映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年02月27日

『提督の戦艦』アンドレイ・クラフチューク

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ADMIRAL

実在の人物であったというコルチャーク提督の戦いと愛の物語。ロシア軍とドイツ軍戦艦の戦闘シーンは迫力がありNHKで先日放送された『坂の上の雲』はどうやらこれを真似て作ったのではないだろうか、と思われるほどそっくり。
また美貌の人妻アンナとの不倫恋愛も絡み、またロシア革命勃発によって貴族である彼らは祖国を愛し祖国の為に命がけで戦いながら追われる身となっていく。
コルチャークを演じたのが『ナイト・ウォッチ』『ディ・ウォッチ』でアントン役だったコンスタンチン・ハベンスキーだったので私的には親しみやすく観れたかな。

非常にまっとうな大河ドラマ的な作りなのである意味観やすいし、ある意味そっけなく物語が進んでいく。
他の西洋国や日本、アメリカなどと違うのは何と言っても戦争の英雄でありながら政治体制の変革によって反体制のレッテルを貼られてしまうことだ。
共産主義の赤軍に対し彼らはボルシェビキと戦う白軍となり追い詰められついには処刑されてしまう。彼の心には愛国心が満ち、その命を敵国との戦いに捧げた、のであっても彼は処刑されてしまったのだ。
驚いたのはこの映画を作ったのがロシア人なのであり、革命が起こる直前に「今から暗黒の時代が始まる」というナレーションが入り貴族であるコルチャークを立派な人物だったと描いている(不倫はしてるが)ことが、ロシアという国はそんな風に表現していいんだと改めて認識した。
ロシアからソビエト連邦からまたロシアへという歴史をちょいとお勉強したかったら観ていい映画なんではないだろうか。

それにしてもアントンを演じていた時のコンスタンチンはなかなかよい、と思っていたのだが本作のアレクサンドルは正直言ってかっこよくないのではないか。彼がアンナに一目惚れするのは判るが、このアレクサンドルに恋するかなあ?身は引き締まってるが顔がぽにゃってて軍人らしくない。それにはっと恋に落ちてしまうような場面がないのだよね。何故アンナがここまで惹かれたのか、というような場面がないのが残念だった。

最後の処刑シーンがあっさりしていたのはよかった。妙に感動的に死んでいったりしないのがいい。英雄であったコルチャークがあっさり殺され凍った湖にほいと投げ込まれる、というのが悲しいのだ。

やっぱりロシアは寒そうだ。うっかり水に入ってしまうともう足が腐ってしまうんだ。恐ろしい。

監督:アンドレイ・クラフチューク 出演:コンスタンチン・ハベンスキー エリザヴェータ・ボヤルスカヤ セルゲイ・ベズラコフ ウラジスラフ・ヴェトロフ アンナ・コヴァルチュク
2008年ロシア


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2010年02月26日

『ラフマニノフ ある愛の調べ』パーヴェル・ルンギン

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LILACS

ちょっと前に私が「音楽家映画」に凝った時があってちょうどその頃このDVDが出る頃だったので観ようかな、と思っていたのだがあまりに評価が低いようで(いつも評価が低いと逆に観るのだが)演奏場面が目的なのにあまりそれがないのではなあ、と観るのを止めたのだった。
今回再チャレンジしたのは目的が「音楽」じゃなく「ロシア」なのでロシア人が出てればなんでもいいや、てな理由だった。
何しろロシア映画って作品探すと殆どが戦争映画なんですぜ。それも思い切り右翼的な感じの。おいおい左翼じゃねえのかよ、とかいうつっこみはこの際おいといてとにかく戦争マニア的なタイトルがズラリなのである。例えば『ナチスの墓標〜レニングラード捕虜収容所〜』だとか『PQ-17 -対Uボート海戦』とかな(まだ観てはいない。案外面白いのかな?)(そーゆー私が一番好きなロシア映画が『チェチェン・ウォー』って)次はいかにも名作な感じの堅苦しい奴。泣けそうな奴ね。たまにはいいけど続けて観るのはなあ。こういう軟弱系音楽家映画なんてぜーんぜんないのだ。その中でひときわ異質な本作タイトル『ラフマニノフ ある愛の調べ』なんて。これしかない。借りるっきゃないでしょ。
で観てみた。

どうして評価が低いのかな?って思うほどまともにいい映画だった。
多分そういう評価の方はラフマニノフが好きで詳しい人なのかもしれない。
私は彼の曲も人生もまったく知らなかったのでかなり熱心に観てしまった。彼の奥さんナターシャを演じていたのがちょい前必殺の女性スナイパーをやってたヴィクトリア・トルストガノヴァだったのでいつ撃たれるかとひやひやもんだった。
ああ、こんなちゃちゃばかり言っとらんと。

私自身演奏目的で観てたら評価は低かったかもしれない。何しろここに描かれているのは苦悩するラフマニノフで終始「演奏したくない」「作曲したいのにもう10年間していない」と愚痴ばかりこぼしてる鬱状態の彼の姿でピアノに触れている時間はあんまりないのである。
しかし私はロシア目的なので、亡命したラフマニノフの物語でほぼ舞台がアメリカであるにも拘らず原語はロシア語ばかり。
ロシアにいられず、しかしアメリカの空気では作曲がはかどらないセルゲイの苦悩をハンサムなエフゲニー・ツィガノフが魅力的に演じている。
彼の心を癒してくれるのは祖国ロシアで彼が愛していたライラックの花。そしてライラックの花束をいつも贈ってくれるのは彼を最も愛してくれるその人だった。

セルゲイが愛した貴族の女性、彼を愛した強力なコミュニストの女性、そして従妹であり彼のことだけを一途に愛するナターシャ。
時代背景などを絡ませながら彼と女性の愛情劇で綴っていく。
ひたすらロマンチックで甘いラブ・ストーリーではあるが自分目的としては非常に楽しめた一作だった。

監督:パーヴェル・ルンギン 出演:エフゲニー・ツィガノフ ヴィクトリア・トルストガノヴァ ヴィクトリア・イサコヴァ ミリアム・セホン アレクセイ・コルトネフ
2007年ロシア
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2010年02月24日

『イースト/ウェスト 遙かなる祖国』レジス・バルニエ

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知っているつもりではいたがソ連時代の苛烈な政治体制の恐怖を改めて見せつけられた。監督はフランス人だが脚本は同ヴァルニエ監督の他にロシア人のボドロフ(映画監督である)も加わっているのだからこの物語は嘘ではないのだろう。
(ところで昔は学校でソ連と習うのだが、ロシアという響きが好きでそっちを使いたかったものだ。今はロシアでいいのに時々ソ連と言ってしまう。でもやっぱりロシアが好きだ)

時は1940年代、愛する夫が祖国ソビエトへ帰りたいという願いを叶える為にフランス女性マリーはソビエトに移住する決意をする。
たくさんの亡命した帰国者たちと共にマリー一家(彼女とアレクセイと息子セルゲイ)は希望を胸に船路につく。
だが彼らを待ち構えていたのは非情なソビエト連邦の政府機関に携わる役人と兵士たちだった。家族は離散させられ歯向かう者はその場で銃殺。アレクセイは医師だった為に政府から特別に待遇される。だがフランス人であるマリーは最初からスパイ容疑で監視されるのだった。

密告が当たり前、という話がそのまま物語になっている。ソ連のある粗末な家に共同で住むことになるアレクセイ・マリーたち。そこには数家族がひしめき合って暮らしていた。
その中に、両親も祖母までもが反体制だということで処刑されてしまった若者サーシャがいた。彼は有望視される水泳選手だったがフランス語を勉強していた祖母の影響でフランス語を話し、ヨーロッパへ逃亡したいという願望を持っていることをマリーに打ち明けるのだった。

強い絆で結ばれていたはずのアレクセイとマリーが理不尽な社会体制の中でその愛に歪みが生じてしまう。
マリーは夫がソ連の枠に組み込まれてしまったと感じ、愛していたはずの自分を見捨ててしまった悲しみに襲われる。
だがアレクセイはソ連体制下では自分たちがどう足掻こうと助かるものではないことをすぐに悟ってしまったのだ。
彼の思惑は10年をかけて愛するマリーをフランスに逃亡させる機会を見つけ出すことだった。

自由の国で生まれ育ったマリーの強い反発は同じような環境に住んでいる者なら誰でも共感してしまうだろう。
そして妻を愛しながら自分がその人を恐ろしい場所へ連れてきてしまったことに苦しむアレクセイの辛抱強い脱出計画とそこに隠されていた深い愛に涙してしまう。

しかしねえ、実は私はこういう物語に物凄く惹かれる。あーっと。この世界の中に行きたいわけではないよ。それどころか誰よりも行きたくない。行きたくないからこそ、怖いもの見たさ、だってこれより怖いものってそれほどないくらい怖いよね。
誰も信じられない世界。すべての人が密告者。劣悪な環境。共産主義の理想はどこへやら。あるのは巨大な政治支配といつ逮捕され、投獄され処刑されるか、と怯える日々。一部の人々が強大な権力を持つ世界。それは資本主義を遥かに凌駕する。すべてが理不尽な謎のからくりの中で動いていく。
絶対行きたくないからこそ、ましてや住みたくないからこそ、こうして恐る恐る覗きこんでしまうのである。

自由の国への逃亡を互いに望むことで繋がりを持っていく人妻マリーと大学生(?)サーシャが激しい愛情を持ってしまうのもいた仕方ないと思ってしまうのだ。そこに本当は妻を愛し抜いているアレクセイの苦しみも加わってマリーって不幸だがこんなに愛されて、と羨ましく思うのもおかしいのかもしれないが。マリーはまた息子セルゲイからも愛されていてママが可哀そうで泣いているセルゲイの姿が痛々しいのだ。

これはやはりロシア映画ではなくフランス映画である。
つまりはこういう状況であるからこそ、マリーは夫と息子と若い男性にこれ以上ないほどの強い愛を受けることになったんだろう。平和でどこを見ても楽しいものが溢れている世界ならマリーのことをこんなに狂おしく思ってくれることはなかったのかもしれない。
そう思うとフランス映画ってやはり愛なのだなあと思ってしまうし、こういう愛の形を描きたいが為にはソ連の政治体制が必然であったのだ。

凍えそうな荒波の中を6時間かけて泳ぎ続け密航する船に辿り着いたサーシャはマリーを助けられない絶望に手首を切って自殺しようとする。
アレクセイは共産党員になったふりをし、マリーを密告させない為に他の女と浮気をし10年間の間ひたすら僅かな機会を狙い続ける。
セルゲイもすっかり共産党員の若者に成長したその環境も捨ててママと逃亡することを決意する。
自由を奪われ、6年間の収容所生活を強いられ愛する夫と若い恋人を失ったと勘違いしながらマリーは愛され続けていた。
幸せ、だったけどそれはずっと後で判ったのだなあ。

最後の切ない微笑みが心を揺さぶるアレクセイ(という名前も心揺さぶるが)を演じたのがオレグ・メンシコフ。ついこの前『コーカサスの虜』で「ハンサムな相棒サーシャ」を演じたのが彼だった。
そしてその時主人公ワーニャを演じたのが今回サーシャのセルゲイ・ボドロフJr(今回脚本のセルゲイ・ボドロフの息子)ここではオレグ=アレクセイの妻マリーと年の差を越えて深く愛し合う青年の役。あの純真な愛らしさと大柄な体はここではまたより魅力的でマリーに勧められて川で水泳の練習をする為にワックスを塗る。マリーもそれを手伝うのが二人をより緊密にしていく。この練習方法が後の密航の為の6時間の水泳につながっていくのだが。彼のマリーへの純粋な愛を見ているとこんな素晴らしい若者を演じきれる青年がもう逝ってしまったのだとは信じたくない気持ちになる。朴訥とした雰囲気の彼、年を取ればもっといい役者になれたろうに残念で仕方ない。
マリー役のサンドリーヌ・ボネール。3人の男に愛されフランス女優の心を動かす彼女。聡明な美人であり強い女性であった。
そして物語を最も強く動かす役がソ連で芝居公演を行うフランス女優役のカトリーヌ・ドヌーブ。約束したからにはソ連すら恐れない、というど根性に痺れる。彼女だけがマリーを救えたのだからねえ。いやあ、どんなアクションヒーローよりかっこよかった。男前だね。

監督:レジス・バルニエ 出演:サンドリーヌ・ボネール オレグ・メンシコフ セルゲイ・ボドロフ・Jr. カトリーヌ・ドヌーヴ
1998年 / フランス/スペイン/ロシア/ブルガリア
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2010年02月20日

『ウルフハウンド 〜天空の門と魔法の鍵〜 』ニコライ・レベデフ

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VOLKODAV IZ RODA SERYKH PSOV/WOLFHOUND FROM THE TRIBE OF GREY DOGS

ロシア映画というと重くて暗いというイメージがあるのではないかと思うのだがその期待を裏切らない、ファンタジーの中でもアメリカ製より遥かにどっしり腹にくる風格である。
なんといっても今の映画で、主人公の男が終始(少年期を除いて)髭面というのは今風の無精ひげは別として珍しいのではないか。奴隷時代が髭面でも姫の御前に出る頃にはすっきり髭を(何故か)剃っているものだ。
おまけに他の奴らも髭男ばかりなのでその方面の趣味(おもに髭ゲイの方)の方にはお勧めだが、なかなか見分けが難しい。
とはいえ主演のアレクサンドル・ブハロフはその髭であっても非常に魅力あふれる男性で顔の傷も様になっている。姫の誘いに怖気づいて逃げ出すようなウブな可愛らしさもあって素敵だった。

画面もストーリーも演出も重くて暗い雰囲気があり、魔法の鍵にしても物語の展開にしてもかなり地味なテイストになっているのだが、ヒロインである姫が小柄でとても若く愛らしいのに姫らしい品格を持っているので惹きこまれて観てしまうんだろうか。
マスコットの動物が蝙蝠っていうのも渋いではないか。

ファンタジー作品として特別に目新しいとは言い難いのだが、どこまでも冷たく暗く重々しい雰囲気が好きである。

監督:ニコライ・レベデフ 出演:アレクサンドル・ブハロフ オクサナ・アキンシナ アレクサンドル・ドモガロフ イゴール・ペトレンコ アルチョム・セマーキン
2007年ロシア
ラベル:ファンタジー
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2010年02月19日

『コーカサスの虜』セルゲイ・ボドロフ

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KAVKAZSKIJ PLENNIK

様々な思いを引き出させてくる作品であった。
コーカサス(カフカース)という馴染みのない舞台である。トルストイが原作の為その名前だけは頭に残っていたが実際の場所は映画やTVで見ることもなく想像もできない。こんな激しく切り立った山脈を展望できるような場所だとは考えてもいなかった。
そこに住む人々の顔もまたエキゾチックとしか言いようがない。
長い間、チェチェン人はロシア人に征服されまた抵抗し、という歴史を繰り返してきているのだが、無論私などはそんな史実を遠い世界のこととぼんやり聞いたり読んだりしていただけである。
ロシア人監督の手による映画であるがそんな彼らの戦い(というのか上手く言い表せないのだが)の様子を映像として観れることはやはり今迄のぼんやりした感覚とはまったく違うものを思い知らされた。

タイトルが示す通りロシアの文豪トルストイの小説をもとに現代のチェチェン人対ロシア人の対立する姿として描きだされた映画作品である。
主人公ジーリン=ワーニャを演じているのは私が先に観た『ロシアンブラザー』で鮮烈な印象を残したセルゲイ・ボドロフjrである。またセルゲイ・ボドロフ監督の息子さんなのだが、この素晴らしい俳優が数年前に若くして亡くなられていたと知って愕然としてしまった。
本作の彼は朴訥として純真な兵卒がぴったりの風貌で相棒サーシャ役のオレグ・メーシコフが気障な感じすらする二枚目なのと対照的だ。
チェチェン人の老人の捕虜となってしまったことでサーシャは兵卒のワーニャに冷たく当たるのだが、黙って我慢しているワーニャと次第に仲良くなっていく。
二人を捕虜にしたチェチェンの老人はロシア軍に捕虜となっている息子と交換する為にロシア人の二人を捕まえたのだった。
二人の面倒を見るのはロシア人に舌を切り取られてしまったチェチェンの男と老人の娘(まだほんの少女である)である。
捕虜交換交渉は長引き町の者たちは老人があまりに長くロシア人を置いたままなのでそのこと自体に不満を持ち始めていた。

物語は淡々と進むのだが、その中には関係した人々の愛憎が複雑に描かれていく。
サーシャとワーニャは互いの足を鎖で繋がれ離れられない状態にされ特にサーシャはそのことで苛立つこともあるが次第に純朴なワーニャに好感を持ち始め「お前を必ず救ってやる」と言いだす。ワーニャは最初から仲良くなりたいという気持ちを持ち続けている様子なのがまた可愛らしい。
老人に脅されワーニャは母親に助けを求める手紙を書く。父親は亡くなってしまったのだ。一教師である母親は遥か遠いコーカサスの山奥に息子を救い出す為駆けつけるのである。そしてロシア軍の将校やチェチェンの老人と一人で直談判するのだがまるで恐れることもしない母親に驚いてしまった。(不覚にもどっと涙がこみ上げた)
この作品には押しつけがましい演出はないのだが、捕虜となったワーニャの周りに彼を愛する人々が幾人もいる。
彼を捕まえた老人もその娘もいつしかワーニャに愛情を持ってしまった。
老人の息子はロシア軍に殺され老人はワーニャを銃殺しようとして果たせない。
自由の身となったワーニャの頭上を行く戦闘ヘリはこの後チェチェン人の街を襲ったのだろうか。

静かに怒りを描いた作品である。
彼らはロシア人のワーニャを愛してしまい、ワーニャも彼らとせめて夢の中で再会したいと願うのだが、彼らは現れてはくれない、という彼の悲しみが作品の幕となる。

チェチェン人の家族との交流も嘘くさくなくじんわりと染みてくるが、ワーニャとサーシャの関係もまた心に残る。
鎖で繋がれた捕らわれ人というのは高倉健の『網走番外地』を思いださせ、あの作品は大変なコメディだったが本作もこの部分はちょっと笑わせる箇所になっている。
それにしても父親のボドロフ監督は浅野忠信が主演した『モンゴル』を撮ったりとその後も活躍されているのに本作の主人公を演じたこの純朴そうな若者である息子さんが亡くなってしまっていたなんて惨いことだろうか。『ロシアンブラザー』の彼の素晴らしさを観るとさらにその思いは強くなると思う。

監督:セルゲイ・ボドロフ 出演: オレグ・メーシコフ セルゲイ・ボドロフ・Jr. ドジエマール・シハルリジェ スサンナ・マフラリエバ
1996年 / カザフスタン/ロシア
ラベル:歴史 戦争
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2010年02月18日

『暗殺・リトビネンコ事件』アンドレイ・ネクラーソフ

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REBELLION THE LITVINENKO CASE

「ドイツ人は皆ナチスなのか」「そうではない。ナチスとそれを容認している人々だ」という話が本作の中で語られる。実際に恐ろしい行為をする人はごく少数だがそういう行為に無関心でいる多数者がそれらの犯罪を野放しにしエスカレートさせていくのだと。
この映画の作者は自分がそういう無関心である為に自国が腐敗していくのを見過ごしてはいられず声をあげたのだろうが、なんという勇気なのかと思いやってしまう。
まったく無勉強である自分だがそんな私でもこのリトビエンコ事件はさすがに耳に入って来たし最近になってロシアではジャーナリストたちの不審死が度々起きたことも聞いた。
暫くはまるで平和な国になり着実に自由な国の一つになっているのだろうと思い込んでいたのだが。
ロシア人は独裁者を求めているのではないか、という問いかけに監督はそんなことはない、と否定する。だがどこか不安げに聞こえなくもない。そんな体制を求めることがあるのだろうか、と思いながらも帝政ロシア、ソビエト、そして今のプーチン政権を思うとあの広大な大地の国の本質はなんなのだろうか、私には判りようもない。
ただ本作の冒頭からあちこちで映し出される赤ん坊までも含む様々な暴動による被害者の痛ましい傷跡(幼い子供達が手足を失い泣いている姿)を見るのは忍びない。
平和で豊か少なくとも衣食住の足りた生活を送りたいのはすべての人々の願いだろう。
そして穏やかな精神でいられる社会。
友人はいるが誰が密告者か判らない、などという世界は恐ろしいではないか。
最近になってロシア映画に興味が湧き、幾つか観たところでアレクセイ・チャドフにはまり込んでしまって当初の目的からずれてしまった。それはそれで嬉しい予定外だが。
それにしてもこんな政権下で自由な映画を作るなんて無理に決まっている。あの『チェチェン・ウォー』の凄まじさもこういう体制の為に許される映像なんだろうか。それにしてもあの作品には裏返した体制批判があるのだと思うのだが。

リトビネンコが美しい奥さんと可愛らしいまだ幼い息子と一緒に仲睦まじく歩いている様子はごく当たり前の幸せそうな家族で朗らかに笑って跳ねている男の子がいじらしい。彼が自分はどうなってもいいが息子の為に亡命したのだという言葉が切ない。この可愛い少年はパパから愛され一緒に歩くのが嬉しくてしょうがなかったはずなのに。

正しいことをする為には命を賭けなければならない。奇妙な言い回しである。

監督:アンドレイ・ネクラーソフ
2007年ロシア
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2010年01月26日

『ミッドナイト・トレイン』ブライアン・キング

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MIDNIGHT TRAIN

クリスマスの夜、雪の平原をひた走る列車。車中はクリスマスらしい飾り付けがされているものの乗客は僅か数えるほどしかいない。乗務員は老車掌と若い助手と機関士だけ。
停車した列車に向かって走ってきた一人の男がいた。
切符もなく金を払おうともしない男だが雪の中に置いていくわけにもいかない。老車掌は親切に不審なその男を列車に乗せることにする。
車掌が男を乗せた場所は「展望車」と呼ばれていて、そこには酔っぱらった30代の男とまだ学生らしい眼鏡の若い女性が座っていた。
乗り込んできた男が眠り込むのを見た車掌が代金を要求しようとすると男はすでに死んでいたのだった。

死んだ男は小さな箱を持っていてそれには細かい飾り穴のようなものが施されている。
それを覗きこんだ酔っぱらいの男はあっと声をあげた。
その中には信じられないほど大きな宝石が入っていた。金に換えれば何百万ドルとなるだろう。居合わせた3人はそれを見た時から全てが変わってしまった。

走る列車の中、という限られた空間の舞台劇のような趣で映像が何やら一風変わった処理がされてアニメーションのようにも見えるという独特な作りの作品だった。
観客に見せられることのない「箱の中の宝物」が3人の人生を変えてしまう、という設定も、その宝物が見る人によって姿かたちが違うものになる、というのも目新しいものではないし、それによって特に女が異常な人格に変貌し残虐の限りを尽くす、というのもさほどスリリングというわけでもないのだが、工夫を凝らして楽しませようという意気込みの為か結構それなりに面白く観れたのだった。

まあなんといっても作品を観せてくれたのは老車掌を演じたダニー・グローバーのおかげであろうか。眼鏡の女学生から何とも色っぽい殺人者に変貌する金髪のリーリー・ソビエスキーには目が釘付けだったことも確かで。
可愛いポメラニアンを連れた老婦人はどう見ても男性だったので^^;単にそういう御方かなあと思ってたが。
そして謎の東洋人的存在の日本人二人組。何故か碁を打っていて別に日本人も碁を打つ人はいるから変ではないが車掌が携帯使っているのを見ても時は今なんだろうから日本人ならゲームやっててもよかったんじゃないか。いいけど。

冒頭辺りはミステリアスな雰囲気も雪の中を疾走する列車というイメージもよろしかったのが途中からは過激なアクションものになったのは仕方ないことなのかやや残念。
『銀河鉄道999』か王家衛の『2046』か、という路線で攻めてもらいたかったのだがなあ。

監督:ブライアン・キング 出演:ダニー・グローバー リーリー・ソビエースキー スティーブ・ザーン ジェフ・ベル
2009年 / アメリカ/ドイツ/ロシア
ラベル:ミステリー
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2009年12月22日

『ロシアン・ブラザー』アレクセイ・バラバノフ

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ълат/brat
(しっかしこの画って何?)

何の導きだったか突然ロシア映画に手を伸ばしてしまった。ロシア、という国は時代が近くなればなるほどどういう国であるのかどういう状況なのかが判らなくなってしまうような気がする。何しろ知っているロシアというのはドストエフスキーだのツルゲーネフだのからロシア革命を経てゴルバチョフ、エリツィン、プーチンなどの名前を知っているだけにしか過ぎないという私である。どうやら今でもかなりおっかない国のようだ、という感覚だけである。
さて例によって何の予備知識もなく(というか、どうやらヤクザな話のようだってくらい)観た本作であるが、これがなかなか面白かった。

暗くどんよりと重く観ているだけで体が凍りつきそうに寒い映画なのだが、それはあえてそういう効果をだすことで物語をクールに見せているのであろう。
主人公が夢中になっているナウチルス・ポンピウルスの曲が絶え間なく流れる。
田舎から兄を訪ねてサンクト・ペテルブルグに辿り着いた青年ダニーラは徴兵を終えたばかりで何の蓄えも学問もない。殺し屋稼業に携わっている兄の求めるままにダニーラもまた殺し屋となっていく。

田舎から大都会へ突然入り込んだ若者、という物語は通常なら雑踏の中で手酷い目に会う、という描写になるところだが、この、まだ少年のように見えるセルゲイ・ボドロフ・ジュニア演じるダニーラは何も恐れることもなく彼が「悪」だと感じた者に対して制裁を食らわしていく。そして「都会は力だ」と言ったドイツ人に対して「都会には弱い奴しか住んでない」と言い捨てるのである。
一体、この物語から何かロシア社会の意味を汲み上げられるのか。それとも確かに弱者は都会の力に飲み込まれてしまうものなのだからこそ、ダニーラという超人的な若者、しかしその生まれ育ちは貧しく教育もないのだが、を登場させ絶対にあり得ない力で都会に住む悪党たちを成敗していった、ということなのだろうか。
まだあどけない童顔のダニーラは金も権力も何らかの才能なども持ってはいないのだが、強い意志と身じろぎひとつせず悪人を叩きのめしてしまう腕力、そして銃を持たせれば何の呵責もなく人を殺してしまう精神を持っているのである。
その一方で道端で細々と物売りをしているドイツ人やぶらぶらしながらその日暮らしをしているような少女、夫に暴力を振るわれている中年女性、ヤクザに襲われる弱虫の男性などにはひたすら優しくいたわるのである。そして自分をヤクザに売った兄貴に対しても恨んだりはせず、昔兄が自分に優しかったことを話して「ブラザー、兄弟」だと抱きしめるのである。尚且つ兄を虐待したヤクザどもをぶっ殺す。

こうして書いていけば、この映画がロシアで物凄い人気だったのも当然のような気がする。貧しくても何の後ろ盾がなくても自分の力で悪い奴らをぶっ飛ばしてしまう爽快感。弱い者は助け、彼らがその弱さゆえに彼に冷たい仕打ちをしても恨んだりすることもしない。
まさに大衆が求める正義の味方、なのだが、作品からそういった昔風の押しつけがましさがないのはヒーロー役であるセルゲイ青年があまりにも普通の可愛らしい青年で朴訥として見えるからなのだろうか。気取ったところがない無垢な青年としか思えないからなんだろうか。
この素晴らしいダニーラを演じたセルゲイ・ボドロフ・ジュニアが事故により30歳の年齢ですでに亡くなっているという事実が衝撃だった。

こんないい映画だったのに私が一番気になってしまったのは最後ダニーラが町を離れモスクワへ旅立つ時、ヒッチハイクでトラックに乗せてもらうんだけど、どういうわけか運ちゃんがダニーラを気に入った様子でにかにか笑っている。ダニーラも笑い返すんだけどその様子がどうにも意味ありげで。
大体、作品中にも女は登場するんだけど一人はお母さんに見間違える年上の女性とダニーラにたかるヤク中の若い女でそれはどうでもいいなだけど、肉体関係を持った彼女たちより町であったドイツ男やヤクザに苛められるラジオディレクターや兄貴との関係の方がより親密に描かれているっていうのが凄いツボの映画だったんで、ラストの運転手オヤジとのにやにや笑いが妙に気にかかるのであった。ダニーラ可愛いしねー。二人の女に酷い仕打ちにあったんで今度はオヤジかよーとか。
含み笑いだけで終わるこの作品、気になるなあ。

監督:アレクセイ・バラバノフ 出演:セルゲイ・ボドロフ・Jr. ヴィクトル・スホルコフ スヴェトラーナ・ビスミチェンコ ユーリー・クズネツォフ マリア・ジェコワ
1997年ロシア
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2009年06月01日

『12人の怒れる男』ニキータ・ミハルコフ

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本作は1957年製作のアメリカ映画『12人の怒れる男』のリメイク(このシドニー・ルメット版映画もTVドラマのリメイクなのだね)で数年前に日本でも三谷幸喜脚本・中原俊監督で映画になった『12人の優しい日本人』というのがあったし、どちらも面白く観た記憶がある(内容は例によっておぼろげにしか覚えてない(-_-;)
で今回ロシア版ニキータ・ミハルコフによる『12人の怒れる男』を観たわけだが、正直観る前は「ロシア映画って退屈で死ぬかも」と怯えていたのである。借りたものの観るのが億劫だったのだが観始めたらこれが面白いのなんの。いかにもロシアの作品らしく小説を読むとやたらオーバーなことをやったり話したりするものだが(ってドストエフスキーくらいしか知らんのだが)映画でもやっぱり大げさで退屈などまったくすることなく長さも感じなかった。
もうひとついけなかったのは多分今これを観る日本人って多くがやがて自分にもやってくるかもしれない始まったばかりの「裁判員制度」に備えて観ようか、なんていうのを思ってしまいそうだが自分もそうだったということ。別に何を思おうと自由だが、この作品を観始めてすぐこれは裁判員(陪審員)としての知識だとか心構えだとかいう映画ではないことに気付いたのであった。

そうだった。12人の人々が「一人の犯罪者を裁く」という場面に立った時、そこで人々が思うのは謎解きのことではない。
確かにこの作品のなかでも被告である少年に対しての謎解きの部分はある。だがここで描かれる大切なことは今までなかった「一人の人間の生命もしくは人生」を自分が変えてしまうかもしれないという局面に出会った時に自分自身を裁くのだということなのである。
「自分を裁く」という言い方が厳しすぎるなら「自分を振り返って見る」でもいい。
それは単なる茶飲み話でもできなくはないがやはりそれでは見る目も甘くなる。「人の生と死」という局面を突きつけられるからこそぞっとするような気持で見つめなおすことができるのだろう。
それでも彼らが最初からそういう気持ちになったわけではなかった。
彼らにとってはチェチェンなんていう自分たちには全く縁もないような言葉も通じない場所からやって来た少年の運命より追われている仕事・生活・遊びのほうが大切である。さっさと有罪にして早く帰ろう、というのが本音だった。だがその中の一人たった一人が「彼は無罪だ」と言いだす。彼になにか判ったわけではないが彼は過去に道を誤った経験がありその時彼を救ったのはたった一人の女性の優しさだった、と話すのだ。
早く帰りたい他の者たちはいきなりの感動話にやや戸惑い、うんざりしたり憤ったりする。
だが彼の一言から少しずつ無関心だった彼らが「単なる野蛮人であり言葉も通じない少年に」対し何故だったのかどうしてこんなことが起きたのか彼はどう思ったのか、と考え始めるのだ。
それは同時に自分自身を見つめることだった。
彼らは自分もまた罪を犯したことがある、身内にそういうものがいた、ということに気づいていくのだった。

この話をそのまま裁判で活かす、というのはまた違う話になるだろう。
この物語は被告も入れて13人になるがその数の人間がいればまたそれだけの物語があり、それぞれが罪も罰も悩みも苦しみも悲しみも背負って生きている、ということを告白していく、と表現なのであり、どんな国でもいかようにも作っていけるわけで今まで閉ざしてきた心の奥を見せてしまう、という話だから面白くならないわけがない。
しかもロシアの問題もまたさまざまに暴いてしまうのである。
12人の男たちも個性的でユダヤ人、少年と同じ地域の出身者、旅芸人、頑固なタクシー運転士、などを演じて皆迫力ある。
彼らは次第に心の闇をさらけ出していくのだが、一人最後まで心を見せなかったのがニキータ・ミハルコフ監督自身が演じる元将校で芸術家という男である。彼は最後まで少年を有罪と言うのだがそれは彼を無罪放免にすれば彼の身に危険が及ぶからという配慮からであった。だが少年の面倒をずっと見続けるわけにはいかない、という他の人たちの意見に折れやっと無罪を告げる。だがその後彼は少年を引き取って世話をする、というのである。元将校である彼の秘密とは何だったのか。告白することができない重い過去。その代償として少年を世話することにしたのだろうか。
幾度となく紛争後の街と見える場所を子犬が何かを咥えて走ってくる映像が入る。
物語の流れからそれは少年が持っていたというナイフを咥えているのか、と思ったのだが、実は小指に指輪が光っている人間の手首だったのだ。
これはどういう意味なのだろう。
最初は光るもの=ナイフ=少年が殺人を犯した、と思っていたものが指輪の光る手首だった、ということで「よく見ないと真実はわからない」という謎かけなのかと思ったのだが、それにしては答えが不気味すぎる。
陪審員長になった元将校の過去にも重なる場面なのだろうか。

監督:ニキータ・ミハルコフ 出演:セルゲイ・マコヴェツキー ニキータ・ミハルコフ セルゲイ・ガルマッシュ ヴァレンティン・ガフト セルゲイ・マコヴェツキイ アレクセイ・ペトレンコ ヴィクトル・ヴェルジビツキイ
2007年 / ロシア

作品中に日本と関係ある言葉が3か所。津波とカラオケと「日本に出張なんだ」とかいうセリフ。ま。それだけだが。
ラベル:裁判 犯罪 人生
posted by フェイユイ at 21:35| Comment(0) | TrackBack(1) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月13日

『モンゴル』セルゲイ・ボドロフ

mongol.jpg
MONGOL

米アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされ、主人公チンギス・ハーンを日本人の浅野忠信が演じたこの作品をやっと観ることができた。
さて感想を書いていきたいが本作のみの感想を書くというのは自分にとっては難しい。どうしても以前観た澤井信一郎の『蒼き狼 地果て海尽きるまで』そしてサイフ/マイリースの『蒼き狼 チンギス・ハーン』と比較せずにはいられないからだ。
その辺は欲求に従っておいおい比較するとして一応本作の感想を言えば非常に美しい映像で撮られており長大な物語とその舞台を短い時間内で巧くまとめ見ごたえある娯楽作品になっている。
だが先にできた映画を観た後では物語がほぼ同じように主人公の幼少期からテムジンが大ハーンになる辺りまでを描いていて自分としては「やはりどうしてもこの部分を描いた作品になってしまうのだな」と思ってしまう。どうしたって物語というのは若き日の苦悩と冒険を描いたモノが一番華々しく面白いわけで先にそういう映画があるからといって渋い老年期を描きたくはないだろうが(続編で製作されるのかもしれないが)鑑賞した3つの作品がほぼ同じ道を辿っているということでは後でできた作品に新しい視点を求めてしまうのはしかたないかもしれない。

逆に言えばほぼ同じストーリーなので比較もしやすい。
ただし日本版の『蒼き狼』は比較するのも恥ずかしい。アレを観た人ならこの映画と見比べて欲しくないと願ってしまうだろう。
あれは角川春樹が自己満足をしたいが為だけの権力志向映画であってなんの中味もない醜悪な映画だった。
それに比べればこの映画は申し分ない出来栄えだ。寡黙なテムジンが一途に妻ボルテを愛し、友を慈しみ、子供を大事にし、少しずつであるが着々とハーンへの道を歩んでいく過程は男らしい。日本版のおしゃべりでなぜかしっかり他の女と浮気してやたら息子ジュチに疑いをかけるという男らしさのかけらもないテムジンとは大違いである。
内モンゴル出身の監督であるサイフ・マイリースの作品と比べるのも面白い。
彼らの作品はさすが本場のものなので作品自体の仕上がりは本作より劣るのかもしれないが疾走感や物語自体はすばらしいものだった。
チンギス・ハーンの話というのは歴史が物凄く古いせいもあるのだろうが、アレキサンダー大王より広大な征服をしたという以外にはあまりストーリー的な起伏がないのかもしれない。
父ハーンがメルキト族から略奪した女性から生まれたのがテムジンで父ハーンの死により迫害を受け、最愛の妻ボルテをメルキトにさらわれた時、彼女が妊娠し生まれた子供を息子とし、親友(アンダ)であるジャムカを敵として戦うことになるという筋書きはどれも一緒なのだが、現代の物語性としてはやや面白さに欠けるかもしれない。
特に女性の存在が希薄で妻ボルテは単なる略奪品としてあちこち移動されるだけなのは今の感覚としては認めがたいものがある。
サイフ/マイリースでは活躍するのがテムジンの母親であり飢えて泣くテムジン兄弟に母乳を与えて凌がせ、狼と立ち向かうという母親の愛情が強烈に描かれている。
本作では略奪されたテムジンを妻ボルテが商人にその身を(多分)売って助け出すという献身が描かれる。この部分は大きな創作ではないかと思うのだがどうしても女性が受身でしかないこの物語の中で能動的な描き方になっている。
またサイフ/マイリースでのテムジンは兄弟たちとの葛藤が描かれているのに対し、本作のテムジンは非常に孤独な幼少期を過ごしている。
常にたった一人で苦難と戦いその為にモンゴル人が怖れる雷をいつしか怖れなくなったのだという話に結びついていく。

不思議なのはテムジンが幾度落ちぶれてもいつしか彼に従う者が現れるという筋書きになっていることでこれは彼が元々ハーンとしての素質が備わっているのだということなのだろうか。

ところで浅野忠信がテムジンを演じているというのが大きな鑑賞目的になっているのだが彼の持ち味であるクールさが本作のテムジンが孤高の存在であまり把握しにくいものとして見えてしまう。
一方彼の親友アンダであるジャムカを演じた孫紅雷のほうが人間味豊かで魅力的に見えてしまう。自分的には「大好きな浅野忠信と同じく大好きな孫紅雷が親友という設定なんて!」ときゃぴついてしまうのだがジャムカ役の孫紅雷が本当にステキでテムジンよりかっこいいと観た人も多いのではないだろうか。
そして商人役の巴音も私的には「きゃー」という配役で非常に嬉しいキャスティングなのだった。

というわけで他の方より随分楽しんだ私なのではなかろうか。
先に書いたように新しい斬り込み方がもう少し欲しかった部分もあるがなかなか楽しませてもらった『モンゴル』であった。

監督:セルゲイ・ボドロフ 出演:浅野忠信 孫紅雷 巴音 アマデュ・ママダコフ クーラン・チュラン
2007年 / ドイツ/ロシア/カザフスタン/モンゴル


ラベル:歴史
posted by フェイユイ at 00:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月04日

『太陽』アレクサンドル・ソクーロフ

太陽.jpg
The Sun

いろんな意味で話題となった映画で観たいと思いつつもいざとなるとどうなのかなと変に尻込みしてしまっていたのだが、これは面白かったなあ。
こういう雰囲気の映画だとは思いそうでまったく思っていなかったのだった。

なんだかヨーロッパのちょっと幻想的ファンタジーかSF映画でも観てるかのような不思議な色彩と音の作品なのである。
日本人であるためにファンタジーとは思えずに「事実と違うのではないか。似てるのか似てないのか」などとつい現実として観てしまうのは仕方ないのだが、これが異国の物語としての鑑賞ならなんとも風変わりで愛嬌のある小柄なおじさんが「エンペラー」であることに微笑ましく思い、戦争に負けて己の生命がどうなるかという瀬戸際に蟹の研究をしていたり、映画俳優の写真を眺めたりしてる様子を面白がったり、怖ろしいはずの戦勝国の将軍相手との対談が中断した折にダンスをしたり蝋燭を消して遊んでいたり、とまるで子供のような姿に見入ってしまうことだろう。
いや日本人である自分だが結局天皇が敗戦のあの時にどのようなことを考え、どう過ごされていたのかは知る由もなく。ただ外国人であるソクーロフ氏が感じた天皇と日本というものはこういうものかと受け取り、彼のヒロヒト天皇への愛情を見てしまう。
 
それにしても中国においての神もしくは龍の子孫であった清の末代皇帝・溥儀が激烈な教育の下で普通の人になった経緯と比べると日本の天皇の人間宣言の緩やかなことか。但し、最後にその為に青年が自決したことを聞き、またもや天皇は苦悩する。だがその苦悩を振り払うようにヒロヒトは皇后に手を引かれて子供達に会いに急ぐのだ。

もっと強い反感を持つのか、途方にくれる思いにさせられるか、と思っていたのだが非常に楽しく観ることができた。
ヨーロッパ・ロシアの人が撮るとやはりそういう雰囲気になるのが面白い。影のある重い色彩がロシア・ヨーロッパらしい暗さであるのが興味深かった。日本人ならもっと白っぽいぺたんとした絵柄になると思うのだが、あの薄暗い廊下や部屋のライティングも影がきつくて重厚なのである。
ヒロヒト天皇と皇后がとても深く愛し合っておられるように描かれているのが微笑ましい。皇后が「あなたは普通の人かしら」神でしょう、と言いながらもまるで子供を抱くように抱かれるのが他の誰も見ていない場面だけに本当らしくて可愛らしかった。
神と呼ばれた人間が人間に戻るまでのひと時を童話のように描いた作品だった。

監督:アレクサンドル・ソクーロフ 出演:イッセー尾形 ロバート・ドーソン 佐野史郎 桃井かおり つじしんめい 田村泰次郎
2005年 / ロシア/イタリア/フランス/スイス
ラベル:戦争 歴史
posted by フェイユイ at 00:32| Comment(2) | TrackBack(1) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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