映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年06月03日

『パリ・オペラ座のすべて』フレデリック・ワイズマン

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Le Ballet de l'Opera de Paris

時々登場するバレエ観賞記事。何しろダンサーについてもバレエそのものについてもその世界についても無知なので感想を書くのは冷や汗ものなのだが、観るのだけは好きなのだよねえ。
バレエ作品そのものもDVDにはなっているのだがレンタルで観れるのはドラマになったものか、こういう練習風景と舞台を織り交ぜたものが殆ど。と言っても自分は練習風景が好きと言う輩なので決して嫌ではない。そりゃちゃんと通しで観てみたいという願いはあるけれど(購入する資金がないだけ)

さて本作、なんともたっぷり160分間、パリ・オペラ座における練習風景とスタッフ陣の会議・運営の模様、舞台の様子などを観ることができる。
この作品も淡々とダンサーやスタッフたちの姿を映すのみ、というスタイルである。一体どうやってカメラに収めたものか、撮影隊の姿をまったく感じさせない。そこにいて観ているかのようだ。
演目は『くるみ割り人形』『メディの夢』『ベルナルダの家』『パキータ』『ロミオとジュリエット』『オルフェオとエウリディーチェ』などクラシックからコンテンポラリーまで様々な踊りの振付を懸命に練習或いは舞台で披露する。
私が一番気になったのは『ジェニュス』という独特な振付のバレエでこれだけはもっとよく観たいのに!と不満になってしまった。冒頭近く男性ダンサーが二人で絡み合うような踊りに奮闘している場面からどっと惹きつけられてしまった。他にも男女の踊りもあり、最後はこの踊りで幕を閉じる。
跳躍がないのだがとてもエネルギーを感じさせる踊りなのだ。

会議の内容やスタッフとダンサーの会話なども織り込まれており楽しめる。
練習風景が好きなのは舞台よりダンサー達が近い位置で観れることだ。表情や息遣い、美しい体の線がはっきり判る。振付家たちと試行錯誤しながら踊りが創作されていく過程を観ているのが楽しいのである。
見惚れるような腕と脚を眺めているだけでもいいんだけど。

ポワントで歩く姿は何度観ても信じられないほど美しい。

監督:フレデリック・ワイズマン 出演:ジェレミー・ベランガール ニコラ・ル・リッシュ マチュー・ガニオ マリ=アニエス・ジロ エミリー・コゼット オーレリ・デュポン ブリジット・ルフェーヴル
2009年 / フランス/アメリカ
ラベル:バレエ
posted by フェイユイ at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今頃ですが。1日に『ゲゲゲの女房』に出てたね

6月1日のゲゲゲの女房に塚本晋也監督が出てたー。
今、リメイク『鉄男』が話題になってたりしてるんで、まさか、と思ったのだが(忙しいのではと)やはりご本人だったのだよね。
映画では自身出演される時物凄く怖いのにドラマだと優しいお父さん(『セクシーボイスアンドロボ』とか)なのだ。

ドラマ的には相変わらずどうなるかどうなるか(って判ってるけど)という苦しい繰り返し。今回もとうとう奥さん社会進出かと思ったらご懐妊。なかなか難しいのよねー。

最初、酷いと言われた視聴率は18%台になってるから、これは確実に伸びてきてるってことでいいのかな。

少女漫画家志望の女の子にアッキーナ。こーゆー格好してるとより可愛さが引き立つような。

これも随分前だけどしげるさん(向井理)が言った「まさに特攻精神ですな」というのがちょっと受けた。
ラベル:ドラマ NHK
posted by フェイユイ at 10:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月02日

『シルクロード 第一部 絲綢之路』第三集「敦煌」

敦煌そして莫高窟。巨大な壁画美術だ。DVDなんかで観る分には構わないが実際これを観るのはかなり疲れそうだ。
一体どれほどの年月とどれほどの芸術家たちがこの為に費やされたのか。

凄まじいゴビ砂漠の荒涼たる景色の中に現れる莫高窟。夥しい数の仏の姿は単なる絵ではなく時には金の冠が盛り上がるように施され時には浮き彫りの仏像としても作られ、絢爛豪華な色彩、時代の移り変わりと共に変化し洗練されていく。
中にはまるでフォービズムを思わせるような力強いタッチで描かれたものもあるのだが実はこれが時間を経た為の顔料の化学変化によるものだというのが却って面白かった。
有名な交差された脚の釈迦像であるとか、なんとも艶めかしい仏の姿も見える。

宗教画というのはその地によって変化していく。キリスト像がいつの間にか白人の顔に変わってしまうように釈迦の顔も極東に行けばその地の人間の顔になる。西の文化に近ければ釈迦像の御顔も彫が深い。
また胡旋舞という華やかな踊りの絵も残されている。
数多くの飛天の姿も時が移るにつれ洗練されていく。
当時の遊女たちが資金を出して作らせたと思われる質素な壁画もあり、人々の様々な思いが込められているようだ。

第16窟という小さな部屋がありそこから多数の経典が発見されたのだが何故そこに大切なものが保管されていたのかという謎がある。そこには高僧の像が安置されお付きの者の絵が描かれているのだ。『敦煌』の著者井上靖氏はすべての謎は彼らだけが知っている、と笑う。

今回の番組は、井上靖氏の「敦煌はシルクロードの始まりであり、中心であり終着である」と言う言葉で締めくくられた。
posted by フェイユイ at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月01日

『放浪記』成瀬巳喜男

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先日観た1974年製作の『砂の器』の演出には酷く時代の違いを感じ古臭く思ってしまったのだが、本作『放浪記』は1962年の作品なのにむしろ今現在作られたかのような驚きを感じてしまった。
これは決して大げさに言ってるつもりではない。この不況の昨今、学校は出ているものの飛び抜けた学歴でもなく何とか女一人生き抜いていこうとするふみ子が何ともふてぶてしく日本映画の女性像の中でとんでもないアウトサイダーではないかと見入ってしまったのだった。

タイトルが『放浪記』であるからもっと早く観るべきだったと思う。が、どうしても舞台のあれのせいもあってどこか敬遠してしまっていた(舞台を観たわけでもなく、勝手な食べず嫌いである)どこか好きになれそうにないものを感じていたのだ。
TVで時折観る森光子さんの元気いっぱいで明るい可愛いふみ子といったドラマを観るのは気が進まなかった。
ところが本作、映画『放浪記』で高峰秀子が演じるふみ子の不器量なことといったら。まん丸顔で下がった眉なのだがいつも不貞腐れ愛嬌のいうものなどまったくない。優しくされても好みでない男は見向きもせず美男子には惚れっぽい。しかも惚れた男がことごとく碌でもないという男運のなさ。うん、これって時と場所を変えればすっかり今の働く女性そのものじゃない?男に振られて泣きだしても暫くすればけろりと起き上がって小説を書き出すたくましさ。
微塵も女の可愛らしさ、だとか守ってあげたい、だとかどーでもいい話なのだ。
欧米もので女流作家の映画っていうのも数々あって観てしまうのだが、大体においてタフである。日本の女流作家も決して引けをとってはいないじゃないか。

ふみ子と言う女性の酷く辛い人生を描いた作品である。食べるのにも困る貧乏生活、だらしのない男達、そしてやっと念願の作家になれば締め切りに追われ眠ることもままならない。
47歳という若さで亡くなった。まさに「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」の人生だった人だ。
だが映画は苦しさよりふみ子のにらみ付ける顔が印象的だ。何度も男に騙されてほろりとしてしまう弱さが普通は嫌いだがここでは救いになっている。
蝋燭一本立ててがむしゃらに原稿を書いていく、ふみ子。綺麗な女給さんが見惚れるのも判る。かっこいいなあ。

共演者の顔ぶれが物凄い。ふみ子のお母さんが田中絹代だし。優しい安岡さんが加東大介だ。素敵なのになあ。

監督:成瀬巳喜男 出演:高峰秀子、田中絹代、宝田明、加東大介、小林桂樹、草笛光子、仲谷昇、伊藤雄之助、加藤武、文野朋子、多々良純
1962年日本
ラベル:女性 人生 小説家
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『ハートブルー』キャスリン・ビグロー

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POINT BREAK

あらゆる場面が殺伐としてあらゆる台詞が口汚い、いかにもアメリカ映画らしいガサツさでできているが、こういう掴みどころがなく取り留めない展開というのは却って米映画にしては珍しいのか。

『ダークナイト』を思い起こさせるのは変なお面を被った銀行強盗場面が凄まじいだけではなく、リーダーのボーディが特殊な人生の哲学を持っていてFBIである主人公ジョニーまでもその魅力に洗脳されてしまうからだろうか。
ま、私は『ダークナイト』が嫌いな奴なのだが、むしろジョーカーより本作のボーディをお勧めしたい。何しろ菩薩(ボーディサットヴァ)からついたボーディである。今人気の『聖☆おにいさん』みたいである。水には強いが。且つ修行中の身ではあるが。

アメリカ映画というのは大体において簡潔明瞭でそこがいい所でもあるし、物足りなくもあるのだが、この映画はなんとなくぐだぐだ感があってよく判るような判らんような気持になってしまう。
物凄く大切なことを訴えたいようでいて何か奥歯に物が挟まったままで終わったような気がするのだ。無論これを好きと思う人もいるのだから伝えていることはいるんだろうけど。
まず疑問なのは女の子の使い方だ。しかもこの監督は女性、言わずと知れたキャスリン・ビグローさんだが、監督が女性でありながらまるで男性が作ったような女性の扱いではないか。なんとなく出てきて主人公とのラブシーンを入れる為だけの役でしかも主人公に都合のいい展開。この女性との関係なんかを描く時間でもっとボーディとの関係を深く描き出して欲しかった。
ジョニーという男こそ菩薩(ボーディサットヴァ)によって覚醒させられていくわけで、その為のこのあだ名であるだろう。ジョニーが女性も仕事もすべて必要でなくなりボーディのような生き方に目覚めてしまう過程を突きつめて欲しかったのである。

ボーディは恋敵であるはずのジョニーを一目見て自分と同じ生き方をする男だと見抜き、そしてジョニーは彼が誘導するのに従ってサーフィンもスカイダイビングも怖れなくなりその快感に酔いしれていく。
逮捕される直前でありながらただサーフィンをしたいと頼むボーディの心をジョニーは理解しきっている。その快感がどんなに強烈なものか。
世の中のつまらない生き方を止めスリルを持って生きることこそがすべてだという意志を持つボーディにジョニーは同化してしまったのだ。

そういう志向であると思うのだが、この描き方ではいまいちくすぶって終わった感が拭えない。
もっとジョニーがボーディに耽溺していく様を描写してくれたなら。
この感覚ってビートニクな感じもするのだが、どうだろう。
近い内、映画化される『路上』ではこんな関係が観れるかもしれないし、違うかもしれない。サル・パラダイスとディーン・モリアーティがどんな風に描かれるのかな(って全然関係ない話で終わってしまった)

あ、私には「サーフィン」と言えば『ビッグウェンズディ』だが、彼の映画のサーファー3人仲間の一人がゲイリー・ビジー、本作のベテラン刑事役、だった。だもんで彼の顔を見ただけでサーフィンな感じが蘇ってくる。

あ、キアヌーが若くてハンサムだった。

監督:キャスリン・ビグロー 出演:キアヌ・リーブス ジェームズ・レグロス パトリック・スウェイジ ロリ・ペティ トム・サイズモア ゲイリー・ビジー
1991年アメリカ
ラベル:友情 哲学
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2010年05月30日

『彼女の名はサビーヌ』サンドリーヌ・ボネール

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ELLE S’APPELLE SABINE

今日観る映画にこれを選んだのは特別意図があったわけではない。
だが観始めて暫くするうち、なんとなく昨日観た『砂の器』と重ねて考えてしまった。
どちらも完全に治癒することは困難な非常に重い病気に家族がかかったことでその絆が思いもよらずほどけていってしまう、ということが描写されている。

無論二つの家族の状況は正反対と言えるほど違うだろう。だが、病気が発症するまでは(本作の場合は何とも言えないが少なくともサビーヌが異常に乱暴な行動を起こすまでは)非常に仲の良い家族であったことは同じで強い結びつきがあったと思える。
本作でサビーヌに異常性が現れ始めたのは姉妹が別れて暮さねばならなくなった時から、という話がある。この監督であるサンドリーヌともう一人の姉妹と別れ母親と二人きりで生活した頃から暴力を振るい始めたのだと。その後、どうしようもなくなった家族はサビーヌを病院に5年間入院させることになり退院した時サビーヌはもう昔の彼女ではなくなっていたのだ。
少女の頃、女優である姉と同じくらい美しくピアノを弾きこなしオートバイにも乗っていたサビーヌ。そんな彼女には確かに小さな精神の歪みがあり「おかしな子」と呼ばれていたのではある。
だが彼女を破壊してしまったのは家族と別れ病院に閉じ込められ多量の薬物摂取、それから病院の厳格な規則を彼女がどのくらい耐えられたのか、もし反抗した時どんな体験をしたのか、そういうことはもう想像するしかないのだろう。
病院内でサビーヌは何度も壁に自分を打ちつけるなどの自傷行為をし、体重も30キロ増え、様々な記憶を失っていたのだという。
退院後、サンドリーヌの努力で新しい施設に入れた彼女はいつもよだれを垂らし、殆ど話せなかったのだ。
映像は若い頃のサビーヌのビデオを映しだし、彼女がチャーミングではつらつとした美少女だったことを示す。現在のサビーヌの外見、どんよりとした目や緩んだ体つき、荒廃した精神と比較すると胸が塞がれる。
妹であるサビーヌを病院に入れたことでこんなに変貌したことを隠すこともなく映しだす姉サンドリーヌの心の強さにも驚かされる。サンドリーヌの淡々とした表現に見入ってしまう。最後「サビーヌと再び旅行することはできるのだろうか」という言葉に彼女の切ない願いが込められているに違いない。

今書いてどきりとしたがここでも『砂の器』と重なるキーワードが出てきてしまった。「旅」である。
若いサビーヌはアメリカに憧れ姉サンドリーヌとアメリカ旅行を楽しむのだ。姉妹だけの旅行は本当に楽しそうで、この時が二人にとって一番幸せな時間だったのだ。
二つの作品で「旅」をする場面が最も幸せであるのは偶然ではない気がする。

そしてその後サビーヌの精神は崩壊していく。家族と離別する悲しみが彼女をより荒廃へと追い立てたのだとサンドリーヌは語る。

『砂の器』において精神が破壊されたのはハンセン病の為病院に入れられた父親ではない。健常者である息子、秀夫=英良のほうだ。
彼は強い絆で結ばれた父親と離されたことを恨み続けたのだろうか。他者から見れば恩人である三木巡査は彼にとっては有難い存在などではなかった。だから巡査の家を飛び出したのだ。(映画では放浪癖があった為か、となっていたが)
願いもしないのに愛する父親と無理矢理切り離された秀夫は持ち前の才能と人好きのする外見で一流音楽家になり政治家の娘との結婚を目の前にするほど登りつめていく。自分はその行動が昨日は醜く感じられ嫌悪感を持ったのだが、彼はそうしなければならないほど精神を荒廃させてしまったのだ。無論サビーヌのような自閉症なのではなく公には優れた人物としか見えないのだが彼の心は父親と切り離された時から腐り始めたのだ。それは彼自身も気づかないことだったのかもしれない。
一流音楽家になった秀夫=英良の前に三木巡査が現れ入院している父親に会いに行こうと言った時彼は拒否した。猛然と抗議した三木を秀夫は殺すのだが、その殺害の動機は登りつめた自分の障害になるからではなく誰からも「いい人、素晴らしい人」と言われる三木が秀夫にとっては最大の恨みの人物、彼がいなければ父親といつまでも一緒にいられたのに、彼が二人を離した、善意という名のもとに、ということなのではないかと、思ってしまったのだ。無論三木の行為は誰が見ても正しい本心の善意なのだ。だが本当の善意が絶対に誰も悲しませないというわけではない。事実この物語では秀夫の精神が大きく歪み、別の道もあるという寛容性を失わせている。社会に対する復讐というものに人生を賭けることが良い生き方だとは思わない。不幸な人生だったのだ。

さて本題に戻ろう。
私が重ねて考えた二つの作品の徹底的な違いは『砂の器』では崩壊したまま終わった家族の関係が本作では再生されていくことである。
本作でサンドリーヌは妹サビーヌに対する一時期の間違いを修正しようと試みている。
彼女のような家族がいること、自分が彼女に対して判らなかったこととはいえ間違った選択をしてしまったことをこうして映像として公開することの勇気に驚く。そして再び妹と交流する決意を持ったことに対しても。

以前の自分を観るサビーヌがふと元に戻ったのではないかとさえ思える瞬間があったのだが。

監督:サンドリーヌ・ボネール
posted by フェイユイ at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『砂の器』野村芳太郎

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昔一度映画館で観たきりなのだが、その時深く感動し、何度もこの映画のことを思い出しては話題にしたものなのではっきりした記憶を持っているつもりだった。
今回観たのもその記憶をもう一度おさらいしようと言うものだったのだが。

これについては記憶の中だけに留めていた方がよかったのか。昔観た時や思い出す度蘇っていた切なさは今日感じることはできなかった。
物語は確かに覚えていた通りだが、特に後半の演出が思った以上に過剰でむしろ作品の良さを損なっているように見えたからだ。
テーマ曲『宿命』はこれの為に作られたんだろうから仕方ないとしても今聞くと感情過多に思え役者陣の演技も同じようにたかぶり過ぎでくどいのである。それが気になるせいもあって、前には感動の支障とならなかった英良の犯行動機も今回は納得がいかず虚しさだけを感じてしまう。また英良の現在の周囲の人々の描き方がどうにも気持ち悪い。何故芸術家というだけでなく政治家と結びつこうとしているのか、もよく判らないが、それは我慢するとしても、娘や愛人を描写する場面はなくてもいいと思える。特に愛人と英良の関係が煩わしい。愛人も本気で一人で育てるつもりなら黙ってさっさとどこかへ行けばいいのだ。英良も本気で子供がいらないのならちゃんと処置をすればいいではないか。などと枝葉末節で悪態をついてしまう。
丹波氏の演技が大げさなのはさほど気にしていないつもりだったが、刑事達面々の前で涙を拭いながら調査報告をするのは興ざめであった。
つまりはこういった演出過剰や音楽や男女関係の表現などがうざったいのである。英良が三木巡査を殺害したのも今風に言えば彼のおせっかいが過剰で「重い・・・」からかもしれない。

そうした記憶の中のイメージとの違いで落胆したのではあったがそれでも前半、丹波氏演じる今西刑事の調査の為の旅行、東北へと出雲へと大阪への旅の風景描写はとても素晴らしかった。
若い刑事と連れ立って或いは一人旅で列車に乗り田舎の人々を訪ね歩くと言う部分は今観ると昔より以上に味わい深く観ていた。映画館に寅さんこと渥美清氏が勤めている場面は効いている。
そしてこの映画の最も見せたい部分であろうハンセン病を患った父と息子の旅、これは今西刑事が言うように想像の中で思い描くものになるのだろう、病気の為に疎んじられ石をなげられ蔑まれながらも行くあてもない父子が寄り添って旅を続ける。抱きしめ合い、ささやかな食事をする場面にはやはりぐっと来るものがあった。
この映画の父子の旅の場面が映画史上に残ることには間違いない。
悲しく辛い旅なのにこの部分が物語の中で一番暖かく感じられるのだ。

監督:野村芳太郎 出演:丹波哲郎 森田健作 加藤剛 島田陽子 山口果林 緒形拳
1974年日本

ラベル:家族 差別
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2010年05月28日

『巨人の神話 ロワイヤル・ド・リュクス』ドミニク・ドリューズ

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フランスのとある小さな町に突如巨人が現れる!
DVDで観ているのにも関わらず、どきどきしてしまった。この場所にいたかった!ついそう思ってしまう。

ある日の新聞に「巨人が落ちてきた」という記事が載っていたという。まさか、と思ったが町の街灯にどでかいサンダルがぶら下がっているではないか。

昔空から巨人が落ちて来た。人々は眠っている彼を縛り起きると鎖をつけて歩かせた。人々は彼が見る夢を怖れ眠らないように光の壁を作った。巨人は壁を破って光の中へ消えていった。

物語のように地面に横たわり縛り留められた巨人の姿。そのあまりの大きさに人々は驚愕する。
無論、これはフランスのパフォーマンス劇団の仕業である。日本でも先だって巨大な蜘蛛を歩かせていたあれだ。私はTVで観ただけだが、そういうのが好きなせいか暫し見入っていた。といってもこれを見るまであの集団の映像だとは気付いていなかったのだが。
やがて、ガリバーのリリパットをイメージそのものに赤い衣装を身にまとい小人に扮した劇団員(というのかガリバーが巨人なのか)が巨大な若い男の像を動かしていく。
巨大な櫓を檻に見立て鎖ならぬ長大な紐につながれ劇団員らが力を合わせ巨人を動かしていく。
壮大でファンタジック。いかにもフランスらしい雰囲気だ。人間達が自分たちの重みを加えることによって動いていく、というなんともアナクロな仕組みになっていて全体の作りと言い、顔の動き体の動き、すべて手作り感覚の簡単で素朴でぎくしゃくしたものであるにも拘らず、巨人の表情も仕草も溜め息もまるで本物のように思えてくる。その顔には巨大でありながら捕えられてしまった悲しみすら浮かんでいるようだ。
また観ている町の人々の感想が面白い。子供達はみな可愛くて感想も率直。怖がったり怖くない、怖がってるのは巨人の方と言ったり、素直に驚いて喜んでいるのだが、傑作なのはむしろ大人たち。
理性では「これは作りものだ!それに間違いない。・・・でもなんだか生きているような気がする・・・もしかしたら少し生きているのか?」とでも言わんばかりに自分たちで必死に作りものだと確認し合い、それなのにどこか不安げな表情なのである。明らかに混乱し戸惑っているのは大人達の方なのだ。実は巨人は本当で作りモノのふりをしていると疑ってでもいるかのようだ。
実際に見たらその気持ちがもっと理解できるのかもしれない。
そして巨人がいかだで去ってしまう時、子供も大人も別れを惜しんでないてしまった。これは一体どういうことだろう。皆それほど奴を好きになってしまったのか。女の子は「恋をしている」とまで言ってたっけ。作り物なのに。・・・やっぱり生きてるんだろうか。
私まで少し涙ぐんじゃったじゃないか。

彼らはアフリカへ渡りそこで巨人の黒人の子供を擁して彼の地の人々を同じように驚かせその子供を連れ再びフランスへ戻る。
巨大なキリンまで登場し黒人の子供を乗せて練り歩く様に皆感嘆の声をあげる。
数年をかけて巨人の神話を作り上げていくドキュメンタリーであった。

あの不思議な動きに見惚れてしまう。息遣いが聞こえると言うのが凄い。皆それが印象的なのだ。
誰もが巨人を見るとそこに物語を感じてしまうのである。
彼らについての感想が素晴らしい。巨人に同化し操る人々を小さく感じてしまう。別れの時は泣き、いつかまた会えると信じていると言う。
大人の方がより心を揺さぶられ感激してしまっているのだ。

監督:ドミニク・ドリューズ
2006年フランス
posted by フェイユイ at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月27日

『鈍獣』細野ひで晃

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浅野忠信って人はいつも風変わりな映画に出る人ではあるのだが(そしてそこが好き)あまりに変てこな役のようなのを見て気になっていた。
やっと観れたのだが、これは浅野っていうだけじゃなく凄く面白くて最近ないほどのめり込んで観てしまったよ。

めちゃめちゃはちゃめちゃな映画みたいで非常に計算され尽くされた感じが心地よい。ド田舎にこんなホストクラブがあるんだろうか。きっとどこかにはあるんだろうなあ、的なド派手なホストクラブしかも4Fだし?田舎ってあんまり高くないよね、建物って。でも浅野忠信こと凸やんが登場する為にはこの4Fが必要なのだ。

まあ私てきには浅野氏演じる凸やんが可愛くてしょうがないんだけど。一体どうしてこんなに強いんだろうか?
そして何故彼はここへ来たんだろうか。
東京の雑誌出版社から行方不明の小説家凸川を探しにやってきた女性編集者は彼の故郷で彼の幼友達と会い彼の消息を掴もうとするのだが。
そこにいた連中も彼らの話の中の凸やんもとんでもなくシュールで「普通の人」である女性編集者は話を聞くほど迷路の奥に入り込んでしまう。
田舎ってシュールなんだよね。本当に覗きこめばこの作品よりもっとシュールだと思う。奥深いところへ行けば行くほど理性で理解できない世界にはまり込んでしまうのよ。
でもそんな彼らが怖気づくほどもっと違う世界にいるのが凸やんで。
ほんとは酷く恐ろしい話であるのに凸やんが強いおかげでおかしくてたまらない話になった。
最後には無理矢理深い友情によって結ばれてしまう。
変な話なんだけど絶対忘れられない話になりそう。

キャスティングがまた滅茶苦茶よい。
浅野=凸やんを小学生時代苛め続けた悪い奴でホストになった男を北村一輝、その腰ぎんちゃく的存在のおまわりさんをユースケサンタマリア、どちらもどんぴしゃだ。唯一のホストの愛人(16歳の時から愛人だって)に南野陽子、東京から来る編集者に真木よう子、綺麗だった。
そして一番ねじが外れてるかもしんない女の子ノラに佐津川愛美、可愛かった。
そして時折やってくるジェロ。凄く可愛いんだけど北村さんにガンガン怒られて追い出されて可哀そうであった。
相撲が大好きな田舎なので大乃国が登場。冒頭の事故場面から何度も出てくる。さすが存在感あり。

これっていやホントに凄い面白い。こういうとんでもないの見せられるとやはり監督の次回が気になるなあ。どういう方向から来るんだろう。

監督:細野ひで晃 出演:浅野忠信 北村一輝 真木よう子 佐津川愛美 ユースケ・サンタマリア
2009年 / 日本
posted by フェイユイ at 22:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夫婦愛溢れる『ゲゲゲの女房』

『ゲゲゲの女房』引き続き観てるけど質が落ちることなく面白い。水木しげるさん役の向井理さんも今ではすっかりしげるさんとして観ててとても素敵な人だと認識中。無論奥さんの松下奈緒さんも美しい。
貧乏生活ながらも互いにいたわり合い支え合ってて、今、こんなに本当に愛し合っている夫婦の話って他にないんじゃないか、と思ってしまう。
水木さんが片腕で一所懸命マンガを描いてて奥さんも懸命に何かお手伝いできないかといつも考えてる。二人の生活が自然に描かれていってるのがとてもいいのだ。

今回は少女漫画家志望の可愛い女の子が水木家に現れて初めて焼き餅的な話も入ったのだけど、しげるさんがひょうひょうとしてるんでよかったなと。
それでもどうなることやらとはらはらしてる毎日だ。

奥さんが豆を買ってきてしげるさんが淹れたコーヒー。凄く美味しそうだったな。
ラベル:ドラマ
posted by フェイユイ at 18:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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