしく自分を谷底に落としてしまう綱渡りをしてみせるのだ。とは言え、彼の言葉自体が事件解決を産んだわけではなく無論コロンボは全て彼の話の前にあらゆる推理と捜査を果たしてしまっているのである。TVドラマで人気者のルーサン警部はコロンボの上を行くような犯罪を行ったわけでもない。最後の最後まで虚像のルーサン警部として芝居をする彼にコロンボが怒りを含んで「これはあなたが犯した現実の殺人なのですよ」と言うとウォードは「彼は同情される立場なのだ。君は判ってくれると思った。同じ警部なのだから」と返しコロンボはこれには苦笑する、という具合。
なんだか狐につままれたよう、というのはこういうことなのか?ウォードはまるで現実と虚構が判らなくなてしまったかのようだ。コロンボ自身がワルノリして彼に付き合っていたんだから彼ばかり責めるわけにもいかないだろう。あんなに怒る資格はないぞ。

トリック自体かつての面白さも薄れ加減で演出の風変わりさでなんとかドラマの新鮮味を保っている、というところなんだろうか。前回『さらば提督』での奇妙さはコロンボシリーズの終焉を意味していたのかもしれない。
アメリカのTVドラマというのがどういう形式なのか知らないがコロンボシリーズはこのドラマで第6シーズンを迎えておりこの一年では僅か3作しか作られていない模様である。これが翌年の第7シーズンで5作になっているのだからこの第6シーズンと言う時期は混迷の時期だったのか。と言う台詞は残りの2作を観てからにしよう。
コロンボを演じるピーター・フォークの表情が前回からこの第6シーズンに入って急激に年を取ったように感じてしまうのだ。今回は特にコロンボの絶妙な演技の魅力が失われてしまったかのように感じる。せめてもの救いはウィリアム・シャトナーの演技が奇妙過ぎてピーターの方にあまり目がいかないことかもしれない。

なんだか少し寂しくなってきてしまった。あの素晴らしい輝きはもう観ることができないのか。
とはいえ作品はまだ7作もある。私の失望は時期尚早かもしれない、ことを願いつつ。

『スタートレック』でもスポックに喰われいまいち冴えないのが印象的な艦長ことウィリアム・シャトナーだが、本作の冴えなさぶりはこちらが恥ずかしくなるほど。背が低いのでかかとの高い靴を履いている為に本当はコロンボと同じ身長なのに5センチ高いことになる、って。
そう言う設定にされてしまうのが可哀そうだなあ。別にかまわないのに。ハンサムだとは思うのにどこかいつもスマートになれないウィリアムなのである。(註:太ってるって意味じゃないよ)

監督:バーナード・L・コワルスキー 脚本:ルー・シャウ ピーター・S・フェイブルマン 出演:ピーター・フォーク
第6シーズン1976〜1977年アメリカ
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2010年01月16日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.19』「さらば提督」

Last Salute to the Commodore

パトリック・マクグーハン監督作品。『仮面の男』の時はまるで本格的ハードボイルドタッチだったが、今回はまたもや趣向を変えてアガサ・クリスティのポワロを思わせる探偵もの、みたいな雰囲気であった。
だが、本作が他の作品と違う味わいを見せているのはそういう形式だけのことではなくて何だろうコレ、なんだかもう映像自体がまったく他のと違うのである。まるで映画を作り始めたばかりの映像作家が試行錯誤しながら撮影しているかのような不安定な構成でこれを「味わい」と言ってよいのか『仮面の男』の時にはさほど気にならなかった違和感が本作の方に色濃く出てしまったのは一体どういうことなんだろう。

多分脚本自体はさほど問題はないのだと思う。今までと違う本格的ミステリー形式にした驚きがあるとはいえ内容は他のドラマとそう落差はない。問題は人物の話し方、動き方と他にないほどの無駄な場面展開である。
マクグーハンはこの不思議な感覚をあえて演出したかったのだろうか。とにかく奇妙な前衛映画みたいなのだ。
変なカットが幾つもあり、物語が今までにないほど間延びして感じられる。不思議な空間、不思議な時間があちこちに存在しているのだ。
コロンボの登場からして変わっていた。いつもぐたぐたで現れるコロンボが物凄い生真面目な表情で玄関先に立っている。映し方も髭の青みが強烈に見える。別人みたいに怖い顔つきでシリアスでどうしたのか、と思ってしまった。完全に違う作品のコロンボになってしまっているのだ。
奇妙なのはあちこちにあり、何故だかコロンボが必要以上に男女かまわずべたべたと体を接触する。ロバート・ボーンなんか肩を抱きしめんばかりでいつもこんな馴れ馴れしいいことをする人でないのに。若い女性リサに対しても他の人物に対しても物凄く接近して話すので困惑してしまう。他人が乗り移ったとしか思えない。
台詞の言い方も仕草も通常ではない大げさなやり方なのでまったく不思議不思議。突然変てこな舞台劇でも観てるみたい。
だからと言って話がつまらないわけではない。やはり脚本はそう悪いわけではないんだろう。
変なのは話し方動き方。数人を動かす演出がわざとらしすぎて戸惑ってしまう。ぽかんとした画面構成なんかが素人っぽいのだ。
コロンボの撮り方もかっこいいというより年がやや老けて見えるような露骨な撮り方なのである。

奇妙な一作だった。

つまらないわけではない。ただ物凄く珍奇な演出だったと思う。
もしかしたら特別な感性なのかもしれない。

とはいえ私はこういう本格的ミステリーが嫌いなわけではないから、コロンボがポワロを演じているような妙な面白さはあった。
確かにクリスティはこういうちょっと独特な言い回しで楽しませる。コロンボが突然クリスティ世界に入ってしまったみたい。
殺人の可能性がある人物達を一堂に集めて謎解きをするなんて。絶対警察じゃあり得ないだろう。殺された人物の娘の前で「お父さんを殺した人を知りたいでしょう」なんて。
時計の音を一人ずつ聞かせて「先程あなたは何と言いました?」コロンボじゃないよね。

ある意味面白かった。

最後もボートに乗り込んだコロンボが「せめてかみさんをこれに乗せてやりたい」と言いながら漕ぎ去っていく。異空間だったなあ。

犯人あて形式といい、演出といい、コロンボシリーズ屈指の珍作であった。
嫌いなわけではない。

監督:パトリック・マクグーハン 脚本:ジャクソン・ギリス 出演:ピーター・フォーク ロバート・ボーン
第5シーズン1975〜1976年アメリカ
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2010年01月15日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.18』「魔術師の幻想」

Now You See Him

今回の題材はマジック。
だからなのだろうか。コロンボがなんとまったく違うコートを着て登場。他の人が着てるなら何と言うことはないコート(うーん若干違和感んのあるデザインではあるが)なのだが絶対によれよれのレインコートを着て出てくる、と思い込んでいる観客はお呼ばれとかではなく通常の事件現場になんだかちょっとお洒落風なかっちりしたコートを着て来たコロンボを観て仰天してしまう。それこそマジックでも見せられたかのようなへんてこりんな気持ちである。「肩こってしょうがない」とコロンボが言うのだが気持ちサイズも小さいんだろうか、奥さんからのプレゼントらしい。とうとう奥さんあのしょぼくれコートに嫌気がさしたのだろう。
妙にかっちりしてるんで窮屈そうだ。ほんの数分も経たないうちに脱いでしまい(本人も観客もほっとする)それからはできるだけそのコートが「無くなってしまう」ように努力して置き忘れて見せるのだがなかなかなくならないのだが結局元のレインコート姿に戻って一件落着となる楽しいエピソード入りである。

だが本作の物語はそういう楽しげなものではない。
人気者のマジシャン・サンティーニは彼が出演するナイトクラブのオーナーに秘密を握られ多額の歩合を要求されていたのだ。その秘密とはサンティーニが元ナチス親衛隊員であり多くのユダヤ人を虐殺していた、というものだった。
これはミステリーの動機としてなるほどと頷ける効果的なアイディアだったのかもしれないが彼が言うとおり少年期にあった過去であるとすれば確かに恐ろしいことではあるが彼としてもどうしようもなく忌まわしき過去であり一言で性悪だったと片付けられない重いものがある。
などと書くのは歪んだ見方だろうか。
なんとなくこういう動機づけをしていしまうのはアメリカ映画やドラマでいつもナチスが単純な悪役として登場していたからなのだろうか、とも思えてしまう。おまけにコロンボを演じるピーター・フォークがユダヤ系であることを考えると尚更である。犯人であるサンティーニに「完全犯罪などない。それは幻想にすぎない」といつもより声を荒げているように思えてしまう。

なんだか今回のコロンボは終始苛立っていたようでコートの件にしても彼に絡むウィルソンに対しても気に入らないで結構言葉がきつくなっている。ウィルソンのことは本当に気に入らないんではないかとさえ思えてくるのだが。
サンティーニへの攻撃はいつもより早めでしかも強烈なものである。
単に偶然かもしれないが。

マジックを絡めた楽しげなミステリーでサンティーニを演じるジャック・キャシディが今回もちょっとキザな二枚目ぶりを発揮してくれていたがコロンボはちょいとハードな感じであった。

手首を入れてギロチンを落とすマジックおもちゃ、マジックだと判ってても怖い。

監督:ハーヴェイ・ハート 脚本:マイケル・スローン 出演:ピーター・フォーク ジャック・キャシディ 
1975〜1976年アメリカ
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2010年01月14日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.18』「闘牛士の栄光」

A Matter of Honor

今回は珍しく以前にあった『歌声の消えた海』のその後篇という形になっている。メキシコへの船旅を引き当てたコロンボ夫人と共に暫しの休暇を楽しむはずのコロンボが船旅の途中で事件解決、そして目的地のメキシコでも殺人事件に出会うのである。
愛妻とのせっかくの休暇に二度も殺人事件の捜査に関わらねばならないなんてメキシコ人ならずともちょっと「間抜け」と言いたくもなるし、奥さんからはきっと苦情も出たろうし、苦笑せざるを得ない経緯だが事件自体はシリーズ中でも深刻なものになっている。
というのはここでの殺人動機が「名誉」という人によってはどうでもいいものであると同時に当人にとっては何よりも大事なものである、という儚いものであるからだ。
犯人であるモントーヤが「メキシコ人なら判るはずだ」と言うのは殺されたエクトールとその息子の思いのことを言ったのだがそれはモントーヤ自身のことであったのだ。
特に男らしい男を崇拝するメキシコで国民的英雄としてならしめたモントーヤが牧童に襲いかかった牛を前にして恐怖のあまり立ちすくんでしまった。結局牧童を助けたのはその父親であるエクトールだが、他の牧童たちは勇敢なモントーヤが牛を追い払いエクトールが息子を引っ張り出したのだ、と思い込んでいた。だがモントーヤにとって真実を知っているエクトールをそのままにしてはおけなかった。モントーヤはエクトールを抹殺するのだった。

多くの人はこのような男の自尊心は馬鹿馬鹿しいと思うだろう。その為にさらに人を殺害するなんて余計みすぼらしいことのような気がする。
だがそれでも「それを知られてしまった」ことへの恥ずかしさが「元英雄」は耐えられなかった。
終始威厳を保ち続けている姿が憐れにも思える。
メキシコの人がこれを観たら共感するんだろうか?判らない。
そんなモントーヤを演じたリカルド・モンタルバンという人はメキシコ人であり人気があった役者であるらしい。そんな彼が演じていることがモントーヤの悲劇を感じさせているのかもしれない。
『忘れられたスター』の男性版なのだろうか。
男性には厳しいコロンボだった。

メキシコをアメリカ人が描くとやや差別的な感じがあるものだが、ここではそれは感じられない。もう一つは非常にマッチョな男が登場することだがそれがまさにこのテーマになっている。それとそのモントーヤの車を洗っている若者。シャツがはちきれんばかりのたくましい体つき。
そしてモントーヤの娘や地元警部の奥さんがセクシーなこと、であろう。

監督:テッド・ポスト 脚本:ブラッド・ラドニッツ 出演:ピーター・フォーク リカルド・モンタルバン
1975〜1976年アメリカ
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2010年01月13日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.17』「仮面の男」

Identity Crisis

冒頭からまるで『コロンボ』ではないようなハードな雰囲気。何しろ犯人ネルソン・ブレナーを演じたパトリック・マクグーハンが滅茶苦茶かっこいい。『祝砲の挽歌』でラムフォード大佐を演じた時とはまたちょっと違うが厳格で何事にも動ぜず高い能力を持つ男、というイメージは同じである。とにかく本作でのブレナーは謎の男であり数々の華々しい過去を持ち、今はなんとCIAの情報部員(オペレーターですと)でありまた裕福な暮らしをしていながら生きていることにどこか退屈している、まるで自分の能力があり過ぎて持てあましているようなかっこよすぎる設定なのだがマクグーハンがあの冷たい表情で演じていると頷いてしまうのである。
すっかり意気投合したというピーター・フォークと彼はここでも好対照な存在で身長から髪の具合から(ピーターはもじゃもじゃだし)性格から雰囲気は勿論正反対というのが観てて嬉しくなるような一対なのだが、好敵手が存在しなかっただろうブレナーにとって見た目はチンケなコロンボの攻撃は暫し彼にとって張り合いのある戦いになったのではないだろうか。ラストでコロンボの推理を聞く場面など楽しげにすら見えた。
そんなマクグーハンに触発されたのか、今回はマクグーハン自身が演出をしていたせいなのか、コロンボ自身もいつもより以上にかっこよく見えたりしたのは何故だろう。ややシリアス成分が多かったからなのか。

いつもの『コロンボ』よりハードタッチなだけにやや難しげに感じられたりもするのだが、『コロンボ』は話ごとに様々な色あいを持つという
特徴があるわけでこのような本格的ハードボイルド風があるというのも是非書きとめておきたい。

ただ、被害者の同じく情報部員であるヘンダーソンを演じたのがレスリー・ニールセンだったので彼を見るとどうしてもコメディだと思ってしまうのが思いがけずマイナスだったか。いや、嬉しくはあったが。
どうしても『フライング・ハイ』&『裸の銃を持つ男』のイメージが強すぎてねえ。大好きなのだが。
しかしそれはこのドラマ後の作品だからしてこの時はあくまでシリアスな配役だったはずなのだ。死んでる顔で笑ってしまっては、困る。

監督:パトリック・マクグーハン 脚本:ウィリアム・ドリスキル 出演:ピーター・フォーク パトリック・マクグーハン レスリー・ニールセン
1975〜1976年アメリカ
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2010年01月12日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.17』「ハッサン・サラーの反逆」

A Case of Immunity

こういう国際問題が絡んでくるようなミステリーって難しくてどうしてもしょぼいラストになりがちな気がする。ちょうど本作でコロンボが追い詰められ「長いものには巻かれろ、さ」というそのままになってしまう、それがまさにコロンボの頓知と人柄でその国際性をそのまま利用して決着する、というまとめ方にはこううまくいくかはどうだとしても参ってしまった。

どこか仮想の国になっているのだと思うが、コロンボが何度も踏みつけてしまうアラブ風衣装ってやっぱすてき。特にちょうどこの犯人である彼のようなすらりとしたお髭の男性がまとっているとよいのだよねえ。普段着と正装の時は被り物の飾りも華やかになるのだね。
昨日のようになよやかな女性にはちょっと甘いコロンボも権力をカサに来て逮捕を阻むような輩には徹底的に戦うっていうのがまた男らしい。無論その戦い方はコロンボ流の頭脳戦であるのが楽しいわけで。
権力を振りかざす男にはさらなる権力で圧力をかける。コロンボはいつもの推理力の他に政治的手腕も心得ていたのだ。

監督:テッド・ポスト 脚本:ルー・シャウ 出演:ピーター・フォーク ヘクター・エリゾンド サル・ミネオ 
1975〜1976年アメリカ
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2010年01月11日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.16』「忘れられたスター」

Forgotten Lady

昔コロンボシリーズを観ていたつもりでもその殆どを覚えておらず何となくな印象しか浮かばないでいる私だが唯一この作品だけはしっかりと記憶していて何度となく頭の中で反芻していた。
と言うのはこのドラマがシリーズ中でも珍しいくらいの切ないラブロマンスであるのと殺人を犯した犯人が殺害自体を忘れてしまう、という展開に酷く驚いてしまったからなのだ。
こうして観直してみると記憶に残っていた以上の素晴らしい物語で年のせいか涙もろくなってしまうのであった。

往年のミュージカルスターであったグレース(ジャネット・リー)が舞台に復帰する為に今はもう引退した元医者の夫に資金の提供を求める。だが夫は頑として承諾してくれない。思いつめたグレースはいつも以上の睡眠薬を飲ませ自殺と見せかけて殺害する。
コロンボはいつも通り妻であるグレースを疑って捜査を続け証拠を握る。グレースにはコンビを組んで人気を博していた男優ダイヤモンドと親交していて彼は今でもグレースを深く愛していた。
往年のスターらしい我儘な性格のあるグレースをいつも優しく見守っていたのである。彼女の舞台復帰に不安はあったが彼には張り切っている彼女を見捨てることができず彼女の周囲を探るコロンボに苦情を申し立てる。
コロンボはダイヤモンドにグレースが犯人であることを告げる。そして彼女が脳に障害を持つ病気を抱えていてもう余命数カ月しかないことも。且つ彼女は最近起きたことをすぐ忘れてしまうのである。
殺された夫は医者であった。夫はグレースの病状を知っていたからこそ舞台復帰を拒んだのだ。激しい運動は彼女の生命に関わることだったからだ。
グレースを逮捕しようとするコロンボを遮り、ダイヤモンドは自分がグレースの夫を殺したのだと偽の自供をする。グレースは驚き彼が刑を受けて戻ってくるのを待つと約束する。
グレースはすでに自分が夫を殺したことすら忘れてしまっていたのだ。

二人の男性からこんなに深く愛されたグレースはただ美しいだけではなくきっと素晴らしい愛すべき魅力を持っていたのだろう。
また彼女を愛した二人の男の男らしさ優しさにどうしても涙してしまうのだ。そしてもう一人コロンボもグレースにだけはいつもの徹底ぶりが発揮できなかった。
常に犯人逮捕の為に献身的に働いてきたコロンボがこの作品でついに折れてしまうのは彼の今までの作品でも観られた「弱い女性に心を動かされてしまう」彼らしさが出てしまったように思える。二人の男もまたコロンボのように頼りなげな女性を守ってやりたい、と思う男性なのだ。
昔観た時もこの男性たちのダンディズムによろめいてしまったが、年取った今では昔以上に惚れ惚れとしてしまう。
こういう女性を守る男性の心意気というものは今ではもう古めかしいものだろうか。

グレースの犯した罪は許されるものではない。だが彼女に殺された夫も彼女が罰されることを望んではいないのではないか、と甘く考えてしまう。彼女は数カ月脆く破壊されていく脳の中で昔の夢を見ながら死んでしまうはずだ。「殺人を犯した証拠」が何もないダイヤモンド氏は有罪にはならないだろう。
3人の男に見守られたグレースは悲しい女性だが羨ましい人である。

監督:ハーヴェイ・ハート 脚本:ウィリアム・ドリスキル 出演:ピーター・フォーク ジャネット・リー ジョン・ペイン
1975〜1976年アメリカ

本作と同じく『祝砲の挽歌』の演出も手掛けたのハーヴェイ・ハート氏である。うーん、どちらも比較し難く素晴らしいし、大好きな作品だ。
今はもう誰も振り返らなくなったが自分にとっては大切なものである、というテーマが同じである。
心に深く愛着のあるものに対してしみじみとした描写をする人なのだ。
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2010年01月10日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.16』「5時30分の目撃者」

A Deadly State of Mind

今回の犯人は絵に描いたような2枚目でしかも狡賢い悪人である。コロンボさえも自分の犯行のアリバイにしようとさえしたのだがさすがにコロンボはその上を行ってくれたねえ。

うーむ。いつもしょぼくれた格好で明晰な頭脳の持ち主であることを偽装しているコロンボなのだが、特に今回の捜査を見ていると彼がどんな点に気づきどのように思考していっているのかがちらりと覗き見え結局判りはしないのだが空恐ろしくなってくる。

本作で見せたかったのは催眠術による自殺の強制という殺人方法なのだろう。だが多分(としか私は言えないのだが)催眠術という方法は法律上証拠にはならないのだろう、コロンボは確かに精神科医である犯人が被害者の女性に催眠術をかけ「自殺しろ」ではなく「プールに飛び込め」という催眠術をかけそのキーワードを電話で言うことによって彼女に行動を起こさせたことに気づくのだが、それは証拠とならない。そこで第一の殺人(2番目の被害者の夫殺害)も犯人は同じく精神科医のその男なのだが証人は唯一殺害後に彼の車が被害者邸から飛び出して行く時ばったり出会った盲目の男性だけなのだった。
犯人は盲導犬と歩き黒いサングラスに杖を持った男が一目で盲目なのだと気づき目撃されているはずがないと確信して去ったのだった。
コロンボはここで証人の兄に同じようなサングラスをさせ犯人の前に出てもらい目の前にいる男の顔を見たと証言してもらう。犯人は苦笑し盲目であるその男が自分を見ているわけはない、と言う。
コロンボは何故あなたはその人が盲目だと思ったのかと言って本当の証人に登場してもらう。盲導犬を連れもっと暗いサングラスをした「目撃者」である。犯人はうまく言い逃れようとしたのだが確かに断言してしまったのだ「目が見えないはずだ」と。先に登場した彼がそうである、という説明はまったくなかったのに。
コロンボは「目撃者は彼ではなくあなた自身なのです」

犯人の二枚目精神科医を演じたジョージ・ハミルトンが物凄くぴったりである。自信過剰なコロンボへの対応も見事であった。
コロンボが疑問に思った、という事柄はたくさんあるのだが、そのひとつが煙草を吸う人間がいなかったはず(第一の被害者の妻は嘘の証言で「入り込んできた二人組はストッキングを頭から被っていた」としたので煙草は吸えない)の場所にライターの火打ち石の欠片が落ちていたのだ。マッチの燃え滓とかは聞くが石の欠片とはねえ。
タイヤの跡が細くて外車だと言う場面」でコロンボが「私のもここで唯一の外車だ」と言って同僚をあきれさせるのがおかしかった。確かにプジョーはフランス車だから外車なんだけどねー。

第二の被害者の殺害方法は残酷だ。直接手は下さず「プールに飛び込め」という暗示で死に至らせる。「自殺しろ」という暗示はさすがに効き目がないというのだ。被害者は5階のベランダからプールに飛び込み死んでしまう。被害者はあくまでも泳ぐつもりだったので裸になりしかも脱いだ服を畳んで貴重品を靴の中に入れていたことがコロンボに引っかかりとなった。
一体犯人は何を考えていたのか。この女性と不倫関係になった、とはいえ彼にとっては彼女は研究の対象でしかなかったのだろう。そして第一の殺人に怯える彼女が邪魔になり殺した。全く何の人間味もない冷酷な殺人者なのだ。
彼の研究の助手である女性医師の存在がありコロンボが珍しく彼女に声を荒げる場面がある。コロンボは弱い存在の女性が被害に会った時怒りを表現するようだ。

監督:ハーヴェイ・ハート 脚本:ピーター・S・フィッシャー 出演:ピーター・フォーク ジョージ・ハミルトン 
1974〜1975年アメリカ
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2010年01月08日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.15』「ビデオテープの証言」

Playback

なんでだろ。本作はいつもと違う雰囲気なのである。というのは犯人の妻エリザベスの涙のせいだろうか。

本作の犯人ハロルドはシリーズ中でも最も嫌な犯人の一人だろう。殺人の動機は自分勝手なものである上に被害者は妻の母親であり自分と折り合いが悪くても妻は母親を愛していたわけでその存在を自分の欲望の為だけに殺してしまい、さらに妻には(当たり前だが)嘘をつき通して自分の罪を隠し、また自立して母親の跡を継ごうとする妻を抑圧して閉じ込めてしまうのをまるで愛情であるかのように騙そうとする。
コロンボの捜査中にさほど醜い抵抗を見せるわけでもないがこんなに早く見破られるといい、と憎々しく思った犯人は他にないような気がする。
悲しいのは車椅子に乗る身の上である美しい妻がそんな彼に不満を持ちながらもやはり愛していたのだろう。夫がコロンボにトリックを見破られ逮捕された時、妻が激しく泣き声を上げたというのは他になかったのではないだろうか。
それはやはり大事な母親を優しい面もあった夫が殺害してしまう、というどうしようもない両ばさみの辛さを味わってしまったからなのだろう。犯人を暴いたコロンボがこんなに辛い表情をするラストも珍しい。

それにしても今回の展開はなんだか騒々しく足早だった気がするのだが。
と思って時間を観たらなんと今回は75分ドラマになっていた。いやあ慌ただしく感じたのも無理はない。どういうことなのかな、これは。
確かにきちっとした過不足ない作りだったが長い時間に慣れてしまってたので妙に詰め込まれて余裕のないドラマのように感じてしまったんだろうか。
今回はコロンボの犬くんが出てくる以外はあまり笑いの場面もなくオスカー・ウェルナー演じる犯人が神経に触る嫌な感じだったのでますます重く暗いドラマに感じられてしまった。
そのくせドアを開けるのにいちいち「ぱん!」と大きく手を打たねばならないのが便利というより手が痛くなりそうだし、奥さんが車椅子だから、という理由だったとしてももう少し改良してもらいたい。
こんなことに大金を使われたならお姑さんが怒るのも無理はない。バリアフリーの家造りは素晴らしいが。

ともあれ最新型の邸宅のビデオ撮影によるトリックとそれが逆にコロンボの推理によって暗闇だった部屋が明るくなった理由とビデオ画像を拡大してみたらそこにないはずのものが映っていたという犯人のしくじりを見破られてしまう。
窓から出入りしたはずの犯人の足跡の謎や犯人が警備員にいつもと違う行動を取ってしまったこと、などにコロンボの勘が動く、というのが興味深い。

監督:バーナード・L・コワルスキー 脚本:デビッド・P・ルイス ブッカー・T・ブラッドショー 出演:ピーター・フォーク オスカー・ウェルナー ジーナ・ローランズ 
1974〜1975年アメリカ
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2010年01月06日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.15』「歌声の消えた海」

Troubled Waters

コロンボシリーズ、脂が乗り切っている、って感じがする。コロンボと言うキャラクターが確立しきって今度は彼を使ってどんな違ったシチュエーションを作ろうか。ってんで捜査班のいないコロンボだけの捜査という状況になるメキシコへ夫婦旅行。なんとコロンボ夫人が缶詰で当てた豪華客船の旅!そこで起きた殺人事件を休暇中のコロンボが指紋や硝煙反応を調査する道具もない中で独特な方法を持って捜査推理していく。
休暇中にこんな仕事が出現してしまうなんて気の毒な、と思ったのだが当の本人は愚痴の一つも言わず感心してしまった。
というかまずコロンボが捜索しているのがなんと最愛の奥さまでどうやら船に乗った途端はぐれてしまった様子。だだっ広い豪華客船とはいえ、同じ一つの船中なのだからいつか出会えるだろう、と探しまわるコロンボ。いつもながら奥さんに優しいのだ。
ところでコロンボファンの各位様はきっと「コロンボ夫人ってホントにいるのかなあ?もしかしたらコロンボの創作なんじゃ。犯人を陥れる為の口実なのでは」と思ったことがあるのではなかろうか。だってあの話術で「かみさん」や「甥っ子」や「弟」なんかを出すことで犯人を安心させてしまっているとしか思えないではないか。案外犬だけが相棒の独身なのでは?とか勘ぐってしまっても仕方ない。
だが今回で「かみさん」は確かにいることが証明された!(まあ、コロンボが嘘をついてなければ、だが。そこまで疑うのは止めよう)奥さんを探し回るコロンボにちゃんと船長始め船員さんたちが奥さんを見かけたことを証言しているのだから。
コロンボの説明では身長は彼より僅かに小さいくらいで髪は後ろに結っているというのだからショートヘアーではないようだ。あっという間にはぐれてしまうのだからあちこち歩き回るのが好きなタイプ(そう言えばよく買い物に出かけている)でカクテルパーティが好きでコロンボと違って船酔いはしない女性である。こんな物凄い旅行を当てちゃうんだから運が強くてかなり缶詰を買ったに違いない。
この回で奥さんの顔が観れる!?という期待だけは叶わないのだが、本筋のミステリーとは別のお楽しみも生まれて実に上手い設定ではないか。
主旋律のミステリーのほうはいかにもコロンボらしい醍醐味のものでハンサムな犯人の職業的な特徴を生かしながらの犯罪計画といつものコロンボらしい細部を逃さない観察力。そして犯行にかかる時間を自らの足で調べ指紋や硝煙反応を変わったやり方で披露してくれる。
そして犯人へのミスリード。ゴム手袋を使ったことが決め手になったわけで。だとしたら最初の「手袋を入れ忘れているぞ」という怒りも判る。しかしそんなに大事なら自分で入れとかんと。
ロバート・ボーン演じる中古車ディーラーという犯人と妻の関係が直接犯行とつながるわけではないが、妻との関係を壊すわけにはいかない犯人の心理を裏付けるようでなかなか深みのある設定であった。
気になったのは犯人が寝込むことになる医務室の看護師さんが凄い美人で男性なら皆血圧が上がりそうなピッチリスタイルの見える制服だったこと。それは言い訳にはさすがにならなかったか。夜中によからぬことを想像してしまったのだ、とか。二人っきりだったし?コロンボシリーズなのでそういう展開はないわけね。なる。

あと殺人現場でコロンボが急に具合が悪くなった場面の転換が初め??となってしまったよ。そういうことだったのね。

昨日の作品とは違い非常にコロンボ的でコロンボの醍醐味たっぷりの楽しい一作だった。船旅の中の殺人、クリスティのようでわくわくするね(ちょっと軽率な発言でしたか。すみません)

監督:ベン・ギャザラ 脚本:ウィリアム・ドリスキル 出演:ピーター・フォーク ロバート・ボーン
1974〜1975年アメリカ
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2010年01月04日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.14』「祝砲の挽歌」

By Dawn's Early Light

ドラマにしておくには勿体ない、というのは褒め言葉になるのだろうか。確かに変な映画一本より素晴らしく見応えのある作品ではないだろうか。
犯人は陸軍幼年学校の校長であり大佐であるラムフォード。昔堅気の軍人らしく厳格な態度と一分の隙もないきっちりした服装がよれよれのコロンボと好対照なのも愉快である。

コロンボが見上げるほどの長身にまったく表情を崩すことのない彼は理事長であるヘインズの殺害を企てる。
ヘインズは幼年学校がもう流行らず入学生が激減していることから、男女共学の短大にするという計画を立てているのだった。

一見堅苦しく武骨な大佐の多くは語らないが感じられる悲哀とコロンボの相変わらずの丹念な捜査ぶりや推理の鋭さが、次第に人数が少なくなってはいるがやはり厳しい校則の中に身を置く生徒たちの生活ぶりなどと絡みあいながら描かれていく。
祝砲を撃つことになるヘインズを殺害する為に大砲に仕掛けをする大佐が偶然見てしまったのは生徒たちの部屋の窓に吊るされた密造酒のビンだった。それを見逃してしまえば或いはうやむやになったのだろうか。
だが厳格な大佐には子供たちを指導するのを怠ることができなかった。
学校内の密造酒と大砲の謎がコロンボによって解き明かされていく。
事件前夜大砲を掃除していたはずの生徒スプリンガーの煮え切らない態度を疑問に思ったコロンボは寮に寝泊まりするのだが、そのことでさらに学校生活の様子が生き生きと描かれる。
コロンボにとっては密造酒など若者ならやって当然のような他愛ないものだ。洗面台に落ちていた塵を見て密造酒がどこに隠されているか見つけてしまう。
何故大佐が急に密造酒に気づいたのかも大砲の位置から感づいてしまうのだ。

コロンボのいつもの「もうひとつ忘れてました」と言う繰り返しや犯人のコロンボへの苛立ちなども本作では省略されてしまっているのだが、それ以上に効果的にコロンボの個性と士官学校のきっちりとした空気が見事に表現されている。学校のデザイン、格子模様の床を走っていく場面だとか、砲台の階段のデザインの美しさだとかにも見惚れてしまう。
寮室のベッドで寝ていたコロンボが夜中3時やおら飛び起きて2段ベッドに掛けたコートのポケットから何をむんずと引っ張り出したかと思ったら昼食失敬したパンの塊でそれをいきなりむしゃむしゃ食べながら校内にある公衆電話から事件担当者に電話して気になってしょうがないことを訊ねるという場面は必見じゃなかろうか。
気になって眠れない、という口癖は嘘じゃなかったんだ。少なくともうつらうつら考えているのかもしれない。どおりでいつも眠そうだもん。

監督:ハーヴェイ・ハート 脚本:ハワード・バーク 出演:ピーター・フォーク パトリック・マクグーハン
1974〜1975年アメリカ

このドラマを機にピーター・フォークと大佐役のマクグーハンは親友になったと書かれていてなんだか嬉しくなってしまった。外見からして正反対みたいな二人で実際の性格も役に当てはめてしまうからだが二人が仲良く話し合ってる風景なんてちょっと見てみたい。
posted by フェイユイ at 23:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月03日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.14』「逆転の構図」

Negative Reaction

年末は忙しいので映画を観るより短めのドラマ『コロンボ』がちょうどいい、と思って観てたのだが年が明けたのにも関わらず、どうしても止められない。どうやら中毒になってしまったようだ。他の映画には食指が動かない。仕方ないのでこのまま観続けてしまうか。

して、今夜も。しかも非常に面白い。ますます止められなくなってしまう。
本作はまたしても大傑作、必見、と言う奴で特筆すべきはコロンボが捜査の為にカソリック教会を訪れる場面。そこではシスターが集まってくる浮浪者たちに慈善の食事を与えていた。心優しきシスターはふらりと現れたコロンボを親切で温かい態度で迎え入れ食事だけでなく暖かなコートを差し出してオンボロレインコートと取り換えてくれようとするのだ。これだけでも観客はTVまで大爆笑だがシスターの親切にほろりとなりながらもいたたまれなくなったコロンボが身分を明かし捜査中だと打ち明けるとシスターは大まじめで「では変装して捜査中でしたのね。(浮浪者を見なれている)私にも判りませんでした。素晴らしい変装です」とくるので皆七転八倒。コロンボも消え入りたいような苦笑いでうつむくことになる。
いやあ、シスターが素敵だ。コロンボも与えられたシチューを食べてなかなかイケる、というのがまた。
そういうシリーズ中でも名場面といえるエピソードを楽しめるだけでなくミステリー自体も大変面白いものだった。
これは結局コロンボが敗北だった、ということになるんだろう。これ、という必殺の証拠を突き付けることをあきらめたコロンボはお得意の罠を仕掛ける。この罠、結構好き嫌いが分かれるようで「卑怯だ」という意見もあるみたいだが、何と言っても面白いんだよね。人の心理を突く楽しさ。
犯人である有名写真家ポール・ガレスコは鉄壁のトリックを作りだしておきながら最後の最後に自らのカメラを自分で選んでしまう、というミスを犯す。
では彼がそれも気づいて尻尾を出さなかったらどうなっていたのか。判らない。判らないが写真に関しては妥協を許さない性格、犯罪の為にだけ撮った写真ですらトリミングが悪いとかで捨ててしまう美意識が彼自身を追い込んでしまったのだろう。無論コロンボは彼のそういうプライドを見こして最後の博打にでたわけで。
それにしても最後のコロンボのがっくりしたような後ろ姿は?やはりこのようなぎりぎりの罠でしか逮捕できなかったことでの落胆でしょうか。きっと考え抜いて疲れ果てたんだと思うのですが。

最初に登場した奥さんが憎々しいので殺されてもしょうがないや、とは思ったが務所帰りのダシュラーは気の毒だった。こういう自分の欲望の為には物凄く冷酷になってしまうのがコロンボシリーズの犯人の恐ろしいところだ。やはり名カメラマンである自分は偉いが務所帰りの人間の命など何とも思っていないのだ。
しかしカメラも今は殆どデジカメになってしまったのでこういうミステリーでの扱いも変わったんだろうなあ。昔の映画は本当によく写真を現像する、というシーンが出てくる。やっぱり映画と関係がある世界だからかな。あの液体に浸すと画像が現れる、と言うシーンは数えきれないほど見たがわくわくする瞬間である。赤い光の部屋だとか出来上がった写真を紐に干している場面なんかも今からはあまり観られなくなってしまう場面なのだろうな。

監督:アルフ・ケリン 脚本:ピーター・S・フィッシャー 出演:ピーター・フォーク ディック・ヴァン・ダイク
1974〜1975年アメリカ
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『刑事コロンボ 完全版 Vol.13』「自縛の紐」

An Exercise in Fatality

色んなお楽しみが含まれた作品。まず何と言っても見ものなのはいつもぐうたら風のコロンボが必死で走っている姿。何しろ目星をつけた男が健康クラブのオーナーで53歳とは思えぬ筋肉美を保つ為に日々の鍛錬を惜しまない人物。質問したいなら私について来い、と言われいつものよれよれレインコートで砂浜を疾走する羽目に。虐めぬかれるコロンボがなんとも愛おしい。

健康美を売り物にする犯人を引き立てる為か今回のコロンボはいつもにましてしょぼしょぼで登場。愛用の水筒から多分奥様が淹れてくれたんだろうコーヒーを飲み込んでやっと目が覚める、といった具合。
53歳にして若くて美人且つナイスバディの秘書を恋人にしているオーナーは背丈こそコロンボとあまり変わらないが惜しげもなく披露した肉体は筋骨隆々。しょぼたれたコロンボを苛める。が「腹が出ちゃって」というコロンボ自身はそんなに言うほどメタボ(当時はそう言ってなかったろうけど)ではなし、アメリカ人としてはかなりスリムだと思うけど。
ところで今回コロンボが相変わらず奥さんと電話で話す場面があるのだが緊急の事件現場なのに怒ったりもせず客に出す食事のことで悩んでる奥さんに「中華を買って帰ろうか」なんて答えて優しいなあ。奥さんが太って悩んでるって言うのも「私はぽちゃぽちゃしてる女性が好きなんで」って凄く愛してるんだねえ。いつも話題にするだけのことはある。

しかし今回のコロンボは犯人に対しては常にない激しい怒りをぶつける。それは被害者の奥さんがノイローゼみたいになって倒れてしまったからなのだが。コロンボって今までもこういうタイプの女性にわりと惹かれるみたいな気がする。
怒ったコロンボはめったにないせいか怖かった。
もう彼の持つ思考回路がビンビンに回って犯人を追い詰める。
かっこいい。

めったにないコロンボのトレーニングウェア姿だとか、人の眼鏡を借りて床についた靴痕を凝視するとか、なかなか面白い場面がいっぱいある。
レイシーと言う男が元勤めていた会社の受付嬢とのやり取りも面白い。
コロンボを観てると「葉巻ってどんな味なのかな」と物凄く気になる。煙草じゃなくて葉巻っていうのはまたどういうこだわりなんだろうか。

監督:バーナード・L・コワルスキー 脚本:ピーター・S・フィッシャー 原案:ラリー・コーエン 出演:ピーター・フォーク ロバート・コンラッド
1974〜1975年アメリカ
posted by フェイユイ at 01:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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