映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年01月02日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.13』「権力の墓穴」

A Friend in Deed

コロンボシリーズ観てると何かしら腑に落ちない、というのか「何故?」っていうのがあったりする。昨日ので言えば殺人を犯してしまう動機は判るが何故どうやって彼女が犯人を刑務所から救ったのか?っていうのが謎でその辺が面白かったりするんじゃないのかとも思うんだけど時間の都合上なのかお茶の間用TVには向かないような事柄なのか、と思ったりもする。
今回は昨日の人間味を感じさせた作品と違ってまたいつもの冷酷な犯人像である。取り敢えずぱっと見には利己主義の塊のような犯人としか思えない。一体何故彼が妻を殺害までせねばならないのか。単に彼女の財産が欲しかったから、と言う理由だけで命を奪ってしまうような男が警察の上層部の人間に成り得たなんてとんでもないことである。他の作品には借金があったから、とか別の女性がいる、とか何らかの理由をつけてしまうものだがこの次長さんは一体何故そんなに金が欲しかったのか。
もっと不思議なのは隣人の男が妻を殺害したことをよりによって何故警察関係の男に相談したのか。いきなり殺人の相談を受けた次長はこの時点で自分の妻殺害に隣人男を利用しようと素早く計画し彼の罪隠ぺいを手伝ったのだろうか。物凄い早技の策略家である。
また殺人の罪はない泥棒男にちゃっかり自分の罪を着せてしまおうとまたもや画策する。こんな次長がいたら泥棒もオチオチしていられない。
コロンボや他の警官を怒鳴りつけていくのも腹立たしい威張った奴である。コロンボが作り上げた罠にうっかりはまってしまうラストは溜飲が下がるというものだ。このラストで感じていたもやもやした謎も吹き飛んだ、と言いたいとこだが、そうもいかない。
やはりこれはこの展開を描きたかった、と言う意味での妻殺害と隣人の告白、ってことになるんだろうなあ?物凄く不思議な隣人関係ではないか。

コロンボもガミガミ言われたんできっと頭にきたに違いない。結構意地悪なラストであった。こんな人間性の欠片もない犯人に同情の余地はないけどね。
 
監督:ベン・ギャザラ 脚本:ピーター・S・フィッシャー 出演:ピーター・フォーク リチャード・カイリー
1973〜1974年アメリカ


posted by フェイユイ at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月01日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.12』「白鳥の歌」

先日の大好きなロボットものから今夜は苦手なカントリーミュージックもの。でも作品自体は非常に面白いもので
ウェットな味わいを持っているところは昨日の作品と共通していた。続きの2作品というのはどこかそういう
共通点があるものなのかな。

一体どういう成り行きで刑務所に入っていた今回の犯人が被害者である「妻」によって刑務所から「出られる」ことになったのか、
は判らない。「名義上の妻」にその秘密を握られている彼は素晴らしいカントリーの歌唱力を利用され人気歌手になって
働き続けることを強いられる。そしてその利益は全て「妻」が信仰している宗教団体の教会建築の為に貯蓄されるのだった。
もともと刑務所に入っていてしかも「私が助けなければあなたはまだ刑務所にくすぶっているのよ」というところから
相当重い罪だったのだろう。さらに若い女性に対して抑制が効かないのか妻の宗教団体に属している当時16歳の少女に
猥褻行為を行ってしまったようでその点でも脅迫を受けているのだ。(もともとの罪も同じようなものだったのかもしれない。
「妻」がやたらと女性関係を気にしているのを見ても)そういった罪を行っていたとはいえ、本人がその気もない宗教団体の為に
ただ働きさせられ何の自由もない、というのは犯罪場面がないせいもあって同情してしまう。「悪魔」と罵りながら人間性を無視して
人を酷使するこの女性に一体なんの神がついているのか理解しがたい、というか逆にまあ理解できてしまうのではあるが。
彼の唄う歌に残念ながら訳詞がつかないのでおぼろにしか判らないが「私は光を見た。もう暗闇はいらない」という繰り返しの
歌はまるで彼の心情そのままのようである。彼にとってこの生活はやっと抜け出たと思えた刑務所生活にまた引き戻されたか
それ以下の闇のような状況だったのではないだろうか。勝手に想像するしかないが彼を救ってその才能を利用し金をも儲ける「妻」の宗教団体
というものはそんなことをする自体胡散臭いものとしか思えないし、確かに新興宗教団体が人気歌手を利用して
伝道し金を儲けていく、というのは実によく聞く話である。ここに描かれていない嫌なものもあるに違いない。
「妻」である女が犯人であるトミーから肉体関係を強いられたという少女メアリ・アンと非常に近しい仲であるのも奇妙なつながり
である。彼の性癖を知って彼女を犠牲にしたのかもしれない。実際には「妻」とメアリ・アンこそ関係があるのかもしれないが
ここでは想像しかできない。
物語の設定や展開が今までとは少し違って感じられる。犯人に同情すべき点があること、被害者がかなり嫌な人間であること、
コロンボが犯人に共感というか畏敬の念のようなものを感じているようなラストは『別れのワイン』とも重なるが違うのは
本作の犯人のほうが人間的な弱さと温かみがあるということだろうか。「私は光を見た」という歌詞がこのラストにも感じられる
ようだ。
タイトル「白鳥の歌」は現代もそのままなので作品中に語られるのかと思っていたがそんなクサい芝居はなかった。白鳥は死ぬ間際に
美しく歌う、という言い伝えである。
その辺は説明はせず、しみじみと感じて欲しい、というところだろうか。

登場人物もなかなか味わい深い人が多かった。特に宗教団体の中で服を仕立てている年配女性とコロンボの会話が秀逸。彼女が
「私が乱痴気騒ぎをしてると思ったの」と言う場面はピーターがマジで笑っているような気がするのだが。絶妙なやり取りで愉快だった。

監督:ニコラス・コラサント 脚本:デビッド・レイフェル 出演:ピーター・フォーク ジョニー・キャッシュ
1973〜1974年アメリカ
posted by フェイユイ at 11:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月30日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.12』「愛情の計算」

Mind Over Mayhem

これはミステリーそのものより舞台設定というか登場人物というか、に物凄く惹かれてしまいミステリーそっちのけでもっと観たい気がしてしまった。
と。自分は凄く気に入った作品なのだが、一般的にな評判はいまいちのようだ。つまりロボットが出てきて殺人やらアリバイやらに関係してくることはミステリーファンの多くの方には芳しくないことなのだろうか。
私もミステリー好きではあるが同じくらいロボットが好きな人間なのだ。TVで「ロボット競技会」みたいなのがあると夢中で観てしまう。特に本作に出演の『禁断の惑星』のロビーはロボットおたくとしては(と言える資格はないが)シリーズ出演俳優として最大のゲストである。
コロンボとロビーが握手する場面なんてまさに感動ものなのだ。
そしてそのロボットを開発且つさらに教育しているのが天才少年スティーヴン・スペルバーグ。このネーミングにもにんまりだが、この科学の天才少年と推理の天才コロンボとの会話も大変楽しいもので、これにあのお馬鹿犬でお馴染みのコロンボの愛犬が登場し、ロボットに犬の世話をさせる、という珍妙な場面が出来上がり全く愉快この上なし、なのだ。
などとロボット&コロンボですっかり満足なのだったが、物語も今回はかなり他と毛色が違う。
天才ばかりがいるというシンクタンクの面々が出演者なのにも関わらず今回ほどしんみりとした話はなかった。今までの物語はほぼ己の欲望を満たすのが目的で己の嫌疑を晴らす為なら何でもやる、という話だったのが今回は息子の為の犯罪であり息子に嫌疑がかけられた時自分の罪を白状してしまう、という人情物になっている。
無論この父親は元々息子を支配下においており、息子の名誉や恥はそのまま自分に返ってくるわけだから愛情と言うものではない、と言われてしまいそうだが、それでも今までの冷酷な犯人像からすれば(名作『別れのワイン』の犯人など最も冷酷な人間だ)その愚かさも含めコロンボ作品の今までの中では最もお涙な物語だった。
また天才少年スティーヴン君も「怪物だ」と敬遠され今まで子供扱いされたことが殆どない、という可哀そうな少年でコロンボから「遊びたくてたまらない子供に見えるよ」と言われ一気に彼を好きになってしまう。「また会いに来てくれる?」と聞くシーンはちょっと悲しくなった。だってこの先もうコロンボは会いにいかないよな。しんみり。

さて今回の脚本は3人がかりのようだが中に例のスティーヴン・ボチコが入っている(おや彼もスティーヴン)いつも彼は他と違うセクシー路線、とからかっているのだが、今回はえー、「父の研究所の職員である年配の男性とは親子ほども年の違う女性」と多分彼女より年下の青年が何やらモーテルで密会していたのだが、皆さんが考えるようなふしだらな関係ではない、という奴(というのはコロンボの仕組んだ罠なのだが)と、天才少年とコロンボ、そしてロボットおたく的な感情、というところだろうか。ん、いや父親の息子への歪んだ愛情、というのが一番の変わった愛情(というほど変わってはいないかも、だが)かもしれない。
コロンボの駄犬への愛情、というのもあるが。
ま、セクシャル、と言っていいかどうか。

ロボットとミステリー。自分的には非常に心惹かれる組み合わせである。

監督:アルフ・ケリン 脚本:スティーブン・ボチコ ディーン・ハーグローブ ローランド・キビー
1973〜1974年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月29日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.11』「第三の終章」

今回のドラマは凝りに凝ってる。昨日のがコロンボシリーズの定番なら今回はその定番をわざと壊してみせた、ということなのか。
何しろ犯人グリーンリーフは殺人を他の男に実行させながらあえて自分が被害者を殺害したのだと警察に想われるように仕組んでいいくのである。動機、殺害したピストルなど様々な面でグリーンリーフが犯人だと指示している。他の犯人ならとんでもないやり方だが、あえて危険を冒したうえで実は彼が事件当時、泥酔して自動車事故を起こしていたことが事故の相手の保険請求により判明する、というような状況を作っておいたのだった。
いつもなら何とか犯人と思われないような余計な説明をする犯人がここでは自分から自分が犯人かもしれない、と言いだすのだから、シリーズ中でも本当に肝の据わった犯人である。
コロンボはいつも通り彼が犯人だと直感で判ったのだと思うのだが、他に類のない彼の恐ろしい計画性にさすがのコロンボもやや戸惑う時もあったのだろうか。としてもやはりコロンボはまず直感で犯人を見つけてしまっている、というのは事件の翌朝、変える必要もない現場のドアのカギを付け替えてしまっているのが犯人の動きを読んでいる証拠なのだろう。
ところで間違っているかもしれないが実際に手を下した男エディ・ケーンは事件後グリーンリーフに「歩いて中に入ったよ」と言っているのだが彼はその言葉を聞いてなかったもしくは理解してなかった(もしくは日本語訳と原語が違う?)のだろうか。あの場面でその台詞を理解していたらコロンボの罠である鍵をエディのキーホルダーにつけ足りはしなかったはずだが。
しかもこのコロンボの罠はなんとなくやり過ぎの気もするのだが。実際の警察がこんなことを仕組んだりするんだろうか。
最後に決め手となった先週ラストシーンが変更になったばかりなのにグリーンリーフが仕組んだ「数年前に書かれた偽の原稿」にその変更された最後が書かれていた、という矛盾であった。これだけでもよかったんじゃないか。
完全犯罪を計画した、という自信満々だったグリーンリーフがぺしゃんこになってしまうちょっと滑稽なラストだった。

今回のコロンボもちょっとかっこよく見えたよ。どういうことかな。
アップがばんとあって目が素敵だった。
おかしかったのは高級レストランに被害者の関係者がいたのでコロンボが事情聴取に入ったところ食事を促されたので喜んだものの、御上品なメニューばかりでピンとこないで結局好物のチリコンカルネを注文してウェイターを大いに困らせる。しかもケチャップを要求した。
実に傑作で愉快なんだけど結構うまかったらしい。昔我が家でちょいと贅沢して高いレストランに行ったらメニューが大人っぽくて妹が何も食べきれず仕方なくたったひとつ食べれそうな「カレーライス」を注文した。コロンボと違って味が高級過ぎて食べきれなかった。勿論値段は高かった。貧乏人って高級な味が駄目なのだよね。
関係なかったけど。

監督:ロバート・バトラー 脚本:ピーター・S・フィッシャー
posted by フェイユイ at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月28日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.11』「意識の下の映像」

Double Exposure

なるほどこれは『コロンボ』というドラマシリーズのスタンダードといってよい作品なのだろう。
犯人の極めてトリックを駆使した犯罪。犯人は知識人でありいかにも裕福な階級に属し申し分のない人種である。相変わらずコロンボは犯人の仕事に興味を示し素晴らしい集中力で彼の内面へと入り込む。そしていつもの執念深さで犯人の周囲をうろつきまわり犯人が参ってしまうほどのストレスを与えて冷静である彼が次第にぼろを見せてしまうよう仕向けていく。「異常な事態におかれた人間は考えられない行動をとってしまう」という台詞はこのドラマの中で何度使われただろう。無論コロンボは全てを察した上でこの台詞を犯人が使ってしまうことを楽しんでいるかのように思える。
かみさんの話などユーモアはいつも通りで過不足なくまとめられた作品である。
ただ一つ観客の本当の謎は「サブリミナル効果」というものがそれほどまで人間を左右してしまうんだろうか、ということではないのかな。
それが事実かどうかは別にしてもどうしても「頭の良い犯人」の有罪を立証する手立てがないコロンボはいつもの罠をしかける。
それが犯人自身が犯罪の時に使った罠なのだという面白さなのだった。

コロンボの定番というべきドラマでつまらなくはないのだが、却ってあまりにも当たり前のコロンボだ、と思ってしまうのは贅沢だろうか。
しかしこのドラマにもう一つの犯罪があってそれが犯人の犯罪を見破ってしまった映写技師の殺害なのだが、それの解決の決め手となるのが彼の癖というべき「映写しているフィルムの最後にコインを挟んでおくこと」
これをやっておけば読書しててもコインが落ちる音がした時にフィルムを交換すればいい、というアイディアなのだった。
彼が殺害された時にこの工夫がされてなかったのでコロンボはフィルムが何巻目だったのかを見破ってしまうのだ。むしろこっちの方が納得できるのだが、やはりこれも法廷での物的証拠にはならない、んだろうな。

なんだか寂しい感じがするのは色恋沙汰や美人の出番が話の上だけのことだったからかなあ。ほぼ絡みのない被害者の奥さん役がちらりとでるだけ。普通他のドラマだったら意味もなく例の美人モデルというタニアをちらっと見せるのだろうが。極めて過不足ないドラマだったので省略されてしまったのだね。

監督:リチャード・クワイン 脚本:ステファン・J・キャメル 出演:ピーター・フォーク ロバート・カルプ
1973〜1974年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月27日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.10』「野望の果て」

Candidate for Crime

前回の『別れのワイン』より本作の方がよりトリッキーでコロンボも頭脳を使っていると思うのだが名作と言われないのはやはり政治家の野望というような題材にはうんざりさせられてしまうからだろう。現実の方がもっとトリッキーでドロドロとした汚い陰謀が渦巻いているのだから。
且つ夫に不信感を抱きながらもどこかにまだ僅かな望みと愛情を見つけようとしているかのような妻をなんのためらいもなく裏切って若い愛人とよろしくやりながらその愛人女性もまた利用しようというまさに政治家らしい性格の男が犯人なのである。被害者の男性は嫌な部分もあったのかもしれないがそれでも自分を殺すことになるその男の為に半生を捧げてきたわけで、愛人を作るのは政治家活動としてまずい、というのは真っ当な意見なのにも関わらず、自分に誠実に尽くしてくれていた参謀をあっさり殺してしまうとは、一体なんという傲慢さなのだろうか。
今回ほど、犯人を追い詰め彼が作り上げた芝居を鮮やかな手際で暴いてしまうコロンボに快哉を叫びたくなったことはないだろう。
物語の汚さには閉口だが、ミステリーとしては非常に面白く、やや硬い印象だった『別れのワイン』もいいが、コロンボはやはりどこかひょうきんな場面があった方が好きなのである。
裕福な階級が相手役になるだけにコロンボのよれよれ具合がまた引き立ってしまう。
故障だらけのオンボロ車に情けない着たきりのコート。政治家ヘイワード御用達の洋服店でスーツを誂えようとして頓珍漢なことばかり言って最後には相手にしてもらえないコロンボが可哀そうである。しかしもし注文できてしまったら物凄い金額を請求されて卒倒しそうだが。

被害者は丈夫一点張りの服装なのに腕時計だけが華奢なのがおかしい、とかヘイワードがこっそり消音機付きの銃で窓ガラスと壁に弾を撃ち込んでおき、後で爆竹を鳴らすトリックだとか、洋服をなぜ10日前に注文していたか、とか様々な謎ときのある面白い一話なのだが、政治家ヘイワードを暗殺しようとする組織(無論ヘイワードのねつ造)が間違ってストーンを殺した時、ヘッドライトがどうしても彼に当たらないから撃てない、というのだけはあまりいただけない。暗殺組織が夜中に発砲する予定なのに照明も持たずに飛び出す、というのではあまりにへぼ過ぎるじゃないか。この逆というのならわかるけど。

面白い場面もいくつもあるがコロンボが歯科で治療をする、というのが最大のおまけ場面か。
「私もあなたもイタリア系なのにみんなイタリア系と言うとマフィアだと考えるんだから嫌になる」と歯科医が言う。しかし治療がこれもワイルドだなあ。
しかもイタリア系なのにオンボロ車でお洒落じゃない、というコロンボ。イタリア系としては異端だよなあ。

監督:ボリス・セイガル 脚本:アービング・パールバーグ アルビン・R・フリードマン ローランド・キビー ディーン・ハーグローブ
原案:ラリー・コーエン 出演:ピーター・フォーク ジャッキー・クーパー
1973〜1974年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月26日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.10』「別れのワイン」

Any Old Port in a Storm

コロンボシリーズでも名作として名高いこの一品だがトリックや謎解きが他より増して鮮やかというほどでもないのに評価が高いのはやはり誰でも私同様ミステリーそのものより物語の雰囲気が好ましいかどうかで評価が左右されてしまうからなのだろう。
コロンボシリーズは昨日のドラマのような業界内部、という話もあるし小説、絵画、音楽などの芸術関係のミステリーが多く、その度ごとにコロンボが興味を示し即席ながらその分野の勉強をしてみせたりするのが楽しみの一つでもある。
特に今回はワインに全く知識のなかったコロンボが「私と同じイタリア系なんだから素質はあるでしょう」というようなことを犯人から言われたせいなのかたった1時間半ほどの勉強をしたらしい場面の後、ワイン界屈指の専門家である犯人カッシーニが驚くほどの上達を見せるのである。
しかもそれが利き酒の才能ではなく彼のワイナリーで作られているワインを調べ2番目に出されたワインは最初の物とは違うので「これかこれのどちらかでしょう」というコロンボならではの推理で当てるというのが実に上手い演出ではないだろうか。
またしょっちゅう言っているが犯人がヒステリックにコロンボを嫌がるのではなく実に冷静で常に落ち着いており最後には自供しますよ、という潔さも人気の理由なのかもしれない。

格調高い雰囲気だとかワインに関する知識に感心してしまう本作でコロンボと犯人であるカッシーニ氏は友情にも似た親交を深めていくのだが、彼ほど心が冷たい犯人もいない気がする。いや実際は今までの他の犯人も自分のことしか考えていない輩であったに違いないがカッシーニ氏が冷静沈着であるせいかその印象がさらに強まって感じてしまう。まさに彼はワインのことだけしか考えていないのだ。他によくある金儲けには全く興味がなく名誉欲も二の次で自分がワインにどれほど精通しているのか、という自意識だけが問題のようである。自分が自分をどう評価できるか、ということが全てなのだろう。
金をせびる弟はまだ許せても工場を安っぽいワイン会社に譲ろうとすることは許せず、自分に思いを寄せてくれ庇ってくれた秘書には迷惑しか感じていない。彼女はとうとう結婚を強要してしまうのだが、もしかしたら彼女にはまさか脅迫するつもりはなく彼がまるで彼女の存在にも愛情にも何の興味も示さないことからつい口に出してしまった気さえする。他に女性がいるようでもなく彼はワインだけが全て、という人間なのだ。それに気づいていすはずなのにそういう脅しをしてしまった秘書の女性が気の毒に思える。
そんな風にいわゆる「おたく」でいることがいけない、というわけでもないが、やはりそういう女性からの申し出を冷たく拒絶したり、レストランで他の客もいるのに大声でワイン係の失敗をなじったり(これはコロンボの企みだったのでさらに気の毒だった)する心の冷たさを見ていると「ワインのことだけしか考えてない人間」というのはやはり人間として悲しいものなのだと思う。
こんな男と結婚できなくてよかったよ秘書さんは。

コロンボは勿論そういう人間性の欠落した部分を感じとりながら彼と接しているのだと思うが、この短いドラマの中でそんな風に感じさせてくれるのはやはり名作たる所以なのであろうな。

驚いたのはイタリア系という設定のこの二人。ピーター・フォークはユダヤ系だし犯人役のプレザンスはイギリス出身であること。
イタリア系の役はイタリア系だろうと思い込んでいたのだが、まさかコロンボがユダヤ系だなんて思いもしなかった。
らしく見えてしまえば思いこんでしまうし、思いこんでしまえば疑いも持たないのだなあ。ピーター・フォークはフォークというよりコロンボだと信じてしまってるから。

監督:レオ・ペン 脚本:スタンリー・ラルフ・ロス 原案:ラリー・コーエン 出演:ピーター・フォーク ドナルド・プレザンス
1973〜1974年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月25日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.9』「毒のある花」

今回は出演陣が豪華。犯人の化粧品会社女性社長ビベカ・スコットにヴェラ・マイルズ(『サイコ』でジャネット・リーの妹)被害者の若い研究員にマーティン・シーン、ライバル会社の社長はなんとヴィンセント・プライスという顔ぶれで一気に勢ぞろい、という感じである。
特にマーティン・シーンはチョイ役なのだが女性社長の元ツバメであり野望に燃える若者、という設定で確かにハンサムという形容がぴったりであった。

且つ本作は化粧品会社が舞台であり、「一塗りするとしわがなくなり、その効果が一日保てる」という魔法のクリームがアイテムになっているだけにドラマ観賞の女性陣はただならぬ思い入れで観てしまうかもしれない。ほんとにこんな凄いクリームがあったら化粧品業界を我が物にできるやね。
コロンボの奥さんも愛用の化粧品会社は経営難でしかもライバル会社との熾烈な争いの中にある。美人で評判の女性社長は若い男性をとっかえひっかえ恋人にするのがお好きなのだが、かつてはそういう立場だった化粧品開発部の研究員カールは会社の開発とは別にこっそりとしわ取りクリームを作り上げていた。それを知った女性社長は彼に成分を聞き出そうとするが反抗され逆上し、傍にあった顕微鏡で彼の頭を殴打、死亡させてしまった。

今回は計画的犯行ではなく突発的な殺害なのだが、物語の面白いのと出演者のうまさと何と言っても女性社長の美貌に見惚れてしまうのだなあ。
そして事件にもう一つの事柄が絡んでくるのが面白い。それが『毒のある花』なのであるが事件現場に行ったコロンボはどうにも手が痒くなって困り医者である弟に聞くとその原因が「毒蔦=ポイズンアイビー」であることは判ったのだが、それは近所にはない植物でかぶれるはずがないという。女性社長ビベカも数日手が痒くてたまらず赤く腫れたので手袋を着けていた。彼女はコロンボの話からカールが開発したあのクリームを手につけた時からだ、と気づく。クリームはしわはとるが湿疹ができ痒みに襲われる代物だったのだ。そこへ警察が社長の部屋を捜索に訪れる。ビベカは惜しみもなくクリームの瓶を海へと投げ捨てるのだった。
いくらしわがとれてもかぶれるんじゃねー、とがっかりしてたら、コロンボがビベカに言う。
「あの痒みは顕微鏡のせいですよ。あなたも殺害の時触ったし、私もつい割れたスライドの破片を触ったんです」
なんと、カールは化粧品以外にも研究をしておりちょうど顕微鏡に「毒蔦=ポイズンアイビー」をはめ込んで見ていたのだ。その化学式が黒板に残されラテン語でToxicodendron radicansと書かれていたのだ。参ったねえ。そりゃ判んない。
つまり!ビベカが惜しげもなく捨てたクリームは「痒くなる失敗作」ではなかったのだ!ああ!
しかしどーせ彼女は殺人犯しかも二人の、となりもう成功は望めないだろう。
最後はあっさりとあきらめ警察官と伴って去って行った姿はさすが化粧品の女王の貫録であった。

女性観客はああ、とため息をもらしたろうな。あのクリームがあったらば。

今回はポイズンアイビーにウルシオールという成分がある、というのとその言葉が無論日本語の漆から来てるっていうのがへええということだった。痒そうだったなあ。
コロンボが顕微鏡を見た時何か忘れている、というのが義弟から見せられたお土産のスライドから顕微鏡のスライドを連想した、というのも面白い。私はあれをスライドっていうの忘れてた。何故かプレパラートは覚えてるんだけど。
ビベカのようになりたいという若い女性がファニーな顔立ちなのもなんとなくいい感じで。
しっかしアメリカ人の化粧品だとか美容だとかの産業ってこれどころではない陰謀野望が渦巻いている気がする。ドラマ・映画の題材として凄く面白そうだけどあんまり暴いても困るかな。
現場に残された落書きが鉛筆ではなく眉墨だから犯人は女性だという推理。
美人社長の化粧・髪型・ファッション楽しい。

何も計画的犯行でなくともこういう面白い作品もできる。美人が犯人だとコロンボもより活動的みたいだ。くすくす。

監督:ヤノット・シュワルツ 脚本:ジャクソン・ギリス(先日のは酷かったがやはりギリスさんのは面白いんだよね) 出演:ピーター・フォーク 
posted by フェイユイ at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月24日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.9』「二つの顔」

Double Shock

コロンボシリーズの中でも特にトリッキーで面白い作品だった。
出足はいかにも胡散臭げなお調子者が犯人で例によってコロンボに盾ついたりと余計な口出しをして「見え見えじゃん」となるのだが、犯人の双子の兄(一卵性双生児、っつーか、無論一人二役なのでそっくり)の登場であっとなり、「あれ、ではさっきの犯人は案外どっちかわからんわけか?」と慌てふためいたのだった。
ところが進行するにつれ、やはり最初の弟の方が明らかに怪しい。一体何がどうなるんだと思いながら観続けると友人だと思って信頼していた弁護士が実は腹に一物ありでまたまた不安に。しかも老人である被害者の「孫ほども年の離れた」婚約者も変な感じなのである。
最初っから見えすいた、と思いながらも何故か物語が迷宮に入っていくようで不可思議な。さしものコロンボ警部もいまいちピンとこないでいる様子。しかも今回の目玉キャラクター「家政婦」さん。
お世話する一家を愛し抜くまさに家政婦の鑑のような女性なのだが、些か過激に過ぎるというのか、おかげでだらしないコロンボ警部は彼女の怒りを買う。
と言っても同情するなあ。私だって綺麗に掃除している部屋に葉巻の灰をボトボト落とされたり、綺麗に掛けていたはずのタオルを取ってきたり、大事な調度品を壊したり、おまけにTVを何度も映らなくされたりしたら頭にくる。
コロンボも「私だって必死であなたのご主人を殺した犯人を探しているんですよ」と反撃するがまたまた失敗しでかして彼女の傷つきやすい心に塩をすりこんでしまうような・・・ああ、しょうもないコロンボ。
これってのはつまり双子の兄弟が実は全く性格が合わなくていつもケンカしているのに互いの共通の目的「金」の為には手を組んだ、というもう一つの性格の合わない二人を見せたのかしらん。
大好きなドラマを何度も中断された家政婦さんにはひたすら同情する。
だらしないコロンボと几帳面な家政婦さんのやり取りが最高におかしく、そっくりの双子の正反対の性格という面白さと、老人と孫ほどに年の離れた婚約者たち、と様々な二つの顔があるのかな。
婚約者の女性の見事なプロポーションをコロンボが目の保養だと眺めている場面がエロチックな要素が少ないコロンボシリーズには珍しい色気かも。そう言えば今回の脚本は隠れたセクシャル担当のボチコ氏である。
且つ、コロンボがTV放送中の料理番組(犯人が料理研究家なのだ)に出演する、というハプニングが起きるのも見どころ。いつものコートと背広を脱ぎワイシャツ姿にエプロン掛けで卵を黄身と白身に分ける技を披露。しかしワイルドなやり方だな。TV放送に突然映されてどぎまぎしながら愛想笑いをしたりするコロンボが見れる。
そして何と言っても謎解きの場面。入浴中の叔父の風呂に電動泡立て機をつっこんで感電死させた為、家政婦さんが見てたTVが映らなくなる。
もし犯人が風呂場から地下のヒューズの場所まで移動するのにどんなに急いでも60秒以上かっかる。だが、TVは20秒で復活していた。
その為には共犯者が必ず必要なのだ。
そっくりな顔であること、同じように叔父の遺産を受け継ぐ身であること、双子の兄弟という設定にする必要のある面白い事件だった。

監督:ロバート・バトラー 脚本:スティーブン・ボチコ ピーター・アラン・フィールズ 出演:ピーター・フォーク マーティン・ランドー ジャネット・ノーラン ポール・スチュワート
posted by フェイユイ at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月23日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.8』「断たれた音」

The Most Dangerous Match

今回は一体どうしたんだろうか?
トリックや謎解きの部分は工夫が見える。補聴器が必要な犯人がその機械を装着せず犯した殺人の際に音が途切れたことを気づかなかったことが最大のミスだった、という種明かしなど他にないほどの面白さがある。
だがそれ以外の設定・物語はどうもいただけない。前回に一番面白い時期か、と思ったのが嘘のような作品に思えた。
まず最悪なのが犯人。コロンボに追い詰められ次第に苛立つ、というのならまだしもこの彼、初めからぶち切れてしまっていてコロンボ作品の犯人としてはまず最低のキャラクターではないだろうか。コロンボの敵役というのは何と言ってもコロンボが一見かっこ悪く見えてしまうほどの優れた人材でコロンボが周りをちょこまかしても鷹揚に構えていて欲しい。まさに好敵手という関係で騙し比べをしてくれるような人物でいて欲しい。同じタイプばかりではおかしくなってしまうかもしれないが、本作の犯人のように始終神経質に苛立ち、コロンボの質問にも陳腐な答えを繰り返し(つまり犯人が、というよりドラマを作っている側が使い古された答えをまた言わせているってことだが)追い詰められて公の場で尻尾を出し最後には絶叫しながらコロンボを罵倒する、っていくらなんでも酷過ぎる犯人描写ではないか。
犯人の殺害動機と方法というのは色々あったが、チェスの現チャンピオンが元チャンピオンの復帰に怯え、試合直前に殺害してしまうなんて犯行としても見え見えであるし、何とも情けない発作的殺人で今までの犯人の中でも最も馬鹿馬鹿しくしょぼくれた奴であった。またその犯人の特徴が「耳の聞こえない(遠い)」人物だというのは今なら設定し難いことかもしれない。

脚本は他にいいものを書いている(『二枚のドガの絵』など)がこの回に関しては何故こんな変な展開になってしまったのか。
元妻という女性が最初は犯人に憎悪を抱いているような描写だったのに途中から全く違った感情を持っているのが不自然で意味が判らない。
犯人が殺害後に元チャンピオンの弔いゲームだみたいなことを言って数人対戦の公開チェスを催すのだが、その場でゲームをしながらコロンボと事件についてやり取りする、というのは奇抜な演出だとしてやったのかもしれないが、現実離れしすぎているとしか思えなかった。

こういう時はコロンボ自身も犯人への迫り方がじれったいような嫌らしさを感じさせるからおかしなもんである。確かに犯人が言うような芝居がかった方法で鬱陶しい。
愛犬の登場だけがなんとか場を救った感じがしたが、このコロンボは好きになれなかったなあ。

何故犯人がここまで勝ちにこだわるのか、何故被害者はあんなに優しいいい人で犯人に付き合ったのか。何故犯人の元妻が元チャンピオン側に着いていたのか、何故途中で犯人への態度が変わったのか、その辺りの書き込みをして欲しい。
後、被害者が手術後注射をしたことで容体が急変したのでコロンボがアンプルの鑑識を求めるとそれは捨てた、というので終わってしまったが、体内に残った薬の成分、という鑑定はされないのかな。

監督:エドワード・M・エイブラムス 脚本:ジャクソン・ギリス 出演:ピーター・フォーク ローレンス・ハーヴェイ
1972〜1973年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月21日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.8』「溶ける糸」

A Stitch in Crime

今回はなんとあのレナード・ニモイが犯人として登場。私的には彼の登場が一番の目玉である。
しかも優秀かつ冷静沈着な外科医というまさにぴったりの役どころ。

実はニモイが『スタートレック』以外の作品に出てるのをちゃんと観たのはこれが初めてかもしれない。あの独特な風貌が一般社会ではどうなるのかと思ったら極当然にハンサムであった。すらりと長い手足とぴくりと持ちあがる眉はそのままである。
野心家で切れる頭脳を持つ彼はいつものようによれよれで現れたコロンボの才能をすぐに感じ、最後の最後までコロンボを悩ませる。
今回の他との相違点は作品の中で二つの殺人が行われるが第三の殺人、というより本当はその殺人こそが本来の目的であったその殺人が未然に防ぐことができるか、ということにあった。
その為にコロンボは他では見せることのない激昂を犯人にぶつけるのである。
果たして犯人である外科医は再手術の必要を察し、これまた落ち着いた策略で(被害者は落ち着いてはいられないとんでもない状態になってしまうが)再手術で己の罪を隠そうとする。
コロンボは他の作品でもたびたび説明されるが怖いものや注射や手術などが大の苦手で今回も別の医師の説明で手術状況を見せられるのだが、気持ちが悪くなって目をそらすのだが、命がかかっている被害者の再手術の際は目をくぎ付けにして様子を見守るのである。
冒頭では犯人の凶器である金てこにゆで卵をぶつけて割ったりするふざけた場面があるのだが、被害者を守ろうとする為に激しく怒りを表す姿や手術後すぐに部屋の中に入っていくコロンボの懸命さにちょっと打たれる。

この場合の犯罪の凶器が溶ける糸である。心臓手術には形が残るパーマネントの糸を使うのだが、もし溶ける糸を使えば患者は数日で死んでしまうのである。
コロンボはニモイ扮する外科医に再手術を促し、そこで取り換えて摘出するはずの「溶ける糸」を摘発するつもりだった。
だが、手術後すぐに中に入って捜索したのに何も見つからない。
コロンボは負けを認め引きさがるが、思い出したのはいつも冷静な医師がその時だけ激しく怒ってコロンボに詰め寄った「いつもと違う態度」だった。
彼は怒りを演じてコロンボが身に付けた手術着のポケットに素早く「溶ける糸」を隠したのだ。
最も見つからない場所、それがコロンボのポケットだった。

うーん楽しい。ブラウン神父みたい。
ニモイの外科医を観てたらこの前まで観ていた『白い巨塔』の田宮二郎みたいに思えてきた。
日本でコロンボ作るなら田宮=財前は出て欲しいやね。って無理でした。

監督:ハイ・アヴァーバック 脚本:シリル・ヘンドリックス 出演:ピーター・フォーク レナード・ニモイ アン・フランシス
1972〜1973年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月20日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.7』「偶像のレクイエム」

Requiem for a Falling Star

コロンボを観直しててまったく感心してしまうのはどの回も色々な面が他のと違うように工夫されていることだ、というのは何度も書いたと思うが今回もまたさらに唸らされてしまった。

コロンボシリーズは何と言ってもコロンボ警部の個性が物凄く強烈なのでその部分だけが、彼の話し方とか仕草とかがすぐ思いついてしまうのだが、無論こんなに世界各地で長く愛されているのはやはり物語にそれぞれの特徴があって飽きさせない面白さがあるからだろう。
しかも今では当たり前の猟奇趣味だとか性的犯罪の露骨な描写は抜きなので多くの国で許容されるし家族団らんで観れるのも強みであるに違いない。
その上で様々な創意工夫がなされているわけであるが、普通回が進めばマンネリだとかネタ切れだとかになりがちだがコロンボシリーズ14作目にしてますます脂がのってきて話もより練られていると思えるのは脚本家や演出家が入れ替わってやっているからというのもあるのだろうか。
とはいえ今回は脚本・演出が前回と続いている。このジャクソン・ギリスという方がコロンボシリーズの脚本を一番多く手掛けていてしかも水準が高いのだ。

本作のコロンボで最も変わっているのは確かに殺人事件現場は観客の目の前で起きるのだが犯人の動機が実は最後まで判らない、ということにある。
最初は被害者と恋仲になっているゴシップライターの男から弱みを握られ強請られたことで起こした殺害計画が偶然による間違いかと思わされる。大女優である犯人の余裕のある言動や華やかな様子にコロンボ同様見惚れてしまうのである。そしてコロンボと共に彼女の行動が何を示しているのかを少しずつ知っていくことになる。
今回のコロンボは青春時代の思いで深い女優さんから優しく接してもらえることでかなり嬉しそうで観てても可愛らしい。背の高い役者の出番が多いのでコロンボの小柄さが目立つ。華やかな映画界が舞台のせいか、彼の貧相ぶりがますます強調されているようにも思える。愛車もいつもに増してオンボロになってしまったようだ。
またネクタイがいつも同じだと大女優ノーラから指摘されお洒落な金色のネクタイをプレゼントされるのだが、「明日そのネクタイをしてないと結婚記念日なのでまずい」と言っていつものネクタイを取り返す。
また「女房があなたの大ファンなので電話に出てもらっていいですか」と妻に電話する、という貴重な場面があるのだが2回とも買い物に出ていて代わりに甥っ子が大女優と話してどうやら大興奮になったようだ。
この大女優ノーラを演じているのがアン・バクスターで先日私はやっと彼女の『イヴの総て』を観てそれこそ大感激だったのだが、彼女の実際の衣装デザイナーであるイデス・ヘッドがそのままアカデミー衣装デザイン賞を取ったイデス・ヘッド本人の役で登場してコロンボに贈るネクタイを運んでくるのだ。楽しいねえ。

監督:リチャード・クワイン 出演:ジャクソン・ギリス 出演:ピーター・フォーク アン・バクスター メル・ファーラー イデス・ヘッド
1972〜1973年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月19日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.7』「ロンドンの傘」

Dagger of the Mind

アメリカ・ロサンジェルスの警部であるコロンボがスコットランドヤードを視察する為ロンドンを訪れ、そこでシェークスピア劇の俳優夫婦による殺人事件に出食わす、という思い切り楽しい設定である。

自分がロンドン子なら大好きなコロンボがやって来たというのでわくわくして観たに違いない。
ところでこの回、小池朝雄氏が風邪気味だったのか、相当なしゃがれ声で初め他の人かと思った。かなり調子が悪そうでいまいちコロンボらしからぬ口調だったのとせっかくアメリカ英語とイギリス英語の差を楽しめるので今回だけは途中から英語オーディオに切り替えてしまったよ。慣れるとこれもいいかも、だ。

さて、物語の展開はいつも通り、ロンドン在住の俳優夫婦、どうやらシェークスピア劇は初めての様子。かなりの意気込みであったにも関わらず彼らのスポンサーであるサー・ロジャーが彼らに利用されたことを怒り劇の中止を決意したと言いだした。
慌てた夫婦はサーを止めようともめている最中に動転した妻リリーの投げたクリームのビンが夫ニックに押されたサー・ロジャーに当たってしまいなんとサーは死んでしまったのだ。
思いもよらぬ出来事に二人は激しく動揺しその場では死体を隠した後、マクベス上演後に彼の邸宅に遺体を運び階段から落ちて死んだように画策するのだった。

その後、コロンボ警部がロンドンへ到着し、旅行かばんがなくなったとかで大騒ぎになるのだが、ありゃ偶然とはいえ昨日の『フランティック』も旅先で旅行かばんがなくなった騒ぎだったのになあ。なんだかやっぱり映画って連動していく気がする。
スコットランドヤードを視察?見学?勉強?しにしたはずのコロンボ警部は地元警部の案内ですっかりお上りさん気分で衛兵だのロンドンの風景だのをカメラで撮りまくり。大はしゃぎのコロンボが可愛いのである。しかしスコットランドヤード警部はロサンジェルスからわざわざ派遣された腕利き警部と言われる男がテンで冴えない小男で格好もよれよれなので胡散臭く思っているのがありあり。ま、コロンボはいつものことで慣れてるのでそんなことで怒ったりはしない、っていうかそれが「手」なんで。
まあまあ、とにかく、シェークスピア劇『マクベス』にちなんで夫婦による恩義あるサー殺害。そしてロンドンの雨、傘、パブ、執事、とイギリスを連想させる色んな小道具を駆使しての物語展開。ロサンジェルスの話口調とは違う会話とロスっ子とは全く異なるつんととりすましたロンドンの人々の中で小柄なコロンボが不思議な違和感を醸し出しながらも事件を解決していく。
コロンボって見かけはよれよれだけど美術音楽演劇と物凄く興味の幅は広いのだよねー。
あ、そういえばサーの死が事故ではない、と疑問を持ったのは彼が読んでいたと思われる(つまり偽装した)『不思議の国のアリス』の高価な蔵書をこともあろうにページを開いたままテーブルの上に伏せて置いておく、という本が最も傷むことをやっていたからなのだった。これもイギリスらしい本の選択であり高価な本だとコロンボがすぐに気付くのも彼の知識を物語る。

最後にコロンボが頭脳だけでなくマジシャン並みのテクニックを見せてくれる。ここんとこの種明かしは人によっては狡いと言われてしまいそうだが、要は犯人を立証することなので、私的には却って違うパターンで面白い、と思ったのだが。

もうひとつイギリスらしいエピソード。コロンボが地元警部に「クラブに連れていく」と言われスポーツクラブかと思ったらよく話に聞く社交の場の(って言う説明でいいのか)クラブで豪華なお茶を用意され恐縮する。そこで「ここはやっぱり女人禁制なので?」って聞くのがおかしい。答えは「何故そう思うのですか」だったんだけど、そうじゃないのかな。

監督:リチャード・クワイン 脚本:ジャクソン・ギリス 出演:ピーター・フォーク リチャード・ベイスハート オナー・ブラックマン
11972年〜1973年アメリカ
posted by フェイユイ at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月15日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.6』「アリバイのダイヤル」

The Most Crucial Game

コロンボシリーズを続けざまに観てるわけだが、こうして観ているとコロンボ自身の見え方も作品によって随分違うような気がする。
無論その日の気分だとか集中具合だとかもあるかもしれないので一概には言えないが同じピーターが演じているコロンボが確かにしょぼたれている時とハッとするほどかっこよく見える時がある。
しかもどうやらコロンボが素敵に見える時はドラマ自体も面白いような気がするのである。

というのは昨日の作品と今日のではコロンボのイメージががらりと違って見えるのだ。
他のレビューではこの二つの作品の評価はさほど違わないようなのだが、私としてはかなり違う。
昨日の『悪の温室』は物語もトリックも他の出演者も平板で退屈気味だったのだが、『アリバイのダイヤル』ではそのどれもに起伏が感じられ非常に楽しく観れたのである。
題材的にはアメリカンフットボールというより蘭を栽培する温室、なんていう方が好きなのだが、内容自体の面白さは全く逆転していた。
どうして今回のコロンボの方がよく見えるんだろう。演じているのはピーター・フォークでまったく同じはずだが、彼のあの決めの仕草や台詞が犯人を追い詰めるのが妙に気に障ってマンネリ気味に感じてしまう昨日の作品から今日はコロンボの表情や台詞がまったく新鮮になっているのだ。
それはもう作品をじっくり何度も観返してみないと判らないのかもしれないしそこまではちとやれないが確かに何かが違う。
アップになる割合が多くその表情の見せ方が変化に富んでいてしかも魅力的なのである。
後、共演者の女性も問題になる。昨日の作品に登場する奥さんはどうもやせぎすで好きなタイプではなかったのだが(って私がだけど^^;)今回は奥さんも(少ししか出てこなかったが)美人だし、問題の決め手の一つになる3日間だけの秘書役の女性イブがセクシータイプでコロンボにキスをする。ここんとこ、凄く小さな演技なんだけどコロンボって美人に優しくされると結構喜ぶ人なんですね。男だから当たり前なんだけどそれをあまり大げさに表現せずちょっと嬉しそうな表情になって満更でもないなあって顔をしてる、それがとてもキュートなのだ。
ていうかそういう小さなコロンボの心をの動きを演出としていれてくる作品とそういうのなしで進んでいくドラマでは随分作品のゆとり感覚が違ってくる。
以前ピーター自身が演出した奴でコロンボが苦悩してるのが好きだったけど本作のコロンボもあっという間に結論を出すんじゃなくかなり葛藤してる。そういう考えあぐねているコロンボにぐっときてしまうのだよね。
プールに足を突っ込んでズボンの裾の片方だけを折り曲げてたり、濡れてしまった靴を新調したんで足が痛くてよろよろ歩いてたり、好物のチリコンカルネに手もつけずテープを何度も聞き返してたりそういうコロンボのしょぼくれてるんだけど可愛くてたまんないとこやあの義眼のせいで不思議な感じに見える表情や眉の上げ下げなんか、指や手の動きが細かく彼の心情を表しているのが今回は実によく捉えられているように思えてしょうがないのだ。
確かに背の高い人物が多いアメリカ人社会ではずんぐり体型でややがに股気味。よれよれのコートは西海岸では特に奇妙なスタイルなんではないかと思うんだがちょっと背伸びして見せたり短めの腕で腕組みしてるのなんかも観てるとだんだんセクシーに思えてしまうのだからなあ。
いや、そう見えてくるバージョンの回があるのだ、きっと。

ところでそれとは違う疑問もあるのだが、コロンボシリーズ観てると犯人が「今こんな事件の後で混乱しているのだ。そっとしてやってくれ」なんていう場面が必ずあって、コロンボも「お察しします」とか言ってぐったりした女性を支えて犯人が向こうへ行く、というのがあるけど、その家族が殺されている場合でコロンボがというか警察が気を使って控えめにしなければならない、というのはあるんだろうか。そりゃそんな人に詰問しても答えは返ってこないかもしれないが警察側が神妙な顔になっている、というのがちょっと不思議。やはり上流階級だからこその反応なのか。
ま、そこで神妙な顔で見送るコロンボ、というのが結構いい感じだったりはするんだけどね。

監督:ジェレミー・ケイガン 脚本:ジョン・T・デュガン 出演:ピーター・フォーク ロバート・カルプ ディーン・ストックウェル ディーン・ジャガー ジェームズ・グレゴリー
1972〜1973年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月14日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.6』「悪の温室」

The Greenhouse Jungle

今回一番の特徴はコロンボに相棒ができたことだな。
アメリカの刑事ものは殆ど(実際がそうなんだろうが)相棒と組んで捜査がされるのに『刑事コロンボ』ではソロでの活動になっていて、そこがまた独特なイメージを作っているんだけど、このコロンボシリーズ、とにかく毎回他のとは違う設定や演出を何か心がけているみたいで今回はあえて相棒を出してコロンボとの掛け合いで面白さを出す試みだったんだろう。
刑事ものを観てるとよくあるのだがこつこつ捜査するロートルのとこへ最新型科学捜査をする大学での若い刑事、と言う奴で本作もまさにその通りである。惜しむらくは外見がコロンボとさほど違わないように見えることでもう少しコロンボとのメリハリをつけてもよかったんではないだろうか。
とはいえのんびりじっくり敵を追い詰めていくタイプのコロンボの傍で一人張り切って燃えていてコロンボを尊敬しているようではあるが最新機器を駆使して見せる様はなかなか面白い。
殺人が最初に行われず、まず犯人が被害者を騙してのでっちあげの誘拐事件を起こして身代金をまんまと手に入れ、その後に殺人が起きる、という仕組みになっている。
犯人が温室で蘭の栽培をしている、という設定も他の作品と異なった雰囲気を持たせるのだが、弾が土の中から出てきた、という以外はさほど蘭栽培が直接事件と関わっているのではないのがちょっとだけ残念。コロンボが話の接ぎ穂に持って行った萎れきった「アフリカバイオレット」というのを犯人が馬鹿にして捨てたほうがましだ、と言ってたのにラストでそれが綺麗に生き返っている、というのは犯人がいつの間にか手入れをしていた、ということなのか。花だけには心優しい人だったのか。
ちなみにアフリカバイオレットって何だと思ってたら「セントポーリア」のことだった。普通セントポーリアって言わないか?確かにあのぺたんとした葉っぱはそうだよね(これは私が日本語吹き替えで観てるからで、英語オーディオ日本語字幕にしてたら「セントポーリア」になってた。多分コロンボは「セントポーリア」っていうより「アフリカバイオレット」って言いそうだ、と吹き替え訳の人が思ったのか?却って長くなるけど)

奥さんが浮気しそうなタイプに見えないとか、被害者が奥さんへの当てつけにつきあっていた女性とは肉体関係はなかった、などキャラクター設定がいまいちしっくりいかなかったのと、全体に展開がまどろっこしくやや退屈を感じる本作であった。

監督:ボリス・セイガル 脚本:ジョナサン・ラティマー 出演:ピーター・フォーク レイ・ミランド ブラッドフォード・ディルマン ボブ・ディシー サンドラ・スミス
1972〜1973年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月13日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.5』「黒のエチュード」

Etude in Black

クラシック指揮者が浮気相手の女性を殺害。その理由はその女性が秘密の愛人という立場に不満を持ち正当な結婚をしたいと迫られたから。
が男の方は莫大な財産を持つ妻と離婚するつもりは一切なかったのだ。

コロンボの敵として見本のような存在。優秀で人気のクラシック指揮者。常に冷静に(怒っている時は演技である)計画を立て実行する。
他の男に容疑がかかっても彼を庇いながらどこか罪に陥れるような微妙な擁護をしている。胸に付けた花を現場に落としたのを拾って胸に着け直したことがばれても落ち着いてしらばっくれる。妻が自分に疑いを持ってても慌てない。そして最後に追いつめられても妻に「君を愛している。僕は有罪になる。有利な弁護を頼む」と耳打ちする。
怖ろしい相手である。コロンボに逮捕されると理解すると、その後の裁判の行方を早々と見据えている。
物語としては犯罪やトリックは工夫はされているがあっと驚くほどはないが、本筋以外の部分が楽しめた。
まずコロンボが池で拾ったというだらんとした犬。バセットハウンドという奴でぼけっとしたとこがなんともかわいい。実際ピーターのペットであるらしい。コロンボが抱っこした姿もユーモラスで実に愉快。
次は被害者の隣に住んでいるという女の子。アメリカの少女らしくおませで利口でコロンボに全く負けていない。彼女も愛犬家なのでコロンボが駐車した車の中に犬を入れっぱなしにして窓を閉め切っているのを叱りつける。バレエの稽古をしているとこにコロンボが訪ねていって「君は素晴らしい少女だ」と言うと「体が?精神が?」と問いただす。
しかしコロンボが彼女を使って犯人を追い詰めようとオーケストラの練習場所へ連れていくと指揮者ではなく、他の男(確かに被害者と付き合っていた)を指差してしまいコロンボも酷く狼狽することになる。
この場面ってちょっと驚き。いくらなんでもこんな小さな女の子、というか大人だってだけど、を直に犯人を指差させるなんてありえないだろう。後でどんなことになるか判らないのに。
ドラマとしては面白い演出であったが。

さていつもちょっとエロチックな要素のあるスティーブン・ボチコ脚本。今回は、というとやはり他にないロリータの雰囲気だろうかね。しかも少女にいたぶられて満更でもなさそうなコロンボだった。

そして観ながら物凄く気になったのが、指揮者の美人妻。どう観てもグウィネス・パルトロウなんだけど年齢が絶対合わんし、と思ってたら彼女のお母様であった。いやあミステリーだった。

パット・モリタさんが執事役で登場。

監督:ニコラス・コラサント 脚本:スティーブン・ボチコ 出演:ジョン・カサヴェテス マーナ・ロイ ブライス・ダナー ジェームズ・オルスン パット・モリタ
1972〜1973年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:41| Comment(4) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月09日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.5』「パイルD-3の壁」

Blueprint for Murder

コロンボシリーズ再観始めて何度も書いてるのが「他の作品とは違い・・・」という文章。つまりどれも何かしらここは違うという押さえどころがあるのが飽きさせないんだろう。
今回も幾つも目新しいポイントがあり、一つは殺人現場を描いていないところ、そしていつもは見せている死体処理現場も今回は無し。ということでいつもはただ犯人を追いつめていく展開なのが今回は犯人は判っているがどこに死体があるのかはわからないミステリーにもなっている。そして死体が見つからないのに被害者の元妻が抱いた疑念から警察へ通報される、という筋書きになっているのも面白い。

そして今回えっと驚くのはコロンボを演じるピーター・フォークその人が監督をやっていることだろう。
そのせいなのかどうかコロンボ自身の描き方も他のと随分変わっている。
今まで観たコロンボはいつも冴えないがやたらと頭のいい警部という表現ばかりだったのが今回のコロンボは一味違う。
まず警察に通報した被害者の元妻(肉感的な美人。ピーターの好のみかしら)から凄く気に入られ他にないほどキスしたり労わられたり、という珍しくコロンボがちょっとだけいい思いをしている。
また医者を訪れたシーンで前ボタンを少し外していて、そういえばコロンボってだらしない、とばかり言われてるがシャツのボタンとネクタイはいつもきちんとしているのだ。少しだけ外したボタンのせいでわーなんだかコロンボが急にセクシーに見えて(物凄く単純な私^^;)どぎまぎしてしまった。
そしてコロンボが今までと最も違ったのは建設家である犯人が死体を隠しているに違いないパイル(建築の基礎工事のコンクリートの塊)D−3を掘り返させたコロンボの目論見が外れ犯人の前で打ちひしがれているところ。それまで見せたことないコロンボの苦しみがにじみ出ている場面がまたセクシーで逆にきゅんきゅんしちゃいました。うーん、傷ついた男って素敵だなあ。というか、敗北しながらもなんとかせねばともがき苦しむ様が色っぽいのである。
と言っても結局それはコロンボの罠で、実はわざと犯人がパイルの下に被害者が埋められているのではないかとコロンボに思わせ掘り返してしまうよう仕向けているのをコロンボは気づいてこれもわざと騙されたふりをしていたのだった。
コロンボが判らなかったのは犯人が今どこに死体を隠しているかであって、掘り返した場所を2度確かめることはない、という算段で犯人は今度こそパイルの中に死体を隠そうとし、そこをコロンボに捕まる。
前前回、前回のようなイラついた犯人との駆け引きではなくここはまさにコロンボならではの犯人との知恵比べだったのだ。

被害者がウェスタンしか聞かないのに彼の車のカーラジオがクラシック専門局にチューナーが合わせられていたことからコロンボの疑惑が確かになる、というのもかっこいい。コロンボがクラシック好きだったことでピンときたのだ。
最後に犯人と交わす言葉も「ウェスタンとクラシックじゃ全く合わない」とコロンボが言うと犯人が「建設家と殺人もね」と言う。この一言で犯人の悲しみも深みを増している。いいミステリーだった。

ところでそのビル建設の基礎工事で地下に埋められるコンクリートの塊「パイル」を捜査の為、掘り出すには役所へ行って許可を取らねばならないという話になり、コロンボ自ら役所へ行くのだが、何度も行列に並びやっと申請しようとしたら「昼休みだから1時に来なさい」と言われめげる場面がある。お役所というのは何処も同じ、という笑い話。ここでも一所懸命なコロンボの姿が可愛らしい。
というわけでコロンボの魅力満載の一話であった。
ピーター自身が監督したんだもん。少しは自分をアッピールしたいよね。成功でした。コロンボだって結構いけるのよ。

監督:ピーター・フォーク 脚本:スティーブン・ボチコ(お、ボチコさんだ。彼は色っぽい話が多いのね。私が思ってるだけだけど)
出演:ピーター・フォーク パトリック・オニール フォレスト・タッカー ジャニス・ペイジ パメラ・オースティン
1971〜1972年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月08日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.4』「死の方程式」

Short Fuse

今回は昨日の作品と同じように肉親(というか叔母の夫だが)の社長の座を狙う、という物語である。今回はさすがに叔父叔母と肉体関係がありそうには思えないし、昨日の女性よりもっと着実に勉強(化学や法学も)していて頭も悪くはなさそうなのだが、人間性が欠落していることが問題なのだと本人だけは気付かずにいる、という話。
今までのコロンボシリーズの犯人で最も軽佻浮薄なキャラクターであり、いつもは犯人が尻軽なコロンボに苛々するものだが、今回はむしろコロンボがイラついてたのでは(一応画面上ではそう見えなかったが)のらりくらりと軽口を叩いてコロンボを煙に巻く様子は希少価値かも。

化学工場が舞台なので工場オタクにはちょいと嬉しい背景か。また高所恐怖症のコロンボを今度はロープウェイに乗せて怖がらせるが、ラストの決めの場面で再びロープウェイを使い今度は犯人を恐怖に追いつめるという演出は見ものだった。

犯人役を演じたのがロディ・マクドウォール。私ら世代には『猿の惑星』のコーネリアスを知らない人はいないのでは(まあ名前は知らんでも)と思えるが何しろお猿メークだったので実は今回初めて「こういう顔だったんだ」と知ったという。申し訳ない。軽薄な次期社長にぴったりの子供っぽい表情が魅力的な人だったのだねえ。
ジュニアと言われている時のぴちぴちのブルーのジーンズがなんだか生々しく浮き上がったものが見えてエロチックでもあった(どこ凝視してんだか)
ロディって私は全く知らなくて『猿』だけだった人かと思ってたらその後『フライトナイト』シリーズでマニアックに人気を取っていたのだね。本作の主人公とは違いやはり真面目に芸を通していればいつか実を結ぶものなのだ。よかった。

それにしてもこの辺の雰囲気ってコロンボファン(特に日本の)にはあまり受けないもののようだ。
やはり犯人のキャラクターも奇をてらったものよりじっくりコロンボと対決する格調高い人物を望んでいるからなのかなあ。つまりみすぼらしくかっこ悪いコロンボが高級感溢れるかっこいい犯人と戦って頭脳で勝つ、という図式を見たいのだ。低俗な犯人ではその欲求が満たされないのだよね。

監督:エドワード・M・エイブラムス 脚本:ジャクソン・ギリス 出演:ピーター・フォーク ロディ・マクドウォール アン・フランシス
1971〜1972年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月07日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.4』「もう一つの鍵」

Lady in Waiting

他のコロンボ作品に比べると随分粗悪な作りになっているのでおや、と思ってしまう。一体何が悪いんだろう。
これはこれで面白い部分もあるのだが。

やはり気になるのは本作の主人公となる奇妙な若い女性ベスだろう。最初権威的兄の支配下で押しつぶされそうになっている憐れな存在として登場する。彼女には何の自由も与えられていないようなのは、兄の死後、大変身してしまうことからそれまでの抑圧ぶりが想像できるのだが、何故彼女はそこまで支配されていたんだろう。
気になるのは母親の存在である。どうやら彼女は息子の方を溺愛していたようだ。それに対して娘には酷く冷淡である。彼女が言うには「息子は素晴らしい才能があり妹もしっかり保護していた。それに比べ娘ベスは自分の世話すらできず、いつもしょうもない男を捕まえ今度も金目当てだけの男と結婚しようとしている」というのである。同じように犯人の兄も「あの男は出世だけを狙っている。おまえは何も判ってないんだ。私がお前を守るしかないんだ」と。
無論台詞は重要なヒントなので私はてっきりレスリー・ニールセン演じるこのやや年かさの二枚目男が途中で尻尾を出しまたもや女性を騙しているのか、と思っていたのだが。
彼自身は一途に善良な男性であった。
では一体あの二人の台詞は何だったのか。
つまり物語としては馬鹿な娘が男に騙されて兄を殺し母親を疎外したが結局は出世と金目当てだったのだ、というのならこの話は(あまりにも凡庸だが)筋が通るが、ベスが選んだ男は立派な人間だった。母親と兄が邪魔しなければ彼女は結婚し幸せになれたかもしれないのだ。それが理由で殺人を犯してよいわけではないが、美容室に行くことも洋服を買うことも恋人を選ぶことも許されないでいた彼女のそれまでの人生とはなんだったのか。何故母と兄はそこまで彼女を貶めていたのか。あんなにやる気がある女性なら兄とは別に勉強させ会社を経営させてもよかったのにどうして「駄目女」と決めつけていたのか。容姿もいい妹に何故兄は「お前に金以外の魅力があると思うのか」などという暴言を吐いていたんだろう。それこそが兄の本音だったに違いないが実際彼女は金ではなく彼女自身の魅力で優秀な男性の愛情を受けていたのだ。母と兄こそが男を見る目がなかったのだ。

この作品の中で「何故お兄さんは独身だったのですか」という質問があってすぐ特に意味はないと打ち消されているのだが、そこに何か秘密が隠されているんだろうか。
何故優秀で裕福な兄は結婚していなかったのか。何故妹は閉じ込められていたのか。何故恋人との結婚の為に兄を殺したのに彼女がすぐ行ったのは結婚より会社を経営すること、だったのか。自由になった途端、彼女は兄の言うとおり恋人は自分に向いていない、と感じてしまうのだ。
一見すると支離滅裂な物語の展開であり主人公の滅茶苦茶な行動がただの「馬鹿女」のように思えてしまう。
私がここから推察してしまうのはベスは兄から性的な支配下に置かれていて、自由に勉強することも働くことも無論男性と交際することも禁じられていた。そのために「お前は何の魅力もない」と言われている。しかしそれ以外では兄の言葉は妹に優しい。兄は優秀な男性だったが性的な欲望を妹だけにしか持つことができず、結婚しないでいた。息子を溺愛していた母親はそれを黙認していたがさすがに同居するのはできず離れて暮らしていた。兄が働く為には妹の人生を犠牲にするしかなかった。母親もまた娘は何もできないと言い続けることで自分を納得させていた。コロンボにタクシー代を払わせても何も感じていないこの母親こそ元凶のように思える。
妹は長年の辛い暮らしを恋人から救って欲しいと思っていたがとうとう自分で解決してしまった。
なので彼女が本当に望んでいたのは結婚ではなく自由だった。自分を抑圧していた兄が死ねば恋人は不必要になる。そして彼女は次第に自分がこうなりたいと思っていた兄そのものに変化してしまうのだ。

だが物語はそれらすべてを描かずにトリックだけを表現してしまったので、人物描写がこの上なく奇妙なものになってしまったのである。

そういう意味では本作は同性愛物語だったのにそれを隠してしまった『構想の死角』に似ている。
と思ったら本作とそれは同じ脚本家スティーブン・ボチコという人ではないか。これはどういうことなんだろう。
人物たちの性嗜好がどうなのかは判らないが、何かが隠されているような奇妙な台詞のやり取りが放置されてしまうとコロンボ並みに気になって眠れない。
大人しい存在だったベスの精神がこうまで歪み破壊されてしまったのはどうしてだったんだろう。

本作のコロンボは犯人であるベスに優しいのも彼女が負ってきた抑圧が尋常でなかった為ではないだろうか。
判決が下ったのにベスを追いかけたのはすでに精神が破壊された彼女が会社経営などできるはずもないというコロンボの優しさなのでは。
彼女の裁判はもう一度あり、会社社長にはもうなれないだろうが、刑罰がどうなるかはまだ判らないのだから。

以上、かなりの妄想として考えてみた。

監督:ノーマン・ロイド 脚本:スティーブン・ボチコ 出演:ピーター・フォーク レスリー・ニールセン リチャード・アンダーソン ジェシー・ロイス・ランディス
1971〜1972年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月04日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.3』「二枚のドガの絵」

Suitable for Framing

今夜は時間がなくて別のを観ようと思ってたのだが結局気になってコロンボ観賞。いや飽きさせず面白い。

特にこの『二枚のドガの絵』はコロンボらしい秀逸さを持っているんだと思うが何と言っても私は絵画ミステリーが大好きなのだ。
その絵画の意味合い自体と事件が絡むような話だと極上と言えるが本作はドガの絵自体の意味はないのだろうが(多分)それでもタイトルからして興味津津になってしまう。
宝石やら株券みたいなものではなく絵画が殺人にまつわる物語にはマニアックな魅力がある。絵画なんて金に換算しなければ一部の人には無意味なものでしかないのだが、それでも美術を解する人に対する尊敬の念というのはある程度誰もが持ってしまうものなのだろうか。そして自分にはその才能がある、という人間は奢ってしまうものではないだろうか。
本作でも『二枚のドガの絵』は確かに有名な画家の作品として登場するがその値段がどうこうというわけではない。その絵の値打ちが判る、というところに醍醐味があるのだ。

今回の殺人者である美術評論家デイルには素晴らしい名画を買い集めた叔父がいる。名実共に名高い評論家デイルにとってそのコレクションは垂涎の値打ちがある。だが叔父はここに来てそのコレクションを元妻に譲るという遺書を書いたのだった。それを知ったデイルは叔父を殺害しその罪を叔父の元妻に着せ遺産相続を自分のものにする計画をたてる。
実はその前に叔父は元妻と仲直りし素晴らしいコレクションの絵画をあちこちに寄贈する予定を立てていたのだ。デイルにしてみれば単なる値段ではない何ものにも代えがたい芸術作品を気まぐれに学校などに寄付しようとする態度は信じがたいものだったんだろう。つまり叔父や元妻にとっての絵画とデイルにとっての絵画の意味はまったく違うものなのだ。
確かにデイルは絵画の値打ちを理解していたのかもしれない。だがそれらの為に叔父と若い前途ある女性と叔母の人生の値打ちには何の理解もできなかったのはやはり人間性の欠落を感じてしまう。
自分の頭脳と行動に絶対の自信を持つデイルとコロンボの知恵比べ。今回のコロンボは彼の特徴を充分出しながらもちょっとかっこいいさばき方をして見せるのだが、それは犯人から手酷い叱咤を受けたことへの意地もあったんだろう。乱暴な言葉を受けたコロンボの表情をじっくり見せる場面は彼の押し隠した悔しさを滲ませているようで「あ〜あ。コロンボを本気にさせちゃったよ」的苦笑いである。
警察を操つり叔母を罪に落とし込もうとしてすべてはコロンボの計算どおりにはまってしまう。

もっとミーハーな絵画を盗めばよかったんだろうがドガのパステル画という自分の好きな値打ち品を選んでしまったのは失敗だったねえ。

監督:ハイ・アヴァーバック 脚本:ジャクソン・ギリス 出演:ピーター・フォーク キム・ハンター ドン・アメチ
1971〜1972年アメリカ
posted by フェイユイ at 00:37| Comment(0) | TrackBack(1) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。