映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年06月04日

これがサッカーだ!至上のキス

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いつも楽しみに観てるロシアのサイトのモノですが「ワールドカップ」直前ゲイ的視線ということでしょうか。
ちょっと全部出してしまうのは恥ずかしいので下をこっそり見てください。上の写真も大きくなりまする。

Вот это футбол!=This is football!

記事タイトルは本当は『これがフットボールだ!』とすべきですが、日本語ではピンと来ないだろうということで。でもそうすると違うものが幾つかあるのでまた困るなあ。

さて今夜のサッカー、日本対コートジボワール戦残念だったですね。私は前半だけ観てました。何故なら本田が後半出なかったんで。
で、今回のワールドカップは日本では熱が低いようですが、私は前回より余計観ようかなと思っとります。
何故なら南アフリカ共和国主催というのが非常に興味深いのと本田圭祐が好きだからです。以前は中田姐さん好きでさ。同じタイプだな。
ラベル:同性愛 写真
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2010年05月14日

『ザ・グラディエーターII ローマ帝国への逆襲』ティムール・ベクマンベトフ

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THE ARENA

邦題が『ザ・グラディエーターII』なので昨日観たアレの続編みたいだけど原題は『THE ARENA』で無論続編ではない。というかDVDとしては『ザ・グラディエーター 復讐のコロシアム』という映画のシリーズUになってるのだが、それの続編でもないようだ。

とにかくなんのことやら判らないが2000年当時やたら剣闘士物が作られていたのか、いつも作られているのか。
本作はあのB級映画と言われる低予算映画のプロデューサーで有名なロジャー・コーマンプロデュースによるティムール・ベクマンベトフ監督のオリジナルビデオ作品となっているのでベクマンベトフ監督のデビュー作ではないのだな。昨日のやたらと金だけは湯水のように使ったであろう『グラディエーター』と比べれば一目観て手作り感溢れる低予算映画だと感じられる。何しろ、舞台がローマではない。しくしく。なんとドサ回りの地方巡業であった。しくしくしく。永遠に続くほどの北方へ移動したというから監督の故郷ロシアまで行ったんであろう。大都市ローマから遥か北の国の田舎での統治をまかされた総督がその地でローマを彷彿とさせるコロシアムを建立させ、ローマから剣闘士を運ばせて俄か仕立ての剣闘を楽しもうと試みるのだ。
なんとも地味で世知辛い設定ではないか。でも私としては昨日の資本主義だけが目立つ教科書的作品より本作の方が面白く観れてしまった。
取り敢えず、本作の目玉は絶大な人気であったらしいプレイメイトのカレン・マクドゥーガルとリサ・ダーガンのダイナマイトボディだったのだろうし、それが楽しめる設定・筋書きになってはいる。
だが、昨日の結局は勝者であるローマ軍の将軍の物語より、ローマ軍に襲われ捕えられて奴隷となった異民族の女性が勇気と知恵を持って反逆を起こすという本作により共感を持って観てしまうのである。

奴隷となった彼らはローマ人にとってはただの見世物で動物にすぎない。男も女もその特性でローマ人に仕え彼らの欲望を満たす為には誇りも命も捨てなければないらないのだ。
ヒロイン・ボディシアは剣闘士の若者に恋をするが彼はあっという間にその若い命を奪われてしまう。そしてボディシアはローマ人の慰みものになる(この辺が取り敢えず見せ場)
勝利者であるローマ人の権力と奴隷である彼らの惨めさがより伝わってくる。が、ローマ人はますます増長し奢りを極める。剣闘士が足りなくなり女性たちを剣闘士として戦わせる。流血が禁じられた祝日に試合を行い、妊娠した女性を殺させてしまう。ボディシアは仲良くなったジェスミナと戦うことになるが二人は力を合わせ総督を倒し自由を勝ち取るのだった。
ジェスミナとボディシアの美貌が際立っているし剣闘の場面もなかなか迫力あった。ボディシアが好きになる剣闘士君の体も凄かったけど。

ベクマンべトフ監督としては彼女たちの魅力を大いに映さねばならなかったろうし、予算的にも厳しかったのだろうけど、こうして観ると後で製作された『ウォンテッド』や『ナイトウォッチ』『デイ・ウォッチ』などで表現されるものと似通っている部分がちらほら観えるようだ。

監督:ティムール・ベクマンベトフ  出演:カレン・マクドゥーガル リサ・ダーガン ヴィクトル・ヴェルズビツキー アナトリー・マンベトフ
2001年 / アメリカ/ロシア
ラベル:歴史
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2010年05月05日

『タイムジャンパー』アンドレイ・マニューコフ


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BACK IN TIME/My iz budushchego

これはやはり現代のいい加減な若者たちに喝を入れようという主旨の映画なんだろうか。
一見悪ふざけのようでその志は国を憂う?その気持ちは判らんでもないがでもあんまり好きじゃねえ。

そこそこ面白いのではある。
というか始まってから暫くはそれこそ変なワルノリの若者4人の馬鹿話かという感じで撮り方も今風なのが気に障り止めようかと思ったのではあるが。
ロシア人でありながらナチスにかぶれて腕にハーケンクロイツ(なのか?)を彫り込んでいる筋肉男やラップ狂いのドレッドヘア男を含む4人仲間のうちの一人が趣味人の男に勲章などを見せて売りつけている。その後通りかかる女の子たちを冷やかしながら彼らが向かったのは郊外。何もないような草原を掘り返し始める。その間も4人はなんやかやとケンカばかり。が、突然一人が小屋らしきものを発見した。その中からは拳銃と弾丸が見つかる。目論見通りそこは元戦場でソ連兵とナチスドイツが戦った場所なのだ。
気を良くした彼らの前に謎の老婆が通りかかり牛乳を飲ませてくれる。そしてこの戦場で昔息子が戦死した。その形見の煙草ケースを探して欲しいと言う。4人はふざけながら安請け合いをする。
そして4人が見つけた4つの兵士手帳。そこには何故か4人の名前が書かれていた。

さてここからどういう展開になるか、色々な方法があると思う。現代のままでこの謎を解いていくとかもできるだろう。が、彼らは「老婆に言われるままに湖で泳いでいたら第二次世界大戦中にタイムスリップしてしまう」のであった。
ナチスびいきの男がナチスに酷い目にあったり、すでに歴史ではソ連が勝利したことを教えてあげたり、ラップ男が兵士たちの前で得意のラップを披露したり、そこにいた美人看護兵に恋したり、となかなか面白い展開になる。とは言え無論4人はすぐにでも現代に帰ろうと試みる。だが湖に潜っても今度はタイムスリップしない。これはあの牛乳のお婆さんとの約束を果たさねば戻れないのだと4人が気づく。
お婆さんの息子を探しだそうとするうちに現代の戦争を知らない若者4人、今迄のほほんと暮らしていた4人が「本物の戦争」を体験していくことになる。銃で撃たれれば痛いし、戦場へ向かうのは恐ろしい。軍の規律を守らねば罰を受ける。そういう今では体験できないものを4人が味わっていく。
やっとの思いでお婆さんの息子の煙草ケースを手に入れるが、愛し合った美しいニーナは小屋ごと爆破されてしまう。
戦争の恐ろしさを知った4人は湖に潜って現代に戻る。街には平和ボケした若者たちがたむろしている。
4人は国を守る為の戦争を体験してきたのだ。

ということなんだろう。
冒頭で戦争ゲームをしている場面がある。恐ろしい敵を次々と殺してまるで自分が戦士になったような気になる。それは所詮ただの遊びでしかない。
極端に言い表しているんでもないのだが、戦争も知らないくせに格好ばかりつけるなよ、と若者に苦言を呈している作品なのではないだろうか。
そういうニュアンスが感じられるし、戦争を体験した、ということでなにやら彼らが特別な存在になったかのような映し方が何となく好きにはなれない。
台詞などではっきりと意思を説明しないのがここでは狡い気がするのだ。このラストが違ってたら、と思うのだが、多分作り手がそういう思いで作っているのだからこうなったんだろう。

美人看護兵ニーナ、凄く可愛い人だった。ソ連の戦争ものは女性兵士がよく出てくるのが特徴で楽しみの一つなのではないかな(こんな美人がいたかどうかは問わないとして)
しかし看護兵ってあんなに頑張って治療に行かねばならないのか。大変だ。

監督:アンドレイ・マニューコフ 出演:ダニーラ・コズロフスキー アンドレイ・テレンチェフ ウラジミール・ヤグリッチ カテリーナ・クリモワ
2008年ロシア
ラベル:戦争 SF
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2010年05月01日

再び。映画『フィリップ、きみを愛してる!』予告編 ロシアバージョン



これもう観たよ、の、映画『フィリップ、きみを愛してる!』予告編 でありますがただロシアバージョンなので嬉しくなって。ジムとユアンも勿論ロシア語で会話しとります。

で、下は日本バージョン。もうすでにやりましたがどうぞ。
ラベル:予告
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2010年04月18日

『パパってなに?』パーヴェル・チュフライ

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VOR/THE THIEF

なんだか日本映画を観ているようなじっとりとした湿度の高い作品であった。
自分が若い時は日本の映画ってこういう雰囲気の物ばかりのように思えてなんでこうさっぱりと割り切れないのか、いつもじれったく嫌いであった。特に男女が突然肉欲的に結びつきねばねばぐにゃぐにゃ離れそうで離れきれないでいる状態をとても深い愛だとかには思えずただただ気持ち悪いものとして蔑んでいたものだ。
今は自分もすっかり大人になって男女の関係というものの機微も少しは感じられるようになったかもしれないしあまりドライな関係というのもまた気持ち悪い(なんなんだ)
久しぶりに外国映画で昔嫌いだったようなドロドロおぞましい男女親子関係を観てしまってそれほど嫌でもなかったのは自分が成長したからか、それともやはり舞台がロシア(っつーかソ連)だから多少我慢できるのか。

一つは何と言ってもサーニャ役の少年が幼年期も少し大きくなった少年期もすこぶるつきに可愛い。特に最後少しだけで残念だったが成長したサーニャくんの金色の髪に青い目でぽってりと赤い唇という美少年ぶりに目を奪われてしまいそれだけで凄くいい映画だったような気がしてしまった。
先日観た『父、帰る』は多分実の父である男に対し二人の息子がそれぞれの思いを抱く様を一種の神話のような形式で語っていく作品だったが、こちらはある母と息子が突然出会った男と道連れになり、母とその男が肉体関係を持って深みにはまっていく。
息子にとってはその男は大事な母親を奪おうとする敵でしかないが、男は少年をその男なりの方法で導いていく。少年はどこか戸惑いながらも男を憎む気持ちと強い男として尊敬する気持ちを併せ持つようになる。つまり母親もその男と離れきれないでいるように少年もその男を否定しながらどこかで頼り始めている。
男が警察に捕まり牢獄に入れられる別れ際に少年はとうとう自分がその男を父親として認めてしまったことに気づくのだ。
男を失った母親は病死し、少年はその男を父親と思い続け再会を待ちわびる。が、少年が待ち続けたその男にとって少年とその母親は通りすがりの思い出でしかなかったのだ。
少年は男から譲り受けた銃で男を撃ち殺す。
少年にとってその男は最愛の母と自分を騙し裏切ったとしか思えない。でもその男にしてみれば互いの最後の場面はもう離別を決めた後だったのだしその男自身は二人にそれほど酷い仕打ち(まあ何度か殴打したり脅したりはあったが)をしたわけでもないのだから画面のこっちから見てる分には仕方ない気もするのだが。
もしこれが男側からの映画だったらいきなり少年に撃ち殺され、それはそれでまた因果応報仕方ないかな、と思うんだろうけど。
つまり男は少年に「男は一度抜いたナイフは刺すんだ」と教育し少年は男の教え通り抜いた銃を撃ったわけである。立派なパパの教えだったわけだ。
血を受け継いだパパからは何の影響もないが偽物のパパの生き方は学んでしまった。
彼は男を父と思わなくとも同じ人間になってしまうかもしれない。
何度も何もなかった、と彼は自分に言い聞かせるがその男の言うとおり人を殺せる人間になってしまったのではないのか。
何もなかった、ことになることはない。命を奪ったのだから。

作品自体はそれほど長いものではないのだが少年のこれからの生き方を様々に考えさせる奥行きのある映画だった。

偽の父親であり偽の軍人である彼の男臭い魅力とそんな男に焦がれるように恋する母親の女っぽさに今では見惚れてしまう自分である。
サーニャの孤独な心にも惹かれる。本当にこれから先のサーニャを観たい。この前の『この道は母へとつづく』の孤児院の少年たちとも重なりこういう孤独な美少年の魅力というのはたまらないものがあるのだ。あのぶかぶかの上着姿が愛おしい。

監督:パーヴェル・チュフライ 出演:ウラジーミル・マシコフ エカテリーナ・レドニコヴァ ミーシャ・フィリプチュク ジーマ・チガリョフ 
1997年ロシア/フランス


ラベル:家族
posted by フェイユイ at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月15日

『変身』ワレーリイ・フォーキン

Prevrachenie_Metamorphosis_2002_DVDrip_Xvid-OCBKA.jpgKafka's Metamorphosis - Gregor Samsa.jpg
PREVRASHCHENIYE/METAMORPHOSIS

カフカの『変身』というとあまりにも有名な小説で、読んだことはなくともその題名とおおよその設定内容は聞いたことがあるのではないだろうか。私も読んではいないが、の一人である。
有名でしかもその不条理さは設定を聞いただけでなんだかもう不思議な気持ちになってしまうのだが、だからと言ってそれについて深く考えたりしたことはない。
この映画を観ようとしたのも特に何か思い入れがあったわけではないが、観始めて非常に面白かったのは監督と出演者の優れた技量のおかげだろう。ほぼ原作に忠実であるらしい。確かに不条理不可解な内容だが今観ると「これって単にひきこもり、っていう表現?」とすぐに考えてしまいそうである。

親の抱えた借金を返し可愛い妹を音楽学校に入れてあげたいという強い願いのもとにグレゴールは上手くいかない営業の仕事を懸命に頑張っている。本人はとても真面目で家族を愛している。家族もまたグレゴールを深く愛している。はずだった。
辛い仕事を終え、暖かな家族の家に帰り彼らの為にまた頑張るはずだったグレゴールはある朝、目覚めた時一匹の虫に変身してしまっていたのだ。

映画ではこの描写を俳優エヴゲーニイ・ミローノフの演技のみで表現している。CGや被りモノ、メイキャップはなく本人が自前の手足をばたばた動かし次第に口がきけなくなっていくのである。手足が自由にならない為部屋の鍵も掛けたまま、時折窓から様子をうかがっている。几帳面だった彼はみるみる薄汚くなっていく。食べ物も残飯のようなものしか口にせず彼の部屋もどんどん汚くなってしまうのだ。
彼の動きを観ていると身体障害者を表しているようにも見えるが現在の風潮と重ねて考えれば「引きこもり」を連想してしまう。
彼には酷く強いストレスがある。家族の幸せが彼一人にかかっている。そのことが彼自身もそうと気づかぬまま気持ちの悪い「虫」のような存在に変身させてしまったのかもしれない。
昨日まで彼を愛していたはずの家族の態度は一変する。誰にも見られたくないおぞましい厄介者として扱うのだ。
変な声で泣くしかできず部屋の中をはいずり回るしかない彼は滑稽でしかない。
愛していた妹からは「本当のグレゴールなら家族の為にいなくなるはずよ」と罵られる。
グレゴールは死んでしまう。
両親は残った娘を見ながら「美しく成長した。結婚相手を探さねばならない」と幸せそうに考えている。

グレゴールの存在は一体なんだったのか。いてもいなくてもよかったのか。
滑稽でありながら恐ろしい物語だ。

と書いたら何だか昨日の『戦場のピアニスト』でも書いたな、と思いだした。
で、「カフカ 変身」と見てたらなんとロマン・ポランスキーも舞台でグレゴールを演じているのではないか。なんという偶然。まさかそのつもりで続けて観たのではないよ。まったくの偶然。
『戦場のピアニスト』がグレゴールだった、ということはなかろうが確かにピアニストだった彼がある日からまったくピアノを弾くことができなくなり薄汚い格好になって這いずりまわって逃げる様はそうだと思えなくもない。
そう思えばやはりこの物語はただ一つの暗喩ではなく様々な形を想像連想できる物語なのだろう。
勝手な想像だがポランスキーの中にこのグレゴールの『変身』が常にあり、彼の作品は一人の人間がまったく違うモノになるということの恐ろしさや滑稽さが度々描かれているように思える。

なんだか不思議なつながりでポランスキーまで登場させてしまった。自分にとって思いもしない関連が見つかったこともあって非常に面白く楽しい映画だった。

監督:ワレーリイ・フォーキン 出演:エヴゲーニイ・ミローノフ イーゴリ・クワシャ タチヤナ・ラヴロワ ナターリヤ・シヴェツ
2002年 / ロシア
ラベル:不条理
posted by フェイユイ at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月03日

『ランニング・フリー 〜アフリカの風になる〜』セルゲイ・ボドロフ

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RUNNING FREE

ボドロフ監督の作品はなにかちょっと風変わりなものが多いのだけど自分には凄く共鳴できるものばかりでこの作品などもぐっさり的を射られた感じなのであった。
ボドロフ監督という人は異国にたまらないファンタジーだとか郷愁だとかを感じて観る者にもそれを感じさせるのであるがこの作品などはまさにそれでロシア人なのにも関わらず遠いアフリカの平原を駆けていく馬の群れに憧憬を持ったのではないだろうか。
仔馬がナレーションを担当する、という面白い設定で無論物語も仔馬の目線で進んでいく。人間はあくまで脇役なのである。遠い昔シートン動物記だとか『野生の呼び声』だとかを夢中になって繰り返し読んだ人間には懐かしい思いをさせてくれた。特にアメリカ文学(だったと思うが)野生馬を捕まえて乗りこなす少年の物語が大好きだったのだがタイトルが思い出せない。

アフリカへ労働馬として輸送されていく馬達の中で一頭の白い馬が仔馬を産み落とす。それが本作の主人公ラッキーだ。
アフリカ着くなり馬たちは泳いで岸へ上がらねばならず、ここでラッキーと母馬ははぐれてしまう。まだ乳が必要なラッキーと母馬は互いを必死で探すが二頭は別々の場所へ運ばれてしまった。しかも赤ん坊のラッキーは他の馬達に脅かされ水も飲めず弱ってしまう。そんなラッキーを見つけ連れ出してくれたのがある屋敷の馬番として働いている少年リチャードだった。
リチャードは白人の少年ではあるが両親もなく孤独な身の上だ。衰弱しきったラッキーだったがリチャードの優しい手のぬくもりと看護で元気を取り戻す。

ボドロフ監督作品は共通点があって主人公が孤独で過酷な運命に遭遇すること、その中でたった一人強い絆の友がいること、母親が主人公に強い愛情を持っていること(いろいろな形ではあれ)そして自由を求めて手に入れること、である。主人公が女性になっても同じなのだ。
加えれば動物が好きということで、本作はその動物が主人公になっている。
以前『白い馬』を観た時、一体馬にどうやって演技をさせたのかその映像に驚いたが、本作はさらに主人公となって行動し、感情表現をして何の違和感もない、どころか共感を持ってしまうのだ。
砂漠で馬が生きていけるわけがない、と思ってたらそこに住む黒人の少女に水の見つけ方を教わり様々な困難も乗り越え立派な強い馬と成長していく。
戦争によって大好きな少年リチャードと別れを余儀なくされてしまうが長い時間を経ての再会には涙があふれて仕方なかった。身寄りもなく小さな存在の彼も飛行機を操縦する大人へと成長し母を求めて泣いたラッキーは馬たちのリーダーとなってアフリカの大地を自由に駆けまわっていたのだ。

こういう話が本当にあったんだろうか。
まるで夢の中だけでしかあり得ないような美しい物語だった。

監督:セルゲイ・ボドロフ 制作:ジャン・ジャック・アノー 出演:チェイス・ムーア アリ・ヴァーヴィーン ヤン・デクレール グラハム クラーク マリア・ギールボア
1999年アメリカ

動物ものというのは悲しい話が多かったりするのが嫌なのだが映画では仔馬のナレーションを人間の青年の声が吹き替え(っていうのもおかしいが)ていたので少なくとも仔馬の時には死なないようだな、とひとまず安心して観ることができた。
ラベル:友情 動物
posted by フェイユイ at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月01日

『レッド・ウォリアー』セルゲイ・ボドロフ/イヴァン・パッセル

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NOMAD

やはりセルゲイ・ボドロフ監督ってなんか掴みどころのない不思議な作品を作る。
『モンゴル』で知った時、チンギス・ハンを日本人の浅野忠信に演じさせるなんて(アメリカンネイティブの血も入っているという)変わったロシア人監督だと思ったが、もっと前の作品ではカザフスタンの英雄をメキシコ人にさせてたのね。ならまだしも同じアジア人の浅野氏のほうがいいのかもね。とはいえ私はあんまりそういうとこは気にならないほうではあるかもしれない。それに主人公のクノ・ベッカーがなかなか魅力的であったしね。
物語の本筋はいかにも英雄譚の典型で親を亡くし(本作では母親だけだが父とは別れて成長する)賢明な師匠に教えを受け厚い友情とひたむきな恋、という設定である。
『ベアーズキス』も多分彼好みのメルヘンなのであろうが本作もまた異国の監督がモンゴルからカザフスタンにかけての広大な草原でのファンタジーに思いを寄せたということなのではないだろうか。ロシアはここではまったく登場しないが僅かに「ロシアと手を組んでは・・」という台詞で関係させたのかな。
使われる言葉が英語であるのだけはさすがに興ざめで敵が来た時に「ニュースです」と言われると萎えてしまいそうだ。メッセンジャーとかアイラブユーとかパハップスとか言わないで欲しい、と言ってもしょうがないか。
馬の使い方は物凄い迫力があったと思う。以前角川映画でチンギス・ハンをやった時は大草原と馬の映し方があまりにもちゃちでさすがに日本人は騎馬民族じゃないなと(当たり前だ。でもクロサワは馬も上手かった(しゃれではないが))がっくりしたものだが、本作は久しぶりにわくわくする思いで観れた。
だが面白かったのはラストの大決戦ではなくマンスールがジュンガルのハーンの前で矢を射られながら馬で走る場面ではなかったろうか。親友エラリとの対決とその後のエラリの言葉「最初の一撃でお前だとわかった」は胸に迫った。

またこの映画で一番印象的だったのは主人公より師匠オラズだった気もする。ちょっと若すぎた気もするがこれもかっこよかったのでまあいいとしよう(偉そうだ)演じたジェイソン・スコット・リーは中国系アメリカ人なのだ。なんという多国籍なカザフスタンだろうか。すべてのことを観通しているといった風情のこの師匠は何もかも計算したうえで少年たちを集めたのだろう、エラリは気の毒だった。きっと気づいていたんだろうね。

すべてセルゲイ・ボドロフ監督の壮大な夢を映し撮った作品なのである。

監督:セルゲイ・ボドロフ/イヴァン・パッセル  出演:クノ・ベッカー ジェイ・ヘルナンデス ジェイソン・スコット・リー マーク・ダカスコス
フランス/カザフスタン2005年
ラベル:歴史
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2010年03月31日

かっこよくて綺麗な男たちの画像

gogay.nu

Алексей Чадовアレクセイ・チャドフを探してロシアネットを彷徨ううちに何故かこういう場所を見つけてしまった。
と言ってもこの中にアレクセイはいなかったですけど。残念。
ゲイ画像を訪ね歩いたこともないし、こういう写真に詳しいわけではないですが結構すてきな写真が多くありません?
かなりの数あるので何日かに分けて探求してください^^;
アレクセイはいなかったけどさすがデヴィッド・ベッカムはいました。映画では『ブロークバックマウンテン』は当然ですが『情愛と友情』(ベン・ウィショー出演作)があってうれしい。マット・デイモンの『リプリー』もあったし。日本のでは『御法度』ありました。中国の『藍宇』もね。
マンガでは大好きな田亀源五郎さんの絵が何枚かありましたしボーイズラブなのも。
ゲイDVDの写真はさすがにあまりに立派な代物が陳列されててわわわわわですが時折入る芸術写真ぽいのが綺麗な男性ばかりで見惚れてしまう。こんなに充実してるサイトって珍しい?
ラベル:同性愛
posted by フェイユイ at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月29日

『白鳥の湖』マイヤ・プリセツカヤ

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バレエを観るのが好きでとにかくダンサーというものに憧れ続ける自分であるがさりとてさほどきちっと作品を観通したことがない、という情けないバレエ好きである。
実を言うとこの『白鳥の湖』ですらちゃんと観たことがない。できるならレンタルできるDVDがもっと増えればなあと願うばかりなのだが、なーんと私でも名前を聞いたことがあるマイヤ・プリセツカヤの『白鳥の湖』がレンタルされてたのに気づき観てみることにした。

映像が物凄く古くてしかも一部酷く悪化してる箇所もあったのだが当時の観客の様子もちらちら伺えて面白いDVDであった。バレエ自体に対してはもう素晴らしい、としか語彙がないのであるがあまりにも定番の『白鳥の湖』でつまらないかと言えばまったくそういうことはなくやはりこれは深い物語だなあと改めて考えさせられた。
正であり白い姿の主人公二人王子とオデットに対し負であり黒い姿の悪魔ロットバルトとオディールというそれぞれ男女の形で対立がある。無論王子と白鳥のオデットの愛が崇高なものとして表現されるのだがオデットと悪魔ロットバルト、王子とオディールという組み合わせにもなりオデットはロットバルトの捕らわれの身であり王子はオディールに騙されて愛を誓う。観ている者もどこかで恐ろしいロットバルトや黒い姿のオディールに心惹かれるところがあるのではないか。多くの場合オデットとオディールを同じバレリーナが踊る、というのも女性の二面性を表しているようでもあり、悪魔に捕らわれたオデットという設定もオデットが完璧に純粋ではない何かを感じさせはしないか。
王子の騙され方がどうにも間抜けで若いから仕方ないとはいえ頼りない。案外本当にオデットより悪女のオディールの色香に迷ってるんじゃなかろうかと思えてしょうがない。悪魔ロットバルトは王子のそういう弱い部分を見事に突いてくる。いくら外見が似てたからといってまったく性格の違う女性にころりと引っかかってしまうなんて、一体この王子様オデットのどこを見てたんだろうかねえ。

などと様々な思いを巡らせ楽しませてもらった。
このバレエを観ている観客たちがうっとりと見つめ素晴らしい技巧に一つ一つ感心している様子を見るのも面白い。
道化師役のダンサーの技が凄い。

ロシア
ラベル:バレエ
posted by フェイユイ at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月28日

『ベアーズ・キス』セルゲイ・ボドロフ

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BEAR'S KISS

セルゲイ・ボドロフ監督作品はどこか掴みどころのないイメージがあって多分最初に観たことになる浅野忠信主演の『モンゴル』も『コーカサスの虜』もちょっと変わった雰囲気のある作品だった。
本作はその中でも特に歪なものを感じさせる映画なのかもしれない。なのかもしれない、というのは私はそれほど奇異に思わなかったのだが主人公の少女が恋してしまうのが本物の「熊」でその熊がある時から「人間の男」に時折姿を変える、という展開がある種の人には受け入れ難いものだろうしさらに結末に至ってはこれを素晴らしい変化(へんげ)と思うのかくだらない嘘八百と感じるのかはそれぞれだろう。
自分にとってはボドロフ監督のお伽噺がじんわりと染みてくるようで大好きな物語であった。
色んなことが少しずつ隠された物語でもある。ローラには若くて綺麗なママがいて二人はサーカスの人気曲芸師なのだが、実はママは本当の母親ではなくローラが赤ん坊の時にキャンピングカーの傍に捨てられていたのをママが拾って育てたのだと言う。実はそれも嘘で本当はピエロが「悪い人」からローラを盗んできたらしい。「悪い人」っていうのは何だろう。ローラの育てのママは今の恋人と上手くいかなくてローラを残してサーカス団を去ってしまった。ローラのことを本当に愛してくれる人はいるんだろうか。
ローラと言う少女は感情をあまり表に出さない子で熊のミーシャを可愛がる時だけ笑っているようだ。いつしかローラはミーシャを恋人のように思うようになる。ある時からミーシャは人間の男に姿を変えるようになる。青年のミーシャを演じているのは監督の息子セルゲイ・ボドロフJrだ。この素晴らしい可能性を秘めた青年俳優はすでにこの世にいない。彼が出演した映画は私が観れただけでも『ロシアンブラザー』『コーカサスの虜』『イースト/ウェスト 遙かなる祖国』とどれもいい作品ばかりで彼の演技はどれも朴訥とした強い青年のイメージなのだがとても味のある魅力的なものなのだ。背が高くてがっしりした体格で顔は温厚で優しげで年齢を重ねていけばますます内容の濃い役者になれたと思わせるだけに残念としか言いようがない。本作の熊のミーシャもまた彼の個性を大いに生かしているのではなかろうか。おっとりとした雰囲気は熊っぽくて優しそうだ。裸になると若者らしく腰がきゅっとくびれているのが何ともセクシーでそれでいてローラに手出しをする男たちを容赦なく手荒くやっつけてしまう。人間になった今もシベリアの森を思い出して早く帰りたいと願っているミーシャ。
ローラはミーシャをシベリアへ帰したいときっと何も食べずただひたすら車を走らせたんだろう。ロシアとの国境で警備兵に捕まり懇願したローラはその時兵士たちに何らかの見返りをせねばならなかったのではないだろうか。「人間を殺した熊は人間になることは許されない」のなら二人が離れない為にローラは姿を変える。
今迄ローラを愛した人間はいなかった。初めて彼女を愛したのがミーシャだったのなら森の中へ入った二人はきっと幸せになれただろう。

昔、童話を読んでいると魔法で何か別の動物に姿を変えられる、という設定になっていて最後は人間になれて愛する二人は結婚しめでたし、という結末だったのだが、やっぱりこれに反感を持ったりもするのだよね。果たして人間になるのが本当に幸せなのか。
映画としては『シュレック』なんかが子供向け作品としてこれのアンチテーゼを示したんだと思うけど本作もまたそう。私もこういう結末に賛同するのであるがそれだけにクリスチナ・リッチの『ペネロピ』には失望した。何故豚鼻のままでいけないか?

この作品のイメージを形作る様々なモチーフにも惹かれる。ローラたちが働き生活するサーカスの一団、ローラたちに占いをするロマの人々、シベリアを彷彿とさせる彼の地に住む人たちのホーミーの歌声。
すべてがまさにアジアの大地のお伽噺に相応しく不思議な夢の国のように感じられる。

監督・セルゲイ・ボドロフ 出演:レベッカ・リリエベリ セルゲイ・ボドロフ・Jr. ヨアヒム・クロル キース・アレン マウリツィオ・ドナドーニ
2002年カナダ
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2010年03月20日

『ニュースメーカーズ』アンダシュ・バンケ

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Горячие новости

先日の『ソードハンド』もそうだけど今迄に観たことのあるような設定でもちょいと違った味付けになるのがロシア映画の面白いとこだけど、こういうインチキのTV報道をする、という話はいまいち乗り気になれないのは自分がどこかTV嫌いなせいだろうか。
ロシアが舞台で政府やら軍部によって報道規制もしくは虚構の報道がなされる、というのはイメージ通りで意外性がない、っていうのが残念かもしれない。元々そういうことをしてるんでは?と思われているのではないだろうか。
というのはこれ実は香港映画『ブレイキング・ニュース』のリメイクなのだね。香港での設定ならまだ判るがロシアでこれをやるといつもそういうことをやってそうだと思ってしまうのが損してる。
警察官がテロリストに銃撃されて泣いてしまい威厳が地に落ちたことに慌て名誉回復の為にテロリストを一網打尽にする活躍をTV中継する、という企画を女性大尉が立てそれに乗っかったくせに失敗した彼女を罵倒する、などとにかく情けない警察である。最初からこんな企画を許可することがおかしいのだ。香港映画と比較してみると面白いかもしれないがちょっとまたこれ観る気はしないなあ。

コメディなら判るが(コメディなのかなもしかして)至ってシリアスな展開である。時々笑いもはいるんだけど。とにかく銃撃戦が多いのもかなり神経摩耗してしまう。
嬉しいのはテロリストの方と警官の方とそれぞれなかなかかっこいい男が配置されていて、それはちょっとよかったな。

おかしかったのは何故か「日本」が数回登場してきて、警察の上役が「日本の警察はもっと優秀だ」と言いだしたり(どうして?)派遣された軍隊の兵士達に振舞われた昼食が「スシ」で「このまぐろはいける」なんてタイムリーな話題が出て来たことだ。

最後はやっぱりどんよりした空気になるのがロシア映画らしい。

監督:アンダシュ・バンケ 出演:エフゲニー・ツィガノフ アンドレイ・メルズリキン マリヤ・マシュコーヴァ マクシム・コノヴァロフ セルゲイ・ガルマッシュ
2009年ロシア/スウェーデン
ラベル:警察 犯罪
posted by フェイユイ at 22:00| Comment(0) | TrackBack(1) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キリル文字

ロシア映画にはまってアレクセイ・チャドフに狂って今迄意識したことがなかったロシア語が突然必須課目に。
せめてアレクセイの名前くらい空で書けるようになりたい、と取り敢えず彼の名前を書く練習をしたのだが、Алексей Чадовっていう字を書くだけでも一度英語アルファベットを覚えてしまった脳が混乱してしまうのよ。アレクセイのイの字はまるでNを鏡映しにしてるみたいでしかも発音は「j」「イ」ってことになるしЧはYではなくて「tʃ 」でдはなんだかネット上でよく見る絵文字の一つみたいな「D」
アリョーシャの名前だけでもこんなに戸惑ってしまうキリル文字。

英語圏の映画だと私でもさすがにいくつかの単語は聞き取れたりもするのだが、ロシア語がわかるわけはなく。やっとなんとか聞こえるのは昔から一応知っていた「スパシーボ」(キリル文字で書くのは無理なんでカタカナで)「オーチンハラショー」とかはやはりよく出てくるし、「ダー」が「はい」で「ニェット」が「いいえ」なのはわかるわかる。後、「ダヴァイ」が「行け」っていうのも判るしよく出てくるんだけど気になったのが「ぽにょ」っていうの。これもどの映画でも必ず何回も言う言葉なんだけど字幕を見ててもその都度訳が違っててよく判らんかった。どうやら「了解」「わかった」ってことらしい。昔だったらなんも思わんかっただろうが宮崎アニメでその名前が有名になった後ではどうしても魚の名前にしか聞こえん。しかもむさいおっさんが「ポニョポニョ」言ってるし。って関係あるわけないが。
そうかあ。「わかった」ならよく使うわけだよね。長いフレーズで最後に「ポニョ」をつけて言うからなんだか可愛いなあ。いや私宮崎アニメは駄目なんだけど。キリル文字だとПонял

しっかしロシア語判る人はこんなことくらいをわざわざ書いてるのは苦笑でしょうが。
でもほらまたポニョもRが鏡文字になっててまるで『鏡の国のアリス』になったような気分なのだよ。その前のHは「エイチ」じゃなく「「エヌ」なんだからさあ。一番前の鉄棒みたいなのは「「ピー」でした。

この文章、ずっと先に読んで笑えるようになるとよいのだがね。ため息。
posted by フェイユイ at 00:51| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月19日

『ソード・ハンド 剣の拳』フィリップ・ヤンコフスキー

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Меченосец

ロシア映画でほぼ間違いなく感じる重くて暗い雰囲気がたまらなくよい。
手の中に鋭い刃物が潜んでいて主人公の感情によってそれが出現し周囲のものを傷つけていく、という設定なのだが、このことによって彼は幼い時から耐え難い孤の中で生きていかねばならないのだ。
一体何故彼の腕の中に刃物が潜んでいるのか、の説明は一切ないのも却ってさっぱりしてるしそれを使って巨大な組織と戦うなんていうのでもない。孤独な男の純な愛の物語なのである。

ソードハンドの男サーシャに扮するアルチョム・トカチェンコは影のある思いつめた表情のとても良い顔で何だかバレエ・ダンサーのように見えてくる。彼が一途に愛することになるカーチャ役チュルパン・ハマートヴァは『ツバル』でヒロインを演じていたのだった。ほっそりした体つきが女らしく色っぽい。
こうして観ていると自分もやはりハリウッド的物語設定や展開に慣れていると感じてしまう。主人公も設定も展開も何もかも違って新鮮で面白いのだ。
深読みしようとすれば他人と違う素質を持っている為に苛められっ子になった青年がやっと見つけた愛も取り上げられてしまいそうになり感情を爆発させていく、というアイディアなのだろうか。最後に物理的にあり得ない破壊の凄まじさも彼の精神の爆発の結果として最近よくある孤独な人間が引き起こす数々の事件とも重ねてしまう。
彼には愛する人を失ってしまうという悲劇しか与えられないのだ。

どうにもどんよりした物語だ。心の中に剣を隠して孤独に生きる人間は愛を求めることも難しい。
私はこの主人公に惹かれてしまう。

監督:フィリップ・ヤンコフスキー 出演:アルチョム・トカチェンコ チュルパン・ハマートヴァ レオニード・グロモフ アレクセイ・ジャルコフ
2006年ロシア
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2010年03月15日

『父、帰る』アンドレイ・ズビャギンツェフ

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Возвращение

すっかりはまってロシア映画を観続けてる毎日だが、この国の映画ほど良いのと悪いのが両極端なのもないかもしれない。
で、今回は文句なしに良いの方。

お涙頂戴感動ものかと敬遠してたらまたもや勘違いであった。ぱっと見、物凄い不条理作品なのかと思われる展開で先日観た『フリークスも人間も』が童話的に不思議世界ならこちらは現実的な不思議である。
高い櫓から下の海に跳びこめるかどうかで少年たちが男らしさを競っている。中に一組の兄弟がいて兄アンドレイはすぐ跳びこめたが弟イワンはどうしても恐ろしくて海へ飛び込むことができない。意気地なしと嘲りを受けたイワンは冷たい風に裸を震わせながら櫓の上から動くことができない。心配した母親が駆け付け泣きじゃくるイワンを慰めるのだった。
そんな兄弟に母親が告げる「パパが帰って来た」と。二人が覗き込むとベッドに男が横たわっている。起きて来たその男は二人を旅行に連れていくと言う。男らしい父親に好意を持つ兄アンドレイと命令的な態度に反感を持つイワン。パパであるその男はぶっきら棒な態度で二人を車の旅に連れ出す。

12年ぶりに帰って来たその男が本当に父親なのか、彼は今迄どこにいたのか、何故今迄帰ってこなかったのか、何故急に帰って来たのか、何の説明もない。最後まで何も判らない、という奇妙な物語なのである。
ただ映像が何かを示しているようなのだ。
最初、二人が見たベッドに横たわる「父親」の構図が足の裏から見たキリスト像、マンテーニャの『死せるキリスト』を思わせる。
というか実は私は赤いキリストと呼ばれるチェ・ゲバラの遺体写真を思い出したのだ。出会った瞬間に死を思わせる父親の姿である。
二人は古い写真を引っ張り出し、どうやら彼が父親らしいことは確認するのだが、大人の男らしさに畏敬の念を持つ兄アンドレイと違い弟イワンは反発をする。とはいえイワンの反抗はいかにも子供っぽいものなのである。
ここで櫓から跳びこめた兄アンドレイとまだ跳び込めない弟イワンの違いが明確になってくる。アンドレイは大人になる資格を得ており、イワンはまだ成長しきれていない子供なのだ。海に飛び込むことがキリスト教における洗礼の儀を表しているのだがイワンにはまだそれができない、ということになる。
こういったキリスト教的なイメージ、というものがはっきりと出ているのだが、西洋の物語で何度も何度も登場してくる『オイディプス』のイメージもまた感じられる。男子の成長において特に顕著な「父親殺し」というものは多くの場合はそれに代わる何らかの行動で示されるものだが、ここでは直接イワンの行動が父親殺しに結びついてしまうと言う強烈な表現方法であり誤魔化しがない。そして本物の父親かとイワンに疑われた男はその死によって初めてはっきりと「パパ」と呼ばれイワンの涙を感じることになる。
冒頭で二人が見た「死せるキリスト」の姿の予感は外れてなかったのだ。
そして母親と肉体的交わりななくとも母に強い愛情を持つイワンが父を殺す(結果となる行動をとる)オイディプスの物語も汲みとれる。

こうして父親と二人の息子の旅がどのようなイメージで作られているかは明確なのだが設定・筋書きは曖昧に伏されている。特に気になるのは3人が渡った島で父親が掘り起こした箱の中身だろう。
二人の息子は父親の掘り出した箱を知ることもなく、箱諸共に父親を海に沈めてしまうことになる。一体あの箱には何が入っていたんだろう。

初めて認識する父親に激しい嫌悪と反感を覚えるイワン少年と対照的に荒っぽい大人の男に憧れを持つ兄アンドレイ。弟はそんな兄が媚びていると蔑むがアンドレイの方が大人に近づいているからこそ尊敬の念を持ち礼儀的であることをイワンはまだ気づいていない。
見た目も反抗的なイワン君の子供っぽさと違いアンドレイ役のウラジーミル・ガーリン君は見た目も美少年であったが、悲しいことにこの映画の後、撮影現場の湖で亡くなった、と書かれていて驚いた。映画の内容と重なるような悲劇だ。

監督:アンドレイ・ズビャギンツェフ 出演:コンスタンチン・ラヴロネンコ イワン・ドブロヌラヴォフ ウラジーミル・ガーリン ナタリヤ・ヴドヴィナ
2003年ロシア
ラベル:家族 宗教 愛情
posted by フェイユイ at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月14日

『フリークスも人間も』アレクセイ・バラバノフ

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ПРО УРОЛОВ И ЛЮДЕЙ

アレクセイ・バラバノフ監督の『ロシアン・ブラザー』『チェチェン・ウォー』を観たのだが、こういうタイトルの映画もあると知って驚いた。観た二つは思い切りアクション映画だがこのタイトルはどう考えてもまったく違う世界を描いたもののようだ。しかも本作は先に挙げた二つの映画の間に作られているのである。不思議だ。
すぐに観たかったのだがいつも借りてるDISCASにこれがなくてGEOにあると先日知って慌てて借りたのだった。

よかった。

なんというか。無論タイトが示す危ない世界。ちょっと観ていいのか、不安になるドキドキする扉を開けると思った通りの淫靡な雰囲気に怯えながらも目が離せないのであった。
しかしなんというのか、やはり私、バラバノフ監督の感覚というものが物凄く自分と合っていて大好きなのである。『ロシアン・ブラザー』と『チェチェン・ウォー』そして『フリークスも人間も』とどれも比較し難いほどの出来栄えなのだ。またアクション映画で夢中にさせてくれた映画監督がこの方面の作品でも秀逸な感覚であることに驚きと嬉しさを感じさせてくれる。

こういう危ない世界。異常性愛やらその題名の「フリークス」を題材にした作品というのは多々あるが、そこに登場する人を単なる見世物ではなくきちんと物語の人物として描いているのがバラバノフ監督の他のとは違うところだと思う。特に西洋映画で結合双生児がアジア系の少年たちであったりするとただ登場するだけ、ということが多いのではないだろうか。しかしこの作品は際立った主人公が存在せず個々が同じくらいの割合で描かれる。結合双生児のコーリャとトーリャ(モンゴル人なのだがロシア人が養父母なので名前はロシア風)もしっかりと人格が表現されており特にコーリャは同じく重要な役割である年上の女性リーザに恋し性関係まで持つことになる。また二人のボーイソプラノの歌声が作品のイメージになるような美しさで、タイトルのフリークスは彼らのことなのだから作品の半分はコーリャとトーリャを表しているわけだ。

作品は20世紀初頭のサンクトペテルブルグが舞台であることを思わせるセピア色の映像。登場するヨハンという男は地下で猥褻な写真を撮らせている。
カメラマンが何故か映画中一番の二枚目なのだ。裕福な家庭の令嬢リーザはこのカメラマン、ヨハン、そしてコーリャから熱烈に愛されるが際立った美女でないところがバラバノフ監督の特色でもある。またカメラマンのプチーロフや双子の片方コーリャの純真さもバラバノフ作品に出てくる青年らしい魅力がある。
ヨハンやビクトルは結合双生児であるコーリャとトーリャを「フリークス」と呼ぶが二人はいたって真っ当な人間であり真っ当だと見えるヨハンやビクトル(彼は真っ当には見えないが)の精神がフリークだという皮肉である。最後ヨハンが冬の河に足を踏み入れ自殺するのかと思いきや、さすがロシアの冬の河は凍っていて立てるのであった。氷の破片に乗って流されて行くヨハンの姿はまさに薄氷を踏む、というところだろうか。
おぞましいような淫靡さではなくしかしエロチックな映画であった。

監督:アレクセイ・バラバノフ 出演: セルゲイ・マコヴェツキー ディナーラ・ドルカーロワ リカ・ネヴォリナ ヴィクトル・スホルコフ アリョーシャ・ツィデンダバエフ チンギス・ツィデンダバエフ ワジム・プロホロフ
1998年ロシア
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2010年03月08日

『この道は母へとつづく』アンドレイ・クラフチューク

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ITALIANETZ

この映画には非常に不満な部分と物凄く惹かれる部分があって困ってしまった。

不満な部分と言うのは最初からちらちらと感じはするのだが、次第に強くなり最後が決め手となってしまうという最悪な状態かもしれない。作品と言うのはどうしても始まりより最後がどうなるかどう感じるかで印象づけられてしまうものだろう。しかしそれがあっても自分には惹かれるものがある。

この作品は6歳の孤児ワーニャが皆の羨望を受ける「優しそうなイタリア人夫婦の養子」として選ばれたにもかかわらず突然「本当のママに会えるかもしれない」と思い立ち何の保証もないままにママの消息が判るかもしれない前にいた孤児院を訊ねる、という行動に出るのである。
会ったこともないママへのワーニャくんの一途な思いが切なく涙を誘うのがこの作品でしかも「実話である」という保証書つきなので「こんな上手くいくはずがない」という否定は打ち消されてしまうことになる。
だがロシアや世界各地の貧しく身寄りのない子供達を襲う(この作品中でも話題に出る)臓器の為の人身売買そして(この作品中では出なかった)性的な嗜好による人身売買などの横行を考えるとこの物語の奇跡的な結果を「あーよかった」で済ませるだけでいいのか。ワーニャの代わりにイタリアへ行った男の子、その前に別の養父母に行った子供は幸せになれたのか、そしてワーニャも手紙では嬉しそうだが、その後その幸せが続いたのかどうかは想像するしかない。
しかも映像では姿を見せないワーニャのママなる人物がとても優しげな声だったのがわざとらしく思えてしまい、ではそんな優しくて看護師として真面目に働いている「ママ」が何故ワーニャを孤児院に捨ててしまったのか、探そうともしてなかったのか、単純によかったね、とは言えない気持ちになってしまう。もしかしたらその後また母親に売られる可能性だって無きにしも非ず、ではないか。

ではどこに惹かれるのか、と言えば物語の前半部分である。この作品はワーニャくんの「母をたずねて」が題材なのになかなか出発しないので結構じれったく思う人もいるようだ。
だが自分はそこの部分が好きなのである。
小さな古びた孤児院、子供を売っては酒びたりになる院長と時々やって来るブローカーのマダム、養子に行くことが決まったワーニャを「イタリア人」と呼んでからかう子供達。そんな子供達は本当はワーニャが羨ましくて仕方ないのだが、悲しい気持ちをこらえてワーニャをからかっているのだ。
こんなことを言うと「浅はかな」と誹りを受けそうだが昔から自分はどこかで孤児に憧れている。
この作品を観てると監督も同じ気持ちを持っているのではないか、と思うほど子供達が生き生きと可愛らしく描かれている。
特に大きくなった子供達の生活の様子が何とも魅力的でどこか拗ねている彼らがとても素敵なのだ。
子供達にかっこいいと言われてるバイクに乗った少年たち、孤児たちの面倒をみてる少女、そしてどうやら売春をして彼らの資金源になっている少女、無論彼らに明るい未来が見えるわけではないが、頼るものもなく身を寄せ合って生きているような彼らが小さな部屋に集まって何か食べたり話したりしている様子がここだけ院長も大目に見ているのか、自由気ままな雰囲気で見惚れてしまうのだ。
特にバイクの少年と売春の少女はできるものならこっちの物語を観てみたい気になってしまった。
売春少女はイールカと言う名でママ探しに一所懸命なワーニャの手助けをする。ワーニャが書類を読めるよう字を教えたり貯めた金を盗んで(と言っても殆ど彼女の売春の金だろうけど)ワーニャを孤児院から連れ出してしまうのがかっこよくてどきどきしてしまう。

この映画が「実話による感動もの」みたいなのではなくてそうした孤児たちの友情物語であったらもっと好きになっていたかもしれない。せめてママがみつからないか、もっと悪い人だと判ったら。
それにしても本当のママに会いたい、という気持からではなく「臓器売買や性的玩具として養子になる」ことに恐怖を抱いての逃走劇だったら、本作の持つ童話的な味わいはなくなってしまうのだろうな。

アンドレイ・クラフチューク監督が後に作った『提督の戦艦』を先に観たが、本作の方が断然よくできている。あれも実在の人物の映画化だが規模が大きいので難しかったのか。こうしたこじんまりした物語の方が合っているのかもしれないし、こちらの方でもっと充実していってくれればいいと思ってしまうのだが。

ぁ、肝心のワーニャくんについて書いてない。このいじらしさにはやはり魅せられる。何だか犬が何の疑いも持たずひたすら主人の居場所を探して帰ってきた、みたいな切ない感じ。絶対泣ける。

監督:アンドレイ・クラフチューク 出演:コーリャ・スピリドノフ マリヤ・クズネツォーワ ダーリヤ・レスニコーワ ユーリイ・イツコーフ ニコライ・レウトフ
2005年ロシア
ラベル:愛情 家族
posted by フェイユイ at 21:52| Comment(2) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月07日

『懺悔』テンギズ・アブラゼ

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MONANIEBA/REPENTANCE

この作品の面白さはもう恐ろしい域に入ってるとしか言いようがない。ブラックジョークとシュールな映像に一体どうなってるのかどうなるのか笑いながらも恐怖の予感がひしひしと迫ってくるとんでもない映画だ。

今だからできる、などと思おうとしたらこの映画の公開時期は1984年だからまだゴルバチョフが書記長になる以前に作られているわけでその時期にこの作品を作ってしまうのは容易ではなかったのではないか。
アフタンディル・マハラゼ演じる市長ヴァルラムの奇怪な風貌と笑顔と歌う姿は忘れられそうにない。ちょび髭に黒い服の隆々たる体格の持ち主はヒットラーやスターリンをごちゃ混ぜにしたカリカチュアで小さな縁なし四角眼鏡をかけてにっこりと笑う目が不気味だ。反体制ではないかと思える家族の家に天使の姿で現れ歌声を聴かせ、その後に小さな娘から父母を引き離して死に至らしめるという惨たらしい仕打ちをする。
このおぞましい市長の姿は様々な独裁者を思い起こさせるのだがそういう人物が一方では奇妙にも芸術面に心酔していることがままあることを彷彿とさせる。

物語はある女性がケーキ作りをしていいる最中、夫から「偉大な男の死」を聞くところから始まる。
夫は彼の死を嘆き悲しむが彼女はその男の死に冷たく反応する。
場面が変わりその男の葬式である。男は権力者であったらしく丁重に葬られる。だがなんということか、次の日男の遺体は掘り返され自宅の庭に放置されていた。再び葬ってもまたもや遺体は掘り返される。信奉者と家族は墓を柵で覆い、見張りをする。やがて墓荒らしが現れ孫のトルニケによって捕まった犯人はあの冒頭のケーキ作りの女だった。
裁判中、彼女は何故何度も市長を掘り起こしたのかを説明する。そしてこれから何百回埋められても何百回掘り起こすと言い放つのだった。
彼女こそはヴァルラム市長によって両親を奪われ殺されたあの小さな娘だったのだ。

ヴァルラムの息子アベルは彼とはかなり違う小心で思い悩み揺れ動く存在であることを父役と同じマハラゼが素晴らしい二役を演じ分けている。
そしてヴァルラムの孫になる青年は父と祖父に絶望し命を絶ってしまうのだ。
この3代にわたる人間像がそのまま時代の移り変わりにおいて人間がどう変化していくのかを表現していて何とも巧みである。
父の悪行を知り、その為に息子が罰を受けてしまうという間に挟まったアベルは懺悔をするがその相手が悪魔だった、という悪夢を見る。そしてついに多くの人々を死に至らしめた父ヴァルラムの遺体を崖の下に放り投げてしまうのだった。

そして場面は冒頭のケーキ作りの女性に戻る。道行く年取った女性が「この道は教会へ行くのか」と問いかける。女性は「ここはヴァルラム通り。教会へは行きません」「教会にいけない道など何の意味があるの」と老女は言い捨てて去っていく。

もしかしたらこれまでの物語はすべて女性の頭の中だけでの想像だったのかもしれない。
だとしてもそれはそれでこういう弾劾が頭の中だけでしか起こせないという批判にもなる。冒頭から最後まで実に様々な暗喩やイメージに満ちた作品なのである。しかもそれらがおかしくてたまらないのだが、実に不気味で恐ろしい笑いなのだ。
裁判中ルービックキューブで遊んでいる裁判官がいてどうしても色合わせを完成しきれない。
アベルが懺悔をする時、それを聞く男が魚を食べている。魚はキリストを意味するのだが、その男は悪魔であり父ヴァルラムであった。

恐ろしい作品なのだ。だが、ロシアの恐怖の時代をとんでもない笑いにして鋭く描き出すその手法は力強く生き生きと訴えてくる。

監督:テンギズ・アブラゼ  出演:アフタンディル・マハラゼ ゼイナブ・ボツヴァゼ エディシェル・ギオルゴビアニ ケテヴァン・アブラゼ イア・ニニゼ
1984年ロシア
ラベル:歴史
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2010年03月03日

『72M』ウラディーミル・ホチネンコ

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72 metra

これは掛け値なしに面白い映画だったなあ。

冒頭から非常にとぼけた味わいのあるテンポを持っている作品でこの不思議な空気感にすぐに惹かれてしまった。なんなんだろうか、この緩い調子は。ふざけているようで何か深い含みをもっているのか、とさえ思わせてしまうのである。

ロシア潜水艦の演習直前の水兵たちの様子が何とものんびり映し出される。艦長は海に投げ込んだ帽子を水兵達に取らせたり、大尉がまだ来ないので連れてこないと全体責任だと言われ探しに行くが途中でラップを聞いてたりとどうにもぬるい。ソ連(ロシア)の軍隊は過激に恐ろしい地獄のような所だと本で読んだが、どうもここはそれほどの場所ではないようだ。

やっと潜水艦は発進する。ここから物語は大きく動き出すのだが、それでも発射される魚雷をカモメが目で追ったりしてるのがおかしいのだが。
だがここで発射した魚雷が第二次世界大戦中放置されていた機雷に触れ、爆発を起こしてしまう。潜水艦はあっという間に破損し海水が流れ込んでしまうのである。

突然の出来事に乗組員たちはどうしようもない。
眠っていたアルロフ大尉と若い水兵モロドイ、そしてただ一人兵士ではない学者チェルネンコ3人はもう少しで天井に着くほどの水の中になんとか浮かんでいた。死が迫った極限の中でアルロフは二人と共に生き延びる出口を探す。
実はあるハッチの向こう側の部屋は浸水しておらず10人の乗組員が生き残っていたのだ。

向こう側の兵士たちは自分たちが犠牲になる恐れの中で3人を救う。だがどちらにしても危険な状態に変わりはない。
しかも望みの綱の潜水服は一着を除いてすべて不良品だったのだ。
兵士たちはあえてその潜水服を兵士ではないチェルネンコに託し、助けを待つことにする。
頼りなげな中年男チェルネンコは必死に海上へと登り岩だらけの海岸を倒れそうになりながら駆けていくのだった。

ラスト、よれよれのチェルネンコが助けを呼べたかどうか、可能性は低いとしか思えない。街の明かりはまだ遥かとおいのだ。
潜水艦の中では兵士たちがただじっと助けを待っている。

うん、なんだか深読みすればロシアの今の状況を意味しているのかもしれない。というか色々な国の人がまさに自分たちだ、と思えるのかもしれない。
とんでもないおかしさと悲しみを含みつつ静かな余韻を残してくれる映画であった。

監督:ウラディーミル・ホチネンコ  出演:セルゲイ・マコヴェツキー チュルパン・ハマートヴァ マラト・バーシャーロフ アンドレイ・クラスコ ディミトリー・ユリヤノフ
2004年ロシア
posted by フェイユイ at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月28日

『僕の村は戦場だった』アンドレイ・タルコフスキー

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Иваново детство

初めて観たのはいつだったんだろう。自分もまだ少女という枠の中にいた時だったんだろうか。物語は当時の私には難しくただ戦争というものがこんなにも恐ろしいのだと感じさせる暗い画面と銃砲の悲しげな響きに戸惑うだけだったかもしれない。
その時、私の心に残ったのは主人公のまだ幼いと言っていい少年イワンの痛々しいほどの美しさだった。
真っ暗で何も見えない沼地を歩いて渡ってくる少年イワンを同じロシア軍に捕えられ若い将校ガリツェフのもとに連れてこられる。ガリツェフ中尉は質問をするのだが年に似合わず大人びて落ち着き払った少年はその問いを無視して司令部を呼び出せと命令口調でいい渡すのだった。

折れそうなほど細い体と細長い手足。泥だらけになっていた少年は確かに軍の斥候として働いていたのだった。
ガリツェフの疑いも解け体を洗ったイワンは金色(モノクロフィルムではあるけど薄い色の髪だ)の髪の毛先が渇き大きな目が可愛らしい少年なのだがその目はいつも悲しみに溢れているように見えるのだ。
体を洗って少しだけ食事を口に入れたイワンはどっと疲れが襲ったのか眠ってしまう。ガリツェフ中尉が抱き上げると本当にまだ小さな少年でしかない。
目が覚めたイワンはまだ司令部が来ないのかと気にしている。そこへやっと現れたホーリン大尉を見て初めてイワンは嬉しそうに駆けよって跳びついて喜んだ。

ここまでのイワンの描き方に打ちのめされてしまった。
少年が魅力的に描かれた映画は数多くあるが、ここまで印象的に今迄記憶に焼き付いているのはイワンだけである。
戦争によって家族を家族を殺された、という悲劇が彼の美しさを際立たせてしまっているのは辛いことではあるが確かにその通りなんだろう。
そして映像は復讐にとり憑かれてしまい半ば狂気に陥ろうとしているイワンの苦悩と思い出の中の愛らしい少年であるイワンを交互に見せていく。
夢の中のイワンは優しいママと可愛らしい妹との楽しい生活の中で過ごしている。
ママは井戸の中に星が見えると言う。星にとっては昼間が夜だからそこにいるのだと。イワンは手を伸ばして井戸の中の星を掴もうとする。
ママが運ぶバケツの水を飲んでにっこりと笑うイワンの可愛らしさ。
雨の中リンゴをいっぱい乗せた馬車にイワンと妹が乗っている。馬車は浜辺へつき砂浜にリンゴがこぼれ落ちる。その林檎を食べ始める馬たち。イワンと妹は砂浜を走り出す。先に走っていた妹を追い抜きイワンは走り続けるが、その前に大きな樹が立ちふさがる。

素晴らしく美しい幻想なのだが、それらはイワンの記憶の中の夢でしかない。優しい母も可愛らしい妹もこの世には存在しないのだ。そしてまたイワンも。

母親に可愛い笑顔で問いかけていたイワンは戦争の中でその笑顔をなくしてしまったのだ。

戦争は大人がするものだ、と言ってイワンを学校にやってしまおうとする将校たちにイワンは反抗する。戦争は大人がしても殺されるのは子供たちなのだ。
イワンの記憶の中で死んでいった子供達の悲鳴が聞こえている。

酷く辛い悲しい作品なのだが、私はイワン少年の綺麗な横顔に見入ってしまう。愛らしく跳ねた金色の髪をロシアの帽子で包み込みざっくりとしたセーターを着た細い体と細い脚が少年の儚げな魅力を出している。大人びた口をきいてそのくせホーリンやカタソーニチに子供っぽく甘えたりする可愛い可愛いイワン。
彼と同じように家族を亡くして木のふれた老人と話す時のイワンの目には悲しい思いが込められている。

タルコフスキー監督作品で観た他のものはもっと幻想的で難解になっていて、この作品もその要素は持っている。
くだくだしい説明はなく映像のみで物事を語っていく。

戦争の悲劇を衝撃的に伝えている作品でありイワン少年と彼に関わったガリツェフ、ホーリン、カタソーニチらの描き方にも惹かれてしまう。
特にイワンが綺麗なナイフに見惚れてしまう場面は少年らしさが際立つがそれを見たカタソーニチが代わりのナイフを探してやろうというのがイワンを可愛く思っている気持ちが伝わってくるのだ。
煙草を吸いすぎるホーリンを心配して止めさせるイワン、だとか、偵察に行く最後の時ホーリンに抱きついてキスをするイワンの姿も切なく思えた。

この作品レンタルで借りることもできず、長い間観なおしたくて叶わなかったのをやっと観ることができた。
イワン少年の美しさも作品の瑞々しさも最初に観た時以上に素晴らしいと感じさせる作品だった。

ところで最近ロシア映画に凝りだすきっかけともなったのが今夢中のアレクセイ・チャドフ主演の『チェチェン・ウォー』でこれもまた戦争ものになってしまうのだが、この主役もイワンであった。イワンというのはロシア男性に最も多い名前なのだろうけど自分の中では行かなくてもいいのに自分の身を犠牲にして戦う少年(アレクセイの方もあの時はやっと20歳になるかならずかなんで少年に入れてもいいだろう)というイメージが凄く似ている、と思っていたのだが、今日観てみたら少年の名前がイワンだったので(名前は忘れていた)驚いたのだ。やはり歴史は繰り返すのか。
ともあれそれは酷く嬉しい一致であった。

監督:アンドレイ・タルコフスキー 出演:ニコライ・ブルリャーエフ ワレンチン・ズブコフ イリーナ・タルコフスカヤ
1962年ロシア
posted by フェイユイ at 22:14| Comment(1) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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