映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年05月26日

『NHKスペシャル チベット死者の書 第2回 ドキュメンタリードラマ 死と再生の49日』

チベット仏教経典「バルド・トドゥル」に基づいた中沢新一氏の脚本によるドラマ。
少年僧が老師に生と死と輪廻について教わっていく。

「人は生まれる時泣き世界は歓喜の声をあげる。死ぬ時、世界は泣き人は喜びに包まれる」という言葉が素晴らしい。まさしくそうありたいものである。

これから長い修行を積んでいくのだろう幼い少年僧と老僧との会話という構成がいい。
師弟は村の40代の男性の死に直面する。妻子を持つその男性はまだ若過ぎて、この世と離れることが難しくまだ経典の勉強も未経験だった為に彼は解脱することができないのだ。
老僧は彼の解脱を助けようとするが、幾つもの機会を彼はどうしても掴むことができず再生への道を進んでしまう。
優しい仏の姿も憤怒の像もすべては己の心を映したものでどちらも解脱への道を促す姿だというのが興味深い。美しいものも醜いものも差異はないのだ。
また輪廻の中でいつか目の前の動物が母親であったかもしれないのだから誰にでも何に対しても優しくしなければならない、という。確かにそういう考えを持っていれば誰とでも家族であった可能性があるのだから仲良くすべきだと皆が思えれば一番よいのだがねえ。

アニメーションが不気味なのだがよく観る日本のアニメでないのがよかった。なんと言っても老僧の声である大滝秀治さんの声がいい。

1993年9月24日放送 NHKスペシャル

ラベル:宗教
posted by フェイユイ at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 北・中央アジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月25日

『NHKスペシャル チベット死者の書 第1回 ドキュメンタリー 仏典に秘めた輪廻転生(りんねてんしょう)』

top.jpg

小学生の頃はどうしたものか夜布団に入ると様々なことで長い時間悩み苦しんだ。その殆どは「世界の終わりが来たらどうしよう」などという壮大深遠なものでいくら考えても答えが出るはずもなく毎晩繰り返し思考したものだ。そのまま成長すれば哲学者か宗教家になれたかもしれないが思春期も過ぎ大人になる頃にはトンと考えなくなり今ではそんなことで思い悩む夜など一夜もない。布団に入った途端眠りこける日々である。一番の悩みはかつかつの金でどう生活していくかという目の前の日常であり疲れきって眠るだけだ。

そんな自分ではあるがさすがにこの年まで生きているとなんらかの知識はぼんやりと蓄えられている。いつの間にか死についても自分なりの解釈がおぼろげに浮かんではいる。

今日この映像を観ているとおおよそ自分が思っていたものの再確認のような感じであった。無論それは今迄見聞きしたものの総まとめなのであり、自分はやはり仏教的な考え方の方が落ち着くのだなと思ってしまう。チベット仏教はまた独特なものであるらしいが「49日」なんていう死後の大切な数字は日本も同じである。死後49日の法要を終えるとほっとするのだ。
輪廻転生という考え方もごく自然に思える。というか死んでしまうとそれで終わりで何もかもなくなる。魂もない。という考え方はどうしても理解できない。何度考えても死んですべてがなくなるのならこの「思い」はどうなるのか。記憶がなくなるのは理解できるとしてもすべてが無になるというのは想像できない。ただ天国に溜まっていくのではなく新しく生まれ変わる。ここでダライ・ラマが言われるように「古い服を脱ぎ新しい服を着る」という考えのほうがしっくりくる。という感覚的なことしか言えないのだが。

ただそういう風に思っていながらもダライ・ラマというチベットの最高僧侶が代々生まれ変わりであり、前ダライ・ラマが亡くなった後、次代のダライ・ラマを探す、という話を以前聞いた時はさすがに驚いた。本作では他にも人々の為に活動していた徳の高い僧侶の生まれ変わりという少年が登場してくる。不思議としか言いようがない。そういう責任をおって勉強し成長していかねばならない少年というものは大変なストレスだと思ってしまうのだが、信じ切っていれば違うものなのだろうか。

映像がアメリカに移って、エイズで死期を迎えようとしている40代の男性に彼の精神的なケアをしてくれる団体の男性が英訳された『チベット死者の書』を読んで聞かせる場面がある。死期を迎えた男性がそのことによってどのくらい安定したのかは判らないが今迄死について他人と話し合ったことはなかった。これを聞いて死を受け入れるのもいいと思った、などと言うのには少し驚いた。そういうものなのか、しかしそれで彼が癒されたのならよかったが。というかむしろ本を読む男性がエイズの男性の手を握って傍にいてくれていることが何より心の支えのように思えたのだが。

最後に老人と彼の玄孫に当たる赤ん坊が並んで映しだされる。赤ちゃんというのはなんというエネルギーを持っているんだろう。どこかで誰かが息を引き取り、こうして若々しい息吹として生まれてくる。
老人は遠からず命を終えるだろうけど、今抱き上げたような命をまた授かると信じているのだろう。

これを観てると真っ先に『ツインピークス』思い出してしまった。光に包まれるー。

1993年9月23日放送 NHKスペシャル
ラベル: 宗教
posted by フェイユイ at 22:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 北・中央アジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする